「井の中の蛙」(TENSELESS MUSIC TLM−003)
古池寿浩
あちこちでおなじみの古池寿浩さんの(たぶん)初リーダー作。トロンボーンソロというとマンゲルスドルフとかラザフォードとかブレイザーとかいろいろ連想するかもしれないが、そういった先入観を一旦ゼロにして、無心で聴いてほしいアルバム。めちゃめちゃ面白い。先入観なしに聴いてといっておいて、個々の演奏についてあーだこーだと感想をここに書いてしまうのは無粋かもしれないがそういう主旨のページなので、まあおつきあいください。1曲目は超短い、マルチフォニックスというか、呻き声のような演奏。2曲目は、え? 音入ってる? とプレイヤーをチェックしたくなるほどの微細音ではじまり、それが微妙に変化していき、ひとつの流れを作り出していく。ブレスやロングトーンの練習を聞かされているようだが、じっと聴いていると、いろいろなことを思ったり思わなかったりする。「ホーミーみたいだな」とか「カエルの声を模しているのか」とか「たまたまこういう演奏をしただけで蛙と結びつけてはいけないのだ」とか「でもやっぱり蛙に似てるよね」とか「こういうのを聴くのが人生の愉しみだよな」とか「こんなもんだれでもできるやんけ」とか「いや、ぜったいだれにもできんやろ」とか……とにかく聞くたびにこちらの脳内に浮かび上がるよしなしごとは毎回変わる。有線から聞こえてくるポップスで、そんなことを思う音楽がありますか。3曲目は(たぶん)マウスピースへのアタックだけによる演奏で、パーカッシヴというか、雨だれのような音が続いていく。テンポが次第に速くなる。ところどころで息の「ぱすっ」という音が混じるのがすごい快感に思えたり思えなかったり。なんか、心拍数が乱れてるのを聞かされてるような気も。最後のほうは、こんな「プププププ……」というだけの演奏が感情移入というかすごくかっこいい展開になっていくように感じてきて、「俺はだまされてるのか!」と叫びたくなる。おもしろい。プププだけのドラマ。4曲目は、息の音だけの演奏。掃除機の音のようにも、風の唸りのようにも聞こえる。その息が、途中で実音に変わっていく……というだけのことなのかもしれないが、すごく劇的に感じるのは完全にこのひとのマジックにかかっているのだろう。最後は、異常なまでの静寂になる。遥か遠くで虫が鳴いているようだ。禅では、「墨絵に描いた松風の音」を聴け、という公案があるそうだが、なんかそんな感じといったらわかってもらえる……わけはないですね(ええかげんか!)。5曲目は、非常に頼りなげではあるが多少音程がある、という意味で本作中いちばんちゃんとした(すいません)演奏かも。でも、まともな吹き方はしていないようだ。アルペンホルンやディジリドゥ、尺八、声明なども連想されるような演奏で、循環呼吸による吹き伸ばしにいろんな音を混ぜ込んでいく。なにかのモーター音のようにも、古代の呪術のようにも、大地の息吹のようにも聞こえる。かなりドラマチックで、かっこいいし、とても個性的だ。まあ、蛙はこんなに息は続かないだろうが。6曲目は、これこそ蛙の鳴き声っぽい、ぶつぶつと呟くような、おっさんが愚痴を言ってるような、ぐぐぐぐ……という音が断続的に発せられる。これがいいんですよねー。ふつふつ、ぶつぶつと緑色の沼の底から不気味な泡が湧いてははじけているような、なんか生々しくて、「生きている」という感じだ。「生命」という言葉が浮かんだりして(大げさか)。古池寿浩さんは、金属に息を吹き込むことで、そういった人間が生きて、摂食して、排泄して、呼吸して……というリアルな動物的なことを思い出させてくれる。最後の7曲目は、またしても超微細な音(ほとんど聞こえない)ではじまる独特の世界。かなり徹底した思い切った演奏だと思う。美しい音でのロングトーンなども交えて、緊張感のある空気を継続的に味わえる。
やっぱり古池→蛙という連想なのかな。アルバムタイトルも蛙だが、各曲のタイトルも「お玉杓子」とか「鳴嚢」とか「蟾酥」(ガマの油のこと)とか「森青」(モリアオガエルのこと)とか「黒斑紋」(トノサマガエルのこと)とか「オットン」(オットンガエルのこと)といった、蛙にちなんだものになっている。一部が井戸状に切り取られた緑色のジャケットも、CDのレーベル面のデザインも超秀逸で心なごむ。蛙がトロンボーンを吹いているものすごく洒落た缶バッジもおまけでついていた。うれしいなー。最初から蛙というコンセプトアルバムなのかもしれないし、ソロを録音したらなんとなく蛙が連想されてそこからタイトルやデザインを蛙に寄せていったのかもしれないし、どちらでもいいのだが、ここまで蛙にこだわったデザインというのもなかなかないと思う。なので、即興好きのひとだけでなく、蛙好きのひとも注目すべきアルバムだと思います(ちがいます?)。
「ふいご」(OFF NOTE ON−63)
ふいご
バンド名義になっているが、トロンボーンの古池寿浩のリーダー作、ということでいいんですよね? トロンボーン、チューバ、サックスという編成(中尾さんはトロンボーンを吹いていない)で、たとえばコンポステラ的なものを連想するかもしれないが、そしてその連想はあながちまちがってもいないと思うが、このバンドはああいう切迫感がなく、ゆるーいグルーヴに貫かれている。これが楽しい。楽しすぎる。聴いているとほがらかになる。鬱陶しいカスみたいな暗いニュースが多くてもうどうでもええやんこんな世の中……と思っているときにこのアルバムを聴くと、いやいや、人間というものはすばらしいし、音楽も絵画も芝居も小説もマンガも映画も……世のなかにはすばらしいものがたくさんあるではないか、もう少し人間を信じてみよう……そんな気持ちになるのだ。といって、このバンドがだらりーんと弛緩しているだけの呑気な演奏ばかりというわけではない。その弛緩の裏側には、最高の音楽性とテクニックが秘められているのだが、それを彼らは見せようとしない。じつはものすごくシリアスでもある音楽だと思うが、それを指摘するのは野暮というものだ。トロンボーン、サックス、チューバなど、管楽器の生の息遣いが感じられるアコースティックな演奏は、もうそれだけでなごみの効果があるが、ここまでふにゃふにゃしようと思ってもなかなかできないことなのだ。しかも、やっている当人たちがそこまで計算(計算というのは悪い言葉のように受け取られがちだが、「ちゃんとわかってますよ」いう意味です)しているので、聴き手は安心してこの楽しく愉快でのんびりした音楽をなーんにも考えずに享受すればいい。そして、それらを貫いているのはやはり「即興」の精神で、だからこそこのちょっとした音やフレーズやリズムたちがいきいきとしているのだと思う。かわいらしい曲ばかりだが、全体をひとつの組曲のように味わうこともできる。先日観た古池さんの有本羅人との演奏、それに続くアクセル・ドゥナーとの演奏は、めちゃくちゃシリアスな、循環呼吸を多用した圧倒的なもので、本作でもじつはけっこうそういったオルタネイティヴなテクニックの数々を使っているのだが、「見せびらかす」感じになっていないところが人柄を感じるなあ。傑作だと思います。サンクス欄に大原さんの名前があるところも、なーんかうれしい。