yoichiro kita

「SPONTANEOUS COMPOSITIONS」(サンノースレコード SN−003)
北陽一郎+EBERHARD KRANENMAN

 ずいぶんまえに渋さの物販でこのひとのカセットテープを購入し、とても面白かった記憶があるが、本作はCDでエバーハルト・クラーネマン(元クラフトワークだそうですが、私が知っている時期のメンバーではありません)という、ベース、ギター、キーボード、テナーサックス、ライヴエレクトロニクス、ボイス……などを演奏するマルチミュージシャンとのデュオである。北陽一郎もトランペットだけでなく、ピッコロトランペット、トロンボーンなども吹いているが、このデュオがめちゃくちゃ面白いのです。全18曲で、これで1500円は安すぎるやろ! 2曲目に女性が詩の朗読で参加しているほかは、全部ふたりだけによる演奏。ふたりなのに、楽器の組み合わせがころころ変わるので、たいへんなバラエティがあり、飽きることはない。シンセとエレクトリックトランペットによる(わざと)チープなテクノサウンドがなかなかええ雰囲気だったり、ジャズっぽいやつとかいわゆるフリーインプロヴィゼイション的なものがあったり、クラネマンによる詩の朗読があったり、曲も長かったり超短かったりして、ひとつひとつの関連性は少ないようだ。順番に聴く必要はなくシャッフルしてもいいかもしれない。技術的にもおそらく高いのだとは思うが(とくにトランペットはめちゃ上手い)、このデュオにおいてはそういうことよりセンスとセンスの勝負になっていて、閃光がバシバシひらめいてる感じだ。こういう演奏がちゃんと商品化されるというのは日本もなかなか面白い国ではないか。

「SOLOSOLS KITA VOL.1」(SUNNORTH)
YOICHIRO KITA/TRUMPET SOLO LIVE

 シリアスなソロがはじまるのかと思いきや……いきなりラジオとか水音とか打ち込みとかによる音源とかがぶちかまされて、アレッ? と思う。そこにエフェクターをかましたトランペットが加わり、エンターテインメントというかダンスミュージックが展開される。そうかそうか、こういうことか、と思っていると、それがトランスフォームというか形を変えていき、大きなうねりとなっていくさまはまさに「オーケストレイション」という感じであります。したたる水音、ガラスかなにかの割れる音、扉をどんどん叩くような音、でんでん太鼓を叩くような音、なんだかわらかんノイズなどが絶妙に組み合わされていく過程は「即興」としても非常に生々しく、また精緻なもので、そのひとつひとつが優劣なく、同価な「音」として扱われていることに感動する。どこかの洞窟のなかで、だれも聴くものはいないが、ただただ滴り落ちている水の音……みたいなものを連想する。2曲目は銅鑼や鐘などの音を含むパーカッション類を中心にしたリズムの絡み合ううえにトランぺットが重々しく、水面を這うように注意深く吹き鳴らされる。3曲目はお祭りのお囃子や三味線や歌舞伎……といった「和」のモチーフを散りばめておいて、そこに和旋律のトランペットが加わる、という演奏からファンクなリズムが現れる。4曲目はノイズっぽいモチーフ(琴の和旋律の音なども含む)やノーギミックなトランペットなどを組み合わせていく過程を見せるようなリアルな演奏だが、それが壮大な合奏に収斂していくさまは感動的である。笑ってしまいそうになるが、笑ってもいいのだと思う。モチーフをいろいろ混ぜこぜしているとき、おそらく北氏の顔には笑いが浮かんでいる……ような気がする。どんどん場面が変わっていくあたりのセンスのよさもめちゃくちゃ感じる。ラストの5曲目はとにかくおもちゃ箱をぶちまけたような10分の即興。ファンクなビートにのうえでいろいろな架空(?)の楽器が暴れまくる。法螺貝の音(かなり重要な主旋律。これは生音だろう)も聞こえる戦国絵巻か山伏か。よくありがちな宅録というひともいるかもしれないが、こういう演奏こそセンスが問われるのである。といって突出してギラギラしているというよりなんとなくイナたい感じも心地よい。傑作。

「SOLOSOLS KITA VOL.2」(SUNNORTH)
YOICHIRO KITA/NINJA JOCKEY SOLO KO−ON−TEN LIVE

  いやー、トランペットソロというものを堪能しました。一枚目とは打って変わって、全編アコースティックで純粋なソロ。一曲目はミュートトランペットの独奏で、ジャズトランペット奏者としての表現力が感じられる。2曲目もプランジャーからオープンのアコースティックな演奏。3曲目はアコースティックなトランペットによるノイズ的な奏法を含み、高音部をグロウルしてマルチフォニックスを出すような部分とかペダルノートあたりの低音とかを組み合わせており、とにかくものすごく人間くさい。レスター・ボウイのように「人間」が金属に息を吹き込んでいる、ということがひしひしと伝わってくる。やっぱりこういうアコースティックノイズみたいなのがいちばん自分としてはしっくりくる。4曲目はかなりエコーのある場面でのリズミカルな演奏。5曲目はオープンでマイナーなスケールのうえで朗々と、しみじみと吹く。尺八など和を感じさせる演奏。循環呼吸の部分はすごい迫力とテンションである。その後もサーキュラーやトリルが活躍する、いかにも「トランペット!」という感じのパワフルな演奏ですばらしい。最後まで「和」のスケールがはっきり意識されている構成力も見事である。17分を越える圧倒的なソロで、途中ダレることもない。本作中の白眉かも。6曲目は、血の底から湧きあがってくるような音響ではじまる演奏。もはやトランペットなのか金管楽器なのか……そういうこともわからない「音」でつづられる。ここまで西洋楽器であるトランペットの音をオリジナルに改変していく作業は本当に共感する。関西の雄である山本、江崎のふたりにも通じる「金管の即興」の醍醐味である。7曲目もミュートをかけた「人格」と外した「人格」による、(おそらくは)ルーパー的なものを使った一人二役なのだと思うが、絶妙の重なり具合であり、また「間」である。ラストの8曲目はオープンで吹かれるトランペットによるストレートアヘッドなソロ(これをストレートアヘッドと呼ぶのはかなりおかしいかもしれないが)。単体でももちろんのこと、VOL.1と並べることによってよりいっそう意義深い傑作。