「SOLOMON’S DAUGHTER」(EVIDENCE ECD−22083−2)
FRANKLIN KIERMYER QUARTET FEAT.PHAROAH SANDERS
ライナー冒頭に「レヴュアーのみなさん、入手可能な全てのアルバムを聴かないうちに、このアルバムをファラオ・サンダースのこの何年かのベストアルバムであると書かないでください」とあるが、これははっきりいって、ファラオの生涯のベストのうちの一枚だと断言できる。ファラオのベストプレイは、自己のアルバムではなく、コルトレーングループでの演奏に記録されていると思うが、ついにそれらと肩を並べうる傑作が誕生したのだ。何を言ってるんだ、ファラオにはいろいろ名盤があるじゃないか、「カーマ」とか「タウヒッド」とか「ジャーニー・トゥ・ワン」とか「エレヴェイション」とか「ブラック・ユニティ」とか「ライヴ」とか……とおっしゃるむきもあろうが、私にはそれらの演奏はどうも物足りない。だって、どれでもいいから、コルトレーングループの作品を聞き返してください。そこでの、まさに暴風の吹きあれるような凄まじい演奏が、ファラオ自身のリーダー作では披露されないのだ(そこそこ近いものはあるけれど)。たぶん、ファラオという人はフリークトーンでぎゃあぎゃあ吹くことに専念してこその人であって、リーダーとして、全体の音楽性なんかに目を配る立場になってしまっては、その良さが半減、いやもっと減ってしまうのだろう。だから、このカナダ人のドラマーのリーダー作のゲストとしてフィーチュアされる、という状態が、非常に最適な立ち位置として「はまった」のだろうと思う。しかし、ファラオももうダメだと囁かれつつ長かったわけだが、1994年にこれだけの演奏ができたというのは、さすがファラオというよりも、リーダーのフランクリン・キアマイアの慧眼をほめるべきだろう。それにしても、ここでのファラオは凄い。コルトレーングループでの猛演、激演を彷彿とさせる、徹底したフリークトーンの嵐、嵐、また嵐。これなら、ブロッツマンにも勝てるんじゃないだろうか(以前、テナーバトルをして負けた、と某ジャズ誌のコンサートレポートにあったので)。どの曲もすごいし、共演者もなかなかよくて、とくにリーダーのキアマイアは、エルヴィン的なポリリズムを主体としたガンガンいきまくるドラミングでファラオから、溶岩のような灼熱のブロウをひきずりだしている。とにかく、このアルバムについて触れていないファラオの名盤紹介記事みたいなものは、ほんと、ゴミみたいなもんだと思います。