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「十中八九」(AMMO NIGHT RECORDS AMMO−001)
十中八九

 このCDは最初、前田さんという制作のかたが試聴盤を突然送って来られたので聴いてみたのだが、宮城のバンドで、渋さ知らズとのワークショップ開催を機会にメンバーが集まり、不破さんの指導のもと、今のような音楽へと成長していった……ということらしい。つまり、セミプロ〜プロのかたもおられるのかもしれないが、基本的には音楽が主たる収入を占めるプロではなく、宮城のアマチュアバンドということになるのではないかと思う(持って回ったような言い方だが、なにしろ実際に話を聞いたわけでもなんでもないので)。1曲目を聞いて、なるほど渋さっぽいなあ、というか、いや、ほぼ渋さではないか、とさえ思った。ものすごーく乱暴な話だが、このバンドを「社会人ビッグバンド」だと考えてみよう。世の中に、社会人ビッグバンドは星の数ほどある。ものすごく高度な音楽性とテクニックを誇る、アレンジもオリジナルにこだわり、海外遠征回数多数……みたいなプロのバンドを超えるようなすげーところもあるが、たいていは売り譜のベイシーなどをやっているか、学生時代にやったサド・メルやアキヨシやミンツァーなどをやっているか、もしくはもっとざっくばらんにグレン・ミラー、ベニー・グッドマン、あまちゃん、踊るぽんぽこりん、ルパン三世、演歌メドレーなどをやる吹奏楽と紙一重のバンドである。そういうビッグバンドにはある程度の歴史や伝統があり、リーダーの音楽性が反映されるわけだが、これまで日本のそういう社会人ビッグバンドで、サド・メルしかやらない、とか、ルーレットのベイシーしかやらない、とか、エリントンしかやらない、とか、オリジナルしかやらない、とか、ギル・エヴァンスの耳コピーのよる再現に命かけてます、とか……そういったところはあっても、「渋さ知らズ」をやってます、というグループがいただろうか。もしかしたら、リハーサルバンド的に、とか、このイベントのために、とか、渋さよりも編成は小さいけど、とか、普段は普通のモダンジャズやってるんだけど、渋さのこの曲とこの曲だけやってみたくて、とか、一曲だけ渋さっぽいオリジナル書かせてよ……みたいなバンドはあったかもしれないが、これだけ大規模で渋さ的な演奏のみのオリジナルだけに費やす恒常ビッグバンドはおそらくはじめてだろうと思う(またしても持って回った言い方だが、知らんからなあ)。つまりなにが言いたいのかというと、日本の長い社会人ビッグバンドの歴史のなかで、ベイシーやサド・メルやギルやマリア・シュナイダーではなく、はじめて渋さ知らズを模範にしたバンドが登場したわけで、これは画期的ではないだろうか。その素晴らしいところはイロイロあるが、まずは全曲オリジナルであり、それがまたバラエティに飛びまくっているという点だ。「十中八九」を社会人ビッグバンドだと考えると、これはたいへんなことであるわけだが、じつは当然なのである。渋さ知らズを範としているのだから。そして、ソロ。渋さ知らズはソロイスト集団でもあるから、キラボシのごときソリストの個性的なソロの連携が聞きもののひとつだが、「十中八九」も当然、多くの曲でソロがフィーチュアされる。うまくいってるものも、もたついているものもあるが、オリジナリティをガンガン発揮して、バンドを引っ張る……というところまでは行ってない(とくに管楽器)。しかし、それでいいのである。ここで、レコーディングだから、と有名なソロイストをフィーチュアするとか(それこそ渋さから呼んで来ればいいのである)いったことはしなかったし、それでいいのだと思う。それは安易だが、渋さ知らズ的な精神からはもっとも遠いことだろう。「取り繕う」というような方法を取らなかったことが、このグループの今後にきっとものすごく大きな糧となるにちがいない。自分たちだけの力でこの充実の第一作を作ったという自信ができたからだ。きっとこのアルバムでソロをとっているひとたちのうちから、より個性を見つけた演奏をするひとが現れていくだろう。現在でもヴァイオリンなどはすごくいい感じである。最後に、コンポジションだが、これはもうすでにオリジナリティの塊のようなものばかりで、シンプルでキャッチーなファンクの一曲目「エレファントカシアリ」からはじまり、2曲目はもろ4ビートジャズ(ドラマーのブラッシュ上手い!)、草野心平の「蛙のうた」にブラスロック風の曲をつけたもの、「宝井印刷所のバラード」はほんとにバラード。ベースとからみあいながらヴァイオリンが歌いまくり。「じゃんがら念佛踊り」をスカ風にした「じゃんがスカ」(ちゃんとそのことを冒頭で説明している)は歌詞がめちゃおもろい(けど、なんのことかはよくわからん)。「よくばり」はフォークっぽい曲。バリトンとトランペットがいい味を出す「今夜はアンモNIGHT」はアンモナイトの化石発掘で有名ないわきのことを歌った6拍子の曲。「ふたばちゃ〜ん」はあのフタバスズキリュウのことを歌った曲らしいが、一昔まえの特撮やアニメのテーマをほうふつとするキャッチーでシンプルな名曲。歌詞は、ほんまアホ。こういうセンスはいいっすね。高校生のときに「ナウマン象の歌」というナウマン象が現代に蘇るという曲を書いたことがあるが……関係ない? 失礼しました。ギターソロ快調。きっとフタバスズキリュウもフタバの陰から見まもっているだろう。「moon」はフリューゲル(?)をフィーチュアしたバラードで、マカロニウエスタンのような哀愁を感じさせる名曲。コーラスの使い方も効果的。アルトソロもいい味を出している。「ピーター・ガン」的なイントロではじまる「フタバスズキリュウ」は「ふたばちゃ〜ん」と異なり、インストナンバー。ジャズロック風の曲で何人かのソロがリレーされる。「流星群」はアルトの跳ねるようなメロディから分厚いアンサンブルが導かれる曲で、すごくいいアレンジだと思う。最後の「ブルボンじいちゃん」というのは、聞いていると頭がおかしくなるような、ひたすら「ブルボンじいちゃんじいちゃん」と連呼するだけの曲で、こういうところもすごく親近感がわく。このごった煮的というか芋煮的というかめちゃくちゃなバラエティの広がりこそ渋さ精神そのものであり、しかも全曲オリジナルなのだ。すごくね? 私が想像するに、ここに参加しているひとたちは、最初「なにかがしたい」と思ったとき、それがたとえばほかのバンドでも、吹奏楽でも、ジャズバンドでもかまわなかったのかもしれない。それが渋さの宮城でのワークショップに行って、このメンバーと出会い、不破さんの指導を聞いて、ベイシーの譜面を吹くかわりに、「自分たちで曲を作れ」「郷土からネタを拾え」「やりたいようにやれ」「全部ユニゾンでもいい」「一音一音に熱気を込めろ」……みたいなことを言われて(全部想像ですが)、いろいろ試行錯誤したあげく、一曲一曲が形になっていき、あれ? これはもしかしたらおもしろいことができるのでは……という気分に全員がなっていき、アイデアがどんどん出てきて、こういう風に結実したのではないか。こういう状態って、「もしかしら我々なんでもできるんとちゃうか」と思えていて、異常に伸びしろがある状態なのだ。このあとどんな風におもしろいことができていくのか想像もつかない。これがもし(しつこいようだけど)社会人ビッグバンドだったら、こんな展開はありえないわけで、ここで不破さん、渋さ知らズという音楽と出会ったことで、アマチュアミュージシャンでもこんな風なクリエイティヴなすごい音楽をどんどん作り上げていくことができるのだ、ということを知らしめただけでもこのバンドの誕生した意義があるというものだ。今後の日本の音楽シーンはこういう風になっていくと思うし、そうなっていってほしい。十中八九のメンバーはこのバンドと出会ったことで無限の可能性を手に入れたのだ。日本中に、こういった自由奔放で、自分たちのやれるかぎりの創造性を発揮し、安直なコピーをせず、どこにもない自分らだけの音楽を若いパワーを結集してぶちまけようというバンドが増えていくことを心から願う。

「十中八九弐」(AMMO NIGHT RECORDS AMMO-002)
十中八九

 福島の、渋さ知らズ的な音楽性の大編成バンド「十中八九」の二枚目。渋さ知らズ的といっても、模倣や真似ではなく、自分たちの音楽になっている。これはあたりまえで、渋さ知らズの方法論で演奏をしようと思ったら、上手いとか下手とか関係なく、「自分たちの音楽」にならざるをえないのだ。正直、ソロイストやボーカルについてもめちゃ上手いひともいれば、たどたどしいひともいないではないが、そんなことはどうでもよくて、「自分の音楽」ができているかどうかなのだ。そして、このアルバムを聞くかぎりでは、全員が自分の音楽を演奏し、歌い、叩き、弾いているから、もう感動なのである。1枚目も素晴らしかったが、この2枚目もめちゃくちゃよかった。1曲目は7拍子が主体のリフを組み合わせた曲。このストレートアヘッドなエネルギーの放出が心地よい。堂々としたフリーキーなアルトサックスのソロは私の好みであります。2曲目「アンコウの蛮行」という曲は、めちゃくちゃ面白い歌詞なのだが、意味がいまひとつわからず、ライナーノートを見て、やっと理解できた。この曲も7拍子(+6拍子)だが、ファンクなのでそうとは感じさせない。3曲目はシンプルなマイナーリフ曲で、豪快なトランペットがどっしりとしたソロをする。4曲目「イワキクジラ」は、本作のなかで一番耳に残った。そういう音使いのテーマであり、また歌詞なのである。イワキクジラというのは、400万年前にこの地方にいたクジラだそうだが、十中八九のメンバーの地元への愛と誇りが感じられる。それは「ニッポンすごい」とかいった話とはまるで別の次元のことなのだ。アルトのソロが美しい。ボーカルの歌い方も、なんだかわからんが妙にひかれる。5曲目はポップな曲調。6曲目は変拍子のリフ曲。なかなかむずかしい(と思う)。めちゃくちゃかっこいい。トランペットやサックスのソロがぴちぴちとはねまわる魚のようにイキがいい。すごく古い、しかし常に支持されるような曲調だと思う。7曲目はバリトンサックスのリフと、指パッチンとクラリネットではじまるブルージーな曲。だんだん壮大な感じで盛り上がっていくが、最後はバリトンのソロでぐっともとに引き戻す感じがいいですね。8曲目はカントリー・アンド・ウエスタン的なテイストもあるボーカル曲で草野心平の詩に曲をつけたものらしい。こういうところも渋さっぽいなあ。ビブラート多めのソプラノソロがいいっすね。ギターソロも味わい深い。ええ曲や。9曲目は先入観なしに歌詞だけ聞くと、なんのこっちゃ……としか思えないのだが、説明を読んでから聞くと、あるほど、柳ジョージの「酔って候」みたいなもんか、と納得がいく。でも、とにかく変なコンセプトの曲であります。10曲目はドラムが渋い妙技をみせ、サックスもすばらしい。じつはこの曲が本作ではいちばんよかったりして。ていうか、このサックスのひと、たぶんめちゃうまい。ラストの「シーラマン」はバリトンの低音リフが主導するファンクナンバー。肴の「シイラ」に奉げた曲らしいが、たぶん音楽史上、シイラに奉げられた曲ははじめてでは? あ、ハワイのマヒマヒに奉げた曲とかあるかもなあ。サックスソロも、ええ感じです! とにかく、この演奏のすべてがメッセージである、という考え方もできるし、そんなことどうでもいい、無心にこのすばらしい音楽を楽しもう、という考え方もできる。でも実際は、それらは不可分なのだ。多くのひとに聞いてほしいです。できれば先入観なく無心で。