「NAPULE−TAN」(地底レコードB39F)
川下直広トリオ
その昔、フェダインが話題になってきたころ、あるひとがめちゃめちゃ誘うのでライヴを観にいったのだが、いまひとつぴんとこなかったのを思い出す。ドラムもベースも私の好みにどんぴしゃりなのだが、サックスが「おや?」という感じなのだ。その「おや?」はもちろん下手だとかおもしろくないとかいうのではなく、とにかく「おや?」だったのだ。今ならその「おや?」がちゃんと分析できる。つまり、フリージャズ〜フリーインプロヴィゼイションではない、ということに違和感があったのだ。フリークトーンを多用しようが、ダーティートーンでブロウしまくろうが、めちゃめちゃ「フツー」である。川下さんは、フリージャズとかいった狭いジャンルに押し込めることがそもそもまちがいなのだ。たとえば片山さんなら、フリージャズのひとがこういうこともする、ああいう演奏もする、といった聴きかたができるが、私は川下さんも(年齢的に)そういう風に思っていたのだろう。そうではなくて、川下直広はもっともっとジャズのひとであり、オーソドックスなテナー奏者であり、パワフルで独創的ですばらしいミュージシャンなのだ。そして、なによりこのひとは「自由」だ。正直言って、今、多くの若手ミュージシャンは、一部の悲しい例外をのぞき、たいがいフリーだのバップだのなんだの、といったカテゴライズにとらわれることはない。自分がおもしろいとおもったことを、ものすごく素直に、ごくフツーに演奏する。ジャンルの壁など、簡単に飛び越えてしまう。しかし、一世代まえのひとたちはそうではない。壁を超えるのに、かなりの努力と精神力を必要とする。もがいて、あがいて、試して……そして越境するのだ。自由を獲得するのだ。そういったミュージシャンを見慣れていると、川下さんのような(これは単なる聴き手の印象なので、本当はどうだかしらんけど)スーッといろいろなところに到達できるひとは、この世代では珍しいと思う。本当に飄々とした、すばらしい、個性をもったテナー吹きだ。これもまた勝手な私見だが、今のそういったミュージシャンの先駆者的な、生来の自由な演奏家なのではないか。多くの後進に、指針を与えているのではないか。そう思った。本作は、そんな川下さんの直球勝負な、ハードでハートフルな演奏が詰まっている傑作だ。真摯で、聴衆と、共演者と、はっきり向き合った、自分をさらけだしたプレイが最初の一音から最後までずーっと続く。林栄一さんなどと同じく、ワンノートにこめる思いが半端ではない。ライヴということもあって、大づかみで荒い部分もあるが、一瞬たりとも手を抜かない演奏なので、ほんとうに聴いていて気分が解放される。三曲目にクリフォード・ジョーダンの「ヴィエンナ」をやってるのもうれしいし、おなじみの「股旅」やアイラーの曲(「ジェニ・ジェニ」みたい)など、とりあげている素材も興味深い。ベースの不破さん、ドラムの岡村さんも、川下さん同様の真摯でまっ好勝負の演奏ですばらしい。ええなあ……ほんまに最高だとおもいます。酔ったかな。
「GUESS EVERYTHING REMINDS YOU OF SOMETHING」(地底レコード B11F)
川下直広 & 山崎弘一 DUO
正直な話をします。川下さんというひとは長い間興味の範疇から外れていた。なんでやねん、おまえ好みのテナーやんか、という意見が山のように寄せられると思うが、だって、そうなんだもん。たぶん、はじめて生で聴いたとき、いや、それから3回ほど生で観たときの印象が、ぴんとこなかったのだ。これは正直な話なので、いや、私のアホ耳を笑ってもらっていいですよ。だから、フェダインをあるジャズ喫茶のマスターが熱烈にプッシュしたときも、内心では、そんなにええかな、と思ったし、熱心には聞いていなかった。それが180度変わったのがこのアルバムを聴いたときで、どこで聴いたのか忘れたが、とにかくめちゃめちゃ凄いと思った。完全に私の好み、というか、こういう風に吹きたいという演奏だった。デュオの相手である山崎さんは、昔からアケタトリオでかなりの回数、生で聴いていて、その凄さにはほとほと惚れ込んでいたのだが、そうかー、川下さんってすごいテナーなんだなあとあらためて思った。そのあと、以前のアルバム(フェダインとかいろいろ)聴き直してみると、どれもめちゃくちゃ良くて、さすがに自分の耳の馬鹿さ加減に呆れました。というわけで、このアルバムは、傑作ではあるが、それだけでなく、私にとって大事な大事なアルバムなんですね。このアルバムはなぜかコンポーザーのクレジットがないのだが、1曲目の「アフリカ」という曲は、コルトレーンのあれではない。ものすごくいい曲で、ベースのイントロからテナーがサブトーンで「ずずず……」と入ってきてテーマを奏でるあたりからすでにぞわぞわと総毛立つ感じ。テナーとベースのデュオだが、その密度の濃さは半端じゃない。2曲目はソプラノによるビートルズの「イエスタデイ」だが、途中から川下さんの個性がどんどん発揮されていき、ああ、ジャズというのは個性なのだ、というあたりまえのことを再認識させられる。このひとは、ヴァイオリンも含めて、いろいろな楽器の「音」を自分なりに編集して、いちばん聴衆に伝わる形で届けようと努力している。そのひたむきさに感動せざるをえない。3曲目は長いベースソロではじまる。これが超かっこいいんです。川下さんのテナーはダーティートーンもまじえながらブロウする姿は、イリノイ・ジャケーやローランド・カークなどのブラックテナーを彷彿とさせる無骨で豪快な、コールマン・ホーキンス以来のテナーの伝統を感じさせるのだった。この激しいヴァイブレーション(たんにビブラートというのはちがうと思う)は、アーネット・コブ、サム・テイラー、ビッグ・ジェイ・マクニーリー、カーク、アイラー……という、フリージャズ、インプロヴィゼイションが無視してきたブルース的なテナーの系譜を思わずにはいられない。4曲目はおなじみの「ブルー・ムーン」をソプラノで。5曲目はこれまたおなじみの「ベサメ・ムーチョ」。私もバンドでやったことがあるので興味津々だが、びっくりするほどストレートな演奏。シェップ以来、「スタンダードの解体と再構築」というものが論じられてきたが、これは解体もしていないし再構築もしていない。ひたすら「ベサメ・ムーチョ」の俗な魅力を、ジャズマンふたりがそれぞれに表現した演奏だと思う。6曲目は、ベースソロではじまる「アローン・トゥゲザー」。シリアスなベースの歌。そして、黒々としたテナーが入ってくると、メロディを大事にしながらも、というか、メロディを大事にするあまり狂っていくような演奏に。これは数ある「アローン・トゥギャザー」の演奏のなかでも名演というべきではないか。7曲目は、1曲目の「アフリカ」の別バージョン。フリーキーで激しいイントロが延々と演奏されるが、ここがすばらしい。そして、せーのでテーマに入るところもかっこいいのだ。ファラオ・サンダース的なモーダルジャズ。8曲目は、正攻法に攻める演奏。野太いテナーとそれにからむ野太いベースが聞ける。山崎さんのベースは、昔は鋭いイメージだったが、こうして聴くと太い。9曲目はテナーの無伴奏ソロ。すばらしい。こういう演奏がしてみたい。息づかいもあらわに、リアルに録音されていて、これを聴いて心を動かされない人間がいるだろうか。アホみたいな音楽は、なにもしなくてもこういう本物によって駆逐されるでしょう。10曲目は「ナウズ・ザ・タイム」。ちょっとテーマの吹き方が面白い。フェイドアウトされて、このすばらしい作品が終わる。傑作。
「初戀」(地底レコード B67F)
川下直広カルテット
川下トリオにプラスワンという形で山口コーイチのピアノが入ったり入らなかったりというのがしばらく続き、この度正式加入になったということで、充実しまくるカルテットのデビュー作である。私はたまたま2回観たのだが、それは本当にたまたまで、東京で打ち合わせが早く終わり、なにか行ける範囲で面白そうなライヴをやってないかと探したらそれが二回ともなってるハウスでの川下グループだったというだけだ。そして、二回とも2ステージ目しか聴けなかったし、二回目などはラストの1曲とアンコールしか聴けなかったのだ。そのうえ、二回とも(しつこいようだが)お客さんは少なかったが、川下さんをはじめ全員手抜きなしの白熱の演奏で、短い曲数でもものすごく腹いっぱいになるほどの充実感があった。川下さんは正直、フェダインのころより凄いんじゃないかと思えるほど凄みと深みが増しており、ぜったい今聴くべきひとだと確信している。さて、本作は愚直なまでに真っ当というか正攻法というかストレートアヘッドな「ジャズ」アルバムであり、まずはその選曲においてすでにこのアルバムの「主張」が現れている。それは控えめな、わかるひとにはわかるという感じの主張かもしれないが、わかるひと(という言い方も嫌だが)にはかなり胸にこたえるぐらいの強さでわかってしまうだろう。声高にアーダコーダとなにかを述べることはないが、しかし、凛と張った弓のような切迫感とともにこのアルバムは今の日本や世界の置かれている状況へのある種の哀しみを提示しているように思える。それはキャッチにあるような「ジャズ永久革命の高鳴る鼓動」とか「あらたなジャズ戦場への招待状」とか「吶喊の声と共に狼煙は上がった」とか「硝煙の匂い」とかいったものとは一番遠いもの……世界の状況とか現実(いや、そうと決める必要はなく、「森羅万象」でもいいのだが)への深く重い哀しみや怒り、嘆き、諦め、涙、そして少しの希望……みたいなものを表現しているように感じる。ほとんどがバラードに属する演奏で、アップテンポのものも少しはあるが、基本的にはゆったりとしたリズムのなかでテナーがときに切々と、ときに優しく、ときに荒々しく、ときに奔放に、ときに泣き叫ぶようにメロディを歌いあげていく。この人間味あふれる手作り感は半端はない。そして、バラードなのにどんどん白熱し、演奏が熱く熱く上昇していく。めちゃくちゃ上手いひとなのだが(以前、ライヴでカリプソの曲を聴いているときにそう感じた。フレーズが湯水のごとく溢れ出るのだ)、流暢に吹いているのにどこか武骨で骨太で、いい意味での粗さを感じる。ビブラートのつけかたも、ムード歌謡のようであったりする。そこが超かっこいい。川下直広のテナーは、フリージャズの闘士というより、バラードシンガーのようだ。いや、ちがうか。演歌歌手のようだ。いや、これもちがうか。スナフキンが演歌を歌っている……これもまるでちがうか。とにかくスタイリッシュでかっこいいのだ。もちろん山口コーイチの取り憑かれたようなピアノ、不破大輔の野武士のようなベース、岡村太のパワフルなドラム……伝統に立脚しつつ新しいものを見据えたミュージシャンたちのプレイも手応えのある演奏で応えている。アレンジとかも含めてラフな感じに聞こえるかもしれないが、恒常的なメンバーでの「バンド」の強みで、ほかにはない一体感があり、4人がしっかり結びついているのが随所でわかるのも心地よい。CDプレイヤーのスタートボタンを押すと、一番最初に、なんのイントロもなく、川下さんのテナーの音が飛び出してくる。そして少し遅れてピアノなどがからみついてくる。このぶっきらぼうというか?き出しというか飾り気のない1曲目の冒頭こそが、このバンドの、このアルバムの、そして川下直広というひとを表していると思う。1曲目はチャーリー・ヘイデンの「ファースト・ソング」で、ゆったりしたテンポで演奏されるテーマ→テナーソロは、とくにムードテナー的な感情過多にもならず、かといってバラードでの絶叫的・攻撃的演奏というわけでもなく、ただ淡々としたもので、それがかえって深い哀感を感じさせる。つづくピアノソロも同じく淡々としており、ラストテーマでややリットするところも含めて、本当にスーッとした演奏。この4人ならもっとガンガンに盛り上げることも、ヒステリックにブロウすることも、どしゃどしゃ叩きまくり弾きまくって、この曲をエキサイティングな修羅場にしてしまうこともたやすかったろうが、そうしなかった。この演奏をトップに持ってきたことが、このアルバム全体の主張(?)なのだろう。それも声高ではなく、穏やかな主張だ。2曲目はピアノのイントロからはじまるエディ・ゲイルの「ザ・レイン」。ゲットー・ミュージックというアルバムでも輝いていたこの曲を、川下4は見事によみがえらせた。冒頭のピアノのイントロも、3拍子のテーマのメロディも「雨」を表現しているのだろう。川下さんの独特のノリ(とくにテーマ部分で顕著)の吹き方がたっぷり詰まっている。ピアノソロもさらっと弾いているようで、ものすごく個性的なのだ。この演奏、土砂降りではなく、いつまでも降り続く雨……という感じだが、やはり哀しみをどうしても感じてしまう。しかし、それは打ちのめされた最悪な状態というのではなく、悲しい現実を受け入れようよ……というような感覚に思える。3曲目はバート・バカラックの「アルフィー」で、ストレートなジャズバラードとしての演奏。途中、少しブロウがあるが、全体としては渋めの、ぐっと抑えた表現でめちゃかっこいい。歌心溢れる演奏。4曲目は「不屈の民」。この選曲にも意味があると思うが、これまでとはうってかわって、慟哭の無伴奏ソロではじまり、グロウルしながらテーマを歌い上げる熱い演奏。しかし、ひたすらフリーキーに突っ走るというわけではなく、底のほうでマグマがぐつぐつ煮えたぎって、それが時折噴出する……といった感じだ。テナーにからみつくピアノや、フリーに弾きまくるベース、パルスのようなドラムがリズムを大づかみにしながらテナーを盛り立てていく。まるで4人が4人とも同時にソロをしているようだが、ちゃんと一体感もある。こういう演奏はこのひとたちならお手の物だろう。この曲は最近出た高木元輝のソロパフォーマンスのものが記憶に残っている。あれはソプラノによるものだったが(と書いて聞きなおしてみたらテナーでした。すいません)、淡々としたなかに慟哭が感じられるのはこのアルバムでの演奏と同じである。5曲目は大スタンダード「ミスティ」。ドラムのブラッシュとテナーのデュオによる即興から幕を開け、テーマに入る。愛おしそうにメロディを吹くテナー。全体に高音部で吹いているが、サビのところから一転して深い低音になるあたりが絶妙。ぐねぐねと螺旋状にのたうつようなバラードだが、それでもなぜか美しいのだ。この演奏にかぎらず、川下さんを聴くといつも、「サックスって人間が吹いてるんだなあ」と思う。超絶技巧で疾走するようなタイプのサックスも好きなのだが、川下さんのような人間味あふれる吹き方には毎回まいってしまう。といって、川下さんが超絶技巧ではない、ということではなく、ライヴでは何度も「うぎゃーっ、めちゃくちゃ上手いやん!」と叫びたくなるようなものすごい瞬間を何度も経験している。それを露骨に外にあまり出さないだけなのだ。ピアノソロ→ベースソロもいい感じ。ベースソロの最後がランニングになってテーマに入っていくところも好き。6曲目はアーチー・シェップのアルバムで有名な「シングス・ハヴ・ガット・トゥ・チェンジ」でカル・マッセイの曲。4人によるフリーな即興ではじまり、あの、聴いているだけで拳を突き上げたくなってくるようなテーマがはじまるのだが、高音部で叫ぶような箇所の吹き方というか音色というか、これがもうタマランのです。テナーの、いや川下さんのためにあるようなメロディラインで、こういう濁らせ方というか、ほんとに「心得てますなー」という感じで、こういうのを聴きたいがために私は日々音楽を聴いてるのである。本アルバム中ではもっともアグレッシヴな演奏ではないか。めちゃくちゃかっこいい! こってりしたピアノソロもすばらしいが、そのあとのベースソロの入り方とかもかっこいい。かなり自由なドラムソロから、テナーがからんできてデュオになるあたりもめちゃ好みである。そして、混沌としたなかからテナーがテーマを吹きはじめる。あー、マジかっちょええ。7曲目は「この世の果てまで」。洒脱な、楽しい演奏だが、ここまで聴いてきてコレというのは、なんだかしみじみしてしまうよね。ええ曲や。ベニー・グリーン(トロンボーンの)の「君住む街角」を思い出した。こういうのも川下さんは上手い。モダンで洒落たピアノソロも、外し方がなんともいえない。そしてラストはなんと尾崎豊の「アイ・ラヴ・ユー」。テナーの無伴奏ソロからテーマに入るが、震えるような独特のビブラートがかかった演奏でほとんど全編ストレートにメロディを吹くだけなのだが、その吹き方がめちゃくちゃ個性的で川下節全開なのだ。心に染み入るような演奏で、これなら尾崎豊ファンも納得するのではないか。アルバムの最後をしめくくるにふさわしいエンディングである。というわけで、いやー、バラードでした。バラードにつきる。すばらしいアルバムでした。傑作なのでみんな聴くように。
「漂浪者の肖像」(OFF NOTE/AURASIA AUR−2)
川下直広
川下さんのこんなアルバムは実は存在も知らなかったが、某所で教えてもらい、聴いてみて驚愕。めちゃくちゃ凄かった。いやー、びっくりしたなあ。テナーサックスのみの演奏で、1曲目から5曲目までは無伴奏ソロ。1曲目の「トゥー・ヤング」からかなりびっくりする。ソロでここまでなあ……という感じ。とくにものすごいことをしているわけではないのだが、とにかく真摯に吹いているだけでここまでの高みに到達してしまうのが驚きなのだ。ナット・キング・コールのバージョンでよく知られているあの曲だと思うが、これを1曲目に持ってくるというのも大胆である。2曲目は「セント・トーマス」で、テナーの無伴奏でカリプソというかラテンリズムを感じさせるのもむずかしいと思うが、そういうことが枝葉末節に感じられるほど、おおらかで豪快な演奏。歌心爆発の迫真のブロウが展開する。フリーにいってしまうならともかく、リズムとコード進行をしっかり保ったまま自分を表現するというのは非常に難しいと思う。といって、ブランフォード・マルサリスがやっていたように、「いかにもリズムセクションがいるかのように」サックスソロを吹くというのは、なんの意味があるのかよくわからない。川下さんはあくまでテナーソロである自由さ、フリーにいってもかまわない、というスタンスのなかで、カリプソを保ち続けている。すばらしい。しかし、テナーソロの白眉はここからで、3曲目の「バラ色の人生」と「ケセラセラ」のメドレーは最高としか言いようがない。ゴリゴリ吹きまくるイントロ(?)から、武骨に歪んだシャンソンがじりじりと吹奏される。それは「人間」としかいえない音楽で、ああ、音楽ってこういうのでいいんだなあ、とこれまで切り捨ててきたいろいろなものを肯定してくれるような演奏だった。こう書くと、いい加減な演奏と思うひとがいるかもしれないが、とんでもない話で、川下直広という人間がそこにいて、自分き生きてきた人生を大声で、ときに照れながら、ときに堂々と、ときにグズグズとブツブツと語っているような演奏だ。アーネット・コブの演奏を、バディ・テイトが「今からテナーサックスの巨人が皆さんにストーリーを語ります」と紹介していたが、まさにそんな感じ。つまりは「シャンソン」なのだ。この3曲目のあたりで聴いているほうは完全に「つかまれて」しまって、リズムセクションなんかいらーん、という気になっている。というか、ソロであることを忘れている。つぎの「これからの人生」という曲はよく知らんけど、ミッシェル・ルグランの曲だそうだ……と言っても、聴いてみると知っている曲なのだが、どこでいつ聴いたのかはわからん。この演奏など、ひとりオーケストラといってもいい表現で、高音部で泣き叫ぶような部分に心動かされないひとはいないだろう。テナーというのはこういうふうに吹くために生まれた楽器なのだ。テナーサックスという楽器のなかに生まれる衝動を川下さんは忠実に吹奏しているのだ。ヴァイオリンも弾くし、ソプラノも吹くし、ほかの楽器も扱うひとだが、川下直広はテナーの申し子だと思う。曲自体にはなんの意味合いもなくても、川下さんが吹くとそこに慟哭が加わるのだ。そして、「友よ」から「今日の日はさようなら」のメドレーも、川下さんの経歴を知っていればなるほどと思うだろうが、そうでもなくてもこのブロウの説得力はとんでもない。とくに高音部の戦前ブルースシンガーのようなシャウト、生々しいビブラートなどは、聴く者の心を揺り動かす。実際に吹いてみると、テナーのかなりの高音部ばかりを使っていて、テクニック的にもむずかしいのだが、もちろんそんな域を超えた「絶唱」だ。ああ、めちゃくちゃかっこいい。サックスの無伴奏ソロでこれだけ聴かせるというのは、なかなかできることではない。私はCSで海外のジャズミュージシャンが毎回30分ソロをするという番組が好きで、けっこうよく観ているが、ものすごく上手いひとも、いろいろギミックを使うひともいるのだが、たいがいは「うーん……」と思ってしまうものが多い。それに比べると、川下さんのテナーソロはめちゃくちゃすばらしいと思う。6曲目からは渡辺勝のピアノ、ボーカル、ギターが加わって、ますますフォーク的になるが、このふたりの演奏をちょっとまえに「なってるハウス」で観たばかりである。なってるハウスではPAのせいで歌詞があまり聞き取れなかったが、こういう具合にはっきりと歌詞がわかるとその凄さがわかる。雑な言い方かもしれないが、このひとの歌い方は川下さんのテナーの吹き方とよく似ていると思う。まるで双子のようなデュオ。心に染み入る。そして、このアルバムでなにより好きなナンバー「ベアトリ姐ちゃん」。田谷力三などの浅草オペラで有名な曲だが、渡辺の歌い方はオペラとはまるでちがうにもかかわらず、なぜか浅草オペラの匂いを放つ。川下のテナーもアコーディオンのように響く。一曲挟んで最後はおなじみの「ラジオのように」だが、これもいいんですねー。船戸博史のベースをはじめ、ほかのメンバーも全員、この曲を演奏するふさわしいメンバーで、嬉々とした雰囲気が伝わってくる。傑作としかいいようがないアルバム。ある意味、川下直広の代表作ではないかも思います。すばらしい!
「RADIO」(地底レコード B28F)
KAWASHITA NAOHIRO FUWA DAISUKE YOSHIGAKI YASUHIRO SHIBUYA TAKESHI
何度聴いても傑作だとしか言いようがない。上手さと熱気が同居した音楽というのは、じつはそんなにないと思う。しかし、本作は上手さと熱気の同居などという次元をはるかに飛び越えて、そんなものはどうでもいい、という境地で演奏しているようだ。聴いているとスピーカーから熱風が吹き出してきて、その熱さが快感で顔を突っ込んでいるうちに「あっちちち……!」と火傷するような炎の演奏である。もちろん4人とも超絶技巧のひとたちなのだが、もう、なんか、こういうものを聴いてテクニック云々とか話すこと自体が無粋な気がする。そんなものは当然「ある」のだ。もともとカセットで発売されていた演奏だが、CD化にあたってカセットとはちがうテイクが採用されているらしい。テナー、オルガン、エレベ、ドラム……というソウルジャズの定番的な編成だが(渋谷さんはピアノは弾かずオルガンのみ)、どこを切ってもそんな音は出てこない。ひたすら熱く、その場限りの魂のぶつけ合いが展開する。ずっとビート感はあるし、コードもあるのだが、これは「フリージャズ」、それも、古いタイプのフリージャズだと言い切っていいと思う。つまり、オーネット・コールマン、アルバート・アイラー、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダース、ローランド・カーク、チャールズ・ミンガス……などがやっていたような、「ジャズ」を引きずっている演奏だ。俺はとにかくこういうのが好きなのだ。フリージャズという言葉自体、いろいろ問題があって、使うのははばかられるが、この演奏にかぎっていうと、「フリージャズ」以外に適切な言葉は見あたらない。こういうと「古いタイプ」という言葉に引っかかって、けなしているのではないかと思うひともいるかもしれないが、これは私にとって最大級の賛辞であって、ほかに適当な言葉が見つからないから使っているのだ。音楽において「古い」はいかんのか? ジャズはどんどん新しくなっていく、みたいな妄言を信じているからそう思うのでは? オーネットもアイラーもデヴィッド・ウェアもカークもコルトレーンもドルフィもいない今、彼らの音楽の上澄みだけすくって形を整えているひとたちの演奏を聴くしかない状況で、ここに聴かれるような、彼らに等しい感動と興奮を与えてくれる(それは「なぞっている」ということではなく、まさに「等しい」のである)演奏がいかに貴重か、ということであって、それを「古いタイプのフリージャズ」といういささか適切でないかもしれない、乱暴な言葉にこめているつもりである。幸い、日本にはそういう凄いミゅージシャンがいて、今日(こんにち)のフリージャズを奏でてくれているので、本当に感謝しかないし、いい国に生まれたなあと(音楽的な意味においてだけは)思うのである。1曲目、まず川下直広のテナーが伴奏ソロでざらついた音色でマイナーなメロディを歌いあげるところですでにこのアルバムの成功は保証されたようなものだが、そのあと鋼鉄のようなエレベのラインが入ってインテンポになってからは、ひたむきな5人(ソプラノのジャンニ・ジェビアも含めて)の灼熱の演奏に巻き込まれてあれよあれよという間に聞き終えてしまう。芳垣のシンプルなドラムや、不破のごついベース、そして、過激なオルガンによるリズムセクションはもう最高すぎて聴くたびに「ひえーっ」とのけぞる。2曲目は「ラジオ」という曲名(アルバムタイトルにもなっている)だが、聴いてもらえばわかるように「ラジオのように」である。川下さんのかなり高音部中心の自由なリズムでの演奏ではじまり、その流れに身をゆだねていると、ベースがラインを弾きはじめる。そこにオルガンがささやくように入ってくる。この快感をなんと表現したらいいのか。王道? そう、王道だ。かっこよすぎる。川下さんの、どう聴いても川下直広以外ではないテナーのニュアンスにうるうるしてしまう。これだけ個性的な音を出すひとは貴重だ。そういう意味ではここにつどう4人、全員そうなのだ。こういう長尺の演奏で、ダレることなく、切迫感をキープしながら高みを目指していくような演奏は呆れるというかなんというかすばらしすぎる。渋谷さんのわけのわからんオルガンソロもワンアンドオンリーで美しい狂気の産物である。美しいといえば、途中から入ってくるキラキラしたマンドリンか大正琴のようなトレモロの弦楽器は川下さんのヴァイオリンか、オルガンのそういう音なのか? これも狂った美しさがあって好きだ。ラストテーマで朗々と吹きあげるテナーのバックにおけるへヴィすぎるリズムのかっこよさはもう筆舌に尽くしがたい。3曲目も同様で、テナーの自由なソロからはじまり、それにまとわりつくようなリズムセクションとともにテーマに突入する。こんなシンプル極まりないリフで盛り上がりまくるのだから、ジャズはいいですね。とくに渋谷さんのオルガンのめちゃくちゃさは笑ってしまうぐらいすごいです。ゲストとしてソプラノのジャンニ・ジェビア(超上手い)が2曲参加。アルト、ソプラノ、クラリネットなどなんでも吹くひとだが、ここではソプラノに絞っている。このバンドは、5年ぐらいやっていたらしくて、そのあいだゲストをいろいろ入れたりしていたので、本作録音時にたまたまこのひとがゲストで入っていたということらしいが、見事に溶け込んでいる。傑作。
「2019/11/25 @バレルハウス 1」
「2019/11/25 @バレルハウス 2」
「19/11/27 @バレルハウス 1」
「19/11/27 @バレルハウス 2」
川下直広のサックス生活50年を記念して制作されたCD−Rなのだが、現在はコロナ禍もあってダウンロードにより提供されている。川下さんは、テナーを主奏楽器として、アルト、ソプラノ、ヴァイオリン、エレキベースなどさまざまな楽器を枠にはまることなく自由に操るひとであったが、基本的にはテナー吹き、という印象だった。しかし、近年、カーブドソプラノを入手され、それを演奏の基本に置くことにしたらしく、本作もすべてカーブドソプラノでの演奏である。あの、ときに朗々と、ときにフリーキーに奏でられていたテナーのパワーがカーヴドソプラノではやや物足りないかのような気が一瞬、ほんの一瞬だけしたのだが、すぐに、それに代わる魅力が100万倍もあることに気づき、あとはひたすらこの楽器の魅力に耽溺するばかりであった。えらそうなことを言うようだが、川下さんがカーヴドソプラノにシフトした気持ちがわかるような気がする。音程とか楽器コントロールの問題ではない。川下さんはカーヴドと一体になっている。正直言って、聴いていてあまりのすばらしさにハレーションを起こすような輝かしい演奏で、毎日聴いても飽きないような深い内容である。全編スタンダードばかりなのだが、その選曲の妙もよだれが出るほど美味しい感じである。汲めども尽きぬほどの歌心あふれる演奏からフリーキーな表現まで、どの曲も聴きどころに満ちているが、共演の栗田妙子の絶妙の演奏がそれを支えているのは言うまでもない。栗田さんは、近藤直司、泉邦宏……といったサックス奏者たちから絶大な信頼を得ている。皆が栗田さんとデュオをしたがる感じである。まるでマシュー・シップのようにデュオの相手として引っ張りだこであるが、ここでも川下さんのサックスとのからみは本当にすばらしく、聴けば聴くほどのめり込む。この四枚に収められた29曲はまさに「珠玉」であって、これを所持していると「宝物」を持っているような気になる。以下、曲ごとの短い感想を。 「2019/11/25 バレルハウス 1」 最初の1曲目はチャーリー・ヘイデンの「ファースト・ソング」。多くのミュージシャンによって愛奏されているこの曲をカーヴドソプラノが切々と奏でる。サックスもピアノも最高である。なんといい曲だろうか。そして、カーヴドソプラノという楽器とピアノという楽器は、なんといい楽器だろう。淡々としたサックスの吹き方がかえって胸をしめつける。高音部のわざとぴーぴーという感じの音もぶっきらぼうだが心にしみわたる。そして、続くピアノソロは絶妙のリズムといい泣き節のメロディラインといい、聴いていて泣きそうになる。というか、泣く。終わると二人ぐらいが手を叩くが、その拍手には万感がこもっているように聞こえる。2曲目は「ポーギー・アンド・ベス」からおなじみの「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」。このすばらしいバラードを歌い上げる川下さんのサックスには、これまでの50年の蓄積のすべてがこもっているようだ。栗田さんのピアノも珠玉としか言いようがない。エンディングも見事に決まっている。一幕の舞台を観るかのような演奏である。3曲目は「ユー・アー・トゥー・ビューティフル」というスタンダードで、川下さんの無伴奏ソロからはじまる。我々が知っているバージョンだと、たぶんコルトレーンとジョニー・ハートマンのものが有名だと思う。インテンポになり、倍テンでのサックスソロの丁寧さに感動する。「つむいでいく」という言葉がぴったりの演奏である。ピアノソロも聞き惚れるしかないゴージャスな感じ。サックスとピアノのチェイスがあり、ここでありったけの歌心がぶち込まれる。4曲目は私の好きな「シャレード」で、ソプラノサックスと鍵盤ハーモニカの絡み合いによってテーマが提示される。途中でシンプルなビートになり、パリの街角で奏でられるミュゼットのようになる。この一心同体な感じの心地よさは筆舌に尽くしがたい。ラストの5曲目はこれもおなじみのスタンダードで「バーモントの月」。途中で「俺が発明した」という言葉とともに、なにかパーカッション的なものがしばらく打ち鳴らされるが、あれはなんなんだ。録音機の場所のせいか、客同士の会話がけっこう入っているが気にはならない。サックスはひたすら真摯に歌を歌い続けている。このカーヴドソプラノならではの音の揺れ(?)がめちゃくちゃ心地よいのだ。 「2019/11/25 バレルハウス 2」 1曲目は「メニー・リヴァーズ・トゥ・クロス」でジミー・クリフのレゲエの名曲である(CD−Rの盤面に「Livers」とあるのは「Rivers」の間違い)。ハーモニカとピアノによって演奏されるが、まるで黒人霊歌のような響きになっている。このハーモニカが最初は素朴な感じに聴こえていたのだが、次第に盛り上がってくるに比してオーケストラのような迫力で迫ってくる。音楽のマジックである。この歌の歌詞は、まさに今の日本や海外(とくにアメリカ)の危機的状況を連想しないものはいないだろう。軽やかだが熱のこもったピアノソロのあと、へしゃげたような音で登場するソプラノはハーモニカとは違った形でこの曲の一面を引き出している。ハーモニカ以上に「素朴」に聞こえるカーヴドソプラノの味わいはすばらしく、せつなく、哀しい。2曲目はスタンダードで「ライク・サムワン・イン・ラヴ」の非常にストレートなジャズバージョン。かっこいい。3曲目は「モンクス・ムード」。おずおずとしたノリで吹きはじめるソプラノに対してピアノは歯切れよくモンクっぽいリズムをぶつける対比がかっこいい! モンクの曲を単に素材として取り上げる場合もあると思うが、ここではサックスとピアノが絶妙にからみあってモンクの世界が浮かび上がる。4曲目は「スウィングしなけりゃ意味ないよ」で、ソプラノと鍵盤ハーモニカによる、これもまるでミュゼットのような感じの演奏。栗田妙子のピアニカがざんざんざんざん……と大まかにベースラインを弾いていくだけでかっこいいし、カーヴドソプラノ特有の音色で情熱的に語り込まれるソロはすばらしい。ソプラノがベースラインになり、ピアニカがソロを取り出してもその熱さは変わることなく持続する。ずーっと続いている脚のストンプもいい味を出している。最後の延々続く絡み合いの見事さは涙出てくるぐらい。5曲目は「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」。バラードとして演奏される。ソプラノによるテーマがオクターブ上がらずに逆にさがるところとか、すべてが味わいになっていて、もうめちゃくちゃいいです。こんなに説得力があって、歌いまくり、ラフで、しかも繊細なバラードはなかなかないと思う。続くピアノソロもひたすら聞き惚れる。よくぞこの演奏が録音されて、俺のところに届いたなあ、と思う。正直、ここに収められているデュオは私のジャズとかなんだかんだに対する価値観をけっこうぶち壊してくれるのですよ。ほんとにありがたいよ。6曲目もバラードで「ニアネス・オブ・ユー」。食器が触れ合う音とともにピアノによって最高のテーマが奏でられる。その最後の部分からソプラノがそれを受け継いで、奔放なソロになる。こういう演奏を聴くと、川下さんはテナーのバーチュオーゾであることを手放してまで、カーヴドのなかに大きな可能性を見出しているのだなあ、と思う。超絶技巧と歌心とこどもがおもちゃと戯れているような感じなどがごったまぜになって聴き手の心に響く。ピアノソロにバッキングするソプラノがまたいいのだ。ソプラノによるテーマのあとに美しすぎるエンディング。7曲目(うちのCD−Rだと曲間がなく、続いて演奏される)もスタンダードだがたぶん「オールド・フォークス」(だっけ?)。とにかくサックスが歌いまくる。歌心というのはこんなにもひとの心を打つのか。こうなるとスウィングとかバップとか関係ないのだ。ただ、ただ、そのときにあふれてきた歌を歌うのだ。ピアノもまるでサックスとひと続きのように歌いまくる。このときのふたりの一体感はヤバいぐらいだ。ピアノソロ終わりでリズムはストライドのような激しいものだが、ソプラノのテーマはささやくように入ってくる。ほんとかっこいいよね。知り尽くしてるふたり、という感じ。ソプラノのビブラートも最高です。エンディングもすごいです。8曲目は「イン・ア・センチメンタル・ムード」で仙人のような自由自在な感じの演奏。仙人といっても枯れたという意味ではない。楽器と戯れているようなこの演奏は、もうすでに、竹林のなかで親しい友と酒を酌み交わしながら琴を弾き、歌を歌っていたというあの竹林の七賢のような域にあると思う。魂が宙に遊んでいるのだ。これぞ「アドリブ」というものではないでしょうか。規則から逸脱するのがフリーなのではない。自由に心を逍遥させる……それがフリージャズなのでは……とかわけのわからんことを考えさせられるほど、風に乗って西へ東へたゆたうような演奏である。途中でけっこうフリーキーになったりして熱さも感じる。エンディングも、本当にその場で思いついたことをやっている感じで、めちゃくちゃすばらしい。 「2019/11/27 バレルハウス 1」 上記の二日後の同じ店での演奏。1曲目はサッチモの歌で、というかCMでおなじみの「ファット・ア・ワンダフル・ワールド」。テーマの吹き方を聴いてるだけで、もう落涙。ソロに入ると、川下さんの「吹きたいように吹く」……その結果として生き生きとした、人間が迫ってくるような情感たっぷりの演奏が延々と続き、もう、この演奏をひとり占めしたくなる。すばらしいとしか言いようがない。しかも、その場その場で思いついたことを吹いているのだろうが、すごくバランスもいいのだ。栗田さんのピアノソロもダイナミックで、いろいろな技が組み合わされていて聴きごたえ十分。バッキングのサックスもいい感じ。こうして聴くと、サッチモの声でしか頭に再生されていなかったこの曲が、素材としてものすごくいい曲だとわかる。エンディングもすばらしい! 2曲目はシドニー・ベシェの演奏で有名な「小さな花」。ベシェもソプラノ奏者だが、もっとビブラート過多で楽器をフルに鳴らして吹いていたような記憶がある。川下さんはビブラートを抑え、サブトーンを駆使したムーディーな吹き方。テーマが終わってピアノに行くまえに、たぶん川下さんがなにかしゃべっているのが聞こえる。ピアノソロの途中から川下さんがタンバリンを叩き出し、そのあとソプラノ登場。息の音が混じるテーマの吹き方がなんともいえずかっこいい。あー、俺もカーヴド欲しい! 嘘嘘。この曲、川下さんはほとんどテーマを吹いているだけなのだが、それでもものすごくいい演奏。3曲目はこれも有名な「クライ・ミー・ア・リヴァー」だが、この曲めちゃくちゃ好きなのです。最初、サックスの吹くテーマのフレーズを少し遅れてピアノがなぞるような感じではじまるが、このテーマの吹き方がまたかっこいいのだ。しみじみと、メロディを抱き寄せるように、たっぷりの間を開けて、サブトーンやか細い音を交えながら歌っていく。この曲は「私のために川のように泣け」という意味で、つまり、川のような涙を流して泣け、といっているのだ。学生のころ、この曲をソニー・クリスの「アイル・キャッチ・ザ・サン」というアルバム(これも鳴き節なのだ)で聴いて以来大好きなのだが、長い間、ゴスペルかなにかじゃないのかなあ、と思っていた(「ディープ・リヴァー」からの連想か、ゴスペルって、よく「川」が比喩として出てくるような気がするので。そういえばシェップも「ディープ・リヴァー」をあの大傑作「ゴーイン・ホーム」で演奏しているな)が、あるとき調べてみたら全然違っていた。でも、そういう雰囲気を内包している曲で、たとえばシェップなども「クライ……」を演奏している(そういえばシェップは「小さな花」も演奏しているな)。ええ曲やー。本作に入ってる曲はええ曲揃いなのだがそのなかでもこの曲と「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」は大好きです(ちょっと似てる)。そのええ曲を川下〜栗田のコンビがやるのだから、ええ演奏に決まってる、と思って聞いたら、めちゃくちゃよかった。情感たっぷりに奏でられるテーマ、マイナーだがメジャーとのあいだを行き来する、つまり、ブルースのような雰囲気もある哀切の名曲だと思う。ブルーノートがよく似合う。サビの最後のコード進行もかっこいいんだよね。倍テンになってからもカーヴドソプラノが切々と歌い上げる。この4枚組アルバム全体に言えることだが、ときどき息を吸うときの川下さんの「ああん……」という声が、デュオだからかかなりリアルに入っていて、それがまたいい感じなのである。ピアノソロのバッキングの吹き伸ばしもすばらしい。そのあとまたソプラノソロになって、最後はサビからテーマに入って、エンディング。4曲目は「アルフィー」で、ロリンズのあのファンキーなやつではなく、バート・バカラックが作曲した主題歌の方。バラード的な感じでの演奏で、サブトーンを目いっぱい駆使したテーマの吹き方がすばらしい。高音でサブトーンというのはむずかしいのである。テーマのあと、ピアノが高音から低音までをオーケストラのように使った分厚いソロ。そして、そのあと出てくる、単音楽器であるソプラノの朴訥としたソロがピアノと好対照ですばらしいと思う。最後はしみじみとした静謐なエンディング。5曲目は「ユー・ドント・ノウ・ファット・ラヴ・イズ」で最初の部分はソプラノの無伴奏ソロで演奏され、ピアノはサビから入ってくる。川下のサックスは、おそらくこれまでに何百回も演奏したであろうこの曲のうえで自由に奔放に飛びまわる。ものすごい説得力があるソロ。途中、客と店(?)の会話がけっこう大きな声で入っているのも面白い。そして、ピアノソロもさまざまな技がさりげなく織り込まれていてめちゃくちゃかっこいい。ピアノソロのときにもいろんな音や会話ががんがん入ってるのも斬新。ピアノのあとに再登場するサックスは奔放さをさっきよりも増して吹きまくる。AABAの最後のAの部分でサックスはテーマに戻るが、ピアノのバッキングの見事さにはため息が漏れる。エンディングも最高。6曲目は「マイ・フーリッシュ・ハート」で、いきなりいろんな物音やら会話ががんがん聞こえてくる。氷を砕いている音みたいなのもずっと入ってる。そういうのが気にならない、というか、全然自然に思えるのがこのデュオのよさではないだろうか。ライヴなんだからいろいろあります。川下のサックスはこの曲でも自在に歌いまくり、軽快なピアノに乗ってひたすら歌うことに集中しているようだ。見事としか言いようがない。ピアノソロは拍数をずらして遊んだり、かっこいい、というか、粋である。 「2019/11/27 バレルハウス 2」 1曲目は、ピアニカとソプラノによる「クリスマス・ソング」で、ナット・キング・コールの曲だとずっと思っていたが、メル・トーメの曲だそうである。童謡のように素朴な雰囲気で演奏されるが、こういう風にするとこの曲のメロディの魅力がよくわかる。しみじみする。終わったあと、川下さんが「んー、メリー・クリスマス。いろんな曲をやります」と言う。2曲目は「オンリー・ユー」で、イントロを少し吹いたあと川下さんが「んー、もっかいやるよ」と言って演奏がはじまる。ゴージャスなメロディを聴いて、「ええ曲やけど、なんやったかなあ」としばらく考えて、ああ、「オンリー・ユー」か、と思い至った。なかなか絶妙の選曲ですね。どんなものでもジャズ化してしまうこの二人組。いや、ジャズ化というのはちがうかも。直薬籠中のものにする、という感じでしょうか。テーマが終わると同時にはじまる情熱的なサックスのソロがめちゃくちゃかっこいい。ライヴで乗りまくったときの川下さんは、フレーズがつぎからつぎへとあふれ出て、なにかが乗り移っているかのように凄いときがあるが、このソロがまさにそんな感じ。ちゃんと音が出ていなくても、音程が少々おかしくなっても、そのときに出すべき、出すしかない音をとにかく出すのだ、という強い意志が感じられて感動的である。栗田さんのソロはメロディを手を変え品を変えて変奏しながら曲のなかからなにかを引き出すようなすばらしいもの。そして、ラストテーマの川下さんの歌い上げ方には泣くしかない。エンディングも完璧。3曲目は「男が女を愛するとき」。この演奏はすごい。凄まじいとしか言いようがない。これまでさんざんいろんなミュージシャンによって演奏されてきたであろう、正直、手垢がついているようなこの曲の新しい面を川下さんは見せてくれる(そんなことを言い出せば、ほかの曲も全部そうだが)。ソプラノの高音での絶叫の迫力には開いた口がふさがらん。めちゃくちゃかっこいいです。この演奏をシングルカットしろ!(だれに言ってるの?)4曲目は「セイヴィング・オール・マイ・ラヴ・フォー・ユー」という曲で、この曲だけは知らん曲やなあ……と思っていたが、聴いてみると知っている。どこで聴いたのかはわからん。なんで知ってるんや。ホイットニー・ヒューストンのカヴァーでめちゃくちゃ有名になった曲だそうだが、そういう方面はほとんど聴かないので……。でも、川下さんが好きそうなメロディである。ソロはかなりアグレッシヴで激熱な部分もある。この4枚目の選曲はポピュラー系が多くておもろいなあ、と思っていると、つぎの5曲目はジャズのスタンダードで、しかも私のめちゃめちゃ好きな曲「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」である。スウィング系のテナーが得意としている、というイメージが私にはあるが、ブルースっぽい、ええ曲である。これを川下さんのソプラノと栗田さんのピアノが思いっきりブルージーに、しみじみと、熱く演奏してくれて最高である。ピアノソロのあとにも、すばらしいソプラノソロがある。6曲目はミッシェル・ルグランの「ファット・アー・ユー・ドゥーイング・ザ・レスト・オブ・ユア・ライフ」。どちらかというとジャズボーカルにおいてよく取り上げられ、あまり器楽曲としては演奏されないような気がする。おおらかで淡々とした演奏が染みる。4枚組スタンダードライヴの大トリを務める7曲目は「アイ・ラヴ・ユー」……といってもあのスタンダードナンバーではなく、尾崎豊のほう。尾崎豊のことはほとんどなにも知らないし、聴いたこともほぼないが、この曲は知っていた(漠然と、ですが)。この曲を川下が感情を込めて熱くブロウして歌い上げる。楽曲のなかには、必然的にサックスのブロウを誘う、というか、吹いていると自然にガッツを込めて吹きたくなるようなメロディラインの曲があるものだが、この曲はまさにそんな感じ。最後のほうで川下さんが吹きながら「コーダ行きます」「はい」というやりとりが入っていて面白い。 というわけで、とにかくこの4枚組を持っていると宝物を所持しているような贅沢な気分になれる。歌心の宝庫、ソロと伴奏の見本……いくら絶賛しても絶賛しきれない。川下さんはやっぱりテナーでしょう、とか言ってるひとは、とにかくいっぺん聴いてほしい。けっこう長丁場のこの4枚組を私は何周したかわかりません。傑作。