john klemmer

「CONSTANT THROB」(IMPULSE! PROA−154)
JOHN KLEMMER

 ジョン・クレマーの最高傑作は「ネクサス」だと思うが、ほかにもたくさんすぐれたアルバムを残している。でも、このアルバムは知らなかった。いやー、めちゃめちゃいい。フュージョン初期の、今となってはちょっとださい感じの音と、コルトレーン的なぶりぶりのモードジャズの衝突、というか激突。現在では、べつに珍しくもないそういう音空間が、このアルバム収録のころは、非常に斬新だったのだろう。そして、今聴いても、その斬新さ、過激さはひしと伝わってくる。コーラスや、フェンダーローズや、ばたばたいう8ビートの狭間からジョン・クレマーの凄まじいブロウが噴出する。いやー、これはかっこいいわ。ほとんどの「フュージョン」が失速してしまい、今の耳には「しょうもなー」としか聴こえないのに、マイルスの諸作はいつまでも衝撃度もクオリティも失せないのと同じで、「ええもんはええ」ということでしょうか。正直言って、クレマーのようなべたーっとした音色は本当は苦手なのだが、「ネクサス」などを聴いているうちに慣れてしまったのだろうか、クレマーに関しては、さほど気にならない、というより、個性として感じることができるようになっている。不思議なものです。

「NEXUS ONE(FOR TRANE)」(BLUE BIRD 6577−2−RB)
JOHN KLEMMER

 学生のころ、一年うえのサックスの先輩がテープにダビングしてくれた2枚組LPが「ネクサス」だった。ジョン・クレマーは「バード&バラッズ」という2枚組のアンソロジーにおける「ラウンド・ミッドナイト」での激演で名前を知ったばかりだったが、「ネクサス」にはそういうタイプの演奏ばかりが収められている。このアルバムについて、フュージョンをやってたクレマーが改心して吹き込んだ作品、とか、やればできるのに、とか、この路線でやっていけばもっと有名になれたのに、とかいう意見が多く見受けられるが、そういうひとはジャズが世の中の音楽で一番だと思っているのだろうな。そういうひとはジャズだけ聴いてればいいと思う(たいがい「評価しても良い」とか「コマーシャルなフュージョンは売れるためにやっていただけで本当はこういうのがしたかったのだろう」みたいに上から目線で書かれている)。しかし、クレマーの作り出すサウンドすべてを愛するリスナーにも、本作はまたとない贈り物である。デュオまたはトリオでのひたすら音数を目いっぱい詰め込んで吹きまくる演奏は、いわゆるシーツ・オブ・サウンドであり、コルトレーンのそれから精神性を剥ぎ取り、「音」のみに徹したことで、より純度の高いものとなっていると思う。クレマーがこういう演奏をこの当時に残してくれたことがありがたいではないか。もともと2枚組だったものを、半分にして、コルトレーンに関係のある曲(とタイトル曲「ネクサス」)だけを収録してあるため「ネクサス・ワン(フォー・トレーン)」と改題されているが、今のところ「ネクサス・ツー」が出たという話は聞いていない(なので、うちにあるカセットテープは処分できない)。演奏は、クレマーがフルトーンでひたすら激しくブロウする、というものがほとんどで、ベースやドラムの印象はほとんどないに等しい。デュオの相手でもあるカール・バーネットは非常にがんばっており、手数を出しながらも、主役であるクレマーの邪魔をしていない(バーネットがうるさい、という評も読んだが、そうは思えない。「クレマーと同じことをやってる」と思うのだ)。とにかくひたすらクレマーのテナーをきかせるための音楽なのだから、これでいいのだ。正直、音で埋めることだけが目的になってしまっていて本末転倒のような気もするが、それがここでのクレマーの方法論だし、いいんじゃないでしょうか。「ミスター・PC」「ソフトリー」「インプレッションズ」とマイナー系の同じようなテンポの曲ばかりじゃん、という意見もあるだろうが(たしかにそう。「ネクサス」という20分もあるタイトル曲はたぶんテンポだけ決めての即興だと思うが、結局はほかと同じ印象)、ひとつのメドレーと考えればいいのです。それにしてもこれだけ吹いて吹いて吹き倒されるとたいがいのひとはびっくりするだろうなあ。クレマーが内包していた熱気の発露、みたいなアルバム。傑作。