「NACKA FORUM」(MOSEROBIE MUSIC PRODUCTIONS MMP CD005)
NACKA FORUM
バンド名すらなんと読むのかわからない。「ナッカ・フォーラム」かなあ……。ピーター・ヤンソン、ポール・ニルセンラヴとのトリオ作が強烈だったヨナス・カルハンマー(と読むのか? カルハマー?)がリーダー格のよう(楽曲の提供もいちばん多いし、エグゼクティヴ・プロデューサーにも名前を連ねている)なので、彼の項目に入れた。トリオ作(アイラー・レコードのやつ)があまりによかったので、このアルバムもかなり期待したが、全体的には「ちょっとフリーがかったハードバップ〜新主流派」であった。カルハンマーのテナーソロはなかなかガッツがあって評価できるものの、バンド全体としてはちょっと退屈。ドラムも、手数が多いわりに、いまひとつ迫ってこないのはスピード感の有無のせいか。ライヴで聴いたらきっと印象がちがうと思うが……。サン・ラやオーネット・コールマンの曲をとりあげているあたりは、フリージャズ寄りのグループかと思えるが、実際にはけっこう手堅い感じの演奏。なんというか「だまされた」感がある。そういえば、世間で評価の高いアトミックもそんな感じだよなあ……。このあたりの音にいまいち入り込めないのはなぜだろう。などということを考えながら聴いておりました。
「LIVE AT THE GLENN MILLER CAFE」(AYLER RECORDS AYLCD−079)
GYLDENE TRION
ヨナス・カルハマー(なんと読むのかよくわからんが、ほかにもクルハマーとかクラマーとかいろんな表記があった)は、いつのまにかものすごく有名になってしまった(たぶん)スウェーデンのテナー奏者だが、最初に聴いたのがニルセンラヴとのトリオだったためか、もうすこし前衛的なタイプかと思っていたら、ほかのアルバムをいろいろ聴いてみると、意外とオーソドックスでストレートアヘッドなプレイヤーのようだ。本作もその路線で、ニルセンラヴとのトリオあたりが彼にとっていちばんフリーに接近した作品なのかもしれない。本作は、彼の率いるピアノレストリオで、おそらく年齢も近い、気心の知れたメンバーとやりたいことをやりたいようにやった作品だと思われ、(音色の説得力にはやや欠けるが)たいへん力強いテナーブロウが聴ける。ただ、ディスクユニオンの紹介では「走り出したら止まらない系サックス・トリオ”GYLDENE TRION”の壮絶ライブ・アルバム!!(中略)この人たちはとにかくパワー!パワーのためなら死んでもいい!とでも言いたげな全5曲で全て10分オーバーという密度の濃い一枚で、疾走するリズム・セクションと唸りをあげるサックスがどこまでも気持ちいい快作!!」とあるが、そんなことはなく、どちらかというと地味な、朴訥とさえいいたくなるような、じっくり聴かせる感じのアルバムだと思った。モンクの曲を二曲もやっているせいかもしれないが、古いロリンズのピアノレストリオやジョー・ヘンダーソンのピアノレストリオなどを思わせる、自由で豪快で大胆で繊細でしみじみと心を打つ地に足のついた演奏。すごく気に入った。
「PLAYS A LOVE SUPREME」(MOSEROBIE MUSIC MMPLP084)
JONAS KULLHAMMAR QUARTET
とにかく古今東西、世界中のテナー吹き、みんながやりたがる「至上の愛」の全曲演奏。1曲目とか4曲目だけ演奏、というのではなく、まるごとやるのはコルトレーンに影響を受けたテナー奏者にとって最大の挑戦であろう。最近ではなんとイーヴォ・ペレルマンが挑戦したという情報を目にした。アラン・スキッドモア、ポール・ダンモール、ブランフォード・マルサリス……とにかく大勢がチャレンジしている。「ただ単に、演奏の素材としてチョイスしただけ」みたいなことは通用しない、現代を生きるテナー吹きにとってのひとつの壁のようなものだと思う。そんなこたぁ関係ないよ、というひとはともかく、やる以上はコルトレーンを越えたい、あるいはコルトレーンのオリジナルを尊重しつつ彼とはちがった個性を出したい、とかいう感じで演奏されるのだと思う。しかし、コルトレーンのあの、なんというか「真摯」な雰囲気、荘厳さ、透明感、重量感を再現(?)するのは至難の技だ。「ジャイアント・ステップス」をやりこなすのとは違った意味でのチャレンジなのだ。ここでのヨハネス・カルハマーの演奏は、非常にコルトレーン的な精神性を感じさせるだけでなく、十分にオリジナリティのあるプレイで、たとえコルトレーンの「至上の愛」を聴いたことがないというリスナーが聴いたとしても感動させる内容だと思う。それが重要で、ここでの四人は、コルトレーンやマッコイ、ギャリソン、エルヴィンらの物真似をしているわけではない。コルトレーンから影響は受けているだろうが、それを自分の音楽として昇華したものを満を持してぶつけているわけで、その自信というか確信を聴き手は享受すればいいと思う。そもそもカルハマーの音色はコルトレーンの透明感と重量感のある音色とは違って、どちらかというとざらざらした、雑味のある音である。そこがまず違う。しかし、聴いているうちに、「目指すところは一緒なのだ」という気持ちになってくる。つまり、音色やフレーズがどうであれ、いや、楽器がなんであれ、「至上の愛」を演奏して、形として残すのだ、という真摯な思いに打たれて、あとはひたすら聴くだけである。そうなんです、私は案外そういう気持ちでコルトレーンの音楽に接しているのです。でも、演奏というのはひとそれぞれ、考え方があるので、「至上の愛」の曲を単なるモードジャズの素材でしかない、と考える奏者がいても、なにもおかしいことはない。しかし、本作でのカルハマーの演奏はそうではない、ということをひしひしと感じるのです。小さめのレコードジャケットには「JKQALS」という大きな文字が印刷されているだけだ。バンド名もタイトルもない。これは「JONAS KULLHAMMAR QUARTET PLAYS A LOVE SUPREME」の略なのだろうが、そういうあたりにもカルハマーの意気込みを感じるのです。1曲目はヴォイスは使わず、とか、2曲目はモードばりばり、とか、3曲目はドラムをフィーチュアしてデュオもする、とか、まあある種の「決まり」がある「至上の愛」だが、そういうあたりにもちゃんと目配せしつつ、しっかり自分の演奏を貫くカルハマーはかっこいいです。正直、演奏時間としては短いが、その分、ぎゅーっと凝縮された感があって、成功している。傑作!