elvin jones

「ELVIN JONES LIVE AT THE LIGHTHOUSE VOLUME1」(BLUE NOTE CDP 7 84447 2)
ELVIN JONES

エルヴィン・ジョーンズが亡くなったので追悼の意味をこめて聴いてみたが、一曲目の途中から、追悼とかそんなことは関係なく、ひたすら聴き入ってしまった。ああ、やっぱりライトハウスはええなあ。このアルバム、昔から、一部の好事家のあいだではたいへんな傑作であると言われてきたが、もしかしたら一般のジャズリスナーには、荒っぽい2テナーのアルバムとしか受け取られないかもしれない。しかし、このアルバムこそ、70年代〜80年代のジャズテナー吹きを技術的・精神的に支えてきた名盤なのである。つまり、アマチュアミュージシャンにとっての聖典なのだ。無骨なグロスマンとリーブマンの吹きあいを支えるコード楽器はジーン・パーラのベースのみ。エルヴィンは例によって、がんがらがんがらとぶっ叩いているし、ふたりのテナー吹きはほんとに好き勝手に吹きまくっているし、聴いているうちにこっちも入り込んでしまい、すぐに「イーッ」となってしまう。全曲、いいとか悪いとか、そういう言葉がむなしくなるほど、「テナー吹きにとっては」おいしい、すばらしい、涎たれまくりの演奏ぞろいである(CDには、「トーラス・ピープル」が入っているが、これってグロスマンのオリジナルだとずっと思ってた)。すごいぞエルヴィン。すごいぞグロスマン。すごいぞリーブマン。やっぱりジャズっちゅうのはこれだよなあと、どうしても思ってしまいますね、わしは。ゴジラ、モスラ、ラドン、三大怪獣の激突、みたいな感じ。こういう「ものすごい」ものって、最近はあんまりちまたでは聴けないけど、私の精神的故郷みたいなところあるな、エルヴィンとかウディ・ショウとかって。

「ELVIN JONES LIVE AT THE LIGHTHOUSE VOLUME2」(BLUE NOTE CDP 7 84448 2)
ELVIN JONES

 ライトハウスの第二集。第一集とグレードは変わらない。アンソニー・ウィリアムス、ディジョネット、ラルフ・ピーターソン、ジェフ・ワッツ、ブライアン・ブレイド……すごいドラマーは一杯いるが、結局エルヴィンを超える人はひとりもいなかった。超える、というか、真似するというか、むりなんだよねー、ああいうスタイルは。一歩まちがえると、めちゃめちゃ下手くそにきこえてしまうであろう、どんつくどんつく、どんがらどんがら、がわらんがわらん……といった、バケツのなかに瓦礫をいっぱい入れて、両手で掻き回しているみたいな感じの音。エルヴィンがやるからかっこいいのである。それがわかっているからこそ、彼をストレートに受け継ぐドラマーはいないのである(もちろん、物まねということでは、一番まねやすいかもしれないが)。つまり、彼の死によって、こういうスタイルのドラムは永遠に失われたのだ。悲しいことだが、ジャズというのは本来そういうものなのだから、しかたがない。我々は残された音源をだいじに聞き続けるしかない。その意味で、この二枚組は、絶好のエルヴィンのサンプルである。一曲目のエルヴィンの誕生日を祝う歌声から、一転していつものどんがらどんがらという怒濤のエルヴィンミュージックがスタートする。すさまじいドラムソロ。そして、二曲目のテナーの無伴奏ソロのかっちょよさ。4曲目のソプラノソロは頭がおかしいとしか言いようがないものすごさ。一言でくくると、やはり「コルトレーン」ということになるのだろうが、ここまで徹底すると、もはや「エルヴィン・ミュージック」と呼ぶしかない。極上の、悪魔の音楽である。

「LIVE IN JAPAN VOL.2」(TRIO RECORDS PAP−9200)
ELVIN JONES JAZZ MACHINE

 高校生のときに中古屋で買って、「出会い」ということに感動したアルバム。それはまさしく「出会い」としかいいようがない体験だった。なーんにも考えずに中古屋に行き、
おもろそうなアルバムはないかいなあ、と探していて、ふと目についたもの。エルヴィンはもちろん知っていたが、ほかのメンバーの名前はまったく知らなかった。それでも買おうと思ったのは、ジャケットにドカーンと写っているエルヴィンの汗まみれの顔面の迫力に負けたのだろう。第一集ではなく、第二集を先に買ったのもよかった。やはり「出会い」なのだ。第一集から聴いていたら、やはり少しは印象が変わっていただろう。とにかく家に帰って、聴いてみて、どわーっ、とぶっとんだ。感動した。どこに感動したのかを説明するのはむずかしいが、フランク・フォスターのロートンのエッジの立った太くて鋭い音、パット・ラバーベラの完全にコントロールされた奏法でのテナーとソプラノ、ローランド・プリンスの訥々とした単音ギターのソロ……などなど、どれもすばらしいが、やはり全体を包み込み、ブルドーザーのように前へ前へとすごい馬力で押し進めていくエルヴィンのうねりのような度迫力のドラムに感動したのだろう。選曲もめちゃめちゃ良くて、B面の「アンティグア」がなんといっても白眉だが、「ケイコズ・バースデイ・マーチ」のエルヴィンのザラザラザラザラ、グワラグワラグワラ……ドシーン! という粒の粗いマーチングロールと2テナーのブロウ、エルヴィン自作の「EJブルース」(ブルース形式ではない)のシンプルイズベストな「そぎ落とし」の快感、コルトレーンの「ベッシーズ・ブルース」のEフラットの快調なテンポのブルースでのソロの応酬など、楽しみどころが多い。どこを切っても、エルヴィン印の「ジャズ」がぎっちり詰まっている。こんなアルバムを聴いてしまったので、以来ずっとエルヴィンのファンでいる。ジャズマシーンもどんどんメンバーが替わったが、どの時期も好きだっせー。あと、ついでだから書いておくと、エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンで不思議なのは「エルヴィン・ジョーンズ・アンド・ジャズ・マシーン」でも「エルヴィン・ジョーンズ・ズ・ジャズ・マシーン」でもないこと。たとえば「アート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」とかが普通なのに、どうしてこういう表記なのか。どうでもいいことだが……。

「ELVIN JONES QUINTET/QUARTET LIVE IN NEW YORK 1974 & 1976」(HUDSON RECORDS HR50092433)
ELVIN JONES

 はじめの3曲がグロスマンとフランク・フォスターの2テナーにローランド・プリンスを入れたクインテットのライヴ、あとの1曲がパット・ラバーベラに川崎遼が入ったカルテットのライヴ。ジャズマシーンという名前になる直前とものだと思う。グロスマンのかわりにラバーベラが入ったのが日本に来たバンドである。曲もだいたい同じような感じで、最初のクインテットは「アンティグア」「スリー・カード・モリー」など、あとのカルテットは「至上の愛」をやっていて、ほぼ日本公演と重なる(まあ、エルヴィンは生涯これらの曲をやっていたといえばそうだが)。しかし、ブルーノートのころのエルヴィンバンドはだいたいグロスマン、リーブマン、フォスター、ジョージ・コールマン、ジョー・ファレル、ペッパー・アダムス……などなどが入り乱れての録音で、こういうグロスマンとフォスターのシンプルな2管というのはたぶんないと思う。めちゃめちゃいいっすよ。まあ、思い入れもかなりあるので、その分を差し引いてもいい演奏だと思う。もちろん曲もいい。エルヴィンもニューポートジャズフェスのライヴということでアグレッシヴに叩きまくっているし、このころのグロスマンが聴けるだけでもうれしい。そういえば「ミスター・サンダー」はCD化されないのか? エルヴィン〜グロスマンだと、あれがいちばんええぞ。あれを聴けば、グロスマンはソプラノではなくテナーにかぎるよ、という馬鹿な意見は出てこなくなるはずなのだが。あ、余談でした。曲ごとに触れていくと1曲目は「アンティグア」で当時としてはけっこう新曲だったと思われるが、「ライヴ・イン・ジャパン」より荒い感じでテーマが奏でられたあと、先発はおそらくフォスター。フォスターは音色がロートンなのでちょっとラーセンに似たざらついた感触で、しかも太い。モード曲でも一発的な処理をして丁寧に吹く。マイナーブルース的なブルージーなフレーズも使う。ただ、ぶわーっとスケールを上下するようなフレーズは、リズム的にも雑なときがあり、それも(たとえばビリー・ハーパーがそうであるように)魅力のひとつとなっている。フラジオも多用するが、澄んだ音で、あまり吠えるような感じはない。というようなところが特色だと私は個人的に思います。つづくグロスマンは、フレージングがやはりコルトレーン以降のコードへのアプローチで、しかも超うまい。と、ここまではフォスターとグロスマンの聞き分けはちゃんとできる。そのあとのギターソロも朴訥ながら味わいのあるソロで、さすが作曲者だ(ローランド・プリンスが下手だという意見もあるが、そんなことはないと思う)。2曲目はフォスターのマイナーブルースで、ジャズロック風の曲。片方がソプラノに持ち替えているが、これはクレジット通りグロスマンということでいいと思う。ただ、3曲目の「スリー・カード・モリー」はどうだろうか。先発のソプラノはたしかにグロスマンっぽいが、そのあとのテナーソロはフォスターなのか。音色はたしかにロートンの、ちょっとワウがかかったような音だが、フレーズがめちゃくちゃえぐくて、アウトしまくりだし、替え指を使ったツータラツータラというフレーズも多用しているし、いちばん「?」と思うのは、フラジオでの絶叫みたいな音で、これはものすごくグロスマンっぽい。というかフォスターっぽくない。クレジットでは、フォスターはテナーのみで、グロスマンがテナーとソプラノということになっているので、それを信じるならば、この曲は最初のソロがグロスマンでつぎのテナーソロはフォスターということになるのだが、うーん……ちょっと疑問符を頭につけながら聞きました。まさか両方ともグロスマンってことはないよね。フォスターもソプラノは吹くからなあ(というかアルトもクラリネットもバスクラも吹く)。ライヴ・イン・ジャパンでは、ラバーベラがソプラノを吹いていて、フォスターはテナーのみなので、このアルバムでもそういう楽器構成である可能性は高いから、やはりクレジット通りなのか。このときたまたまフォスターがものすごくえぐいソロをしたい気持ちだったのか。たまたまグロスマンのフレーズを真似たのか。まあ、よくわかりません。この疑問を解消するために、購入して数日で10回ぐらい聴いたが、わからんものはわからん。たぶん、プロのテナー奏者が聴いたら、一秒で即答するようなことだろうと思うが、私にはわかりません。一応、「ライヴ・イン・ジャパン」(うちのはLPなのです)もひっぱり出してきて、この時期のフォスターのソロの組み立て、音色、フレーズ、癖なども研究してみたがそれでもよくわからん。ほかのアルバムでは、フォスター、グロスマンという2管のものはないと思う(3管のものはある)ので、たしかめようがない。とまあ、ふつうに聴く分にはどうでもいいことをぐだぐだ書いてしまったが、それだけこの「スリー・カード・モリー」のテナーソロが爆発的にかっこいいということです。しかし、ライナーノートにもあるように、本アルバムのハイライトはこのあとの曲だ。二年後のライヴで、メンバーはパット・ラバーベラのワンホーンでギター(川崎遼)もベースも変わっているが、そのカルテットによる「至上の愛組曲」という曲である。これは、「至上の愛」の1曲目と2曲目をドラムソロでつないだもので、めちゃめちゃかっこいい。ベースソロではじまるオープニング、スピリチュアルな最初のテーマ、そして、ラバーベラのすごいソロ(いや、もうかなり凄いです)、それを煽るエルヴィンの化け物じみたドラミング……どれをとっても最高である。そして、これもアグレッシヴなかなり長いドラムソロ(躍動的かつイマジナティヴな、まさにエルヴィン!という感じのソロ)を経て、テナーでモードジャズといえばこの曲、であるところの「至上の愛」の二曲目が高いクオリティで演奏される。ラバーベラというのは、エルヴィンのバンドにいちばん合ったテナーではなかったかと思う。ここでも強烈なアプローチで、テナー好きなら垂涎のすばらしいソロをするが、エルヴィンのドラムも凄い。コルトレーン〜エルヴィンという関係は、コルトレーン主でエルヴィン従、エルヴィン〜ラバーベラという関係は、それが逆になっているわけだが、音楽的なクオリティでいうと、そういう精神的な部分だけじゃないでしょうか、両者のちがいは。全体的に川崎遼がものすごく個性的でかっこいいソロやバッキングで盛り上げているが、これはローランド・プリンスが単音で、グラント・グリーンみたいに弾くのとはもうまったく別世界の演奏で、しかもそれがエルヴィンのモードジャズ世界にぴったり合っているのだ。というわけで、ええアルバムです。よくぞ出してくれました、とお礼を言いたいぐらい。ひとつだけ文句があるとすれば、1枚組なのに3750円は高いでしょう。清水の舞台から飛び降りたつもりで購入したが、演奏がいいのはもちろんだが、音質も上々だったのでホッとした。ま、いやなら買わなきゃいいのだから、文句をつけるのはおかしいかもしれないけど。

「PUTTIN’ IT TOGETHER」(BLUE NOTE RECORDS BST−84282)
THE NEW ELVIN JONES TRIO

 エルヴィンのアルバムのなかで、結局いちばんバランスがいい、というか、ひとにおすすめできるのは本作ではないか……などと考えたりした。思い入れがあるアルバム、好きなアルバムはほかにも一杯あるのだが(「ミスター・サンダー」を筆頭に、「ライトハウス」とか日本のライヴとか「ソウル・トレーン」とか「オン・ザ・マウンテン」とか、もういっぱいある)、そのどれもがちょっといびつな気がして、エルヴィンってどんなん? というひとに、こんなんですよと一枚渡す……というにはどうなんだろう。もちろんそのいびつさ、はみだし感、まとまりのなさ、野放図で奔放で細かいこと(メンバーのチョイスなども含めて)を気にしないおおらかさなどがエルヴィンの大きな魅力のひとつだとは思うが、このアルバムなど、一番そういう意味で、エルヴィンの魅力が全開だし、共演者とのコンビネーションやらなにやらもうまくいっているし、聴いてもらえれば、エルヴィンの凄さが伝わるにちがいないと思う。エルヴィンのファンや、実際にドラムを叩いているひとのあいだでは本作はとても好んで聴かれているようだ。本作のおもしろいところは、そういう人選の良さ、選曲の良さ、編成の良さその他の「良さ」が、もしかしたら考えたうえのことではなく、たまたまそうなったのでは……と思わせるところにある。だって、ブルーノートのほかのアルバムは編成が大きかったり、複数のサックスのなかに「?」というひとがいたりと、本作が図抜けて出来が良いし、本作とまったく同じ編成の、同日録音かと思わせる「アルティメイト」(ほんとは5か月後の録音)も、本作ほどではない。きっとさまざまな偶然やなんやかんやが重なって奇跡的な傑作ができたのだと思う。と長々と書いてしまったが、ではおまえはこの作品は好きなのかときかれたら、それはたいへん好きだが、なにしろ私はジョー・ファレルのあまり良い聴き手ではない(何度も書いたとおりです)。本作の魅力のかなりの部分をファレルのすばらしい演奏が担っていることはもちろんだが、ラーセンのスカスカな音色、あざといアーティキュレイション、バップとモードの両方うまくこなす器用さ(の反面の中途半端さ)などがなんかちょっと好みから外れているのだろう。フルートはめちゃうまいし、ソプラノも好きなんだが、テナーがなあ。でも、今回これを書くにあたって何度も全部を聴き直したが、やっぱりかっこいい。ピアノレス・ワンホーンで奮闘するファレルが曲によってさまざまなアプローチをしながら個性をぶつけ、それをエルヴィンが煽りまくるところ(しかもファレルは完璧にそれに応えている)や、エルヴィンの自由すぎるドラムソロなど、聴きどころ満載だ。というわけで最初の話に戻るが、エルヴィンのどれか一枚ということで、ひとにおすすめするとしたら本作かなあと思ったのだ。これがファレルではなく、私が好きなほかのテナーにチェンジしていたら、はたしてこんな傑作になったかどうかはわからない。そういうところが面白いですよね。なんか、今度廉価盤で再発されるらしいので、皆聴こう。

「THE TRUTH−HEARD LIVE AT THE BLUE NOTE」(HALF NOTE RECORDS)
ELVIN JONES JAZZ MACHINE

 2004年に出ていたらしいが、知らんかった。1999年のライヴで、マイケル・ブレッカーがゲストで入っている。正直、エルヴィン晩年の、3管とか4管のジャズマシーンよりは、2テナーのころ(もしくはテナーひとり)のほうがずっと好きなのだが、マイケルが入ってるなら聴くしかない。と思って聴いてみると……なるほど7曲中ブレッカーが入ってるのはフィーチュアリングのバラード「ボディ・アンド・ソウル」と「五木の子守歌」(イツゴの子守歌、と誤記されている)の2曲だけなのだ。そのことはジャケット裏の表記からはわからないので、ちょっといかがなものかと思ったが、その2曲がすごけりゃいいじゃん。1曲目は超おなじみ「EJブルース」で、ソロはトランペットのダレン・バレット(すごく上手い)とエルヴィンのみ。2曲目は「ストレート・ノー・チェイサー」。ジャムセッションじゃあるまいし、なんでこの曲を……と思ったが、聴いてみると、テーマはトロンボーンとテナーの2管だけ。テーマが終わると一瞬だけピックアップでテナーがちょろっと吹くのだが、なぜかロビン・ユーバンクスのトロンボーンソロに突入(編集されてるのか、それともソロオーダーをテナーが勘違いしたのか?)。もちろんトロンボーンソロはめちゃくちゃ上手いのだが、エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンで延々と普通のブルースを聴かされてもなあ……(しかもめちゃくちゃ長い)。そのあとモーダルな感じのピアノソロになるのだが、そこにテーマが入る。これがなぜか3小節目からなのだ。やっぱり編集かなあ。でも、サイズ的には合っているのだよね。1〜2小節目は飛ばすということが決まってたのか。そんなわけないよね。ちゃんと真面目に聴かないと真相はわからないけど。そのあとドラムソロになって、テーマに入って終わり。なんなんだろうね、この演奏は。客はめちゃ盛り上がっているのもようわからん。3曲目はブレッカーをフィーチュアした「ボディ・アンド・ソウル」。テーマの吹き方、崩し方からもうたまらんなあ。ソロに入ってからもちろんブレッカーは吹き倒すのだが、ここでエルヴィンのすばらしいブラッシュワークによるプッシュが聴かれたら、もっとよかったのに(随所にエルヴィンらしさは聴かれるが)。ブレッカーの凄さは存分に味わえます。4曲目はこれもおなじみすぎるぐらいおなじみのモード曲で、アントニー・ルーニー(ウォレス・ルーニーの兄弟)によるソプラノソロが大きくフィーチュアされるが、もっとがんばれ! といいたくなるようなソロで、もちろん上手いことは上手いのだか、エルヴィンのグループのテナー吹きは、もっとこう、取り憑かれたような狂気のあるひとであってほしいのだ。5曲目はこれもおなじみ「五木の子守歌」。いきなり凄みのあるテナーが出てきて、アントニー・ルーニーやるじゃん、と思っていたらブレッカーか。そら、これぐらい吹くわなー。ブレッカーの、どうやって音楽を構築していこうかという心の動きまでが見えるような、生々しいソロだと思います。エルヴィンとブレッカーのやりとりもすばらしく、この演奏が本作の白眉だと思う。エルヴィンがもう少し若かったら、もっとえげつない、最高の演奏になっていただろうが、これでも二者の個性のぶつかりあいは十分堪能できるし、ほかのドラマーではこうはならなかっただろう、という演奏になっている。すばらしい。6曲目はコルトレーン・カルテットでおなじみの「ワイズ・ワン」をピアノトリオで演奏。うーん、こここそブレッカー(もしくはアントニー・ルーニー)の見せ場ではないのか。ピアノトリオだけで12分半持たせるという意味では、手ごたえのある演奏で、ピアノは左手と右手がどちらも強力だが、もっとぐいぐいねじこんでくれてもいいかも。最後はこれもおなじみすぎる「スリー・カード・モーリー」で、ああ、この曲にブレッカーが入ってくれてたらなあ。ソロはトランペットとドラムのみ。このころのエルヴィンのドラムソロはある程度パターンが決まっているが、それでも個性はびんびん伝わってくる。トランペットは上手いけど、ここはテナーかソプラノでしょう。どうもそのあたりが解せんなあ。なお、ベースはジーン・パーラです。

「ON THE MOUNTAIN」(PM RECORDS
ELVIN JONES

 目を剥いたエルヴィンの顔ジャケットで有名なアルバム。当然、CDではなくレコードで所有すべきである。で、ジャケットだけでなく中身も凄い。ピアノトリオだが、いわゆるピアノトリオではない。ピアノ〜キーボードがヤン・ハマー、ベースはジーン・パーラである。このふたりがぶつけてくる当時としては最先端の過激なサウンドをエルヴィンが迎え撃つ。「胸を貸す」という感じでなく、あくまでエルヴィンは若手ふたりの提示するものを同じレベルで感じ、聴き取り、咀嚼し、それに対して自分のものをぶつけようとしている。その熱さが感動を呼ぶのだ。結果的に変な音楽になっている部分もあろうかと思うが、そのいびつさも含めて、かっこよすぎるのだ。このチープなシンセ、ロックリズム、変態ベース、そしてエルヴィンのポリリズム原始サウンドのぶつかり合いはとてつもない異形の美を構築することになった。それはある程度パーラとハマーの予期しているものであっただろうが、おそらく結果は彼らの予想を上回る形で、(誤解を恐れずにいえば)はちゃめちゃで素敵なサウンドに結実した。超かっこいいっす! 芳垣さんが好きなのもわかる。私はエルヴィンに関してはテナーが入っているものしか興味なくて、アルトとかでも関心はないほうなのだが、本作だけは別。管楽器不要。この三人にだけ許された世界である。傑作。

「ELVIN JONES JAZZ MACHINE AT ONKEL PO’S CARNEGIE HALL」(DELTA MUSIC & ENTERTAINMENT N77041)
ELVIN JONES JAZZ MACHINE

 2枚組未発表ライヴ。ピアノに故辛島文雄、ベースはおなじみアンディ・マクラウド、テナーは例によってふたりで、ひとりはカーター・ジェファーソンだが、もうひとりはドワイン・アームストロングというひとで調べてみてもよくわからない。エルヴィンの正規録音には入っていないのではないか(まあ、それほどエルヴィンに詳しくないから入ってるのかも)。生まれはちがうが、シカゴのひとだそうなので、もしかするとアリ・ブラウンとかの人脈かもしれない(根拠なし)。ダラー・ブランドノ「アフリカン・マーケットプレイス」に1曲だけ参加しているひとらしい。というわけで、フロントふたりはやや小粒かもしれないが、どちらもすごく丁寧かつガッツのあるいい演奏をしていて、聴きごたえは十分である。一曲ずつレビューしようかと思ったが、ここへ来て断念。そんなことしてもエルヴィンに対して意味がないような気がしてきたのだ。買ってからたぶん10回ぐらい聴いたが、いやー、これはいいわ。すばらしいドキュメント。テナーのふたりは、どちらも硬質というかバキパキしたノリで、非常にこのバンドにふさわしい。対比という面ではどちらも良く似たタイプで正直聞き分けができないのだが、それはエルヴィンの意図なので、ベイシーにおけるハーシャル・エヴァンスとレスター・ヤング(古い話だね)のようにタイプのちがうふたりのテナー奏者、という考えはなく、コルトレーン的な若いテナーをふたり入れて、相互に高め合うというのがエルヴィンの考えなのだ。そして、本作においてもその狙いは的中している。だって、グロスマンとリーブマンだって、フランク・フォスターとラバーベラだって、大きな意味では一緒ですよ。唯一(と言いきっていいかどうかためらわれるほど詳しくはないのだが)アリ・ブラウンとアンドリュー・ホワイトのときはかなりくっきりと個性の違いが際立ったような気もする。まあ、それはいいとして、本作は、なかなかレコードとかCDといった媒体にそのえげつないまでの凄さが入らなかった(ドラマーは、そういうひと多いと思う。ライヴで見ると死ぬほど凄まじいのにCDとかで聴くと10分の1ぐらいの迫力になっているひと。芳垣さんもそう)エルヴィンというドラマーの、ライヴの凄さを閉じ込めることに成功した1枚(2枚か)ではないかと思う。いや、ぶっちゃけた話、エルヴィン・ジョーンズって聞いたことないんですけどなにか一枚と言われて、本作を渡しても全然おかしくない。とてつもないド迫力で共演者をあおり、みずからのソロに全身全霊で挑むエルヴィンのすばらしい姿がここにある。そしてそして……辛島文雄! ここに収められている辛島さんの演奏は全部凄い。どの曲も凄いのだが、とりわけ2曲のバラード「イン・ナ・センチメンタル・ムード」と「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」での渾身のプレイはもうめちゃくちゃすばらしくて絶句もんである(とくに後者。悶絶します)。ギターのマーヴィン・ホーンというひとも「ソウル・トレイン」に入っているひとだが、全編にわたって活躍しまくっていて、ちょっと驚愕するぐらいすばらしい。武骨に歌いまくるのだ。このメンバーでの正規盤がこれまでなかったのが不思議なほどである。曲も「EJブルース」「ジョージ・アンド・ミー」「花嫁人形」(30分以上ある)などおなじみすぎるぐらいおなじみの曲に加え、「アンティグア」もやってるので、エルヴィンファンは絶対聞かなきゃダメっすよ。こういう、1曲が長尺でこってりしたとんこつラーメンみたいな演奏って、昔はどんな音楽ジャンルでもあったと思うのだが、だんだん減ってきた。それはそれだけの長さを飽きさせずにテンション保ったまま演奏できるひとが減ったのもしれないし、聴衆がそういうことを求めていないのかもしれないが、ここに収録されているのはそういうコテコテの演奏の最上の形のひとつである。このグルーヴ、音圧、野太いテナーの音、ピアノのフレーズ……などなどに身を任せていたら極楽であります。もうめちゃめちゃかっこいい傑作。

「LIVE!」(P.M.RECORDS CDSOL−46317)
ELVIN JONES

 実はちゃんと聞いたことがなくて(どこかのジャズ喫茶で一回だけ聴いた)、なぜかというとフロントのフランク・フォスターとジョー・ファレルのどちらもいまいち興味がなかったから……というと怒られるかもしれないが、実際そうだったのだ。75年に行われたコルトレーン・トリビュートコンサートのライヴ……ということだが、レコードだとA面、B面1曲ずつのコテコテなアルバム。ジョー・ファレルは正直、どうも苦手で、たぶんラーセンのマウスピースなのだが、音がいまいち好みではないのです。長年そう思っていたのだが、エルヴィンとの「プッティン・イット・トゥギャザー」とか「アルティメイト」とかはめちゃくちゃ好きだし、リーダー作のなかにも好きなやつがちらほらあるので、ここんとこあんまりそういう先入観を持たずに聴こうと思っていたのだが、本作でのファレルはもうすばらしくて驚愕。フランク・フォスターのソプラノもかっこええのだが、なによりもバックで繊細に大胆に叩きまくるエルヴィンのドラムに狂喜乱舞。エルヴィンのドラムって、生で観たときのあのとてつもない噴火のようなエネルギーが、どうしてアルバムに収まらないのだろう、と思っていたが、このアルバムはエルヴィンの叩くビートやポリリズムだけでなく、細かい心遣いや微妙なノリなどが如実にとらえられていてすばらしい。ジーン・パーラのベースも図太い音で録音されている。ゲスト扱いのチック・コリアもいいんだけど、ほかの四人が良すぎる。ドラムソロもこんな風にライヴ感満載で、しかも充実した感じの演奏はなかなかないのでは。いやー、エルヴィンかっちょえーっ! エルヴィンも古いしディジョネットも古いしブライアン・ブレイドも古いということがわかってない、マーク・ジュリアナを聴け、ヒップホップを聴け、とか言われても、それはそれとしてやっぱり永遠のドラムモンスターだと思う。チックのソロイストへのバッキングもめちゃかっこいい(チックの言葉としてライナーに載っている「コルトレーンとエルヴィンのデュオ、あれはブルーズなんだ」(わたしがざっくりと丸めました)というのも示唆的であります)。2曲目のファレルのフルートもええ味だし、コリアの知的というよりゴンゴン行くしっかりとモーダルなピアノソロ、ジーン・パーラの重厚でぶいぶいいわすベースソロもいいが、そのあとのエルヴィンのソロがすべてを薙ぎ倒す。えげつない説得力ですね。五人のベクトルがぴたりと合った傑作だと思います。ジャケット地味だけどみんな聴こう!

「MR.THUNDER」(EASTWEST RECORDS EWR7501)
ELVIN JONES

 長年(35年ぐらい?)どうしても入手したかったレコード(CD化はまだされていないはず)である。先日、某ネットショップに出ていたのだが、高額すぎてあきらめた(すぐに売れた)。しかし、こないだ同じネットショップにまた出ていて、しかも前回より少しだけ安かったので、これは運命か、と勝手に決めつけて購入した。考えてみれば、今、ヴァイナルを新品で買うと4〜5000円ぐらいはするので、私がこの中古を4000円強で買ったとしてもさほど高額というわけではないのだ。でも、これまでの人生で一番高いレコードを買った記憶は、大学生のときに、清水の舞台から飛んだつもりで梅田のLPコーナーで入手した坂田明「カウンタークロックワイズトリップ」で5000円だった。あれは、私の「坂田さんに私淑して生きていく」という宣言のようなもんだった。そのあと、同じ店で小田切一巳「突撃神風特攻隊」を見つけて、これもどうしても欲しかったのだが、何度か店を訪れて、結局諦めた。今はどちらもCDになっている。めでたしめでたし。あとは、レッド・ホロウェイの「ザ・バーナー」(だったっけ?)というのを、これも考えに考えて3500円だかで買ったのが最後だろうか。とにかくレコードは2000円代しか出さないことに決めているのだった。しかし、今回その禁を破って(大げさ?)4000円とちょっとのこのアルバムを買ったのは、本作がとにかくもうめちゃくちゃ凄いからである。メンバーは基本的にはカルテットで、テナー、ソプラノがグロスマン、ギターがローランド・プリンス、ベースはミルトン・サグス。曲によってパーカッションがふたり入っている。74年の発売だが、翌年、エルヴィンはメジャーのヴァンガードに移籍し、ほぼこのメンバーに加えて管楽器のゲストを多数加えた「ニュー・アジェンダ」を出すので、本作は見過ごされがちだと思うが、私はとにかくこのアルバムを偏愛している。学生のころ行きつけだったジャズ喫茶でよくリクエストした。グロスマンのワンホーンというところが泣けるし、選曲も「アンティグア」「スリー・カード・モーリー」「ニュー・ムーン」……など名曲揃いで泣ける。しかも、「アンティグア」が「アンティクア」と誤記されており、「スリー・カード・モーリー」と書かれているところに「ニュー・ムーン」が入っており、「ニュー・ムーン」のところに(おそらく)ミルトン・サグスの「ベイシック・トゥルース」という曲が、「ベイシック・トゥルース」のところに「スリー・カード・モーリー」が入っている……というグダグダ感も泣けるのだ。しかもしかも、グロスマン絶好調で、スタジオ録音ではあるが、テーマにソロに大活躍で、エルヴィンも凄まじいバッキングでソロイストを盛り立てる。エルヴィンというひとは、ソロイストがいまいちだと本当におとなしい、普通のドラマーと化すが、本作ではグロスマン相手に自分のソロのような激烈なバッキングであおって、あおって、あおりまくっている。ジャズですなー。ローランド・プリンスも、こうして聴くと、「イン・ジャパン」でさんざん耳にした「プリンス節」といっていいスタイルがあって、それは唯一無二の個性なのだなとわかった(私はだいたいジャズギターのことはよくわからないのだが)。ちょっと珍しい(?)レーベルから出されていることもあって、あまり知られていないのかもしれないが、私にとっては大事なアルバムであり、グロスマンのソプラノがぶっとい音で録音されている点もうれしく、グロスマンが亡くなった追悼の意味もこめて今回、買わせていただきました。たまにはこれぐらいの贅沢は許される……のか? 大傑作。

「LIVE AT PARIS OLYMPIA」(P.M.RECORDS/ULTRA−VYBE CDSOL−46330)
ELVIN JONES JAZZ MACHINE

 おお、これはだいぶまえにYOU TUBEで観て狂喜乱舞した映像のCD化ではないか。あの「ライトハウス」と同メンバーで一カ月後にパリで演奏したときのライヴである。それだけでも狂喜乱舞なのだが、2曲に(なんと!)ロイ・ヘインズとアート・ブレイキーが客演! どういうことや! なんでこの時期パリに3人がいたのか。ドラム祭りでもあったのか。よくわからないが、その豪華絢爛お祭り騒ぎ的な顔ぶれにもかかわらず、しっかりした音楽性の芯が通った演奏になったのはさすがというかなんというか、とにかく喜ばしい。1曲目はケイコ・ジョーンズの曲で、こんな童謡みたいなヘンテコなテーマからこんなゴリゴリの演奏を引き出すというのはさすがエルヴィンである。先発ソロはリーブマンのテナーで、イントロはフルート、そのあとのテーマはソプラノ、そしてソロはテナーという短い間に持ち替えが激しい。このソロはなかなか豪快で、ひたむきで、執拗で、偏執狂的な感じがしてめちゃくちゃかっこいいのだが、そのあとドラムとのデュオで登場するグロスマンの野太いテナーは、リーブマンを上回る豪快で、狂気を感じるものだ。音色を含めたサウンドに気を配りつつ、狂的な部分すらある種の計算のうえに成り立っているリーブマンのソロ(そこがまた狂気を感じる部分でもあるが)に比べ、大づかみで(言い方は悪いが)がさつで、音色やアンブシャーなどに配慮している、というより、バッとくわえて息を入れたらこういう音が出てしまう感じのグロスマンの対比はものすごく上手くいっていて、この時期のエルヴィングループが最強である理由のひとつだと思われる。この「対比」は、たとえばオールド・ベイシーにおけるハーシャル・エヴァンスとレスター・ヤングのようなコントラストとドラマを生み出している。リーブマンのソロが本アルバムのいきなりのハイライトとしたら、それに続くグロスマン〜エルヴィンのデュオはいきなりのクライマックスといってもいいぐらいの高揚だ。そして、エルヴィンの「これしかおまへん」的なロングソロは、落語会でいうと「たっぷり!」と声がかかるようなやつだと思う。聴いていて身体が勝手に動き、わくわくしてくるような、これぞエルヴィン……というすばらしいソロ。2曲目はタッド・ダメロンの「ソウルトレイン」でグロスマンがフィーチュアされている。無伴奏ソロからはじまり、エルヴィンもぐっと抑えた演奏でグロスマンの歌い上げだけをひたすら前面に出したような演奏。それに応えて見事なまでのロングソロを行うグロスマンはすごい。エンディングのエルヴィンとふたりでの逸脱もすばらしい。このときグロスマン弱冠21歳って……化け物か! 3曲目はエルヴィンファンにはおなじみの「シンジツ」。先発ソロはグロスマンでひたすら咆哮する、異常なまでにかっこいいソロ。低音の割れ方(?)がなんともいえず個性的でいいですねー。ちょっと「ワン・ダウン・ワン・アップ」とか「サン・シップ」「ニューシング・アット・ニューポート」のあたりのコルトレーンを思わせるしつこい過激さがある。めちゃくちゃシンプルなリフが入ってソロイスト交替。リーブマンのソロも滑らかで的確でしかもエグくて執拗で……という最高のものです。そして、エルヴィンのまたまた重量級のたってりタイプのロングソロ。最初はじわじわと熱量を込めて叩き込んでいき、溶岩が地底から噴き上がっていくがぎりぎりのところで噴火しない、という感じの絶妙の演奏。エンディングのぐちゃぐちゃな感じもいい。4曲目と5曲目はロイ・ヘインズとブレーキーが加わるのでソロ順とそれぞれが何分叩いているか、まで書いてある。先発はリーブマンのソプラノソロ。日本語ライナーには「哲学的なリーブマンのソプラノサックス」と書いてあるが、実際にはかなりストレートアヘッドなソロ(「全面的にフィーチャーされている」とも書いてあるが、実際はそのあとのグロスマンのソロのほうが長いのでは?)。続くグロスマンもいい感じでだんだんと盛り上がっていく。そのあとドラムソロになり、最初はロイ・ヘインズで、これがまあ、「ドラム大会」とか「豪快ドラムバトル」みたいな催しとは縁のない、ただただすばらしい、あきれるほどにすばらしいソロである。そしてエルヴィンにタッチ。最初こそロイ・ヘインズのビートを受け継いできっちり叩くが、そのうちにいつもの調子になり、おお、これぞエルヴィン! という感じの個性が爆発。かっけー! そして最後はブレイキーの、ロイ・ヘインズの倍以上あるロングソロ。非常にオーソドックスだがパワフルで個性にあふれ、説得力があるのだから申し分ない。ロールとダイナミクスによって、まるでドラムがしゃべっているかのような表現力がある。みんなー、これってエルヴィンのバンドで、あなたたちはそのゲストなんだってわかってるー? と言いたいぐらい、好き放題。しかも三人ともめちゃくちゃすごい。いやー、この1972年の時点でパリでこの3人が集まって演奏できた、というのは奇跡かもな。気力・体力・創造力……全部が充実しているときだったのだ。このブレーキーのソロもすごく長いのだが、聴いていて飽きることがない。ようやくサックスふたりとベースが入ってきて(18分過ぎぐらい)、ああ、そう言えば曲だったのだ、と思い出す。ふたりのサックスも「俺たちもあんたらに負けねーよ!」とばかりに吹きまくり、エンディングをめちゃくちゃ引き延ばす。そしてまたロイ・ヘインズの「俺、さっきのソロ短すぎたわ」的なドラムソロがはじまり、えーっ、今のエンディングはなんだったんだ的な展開になり、構成がめちゃくちゃになるが、まあドラム合戦というのはこういうものだ。そしてラストはおなじみの「チュニジアの夜」で、最初のところ、変拍子? と錯覚するぐらいテーマを崩してある。ブレイクを吹いたグロスマンが先発ソロだが、これが後年のハードバップ時代に直結するような、なかなかすばらしいバップ+コルトレーン的な演奏なのだが、3人のドラマーが同時にバッキングをするのでうるさくってしかたがない。しかし、グロスマンは飄々と我が道を行く。こういうのもいいですね。リーブマンもまけず劣らず激しくていいソロでゴリゴリ吹きまくっている。そのあとまたドラムバトルになり、4曲目と同じ順序で各人が叩きまくる。最後はまたしてもぐじゃぐじゃのテーマのあと、(たぶん)リーブマンのカデンツァになり、やっぱりぐじゃぐじゃになってからも三人のドラマーが叩くのをやめず、混沌とした展開になるが、これまた「あー、ドラム合戦というのはこういう感じだなー」と思えるので問題なし。大拍手と大歓声(そりゃそうでしょうね)でおしまい。いやー、これはすごい。アルバムとしてはかなりぐちゃっとしているが、まず、エルヴィンのファンはもちろん、テナーサックス好きも必聴。そして、こういうコッテコテのドラムバトルがしんどくない体力のあるひともぜひ聴いてほしい。

 最後に、これはアルバムの内容と関係なくちょっと文句(?)のようになって申し訳ないのだが、日本語ライナーがどうも納得いかんのであります。1曲目の「チルドレンズ・メリー・ゴーランド・マーチ」について「テーマをフロントの二人が演奏。そこにムードを180度変えるグロスマンがソロを重ねる。続く長大なドラムソロは云々」とあるがテーマ後の最初のソロはリーブマンであり、そのあとにエルヴィンとデュオをしているのがグロスマンである。4曲目についても「リーブマンの哲学的なソプラノサックス」という記述があるが、さっきも書いたけどこのソロは全然哲学的な感じではない(というか哲学的なソロってなに? 哲学的なソロという表現は、おそらく思索的なソロみたいなことなのかと思うが、たぶん、「クエスト」以降のリーブマンのソプラノソロを念頭に書いておられるのだろう)。「チュニジア」についても、グロスマンが「マイケル・ブレッカーを彷彿とさせるクールで情熱的なインプロヴィゼーション」と書かれているのもなんかしっくりこない。ここでのグロスマンはバックがバタバタしているにもかかわらず我が道を行く感じでひたすらバップ的なフレーズをつむぎ、ときおりゴリゴリとモーダルなフレーズを入れている感じだが「クール」かなあ……。そして、そのあとの「リーブマンの知性的なソロ」というのも、私が聴いたかぎりでは、かなりエグいソロですよ。もちろん「エグい感じを計算して演出している知性的なソロ」なのかもしれないが……。なんとなく後年のリーブマンの印象に引きずられているのではないか、と思うような書き方ではないでしょうか。そして、ラストの「熱烈なアンコールに応えて、ジョーンズがステージで再び卓抜な個人技を惜しみなく披露する」という箇所はどこにあるのだろう。私が購入したCDだと、アンコールのあとそのまま終わっていくのだが……。難癖をつけているつもりはないが、もし、私の聴きとり方が間違っているならそれは謝ります。

「THE ELVIN JONES QUARTET JAZZ WORKSHOP BOSTON 1973」(EQUINOX EQCD6013)
THE ELVIN JONES QUARTET

 ボストンでのライヴ。放送録音なので音も良く、壮絶なエルヴィンのドラミングをはじめ、グロスマンとリーブマンのサックスの音色も非常にリアルに聴こえる。1曲目はおなじみの「サンブラ」。はじまった途端に、あー、このころのエルヴィングループの音だ! と感激する。先発ソロは(たぶん)グロスマン。かなり長いソロだが奔放ですばらしい。ずっと躍動感あふれるリズムを提供しているエルヴィンの力もあるだろうが、とにかくぼーっと聞き流さず、真剣に聴くとその良さがわかる感じ。つづくリーブマンのソロはフレーズのひとつひとつにアイデアというかリーブマンのはっきりした考え方がこもっているような明快で構成力のある演奏。そのあとのエルヴィンのドラムソロも、グロスマンとリーブマンのバックで叩き続けた勢いをそのまま拡大したような感じで、圧倒的というしかない。スネアとバスドラムとハイハットがからみあって、ひとりでデュエット、あるいはトリオ演奏しているような凄さ。おそらく汗だくなのだろう、と想像がつくような熱気で、もう言葉が出ない。ドラムソロの終わりが切れているのが残念。2曲目は、おお、なんと「ニュー・ムーン」ではないか(ジャケット裏記載の曲順は間違っていて2曲目と3曲目が入れ替わっている)。リーブマンが入った「ニュー・ムーン」は珍しくないか? やっぱりジャズ史に残る名曲だと思う。グロスマンの野太いソプラノは豪快で、好き放題でめちゃくちゃ爽快である。そして、エルヴィンの3拍子はいつ聴いてもかっこいい。ジーン・パーラの重厚な、ええ感じのベースソロのあと、リーブマンのテナー登場。このソロ、ほんまに好きです。コルトレーンスタイルという言葉では片づけられない、フリージャズの領域にまで踏み込んだ過激なブロウで、リーブマンのいいところが全部出ている(フレーズの出だしの音を長く伸ばすあたりは、コルトレーンっぽいですけどね)。この演奏をもし生で目のまえで見たら感動のあまり腰が抜けたみたいになったかもね。かつて井上叔彦、藤原幹典を擁した森山カルテットを何度か見たときの自分みたいに……。あー、「ニュー・ムーン」はええ曲や! 3曲目の「アイム・ア・フール・トゥ・ウォント・ユー」はリーブマンのテナーをフィーチュアしたすばらしい演奏。引き締まった音色のテナーの無伴奏ソロではじまり、そこからのテーマの見事さ。リーブマンの渾身のブロウと、それに応えるエルヴィン。スタンダードのバラードだけど、コルトレーンがよくやってたようなモーダルでヘヴィでシリアスなバラード、みたいな感じでまさに絶品です。いくらエルヴィンがどしゃめしゃ叩いても、バラードの持つ美しさは微塵も失われず、それどころかキリリと引き締まるあたりが、達人揃いのこのバンドならでは。4曲目の「チルドレンズ・メリー・ゴーランド・マーチ」は、リーブマンがソプラノでグロスマンがテナーを吹いていると思う(裏ジャケットの記載では本作ではグロスマンはソプラノとフルートしか吹いておらず、リーブマンはテナーしか吹いていないことになっている。グロスマンがフルートというのも変だが……)。この曲、ほぼ同時期のフランスでの映像が残っているので確認したら、短いイントロはグロスマンがソプラノでリーブマンがフルート。そのあとドラムソロを挟んでのテーマはグロスマンはテナーで、リーブマンはソプラノなのだった。テナーを延々フィーチュアする場合もあるが、ここではエルヴィンのドラムソロのみをフィーチュアしている(すばらしいソロ)。5曲中1、3、4は「ライトハウス」にも入っているが、5曲目の「アウトロ」というのはイントロの反対で、要するにエンディングということ(エルヴィンがしゃべってるだけ)。つまり、4曲中3曲が「ライトハウス」でもやってることになる(レコードの「ライトハウス」には入っていない曲もある)。つまり、エルヴィンはレパートリーの1曲1曲をとても大事にしていたということの証である。購入してから何度も聴いてしまったが、あー、このころのエルヴィンバンド恐るべし! 放送録音なので、商品としての構成とかはあまり考えられていないものだと思うが、それでもリスナーをねじ伏せるような圧倒的な凄みがある。あの「ライトハウス」と並べてもなんの遜色もないグレートなアルバム。傑作!

「NEW AGENDA」(VANGUARD RECORDS/KING RECORD VSD79362)
ELVIN JONES

 エルヴィン、グロスマン、ローランド・プリンス、デヴィッド・ウィリアムスという4人に曲によってサックス、ピアノ、パーカッションがゲストで加わった編成によるアルバムだが、基本的に2管、曲によっては3管で、グロスマンのワンホーンというのはB−3「マイ・ラヴァー」だけということになる。しかも、1曲でケニー・バロンがピアノを弾いているのわかるが、2曲でジーン・パーラがピアノを弾いていて、そのうえパーラはこのアルバムでベースを弾いていないのである。不思議不思議。A−1は、フランク・フォスター〜グロスマンの2管で、ケニー・バロンがピアノ、フランク・イッポリートのパーカッションが加わった7人編成。いかにも70年代的だがなかなかかっこええ曲で、ジャズロック的なリズムにエレベがペンペンした音で前に出ていて、ケニー・バロンもエレピで時代を感じさせる演奏。先発はソプラノで(たぶん)フランク・フォスター。ここではバリバリの70年代ジャズのソロイストとして、まったく違和感なく吹きまくっている。つづいてはバロンのピアノ、そしてローランド・プリンスのギターもジャズのようなロックのような面白い感覚。ただし、こういう曲ではエルヴィンのドラムの個性はいまひとつ目立たないかも(うちの再生装置のせいか?)。A−2は「ネイマ」でたぶんフランク・フォスターのアレンジ。A−1からケニー・バロンのピアノが抜けた2管編成だが、こういう曲になるとエルヴィンのドラムが俄然いきいきしてくる。グロスマンのテナーソロは粗削りかもしれないが溌剌としていてやはりめちゃくちゃかっこいい。つづくフォスターのテナーはサブトーンもまじえて貫禄の演奏。グロスマンのように「粗い」ところがまったくない、ジャズテナーのバラードとして完璧なソロ。しかし、そういう粗さがグロスマンの魅力(終生失わなかった)なのである(といえば本人は激怒するかもしれないが)。アレンジも最高。こういうバラードでのエルヴィンって、ほかのドラマーとはちがった角度からぶつけてくるので新鮮ですね。A−3はグロスマンの曲で、ちょっと「ニュー・ムーン」を思わせなくもない、ええ曲や! エイゾー・ローレンスとの2管で、ギレルモ・フランコのパーカッションが入った6人編成。3拍子の曲で、エルヴィンも派手ではないがツボを押さえたポリリズミカルなグルーヴを押し出していて、ああ、いつものエルヴィンだ、と思う。これって先発のテナーがローレンスで、あとのソプラノがグロスマンということでいいんでしょうか? いまいち自信がない。ローランド・プリンスのギターもゴツゴツとした感じのノリで、このグループにぴたりあっていて楽しいし、日本語ライナーに「フランコのようなパーカッション奏者の参加は無用であったのではないだろうか……」と書かれているフランコも、けっこう要所要所を引き締める音を出していて、私は心地よく感じます。B面に参りまして、B−1はみんな大好きの「アンティ・カリプソ(アンティグア)」で、作曲者(ローランド・プリンス)参加の演奏ということになる。グロスマンとエイゾー・ローレンスの2管で、フランク・イッポリートとギレルモ・フランコのパーカッションが加わった7人編成。先発ソロは(たぶん)ローレンスのテナーで(聞き分けられない。すいません)、そのあと作曲者のプリンスのギターソロになる。いろんなアレンジでいろんなひとがやってる曲だが、やはりエルヴィンの演奏は格別……という感じです。初演かなあ。けっこうテンポが速くて、のちに何度も吹き込んでいるが、それはもうちょっと遅く、重いグルーヴになっている気がする。テーマの吹き方のニュアンスもちがっていて、いかにも初演(もしくは初演に近い)という雰囲気。B−2はジョー・ファレルのソプラノ、フランク・フォスターのテナー、グロスマンのソプラノという3管(自信なし。グロスマンがテナーでフォスターがソプラノかもしれません)で、ジーン・パーラがピアノを弾いていて、フランク・イッポリートとキャンディドのパーカッションという8人編成。先発ソロはたぶんジョー・ファレルで、つぎのテナーはフランク・フォスターじゃないかと思うんだけど、グロスマンのような気もする。というのは、最後にフェイドアウトされるときのテナーがかなりガラガラと吹いているからなのだが……自信はない。すいません。フランク・フォスターのこういうモーダルな曲でのソロフレーズを真面目に聴きとったことがないのでパッとはわからん。あとは音色で判断しているだけです(ロートンなので普通に吹いてもやや濁った、重い音)。日本語ライナーには「スウィンギーなナンバー」とあるが、どちらかというと思索的な雰囲気の70年代的な曲でアレンジもすばらしい。ギターソロもかっこよくて、聴きごたえ十分。B−3はケイコ・ジョーンズがアレンジをしたという曲。作曲者は「ステキナヒト」となっていて、わけがわからん。グロスマンのワンホーンで、エルヴィンのマーチングドラムとギターのフォーキーな爪弾き、アルコベース……などがあいまった不思議な空間が作り上げられている。だからなんなんや! という気もする。ソロとかはなくて、一瞬で終わる。ラストのB−4はエルヴィンの曲で、この時代にふさわしいモーダルでポリリズムな演奏。ベースがパターンを弾き、パーカッションがカラフルにつどい、アフリカっぽいテーマが奏でられる。ここにファラオやシェップが乗っかってもおかしくないような曲調。フルートとソプラノの2管にジーン・パーラ(ピアノ)、イッポリートとキャンディドのパーカッションが加わる。最初のフルートソロはジョー・ファレルかと思ったが、ライナー等によるとグロスマンである。ほんまかなあ……。日本語ライナーによると「テナーでグロスマンにからみつくファレル」とあるのだが、テナーの音はどこにも聴かれないのだ。個人的にはフルートがファレルで、ソプラノがグロスマンのように聞こえるが、一応、ライナー通りにしておきます。このころのエルヴィンにありがちな「曲によっていろんなサックスをプラスする」演奏なので(なんでそんなことをしていたのかよくわからないが)、まあ、ざっくり聴くのが正解でしょう。めちゃ楽しくてかっこいい演奏ばかりであります。

「THE MAIN FORCE」(VANGUARD RECORDS/KING RECORD GP3070)
ELVIN JONES

 上記「ニュー・アジェンダ」に続くヴァンガード第2作。メンバーもサックスにラバーベラ、ベースがジーン・パーラ、ギターが川崎リヨウと私にとってなじみ深い人選になってきて、いよいよ「ジャズマシーン」時代の到来が近くなっている感じである。アル・デイリーのキーボードは全曲入っているのでレギュラー扱いだが、サックスはあいかわらず3人のテナー〜ソプラノ奏者を曲によって組み合わせており、パーカッションも出たり入ったりである。クレジットがないのでソロイストは類推である。ソロイストに関しては以下、ごちゃごちゃ書く。エルヴィンが叩いてさえいればそれでええやろがい! という皆さんには申し訳ないが、とにかくドラムは明らかにエルヴィンひとりなので、あとのメンバーについてぐだぐだ言うことをお許しください。内容は、いかにもこの時代にエルヴィンが目指していた方向という感じで、迷いはあったかもしれないが、芯はぶれていない。A−1はいきなり新加入の川崎リヨウ(大活躍である。リョウが環境依存文字扱いなのですいません)の曲で、こういうところがエルヴィンのすごいところだと思う。前任者のローランド・プリンスにしても、新加入だとしても、ええ曲を書けば採用してくれて、レコーディングもされるのだ。ジャズロックというにはモーダルな、フュージョンというには重い、しかもこの時代のグルーヴは確実に感じとれる曲で、川崎リョウの加入する中村照夫のライジング・サン・バンドのサウンドを連想したりする。だが、この曲をエルヴィンが演る意味というのは……考えざるをえないですね。リーブマンとラバーベラの2管で、最初のソプラノソロは(たぶん)リーブマン。リーブマンは、なんやかんや言うてもかなり奔放で、わざとアグレッシヴな表現を多用するが、その底辺はしっかりした基礎がある……みたいな感じなので、たぶん間違っていない。ラバーベラもめちゃ似ているが、もっと丁寧だと思う。エレピのかなりエグいソロがあるが、エルヴィンがこういう曲だとあまり個性を発揮できていないのかもしれない。でも演奏としては魅力的です。2曲目(エルヴィンファンにはけっこうおなじみの)「スウィート・ママ」のテナーソロは(たぶん)グロスマンである。冒頭「マカロニウエスタンか!」というようなベースソロが挟まって、二度目のテーマのあと、(たぶん)グロスマンとおぼしきテナーソロがあり(低音に下がっていくフレージングや倍音の感じからそう思ったのですが、間違ってるかも)、エルヴィンもこういう曲調だとドラムが炸裂する。本作でもっともエルヴィンらしいソロが聴ける演奏かも。ベースのデヴィッド・ウィリアムスのA−3はラバーベラ、フランク・フォスター、グロスマンの3管で、アンゲル・アレンデのクイーカっぽい音が全編にわたって聴かれる演奏。ストーン・アライアンスにも通じるような、シンプルでモーダルで剥き出しの硬質なモードジャズである。テーマのあと一瞬だけソプラノソロが出るが、すぐに終わり、つづく先発のテナーソロはおそらくグロスマンじゃないでしょうか(油井正一のライナーによると、ソプラノがグロスマンのような気がする、と書いてあるが、根拠が書いていないので……)。つづくソプラノは、私の考えではたぶんラバーベラである。続くテナーソロはフラジオを駆使したすばらしい演奏だが、音色とかいろいろ考えてフォスターじゃないかと思うのだがどうでしょう。いやー、全然違ってるかもしれんなあ。こういうのを考えながら聴くのがジャズの面白いところで、「だれが吹いてようと、いい演奏になってればべつにいいじゃないの?」的な聞き方は、個性を売り物(?)にしているジャズミュージシャンに対して失礼ではないかと思う(失礼というのも変だが、だれが吹いてようと関係ない、というのはジャズの面白さのある部分を放棄しているような気がするのです)。そうだ、私のこのあたりのエルヴィンバンドに去来するテナー奏者の聞き分けのポイントを一応書いておくと、 ・グロスマン……粗削りでアーティキュレイションとかは武骨な感じだが超魅力的。倍音成分が多く、音は太い。フラジオがダーティーで「ギャーッ」というけど、それがめちゃくちゃかっこいい。音の飛び方もすごい。 ・リーブマン……音は低音から高音まで見事なまでにしっかりしているが、知的な雰囲気を漂わせて入るが、じつはアグレッシヴでフリーキーなブロウも多くてあなどれん。職人芸的な完璧さと狂気を感じさせるようなゴリゴリの演奏が表裏一体。でも、「音」は常にきっちり吹いている。とはいえ、エルヴィンバンドでの聞き分けはむずかしく、これだけめちゃくちゃギャオーと吹いているんだからグロスマンだろう、と思ったらリーブマンだった、ということが何度もある。 ・フランク・フォスター……なにしろカウント・ベイシーのレギュラーテナーで、レギュラーアレンジャーだったひとで、しかも初期バップテナー奏者としての顔もあるわけで、なんでエルヴィンなんかと……というひとではあるのだが、まったくそういう聴き手の違和感を払拭するようなゴリゴリのコルトレーンマナーのソロをする。このあたりはジャズの不思議ですね。マウピがロートンなので、基本的にはエッジの立ったやや濁った感じの、メタリックで野太い音が特徴だが、とにかくめちゃくちゃ上手い、キャリアのあるひとなので、なにをやってもフィンガリングとかは超絶で、エルヴィンとやっていても上手さは絶妙。ただし、16分で吹きまくったあと、ソロ終わりをほったらかしたり、フラジオでピーピー言わせたり、というような(いい意味での)奔放さもある。 ・パット・ラバーベラ……リーブマンもそういうところがあるかもしれないが、このひとはコルトレーンの演奏の「狂気」をじぶんなりに分析して、それを吹ききるテクニックをきっちり身につけて演奏している感じで、基本的にはクールだが、熱さもある。たとえばアンドリュー・ホワイトはその分析自体に狂気を感じるほどの偏執さがあるが、ラバーベラはいくらブロウしても品がよい。引用フレーズをするような茶目っ気もある。 ・ジョー・ファレル……このひとはだいたい音を聴けばわかると思う。ラーセンなのにファンキーじゃないタイプの音を出すひとの音、という感じ。でも、低音部にときどき濁ったラーセンっぽさを感じることもある。ノリがやや前のめりで、トリルとかスケールの速い上下を多用。リズムでの遊びも多い。コルトレーン的と言われるが、案外、ハードバッパー的なフレーズも多い。 まあ、このぐらいにしておきますが、とにかくポイントはフレージングではなく「音」であって、というのは私はどのひともソロコピーして分析したわけではなく、漠然とレコードやCDで聴いているだけなので、特徴的なフレーズなどはわからん。全員、コルトレーンをベースにしたそれぞれの個性、というだけだ。だから決め手は結局「音色」ということになる。「音色」というのは、ソノリティといえばわかりやすいかもしれないが、音の大きさ、太さ、倍音、エッジの立ち方、アタックの強さ……などなどを総合して「音色」といってるわけで、タンギングなどアーティキュレイションも広義には含む意味での「音色」という言い方を私はしている。フレーズはアドリブのなかでたまたま似たようなことを吹く場合があっても、音色は独特のものだと思うので、ひとつのソロ全体を聴けばその奏者がだれであるかという手がかりになると思う。ブラインドホールドテストのことを言っているのではない。ああいうのは私は大の苦手だし、正直好きではない。  では、B面に参りましょう。B−1はA−3と同じメンバーで、サックスはラバーベラ、フォスター、グロスマン。ミディアムテンポだがバラード的なものを感じさせる演奏。テーマをリードするソプラノサックスはラバーベラじゃないかと思うが、どうでしょうか。二人目のテナーがグロスマンであることはまちがいないでしょう。最後はフェイドアウト。ラストの2曲目は、ジーン・パーラがアフリカのリズムをアレンジしたもの、ということだそうだが、パーラ自身は演奏に加わっていない。まさにアフリカのポリリズムという感じの演奏になっていて、パーカッションが全編カラフルに弾け、ギターがエレクトリックなノイズをかまし、ファラオ・サンダースが咆哮しそうな雰囲気で、エルヴィンがここまで露骨にいわゆるスピリチュアルジャズを演奏するのも珍しいかもしれない。フリークトーンを連発するテナーは(たぶん)グロスマンで、グロスマンにとってもここまでスピリチュアルジャズ的な、つまり、ファラオやシェップに寄せたようなブロウをするのも珍しいかもしれない。とにかくかっこええ。そのあとのエルヴィンのドラムは圧倒的な迫力で、やはりエルヴィンのドラミングのルーツがアフリカのポリリズムにあることがはっきり示されている演奏だと思う。いやー、凄いです。パーカッションだけをバックにした川崎リョウのギターの凄まじいソロも本当にすばらしい。このアルバムの白眉といっていい。ラストで延々吹き鳴らされるフルートはラバーベラ説を唱えたいけど、どうでしょうね。  最後に日本語ライナーについて一言書いておきたい。だれがどのソロを吹いているかはなかなかわかりにくいと思うのだが、さっき書いたように、そこをいろんな角度や理由から類推するのがひとつの楽しさであり、また研究であり、個々のミュージシャンに対するリスペクトでもあると思うのだが、そういった意味でいうと、この油井正一氏のライナーは「ソロについてクレジットがない」「ライナーノーツは必ずしも必要とは思えないが、こうした事項はプロデューサーとして基本的に開示すべき」「ソロクレジットがないので、彼のソロはこれだと指摘できないのが残念」「グロスマンらしいテナーソロがあり(理由は書かれていない)」「テナー・サックス、ソプラノ・サックスのソロが出てくる。どれが誰やらさっぱりわからない」「ソロイストは正確な判定がつかない」……こんな記述で埋め尽くされていて、すべてはプロデューサーが悪いような書き方だが、「おまえが自分の耳で判定せえよ!」と思う。そういう努力をした形跡がまったくなくて、ただただ「わからないのは当たり前。だってデータがないから」という感じ。だったらどうしてライナーを引き受けたのか……。

「SOUL TRAIN」(NIPPON COLUMBIA YF−7004−ND)
ELVIN JONES−JAZZ MACHINE

 めちゃくちゃ好きなアルバムであります。すべてが上手くいってる感じ。日本でのスタジオ録音。前回来日時の演奏はライヴが出ていて、それはたいへんな名盤だが、こちらはスタジオ録音ではあるが気合い入りまくりで、前回来日時のアルバムに匹敵するぐらいのすばらしい演奏になっている。このメンバーによる(おそらく)唯一の公式録音が日本で制作されたというのは僥倖である。編成は前回と変わらないが、メンバーはベースのアンディ・マクロード以外全員入れ替わっていて、アンドリュー・ホワイト(去年、亡くなった。悲しい)はわかるが、アリ・ブラウンが入っているのが、我々フリージャズ好きとしてはかなり気になるところである。というか、じつは私は学生のころ、このアルバムを聴いてはじめてアリ・ブラウンの演奏に接し、それ以来ファンになったのだ。エルヴィングループにフリージャズ系のサックス奏者が加わる、というのはこれが最初で最後ではないだろうか。しかし、ここでのアリ・ブラウンは圧倒的なブロウを展開しているし、アンドリュー・ホワイトも水を得た魚のようにぴちぴちしていて(ある意味、アリ・ブラウンよりフリージャズ的な演奏もしている)最高である。1曲目「花嫁人形」を聴いて、なんじゃこりゃーっ、というひともいるだろうが、我々はエルヴィンのライヴに行くたびにこういうのを聴かされていたのです。あと、ケイコ・ジョーンズの説教も。でも、演奏はすばらしい。エルヴィンの数あるレコーディングのなかで、もっとも素のエルヴィンらしさが発揮されたスタジオ録音ではないか。エルヴィンの迫真のドラムソロからはじまり、ギターの爪弾きによるテーマが奏でられるが、この妙な違和感は日本人ならたいてい感じるだろう。ビリー・ハーパーの「ソーランブシ」も似たような違和感をもたらしてくれる。しかし、私はソーランブシもドール・オブ・ザ・ブライド演奏も好きなのです。テーマのあとふたたびエルヴィンのアフリカっぽいドラムソロ(途中からいつものエルヴィン的になるが、めちゃかっこええ)になり、アフロのリズムからギターがテーマを取り、アリ・ブラウンのソプラノソロ。これが、パッションをぶちまけたようなすごいソロで、なおかつめちゃくちゃ上手い。さすがシカゴのひと。それに触発されたかアンドリュー・ホワイトのテナーソロは巨大な巖が崩落してくるようなごつごつした手触りの演奏で、途中からフラジオを駆使したえげつないブロウになり(このひとは、フレーズの最後は下降してきて割れたような低音で終わることが多い)、それを煽るエルヴィンを聴いていると、なかなかジャズマシーンでこんな場面は現出しないのではないか、と思った。アリ・ブラウンとアンドリュー・ホワイトのふたりはエルヴィングループに新風をもたらすと同時に、ここに聴かれるようにエルヴィンの音楽を理解し、それに沿って演奏しており、じつはジャズマシーンにこの後参加するような「コルトレーン命」の若手たちに比べてもずっとはまっていたのではないか、と思うのだが、短期間の在籍で残念である。マーヴィン・ホーンのギターソロは端正でやや朴訥な、歌心あふれるもの。ベースの短いけど美味しいソロのあと(各ソロイストに対してエルヴィンがつけるバッキングは、ひとりひとり違っていて、そういうのもエルヴィンの繊細さを感じる)、エルヴィンのソロ。ドンツコンドンツコン、ガラガラガラガラ……というアフリカンなリズムのあとにギターが和風のテーマを奏でる、というこの展開にはいつも笑ってしまうが、これがいいんですねー。木に竹を接いだ、という感じではなく、いろいろな音楽の要素が多重に重ねられているようで……。2曲目はアリ・ブラウンをフィーチュアした「イン・ア・センチメンタル・ムード」。さすがアリ・ブラウン! この大スタンダードを超魅力的に演奏している。低音からはじまる無伴奏のイントロ、それに続くテーマの吹き方からなにからなにまですごい。サブトーンや歌い方にオールドスタイルなテナー奏者のニュアンスも感じさせ、ふくよかな音色のすばらしさは、アリ・ブラウンのリーダー作やカヒール・エルザバーとの数々のアルバムなどに比べても際立っているのではないか(マウスピースはたぶんリンクのメタル)。それぐらい聴き惚れる見事さである。こんなに上手いひとやったっけ……という感想まで出そうになる。エルヴィンとの邂逅によって生まれた名演としか言いようがない。アリ・ブラウンはここでいつものフリーキーな表現は一切使わず、オーソドックスな表現に徹しているのだが、それでも「アリ・ブラウン」としか言いようがない堂々たる演奏。つづくマーヴィン・ホーンのギターソロもよく歌っている。ラストテーマのエンディングでエルヴィンがガツン! とぶちかましたあとのブラウンのカデンツァも最高です。この1曲のためだけでも、本作を買う価値はありますよ、アリ・ブラウンファンの皆さん! いや、ほんま。B面に参りましょう。B−1は、ブルースで「ヘヴィ・ヒット」。「イン・ア・センチメンタル・ムード」から一転して、いつものエルヴィン節で冒頭から飛ばしに飛ばす。ガラガラガラガラ……と均等でないスネアが要所要所でド頭にバシッと合う(それも思い切りでかい音で)この快感はすごい。先発のアリ・ブラウンのソロはきっちりした正攻法のものだが(私の持ってるレコードでは、このソロがなぜかミックスが小さいのです。アリ・ブラウンの生真面目さを感じさせる好ソロ)、続くアンドリュー・ホワイトのソロはエルヴィン・ジョーンズグループに、かつてなかったフリーキーな爆発をもたらす。ひたすらゴリゴリと、豪快に吹きまくる姿に喝采を送ったひとも少なくないのではないか。いやー、エルヴィンを向こうに回してここまで思う存分やったひとも珍しいと思う。高音と低音を行き来するような過激なフレーズはアンドリュー・ホワイトがよくやるやつ。続くギターは端正なソロだが、バックで吹かれる2管のリフにすらものすごい気合いを感じる。そのあとのエルヴィンのドラムソロも最高である。最後、テーマに戻ったときも、めちゃくちゃシンプルなリフなのに、エルヴィンが後ろで叩いていると魔法のように超かっこよくなる。この躍動感、みなぎるエネルギーはなんなのだろう……と思う。B−2は「ソウル・トレイン」で、アンドリュー・ホワイト自身のアレンジだそうである。フィーチュアされるのもホワイトで、ややエッジが立った感じの音はいつもながらすばらしく、マウスピースはたぶんアジャストトーン。ビシッと決まった感じのイントロから美しいテーマをいろいろな技巧を駆使しながら歌い上げていくホワイトの実力を感じる。テーマのあと倍テンになり、ソロがはじまる。コルトレーンの研究家でもあるホワイトだが、正直、完全に「ホワイト印」のソロで、個性が存分に発揮された演奏である。私も、このひとの自費出版の、ジャイアントステップスしか入ってないアルバムとか、いろいろ聴いたが、やはり頭がぶっ飛んだところのあるひとなのだ。しかし、音楽を追求し、のめり込む態度はかくのごとく真摯そのものである。長いカデンツァがあるが、アグレッシヴでさまざまなテクニックが使われていて、しかも、力強く、ファンキーな要素もある……というホワイト渾身の演奏である。ラストはこれもおなじみの「ジョージ・アンド・ミー」というブルースで、アリ・ブラウンがこれまた真っ向勝負のシカゴテナーの伝統を感じさせるようなブロウをかまし、ホワイトがゴリゴリ吹きまくり、ギターとベースの短いソロを挟んでエルヴィンのドラムソロになる。ラストのテーマに至るまでこの5人の個性が全面的に発揮されており、ああ、このメンバーであと何作か吹き込んでほしかったなあ……と思う内容。というのは、スタジオ録音なので各自のソロが短いからなのである。日本でのライヴ録音を発掘するとか……。そういうことを言いたくなるほどの名演であります。傑作!

「DEAR JOHN C.〜LIVE IN JAPAN 1978」(VENUS RECORDS TKCZ−79011)
ELVIN JONES JAZZ MACHINE

 第二集の方は高校生のときにレコードで買って、今でも持っているのだが、第一集の方はジャズ喫茶で聴いてるだけで持っていなかった。二枚組CDで出たのを機会に10数年まえに買った。2枚目のレビューは上記を参照していただきたいが、1枚目ももちろんすばらしい演奏。1曲目は超おなじみの「E.J.ブルース」で、マイナーの曲だが、マイナーブルースではなく、マイナーブルースっぽい一発もの……という感じ(9小節目からブルースっぽくなる)。フランク・フォスターの豪快なソロは相変わらずだが、ローランド・プリンスのソロを挟んで登場するラバーベラ日本初見参の演奏は見事なもので、ドスの利いたフォスターの低音に比べて、やや軽く、しかししっかりした音の出し方で、引用フレーズなども含めて全体の構成もすばらしく、学んできたことをしっかり披露する……という感じのソロ。グロスマン、リーブマン……ほどではないがやはり同じような匂い、というか、理知的な狂気を感じる。エルヴィンのパワフルではじけ切ったドラムソロは圧倒的。全員のソロが終わって、このシンプルなテーマに戻ってくると、そこにとてつもないエネルギーが宿ったのがわかる。2曲目はフランク・フォスター作のバラードで、フォスターのソロはこのひと独特の、スウィング的な歌い上げとバップ的なコード分解、コルトレーン的なテクニカルなフレージングなどが混然一体となった世界を作り上げている。かなり長尺のソロだが、聴きごたえ十分。そのあとローランド・プリンスのギターソロになるが、ベースのいい感じのバッキングとエルヴィンがずーーーっと例のうめき声というかムニャムニャした声を発しているのが露骨に録音されていて、なかなかシュールな雰囲気で面白い。この曲は、フォスターの同題のリーダー作にも収録されており(スティープルチェイスのアルバム)、大編成の「マンハッタン・フィーバー」にも入っている。3曲目からは「至上の愛」の再現となり、パート1とパート2が演奏される(実際には全パート演奏されたのかどうかは知らない)。フォスターのソロは、非常に雰囲気のある、さすがにコルトレーンミュージックのスピリチュアルさがフレーズやリズム、音のチョイスなどで成り立っていることがよくわかっている演奏で、ある種の感動を与えてくれるが、つづくプリンスのギターソロが、「えっ?」というぐらいいいソロで驚く。もちろんエルヴィンという「至上の愛」オリジネーターが叩いている、ということもあってなのだろうが……。それにしても、カウント・ベイシーでずっと吹いてたフランク・フォスターがア・ラヴ・シュープリームというのはジャズの楽しい部分ではないだろうか。エルヴィンのドラムソロになり、ビシバシ決めまくり、ズドン! ズドン! と全力で叩き、どんどん盛り上がっていくエルヴィンを聴いていると、だんだん怖くなってくる。世界が歪む。単純に「おーっ」とか「イエーイ」みたいな反応は出てこず、ドルフィのソロを聴いてるときのように、別の世界に連れていかれそうになる。リズムというものは怖い。そういうことを教えてくれたエルヴィンはすごい。そしてパート2がはじまるが、ややテンポが速い。ノリノリな感じの演奏。ラバーベラが先発。軽々と吹きまくっているようだが、内容は重い、というか、がっつりした手応えのあるすばらしいソロ。つづくフォスターはソプラノで、高音中心のかなりエグいソロ。教則本的フレーズも飛び出してきて、面白い。プリンスのギターソロは単音をホーンのように重ねていくだけなのだが、ダレたり飽きたりしない。ブンブンとギターを支える、ごつい手触りのウッドベースもいい。テーマに戻ってエンディング。まあ、「至上の愛」のテーマは変に神格化されたりすることなく、こんな風に、普通にいろんなバンドで演奏されていいと思う。傑作。

「POLY−CURRENTS」(BLUE NOTE RECORDS TYCJ−81068)
ELVIN JONES

 エルヴィンの諸作のなかでは地味な扱いかもしれないが、かなり重量級の内容をもったアルバム。1曲目の冒頭から吹奏される楽器をずっとジョー・ファレルのソプラノだと思っていたが、なんとイングリッシュホルン(コールアングレ。ソニー・シモンズが吹いてるやつ。オーボエよりちょっと下の音域)だそうで、これはエルヴィンがその音を求めたのか、よくわからないが、おそらくエキゾチックな雰囲気が欲しかったということだろう。ファレルはちゃんとソロもしていて、この楽器に習熟していることがわかる。ファレルの経歴はよく知らないが、オーボエやイングリッシュホルン、フルートなども習得する機会があったのだろう。3管によるアフリカっぽいテーマが奏でられ、パーカッションとドラムに乗ってイングリッシュホルンが奏でられ、混沌とした雰囲気のまま進行する。ペッパー・アダムスのゴリゴリしたバリトンがフィーチュアされ(ずるずるした低速な感じのソロ)、そのあとエルヴィンとキャンディドの延々と続くドラム〜パーカッションデュオは圧倒的な迫力。ここだけ聴いていると、凄まじい名演。しかし、14分もあるこの曲はいったいなんなんだ! という問いに対して答はないだろう。エルヴィンはなにをやりたかったのか。2曲目はファレルの作曲で、タイトルが「アガペー・ラヴ」なのに、どろどろした雰囲気ではじまり、ファレルのフルートをフィーチュアして、不協和音のアンサンブルが付く……という、なかなか現代音楽っぽい雰囲気もあるエグい曲だが、ファレルのフルートは一貫して冷徹に吹奏され、ジョージ・コールマンのテナーも同様のエアをもって演奏される。これまた不思議な曲なのだ。エルヴィンはなにをやりたかったのか。3曲目はおなじみのマイナーブルース「ミスター・ジョーンズ」で、先発はジョー・ファレル(だと思う)。エルヴィンの複雑かつスウィングするリズムのうえに大きく乗っかってていねいにフレーズをつむいでいく。かつて(大学生のころ)はファレルの音色(ラーセンなのにR&B的ではない、濁りのない細い音)とかトリルとかフラジオの音の感じとかが苦手だったが、今は逆に好きになった。つづいてアダムスのバリトン。音はゴリゴリとした凄まじいものだが、フレーズは一番オーソドックスで、ハードバップな感じ。エルヴィンとやっているからといって我が道を行く。キャンディドのコンガが面白い。なお、ジョージ・コールマンはこの曲にテナーで参加していることになっているが、よく聞こえない(左チャンネルで2テナーがユニゾンで吹いている感じがチラッとだけする)。この曲は、エルヴィンがなにをやりたかったのかわかるが、つぎの4曲目はこれまた不思議な演奏で、作曲者であるフレッド・ホプキンスのフルートをフィーチュアした現代音楽的な曲。幾何学的なテーマのあと、一瞬ブレイクしてファレルのバスフルートがからみだして、そのままずっと進行する。エルヴィンはずっとブラッシュで4ビートを刻んでいるだけ……というかなり変格な演奏。そして、そのまま終わってしまうのだ。2分ほどしかないのだが、非常に強烈な印象を残す。エルヴィンはなにをやりたかったのか! そして、ラストの5曲目はベースのウィルバー・リトルの曲で、テーマの部分もリトルのベースが大きくフィーチュアされており、ジョー・ファレル(と思う)のテナーソロが始まってもリトルは普通に4ビートを刻まず、ソロイストにからむように弾きまくる。続いて(たぶん)ジョージ・コールマンのテナーソロになり、ここでも同じようにベースは従来のベースの役割よりはみ出したようなバッキングで、アグレッシヴなテナーとエルヴィンの弾けたドラミングとのピラミッドを形作っている。そのあとベースの高音部を中心とした個性的な無伴奏ソロになり、ドラムが入ってテーマに戻りぐじゃぐじゃっとしたエンディング(フェイドアウト)。全体にいわゆるストレートアヘッドなエルヴィンミュージックではなく、変化球的な曲が多い不思議なアルバムです。

「COALITION」(BLUE NOTE RECORDS TYCJ−81096)
ELVIN JONES

「ポリ・カレンツ」に続くアルバム。「コーリション」というのは連携というような意味。フランク・フォスターとジョージ・コールマンの2テナーでピアノレス。ベースは前作に引き続きウィルバー・リトルでキャンディドのコンガも参加している。前作がけっこう変化球だったのに比べて本作は直球勝負。1曲目はおなじみ「シンジツ」。冒頭に出てくるソロはフォスターによるバスクラではなくアルトクラリネット。毎回思うのは、カウント・ベイシーにいたひとがねえ……ということだが、ここでのアルトクラソロは、まさにそういう感じで、不気味さをたたえたアヴァンギャルドな雰囲気をかもしだしており、ロフトジャズの若手のだれか、だと言われたら信じてしまうような感じ。そのあと登場するコールマンのテナーもアブストラクトなフレーズを撒き散らすような演奏で、フリークトーンも含めて、まったくジョージ・コールマン的ではないソロ(でも、かっこええ!)。こういうことをこのふたりに要求するエルヴィンもエルヴィンだが、それにちゃんと応える引き出しの多いフロントのふたりには感心するしかない。ドラムソロを経て、テーマ。2曲目は「イエスタデイズ」(「アルティメイト」でも演ってる)で、本作中もっとも長尺の演奏(11分ある)。フォスターの低音からの迫力ある無伴奏ソロからはじまり、ベースがモードジャズ的なパターンを繰り出し、2テナーがきっちりアレンジされた、けっこう複雑でかっこいいテーマを演奏する。スタンダードとしての香りも残しつつ、ハードボイルドなアレンジになっている。先発はフランク・フォスターで途中で倍テンになるところなどは完全になんでもありの世界になっている。つづくジョージ・コールマンのソロはなぜかかなりエコーがかかっている。エルヴィンのバッキングは本当に聴いていて自由で気持ちがいいが、このパワーと複雑さに対応できるソロイストでないとつぶれてしまう。そういう意味ではもちろんコールマンもすばらしい。ウィルバー・リトルのベースソロ(かなり独創的)もめちゃくちゃいい。3曲目はジョージ・コールマン作曲のものすごくいいブルースだが、アレンジもすばらしい。キャンディドのコンガが全編にわたってさえまくっている。タイトルどおり5拍子のブルースなのだが、あまりに自然なので5拍子とは気づかないぐらい。超名曲ではないかと思う。コールマンも参加しているシダー・ウォルトンの「イースタン・リベリオン」の第一集での演奏が有名だが、もっとみんな演ればいいのに。作曲者であるコールマンがフィーチュアされる。案外淡白でオーソドックスなコールマンだが、ここではしっかりとブロウを決めている。ぶっきらぼうな、場当たりな、奔放なソロのようでいて、じつは隅々にまで気配りしている、という最高なやつ。フォスターも軽いバッキングをしている。エルヴィンとキャンディドのデュオになり、どひゃーっ、という感じのリズムの洪水。そして、テーマ。やっぱりかっこいいアレンジ。4曲目はフランク・フォスターの「ウラル・ストラーダニア」という曲。ウラルへの道、というような意味かな。キャンディドとエルヴィンのデュオをイントロに、ウラルといえばウラルっぽい曲調のモーダルなテーマが奏でられる。フランク・フォスターのドスの利いたソロになる。そのあとコールマンの「ゲホゲホゲホゲホ……」というフレーズからはじまるソロ。アブストラクトなフレーズの積み重ねでちょっと物足りないかも。短いドラムとコンガのデュオを挟んで重厚なテーマ。ラストの5曲目は、これもおなじみの曲「シモーン」(フランク・フォスターの曲で3拍子のマイナーブルース+アルファ)。作曲者フォスターのワンホーンでテーマが奏でられ、2コーラス目から2管のアンサンブルになる。先発ソロはジョージ・コールマンで、フラジオも駆使されるが軽い雰囲気。つづくフォスターはいつもながらのドスの利いたプレイ。でも、爆発はしない。ウィルバー・リトルのソロは正攻法ながらパワーあふれるもの。すぐにテーマに入り、エンディング。正直、あまりエルヴィンが表に出ていない、というか裏方に徹している感じのアルバム。

「GENESIS」(BLUE NOTE RECORDS BN4369/TYCJ−81072)
ELVIN JONES

「コーリション」に続くアルバム。また、3テナーである。聞き分けないと……(そんなことをせずに無心に楽しめばよいのだが、これはなんでしょう、業(ごう)なのか。専門的知識もなく、どうしてそんなことをするのか)。でも、ジョージ・コールマンなどに比べてもこの3人は基本的にコルトレーンフレーズなのでよけいわかりにくいっす。なので、以下の聞き分けは信じないほうがいいと思うし、ネットなどで書かない方がいいですよ。みんな、自分の耳を信じるべし。1曲目は、ジーン・パーラ作の幽玄な曲。アルトフルートがフランク・フォスターであることは確からしいのである(ということはフォスターは左チャンネルということでいいのかな)。フルートソロがめちゃくちゃ残響が残っていて、笑える(というか全部のサックスソロがエコーかかりまくりなのである)。エルヴィンのブラッシュも絶妙だが、そのまま終わってしまう。アルバム全体のイントロというべき曲か。2曲目もジーン・パーラの曲で(というか、切れ目なく演奏され))ベースのパターンがずっと続くモーダルなブルース。左チャンネルから出てくるテナーソロはフォスターではないようで、たぶんジョー・ファレルではないか。つぎの異常にエコーのかかったソロはソプラノ(クレジットにはテナーとなっている)で、たぶんリーブマン。あまりにわんわんわんわん……と言ってるがすばらしい演奏ではある。続くテナーソロが私にはフォスターに聞こえるのだが、違うのかなあ(フレーズがどうこうというより、主に音色とノリ具合で聴きわけています)。そのあとドラムソロがあって重厚なテーマに戻り、エンディング。3曲目はリーブマンの曲でおそらく最初に登場して朗々とテーマを奏でるテナーがリーブマン。テーマのあと4ビートになり、これもおそらくリーブマンとおぼしきテナーが絶叫するようなブロウを展開する。しかし、8分音符のアーティキュレイションなどめちゃくちゃ鮮やかで、聴き惚れる。すばらしい演奏。ラストで、リズムがなくなってリーブマンが吹きまくるあたりでのエルヴィンのドラムもすばらしい。コルトレーンのインパルスの中期頃の演奏を彷彿とさせる手応えのある演奏。4曲目はおなじみ「スリー・カード・モリー」だが、テンポが遅く、最初のころはこんな感じで演奏していたのだなー、と思う。かなりえぐいハモりでかっこいい。最初に右チャンネルから出てくるテナーは(たぶん)フォスターだと思う(ロートンっぽい低音のエッジの利いた音や、16分音符の多用などから考えて)。めちゃくちゃかっこいい。ぐいぐい行くパーラのベースもいいですなー。続くソロもテナーで、これは(たぶん)リーブマンではないでしょうか(低音の音色、フリーキーな高音の音色のコントロール、フレージングなどから)。異常にテンションの高い、聴いていて「キーッ」となるようなソロ。すごいよなー。コルトレーン派とひと口にいうけれど、そういうタイプのテナー奏者がエルヴィンと共演して爆発することでこういう結果が生まれるのだ。でも、このリズムの遊びを多用したフレージングはファレルかもしれないとも思う。あー、わからん! でも、まあここはリーブマンと言い切ってしまいましょう(知らんけど)。そして、エルヴィンの本領発揮な感じのドラムソロが爆発。そのあとテーマ。ラストのフランク・フォスターの「セシリア・イズ・ラヴ」という曲(ものすごくいい曲)で、このサンバっぽい曲をフォスターは何度も録音している。いやー、この曲は聞き分けはむずい。ゴリゴリ吹く先発ソロはたぶんフランク・フォスター。つづくソプラノはたぶんリーブマン(冒頭にテーマを吹くソプラノと同一だとすると、おそらく……)。変態的で超かっこいいフレージング。スピード感もすごい。ということは三番手のテナーがファレルということになるが、どうなのかな(弱気)。いや、3番手のテナーは、もう一度フランク・フォスター登場という可能性もなきにしもあらずでは?(今はその方向に傾いています) あー、わからん! 岡崎正通氏の邦文ライナーではそのあたりのことはなーんにも書いてなくて「3人のサックス奏者の個性あふれる力強いソロリレーが繰りひろげられていく演奏」「コルトレーンライクなソロリレーが大きな聴きものになっている」とか書いてるだけで、まあ、なんにも言ってないに等しい(こんなんでええんやなあ……)。そのあとパーラのベースソロがあってテーマ。右チャンネルから2本テナーが聞こえるのだが……。サックスの聞き分けのために何遍聴いたか(たぶん30回ぐらい)。疲れたっす。でも、演奏はすばらしいです。リーダーであるエルヴィンのことを書けよ、という意見もあるでしょうが、とにかくテナーのことが気になるお年頃なのであります。

「THE ULTIMATE」(BLUE NOTE RECORDS BN4305/TYCJ−81086)
ELVIN JONES

 超名盤「プッティン・イット・トゥギャザー」と同じく、ファレル、ギャリソン、エルヴィンのピアノレストリオによるブルーノート第二弾……という感じだが、「プッティン……」の陰に隠れて、やや知名度は落ちるかもしれない。しかし、残りテイク集とかではなくて、同じ年(68年)の4月(「プッティン……)」に続いて9月に録音されたのが本作なのである。1曲目(ファレルの曲)の、低音部から荒々しくはじまる曲のテーマの吹き方のかっこいいこと! やはりトリオだとファレルの実力のほどがよくわかるよなー。エルヴィンもファレルも我が道を行く感じで吹いたり叩いたりしているのだが、それがちゃんとマッチングしていて、一丸になっているように聞こえるのは、ギャリソンのベースのおかげもあるだろう。とにかく、3人とも、ちゃんと自分たちがやっていることがわかっている演奏なのだ。ゴリゴリのようだがバッピッシュな部分もあるテナーソロ、エルヴィンとの8バース、エルヴィンの超かっこいいロングソロのあとテーマに戻る。2曲目はギャリソンの曲で、そのギャリソンの(おなじみの)スパニッシュギター的なソロではじまり、ソプラノとのデュオになる。そのあとインテンポになって、エルヴィンのブラッシュが入る。あー、快感ですね。フリーリズムのパートがあって、ふたたびインテンポになる(スティックに持ち替える)。なかなか複雑な構造の曲である。ファレルのソプラノはバップ的な歌い上げと変態的なフレーズをうまく織り交ぜている。ギャリソンのゴツゴツした骨太なベースソロがあり(けっこう長い)、腹にずしんと応える。最後はまたスパニッシュギターっぽいベースソロとソプラノとのデュオからフリーな感じの展開になり、エルヴィンのブラッシュが入って、より一層フリーな感じが増すのだがこのパートがいちばんかっこいいかも。堪能。3曲目もギャリソンの曲で、いやー、これはなかなかええ曲である。ギャリソンのコンポーザーとしての才能を感じる。この曲が私にとっては本作の白眉かも。ソプラノ、ベース、ドラムの3者ががっちりと融合して、奔放でスウィンギーですばらしい世界を作り上げている。だれひとり、他の奏者と入れ替えたら成り立たない危うい絶妙の組み合わせのうえにそびえる楼閣。エルヴィンのソロもかっこええっすわー。4曲目は、またかよー、の「イエスタデイズ」。エルヴィンってこの曲がよほど好きなのだろうな。ギャリソンのモーダルな感じのベースに乗って、ファレルはテナー、エルヴィンはブラッシュ。テナーソロは卓越した構成力。ギャリソンのベースソロも図太い音で訥々と語りかけるようなリズムでの演奏。音数が少なくとも、全身に響くような「ごつい」演奏。5曲目もギャリソンの曲で、テーマ部分からエルヴィンのバスドラがドスッ、ドスッとぶち込まれる迫力。アブストラクトではあるがほかの曲よりゴリゴリ度が増しているファレルのテナーが次第にヒートアップしていくにつれ、エルヴィンのドラムが複雑さと力強さを増していく。エルヴィンが凄いのは、ドラミングがどんどん複雑になっていっても、パワフルさを失わない、というか、逆にどんどんパワーもアップしていくところで、このひとの頭のなかでは複雑さとパワフルさは同じベクトルを向いているような気がする。いやー、かっこいいです。本来は、ドラムが触発してソロイストがそれに煽られてブロウ……という図式だと思うが、エルヴィンの場合はソロイストのソロに触発されて、エルヴィンが火山のように噴火していく……という感じ。とにかくこの5曲目でのエルヴィンのバッキングのドラムはえげつないぐらいすさまじい。ギャリソンのアルコソロがまた、めちゃくちゃ重厚ですごいのだ。こうなるともうテクニックがどうのこうのという感じではない。弦に弓をドーンと放り出して、あとは好き勝手……みたいな世界である。この、ちょうどいい感じのええ加減さと迫力は、ギャリソンならでは。自由奔放という言葉がぴったりのベースソロで、本当にすばらしい。このアルバムを聴くときは、いつもこの曲のベースソロを楽しみにしているのだ。最後の6曲目はスタンダードで「ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」。ファレルは本作中唯一フルートを吹いている。ものすごく美しいソロなのだが、3分ほどしかない。この演奏で幕を閉じる、というのもエルヴィンの美学なのだろう。「プッティン・イット・トゥギャザー」と並ぶたいへんな傑作だと思います。やっぱりサックストリオでドラムがエルヴィンとなると聴きごたえあるなあ。あー、ジャズを聴いた、という気持ちになる。

「HEAVY SOUNDS」(IMPULSE RECORDS A−9160/UCCU−6166)
ELVIN JONES

 1曲目の「ロウンチ・リタ」があまりに有名なエルヴィンのアルバム。エルヴィンとリチャード・デイヴィスがタバコを吸っているジャケット写真はCDのサイズではわからないかもしれないが、とにかく「へヴィ・サウンズ」というタイトルにふさわしくて最高であります。「煙」をここまで上手く撮っていることに感動である。トリオでの録音のはずが、ギターのラリー・コリエルが遅れていたので、エルヴィンとリチャード・デイヴィスのデュオで「サマータイム」を録音したのがきっかけとなり、後日、フランク・フォスターとビリー・グリーンが参加したカルテットで本作が吹き込まれることになった、というが、きっかけはどうあれ、本作の4人はそういう経緯を感じさせないぐらいがっちりと一丸になっているように聞こえる。1曲目はフランク・フォスター作のモーダルな感じのマイナーブルース(ドミナントのところを3倍に引き延ばしている16小節のマイナーブルースといったほうがいいか)で、一応テーマはあるが、ベースラインがテーマといってもいい曲。ジャムセッションとかで演ったことのないひとはいないでしょう。フランク・フォスターのソロはいつになくグロウルしているのだが、ファンキーとかそういうのではなくて、タイトル通り「ヘヴィ・サウンズ」を感じさせる、かなり重いソロ。そういうあたりがたぶんエルヴィンの気に入ったのではないか。このフォスターのソロのかっこよさは、テクニックとか理論とかを越えた、鳩尾にドスッと来て、うねりまくるようなやつであります。エルヴィンも暴れまくっている。グリーンのピアノソロは最初、パーカッシヴにガツガツ叩くところからはじまり、このカルテットにぴったりの力強く、訥弁な感じの演奏でほれぼれする。リチャード・デイヴィスの巨大な巖を押すようなゴロゴロしたベースの迫力も凄い。ラストはフォスターがグロウルする。2曲目はな、な、なんと「シマイニー・ストッキングス」で、あの可愛らしくも愛らしい名曲をこんな荒くれものたちが演奏したらどうなるのか……と思っていたら、ドスはきいているもののマカロニウエスタンの荒くれものたちが一輪の野ばらを愛でる、ような愛らしい演奏になった。随所に、このメンバーなりの個性もぶち込まれているのだが、全体にはスウィンギーな楽しい演奏である。さすがやなー。作曲者フォスターのテナーはもちろん、エルヴィンのブラッシュも、ギャリソンのべースラインも、ベイシーバンドでの同曲を再現しようとがんばっているかのようである。それにしてもエルヴィンのブラッシュはすばらしい。こういうビッグバンド系の曲は、ちょっとした隙間をドラマーがどれだけ埋めるか、というのがバンドが盛り上がる鍵なのだが(ソニー・ペインとかブッチ・マイルスとかダフィー・ジャクソンとか……)、ここでのエルヴィンはまったく同じことをしているのだ。しかし、その「埋め方」が超独特というだけなのである。最高じゃないですか! 3曲目はピアノのビリー・グリーンの曲で、歌ものっぽい感じの小洒落た曲。なぜか一瞬で終わるが、それもまたよし。4曲目はドラムとベースのデュオで、エルヴィンのアフリカっぽいマレットに乗せて、リチャード・デイヴィスがアルコで「サマータイム」のテーマを弾く。ふたりの息はぴったりで、マレットがブラッシュになったり、アルコがピチカートになったりしてもその感じは失せない。このふたりだけでアルバムを一枚作ったらいいのに、と思うぐらいである。この、おそらく予期せぬ前衛性というかアグレッシヴな雰囲気が全編に漂っていることの美味しさは筆舌に尽くしがたいのであります。ふたりとも奔放にふるまっているが、「サマータイム」がそれをつなぎとめている。ベースソロのあとのエルヴィンのドラムソロも、「ああ、サマータイムだな」と思えるような演奏である。ラストテーマで弾きまくるデイヴィスに圧倒される(それを煽りまくるエルヴィンにも)が、これは当人たちは「フリージャズ」だとは思っていないのだろうと思う。しかし、過激で、ある一線を越えたアヴァンギャルドで最高な演奏だと思う。5曲目は「エルヴィンズ・ギター・ブルーズ」で、エルヴィンがギターを弾いて、リチャード・デイヴィスがベースを弾き、フォスターがテナーを吹く、という演奏。テナーが入ると、エルヴィンはドラムに移る。雰囲気のあるスローブルースで、フォスターのテナーも、基本的にはブルースシンガーのように歌う。しかし、たぶん録音を意識していない演奏で、ラストもフワッと終わってしまい、惜しい。ラストはスタンダードで「ヒアズ・ザット・レイニー・デイ」で、フランク・フォスターの二面性(スタンダードやスウィングナンバー、バップ曲なども見事にこなすが、一方ではコルトレーン的なアグレッシヴなブロウも得意とする)や、エルヴィンの叙情的な側面なども絶妙に溶け合った演奏だと言える。本作を締めくくるにふさわしい演奏。やっぱり1曲目がいちばんインパクトはあるのだが、他の曲もしみじみする。このあとの時期のエルヴィンのかなり過激なバンド編成、アルバム構成を考えると、このアルバムはかなり一般のジャズファンにアピールしたのではないかと思う。傑作。