「IN THE WORLD」(STRATA−EAST RECORDS SES1972−1)
CLIFFORD JORDAN
この盤はジャズ喫茶で何度か耳にしており、とくになんの感慨も抱いていなかったのだが、今回、世界初CD化ということでいろいろ煽られており、それにのせられてまんまと買ってしまった。聴いてみて、ふーん、こんなやったかないな、そうそう、こんなんやった、とだんだん思い出してきた。しかし、もひとつおもしろくない。えっ? こんなしょぼかったっけ……と聴きながらずっとあせっていた。有名な一曲目も、哀愁ただようテーマはいいのだが、主役であるジョーダンのソロがいまいちだ。ドン・チェリーが、バッキングというかオブリガードというか、かなりインパクトのある合いの手(?)を入れるたびに演奏がしまるのだが、ジョーダンがもっさりした音でだらだらしたソロをするので、どうにもならん。ドン・チェリーも、自身のソロはずーっとトリルばっかりで、さすがに途中でだれてしまう。ジュリアン・プリースターはときどき変なことをして耳をそばだてさせるが、全体に茫洋とした感じのソロが多い。ピアノはいくらなんでもひどいという音(これは本人のせいではないが)だし、せっかくのツインベースやツインドラムスも、ひとりずつで十分じゃないの? という程度の音楽的成果しかあがっていない。ふつう、ツインベース、ツインドラムス(それもとんでもなくすごいメンツ)なら、ソロイストはもっと燃えるでしょうに。思わず、がんばらんかいおまえら、と叫びたくなる。B面に入っているケニー・ドーハムはまったく不調で、俺ってここで何やってるんだろう、みたいな存在感のないソロをする。このアルバムのどこが名盤なのか……。しかし、どこかひっかかる。何度も聞き返したが、そのたびにたしかに感想としては「しょぼい」の一言なのだが、なぜかもう一度聴き直してみたくなる。それはたとえば、一曲目のあまりに適切なテンポ設定であるとか、ドン・チェリーの斬新かつ自由なバッキングであるとか、エドブラックウェルとロイ・ヘインズによる、手数は少ないが場の雰囲気をうまくセッティングしたドラミングであるとか、そして、ジョーダンによるすばらしいコンポジションであるとか、二曲目のじつにかっこいいバラードとか(ジョーダンのソロも、この曲がいちばんいい。そもそもモーダルな曲や、マイナー一発系には向いていない(適応していない)ひとではないだろうか。でも、このバラード、なぜかラストがばさっと切れる)……じつは聞き所は多いのである。もしかしたら天下の大傑作になったかもしれないアルバムだが……肝心のジョーダンが、いつも手探りで、不完全燃焼で、いろいろイマジネーションを発揮しようとしたけどうまくいきませんでした的ソロ(意欲的ではある)ばかりしてるからなあ……まあ、正直なところ40点ぐらいじゃないでしょうか。私は、クリフォード・ジョーダンに関しては、ブルーノート時代の「クリフクラフト」とか「ブローイン・フロム・シカゴ」といったハードバップものはまるで興味がないし、晩年の「懐かしのメンバーを揃えました」的ビッグバンドも全然関心がない。一番好きなのは、シダー・ウォルトンのカルテットで、のちにボブ・バーグが占めるポジションでしばらく演奏していた時期のもので、ハーフノートのライヴは、ほんとに一曲一曲しびれるぐらいの垂涎のアルバムだが、この「イン・ザ・ワールド」はそれに比べても、うーん……でも、また聞きたくなってきた。不思議といえばこんな不思議なことはない。ジャズは不思議だ。
「NIGHT OF THE MARK Z」(32 JAZZ32118)
CLIFFORD JORDAN
クリフ・ジョーダンに関しては、「イン・ザ・ワールド」の項でも書いたのだが、ハードバップ期の演奏とか(つまりブルーノート盤)、モードっぽいことをやってるやつとか(つまり「イン・ザ・ワールド」とか)、晩年のビッグバンドものとかはまったく関心がないのだが、唯一、シダー・ウォルトンとやってるやつは「ええなあ」としみじみ思うのである。シダー・ウォルトン名義のものもジョーダン名義のものもあるが、どちらもよい。「オン・ステージ」とか「ハーフ・ノート」のライヴとかどれもよい。本作もライヴなのだが、モードっぽい曲もあり、スタンダードもあり、という感じで、いい意味で力が抜けて、のびのび吹いている。ここぞというときの間のとりかたもすばらしい(この「間」のとりかたひとつでフレーズがかっこよく決まったり、ぐだぐだになったりする)。リズムセクションはもちろん超一級……というわけで、本作もすばらしい。当たり曲の「ジョン・コルトレーン」(これってジョーダンの曲じゃなくて、ジーン・リーの曲なんだね。しらんかった)とかジョーダンファンにはおなじみの「ハイエスト・マウンテン」とか、シダーがいつもやる「ブルー・モンク」(「リズマニング」もよくやってるよね)とかサム・ジョーンズの「ワン・フォー・エイモス」とか選曲もいい。じつはこのアルバム、ファンにとってはかなりの人気盤らしいのだが、よく知らなかった。絶対絶対ぜーったい「イン・ザ・ワールド」よりこっちのほうがいいって。
「ON STAGE VOL.1」(STEEPLE CHASE VACE−1143)
CLIFFORD JORDAN & THE MAGIC TRIANGLE
これも、シダー・ウォルトン、サム・ジョーンズ、ビリー・ヒギンズトイウ「マジック・トライアングル」なるリズムセクションをしたがえての一枚。オランダでのライヴだが、例によって非常にいい。一曲めのショーターの「ピノキオ」から、クリフォード・ジョーダンのテナーは微妙に力がぬけていて、リラックスして聴ける。このひとのテナーは、音もすごくないし、フレーズもすごくないし、テクニックもすごくないし、すごくない尽くしなので、じゃあいったいどこがいいんだ、ときかれると説明するのはむずかしい。おそらく彼は、その場その場で考えながら、試行錯誤しつつフレーズをつむいでいる。そのやりかたは流暢とか華麗とはほど遠く、木訥で、訥弁に聞こえるが、アドリブプレイヤーとしての誠実さゆえだと私は思う。たとえばウェイン・ショーターやジョー・ヘンダーソン、武田和命らにも同じものを感じる(その結果出てくるものはまるでちがうけど)。前もって用意したものではなく、その場で次にどう吹くかを練りながら演奏する。あたりまえのことのようだが実際にはむずかしい。スティットやグリフィンなどの、めちゃめちゃ流麗なプレイヤーが、じつはその瞬間瞬間の思いつきではなく、山のようにあるストックフレーズからその場に当てはまるものを取ってきて吹いているだけだということを我々は知っている(それが悪いという意味ではないですよ、もちろん)。しかし、このクリフォード・ジョーダンのプレイのような演奏こそジャズの醍醐味であり、そのなかから新しいものが生まれる可能性があることはまちがいない。クリフォード・ジョーダンにコルトレーンの影響があるとしたら、それは、バップ期のような「フレーズの順列組み合わせ」的なやりかたを放棄し、考えながら吹く、というある種精神的な部分ではないだろうか。二曲目の、ロリンズで有名な「オールド・デヴィル・ムーン」を斬新なアレンジで聴かせ、3曲目はシダーの有名な曲「ザ・マエストロ」、そしてラストはジョーダンファンなら誰でも知っている「ハイエスト・マウンテン」……と、選曲もいい一枚。
「HALF NOTE」(STEEPLE CHASE RECORDS SCS1198)
CLIFFORD JORDAN QUARTET
このメンバーもよく見るよなあ。ハーフ・ノートでのライヴなのだが、「ライヴ・アット・ハーフ・ノート」とかいったタイトルではなく、ただ「ハーフ・ノート」なのだ。ピアノがシダー・ウォルトン、ベースがサム・ジョーンズなので、シダーの「イースタン・リヴェリオン」の第一集のドラムをアルバート・ヒースに替えた面子であるが(そのメンバーだと、マジック・トライアングルというバンドになるらしい)、やはりドラムがヒースなのと、フロントがボブ・バーグではなくクリフォード・ジョーダンなので、ああいったハードな楽しみ方はできないのだ。もちろん、クリフォード・ジョーダンのテナーは味わいがある。ハードバップ、コルトレーン的なモーダルなフレージング、70年代ジャズ的スピリチュアルなやり方などがないまぜになった個性的なテナーである。しかし、なんとなく豪快でタフなテナーと思われがちだが、音色はけっこう細いし、フレーズの基本はやはりバップだと思う。シダー・ウォルトンの「ホーリー・ランド」は名曲なので、あちこちで取り上げられているが、ここでの演奏もいい。ボブ・バーグとはまたちがった。歌い上げで聞かせる。2曲目のオリジナルも哀愁漂う。3曲目は「セント・トーマス」で、なんかちょっとジャムセッションの雰囲気。B面にいって1曲目はモンクの「リズマニング」(「サード・セット」でもやってた)。超アップテンポだが、クリフォード・ジョーダンは凄まじいテクニックでこのテンポをバリバリ吹きまくり、圧倒的である。やはり、真価はこういうバップ曲での演奏にあるのではないでしょうか。2曲目はシダーの曲でワルツブルース。明るくスウィングする佳曲で、洒落た雰囲気。4人のコラボもよいが、サム・ジョーンズのベースソロが渋い。ラストは、クリフォード・ジョーダンのファンならおなじみの「ハイエスト・マウンテン」。モードっぽいけど、マイナーブルース的、あるいはゴスペル的な雰囲気もある。ええ曲です。ジャズ喫茶好みのテナーマンであり、そういうアルバムだが、私は好きです。
「THESE ARE MY ROOTS/CLIFFORD JORDAN PLAYS LEADBELLY」(ATLANTIC RECORDING CORPORATION WPCR−27318)
CLIFFORD JORDAN
ライナーによると「黒人らしいアーシ―なプレイを身上としていた人気テナー」のクリフォード・ジョーダンが吹き込んだ異色作ということだが、クリフォード・ジョーダンというとブルーノートの「クリフクラフト」ではハードバップというよりビバップ的な硬派な演奏をのちにサン・ラ・オーケストラの重鎮となるジョン・ギルモアと行い、ドン・チェリーと「イン・ザ・ワールド」というワールドミュージック的なフリージャズの名盤を録音し、シダー・ウォルトンとはボブ・バーグと交替するまでレギュラーとして演奏していたひとだし、「アーシーなプレイを身上」としていただけのひとではない。そういうジョーダンが「レッドベリー曲集」を録音していたなんて知らなかった。ぜったい面白いにちがいないと思ってただちに聞いてみると、やはりめちゃおもろい。柔らかい音で楽〜に吹いている感じの奏法のひとだが、その吹き方がこのアルバムではとくに効果をあげているような気がする。どうしてクリフォード・ジョーダンがレッドベリーなのか。タイトルの「これが私のルーツだ」というのはどういう意味なのか。ブルースやゴスペルではなくレッドベリーというところが興味深いではないか。レッドベリーは、ブルースシンガーではなくフォークシンガーというかソングスターみたいなひとである。本作でも、ブルースは「ブラック・ベティ」1曲だけだ(この曲でのジョーダンのフラジオでのブロウがすごい)。3管編成で、がっちりした編曲(どうやらジョーダン自身のペンによるものらしい)もなされていて、非常にトラディショナルな雰囲気を出しながら、ジョーダンのソロはモダンですばらしい。レッドベリーの曲だけでなく、おなじみの「ハイエスト・マウンテン」も演奏している(これが初演らしい)。いやー、クリフォード・ジョーダンはスティープルチェイスをはじめ傑作が多いが、このアルバムはそんななかでも大傑作じゃないすか! ほんと、つくづく感心した。こんなすばらしいアルバムを知らなかったとはなあ。バンジョー(チャック・ウェイン!)が入っていたり、ベースがリチャード・デイヴィスだったり……とメンバー的にも興味深いし、ボーカルが入った曲があったり、ジョーダン抜きの曲があるなど演奏もバラエティにとんでいて飽きない。傑作! しかし、それにしても邦文ライナーはほぼなにも言っていないに等しいなあ。レッドベリーの曲について、キーがなにで構成がAABAでソロはなにが何コーラスで……というのを全曲書いていってもだれが興味あんねん! と思う(だって、わかるひとにはそんなこと教えてもらわなくてもすぐわかることだし、わからんひとには不必要な知識なので)。ライナーの8分の7がそういうことで占められている。さっきも書いたけど、なぜクリフォード・ジョーダンのルーツがレッドベリーなのか、みたいなことを知りたいのになあ。