「BUSTER BEE」(SACKVILLE SKCD2−3018)
OLIVER LAKE & JULIUS HEMPHILL
私の嫌いな某クラシック〜ジャズ専門店で買った。その店は、ほとんどがデキシー、スウィング、趣味のいいモダンジャズ、ボーカルなのだが、たまーになにを血迷ったかフリージャズ系のものを仕入れてしまうらしく、それを300円とか500円とかの捨て値で叩き売るのである。それなら仕入れなきゃいいのに。自分の本がブックオフなどで10円ワゴンに入れられていたときのような悲しさを覚える。ネット古書店で1円で本を売っているのも悲しいが、ミュージシャンが心血を注いでつくったアルバムが、新譜のまま300円ではなあ……。その店には腹がたつのでめったに行かないが、1年に一回ぐらい行くと、捨て値コーナーのフリージャズをありったけ救済してやりたくなる。これはそんな一枚。ワールド・サキソホン・カルテットのジュリアス・ヘンフィルとオリバー・レイクという、正直いって私の苦手なタイプのふたりのリズムセクションなしのデュオ。ジュリアス・ヘンフィルに対する偏見はかなりなくなってきたが、コンポーザー、アレンジャー、コーディネーターとしての実力は土下座したくなるほどに認めるが、サックス奏者としてはやはり苦手な部類だ。そもそもフリー系のアルトはごく一部をのぞいてあまり積極的に聴く気になれない。オリバー・レイクはもっと苦手で、ロフト時代のものやジャンプ・アップや、とにたくいろいろ聴いたが、どうもぴんとこない。でも、WSQでの演奏は両者とも好きで、たぶんそれはデヴィッド・マレイ、ハミエット・ブルーイットという私の大大大好きなふたたが入っているから、アルトふたりに関しても、余裕をもって接することができているのだろう。で、話は戻るが、このアルバムは、WSQの4人のなかでも苦手な二人だけの演奏ということで、「捨て値アルバム救済」ということがなければ、ぜったい買ってないはず。しかし、やはり「出会い」というのはあるものだ。めちゃめちゃよかった。どうよかったかというのを文章で書くのはなかなかむずかしい。ふたりのアルトがいきいきとしてつむぎだすスピーディーかつアグレッシブなラインが、破綻することなくひとつの音楽を形作っていくのを聴いていると、やはりこれは「熟練」という言葉を思い出さざるをえない。一朝一夕にはできない演奏なのだ。何度か聴いたが、そのたびに、老練なふたりの黒人フリージャズミュージシャンがこれまでにたどってきた道や聴いてきた音、茶目っ気、自己顕示欲、相手をたてようとする気持ち、裏切り……いろんなことが見えてきて、これほどおもしろいものはない。いわゆるフリーインプロヴァイズドミュージックにはない、ブラックミュージックとしての表現に徹していることも、じつに楽しい。
「OLIVER LAKE QUARTET FEATURING MARY REDHOUSE/SANTI DEBRIANO/GENE LAKE LIVE」(PASSIN’ THRU RECORDS 41221)
OLIVER LAKE QUARTET
うーん………………これはどうかなあ。オリバー・レイクが、アメリカンネイティヴのマリー・レッドハウス(女性)らと共演したライヴ盤。オリバー・レイクはサックスとスポークンワード、つまりセリフ。マリー・レッドハウスはボーカルとインディアンフルートを吹く。あとはベースとドラム。ライヴということもあって、ぜったいおもしろいにちがいないと思って購入してみたが、珍しく勘がはずれた。これは私のいちばん苦手なタイプのフリージャズ。パワーミュージックとしてもブラックミュージック(あるいは民族音楽をとりいれたジャズ)としてもインプロヴァイズドミュージックとしても中途半端。妙に観念的で、妙に変なところにパワーを発揮する。印象をひとことでいうと「ごちゃごちゃしている」。いくら魅力的なセッティングでも、こんな風にごちゃごちゃ演奏しているうちにパワーダウンしてダレてしまうのだ。私が、フリージャズのアルトがいまいち苦手だ、はっきり言って「嫌い」だと常日頃言っているのは、この手の演奏が多いからであって、最近はかなり食わず嫌いも直ってきていたし、これはいいなあと思う演奏もたいへん多いので、うっかり油断していた。オリバー・レイクも、へー、こんなすごいアルバムもあるのか、とけっこう近頃は気に入ってたりしたので、このアルバムをきいて、そうそう、オリバー・レイクってこうだよね、とあらためて思いかえしたりした。ハッとする瞬間、ドキッとする瞬間も多々あり、もちろん意欲作でもあり、だからこそしんどいアルバムである。でも、たぶんこれがテナーのひとなら、ここまではっきりとダメとは思わなかっただろうな。逆に、「ええなあ」と思っている可能性大だし。とまあ昔は思っていたのだが、その後、何十年ぶりかにアルトを購入し、今ではすっかりアルト好きに逆戻りしている。そういう耳で聴き直すと、いい演奏に聞こえてくるのだから、人間の耳なんてあてにならないっすね。
「MATADOR OF 1ST & 1ST」(PASSIN’ THRU RECORDS 40709)
OLIVER LAKE
「傑作」という言葉を使うのもためらわれるほどの傑作。1枚に無伴奏ソロが37曲入ってるのだが、サックスを吹くだけでなく、かなりの部分を歌やしゃべりが占めており、「オリバー・レイクの世界」的な内容(このあたり、坂田明の「百八煩悩」とも共通している)。充実とはまさにこのこと! と言いたくなるような、こてこての短い演奏がぎっしりと幕の内弁当のように詰まっており、一曲一曲は短いけど、たとえ30秒のソロでも、5分の演奏のように重くて手応えがある。曲があまりに短すぎるせいか、全編通してひとつの組曲のように聞こえるのも「百八煩悩」と同じだ。やっぱりオリバー・レイクはすごいなあ。何度も書いたように、フリージャズのアルト吹きはあまり好きではなく、オリバー・レイクもこれまで何度も、あー、わしには合わんなあ、と思うことがあったが(「ワイルドフラワーズ」とか「ジャンプ・アップ」あたりがトラウマのようになっているのかなあ……)、このアルバムで完全に恐れ入ってしまった。今後は二度とそういう口をききません。オリバー・レイク万歳。ブラック・ミュージックと呪術とフリージャズがないまぜになって、ひとつの巨大な滝を形作っているような感じ。滝からどうどうと落下する大量の水を頭から浴びたような、そんな衝撃と快感を受ける一枚。すごいわー。いくらほめちぎってもほめたりない。このアルバムって、じつはフリー系のファンにはめちゃめちゃ有名なのかな。私は存在すらしらなかったが、とにかくたくさんのひとに聞いてもらいたい傑作。
「UNDER THE SUN」(FREEDOM BAG MZCB−1398)
HUMAN ARTS ENSEMBLE
このアルバムはめちゃくちゃ昔、学生のころか会社員になったころか、アリスタのジャケットのやつを買ったのだが、聴いてみて、あまりにアホみたいな演奏でびっくりして、しばらくして売ってしまった。こうして再発されるとは隔世の感があるが、私はBAGのことはあんまりよく知らなかったので、ヒューマン・アーツ・アンサンブルはずっとチャールズ・ボボ・ショウがリーダーのバンドだと思っていた。これも記憶に頼って書いているのだが、たしか日本の評論家のだれかが聞きに行ったときに、チャールズ・ボボ・ショウに「マイルスのバンドみたいだろ!」と言われた、ということを書いていた記憶がある。しかし、今回詳しいかたのライナーを拝読して、ヒューマン・アーツ・アンサンブルがBAGの抱えているハウスバンド(?)的なもので、ボボ・ショウはBAG解散後にその名義を受け継いだ、ということがわかった。それにしても「チャールズ・ボボ・ショウ・アンド・ヒューマン・アーツ・アンサンブル」とか「ビーヴァー・ハリス・アンド・360度ミュージカル・エクスペリエンス」とか言われると、「かっこええなあ……!」とバンド名の時点でおもってしまうので、音を聴いてその名前とのギャップにがっくりしたりすることはある。と、まあ、そういうことで再発された本作を何十年ぶりかに聞き返したのだが、いやー、笑ってしまいました。そうそう、こんな感じやったなあ……。フリージャズ+民族音楽+エレクトロニクス……みたいな雰囲気で、延々やりつづける。2曲入っているが、1曲がやたらと長いのが特徴でもあり、アート・アンサンブル・オフ・シカゴのようにその場その場で変異していかず、基本的なビートがずっと維持されている(つまり、フリーファンクみたいなものにも通じるのか?)。1曲目は民族音楽というにはあまりに中国風なエキゾチックなテーマのあと、いなたい感じのビートになり、そこにソロが乗ったり、集団即興が乗ったり……ということが繰り返される。ここが退屈に感じるか、「うわー、おもろいやん」と感じるかによって本作の捉え方は変わると思うが、私は今回聴いて、けっこう面白かった。それは、(おそらく)JDパランというひとのバスクラとかだれが吹いているのかわからないアルトとかベース、パーカッションなどのそのときどきのちょっとした思いつきのフレーズとか……がCDとしてちゃんと聞き取れて、45年以上まえのシカゴにおけるこの新しい音楽の胎動がある程度響いたからであって、昔、LPて聴いたときはただの「ぼわーん」とした音の塊にしか聞こえなかった。初期のフリージャズにおける録音の問題はたいへん切実だと思うがそれはさておき、やはり、このビートのうえでの延々たるソロのリレーは、こうして録音物として何度も享受すると、ちょっとしんどいが、それでもハッとする瞬間は無数にあるので、そういうところを拾っていけば、歴史的な意味合いだけでなく音楽的な意味もちゃんとある作品だと思う。売ってしまってすいません。だれにでも勧められる作品ではないのかもしれないが、おもしろがりどころはたくさんある(とくにバスクラ)。しかし、即興というものにつきまとう問題なのかもしれないが、ソロをリレーしていく過程で、だんだん盛り上がっていき、最後にはドカーンと爆発する……ということがなかなか難しいということははっきりとわかる(それはたとえばサドメルとかギル・エヴァンスとかでも……)。はっきり言って、飽きてしまっているリスナーを引き戻すのは容易ではない。いくらいいソロをぶちかましても、ダメなのだ。だから全体の構成をちゃんと考えてさあ……という話になると、そんなものは即興じゃない、あるいは芸術じゃない、ということになる。私はこのぐだぐだした演奏は大好きだが、これを「大好き」と言い切るまでには30年ぐらいかかったわけで、それはやっぱりあかんのではないでしょうか。ピーター・バラカンが書いている「周りでいろいろな野生動物が声を発しているジャングルを彷徨っているような気分」になる、と書いているのは「なるほど!」と思った。2曲目は2小節のリフの繰り返しで、あとは1曲目と同じくソロのリレーで20分。へろへろしたビートがずーっと固定されてて、メンバー全員が溶け合うような演奏にもならず、全体を引っ張るような強力なソロもなく、印象としてはずっとだらだらした感じになってしまう。これをマイルスの「オン・ザ・コーナー」とかの踊れて、しかも即興が過激に展開している、というような音楽や、オーネット・コールマンの「オブ・ヒューマン・フィーリングス」などのプライムタイムの諸作と比較するのは難しい。でも、8分ぐらいから展開されるソプラノとドラムとピアノの即興(ソプラノサックスは表記がないのでだれだかわからない。マーティー・エーリッヒか?)とそのあとのアルトソロ(オリバー・レイク? もしかしたら逆かも)、そしてベースとチェロのデュオは本作におけるもっともスリリングな場面である。 まあ、本作についてはオリバー・レイクの項に入れておく。
「NTU:POINT FROM WHICH CREATION BEGINS」(FREEDOM MUSAK MZCB−1399)
OLIVER LAKE
これは聴いたことがなかった。オリヴァー・レイクにあまり興味がなかったからだと思う(今もあまり興味がない。なぜだろう。ジャンプ・アップとかも。ワールド・サキソフォン・カルテットだけは別で、これもまた不思議)。カリンバや動物の鳴き声のようなパーカッションの思わせぶりなイントロと、いかにも70年代ドロドロジャズ的な露骨な3拍子のベースのオスティナートに導かれて、4管(アルト1、トランペット2、トロンボーン1)によるテーマ、そして、溌剌としたトランペットソロ(バイキダ・キャロル?)……というわかりやすい展開である。とにかく延々と3拍子のベースラインは暑苦しく続く。ファラオ・サンダースやシェップなどの同じころの作品同様で、パーカッション軍団のカラフルなリズム(ポリリズムというほどではないが、アフリカを意識した感じ)+オスティナート+フリーキーなソロという典型的な演奏であって、私は大好きである。なにしろ、タイトルが「アフリカ」ですから。このリズム、この躍動感、このもったいぶった大げさな雰囲気、なにかが起こりそうで、でも起こらない物足りなさ……すべてが(はっきり言って)70年代ジャズーっ! という感じである。私はこういうのが好きなのだ。でも、もうちょっとソロイストはがんばってほしいような気がする(とくに主役のレイク)。まあ、このひたすらグルーヴするリズムを聴いているだけでも十分といや十分なんですが。あと、ソロイストがどんなに仕掛けても、基本的にベースラインはあまり変わらない、というあたりもこの手の演奏ではありがちだが、本作でもそんな感じです。トランペットソロのあと、いまいち引っ込んだ音のピアノソロ(でも、それが幻想的な効果を生んでいるかも)、そして、レイクのアルトソロ。どれだけぐしゃぐしゃ吹こうと、ベースは淡々とオスティナートを弾き続ける。2曲目はフルートがメロを吹くラテンな曲。ヒックスのピアノソロはこのころから流麗で、アケタさんのようになにか言いながら弾いているようだ(マイクにはあまり入ってないけど)。そして、めちゃくちゃ短いトランペットソロのあと、ギターが武骨な、というか、ゴツゴツした印象のソロを取ったあと、フェイドアウト。ちょっと物足りない。3曲目はフリーインプロヴィゼイション的なはじまりのあと、どうなるのかな……思っていると、みんながちょっかいを出したあと、またしてもはじまるベースのオスティナート(変拍子)。それに載せて、それぞれがソロをするパートと、フリーインプロのパートが交互に出てくる、という趣向で、基本的にはギターがエフェクターをかけまくってノイズっぽく弾きまくる。時代の雰囲気はものすごーくあるが、いまどきではないかも。なにしろタイトルが「エレクトリック・フリーダム・カラーズ」だからなあ(タイトルそのまんまの演奏だ)。4曲目はフリーリズムでのアンサンブルで、とても面白い演奏。本作のなかではいちばんフリージャズ的で、全員がもがき苦しみながらひとつの頂点を目指している感じが伝わってくる。本作の白眉といっていい演奏。ラストの5曲目は、「ジャズ」的なドラムソロから始まり、オーネット・コールマン的なビバップの戯画的なテーマに続いてレイクがヒステリックなアルトを吹き倒す。トランペットソロも同様で、テクニックとかフレージングを越えたもの……言うなれば超無茶苦茶な演奏で、これが71年の演奏か……と思うとなんとも言えない感動がある。ジョー・ボウイのトロンボーンも熱い。熱けりゃいいのか、と言う意見もあるかもしれないが、今のようにいろいろな音楽を俯瞰できる状況ではなく、皆が手探りで明日を探していた70年代初期にこういう演奏を繰り広げていたひとたちがいて、その、ごくほんの一部がこうして録音として残ったということに私は感動せざるをえない。音楽的感動とは若干ずれているかもしれないけどね。この「なにかをしようとしているのだが、なにをしているのか、なにができているのかわからない……」というもやもやした感じ、というのはこのころのフリージャズにつきまとっていたものであって、それを痛快に突き破ったのが山下トリオである、というのがジャズ史的にはなっているのかもしれないが、山下トリオは突然変異的に現れたわけではなく、こういうアメリカやヨーロッパでのミュージシャンたちの試行錯誤のなかで出現したのだと思う。今の目で振り返ると、こういう音源に刻まれた当時の模索とその果実はものすごく興味深いし、聴いていて熱いものを感じる。プロデュースはジョン・ヒックスが手掛けている。「決して万人には勧められないが」と書こうとして、それって私の小説にいつもネットで付け加わっている言葉じゃん、と気が付いた。とほほほ。