sergey kuryokhin

「SOME COMBINATIONS OF FINGERS AND PASSION」(LEO RECORDS CDLR179)
SERGEY KURYOKHIN

 このアルバム、めちゃくちゃよく聴いた。今でもよく聴く。全体にクラシック的な香りがするが、ときどきジャズやブルース的なものの素養が顔を出す感じ。一言で言うとなんといっても楽しい。楽しすぎる。クリョーヒンといえばケシャヴァンとのデュオ、という風に私の中ではなっているのだが、これはレオから出ているソロピアノ(それにしても、うちにあるレオのアルバムはめちゃくちゃ多いと思う。もしかしたら一位かも)。アルバムタイトルが意味深で、「指と情熱のあるコンビネーション」ということだが、クリョーヒンは「ピアノによる演奏」をそうとらえているのかもしれない。私のクリョーヒンに対するイメージは「めちゃくちゃなことをするひと」だが、このアルバムは私の知るかぎりもっともきちんとしたクリョーヒンのアルバムで、私が持っている唯一のソロアルバムである。1曲目は「情熱と感覚のコンビネーション」というタイトルで、30分もある大作である。どこまでがコンポジションでどこからが即興なのかよくわからないが、ほとんどがコンポジションあるいは周到に準備されたもののように思える。その場の思いつきでありもののモチーフをメドレーにしているのかと思わないでもないが、やはりちがうと思う。配列も、つなぎかたも含めてこれはひとつの壮大なドラマなのだ。クラスター的になる瞬間もないことはないがほんの一瞬である。とにかくめちゃくちゃかっこいい。長尺だが、じつは多くの異なった場面が連続していてひとつの組曲のようである。見せ場がたくさんあり、聴いていてエキサイトするすばらしい音楽。最初静かにはじまるが、それがさまざまな展開を経て、次第に増水時の大河のように圧倒的なパワーをもって流れていくさまは感動的である。強烈な左手と右手のコンビネーションによるリズムの力が凄いが(それはこのアルバムのほかの曲についてもいえる)、ときには左手と右手がそれぞれ別の奏者のようにふるまい、デュオのように聞かせたりと千変万化である。濃密だが、楽しいので聴いているときはそういうことを感じない。とにかく意志の力というか演奏者の鋼のような統率力(?)を感じる。2曲目は「力と情熱のコンビネーション」とあるが、実は副題が示すようにデイヴ・ブルーベックへのトリビューションであり「ブルー・ロンドのロシア的解釈」である。なんのこっちゃと思うかもしれないが、聴くとなるほどと納得する。もともとのブルーベックの「ブルー・ロンド」は「ブルー・ロンドのトルコ的解釈」なのだ。というか、曲自体はまあ、ブルーロンドそのものであるが、びっくりするほどクリョーヒンカラーに染まっている。なんでもありである。なるほどなあ、こういう発想が、あの大編成でのむちゃくちゃなものをぶち込んだごった煮的な演奏につながるのかも。すごいテクニックを披露しているがこれみよがしではない。3曲目は「手と足のコンビネーション」というタイトルでルバート的に静かにはじまり、幻想的な雰囲気で進んでいくが、途中に何度か挿入されるわけのわからないノイズは本人のヴォイスなのか? それをきっかけに演奏がべつの場面というかステージに突入する。タイトルの「足」はペダルのことなのか。まんなかあたりで感傷的な伴奏に乗って酔っ払いの歌みたいなのが突然はじまったりするところはまさにクリョーヒン的。4曲目は「ブギーとウギーのコンビネーション」ということで、左手はずっと同じブギ的なパターンを弾いており、右手がいろいろなそこに仕掛けていく。途中本当のブギウギっぽくなったりなにかにひっかかるようなぎくしゃくしたものになったりクラスター的になったりと飽きさせないが、ずっとこれを弾き続けるというのもたいへんなのだろうなあ。いやー、最高のアルバムだと思います。傑作。

「FRIENDS AFAR」(MANCHESTER)
SERGEY KURYOKHIN & KESHAVAN MASLAK

 大好きなアルバム。私が買ったのはアマゾンの、発注するとオンデマンドで制作されるみたいな感じの、録音データも作曲者クレジットもないかなりええ加減なCDなのだが、中身は最高である。買ってから何度聞いたかわからん。クリョーヒンのクラシックをベースにした硬派なピアノとケシャヴァンのぶっとい音でのヒステリックでアナーキーなテナーやラプソディックなクラリネット(バリサクと尺八も吹いてる?)のからみはすばらしい。曲もメロディックで哀愁ただようものやどこかのフォークソングっぽいもの、エキゾチックなもの、「悲しき天使」などのポップス、底抜けに明るい曲、インプロヴィゼイション……などなどが濃密な状態でぎゅーっと詰まっている。5曲目のクリョーヒンがわけのわからん言語で延々とわけのわからんことを言い、ケシャヴァンが三味線(?)みたいな弦楽器とエレクトリックノイズで応じるあたりのぶっ壊れっぷりは最高で、このデュオを評するときによく使われるであろうシュールとかダダといった言葉がやはり念頭に浮かぶ。このふたりのひとひねり、ふたひねりした皮肉で秀逸なユーモアとでたらめ感覚を聞くだに、クリョーヒンとケシャヴァンがいかに息があっていたか……ということを実感する。9曲目のノイズだけの演奏などのかっこよさは(エレベ弾いてるのはだれ? ドラムは?)、ペースチェンジというレベルを超えていて、マジな感じ。10曲目の「ロマンティカ」という美しいピアノのバラードにケシャヴァンが「うわあっ」と叫んだり、小物でいろいろちょっかいを入れたりしていたのが、曲調がメジャーに変化してそこからどんどんと坂を転げ落ちるように……というあたりの暴走ぶりがこのデュオを一番よく表しているかもしれない。終わりに「これは終わりではない」というタイトルの曲(一番浮遊感漂う演奏)が入ってるのもおもろいですね。とにかく全部で12曲入ってるが1曲1曲バラエティに富んでいて、飽きることなくあっというまに一枚を聞き終える。とにかく私はケシャヴァンが好きなのだ。この、過激で過剰でアナーキーで情熱的で破壊的で無茶苦茶ででたらめで……それなのにじつはめちゃくちゃ上手く、楽器コントロールもきちんとしていて、自分のいいたいことをいうこのひとを愛しているのである。このふたりのコンビネーションは本当にはんぱないぐらい緊密で、嫉妬を覚えるほどだ。クリョーヒンはともかく、ケシャヴァン・マスラクというこの稀代のサックス奏者、音楽家に正しい評価を与えてほしい。本作は、私の基準でいうと歴史的傑作……ということになるのだが、いかがなものでしょうか。「サキソフォン・コロッサス」(とか)に匹敵すると本気で思っています。

「DEAR JOHN CAGE WHEN YOU SEE SERGEY PLEASE SAY HELLO」(MANCHESTER)
SERGEY KURYOKHIN & KESHAVAN MASLAK

「FRIENDS AFAR」と姉妹というか兄弟というような関係にあるクリョーヒンとのデュオだが、ケシャヴァンのこういうアプローチはかなり珍しいと思う。全編、フリーインプロヴィゼイションで、ケシャヴァンもいつもの野太いR&B的なゴリゴリした吹き方は一切せず、息を抜いた感じの音量控えめでクールな即興を延々と行う。非常にシリアスで楽器の音より息の音のほうが多いかもしれない。ジョン・ケージに捧げた(?)アルバムで、1曲目は「ディア・ジョン」、2曲目は「ケージ」というタイトル。どちらも20分を越える長いインプロヴィゼイションである。1曲目のほうはケシャヴァンはフルートに徹しているように聞こえる。2曲目のケシャヴァンはフルートどころかなんだかよくわからない弦楽器(?)とか電気楽器だけのように思える。それがおもろいんやからなー、不思議ふしぎ。おい、サックスは? クラリネットは? というあたりがケシャヴァンの矜持でありユーモア感覚でありめちゃくちゃなところだと思う。この緊張感あふれる即興を聞いていると、クリョーヒンはもちろんだがケシャヴァンもこういう演奏をするんやなあ……と思う。