「LIVE AT THE TARUPHO」(TARUHO FARM 1001)
NAOJI KONDO
いやー、出ました。日本ジャズ史に燦然と輝く(と私が勝手に思っている)近藤直司トリオのライヴ盤。これを聴かなきゃ話になりませんぜ。傑作傑作大傑作……と持ち上げたいのはやまやまだが、まあ、なんですな、これは結局、私という人間の好みにこの演奏がぴったりだということであって、ほかのひとにとってもそうかどうかはわからない。しかし、本作が私にとってある意味理想であるのは本当の話で、その昔、これを某フリージャズ専門店(つぶれた)で入手し、家に帰って、聴いたときは、さすがに神や仏やなんだかんだに感謝したぐらいである。ああ、作品に出合えてよかった……という気持ちであった。ただし、この作品に収められている演奏が、ミュージシャンたちにとって、いや、彼ら以外のフリージャズミュージシャンも含めて、さほど傑出したものではない、とも思う。みんな、これぐらいの演奏は毎晩のように行っている。このアルバムは、そういった日本のフリージャズのレベルの高い日常の演奏をざっくり切り取っているところに価値があるのだ。ここに収められている演奏こそが、日本のフリージャズなのだ。こういう演奏を聴きたければ、ライヴハウスに足を向ければ、ちゃんと聴けるのだ。それぐらいの高みに、今、日本のそういうシーンは位置している。だから、このアルバムは日本の熱い、すごい、深いフリージャズシーンの象徴であり、代表である、と思う。とにかく私は近藤直司のテナーが好きなのである。音もいいし、フレーズもいいが、なんといっても、テナーサックスという楽器は、こういうシチュエーションでこういう風にもりあげていってこういう箇所に来たらこうスクリームする、それが一番かっこいいのだ……というあたりの感じ方がたぶん私と一緒なのだろう。このアルバムを聴いていてもそうだし、彼のライヴ(長いこと生では聴いてないなあ)に接していてもそうなのだが、私が吹いてほしいというまさにそのとおりに吹いてくれるのが彼なのである。私は、彼のテナーとともにのけぞり、絶叫し、ぶっ倒れる。私が日本のフリー系のテナー吹きで大好きなのは、近藤さんと広瀬淳二さんであって、そのふたりともラーセンのメタルを使っているのは興味深い。近藤直司は本業がほかにあるし、なかなか関西ではライヴに接することはできないが、また聴きたいなあ。このアルバムがCDになっているかどうかは知らないが、もしなっているなら、多くのひとに聴いてほしい。何度聴いても元気をもらえる、最高のアルバム。星百個。
PETITE FLEUR(BUMMEY RECORDS 001CD)
KONDO NAOJI−NAGATA YOSHIKI−SEO TAKASHI
録音してます、という情報を耳にしたときから待ち焦がれていた作品。あの近藤直司が! 人間国宝以外で! 久々の録音! と私にとっては「!」をたくさんつけたくなるほどの待ってました感のあるアルバムだった。なにしろメンバーが、近藤直司〜永田利樹〜瀬尾高志という、サックスに2ウッドベースというトリオなのだ。これが面白くないはずがない。というわけで、「ライヴ・アット・タルホ」みたいなものを勝手に期待した。しかし、聴いてみると、これが良いほうに裏切られた。近藤さんはほとんどテナーではなくバリトンが多く、その理由もわかった。つまり、低音楽器3台のからみということなのだ。たしかに、人間国宝などでみせるドスの利いたスクリームは少ないが、かわりに深みがある。低音楽器を演奏したからといってだれでも深みが出るというわけではない。ここに醸し出されている旨酒のような極上の演奏は、この3人だからこその美味しい、深みのある酒なのだ。高級ワイン? うーん、というより、めちゃくちゃ高い古酒(クースー)みたいなものか(なぜ急に酒で例えだしたのか自分でもわからんけど)。というわけで、1曲目はサックス主体で冒頭から近藤直司のバリトンがひたすらフリーキーに咆哮する、私好みのパワフルな演奏。2曲目はサックスは少し控えめで3者が溶け合った演奏。ベースのからみと、細かに動くサックス。3曲目はコルトレーンの「ロニーズ・ラメント」で、これを2ベース、1バリトンでやるという試み。ちゃんとオリジナルキーで吹いている。この編成のために書かれたのではないか、と思ってしまうほどうまくいっている。アルコベースとピチカートベースの融合が、こういうマイナーキーでは一段と映える。4曲目と5曲目はまた即興で、サックスが大暴れしないので、サックスソロとそのバックという感じではなく、3者が対等に感じられ、とても心地よい。6曲目はタイトルでもあるシドニー・ベシェのおなじみの「小さな花」で、哀愁のメロディをバリトンが歌い上げる。2ベースの交歓もすばらしい。7曲目も即興だが、やっとテナー登場。さすがにテナーのほうが軽いというか、スピード感が断然あるな。ベースもそれにつられてか、スピード感がある。ラストはドン・チェリーの「デザイアレス」で、これも哀愁の曲。考えてみれば、このアルバム、即興以外の曲は全部マイナーの哀愁系だな。バリトンが切々とテーマを歌いあげたあと、ベースのパートになり、2ベースがからんでからんでからみ倒す。ぞくぞくするような場面多数。渋いアルバムでした。ライヴだとまたちがうのだろうな。別内容のレコードもあるらしいので聴いてみたいところ。傑作でした。
「ノイズ・バラッド」(FULLDESIGN RECORDS FDR−1042)
大変なユニット
このアルバムの演奏を一言で表すと「ギョエー!」という感じである。けっして揶揄しているわけではなく、最大限の賛辞を送っているつもりである。たとえば、怪獣映画で、なんだかんだと人間ドラマがあっても、ゴジラが一声、「ギャアオオオオウッ!」と吠えたら、それだけで観客はのこぞり、感動のあまり失禁する。そして、このアルバム自体が「ゴジラの咆哮」のような内容なのである。このアルバムを聴くひとは、「スクリーム」というものの価値をあらためて知ることになるだろう。
近藤直司とヒゴヒロシという「のなか悟空と人間国宝」の重鎮ふたりに、グンジョーガクレヨンの組原正、そして本田珠也という「おお……!」という感じのメンバーによる「大変なユニット」のライヴ。テクニックも音楽性も気合いと根性もふんだんにあって、グループとしてのバランスがいいうえ、それを突き抜けるような狂気も全員が持ち合わせているので、まさしくスーパーバンド、つまりは「大変なバンド」ということになる。ライヴを見たひとによると「大変だった」とのことだったが、本作を聴いてみてもその大変ぶりは伝わってくる。基本的には全曲インプロヴィゼイションだが、リズムがしっかり聞こえてくるので、あまりいわゆる「インプロ」という感じはせず、どちらかというと「フリージャズ」的な「ごつい」雰囲気の演奏である。つまりは私が一番好むところの音楽なのだ。発売を心待ちにしていたが、届いてさっそく1曲目を聴いて、「うわー、これだこれだこれです!」と叫んでしまいそうになるほどハマった。不穏な冒頭部のノイズが重なっていくあたりから、一見フリーリズムだがじつは強烈なリズムがびんびん響いてくる。そして、5分過ぎたあたりからついに全員が沸点に達し、バリサクがぶち切れ、ギターが金切り声を上げ、ベースがぶいぶいいわし、ドラムが轟きわたる。この快感はやっぱり理屈ではない。「こういうのが好き」としか言いようがない。この演奏をたとえば「〇〇のようだ」と言うこともできるかもしれない。「ラスト・イグジット」のようだ……とかね。でもそういうことにはまったく意味がない。この4人の組み合わせでないとこの音楽は成立しないからだ。めちゃくちゃシンプルに盛り上がっていくように感じるが、じつはその底には複雑なからみあいやちょっとしたかけちがいや偶然のたまものである超ラッキーなどがあって、パッと聞くと単純明快に聞こえるこの演奏が成り立っている。そして、最後には天上に向かって屹立する巨大な火柱のようなものがはっきりと目のまえに見える……そんな凄まじい演奏なのだ。これは新しいとか古いとかいうものではなく、すでにこの音楽はひとつの古典的様式になっている。バッハとかベートーベンとかチャーリー・パーカーとかそういうものとまったく同じである。問題はこの種の演奏を現代に引き継ぎ、最前線で演奏しているひとが少ないことだが(大勢いるじゃないか、というひともいるかもしれないが、そういうひとはたぶん日常的にそういうライヴに接しすぎているのです)、そういう意味でも本作は我々リスナーとしてはありがたやありがたやというグループである。2曲目はギターとベース、ドラムのトリオによる短い2分ほどの演奏。3曲目も近藤直司はバリサクでベースとともにボトムを支え、ドラムとギターが空を駆け回るような自在な即興を繰り広げる。4曲目はバリサクが冒頭、スラップタンギング的な感じではじまり、4人の即興になる。ギターは終始ノイズを奏で、サックスは高音部で鳥の鳴き声のようなフレーズを吹き続ける。次第にバリトンが硬質な音でストレートアヘッドなブロウを延々と繰り広げ、とてつもないボルテージの演奏になる。かっこいい! バリトンが抜け、ギターが鉈でぶった斬るような雷鳴のようなフレーズをかまし、ベースとドラムが地底を猛スピードで突進するような「重(おも)かっこいい」(そんな言葉はない)感じになったとき、近藤が再登場、ひたすらスクリームするような剛腕パワーミュージックになる。これこれ! そして、そのあとの展開の圧倒的スピード感とグルーヴもこの4人ならでは。めちゃくちゃ凄い。1曲だけ上げろと言われたら、この4曲目(20分ある)が本作中の白眉だと思うが、ほかの曲も全部いいし、ひとつの組曲のように聴くこともできる。このエンディング(?)の凄まじいサックスの咆哮のまえには言葉は無力である。フリージャズというのは、私にとってはぶっちゃけこれなのです。いろんな言葉でつづっても、結局はこういうことです。5曲目はたゆたうようなリズムのバラード(?)ではじまるのに、ドラムやギターが馬鹿でかい音でぶちかます感じがなんともいえない。4人が4人とも自分のやりたいことをやって、それがこうして音楽として成立しているなんて……なんと当たり前のことを俺は書いてるんだ! とは思うが、そういう、フリージャズ〜即興の根本みたいなことがここでまるで魔法のように展開していってるものだから、ついついそう書きたくなる。なかなかこういうことはないのだ。そして、なぜこういうことが成立しているかというと、それは「大変なユニット」だからである。どんどんグルーヴしていき、しまいにはとんでもない高みに達する。ラストの6曲目はちりちりとしたノイズを含んだギターとベースが二匹の蛇のようにからみあう短い演奏。これで幕を閉じるのもいいですね。近藤直司は全体にバリトン主体。録音もよく、すべてがリアルに録られていて最高であります。傑作! あー、このバンドのライヴ行きてーっ。だれがリーダーというわけでもないのだろうが、便宜上、最初に名前の出ている近藤直司の項に入れた。
「未発表音源CDR」(FULLDESIGN RECORDS FDR−1042)
大変なユニット(ディスクユニオンオリジナル特典)
上記「大変なユニット」のCDをディスクユニオンで予約するともらえる、1曲だけ入った特典CDR……と思っていたら、物販とかでももらえたらしい。演奏は9分ぐらいあるたっぷりしたもので、最初はギター〜ベース〜ドラムによるハードな即興。ドラムの速いリズムにベースがゆったりと乗り、ギターがノイズをまき散らす。かっこいい。次第に収束していき、ちょうど半分ぐらいのところから近藤のテナーが炸裂する。何十年まえにはじめて聴いたとき以来ずっと、日本三大「私にとって気持ちいい音色の」テナーのひとりである近藤直司のテナーを滝のように浴びることのできるこの演奏は、アルバムのほうとはまたちがった意味で私にとっての宝物のようなものである。アルバムのほうもそうなのだが、全編にわたって本田珠也の思いきりのいいリズムが即興の方向性をリードしていると思う。こういう「思いきり」は大切ですね。最後が「ふわっ」と終わるので、たぶんアルバム収録を見送ったのかなあと思うが、内容的には超上質なので、聞けるひとはぜひ聞いてほしいです。
「鳥の歌」(FULLDESIGN RECORDS FDR−1044)
KONDO NAOJI・NAGATA TOSHIKI・SEO TAKASHI
以前別レーベルで出た「PETITE FLEUR」に続く第二弾……いや、前作はCDとレコードで収録内容がちがうので第3弾というべきか。ツインベースにサックスでアコースティックなジャズを演奏するトリオ。私にとってはこういうのがど真ん中の「ジャズ」というか「モダンジャズ」だが、ひとによってはかなり硬派な演奏に思えるかもしれない。しかし、聴いてみたらわかるとおり、めちゃくちゃ楽しいし、聴き手の心を遊ばせてくれるし、想像力を刺激してくれる演奏である。テナー奏者が、ウッドベースふたりとトリオを組みたい、という気持ちはものすごーくよくわかるのだが、そういう意味ではこのベースふたりは超理想的な人選だと思う。1曲目のエリック・サティの曲は近藤直司がバリトンで、あとのふたりの絡み合いをフィーチュアした演奏だが、これを聴いていると「2ベース」というものがもたらす豊穣な世界……立体的で空間的な世界がそこに広がっている感じがよくわかる。2曲目はカタルーニャ民謡でアルバムタイトルにもなっている「鳥の歌」だが、近藤直司はこの曲もバリサク。深みのある音の3人がひたすら深みを追求して深く深く地面を掘っていくような演奏。凄みがある。3曲目は近藤直司のオリジナルで、ブラック・ナイルならぬ「ブルー・ナイル」。これもエキゾチックなテーマをもった、(私にとっては)70年代ジャズ的な曲。近藤さんはテナー。あー、ええ音やなあ。近藤直司の音はほんま、なにを吹こうと私の心に染みわたる。ジーン・アモンズ、ガトー・バルビエリやファラオ・サンダース、広瀬淳二、佐藤帆……のようにとにかくテナーの「音」が好きなのだ。いつものように雄たけびをあげることもなく、濁った音色でしみじみとフレーズをつむいでいく近藤や、そのあとを受けてピチカートで会話する二本のベースが濃く、深い。この曲の後半でようやく近藤のテナーのフリークトーンが炸裂するが、すぐにテーマに戻る。このあたりは、たとえばバランス感覚とか構成力、起承転結といったものとはちがって、まあ一種の即興における「美」の感覚だと思う。かっこいい。そして、4曲目はシベリウスの「樅の木」で、えっ、こんな曲やったっけ、と思ったが、そう言われてみればこういう曲なのだ。ベースひとりをバックに吹きまくる近藤の熱いソロ(テナー)は熱気あふれる極上のモダンジャズのようで、そのあとのベースソロのひたむきさもひたすら心に染みる。ベースデュオになってからも、聞いていると部屋全体がしずしずしずしず……と沈んでいくような、そんな感覚に陥る。最後の5曲目は瀬尾高志のオリジナルで、本作中いちばん長尺の演奏。ベースのアルコによるデュオで幕を開け、そこに近藤のバリトンが乗る。この曲での近藤の朗々としたバリトンの演奏はめちゃくちゃかっこいい。本作では5曲中3曲がバリトン、ということでもわかるようにテナーよりバリトンに比重を傾けているが、それは前作も同じである。3つの低音楽器によるトリオというのがなんとも深みや重みがあって、しかも重戦車のようなドライヴ感やグルーヴもあり、本当はこの3人なら「軽やかさ」も出せるはずなのに、そっちには行かない、しかし、楽しい……というこだわりを感じる。ピチカートとアルコのデュオが白熱していき、世界がウッドベースで満たされたとき、そのうえを覆うようにバリトンのテーマが奏でられて終幕となる。「憂いを帯びた」とか「日本人好みの」とか「哀愁の」とか「演歌的な」というのではなくもっとハードな「短調」というものと真っ向から勝負したような演奏が並ぶ。稲毛のキャンディと甲府の桜座でのライヴだが、桜座の方は今年の1月末の録音で、ぎりぎりコロナ禍に間に合ったという感じのタイミングだろう。本作を我々リスナーが享受できるのも僥倖というしかない。へヴィな聞きごたえのあるアルバムである。
「知らない人」(FULLDESIGN RECORDS FDR−1047)
近藤直司 & 栗田妙子
めちゃくちゃ良かった。聴き終えた私は口を開けて、だらーっとよだれを垂らした状態になっている。10曲中、シベリウスが2曲、ラベルが1曲、サティが1曲、カタルーニャ民謡が1曲、ドヴォルザークが1曲、ラカジェというひとが1曲、バルトークが1曲、栗田さんの曲が2曲、近藤さんの曲が1曲……とクラシックに題を取った曲が多いのだが、そんなことをまるで感じさせないほどこのふたりの音楽になっている。とにかく1曲目のシベリウスの「樅の木」における近藤直司の演奏の、音色やニュアンス、フレージングなどを聴いてへろへろへろ……となってしまった。ここまで歌心を押し出した近藤さんの演奏は珍しいのではないかと思った。サブトーンや独特のビブラートなど、テナーサックスにおいては王道の表現方法だけで素直に吹いているが、切々として、また力強いフレージングや独特のリズム感などを聴くと、ああ、これは近藤直司だ、とすぐにわかってしまう個性がある。つづく栗田妙子のソロも同じく切々としているのだが、同時にかなりビターで、そういうところが栗田さんが多くの共演者とデュオを求められる理由ではないかと思ったり。近藤直司といえば、人間国宝などにおけるスクリーミングやエッジの立ったラーセンのざらついた音色を思い浮かべるひとが多いのではないかと思うが、本作ではこの曲をはじめ、そういった表現はほとんど聴かれない。でも……いいんですよねー。2曲目はジャズでもおなじみの「亡き王女のためのパヴァーヌ」で、1曲目よりもさらに近藤のテナーの音は独自のニュアンスを押し出していて、聞き惚れる。3曲目「雨が降るように」は栗田妙子の曲で近藤のテナーの無伴奏ソロではじまる。すぐにピアノが入ってくるが、タイトルのせいか、たしかに「雨が降っている」ように聞こえる。そして、聴き手は楽しさに包まれる。短い演奏だが素敵。4曲目はエリック・サティの「グノシエンヌ 第2章」はバリトンでの深い表現。この曲をテナーでなくバリトンで演奏する意味はあるのか、と問われたら、「あると思います!」と答えたい。5曲目は表題曲で「知らない人」。これもバリトン。かなりフリーな演奏。6曲目「鳥の歌」は近藤直司が永田利樹、瀬尾高志とのトリオでも演奏しているが、こういう哀愁を帯びた曲をやると、ガトーやファラオやドン・チェリーの顔も間近に見えてくる。すばらしい。7曲目はシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」という曲で、バリトンの豊穣なトーンで奏でられる。栗田妙子の訥々としたピアノを聴いているといろいろな感情がまろびでてくる感じである。泣かせ的なものをできるだけ省いたドライな演奏だと思うが、それでもあふれでてくるこの感情はなんだろう。8曲目は近藤直司の3拍子の曲で「ブルー・ナイル」。ソプラノサックスによる演奏だが、これがめちゃくちゃいいのです。ソプラノでのウェイルというかブロウも近藤さんの超個性的な表現になっていて、このグロウルと歌い上げは凄い。つづくピアノソロも場面をガラリと変えて、べつの世界へ突入させるようなパワーと説得力のあるもので、まあ、ようするに「かっこいい!」と叫ぶしかない(語彙がないのか、きみは)。9曲目はドヴォルザークの「我が母の教え給いし歌」で、テナーでストレートに歌い上げられる。原曲を知らなかったら、ジャズのスタンダードと思うかもしれないぐらいの自然な解釈になっている。10曲目は「アマポーラ」で、洒脱な小唄という感じの演奏。11曲目はソプラノによるバルトークのルーマニア民族舞曲の「アルペンホーンの踊り」で、私はピアノでの演奏しか聞いたことがなくて、ルバートでサックスが吹くと、まるで民族音楽的な響きになるのだなあ、と思った。栗田妙子さんというかたはデュオの天才で、近藤さんとのデュオをはじめ川下直広さんや泉邦宏さん、渋谷毅さんとのデュオなどさまざまな相手のデュオを行っている。デュオが多いというのは相手から信頼されているということだ。もちろんソロや自分がリーダーの活動も盛んだが、デュオが多いピアニストというのはなんともすばらしいではないか。ここではその本領が発揮されている。完璧なデュオ作品だと思った。これは当分ヘヴィローテーションで聞き続けることになるでありましょう。傑作!