kazuyuki karaguchi

「I WON’T DANCE」(NANO PEAKS NN−005)
KAZUYUKI KARAGUCHI

関西の誇る世界的トランぺッター唐口一之の初リーダー作。盟友であるテナーの宮哲之とともに2管+4リズム(ギターが入ってる)の王道ハードバップ編成。内容最高。この録音のとき宮さんは酔っぱらってべろべろでなに吹いたか覚えてない、と本人が言ってたけどほんまかなあ。とにかく全員めちゃくちゃすごい演奏で惚れ惚れする。長く待ったが待った甲斐のあった初リーダー作だと言える。選曲もすばらしく傑作としか言いようがない。本作のライナーノートを書くという栄誉を賜ったので、ここに再録しておきます。

 ああ、ありがたいことだなあ。これほど待ち望まれたアルバムというのもちょっとないのではないか。しかし、全国の唐口ファンの皆さん、これで安心である。きのうまでは唐口一之がいかにすごいミュージシャンかを伝えようとしても、肝心の「音」がなく、ライヴハウスに行ってくれというしかなかったが、今日からは本作がある。もうやきもきする必要はない。黙って、このアルバムを差し出せばいいのだ。それにしてもこのすばらしい作品が、唐口一之の初リーダーアルバムとは信じられない。リーダー作どころかサイドマンとして参加しているアルバムも多くないのだ。まあ、つまらない作品がたくさんあっても意味ないが、本作はさいわいにして、唐口一之のふだんのあの魅力的な演奏をそのまま詰め込んだ、非常に充実した内容になっている。艶やかで粒立った「音」はもちろんのこと、同じフレーズでもなぜこのひとの吹き方はこんなにも心地よいのかといつも驚く。金属に息を吹き込むだけでここまで豊かな表現が生まれることに単純にびっくりする。ビバップのフレーズというのは、順列組み合わせで出していくだけの機械的なアドリブになりがちだ。結局そこにどれだけ心をこめられるかどうかによって、同じフレーズでもいきいきとしたものになったり、死んでしまったりする。唐口一之は、ビバップフレーズに命を吹き込む天才なのである(それはこのアルバムの共演者全員にいえることだが)。願わくは世界中のジャズファンが、このアルバムを聴いて、日本の大阪にこんなすごいトランペッターがいたのかと瞠目してくださることを。
 唐口一之……とここまで書いてきて、なんかしっくりこないということに気づいた。関西のミュージシャンやジャズファンは、尊敬と親しみをこめて唐口さんのことを「唐さん」と呼ぶ。どこへでも自転車で行くひとで、昔からちょっとしたツーリングぐらいの距離を平気で毎日走っていた。今は、和歌山の田舎に住んでいて、米や野菜を作り、鶏を飼い、ほぼ自給自足の半農半ジャズ生活を送っている(先日もチェンソーで木を切っていて、手を怪我したらしい。そのときは「唐さんが怪我したらしいで」という情報が関西中に一瞬で広まった)。大都会の夜に生まれたジャズと、大自然のなかでの生活は相反するようにも思うが、唐さんのなかではなんの違和感もなく両立しているのだ。ここに収められた演奏にそういった背景があると思うと、聞こえ方が変わってきませんか。
 生き方も含めて、プロ・アマ問わず関西中のミュージシャンに敬愛されている唐さん。私が「永見緋太郎の事件簿」というジャズミステリを書いたとき、物語の語り手を「唐さん」というあだ名のトランペット吹きにしたのは、唐口さんへの自分なりのトリビュートのつもりだった(ただし、作中の名前は唐島ですが)。今、世界中を見渡しても、これだけハードバップを「今現在の音楽」として意味あるものにしているミュージシャンは少ないと思う。関西の共演者やファンは皆、どうしてこんなにすごいのに唐さんはもっとみんなに知られるようにならないのだろう、と首をかしげていたはずだ。それは、本人のシャイな性格もあったと思うが、そういう苛立ちを解消する機会がやっときた。関係者に感謝したい。

「AT NIGHT」(FOLLOW CLUB RECORD FC−015)
KAZUYUKI KARAGUCHI

 前作(初リーダー作)から10年を経た第二作。どんだけ気ぃ長いねん、と言いたくなるほどファンを待たせた唐さんだが、待たせただけあって今回も傑作となった。前作は2管+4リズムのハードバップの王道的編成だったが、今回はピアノとのデュオということで、唐さんの歌心、リズム……だけでなく見事な(しかもさりげない)テクニックやすばらしい音色などがいっそう明瞭に聞き取れる。あいかわらず選曲もいい。ケニー・ドーハムがらみの曲が多いが、リーダーの好みなのだろう。地味なアルバムと思うかもしれないが、噛めば噛むほど旨味がじわーっと湧いてくる、スルメみたいな作品である。ジャケットを描いている杵村直子さんは、前作のジャケットその他を描いていた廣本直子さんと同一人物だろう。10年の時を隔てて、この二作がつながっているように感じるのはこのジャケットのせいもあるだろう。
1曲目はアントニオ・カルロス・ジョビンの「ONE NOTE SAMBA」。軽快なリズム。唐さんのトランペットのブリリアントかつ渋い音色は健在。バップをベースに歌いまくるフレージングも。2曲目はチェット・ベイカーの愛奏曲で「I’VE NEVER BEEN IN LOVE BEFORE」。唐さん歌いまくり。お見事。最初から最後まですばらしい。リズムもノリも完璧。米国人ソングライターFrank Loesserの作詞・作曲で、元は1950年代のミュージカル「Guys & Dolls」の中で歌われたそうです。3曲目はまたまたジョビンの曲で「CORCOVADO」。バラード的に演奏される。くすんだ音色。表現力。ジャズ的。抑制。歌心。ニュアンス。完璧。ノリ。リズム。リリシズム。なにからなにまで隅から隅までよだれが垂れるような美味しさに満ちている。ジャズだ。ピアノソロも明るさと暗さが同居しているような、この曲の本質そのもののような演奏。4曲目は「BLUE SPRING SHUFFLE」で「クワイエット・ケニー」に入ってるドーハムの曲。曲名を知らなくても、聴いたら、ああ、あの曲……と思い出すのではないか(私もそうでした。トランペットのひとはきっと曲名も知ってるのだろうな)。ブルース。この曲をピアノとのデュオで切々と聴かせる唐口。微妙なイントネーション、タンギング、強弱などでのブルース表現。すばらしいとしか言いようがない。5曲目は「MY IDEAL」でこれもドーハムが「クワイエット・ケニー」で取り上げている曲。歌いまくりのバラードで、低音でしめくくるエンディングもかっこいい。6曲目はおなじみの「オルフェのサンバ」で、多くのミュ―ジシャンが取り上げている曲だが、ドーハムも演奏している。ピアノソロも明るく陽気にがんがんいく。ラスト7曲目はこれも超有名曲「WHEN YOU WISH UPON A STAR」でディズニー映画「ピノキオ」の主題歌。アルバムを締めくくるにふさわしいバラード。最後のテーマに入る直前の歌い上げなど、感動的である。ラストテーマ〜カデンツァの吹き方もトランペットのあらゆる技法がさりげなくここに注ぎ込まれていて、見事な音楽的カタルシスをもたらす。今回もまた、光栄にもライナーを書かせてもらったので、ここに再録したい。

「唐さん」の愛称で親しまれている唐口一之の初リーダー作『I WON’T DANCE』が発売されたのは2012年のことである。このすばらしいトランペット奏者についてだれかに紹介したくてもアルバムがなく、もどかしい思いをしていた関西の唐口ファンにとっては、溜飲が下がるような快事だった。内容的にも大傑作で、唐口一之を知らなかった世界中のジャズファンを驚かせたのである。
 しかし、あれからすでに10年が経過している(私にとっては、ライナーを書いたお礼に、と唐口さんからビール券をもらったのが昨日のことのようだが)。そろそろ第二作を……と待ち望むひとも多かっただろう。そんな声に応えたのがこのアルバムだ。私はひと足先に聴かせていただいたが、10年経っても唐さんのトランペットは衰えるどころかますますその表現力に磨きがかかり、聴くものの耳をそばだてずにはおかないつややかな音色やため息が出るような見事な歌心、心地よくツボを突いてくるスウィング感、ぴしっと芯の通ったリリシズムなど、魅力のすべては以前のままで、しかもより一層深くなっている。自然で、まったく押しつけがましくないのに、かといって地味ではなく、聴き手を引き込みまくる。とにかく音色、フレーズ、ノリ……なにもかもが聴いていて気持ちいいし、「ジャズとはなんですか」とジャズを知らないひとに質問されたら、私はこのアルバムを手渡して「ジャズとはこれです」と答えるだろう。
 前作はテナーサックスを加えたクインテットというハードバップバンドの王道的編成だったが、本作はピアノとのデュオ、というのもうれしいではないですか(しかも、ピアノは前作にも参加していた竹下清志である)。ふたりきりなので唐口一之のトランペットの渋くてかつ輝かしい音や細かいテクニックを駆使した絶妙な表現の数々が、よりリアルに伝わってくる(録音もいいのです)。
 管楽器とピアノのデュオというのは、ありがちなようでじつは非常にむずかしく、伴奏者とソロイストの関係を越えて、互いに刺激を与え合い、絡み合うなかで、リズムやハーモニーを押し出さねばならないが、このふたりはそんなむずかしさなど微塵も感じさせず、ただただリラックスして、楽しんで演奏をしているように聞こえる。聴いているとこちらも楽しくなってくる。さすが関西の重鎮ふたりだ……。
 いや、ちょっと待て。重鎮だとかキャリアとか年齢とかは関係ないのだ。ここで聴かれるふたりの演奏は、音楽をする喜びにあふれ、まるで若者のように飛び跳ねているではないか。もちろん年月とともに深みを増しているのは事実だが、ぼーっとしてただただ馬齢を重ねているのではこうはならない。おそらくふたりとも新しい表現はないか、面白いことはないか、と日々意欲的に前進を続けているからこそ、こういう演奏がライヴの場でさらりとできるのだろう(さらりとしているようで実はめちゃくちゃホットなのだが)。
 ジャズファンはもとより、クラシック、吹奏楽、ロック、ジャズを問わず、世界中のトランペット吹きに聴いてもらいたいアルバムの誕生を喜びたい。