「SPILIT OF MINGUS」(FREE LANCE FRL−CD016)
STEVE LACY/ERIC WATSON
めっちゃいいアルバムで、全曲ミンガスの曲ばかりをピアノとソプラノサックスのデュエットでしみじみ歌い上げた作品であるが、これがミンガスの世界かと言われると、それは全然違う。あくまでレイシーの世界であり、エリック・ワトスンの世界なのである。ミンガス流の暴走も、あくの強い展開も、メッセージ性もない。しかし、ミンガスの作品を素材として取り上げたことによって、逆にミンガスのコンポーザー、アレンジャーとしてのすごさが浮かび上がることになった。それにしてもレイシーは上手い。音楽として云々する以前に、ソプラノ奏者として単純に上手い。コルトレーンのギャーッというソプラノがソプラノの典型的な演奏だと思っているひとには、ぜひこういったレイシーの演奏を聴いてほしいと思う。もう、めっちゃ気持ちいいんですから。レイシーを聴くと、ソプラノサックスはサックスではなく、ギリシャのパンフルートかなにかのような、きわめて洗練された民族楽器のように響く。
「THE KISS」(LUNATIC RECORDS 002)
STEVE LACY
レイシーにはソロ作がめったやたらとあるので、どれを聴けばいいのか迷うが、本作はかなり上位に位置するのではないだろうか。音楽と関係ないところから語ってみると、まず、ジャケットがすばらしい。もう、とにかく印象的でインパクトのあるジャケットで、内容と関係なく、飾っておきたいぐらいである。そして、レイシーが生涯こだわりつづけたモンクの曲ももちろん演奏されているが、基本的にはレイシーのオリジナルが主となっていて、そのあたりのバランスもいい。そしてなにより、日本でのライヴ(広島)という点もうれしいではないか。そういった「音楽」以外の部分からこのアルバムを好きになったとしても、なんら問題ない。というのは、中身がめちゃめちゃいいから。レイシーの場合、ライヴであってもラフにならず、ソプラノサックスという楽器をきっちりと吹いて、あらゆることに注意を払いつつ、サックスによる「ソロ」という形式を崩すことなく、押し進めていくわけだが、やはりそうは言っても、そのときそのときによって演奏の「乱れ」が生ずる。もちろん、本人もわかっていての「乱れ」であるが、本作でもそういう箇所はあちこちにあって、それがまたいいんです。ライヴならではの雑な部分もあって、そこがまた、パワーを感じさせるんだよなあ。レイシーのソロに関しては、どんな作品でも一定のレベルを保っているが、あとはそこからどれだけ上に行くか、ということで、その要因はたぶんほんのちょっとしたことなのだろう。レイシー自身がライナーで「良質の木製反響板を備えた完璧な会場、熱心に聴きいる聴衆、そして素晴らしいリードにめぐまれた」と書いているし、広島という録音場所についても「避けて通ることのできぬ歴史があるために、おそらく音楽の中でしか捉えることのできない、そして音楽によってしか答えることのできない特別なバイブレーションがある」と書いている。そういったほんのちょっとしたちがいが、テーマに基づいているとはいえ、100パーセントミュージシャンがコントロールできるソロという形式において、微妙なちがいを生み出すのだろう。たしかにここで聴かれるレイシーの演奏は、たとえば高音部の「ぴゅっ」というような吹きかたをされた音の明瞭感などが際立っているように思えて心地よい。何度も何度もリピートして聴いて、天の与えた僥倖を楽しもう。正直言って、それは夢のような時間なのです。
「I REMEMBER THELONIOUS」(NEL JAZZ NLJ0959−2)
STEVE LACY & MAL WALDRON LIVE AT JAZZ IN’IT
レイシーとマルのデュオによるモンク曲集。スティーヴ・レイシーといえばモンクだし、マル・ウォルドロンもモンクの影響を少なからずこうむっているピアニストだし、しかもこのふたりの顔合わせは珍しくないし、また、レイシーに駄作なし、という言葉もあるわけで(あったっけ?)、なんの不安ももく聴いてみたが、あれ? と思った。ちょっとあまりに表現がストレートすぎるのではないか。曲も「モンクスドリーム」「リフレクションズ」「エピストロフィー」「レッツ・コール・ジス」「ラウンド・ミドナイト」「エヴィデンス」「ウェル・ユー・ニードント」と、レイシーがこれまで幾度となく手がけてきた曲ではあるものの、こうして並べられると、それはあまりにモンクヒット曲集的な選曲すぎるのではないか。これまでのモンク集は、少しはマイナーな曲が入っていたり、オリジナルが入っていたりして一種の落とし前(?)をつけていたような気がする。それにこう、演奏に逸脱がないというか、おとなしめというか、味わい深いといえばそうなのだが、めっちゃノーマルなプレイに終始しているようにも思える。ライヴなので、もう少しはじけた感じがあってもいいのになあ、と思って、ライナーノートを見ると、かなりの長文だがこれがイタリア語なのでなんのこっちゃさっぱりわからない。しかし、そこに添えられた写真を見て、謎が解けた。なるほど、これはCD上はデュオのように聞こえるがそうではないのだ。テリ・ウェイケイ(と読むのか?)というプリマドンナのダンスが加わって、舞台上は3人によるパフォーマンスだったのである。観客は女性ダンサーの自由な踊りを目にして、それの伴奏的にこの演奏を聴いていたわけだが、CDだとそれがひとりマイナスになりデュオにしか聞こえないわけで、これはパフォーマンスを完全に享受できたことにならない。そういうわけで、もう一度、今度は頭のなかで、ステージで踊るダンサーをイメージしながら聴いてみたが、なるほど、なんとなくまえよりもこの演奏の意味がわかり、良さもわかってきたような……気がする。でも、本来はあくまで3人で完成されるパフォーマンスなのである。最後の曲だけなぜかバド・パウエルの曲というのも面白いですね。
「SCHOOL DAYS」(EMANEM DISK 5016)
STEVE LACY
なかなか意味深なタイトル。ルイ・ジョーダンとは関係ない(あたりまえ)。今から考えると、たいへんなオールスターバンドである1963年のレイシーカルテットのライヴ。レイシー、ラズウェル・ラッド、ヘンリー・グライムズ、デニス・チャールズというメンツ。全曲モンクの曲で、しかも1〜3曲目まではヘンリー・グライムズが遅刻して来なかったらしく、トリオによる演奏。テーマのあと、それぞれのソロのときはドラムとのデュオ状態なわけだが、レイシーとラッドのあきれるほどクオリティの高い即興能力に驚く。ほんと、上手すぎて呆然とするレベル。4曲目から7曲目まではグライムズが到着してカルテットになり、本来のこのグループのサウンドに。これもめちゃくちゃいい。「ブルー・ボリバー・ブルース」のテーマのいきいきした感じなど、聴いているとあまりのかっこよさにほれぼれする。8、9曲目は、なんとレイシーが参加した1960年のモンククインテットのライヴ。ドラムはロイ・ヘインズでテナーはラウズ。レイシーもがんばっているが、ラウズの圧倒的なソロが輝きまくっている。やはりラウズというひとは、モンクの曲の解釈が抜きんでているし、自分の個性もちゃんと持っている極めて優れたテナー奏者だったと思う。ラウズは、自分のリーダー作でハードバップをやるとうまいのに、モンクとやるときは凡庸……という評は耳の悪いアホが言ってるのだと思う。なお、1〜7はもともとエマネムのLPで出ていたもので、その後、他レーベルで何度かCD化されたが、今回はじめて当日の演奏順通りの再発になったらしい。また、8、9曲目は、当日のアナウンスも含めた状態で海賊盤としてCD化されていたが、それは「悪い音質とまちがった日付」だったと書かれている。かなり詳細なライナーがついているうえ、エウァン・パーカーによる、62年に完全プライベートでニューヨークに行き、このグループを生で見たときの思いでを詳しく語っ文章がついていて、興味深かった。ラズウェル・ラッドのオーバートーンでのウォーミングアップのことや、レイシーが「リクエストを受け付けますよ。我々はモンクの曲ならどんな曲でも演奏できます」とMCしていたことなども楽しそうに書いている。おなじ滞在中に、ジミー・ライオンズ、サニー・マレイを擁したセシル・テイラーのバンド(訪欧してカフェモンマルトルであのアルバムを吹き込むよりまえらしい)や、エリック・ドルフィー・クインテット(ハービー・ハンコック、リチャード・デイビス……)を体験したことも書かれていて、「アメイジング!」とコメントしている。また、レイシーのインタビューを載せた小冊子(?)もついていて、かなり気合の入った再発である。すっごく面白かった。傑作。