mayumi kotani

「MIZTI」(OHRAI RECORDS JMCK−1042)
小谷まゆみ&國中勝男

 沖縄の南城市で録音されたこのデュオは、ひとの声と六弦の音が濃密にからみあい、一種のスピリチュアルな空間をつくりあげている。取り上げられている題材も、古神道の呪文であるひふみうたや万葉集、古史古伝など日本のコトノハの根源を強く感じさせるものが多く、ふたりの即興者が「言霊(ルビ・ことだま)」をいかに扱おうとしているかが伝わってくる。
 アルバムタイトルである「MIZTI」は水龍である「蛟(ルビ・みずち)」のことだろうと思うが、これは「水霊(ルビ・みずち)」とも書き、水に宿る霊を意味する。かつて日本人はあらゆる自然物に霊が宿ると信じていた。水には水の霊、山には山の霊、巨石には巨石の霊、樹木には樹木の霊……。「霊」は「ち」と読む。野の霊は「のずち」、天空の霊は「いかずち」、そして水の霊は「みずち」である。自然の持つ圧倒的な破壊力と包容力のまえに、ひとりでに頭が下がる思いは現代の我々でもおりふし感じることだ。人間はいつしか自然神への畏怖と崇拝の念を忘れ、科学の力ですべてを思い通りにできると錯覚してしまった。本作は標題音楽ではないが、タイトルを念頭にして聴くと、小谷まゆみ(SAYAWA)の豊饒なヴォイスや國仲勝男の撥弦の音は、ときにはらはらとした小糠雨を、ときに窓を激しく叩く驟雨を連想させる。
 この演奏同様、「水」は千変万化する。容器によってその形を変えるだけではない。雲も雨も水道水も、おだやかに流れる清流も、滔々たる大河も、荒れ狂う台風も、押し寄せる津波も……どれも「水」の一形態なのだ。「水」は生命をはぐくみ、生命を滅ぼす。「水」なくして人間は生きていけない。最初の生命は水のなかで誕生した。そしていまでも人間の身体の六十パーセントは水なのだ。このデュオを何度も聴いていると、自分の体内にある水が音に反応して揺れはじめる。空間は濃いミストで満たされていき、しまいには自分が水中にいるかのような錯覚に襲われる。
 かつてオーネット・コールマンは、「〈平和〉という曲で吹くFの音と、〈悲哀〉という曲で吹くFの音は同じであってはならない」と言ったが、「MIZTI」は感情によって意味づけされた特別な「音」の集積である。たった二滴の水がいつしか水たまりとなり小川となりついには大河となってうねり、逆巻き、世界を呑みこむに至るすべての過程を皆さんは聴くことになるだろう。