thad jones

「MOTOR CITY SCENE」(UNITED ARTIST TOCJ−50075)
THAD JONES

タイトルどおり、デトロイト出身のいつものメンバーによる「ジャズ」。のんびり、ほっこりしているようで、じつは黒々とした演奏。それにしてもサド・ジョーンズって管楽器の選びかたが必ずといっていいほどビッグバンドのひとからチョイスするなあ。ビリー・ミッチェル〜アル・グレイ〜サドって、これはニューベイシーそのものだ。それが、いいような悪いような……。だが、もちろん名手ぞろいなので、文句はない。三人ともうますぎる。妙技、という感じ。でも、あまりに枠におさまりすぎで破綻がないかも。それって、ないものねだりか。通はこういうのを喜ぶのか。ただ、リズムセクションは逆に、トミー・フラナガン、ポール・チェンバース、そして実弟エルヴィンと、モダンジャズの黄金トリオなので、これもおいしさ満点。曲はどれもすごくいいし、テーマ部分にはちょっとしたアレンジがほどこされているが、あとは基本ソロ廻しなので、やや飽きてくる瞬間がある。あと、やはりビッグバンドの人だからか(偏見か?)、けっこうムズいテーマのアンサンブルを軽々と完璧に吹いたあと、さあ、今からが聞きどころでっせ、とソロを吹きたい吹きたいアドリブがしたい、みたいな気持ちはまったく感じられないあたりが、なんとなーくモダンジャズっぽくないんであります。ただ、ラストの「ノー・リフィル」という曲は、アレンジされたテーマは最初は出てこず、アブストラクトな雰囲気でサドとベースのデュオ、そしてビリー・ミッチェルの歌いあげ、ピアノソロとつづいて、そのあとにゆったりとした3管のアンサンブルがラストにだけ登場する、という……ちょっとサドメルっぽいよね、と言われればそうかなあと思いそうな斬新な曲。これはかっこいいです。エルヴィンは、さすがにほとんど暴れていないが、ブラッシュワークはすばらしい。全体に、(これは個人的な好みだが)ビリー・ミッチェルの演奏に、つい耳をそばだててしまう。このひと、なにを吹いてもジャズになるよなあ。というわけで、これがジャズ喫茶でかかったら「おおっ、だれこれ。かっこいーっ」と思うだろうが、家ではたぶんめったに聴かないであろうアルバム。

「THE MAGNIFICENT THAD JONES」(BLUE NOTE 1527 TOCJ−8627)
THAD JONES

一曲目がベイシーでの演奏で有名な「エイプリル・イン・パリス」だが、ベイシーではあれほど派手にがんがんいくアレンジなのに、それをぐっとゆったりのテンポで、しかも渋い、ゆるめのアレンジで聴かせ、それを冒頭にもってくるあたりのセンスはさすがというしかない。2曲目は完全にハードバップだが、これもウォーキングテンポの渋い演奏で、歌心あふれるソロがリレーされ、いやー、ええ感じやけど、こんなにゆるゆるでええんかなあ、と心配になってくるぐらいのぬるま湯加減で、あー、日頃の疲れがすーっととれていく。そうだ、これを温泉ジャズと名づけよう。全体に、ビリー・ミッチェルが好演で、この渋さはミッチェルのリーダーアルバムでも顕著だが、ほんとに力の抜け加減のいい、うますぎるテナーだと思う。もちろんバリー・ハリスのうまいようで朴訥なビバップピアノも存分に楽しめるし、ジャズ喫茶でこれがかかってたら、だれでもちょっとジャケットを確認しに立ち上がるんじゃないの? と思わせるような快演であります。

「THE MAGNIFICENT THAD JONES VOL.3」(BLUE NOTE 1546 TOCJ−9199)
THAD JONES

第一集が「鳩のサド」として名高いのに、この第三集(なぜか2はないのだ)がいまいち人気の面で落ちるのは、たぶんジャケットのサドの写真が山高帽子をかぶった田舎ものの親父、みたいなせいもあるのでは……と思ったりして。2管編成ですっきりとハードバップを聴かせる第一集に対して、こちらは3管、しかもベニー・パウエル(達者すぎる)とジジ・グライスという、アドリブをガンガン吹きまくるタイプではないメンバー。なぜこのふたりをチョイスしたのだろうか。アンサンブルに重点を置いたアルバムならばともかく、そうでもないんだが……(とくにジジ・グライスを器用した意味がよくわからない。デトロイト出身でもないし、接点がわからん。ジジ・グライスって、アドリブを吹くバップアルト奏者としては音色といい覇気といいフレージングといい個人的にはまったく魅力を感じないのだが、わざわざサドが選んだのだから、それなりの意味があるはずだが……。まあ、うまいけど、やっぱりサドのコンボ作では常連のビリー・ミッチェルのほうが好き)。エルヴィンはかなり「本性」を表していて、はじけるようなリズムがグループをプッシュしている。例の唸り声(?)も盛大に発していて、うまさと野蛮さと先鋭さが同居する躍動感あふれるプレイはかなりノッている感じだ。アンサンブルに重点をおいていないと書いたが、たとえば二曲目のバラードなど、サドがワンホーンで朗々と吹くバックで、ちょろっとつける二管のバッキングなどは、なるほどのスタイリッシュ。しかし、三曲目など、どう聴いても完全にハードバップのテーマなのだが、演奏がなぜかハードバップに聞こえないのだ。先入観があるのかとも思ったが、いや、そうではないようだ。これひとつの不思議。いちばん「おおっ、かっちょいーっ」と思うのは四曲目で、エルヴィンのソロも爆発しているが、残念ながらサドのソロがいまひとつ不調で、じつはこの曲がかっこいい」と思う印象の大部分はアレンジによるものなのである。五曲目はメンバーをかえてのワンホーンのバラードで、さすがに超うまい。こういうのをやらせると天下一品である。アルバムを通して何度か聴いてみての結論として、私にとって、サドのコンボ作を聴く楽しみのひとつはビリー・ミッチェルの雰囲気のあるテナーが聴けるということなので、本作はそれがなく、しかもかわりがアルトの、しかもジジ・グライスなので、まあ、ほかの作品にくらべるとちょっと聴く機会は少ないかなあという感じです。すいません。

「THAD JONES」(DEBUT OJCCD−625−2)
THAD JONES

54年、55年録音の、サド・ジョーンズの初リーダー作ということでいいのかな。焼く半数はワンホーンだが、サドがトランペットのワンホーンでも十分に表現できる、強力なプレイヤーであることがよくわかる。アレンジや、サックスなどに頼ることなく、堂々とラッパ一本で渡り合える実力のある人ということがよくわかる。安定したフィンガリング、リズム、フレージング、音程、明るく抜けたトーン……なにをとっても文句なしのすばらしいトランペッターだと思う。あとは個性があればなあ、というところだが、その個性はのちに「アレンジ」という点で開花するのだ。デビューなので、ということもないかもしれないが、ミンガスのベースが時折フィーチュアされるが、なかなかいい。兄ハンク・ジョーンズとピアノの席を分け合うジョン・デニスというひとも味わいがある。

「MEAN WHAT YOU SAY」(MILESTONE OJCCD−9001)
THAD JONES/PEPPER ADAMS QUINTET

 結局、コンボにおけるサド・ジョーンズは、サドメルでのあのアクの強いアレンジや踊るように指揮をしながらコルネットをブロウする、知性と野卑さを併せ持つような強烈な個性を発揮することなく、どちらかというと地味で趣味の良い、ジャズファンのなかでもマニアックなひとにそっと愛聴されるような存在であったが、本作はそういったサドのコンボ作のなかではもっともサドメルでの彼に近い、曲やアレンジが個性豊かで、そこによくコントロールされたモダンなソロが乗る、という、すべてが調和がとれ、かつオリジナリティに溢れた傑作。共演のペッパー・アダムスの力もかなりあるとは思うが、やはりこれはサドの仕切りによってこういう稀有なアルバムができあがったのだ。たとえば表題作「ミーン・ファット・ユー・セイ」などはサド・メルのなかで何度も演奏されてきた傑作だが、あの複雑でしかも美の極致のようなすばらしいアレンジをたった2管で表現してしまったのだから、これはすごいことではないか。しかも、ペッパー・アダムスはゴリゴリとでかい音で吹きまくるが、それがこの曲の「美」をいささかもそこねず、逆に溶け込んでしまっているというのも、モダンジャズならではの異形の美学でしょう。これはマジ傑作。なお、サド・ジョーンズ〜ペッパー・アダムス・クインテットという表記なので、コ・リーダー作といえるが、8曲中4曲がサドの作品(あとはデューク・ピアソンとロン・カーターが1曲ずつとスタンダード2曲。ペッパー・アダムスの曲はなし)なので、一応サドの項に入れた。

「DETROIT−NEW YORK JUNCTION」(BLUE NOTE 74232)
THAD JONES

ブルーノートの初アルバムなので、「マグニフィセントVOL.2」に該当するアルバムではない。ドラムがなぜかスウィングスタイルのシャドウ・ウィルソンで(本作ではちゃんとバップ的ドラムを叩いてますが)、ギターも入っている、というあたりも不思議。そういう不思議づくめの作品だが、ピアノがトミー・フラナガンでテナーがビリー・ミッチェルとデトロイト人脈もしっかり押さえている。ビリー・ミッチェルはサドのコンボ作にはかなりの割合で参加しているが、本作でもめちゃめちゃ滋味深いソロをつむいでおり、正直、あまりサド・ジョーンズに興味のない私にとっては、ビリー・ミッチェルの煙草の紫煙のような渋いテナーソロが本作の魅力のすべてといってもいい(あー、言っちゃった)。もちろんサドのプレイも相当いいんですが、ハードバップのトランペットにあんまり関心がないものですいません。どの曲のソロも流暢だし、音程はいいし、歌心抜群だし、とくにバラードなどで朗々と吹く感じを聴いていると、ああ、ええなあ、とは思うのだが、そのあまりのうまさ、流暢さ、ひっかかりのなさが、かえってモダンジャズっぽくなくて、中間派だのなんだのと言われる由縁なのだろうと思う。ひっかかりがあるほうがモダンだ、などというのは乱暴な意見だとはわかっているが、そのあたりがジャズの複雑怪奇なところである。四曲目の「スクラッチ」という曲でのサドのソロを聴いていると、まるでベイシーでの「シャイニー・ストッキングス」かなにかを張り切って吹いているさまが浮かんでくる(コード進行もそんな感じだし)。ケニー・バレルはトミー・フラナガンも、めちゃめちゃ快調に飛ばすが、なぜかあまりに快調すぎるというか、ふっとスウィングジャズっぽく聴こえる瞬間があって、それはそれでおもしろいです。