「馬鹿が牛車でやってくる」(KITAKARA RECORDS K−6)
泉邦広
ちゃかしたような題名で、ちゃかしたようなジャケットにかかわらず、中身は非常にまじめ。「カエルの歌」とか、おちゃらけた演奏のように思うかもしれないが、とんでもない。まるで雅楽のような雰囲気と迫力に満ちた、凄まじいカエルの歌だった。全体に、バンジョーその他の弦楽器が高らかに鳴り響くうえを、ソプラノもしくはアルトが明るくメロディーを奏でる、といった演奏が多く、前作はシンプルな編成で泉のアルトがスコーンと突き抜けるような迫力で迫ってくる感じだったのにくらべ、この作品はちょっと凝っている。サックスが、ドラムやさまざまな弦楽器の織りなす一枚の布の一部となっていて、リズムセクションとソロ楽器というようなわけへだてがなく、一体となっている。そのぶん、サックスが前面にどーんと出る迫力はないかわりに、緊密なコラボレーションを楽しむことができ……え? 待てよ、このアルバム、もしかしたら多重録音? 全然気がつかなかったよ。――というわけで、私は3曲目あたりまですっかり、(このバンジョーのひと、うまいなあ)とか思っていたのだ(バカ)。そりゃあ一体にもなるはずだ。なにしろひとりでやってるのだから。ソロアルバムと書いてある意味がやっとわかった。しかし、こういった多重録音ものにありがちな閉鎖的、室内チマチマ的雰囲気は微塵もなく、屋外の、明るく、開放的な、太陽さんさん的な出来映えになっているのは驚く。どの演奏も、フリーキーになることなく、あくまでメロディーを重視して歌いまくる、とても聞きやすく楽しいアルバムだが、それだけではなく、その底には、斜めに構えてアルトを吹きまくる、ライブでの泉邦宏のいつもの豪快かつ八方破れ的な魅力が流れていて、聞き飽きない。泉さんといえば、どうしてもスタイル的に梅津和時を思いうかべてしまうが、音の個性と迫力の点で一歩ゆずるかもしれない。しかし、このアルバムは、練りあげられたコンセプトにもとづいた泉さんの魅力全開で、トータルとして非常に個性を感じられるものになっている。何度も聴きたくなるような好盤です。一枚目のアルバムはどこかに置いてあるはずなんだけど探しても見つからないんです。
「PA LA LA N KA」(KITAKARA RECORDS K−11)
IZUMI KUNIHIRO
泉さんのアルバムはどれも一筋縄ではいかないが、おそらく本人は、そういった「ひねった」感覚ではなく、そのときそのときに感じている一番表現したいことを素直に表しているのだろうと思う。このアルバムは、各種サックスを中心に、ありとあらゆる小物やパーカッション、笛その他もろもろを駆使して作り上げたソロであるが、オーバーダビングがなされていると思われるものの、「密室でちまちま手作り」感はなく、なぜか非常に開放的である。これはたぶん本人の性格にもよるのだろう。さわやかで剽軽で、どこか異常。そんな印象のアルバム。メロディーも良い意味でどこか似通ったものがあり、エスニックで牧歌的である。ジャケットなどにある写真から受ける、ローランド・カークみたいな感じはほとんどなく、たいへん個性的なアルバムに仕上がっている。泉さんのサックスの音はとてもシャープで、それがハモると分厚くなるというより、シャープさがますます強調されて、ものすごく心地よい音になる。これはおそらく、全部泉さんが吹いているからこそであって、別々の三人が吹いたら、音色もイントネーションもちがうからこうはいくまい。アドリブを楽しむというより、アルバム全体の音楽性をまるごと味わうような音楽。
「泉邦宏 NEW TRIO」
泉邦宏 高岡大祐 池澤龍作
あいかわらず段ボールのジャケットにタイトルが印字されているだけで、CD番号もレーベル名もない高岡さんの手作り感満載のこのレーベルだが、中身にはもうめちゃくちゃすばらしい演奏が詰まっている。この高揚と感動を味わっていただくにはとにかく聴いてもらうしかないが、最近は楽器の倉庫のような状態でライヴをする泉さんには珍しくアルト一本だけの演奏なので、ひたすらアルト〜チューバ〜ドラムという3つの楽器のからみあいに集中して聴くことができる。いやー、楽しいです。泉さんはとにかくずっと吹きっぱなしなのにイマジネーションがつきないというか、まるでダレたり、マンネリになったりしない。それは共演者の力も大きいと思うが、こういう演奏ではある程度は中だるみとかダレる箇所があり、そこからまた盛り上がるのが興味深かったりするわけだが、こういう傑出した3人が組むと、ほんとまったくダレないのだなあ。つくづく感心する。そして、泉さんの歌心! フリーなので、歌心は不要といえば不要なのかもしれないし、そういう演奏ももちろんいいのだが、泉さんの場合は、そういう風にしようとしているのではなく、自然に、資質として、「歌」になっていくような感じだ。高岡さん、池澤さんもフリーだが歌っており、それらが合わさると、至極の音楽的瞬間が訪れる。泉さんの、超人的な集中力と演奏能力はめちゃくちゃすごくて、ここにはいつものリラックスしたムードはほとんどない。テンションのうえにテンションを重ね、そのテンションのなかでの心地よい状態をある意味「リラックスしている」と呼ぶことはできるかもしれないが、私にはずーっと延々心地よいテンションの連続による世界(というかなんというか)に思えた。もう一度いうが、楽しすぎる。日本のフリージャズはここまで来たのだ、と世界中に誇れるようなすばらしい演奏です。ひとりでも多くのひとが聴いて、この興奮をわかちあうことを願います。こういうときって、CDという媒体の重要性を感じるなあ。この丸い小さな銀盤に宝物がぎっしり入っているのだ。
「SOLO IN SAMBAR」(KITKARA RECORD K−20)
IZUMI KUNIHIRO
アルトオンリーのソロ。一曲目の「ラヴァーマン」から有名曲がずらりと並ぶが、それを無伴奏でメロディに忠実に吹いていく。すごいアドリブがあったり(アドリブパートはたくさんあるのだが、逸脱せず、あくまでしみじみゆったりソウルフルに歌っていくのだ)、フリーになったり、吹きまくったりしない。それだけの演奏なのに、そこに泉さんの個性がたっぷりすぎるほど感じられるのは音楽の不思議としかいいようがない。おそらく、音色、アーティキュレイション、ちょっとしたタイミング、リズム、キーの選定、ちょっとしたフェイク、ビブラート、音程……などの集積が「個性」として感じられるのだろうな。なかでも、音程と、全音域でのしっかりした音色は、このひとの基本的な上手さをはっきりと示している。上手いよなー、ほんとに。こうして聴くと、単にメロディを吹くだけでもジャズになるのだということがしみじみわかって泣ける(メロディを吹くというのはアドリブの部分も含む)。そして、この「個性」を成立させているもうひとつの要素は「選曲」だ。「フリー・ソロ」という演奏を除いて、泉さんが選んだ11曲の「曲」こそが、このソロアルバムにおける重要なファクターだ(11曲のほとんどは私も大好きな曲なのだった)ああ、なんといううまいアルト奏者なのだろう。そして、なんといういいメロディが世の中にはあるのだろう。そういうことに気づかせてくれる、じつはめちゃめちゃ狙いのしっかりとしたコンセプトアルバムなのではないかと思った。サックスの無伴奏ソロという、やろうと思えばいくらでも自由にできるシチュエーションで、ルールを設定してきっちりと吹く、そのうえ、聴いていて感じるのはひたすらな自由さなのだ。とんでもなく難しいことにチャレンジして、それをしっかり成し遂げ、しかも、まったく「難しさ」を感じさせない、この心憎いまでの空気の醸造が、このアルバムを味わうポイントだったりして。ひたすら聞きやすい、そして、ヤバいアルバム。大げさにいうと、音楽というものについて根本的なことをいろいろ考えさせられるアルバムでもあるが、そんな大仰な聞き方はおそらく本人は望んでいないだろう。だから、楽しく聴くのです! 傑作。
「SOLO LIVE!」(KITKARA RECORD K−18)
IZUMI KUNIHIRO
めちゃめちゃよかった。こういう演奏を一枚の音盤のなかに閉じ込めるのはなかなかむずかしいと思うが、本作はそれに成功している。熱気や即興のスリル、微妙な空気、ユーモアなどなど、その現場でないと伝わらないようなことまでもちゃんとこのCDには入っていてすばらしいと思った。1曲目の衝撃がとにかく半端じゃない。これがオーバーダビングとかじゃなくて、ひとりでやっているのだからすごい。いや、もちろん音楽としては何人もで演奏したり、ダビングして作り上げるほうが複雑で、奥行きのあるものになるだろうが、それに代わるものとして「異常なまでの臨場感」がここにあり、それは「ひとりですべてを同時にやってる」ことでしか得られない、なにものにも代えがたいものなのだ。彼は二本のサックスを同時に吹きながら足でベードラを叩きながら、鈴を鳴らす、という演奏を行っているが、これが曲芸ではなく、いや曲芸だとしても、聴いているものの心をわしづかみにし、情熱をねじ込んでくるような熱い演奏なのである。これはまいった。しかも、こんなこと簡単にできると思うひともいるかもしれないが、いやいや……そんなことは絶対ありません。これはとんでもない集中力と技術力が必要なアクロバット的な演奏なのだ。2曲目はリコーダー的な笛を吹きつつ、コンガを叩き、鈴を鳴らす。たぶん笛もコンガも片手で操っているので、そんなに複雑なことはできないのだが、その限定された使用法がプリミティヴな良さを出している。3曲目はパーカッションを叩きながら、サックスを二本吹く。そしてパーカッションをやめて、2本吹きに専念するのだが、それがインドの蛇笛のような幻惑的な効果を生む。そのまま、ベードラと鈴を足で鳴らしながら、「マイ・フェイヴァリット・シングス」に突入するのだが、考えてみたら、この曲のコルトレーンバージョンもこんな風なインドとか中近東を思わせる雰囲気があるのだった。途中から原曲から遥か離れたところに浮遊していくあたりもすばらしい。4曲目は、「エセ聖者」という「聖者の行進」に似た(?)曲。こういう曲調にベードラの4つ打ちは非常にぴったりである。5曲目は「笛太鼓」という、たしかに笛と太鼓類が自由に演奏される即興。聴いているだけで魂が自由に遊ぶ。6曲目は、「ビリーズ・バウンス」とタイトルにはなってはいるが、最初好き勝手なアルトソロではじまり、「グッドバイ・ポークパイ・ハット」のフレーズが断片的に出てくるような自由なブロウから、なんとなく「ビリーズ・バウンス」が出てきたり、「エンターテイナー」が出てきたり、そういった曲から曲へと渡り歩くような演奏だが、それが不自然な感じはまったくしない。7曲目はカリンバ(サムピアノ)による美しい演奏だが、ノリもあって、かっこいい。だんだんオーケストラのように思えてくるところもカリンバのいいところだ。SIGHTSを思い出した。8曲目はサックス2本によるモーダルな即興から、「アフロ・ブルー」のテーマに(同時にベードラもはじまり、祝祭日のような雰囲気に)。9曲目はリズムなしの2本吹きで「ジョージア・オン・マイ・マインド」を歌い上げるが……やっぱりどこか中近東風になるのは、一本が通奏低音みたいになるからかなあ。途中からリズムが入って、ドンツクドンツクというビートになり、アドリブが続く。10曲目はソプラノ一本による演奏。やっぱり無茶苦茶うまい。一本だけ、両手で吹くというのはこんなにも自在なのか、ということを感じるという意味でも、この10曲目の意義はある。11曲目はエコーの響くなかでの2本による演奏。吠えるような、叫ぶような、感動的な演奏で、途中からベードラが入って、マーチのようになる。チンドンのようでもあり、軍楽隊のようでもあり、とにかくせつない。最後の曲はギターの弾き語りでこれがまたやたらめったらうまいのだ。というわけで、おもちゃ箱をひっくり返したように楽しい、悲しい、いろんな演奏によるいろんな感情が詰まったアルバムだが、これがたったひとりで演奏されているというのはもう驚くしかない。すごいすごい。というわけで、傑作でした。
「きけとりさんのこえ」(KITAKARA RECORDS K−24)
泉邦宏
泉さんの新作は、多重録音によるひとり演奏だが、ボーカルが伝えるメッセージは非常にストレートだ。とくに一曲目(2曲目?)の「センソーしたいやつら」というのは、本当に無垢というか隠し事のない?き出しの主張なので、聴いていると、まずこの主張にイエスかノーかを答えないことにはこの先聴き進めないような気分になる。私はもちろんイエスで、このアルバムを制作しているときの泉さんの気持ちを考えると泣きそうになるのだが、なかには拒絶反応を示すひともいるかもしれない。正直、そういうひとを説得するような音楽ではない。そのあたりの潔さもすばらしいと思う。しかし、内容は相当重いし、聴いていると今のこの国の状況を突きつけられて、「あーーーーーーーっ」と叫びたくなるほどなのだが、曲調はあくまで軽く、ボーカルも淡々としていて、そこが音楽としての力なのだ。そういうなかに「とんかつ定食讃歌」や「ミカママブルース」みたいな、アホみたいに楽しい曲が混じっているのもいいな。こういう曲に、なにか裏の意味があったり、隠喩だったりするのかと思って歌詞をよく見たけど、やっぱりこれはこれなのだ。そうそう、私もとんかつ定食については完全に同じ意見です。本作は、だれにでもおすすめ、というものではないかもしれないが、だからこそ、とにかく多くのひとに聴いてもらいたいアルバムだ。哀しいユーモアにいろどられたこのアルバムは、皮肉とか諧謔は一切なく、ただただストレートな、泣きそうになるような笑いと怒りに満ちている。ほんと、よく作ってくれたと思う。ラストの「即興〜馬子唄」も最高です。泉さんのライナーにある「メッセージ性の強い歌って好きじゃなかったんだけど、こんな世情でさ、テレビとか新聞見るたびに怒りが込み上げてきて……」という言葉は、私もまったく同感なのであります。
「もがりぶえ」(KITAKARA RECORDS K−25)
泉邦宏
尺八の多重録音。しかも、その多くは塩ビ管の手作り尺八だというから驚く。そして、実際に音を聞いてみるともっと驚く。尺八という言葉から連想されるような、枯れた、ワビサビな世界ではなく、たとえばローランド・カークのフルートのような破壊力と表現力のある生々しいものだった。エフェクターとかも多用しているのだろうが、とにかく信じられないディープな世界が広がっており、飽きることがない。幽玄だったり、深かったりもするのだが、それは従前の尺八音楽における幽玄さ、深さとはまるでちがった角度からとらえられたそれなのだ。こういうものを「発見」した泉邦宏はすごいと思う。竹(や塩ビ管)の筒に息を吹きこんだだけの「素材」をこうした壮大な音絵巻に作り上げるのはセンスとしか言いようがない。1曲目と2曲目は即興による大曲だが、3曲目以降は(6曲目をのぞいて)チューンである。しかも、ヘイデンの「ソング・フォー・チェ」とかコルトレーンの「ワイズ・ワン」とかもやってて、それだけでわくわくする。尺八というのはこんな風にも使えるのだなあと目からうろこだったが、それは泉さんの技術力あってのことだろう。朗々と吹き鳴らされる尺八の音にひたすらもっていかれる。これが、一般的ななんとか流の尺八的なものとしてどれぐらい上手いのかどうかはしらないけど、私にはこれで十分です。きちんとした基礎のうえに今回の音楽ができあがっているように聞こえる。しかし、考えてみたら、これらは単なる一本の管に穴を開けたものに息を吹きこんで出てきた音にすぎないわけで、それをていねいに集めて、ひとつの大きな建造物を作っているわけだ。それは大きければ大きいほど机上の楼閣というか、危うい、ちょっと押せば崩壊するような脆い存在ではあるが、それだけにその危うい魅力は筆舌に尽くしがたい。5曲目「馬鹿は見る」のようなマイナーブルース的なものも尺八がこれほどぴったりくるとはなあ……。息漏れの魅力というのはすごいものがある。こういうのもまたカークのフルートを思い出してしまう。6曲目は2本の尺八による即興だが、これがめちゃええのよ。耳が離せなくなるというか……ここまでいくと尺八というよりシンセや電子音のようですらある。センスやなー。これも一種の組曲になっていて、いろんな場面が連なっていく。そして、7曲目から10曲目までは秋田の民謡だが、それを尺八一本で……というのではなく、いろいろ工夫が凝らされている。7曲目は、ソロ尺八のうえに尺八をたくさん重ねたハーモニーが聴ける。人工ハーモナイザーみたいな効果。一本の尺八よりも、こうすることでよけいに清浄な雰囲気が増したようにも思える。8曲目と9曲目は尺八を重ねたリフのうえをソロ尺八がメロディを吹く。そしてラストの10曲目はエコーをかけた尺八一本で勝負したストレートアヘッドな演奏。これもまたかっこいい。正直言って、即興の現場であんまり尺八のひとがギターとかドラムとかサックスといった西洋楽器と混じってやってるのを見て感心したことはあまりないのだが(やはり細かい対応ができないひとが多いし、音量的にも負ける。でも、ネッド・ローゼンバーグとか松本健一さんはすごいと思う)、泉さんの表現力は本当にすばらしいと思いました。傑作!
「近未来原始人イズミンゴス」(KITAKARA RECORDS K−28)
泉邦宏
泉さんには、アルトや尺八でのハードな即興演奏者としての側面と作詞・作曲した自作曲を歌う歌手としての側面があり、どちらもたくさんのアルバムが作られているが、このアルバムはこれまでのもの以上にそのもっとも良い形での融合だと思うし、どちらのファンのひとが聴いても満足すると思う。もっと言うと、泉さんにはもっともっと多くの顔があり、ひとり演奏家であり、ギター弾きであり、ドラマーであり、カークのように複数本くわえて吹くひとであり、楽器自作者であり、さまざまな小物を使うミュージシャンであり……そういったすべての面がここに結実しているような気がする。とにかく傑作なのだ。集大成という言葉はあまり好きではないが、そうだといってもまったくおかしくはない。ご本人がどんな気持ちで作ったのかはわからないが、たぶんたまたまこういうアルバムができあがっただけで、集大成的なものを作ろうという気持ちはなかったんじゃないかと思う(想像です)。でも、このアルバムはさっきも書いたけど泉邦宏ってどんなひと?と言われたときに、これまでは、いろんなアルバムをたくさん並べて、これを全部聞かないとどんなひとかはわからないよ、と言わざるをえなかったのに、本作を渡せば納得してもらえる……ような気がする。全14曲、めちゃくちゃ濃い内容。1曲目はパーカッションの癒し系風の演奏ではじまり、突然ドカーンと激しいリズムが入ってくる。そこにサックス二本吹き(たぶん)によるエスニックなテーマが鳴り響き、ソロへ突入……などと書いてもこのいきいきした音楽の魅力はまるで伝わらんな。とにかくおもちゃ箱をぶちまけたようで、じつはちゃんとぶちまけかたを研究したうえでバーン!と思い切りよくぶちまけているのだ。2曲目はヴォイスを使ったリズミックな遊びなのだが、それだけでこれだけの大河のような流れを作り出してしまうのがすごい。3曲目はキーボードやシンセ、リズムマシンなどによるひとりインスト。どこまでが打ち込まれていてどこまでが即興なのかわからないが、とにかく躍動感があってずーっと聴いてられる。4曲目は、2曲目と似た趣向の、ヴォイスをリズムとして使った演奏だが、タイトルどおり、ずーっと「みんみん」言ってます。おもろい。5曲目もタイトルどおり、ずーっと「しゅわしゅわ」言ってます。声のリズム化だけでなくそこに適度なユーモアがあるので、心地よいのである。6曲目は打ち込みトラックのうえにサックスが多重録音で高音部と低音部でそれぞれ即興する。それだけでなく後半はなかなかドラマチックなノイズも登場して新たな展開になる。やっぱりセンスやなあ。7曲目は各種のロングトーンのみで構成された演奏で、それがからまりあって呪詛というか祈祷のようになっていく。8曲目はカラフルなリズムのうえにサックス二本吹きによるシンプルなテーマが延々繰り返されるのだが、その分、リズムのほうがいろいろ盛り上がっていくような……まあ、一言でいうと変わった曲である。タイトルは「探査船ラスタ号」となっているが、なんのこっちゃ。9曲目はまたしても出たヴォイス曲。今回は唇をぶるぶる震わせる音をうまく使って音楽にしている。これって延々やり続けると唇がうっ血するのか、だんだんかゆ痛くなってくるのだ。10曲目はシンセ(?)と尺八(?)などによる幽玄な演奏。シンプルすぎるぐらいシンプルなのだが、かっこいい。この白いカーテンのような音の向こうから古代が見えてきそうな雰囲気。11曲目は電子音とカラフルなリズムの飛び交うなかをハチャトリアンみたいなスパニッシュなテーマが鳴り響き、ソプラノ(?)が高音でブロウする。めちゃくちゃかっこいいです。12曲目は口琴やら猿の叫び声やら変なノイズやらハレハレ……という声やらが渦巻くなか、最後は火山が噴火する(?)という展開に。13曲目はサックス二本吹きによる物悲しいメロディとドラムのシンプルな響き……というひとりバンド。基本的にサックスがめちゃめちゃいい音で鳴っており音程もいいのでものすごく説得力がある。これは感動です。このアルバムの白眉といってもいい、パワーみなぎる演奏。ラストの14曲目は、なんといったらいいのか……生活音をいろいろ集めて構成された演奏で、こういうこともいろんなひとがやってるが、センスが問われる。最後のほうで水道(?)の水の音が延々と流れるのだが、そうか、水道って演奏してるんだ、もう俺今日から水道の音ずっと聴いてたらそれでええわ……と錯覚させられそうになるぐらい面白いのだ。不思議。というわけで、メガトン級の傑作なので、みんな聴きましょう!
「THANK YOU SAMBAR」(KITAKARA RECORDS K−32)
KUNIHIRO IZUMI
泉さんの新譜。今回はなぜかレゲエ。いやー、正直、ここんとこずっと聴いてる。中古で買って、今それで全国を回っているスバルサンバーという車をタイトルにし、ジャケットにして、曲にもしたアルバム。ライヴに行くと、ほんとにこの車が駐車場に止まっているので、「おおっ」となる。なんというか、ものすごくストレートなメッセージばかりが詰まっているアルバムで、1曲目がまさにこのスバルの曲なのだが「スバルサンバー、俺の愛車、スバルサンバー、ありがとよ」というフレーズが何度もリフレインされる(こないだライヴでも聴いた)。歌詞だけ見ると、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」みたいな感じなのだが、あっちが女性の比喩的な内容なのに比してこっちはただただひたすら自分の愛車をたたえているだけ、というのがいい。中古で買った自分の普段使いの車をただただほめちぎる、という曲が冒頭……というアルバムってすごくないですか? 最近の泉さんのアルバムはだいたいそうだが、全部自分でやってしまっていて、つまり打ち込み系なのだが、ライヴを見るとそうではないことがわかる。つまり、打ち込みというより「ひとりバンド」なのだ。だから、このアルバムで聴けることはすべてライヴでもおんなじように聴けるのである。すごいよね。曲も「吸わせろ」「キチガイ万歳」「それでいいのか?」「うそはやめてくれ」「いつまでも続かない」「片山さんへ愛をこめて」……といった刺激的なタイトルの曲が並ぶが、聞いてみるとそれらはレゲエのゆったりしたふんわりしたリズムのうえにのんしゃらんな歌が乗る。レゲエのリズムは過激になろうとすればいくらでもなれるのだが、こういう風に「ほわっ」としようとするとそちらもいくらでもできるのだ。3曲目だが栗田妙子さんのメロディカが加わっている。4曲目など、2小節のリフの力だけでここまで聴くひとをモフッとした楽しい思いで満たすことができるのだなあ、と感心。5曲目ではアルト〜テナーのひとりサックスバトルも聴ける。なんだ、なんなんだ、この心地よさは。6曲目は「キチガイ万歳」というタイトルだが、聞いてみるとゆるーいビートのうえで人生哲学が開陳される。なるほどなあ、と思うすばらしい曲。酔っ払って聞くとよけいに心に刺さる。7曲目「それでいいのか」という曲は、泉さんとしてはかなり露骨でストレートなメッセージだが、それを包む物悲しい曲があまりに物がなしすぎて、メッセージソングというより酔っ払いのおっさんが立ち飲み屋でぐだぐだとくだを巻いているだけのようだが、じつはそうではなく泉邦宏の真っ正直な本音なのだ。しかし、本作で一番心に刺さるのはそのつぎの8曲目「うそはやめてくれ」という曲で、最初から最後まで「うそはやめてくれ」と繰り返すだけの曲だ。ほんとにそう。マジで。うそはやめてくれ、と思うが、今の政治はひたすら嘘で塗り固められている。良いうそとか悪い嘘とかはないんだよ。嘘はやめてくれ。9曲目はイントロと間奏でテナーサックスがフィーチュアされるが、泉さんはテナーも上手いなあ。そして、ラスト10曲目は「片山さんへ愛をこめて」と題された演奏で、このアルバムのコンセプトとはいささかちがうかもしれないが、どうしても入れたかったのだろう曲が入っている。「鉄腕アトム」のテーマの無伴奏ソロからはじまり、ゴスペルのようなサックスアンサンブルになり、美しいハーモニーが延々続くなかで泉さんの慟哭が聞こえてくる。この演奏が最後に置かれたことで、このアルバムは泉ファンやレゲエファンだけでなく、すべてのジャズファンにとって永遠の価値のあるものになった。泉さん、ありがとう! 傑作。
「SAUDADE」(KITAKARA RECORDS K−21)
KUNIHIRO IZUMI
泉さんの数多い作品のなかでも「好きさ」ではかなり上位に来るソロアルバム。好きさ好きさ好きさ(なんのこっちゃ)。多重録音といっても、こういう感じのものは聴いていても本当に「手作りであります」という感じがモロに出ていてしみじみ愛おしい。買ってに複数購入して、好きそうなひとに配ったりしたぐらい好き。これが出たころは泉さんがブログとかでこどもの病気について書いてて、それを読んでいる私は、なんの関係もない第3者なのにとにかくはらはらして泣きそうになっていたが、手術が成功したというブログを読んで、なんだか祝杯を挙げたくなった。そんなときに出たアルバムである。自身によるライナーにはそのときのことが書かれているが、そういうこととは関係なくめちゃくちゃ心に染みる作品である。哀愁とかいう言葉でひとくくりにしてはいけないのかもしれないが、とにかくマイナーとメジャーを行き来するコンポジションと、サックスのひとり多重奏による演奏なのだが、サックスの音の張りというか生々しさや微妙にゆらぐ音程などが、いわゆる「きれいごと」のサックスアンサンブルではなく、さっきも書いたけど手作り感にあふれてて、そういうゆらぎから生じるヴァイブレイションというか手ごたえがたまらないのである。これを、完璧に吹けるサックスプレイヤーたちに譜面を配って、さあ、やってください、と言ったら、きっともっと美しい完璧なアンサンブルが生まれるのだろうが、これは全部ひとりでやってるところがいいのです。このあと泉邦宏はひとりサックス多重奏から「ひとりナマバンド」に移行し、その場でなにもかもすべてをやるようになり、その凄まじさ、面白さはもはや世界にひとり! 的なとんでもないことになっていくわけだが、それはまた別の話……ではない。泉さんの話である。しかし、今の泉さんも大好きだが、ここでの泉さんもめちゃくちゃ好きやー。9曲目の「ピッチンギーニャ!」と繰り返すわけのわからないアホな演奏や10曲目の「復活の呪文」みたいなやつもすばらしい。14曲目のサイレンが鳴って拡声器で「なにをしたいのか! 愉快なことをしようじゃないか! マスコミに踊らされるな!」と叫ぶ演奏も心をかきむしられる。15曲目にはじめて泉さんの曲ではない演奏「鉛の兵隊」(鈴木常吉作曲)が入っている。硬派な演奏も入っているが、底に流れているのは泉さんの個性丸出しのガッツのある表現である。ラストは「ボヨヨンボイン」という月亭可朝「なげきのボイン」に並ぶすばらしい曲(か……?)。傑作!
「SUNRISE IN MY HEAD」(地底レコード B−5F)
IZUMI KUNIHIRO
もう、超傑作であり、個人的に偏愛しているアルバムなのである。この記念すべき、というか泉邦宏の初リーダー作をレビューしていなかったことに気づき、久しぶりに聴きなおしたが、やはり1曲目をはじめとしてかつてものすごく聞き込んだアルバムなだけに細部まで覚えていた。しかし、ここに全面参加しているギターのカズ中原さんと京都でたまたまちょこっと共演させていただいたときに、このアルバムに入ってることはまるで忘れていたのでした。すいません。今回聴き返してみたら、ギターの演奏もものすごくよく覚えていました。まあ、それぐらい私にとっては大事な作品で、タイトルの「わしの頭に日がのぼる」というのと、1曲目の不穏な雰囲気からのドッカーン、バリバリバリ……という勢いの良さが、当時、就職してこのまま会社員を一生続けなければならんのかと鬱々としていたが突然小説家としてデビューでき、二足の草鞋ながら「やったるで!」と思っていた私としては、応援歌というかテーマソングというかそんな気持ちでこのアルバムを聴いていたことを思い出す。あのころはほんま、年齢的には30を超えていたが、なんでもできる、というかどないでもなるような気がしてたなあ。まあ、今もじつはそうなんですが。アイラーが突然、百倍の活力とともに今ここに降臨したような迫真の演奏にも感じられる(一曲目のアイラー的祝祭日サウンドの曲のタイトルはまさしく「オマツリ」である)。不破大輔〜大沼志朗という最強のリズムセクションのうえにカズ中原のギターを得たこのカルテットは、聴きようによってはオーネット・コールマンの「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」にはじまるプライムタイムやジェイムズ・ブラッド・ウルマー的なものを感じるかもしれないし、今聴くとたしかにそういう音も聞こえてくる。しかし、このアルバムを聴き狂ってたころはまったくそういう意識はなかった。泉邦宏のアルトがひたすら暴れまくり、ぶっちぎり、叫び、猪突猛進にダッシュする演奏……という認識だったのだ。それほどここでの泉のサックスは突出した存在感があり、「音」自体の魅力が際立っている。オーネット・コールマンのアルトの音は軽くて飄々としていて、こういう音とは対照的であり、それゆえバンド全体がタペストリーのように織り上げられてるのがよくわかるのだが、このバンドは主人公のサックスの自己主張がものすごいのである。しかし、さっきも書いたがよく聞いてみると(よく聴かないとわからない私の耳のアホさもすごいが)コンポジションもプライムタイム的な一聴キャッチーでシンプルなリフが多いし、ギター、ベース、ドラムの絡み合いかたやカラフルでノリノリだがじつは複雑怪奇なリズム、サックスの押し上げかたなどもプラムタイム的である。しかーし! この直情的で脳が破裂するような快感はまさに泉邦宏の音楽であり、今に至るまで続く個性である。泉さんはこのアルバムのころから考えると、思えば遠くに来たもんだ的な演奏になっており、完全にワンアンドオンリーのひととしてジャズ〜オルタネイティヴ音楽の世界に屹立しているが、やはりこの初リーダー作には今の泉さんの原型というか、いろいろなものが詰まっているような気がする。3曲目のでたらめボーカルなんかはあいかわらずやなあ、と思うし、4曲目をはじめとする怒涛のリズムの奔流のなかでのブロウにつぐブロウ、8曲目の大沼のすばらしいブラッシュとの硬派なデュオ……など聴き所満載である。メンバーのなかでは、ベース〜ドラムが凄いのは言うには及ばないが、ギターのカズ中原がものすごい個性を感じさせる破天荒な演奏ですばらしい(予断だが、先日、このかたと京都でちょこっとだけ共演させていただく機会を得たが、そのとき「サンライズ・イン・ユア・ヘッドで泉と一緒にやってる」と言われるまで「このひと」だと気づかなかった。(レコードならば)擦り切れるまで聴きまくったアルバムなのに、どんくさいことである)。冒頭に超傑作と書いたが、そんな言葉では私のこのアルバムに対する心情は表しきれない。今に続く泉邦宏の音楽的大冒険の1ページ目を飾った最高の作品。
「NO PROBLEM」(KITAKARA RECORDS K−31)
KUNIHIRO IZUMI
コンガを主体に、いろんな音を重ねていったらこんな感じになっちゃった……的なのほほん、極楽、なんでもあり的な音楽。ジャンルはなにか、と言われてもなにがなんだかわからん。とにかく心地よいのだ。泉さんのサックスは、奏法がどうのこうのアーティキュレイションがどうのこうのフレーズがどうのこうのというより、たぶん泉さんの頭で鳴っている音があって、それを出そうとしている感じがする。つまり、泉さんにとって心地よい音が「これ」なのだ。それが我々にとって心地よい音だったとしたら……こんな極楽なことはない。本作を聴いていると、本当に「手作り」の良さを実感する。多重録音なのかルーパーなのかもよくわからないが、めちゃくちゃ手作り感満載である。こういう家内制手工業的なローテクで録音された音楽が、ものすごく愛おしく思えるのだから、音楽とか芸術とかは不思議だ。エキゾチックで、民族音楽的な雰囲気が濃厚だが、ではどこの民族音楽なのかと言われると……「さあ……」と答えるしかない。デタラメエスニックであり、いかがわしいエセ民族音楽なのだが、それが最高! なのだ。ファラオ・サンダースのエセエジプトとかエセアフリカとかドン・チェリーのエセガムランとかエセ中東とか……すばらしいではありませんか。こういう音を手掛かりに世界各国の音楽の旅に出てしまうと、わけのわからない架空の国にたどりついてしまったりするのだろうが、それもまたよしである。ハーモニーの変な重ね方とか一見ぶっきらぼうな吹き方も、ひとりでやっているからこそのコントロールなのだ。ちゃんとわかってやっているから心地よいのだし、全部自分でやってるから「気持ちいい」「気持ちよくない」の境目は当然把握しているのだ。1曲目が「ノー・プロブレム」、5曲目が「ノー・プログラム」、8曲目が「ノー・プログレス」というのも深い意味があるようでないようで面白い。ノリもゆるやかでフォーキーな曲が多く(スピード感のある曲ももちろんあるけど)、ぐわんぐわん押し付けてこないのもいい(ただしガチャガチャしたノリの曲はあります。それもめっちゃええ感じなんだよねー)。気がついたら足でリズム取ってる感じ。俺がラーメン屋とかお好み焼きやとか居酒屋とか飲食店やってたら一日中このアルバム流すんだけどなあ、と思ったり思わなかったり。あー、コンガっていいなあ。ドゥム、ドゥム……という皮の響きだけどトリップしそうになる。そして、本作は「コンガの超絶技巧を聞かせる」というような音楽では全くない点もすばらしすぎる。ただただ、コンガがそこで鳴っているのだ。いろんなタイプの曲が詰まってて聞き飽きない。
「イズミン族の祝祭音楽」(KITAKARA RECORDS K−30)
泉邦宏
泉さんが尺八を独自の切り口で大フィーチュアしてアルバムを作ったように、本作はカリンバがベース。カリンバといえばカヒール・エルザバーだが、私にとってカリンバといえば大原裕である。亀の甲羅を使ったムビーラというサムピアノなど何台かのカリンバをライヴでよく使っていた。芳垣さんとのカリンバデュオなどはもう脳内物質出まくりで、本作のライナーで泉さんが書いているように「宇宙と交信している」ような気分になる。私もじつは「カリンバを作ってみよう」というキットを買ってきて2台ほど作ってみたのだが、まったくダメでした(ええ音が鳴らない)。本作は全編カリンバの音色にあふれていて、しかも泉邦宏というフィルターを一度通っているのでそんじょそこらのカリンバ音楽ではない。「ノー・プロブレム」がコンガをフィーチュアしているのにコンガのテクを披露したり、リズムを強調したりした音楽ではなかったように、本作もカリンバはずーっとフィーチュアされているのに、全面には出てこない。どちらかというと笛(リコーダー?)や三味線のほうがずっと前に出ている。とにかく一筋縄ではいかない。この擬似アフリカというかでたらめアフリカというか空想上のアフリカというか、カリンバがシンプルに響き、複数の笛が同時に吹き鳴らされ、泉さんが歌いだすと、そこはもう「祝祭日」としかいいようがない世界である。しかも、それは本物のアフリカではない。アコースティックな楽器以外にデジタルなものやエレクトロニクスなども含まれ、ノイズ成分もたっぷりで、一筋縄ではいかない原始的なグルーヴを延々奏で続ける。まさにタイトルどおり「イズミン族の祝祭音楽」なのである。この「イズミン族」はどこに住んでいるのだろうか。そりゃもちろん泉さんの頭のなかに……と言いたいところだが、どうやら我々すべての頭のなかに住み着いているらしいのである。そして曲名だが「ドウィンドウィン」「ハピハピ」「ヘロヘロ」「パウィンパウィン」「ダラダラ」「モニョモニョ」……などなどで、どうやらわれらがイズミン族はアホばっかりらしいのである。アフリカだけでなくガムランみたいな曲や呪術的なイメージの曲、怒涛の多重アンサンブル、雅楽みたいなやつなど、もうごちゃ混ぜ、ごった煮、混ぜご飯、ピラフ、パエリヤ……というぐらいぐちゃぐちゃなのだが、それがおそらくイズミン族のポリシーなのだろう。9曲目の「イズミンゴス」という曲や11曲目の「モニョモニョ」という曲はアホの極地で、こういうことをしてくれるから私は泉さんを死ぬほど好きなのであり、こういう曲はこの苦しい、鬱陶しい、最低最悪な世のなかを生きていく糧なのである。14曲目は珍しく、力強いテナーやアルトがカリンバの醸すリズムのうえで「しゃべる」ような演奏でずっしりくる。ラストの「ホゲホゲ」でのテナーのソノリティなど、オールドスタイルのジャズミージシャンのように太く、たくましい。今回もこうしてさんざ楽しませてもらって、ただただ笑ったり、踊ったりするだけ。泉さんのこういうアルバムがどれだけ生活のはげみになっているかわからない。デザインも秀逸。
「おとのさち」(KITAKARA RECORDS K−7)
泉邦宏
前半は童謡的なものをモチーフにした演奏で、後半は沖縄的なものをモチーフにした演奏。動物たちを連れ歩くハーメルンの笛吹きのようなジャケットやタイトル、演奏曲名などから連想するよりもかなりハードなアルバムで、たとえば1曲目はたしかに「メリーさんの羊」なのだが、相当ゴリゴリの羊で、なかなか羊毛など刈らせてもらえそうにない。よく考えるともう14年もまえなので、素材はともかく泉さんもものすごくまっしぐらに吹いている印象で、それがまためちゃくちゃ心に響くのだ(このころは「全部ひとりでやる」というところまでは行ってなかったようだ)。たとえば3曲目「つるさんとかめさんがでてきてピャッピャッ」という曲は、どう聴いてもずいずいずっころばしの変奏には聞こえないのだが、たぶんそういう表層的なものではないのだろう。4曲目と5曲目は「どじょっこふなっこ」をモチーフにしたハードボイルドなインプロヴィゼイション。なぜ、こんな曲をモチーフにしたのだ! と怒鳴りたくなりたいひとも多いだろうが、それはしかたないのです。それが泉邦宏の音楽なのだ。6曲目の「証誠寺」にしても、「しょうじょうじの狸囃子」をバラードにしたものなのだが、「えっ? なにがしたいの?」的な疑問が頭の中でキラキラする。でも、「やりたかったんだからしかたない!」と言われたら「それはしかたないですよね」と言うしかない。ほんとのところ、この演奏はめちゃくちゃ楽しいのである。「たぬきの金玉」でここまでハードな即興を繰り広げるひともいないだろうし、ここまでハードな即興をする意味もないのだが、それを「やる」のだから……………………「えらいっ!」と言うしかない。「小さい秋見つけた」のヘヴィなロックテイストな、不協和音の塊のような演奏はめちゃくちゃかっこいい。と……そこまでは「童謡をロック的な即興でやりまっせ」シリーズだったのだが、そのつぎの曲から突如「沖縄」になる。ひとつのアルバムとしての統一感はどうなるんだーっ、と叫んでも、それはもうそういうことなのでいたしかたないのである。三線の響き、沖縄音階、ウチナーグチなどがぶわーっと押し寄せてくる。たとえば泉さんのアフリカは、イズミンゴス族の住む擬似アフリカだが、ここでの沖縄はもう少しリアル寄りのようだ。11曲目などどんぱん節までも沖縄民謡になっているが、その歌詞が超最高なので少し紹介すると「なんでか秋田に行ったことも一度もないのに夢に見る。秋田のお酒とねーちゃんとハメを外して大宴会」……ははははは、もう笑うしかない泉ワールド。最後は狂乱の酔っ払い大会になって終わる。「ましゅんく節」はギターとアルトによるジャズっぽいアドリブと三線と歌による沖縄民謡がテンポがちがうのに重ねあわされていて、一種異常なハレーションのような効果を生んでいる。そこからフリーインプロヴィゼイションのようになっていくのだが、いや、ほんと「わけがわからん音楽」としか言いようがない、とわけがわからん音楽をいっぱい聴いてきた私ですら思います。最高! かと思うと「あさどやゆんた」のようにかなりストレートアヘッドな沖縄的演奏も入っていて油断ならん(ホーンのアンサンブルが変態的だが)。でも、どっちも楽しいからいいのだ! 傑作!