yusef lateef

「EASTERN SOUNDS」(PRESTIGE PRCD−30012−2)
YUSEF LATEEF

 ルディ・ヴァン・ゲルダーのリマスターによる一枚。リアルでど迫力のサウンドは、リマスターのせいなのかどうか、オリジナルを聴いたわけではないのでわからんけど、とにかくかっこいい。選曲や使用楽器がバラエティに飛んでいるので、各曲解説をしよう。一曲め、いきなりわけのわからない楽器を使っている(中国のフルートらしいけど……)。ビール瓶の口を吹いているような、茫洋とした、一種癒し系の音。これがなんともいえない、いい雰囲気を出している。二曲目はオーボエによるブルースで、タイトルも「ブルース・フォー・オリエント」となっているが、実際は中近東風というより、オーボエでちゃんとブルーノートを駆使したブルージーなフレーズを吹きまくっていて感動。このひとのオーボエは、チャルメラ風ではなく、ローランド・カークのマンゼロ的な豪快さがある。つづく三曲めは五拍子のむずかしいノリの曲だが、レックス・ハンフリーズのドラムがよくて(このアルバム全体への貢献大)、ラティーフの豪放なテナーをいっそう引き立てている。四曲めのバラードなど、ちょっと聴くと、ぶっきらぼう(?)なノリがデクスター・ゴードンを思わせるような、まさに正統派の吹きっぷり。五曲めは、このアルバムの白眉ともいうべき、オーボエによる「スパルタカスの愛のテーマ」だが、これがなんともいえず美味しくて、何度でも聞き返したくなるような蟻地獄のような魅力にあふれている。六曲めは、ちょっとモードっぽい曲調で、ユーセフ・ラティーフのテナーもそういった「ちょい新し目」のフレーズをうねるように吹きまくる。七曲めはミステリアスなバラード。この曲が私としては一番、タイトルの「イースタン・サウンズ」を感じました。八曲めはラストはビブラートを目一杯きかせたフルートの曲。吹きっぷりがしみじみかっこいい。ラストもフルートの曲で、これもちょいと中近東風といえば中近東風だが、実際、七十年代にはこの程度の曲はいくらでもあったわけで、とりたてて「イースタン・サウンズ」というほどのこともない。とにかく、ユーセフ・ラティーフの多芸かつ芯の通ったすばらしい演奏がたっぷり味わえるショーケース的な一枚として堪能しました。そう考えると、あの一曲め……あんな変な楽器の演奏を一曲めに持ってくるあたりが、さすがラティーフだよなあ。

「10 YEARS HENCE」(WOUNDED BIRD RECORDS WOU 2100)
YUSEF LATEEF

 ライブだが、一曲目の組曲的なナンバーがまずもって凄い。おそらく普通のジャズクラブでの演奏だとおもうが、ノリはいいが、その実、かなり音楽的にハイレベルなソロが繰り広げられていて、聴いていて思わず居住まいを正さずにはおれない。二曲目はうってかわってベタなブルースで、太い音のテナーが美味しいフレーズを連発していてすばらしい。ラティーフはいろいろな楽器を吹くが、基本であるテナーがこれだけしっかりしているので、ほかになにを吹いてもジャンクに聞こえない。このアルバムでも、シャナイかオーボエかわからないが(たぶんシャナイ)ダブルリードっぽいキーキー音が効果をあげているが、テナーやフルートの圧倒的な存在感があってこそ、そういったノベルティな楽器がいきいきとした意味を持ってくるのだ。ローランド・カークも同じことである。メンバーもすごくよくて、ピアノのケネス・バロンというのはケニー・バロンのことだと思うが(ラティーフの、当時のレギュラーバンドである)、ソロにバッキングにと活躍している。とにかくラティーフの底知れぬ音楽性にぞくっとくる……そんなライヴです。

「THE GENTLE GIANT」(WOUNDED BIRD RECORDS WOU 1602)
YUSEF LATEEF

 このアルバムでラティーフはほとんどサックスを吹かず、基本的にはフルート専門だが、これがめちゃめちゃいいんです。カークにもフルートに徹したアルバムがあるが、そういえばラティーフのフルートはカークに似ている。とにかく本作はグルーヴ、グルーヴまたグルーヴ。ファンキーでかっこよく、メロディックでブルージーで、言うことありません。もちろんラーセンのメタルでぶりぶり吹きまくるテナーもすばらしいが、本作のようにフルートにしぼっても、物足りなさなどまったくない。たいした表現力である。なんというか、フルートのほうがサックスよりフットワークが軽い感じで、自由自在、縦横無尽で聴いていて心躍る。ラティーフは初期のころから近作まで、若いときもジジイになってからも変わらぬ怪物ぶりをしめしているが、このころが一番おいしいかもしれない。買ってからしばらくはエンドレスでずっと聴いていたが、全体のサウンド作りがしっかりしているので何度聴いても飽きないのだ。愛聴盤。

「MEDITATIONS」(ATLANTIC 82093−2)
YUSEF LATEEF

 これはなんなんだ、と問われても答えようがない音楽。ただタイトル通り「メディテイションズ」だとしか言えない。えーと、ジャズではないし、その周辺の音楽でもない(ところどころジャズっぽい箇所もあるけど)。ユゼフ・ラティーフが、ふっと思いついたのか、それともまえまえから考えていたのかわからないが、とにかく「瞑想」しているような音楽。ひとりで多重録音で作ったといっても不思議はないような内容だが、実際は5人の奏者が参加している。ラティーフは各種フルート、サックス(ソプラノのみ)、さまざまな民族楽器、ピアノなどを演奏しているが、他の参加者はクラリネットプレイヤー、ボーカリスト、ギタリスト、ソプラノサックス奏者、ヴァイオリン奏者。しかし、だれがどの部分でなにを演奏しているかを特定する必要はない。そういった音楽ではない。全体が混沌とした状態で聴けるタイプのものだ。いやー、しかし、これがおもしろいんだからしかたないな。でもやはり、ラティーフが主役で、オリエンタルな感じの曲がいちばんおもしろい(たとえば12曲目とか)。なにを考えてこういうものを録音したのか、いったいだれが喜んで聴いたのか、アトランティックもなぜこんなものを作ったのか……疑問はいろいろあるが、とにかく変テコで、深くて、重くて、あざとくて、薄っぺらくて、ところどころ美しくて、ところどころチープで、わけがわからない音楽であります。ジャケットも笑える。盛り上がりとか爆発がないのがいかにも「メディテイション」的なのだが、そういう主旨なので、聴いてるとさすがに飽きてくる。一度に全部聞こうと思わないほうがいいです。

「WOODWINDS」(YAL RECORDS YAL005)
YUSEF LATEEF AND RALPH M.JONES V

 こんなアルバムが日本盤が出たというだけで当時はすげーっと思ったもんですあります。録音当時73歳だったユーゼフ・ラティーフが、ラルフ・ジョーンズという同じくマルチリード奏者を加えたクインテットで吹き込んだアルバム。自主レーベルで、リッキー・フォードとのやつとか、かなりの枚数がシリーズで出ていたのだ。1曲目はその名も「スピリチュアル」というタイトルだが、ほかの曲も含めて、非常にスピリチュアルな雰囲気の演奏が多い。その1曲目、(たぶん)ラティーフはフルート、ジョーンズはバスクラを吹いているように思う。ゆったりとしたグルーヴのなかで、ふたりがゆるゆると自己表現する、というなんともまったりした演奏で、いつまでも聴いていたいようなノリがある。ラストに「ラブ・シュープリーム」とコルトレーンのパクリ的なヴォイスが聴かれるが、真面目なのかパロディなのか、まったくべつのルートからの思いつきなのかさっぱりわからない。2曲目は、ふたりともシャナイか篳篥のようなダブルリードの民族楽器を吹いているらしい。アフリカっぽいパーカッションがドゥンドゥンと唸り、ピアノが重くコードを弾くなかで、ラティーフのテナーが馬鹿でかい音で演奏されるが、フレーズがまともではなく、断片を少しずつ吐き出しているような不思議なソロである。そこにもうひとりのテナーも加わり、一種のバトルのようになるのだが、フリーキーな凄みとなんのことかわからぬ世界観のもとに演奏が進む。いやほんと「スピリチュアル」としか言いようがないです。すごいなあ。このひとはいつも、天才かアホかわからんなあと思っていたが、きっとそのふたつが同居しているにちがいない。3曲目になると、もはやなにがなんだかわからん。どっちがなにを吹いているのかもわからないのである。なにしろ曲名が「子供のように泣く」だからな。ピーピーとおもちゃの笛を吹いたり、無茶苦茶な手拍子してるやつもいるなあ。バスクラ(っぽい)ソロはラルフ・ジョーンズかなあ。とにかくスピリチュアル過ぎるぐらいスピリチュアルで、ベースソロもなんだか民族楽器のように聞こえるほど。うわー、4曲目もスピリチュアル。ラティーフはフルート。ところどころ、バップの名残りのようなフレーズが聴かれるのも面白い。しかし、73歳にしてこの楽器コントロール。すばらしいですね。この曲がいちばんジャズっぽいかも。5曲目もやっぱりスピリチュアルでした。タブラみたいなパーカッションの繰り返しフレーズに乗ってフルートソロが延々と続くのだが、これもトリルと吹き伸ばし過多でなんのこっちゃよくわからない。ラストの「ブラザー・マン」というミシン屋の営業みたいな名前の曲が一番長くて17分以上ある。テナーが冒頭から飛びだしてくる。モードジャズ的な曲だが、このテナーソロも鼻歌みたいなもので、なーんにも考えずに吹いているような気がするぞ。これは癖になりそうな、病みつき感のあるソロだ。おんなじフレーズをしつこく繰り返したり、フレーズにもならない断片をまき散らしたり、スケールやアルペジオをちょこっと吹いてみたり……ああ、わからん。このひとはわからん。と言いながらはまってしまうのがユセフ・ラティーフのおそろしいところなのである。つづいてラルフ・ジョーンズらしいテナーソロ。これはかなりちゃんとしているが、フリージャズに片脚突っ込んだようなエキサイティングな演奏であった(ラティーフのあとなので、なんか、すごくまともな感じに聞こえる)。かなり長い演奏の最後がパーカッションソロのまま終わっていく、という意表をついた展開なのも、なんだかこのアルバムにふさわしいという気にもなるのであります。

「1984」(IMPULSE MVCJ−19154)
YUSEF LATEEF

 1984年に録音したのかと思ったら1965年なのだ。なんじゃこりゃ。1曲目がそのタイトル曲なのだが、ラティーフの詠唱のようなヴォイスを中心に、4人がフリーな感じの雰囲気を設定する。なにしろアルバムの冒頭という肝心の場面で「なにをやっとるんや?」的な感じになってしまうのはしかたがない。このへんがラティーフの怖ろしいところである。いや、ほんま、曲名といい、内容といい、なんのこっちゃさっぱりわからん。まあ、このひとはこういうことが多いですけど、インパルスやしなあ……。フリージャズというわけでもないのだ。しかも、演奏時間も8分14秒と、収録曲のなかで一番長い。つまり、この1曲目のタイトル曲こそラティーフが本作で一番言いたかったこと……ということになるのだろうが、なにを言いたかったのかは謎です。英文ライナーには12音技法で書かれた曲とか書いてあるが、そんな感じでもない。ピアノ以外にヴィブラホンに音もするのだが、これはラティーフか? 変な笛を吹いているのはもちろんラティーフ。2曲目は、1曲目の続きのような空気感の曲だが、一応モードが設定されていて、オーボエがエキゾチックな旋律を奏で、マイク・ノックのピアノがそれを受ける、という形で進行する。オーボエはほとんどソロはない。ベースとドラムはそのあいだ、かなりフリーに弾き、叩く。短い演奏なので、いったいこれは……と考えているうちに終わってしまう。3曲目は、突然ハードバップ風にテナーがテーマを吹くマイナーブルース。ほんと、ものすごーく普通のジャズが始まるので、そのことにびっくりしてしまう。ラティーフのテナーソロはダルい感じでぐだぐだ言うような個性的なものだが、こういう順番で聴いてくると、なにか意図があるのかなあと思ってしまう。ラティーフがひたすらソロをするだけですぐにテーマに戻る短い演奏。4曲目は、これまたすごく普通の演奏で、とてもいい感じなのだが、なぜかピアノトリオでラティーフは出てこない。不思議だ。5曲目はおなじみの「10人のインディアン」で、これを古いジャズロック風にした曲。旋律を弾くのはピアノで、ラティーフのテナーはずっとこの単純きわまりないコード進行のうえで最初からソロを吹きまくる。それだけの趣向なのだが、シンプルすぎる童謡と複雑なテナーソロをあえて対比させたように聴こえないことはない。ラティーフのソロは、ときにフリーキーにまで突き抜けるが、基本的にはコードチェンジにのっとってむちゃくちゃやってる感じ。ソ間ずーっとシンプルなピアノを弾いているマイク・ノックが怖い。最後はテナーも一緒にテーマを吹いて、ぴたっと終わる。なんやねんこれっ! 6曲目は65年の録音というのがうなずけるような、当時の主流派ジャズ的なモーダルな香りのする曲。ラティーフのソロは荒っぽく力強いが、きちんとやりたいことがわかっているソロで、フリーっぽく吹いたときのロリンズのように自由奔放ですばらしい。こういう「個性の塊」みたいなひとにかかると、どんなときでもどんな曲でも好き勝手にできるんだなあ、と思う。このアルバムでいちばんいいんじゃないでしょうか。ピアノソロもかっこいいっす。7曲目はバラードで、エリントンの曲だそうだが、それをかなり新しい響きが感じられる演奏に仕立ててある。ラティーフはひとりでソロをするが、これもすばらしい。8曲目は、かなり変態的な曲。曲というか、コード進行だけが設定してあるのか? じつは本作中いちばんフリーな感じかもしれない。ラティーフはサブトーン(というかほぼ息の音だけ)を駆使したりしてやりたい放題。最後までリリシズムというかシリアスなバラードの雰囲気はしっかり保たれている。ラストは同名の映画音楽らしい。このアルバムではもっともちゃんとした演奏かもしれない。マイナーのええ感じの曲をフルートがしっかり歌いあげていく。結局、最後まで聴いても、なんのこっちゃわからんなあというもやもやした感じと、いやー、変なもの聴いた、よかったよかったという喜びがないまぜになって浮かんでくる妙なアルバム(ラティーフを聴くとたいがいこんな印象になりますね)。それにしても1984って……。

「ROOTS RUN DEEP」(ROGUE ART ROG−0038)
YUSEF LATEEF

 ユゼフ・ラティーフはある時期からよくわからん変態的なアルバムをいろいろ残しているが、これはその極致ともいえるし、そういったものとは一線を画すものともいえる。つまり、大傑作だと私は断言したい。基本的には、本人のピアノ、テナーサックス、フルートなどの独奏に、本人のポエットリーディング(というべきなのか。とにかく、自分で書いた文章を読み上げている)を乗せたもので、カークの「ナチュラル・ブラック・インベンションズ」を一瞬髣髴とさせるような「ひとり音楽」なのだが、これがもう見事にキマッているのだ。どうキマッているかは、私の文章ではとても書き表せないが、とにかく凄い。これをもって、コルトレーンの「インターステラー・スペース」に匹敵するといえば過言だろうか。とにかくこの変態的大巨匠が晩年にたどりついた境地であることはまちがいない。演奏時間も全部で30分ちょっとしかないので、聴き終ったら自然にもう一度プレイボタンを押すことになる。ラティーフの自伝映画のなかで使われた音源なのだそうだが、癖になる音楽である。こういうことがあるから、ミュージシャンは「長生きも芸のうち」なんだよなー。傑作です。

「YUSEF LATEEF’S FANTASIA FOR FLUTE」(YAL RECORDS YAL342)
YUSEF LATEEF

 ファンタジアではなく「ファンテイジア」と読むのだそうだ。YALはもちろんラティーフの個人レーベルで、変なアルバムばっかり出しており、どれもすばらしいが、本作はフルートに焦点を当てたアルバム。といっても、たとえばフランク・ウエスの「オパス・デ・なんちゃら」みたいなものとはまったくちがっていて、ラティーフの深淵かつわけのわからない瞑想的世界が(あいかわらず)展開していて、もう面白くてしかたがない。キーボード、シンセ、ピアノと打ち込みをグレッグ・スネデカーというひとが担当していて(まえにもこのひとと組んだアルバムがあった)、そこにラティーフの生々しい息遣いのフルート(普通のフルート類だけでなく、竹笛みたいなのも混じってると思う)。トロンボーンや民族楽器的なパーカッションもじつにうまく配合されていて、本当にワンアンドオンリーの独特の世界である。ワールドミュージックというか、民俗音楽っぽい世界観が根底にあるのだが、そこにブルージーなフレーズやジャズっぽいコンポジョンが顔を出したりして、一筋縄ではいかない。聴くたびにどっぷりはまってしまう、沼地のような音楽。トロンボーンのひともラティーフの意向がよくわかっているようで、すごくセンスのいい演奏だし、パーカッションもすばらしい。これは傑作です。

「CLUB DATE」(IMPULSE RECORDS UCCI−9289)
YUSEF LATEEF

「ライヴ・アット・ペップス」というアルバムと同時期に録音された、同じくペップスでのライヴだが、そちらは聴いていない。トランペットがリチャード・ウィリアムスだからレギュラーグループによる演奏だと思われる。リチャード・ウィリアムスはミンガスバンドにもいたひとだが非常に手堅いハードバップ的なプレイだし同じようなフレーズ連発で私としては物足りないのだが、そういう手堅さがこの時期のラティーフバンドには合っているかもしれない(非常に聴きやすく、普通のジャズファンにも十分受け入れられる演奏ばかり)。ピアノは若きマイク・ノックでドラム(めちゃかっこいい)はジェームズ・ブラック。曲も、ああいうラティーフ的な変態的なものではなく、かなりちゃんとしていて(とくに3曲目など。1曲目はオスカー・ペティフォードの曲)アレンジもしっかりしている。ラティーフのテナーも図太い音で鳴り響いており快感だが、ソロは変なところが満載で楽しい(「ホットハウス」をコードに合わないのにまるまる引用したりして、自由だなあこのひとは)。本作の白眉は4曲目のすごく変態的なアレンジの超かっこいい3拍子の曲で、コルトレーンに捧げたものらしいが、テーマも変だし、途中のリチャード・ウィリアムスのソロが彼としては渾身の演奏ではないかと思われるアグレッシヴなものだし、ラティーフのオーボエソロもぶっ飛んでる。黒いユーモア感覚を感じる演奏で、最高である。6曲目のフルートによるコテコテのブルースも、グロウルによるフレーズとクリアなトーンによるフレーズをまるでチェイスのように交互に吹いていくという趣向なのだが、ラティーフが考え考えフレーズを積み上げていくのが実感できてとてもリアルである。全体にジェイムズ・ブラックのすばらしいドラムが光る。ジャケットの絵は、これはオーボエなのか? 裏ジャケットにいたっては気持ち悪い爪の生えた手が描かれているだけでなんのこっちゃわからん。

「TENORS OF YUSEF LATEEF & RICKY FORD」(YAL RECORDS YAL 105)
YUSEF LATEEF & RICKY FORD

 この音楽はなんなんだーっ、と叫びたい。バップでもモードでもロックでもフリーでもない……なんというかアホというか変態というかわけわからんというか……そういう境地のすばらしいアルバムである。「なんなんだ、とかいってカテゴライズする必要はない。ただただこの音楽を享受すればいいのだ」と言うひとがいたら私は尊敬する。この演奏に心穏やかではいられない。心を地震のように激しく揺する音楽である。ラティーフが自己のレーベルで試みていた作品群のひとつ。音色から判断すると、右チャンネルがリッキー・フォード(たぶんリンクメタル)で左がラティーフ(たぶんラーセンメタル)だと思うがどうでしょうか(ぐずぐず吹いてるのがラティーフでちゃんと吹いているのがフォード?)。リッキー・フォードは生で2回ぐらい観たことがあるのだが、あまりいい印象はなく、とにかく前ノリで、ずるずるずる……とリズムより前に行ってしまう感じだったが(モニターがあかんかったのかもしれません)、ここでのフォードはめちゃくちゃよくて、「ハードバップをやる」ということから解放されて、好き勝手に吹いているからなのか、すごくリラックスしているように思う。ラティーフに触発されたとしか考えられない。音もいいし、はじけている。ああ、こういうひとだったのか……と納得した(ミンガスがらみでのフォードよりも、ここでのフォードのほうが変である)。ラティーフはこれはもう好き勝手の王様という感じで、アブストラクトの極限というか、このひとはクリシェというものがないのか、と思うぐらい、その場その場でのフレーズを吹く。いわゆるジャズのカテゴリーでこういうひとは本当に稀有だと思うし、どう聴いてもフリージャズに聴こえるのだ。「突き抜けた」というか、もともと突き抜けるようなものはなかったのかわからないが、とにかく自由である。一曲目はファンクリズムで、2テナーが同時に演奏しながら絡み合う。「曲」というよりベースのパターンだけがあるようなないような……ヘンテコな曲である。そのベースがめちゃくちゃノリがよく、そこにテナーふたりが交互に短いフレーズを吹くだけのテーマ(?)だけでもかっこいい。グルーヴというのはこういうことを言うのだな、と思う。これはたしかに「サックス・オブ……」ではなく「テナーズ・オブ……」だ。エンディングを聴いても「なんじゃこりゃーっ」という感じ。しかし、1曲目が変だと思ってたら2曲目以降もものすごく変で(というかこれは曲なのか?)、もう最高です。ここまで来ると、「禅」とか「俳句」とか「墨絵」とかいったデタラメ東洋思想的な境地を持ち出してこないと収まらないかも。しかも枯淡な感じは皆無で、そういう境地をギトギトのパワーで吹きまくる。交互に吹く曲が多いが、「(即興的に)同じことを吹く」ということによってなにかが見えてくる感じもある(よくわからない)。こんなええ感じのリズムさえあれば、あとはなんぼでもやりまっせ、というのを見せつけられているような気がする。曲はそれぞれジェイムズ・ムーディー、スタンリー・タレンタイン、ラティーフの息子、ソニー・ロリンズ、ジミー・ヒース、ウェイン・ショーター、ジョー・ヘンダーソンに捧げられているが、なんでこの演奏をこのひとに……というのもよくわからんといえばわからん。まあ曲といってもリズムのパターンが決まっているだけで、あとは即興という感じ。しかし、そのラフな自由さがなんともいえない快感である。全体的にふたりともその場で思いついたようなアブストラクトなフレーズをばらばらと吹くので、しっかりしたアイデアに基づいてソロを組み立てる、というより、正直、へろへろな雰囲気だが、いやー、そこがたまらん魅力である。7曲目など、ドキュメントとしては最高ではないかと思う。即興演奏としてすばらしいソロをつむぎ、のちにそれを譜面に起こして学ぶ……みたいな演奏とは「あさって」の方向にある自由で激烈な音楽だと思う。本作の成功にはベースとドラムの貢献も大で(4曲目を聴きましょう!)、ひたすらおのれの歌を歌うフロントふたりに対してベースとドラムもおのれの歌を歌っているのである。ピアノレスなのでエレキベース(エイブリー・シャープ!)が自由に弾きまくっていて、それも聴きどころ。ベースソロだけ聴くと、鼻歌みたいに勝手気ままでしかもかっこよくフリージャズみたいです。ドラムはプライムタイムに所属していたひとらしいが、ストレートにからむし、パワフルだし、センスもいいし、ええ感じである(7曲目に大々的にフィーチュアされる)。いやー、何度聴いても「人間」を感じる傑作だと思います。ひどすぎるジャケットもいい。

「THE DOCTOR IS IN…OUT」(ATLANTIC RECORDS/WEA INTERNATIONAL WPCR−27962)
YUSEF LATEEF

 ラティーフのアトランティック最終作。うわーい、めちゃくちゃヘンテコで、しかもかっこいいよーん。ラティーフにしか作り出せない世界がこの最高のアルバムに凝縮している。1曲目は、ドンドコドンドコというドラムがアフリカっぽくて、ベースのパターンとアナログシンセの気色いい音のうえでラティーフのフルートが舞う。最後にリズムが変化し、ベースが消え、わけのわからんスキャット(?)などがぶちまけられて終了。この1曲目で、まともな演奏を期待していたリスナーは度肝を抜かれるか呆れるかだろう。2曲目はケネス・バロン(ケニー・バロンのこと)の曲で、ソプラノによる牧歌的ともいえるテーマ、レトロな8ビートのドラム、これまたレトロなベースライン、バロンのエレピソロ、変なヴォイス……などが混然一体となって、あるほどこれはアトランティックというレーベルならでは、でもあるし、76年という時代を感じさせるものでもあるが、やはりそういうものを超えたラティーフの個性を強く感じる。3曲目もバロンの曲で、シンセとフルートがなかなかいい感じでブレンドされていて、しかも、今の耳で聴くと、いい塩梅にやや古びていて、そのあたりも美味しい。こうなるともうジャズからは遠く離れており、なんといったらいいんでしょうねこういう演奏……。とにかくラティーフの世界としか言いようがない。4曲目(ラティーフの曲)はティンパニが印象的なイントロから8ビートの曲だが、このビートもなんとも時代を感じる。曲調はモードジャズっぽくもあるのだが、テナーソロ(?)にシンセやらなにやらが覆いかぶさってくる。5曲目(バロンの曲)はワウワウギターのカッティングが印象的なファンキーな曲だが、ドラムやパーカッションが変である。ラティーフのテナーとシンセ(?)の掛け合いみたいな感じで曲が進むのだが、なにをやりたいのかいまいちわからない謎の曲である。テナーはけっこうもっちゃりとブロウしている。そのあとのシンセソロも思わず笑ってしまう。ちょっとブレッカーブラザーズっぽい曲調であるが、けっしてああいうシャープでスマートな感じにはならないのがラティーフのいいところである。6曲目は「テクノロジカル・ホモサピエン」というラティーフの曲で、シンセによるチープな未来感あふれるノイズが飛び交うなかでベースのボブ・カニンガムがポエトリー・リーディング(?)みたいなことを延々と続ける。なんやねん、これは! と叫びそうになったあたりで演奏がはじまるが、これもジャムセッションみたいな展開である。ラストはまた語りに戻る。なんやねんこれは! 7曲目(ラティーフの曲)はヴァイオリンのソロではじまるが、車の音などが聞こえてくる。フィールドレコーディングっぽい雰囲気である。ちゃりん、という投げ銭を空き缶かなにかに放り込まれたところでイントロは終了し、スネアのロールとともにクラシックっぽい壮大な演奏がはじまるが、アンサンブルだけでソロはない。ラストの8曲目は「スペインの小さな街で」という曲らしい。コーラスが曲を歌うのだが、これはその場で演奏しているのではなく、レコードかなにかの音源をかけているらしい。それに合わせてラティーフがアルトを吹くのだが、このアルトの音がぶっとくて、めちゃくちゃいい音のうえ、スウィングスタイルとバップを合わせたようなすばらしい演奏なのである。レコードとの合奏というわけのわからんもの(感動的ではある)で締めくくるというのもラティーフならではである。ある意味、その音楽と真剣に戯れるというか、ジャズとかにこだわることなく、従来の発想とはまるでちがう独特のものを並べるという姿勢はローランド・カークとの共通点を強く感じる(レーベルもアトランティックだし)。

「HUSH ’N’ THUNDER」(ATRANTIC RECORDS /WARNER MUSIC JAPAN WPCR−27923)
YUSEF LATEEF

 大傑作! あいかわらず癖のありまくるサウンドで、もう「惚れてまうやろ!」という演奏がぎちぎちに詰まっている。カークをはじめとする「個性派」の演奏がジャズをどれだけ魅力的にしてきたかということをしみじみ感じるアルバム。1曲目のフルートの深いビブラート。2曲目の一転してのエレベがブチブチしたファンクなリズムと(たぶんラーセンの)野太いテナーはマルチのラティーフの主奏楽器をはっきり示している(このあたりもカーク的では?)。なんというか……ジュニア・ウォーカーみたいな感じの吹き方のように思う。3曲目の、チェロをはじめとするストリングスをフィーチュアし、自身はフルートで加わった前半と、R&B的なリズムになってベースがぶちぶち言い出し、フルートがファンキーに歌いまくる(自身の掛け声(?)も凄い)後半による組曲は本作の白眉だと思われるが、全体を通してひとつの組曲のようでもあり、構成力の凄みを感じる。4曲目は「古いビル」という曲でシンセっぽい音が冒頭でいろいろ並べ立てられたあと、爆発したみたいにゴスペル的な曲がぶちかまされる。コーラスや手拍子などもまじえて、まさにゴスペルであるがもうちょっと続けてほしかったかも。5曲目は「祈り」という曲だが、ノリノリの8ビートの曲で、コーラスというか歌舞伎でいうところの大向うみたいな「唸り声」がフィーチュアされている。ラティーフはシャナイ(チャルメラみたいなダブルリードの楽器)を吹いているが、これがまたよく合っているのだ。この演奏ももうちょっと先まで聞かせてくれればもっと爆発したかもしれないので惜しい。6曲目はエレピのイントロで始まるケニー・バロンの曲で、声やノイズなどにあいだを縫って醸し出されるラティーフのフルートは東洋的な響きもある。オールドスタイル(?)な感じの16ビート(アルバート・ヒースだっ)のうえにごちゃごちゃしたさまざまなものが載っているこの感じは悪くない。7曲目はゴスペルで、クワイアがテーマを歌い上げ、オルガンも加わって、マジのゴスペルである。それをラティーフがサブトーンをまじえた太い音でテーマを歌い上げていく。この部分だけで感動である。この朗々としたテナーの演奏こそが正直言って私がいちばんこのアルバムで好きな箇所である。ベン・ブランチの名前を出すこともなく、ヒューストン・パーソンやアイラー、シェップ、デヴィッド・ウェア、チャールズ・ゲイル……テナーサックスとゴスペルの相性はすばらしい。ラストの8曲目はかなりひねった曲だが、哀愁のマイナー曲にラティーフのフルートがせつせつと歌う。聴き終えると、たしかに普通のジャズのアルバムを聴いた感じではなく、読後感ならぬ聴後感がまるでちがう。同じアトランティックのカークの「ブラックナス」などの諸作もそうだが、こういう個性の塊のようなミュージシャンにアルバムを作らせたこのレーベルはすばらしいと思います。傑作!

「SUITE 16」(ATRANTIC RECORDS /WARNER MUSIC JAPAN WPCR−27225)
YUSEF LATEEF

 レコードでいうとA面の5曲は当時勃興(?)していたフュージョン的な演奏で、エリック・ゲイル、チャック・レイニー、アール・クルー、ジョー・ザビヌルらが参加したかなり本格的なR&B味のある硬派なフュージョン。70年という時期に録音された初期のフュージョンサウンドをラティーフがどう扱って、そのうえで自分を出しているかがたっぷり味わえる。しかし、フルートやソプラノにくわえてオーボエも多重録音でがっつり吹いているところがラティーフの凄さ。2曲目の「ダウン・イン・アトランタ」という曲はどこかで聞いたことがあるような、しみじみと美味しいメロディで、3曲目の「ノクターン」というフルートフィーチュアのバラードもひとひねりしたあざとい編曲。このあたりにラティーフの才能があふれていると思うがソロイストとしても癖の強さを見せつける。4曲目は「男が女を愛する時」をオーボエで吹くというアイデアがすごい。原曲のR&B王道に比べて、なんというか牧歌的な、ほっこりした魅力があり、一言でこれを「変態」と言い切ってしまうこともできようが、私には微妙というか絶妙の美味しさが感じられるのです。たぶん世のラティーフファンはこういうあたりに惹かれているのではないかと思う。A面ラストはビートルズの「ミッシェル」でアール・クルーのアコースティックギターのみ(!)の演奏。そして、B面は7曲の組曲で、バリー・ハリスやボブ・カニンガム、アルバート・ヒースという4ビートジャズ系のリズムセクションにケルンのラジオオーケストラ(ウィリアム・フィッシャーによる指揮)を加えた大編成の演奏。1曲目はフルートがメロディを奏でる短い序章的な曲。2曲目は骨太なテナーが吹くスローブルースとクラシック的なアンサンブルがルバートのなかでコールアンドレスポンスのように繰り広げるなかなか凄い演奏。3曲目は一転してめちゃくちゃオーソドックスな4ビートのブルースなのだが、後半、オーケストラが乱入(?)してきて、ものすごく変な展開になるあたりが聞きどころ。ピアノのソロになるあたりは現代音楽みたいなかっこよさがあるが、そのあとこってりしたピアノトリオになる(ここでのバリー・ハリスは秀逸!)。いやー、なにをやりたいのかはよくわからないが、とにかくいい感じです。4曲目はクラシック風なモーダルな曲で、通奏低音と妖怪じみたバンブーフルート、ストリングスがからみあって雰囲気のある世界観を提示する。短い演奏なので、もっと聴きたかった。5曲目は短いクラシカルなイントロ(?)のあと、オーケストラがビッグバンド的になる。ラティーフはテナーでちょっとエキゾチックな感じの音使いのマイナーブルースを吹く。そのあとラストの6曲目はまたまた一転して「ブルースをクラシック的にアレンジしてみました」的なかなり変な演奏がはじまる。そして、ラティーフはフルートを声を出しながらフルートを傍若無人に吹きまくる。全体としてかなりの荒業である。なかなか「なにがやりたいねん!」と言いたくなるような演奏だが、ラティーフとしては「これがやりたいねん。文句あるか!」と言い返すだろう。そういう意味では、フュージョンが流行ってるから日和った、という感じのものとはちがい、いや、もしかしたら、会社(アトランティック)からそう言われたけど、やってみると結局は自分がドーンと出てしまった、というのか……いずれにしてもユーゼフ・ラティーフという稀有な音楽家の個性が出まくったアルバムのひとつだと思われるし、同時に「時代」的なものも感じられるし、すごく面白い作品だと思います。それにしても、A面をR&B的フュージョン、B面をよくわからないジャズブルース組曲(?)みたいなものでまとめ、無理矢理くっつけた感じのこのアルバム、よく発売されたなあ。

以下は初期作品6枚を集めた廉価盤によるものです。

「JAZZ MOOD」(SAVOY RECORDS MG12103)
YUSEF LATEEF

 録音順としては二枚目だが、発表されたのはこちらが先なのでデビューアルバム。デビューアルバムの冒頭がいきなりオーボエではじまるというのもすごいが、そのあとすぐにフルートに持ち替えてエキゾチックなマイナーの循環っぽい曲になる。この一曲で、完全にラティーフというキャラが確立してしまっているのがわかる。2曲目のオーソドックスなブルースとかも全員がちゃんとしている(?)のだが、途中のへろへろなテナーソロとかはものすごく個性を感じる。この時点では、まあ、言われたことを守らないやんちゃな坊主がリーダーになってしまった……というぐらいだろうか。三曲目はふたたびエキゾチックなモーダルな曲で、たとえばコルトレーン(やマイルス)がこういう曲をやる場合とはちがった個性を発揮しており、そういったひとたちの先駆的な演奏といってもいいかも。だって「カインド・オブ・ブルー」よりまえだからね。フラーもがんばっている。四曲目は本アルバム最長の演奏で、やはりモードジャズ的な匂いがする重厚な演奏(ブルース)。このあとジャズシーンに特異な位置をしめるにいたるのも「むべなるかな」と古風な言葉で納得するような内容。フラーも曲調をよくわかったすばらしいソロをしている。ラストの5曲目はブルースだが、またまたエキゾチックな音使いによるテーマ(とアドリブ)。普通のブルースとマイナーブルースのあいだを行き来して、そこに独特の中東的と言おうか、個性にまみれたサウンドが生まれる。もちろん意図的なものである。フラーのソロはそういうコードチェンジ上の約束事をけっこうぶっとばしてる感はあるが、躍動的ですばらしい。こういうテナーのサブトーンとトロンボーンというフロントはいいですね。なぜかダグ・ワトキンスがパーカッションで加わっている。遊びに来ていたのか?

「THE DREAMER」(SAVOY RECORDS MG12139)
YUSEF LATEEF

 いきなりはじまるミディアムスローのコテコテのブルース。しかし、ラティーフが奏でるのはソプラノサックスと思いきやオーボエである。クラシックにしか使われないこの楽器をコテコテのブルースに使用しているわけで、そのエスニックな響きを本来のオーボエとはちがった意味で引き出したのはさすが。イリノイ・ジャケーもバスーンでブルースを吹いたりしているが、そういった「西洋音楽の楽器を使って、まったくべつのものを引き出す」という方法論(?)が生きていると思います。トロンボーンのように聞こえるのはなんとユーフォで、バーナード・マッキニーというひとで別名(?)をキアヌ・ザワディ。フレディ・ハバードのブルーノート盤「レディ・フォー・フレディ」にもユーフォで参加している。2曲目は切々と奏でられるラティーフのフルートとオブリガード的なユーフォによる「エンジェル・アイズ」でミディアムテンポだが、全体の雰囲気はバラード的である。ラティーフのシンプルなフルートソロは感動的ですらある。ユーフォの短いソロを挟んでのテリー・ポラードというひと(このひとのソロは全曲いい)のピアノソロも、ラストの短いフルートのカデンツァも渋い。本作の白眉かも。3曲目もベースとピアノがパターンを弾くエスニックな雰囲気の曲。一転して溌剌とした4ビートになり、ラティーフのテナーがクローズアップされる構成もかっこいい。なんちゅーか、「キャラバン」を連想させるような感じ。内容はしっかりしたモダンジャズで、ラティーフのバップ的なテナーソロも堪能できるが、それが前もって考えた感じではなく、いかにも「即興」なのはラティーフのインプロヴァイザーとしての覚悟というか実力を示していると思う。秀逸なピアノソロに続くユーフォソロもなかなかいい感じ。4曲目は露骨にバップなブルース。ラティーフのオーソドックスなバッパーとしてのテナーが楽しめる。本作中、いちばんストレートアヘッドな演奏といえるかもしれないが、それが奇異に感じるほど、ラティーフといえばエスニック……みたいな感じはある。バーナード・マッキニーのソロは、ユーフォとは思えない(実際、どうなのかは私の耳ではわからないが)ようないい感じの演奏。ラストはバラードで、ラティーフ渾身のテナーソロ。サブトーンをちょっとまじえたぐらいの軽い音での演奏だが、ビブラートの大きさがせつせつとして胸に響く。つづくユーフォソロもいい。このひとはほんとにすばらしいユーフォプレイヤーですね。なお、ベースのオースティンが引いているラバという楽器はストリングス系のエスニックな楽器らしい。

「CRY!−TENDER」(NEW JAZZ NJLP8134)
YUSEF LATEEF

 なんともすごいタイトルのアルバム。1曲目、いきなりオーボエによる独自の世界観の演奏がぶちかまされて、おおっ、となる。エスニックとかではなくて、イージーリスニングでソプラノとかテナーとかトランペットが担当すべきパートをオーボエが吹くという、こういうアンバランスな感じがラティーフの生涯に付きまとう。ある意味、天才なのだろう。とにかく筆舌に尽くしがたい味わいというか、なにを考えているのだ、という感じ。カークのような、もう露骨にこの「アンバランスさ」を怒涛のごとくあびせてくるようなのとも違う。2曲目はフルートによるマイナーブルース。やはり中東的なエスニックさを押し出している。3曲目はタイトル曲だが、これもオーボエによる「ミャー」という音をうまく使った演奏。物悲しい曲調のなかでオーボエはまるでシャナイとかチャルメラのように安っぽく、チープに響きわたって感動を生む。ロニー・ヒリャーというひとのトランペットもいい味を出している。そのあとラティーフがテナーに持ち替え、圧倒的なバラードをせつせつと奏でる。ピアノソロを経てまたオーボエが登場するが、この時点ではすっかり聴き手もオーボエの音に慣れていて、感動を生む。傑作である。4曲目は一転してめちゃくちゃジャズの王道を行く感じのミディアムのブルース。もうちょっとがんばれよ、と言いたくなるトランペットソロ、美味しいベースソロ、文句のつけようがないピアノソロ……につづいて、主役であるラティーフのテナーがすべてをさらっていく。とくに傑出したソロではない、と思うかもしれないが、いやいや、このテナーソロはすばらしいですよ。なんのギミックも使わず、めちゃくちゃ説得力がある王道のバップ的ソロ。ラティーフの実力がすごくわかる。曲もいい。5曲目は「雪は緑」というよくわからん題名の曲で、コード進行もひねっていて、なかなか聞きものである。トランペット、テナー、ピアノが何度も順番にソロをするという趣向なのか、よくわからない構成だが、面白いです。6曲目はスタンダードの「イフ・ユー・クッド・シー・ミー・ナウ」だが、ここはひねらず、ラティーフのジャズテナー奏者としてのオーソドックスな実力が素直に発揮されていて、超かっこいい。圧倒的なバラードプレイである。本作の白眉といってもいいかも。といって、こういう演奏ばかりだとラティーフっぽくないよなあ、と感じるのも事実である。そしてラストの7曲目は、テーマこそモンクっぽいというのか変態な感じで、4ビートジャズの範疇ではあるが、変な雰囲気のブルースで、ソロもみんなもっとめちゃくちゃやればいいのに、と思う。でも、ラティーフのソロはなかなかヘンテコなスケールを織り交ぜたりしていて一筋縄ではいかない。

「THE FABRIC OF JAZZ」(SAVOY RECORDS MG12140)
YUSEF LATEEF AND HIS JAZZ QUARTET

「THE DREAMER」でも登場していたバーナード・マッキーニーのユーフォがフィーチュアされている。冒頭、いきなりエスニックな響きが轟き渡る。とにかく発表当時もそのとき主流派だっただろうハードバップとは完全に一線を画したオリジナルな音楽世界だったと思う。一曲目(「月の樹」というタイトルだが、めちゃめちゃいい曲)がかなりのアップテンポになってからのラティーフの、やや柔らかい音色で吹きまくるブロウは、音の隅々までコントロールされたすばらしいもので、聞き惚れるしかない。2曲目バラードとしての「ステラ」だが、ユーフォが絶妙の表現でテーマ、ソロ、テーマ……を吹き切る。ユーフォニアムというのはクラシックでもジャズでもロックでも用いられることの少ない「損な楽器」だが、本作を聴くと、表現力も豊かだし、可能性は拡がっていると思う。ジャズに限っての話だが、ジャズユーフォとかジャズチューバ、ジャズホルン……みたいなものと真剣に取り組んでいるひとはいるにはいるが、「トランペット、フリューゲル、トロンボーン、サックス……なんかのほうが演りやすくてええやん。なんでこの楽器にこだわってるの?」という質問に対する回答のひとつだと思う。3曲目は超シンプルな三拍子のブルースだが、ラティーフのソロはオーソドックスのようでじつはかなり癖が強くて個性的である。4曲目はパッと聴くと普通のバップ曲のようだがじつに秀逸なコンポジションで、なかなかの名曲だと思う。サビも不穏な感じでかっこいい。ラティーフのソロも、あいかわらずサブトーンとフルトーンを見事に使い分けたブロウで、フレージングの独特さも際立ち、最高の演奏だと思う。ラストはフルートによるバラードで「プア・バタフライ」。めちゃくちゃいい。露骨なビブラートを目いっぱいきかせたソロだが、なぜか感情過多な感じにはならず、淡々と聞こえる。跳躍のあるフレージングも個性的で、唯一無二。録音もよくて臨場感がすごい。傑作。

「THE CENTAUR & THE PHOENIX」(RIVERSIDE RECORDS RLP337)
THE BIG SOUND OF YUSEF LATEEF

 このあたりから音楽的に狂ってくる感じだろうか。6管のリトルビッグバンド的な編成だが、バスーンが入っているあたりがピンと来る。アレンジはケニー・バロンだがピアノはザビヌルというのも美味しい。メンバーも豪華でオールスター的だが、あくまでラティーフが主役というアレンジになっている。1曲目はストレートアヘッドなマイナーブルース。一聴、普通のハードバップのようだが、細かい部分(フレーズの最後をチョーキングのように下げる、とか、破裂音のような音とか……)で個性が際立つ。トランペットのあとのテイト・ヒューストン(名手!)のバリトンソロ、絶頂期のカーティス・フラーのソロなど全体に渋いが熱いソロの応酬とそれをグッと締めるアレンジがすばらしい。2曲目はめちゃくちゃ変態的な曲で「なんじゃこれは!」と叫びたくなるようなブルース。ラティーフはフルート。リチャード・ウィリアムスとクラーク・テリー(フリューゲル)のバトルも聴ける。ラティーフがテナーに持ち替えて再度登場したあと、電気楽器のような雰囲気のバスーンソロ(短い)。3曲目はバロンのアレンジが堪能できる。バスーンがリードを取ったり、それぞれの楽器がアンサンブルのなかで絶妙にフィーチュアされていて楽しい。個性的なソロイストのなかでもラティーフの鮮烈なフルートは際立っている。フラーの柔らかな音色の短いソロも絶妙。4曲目はちょっとジャズロック的な風味もある変態的な曲で、オペラ的というのかなんというのか、ドラマっぽい演出のなかで曲が進行していく。こういう雰囲気の演奏はこのあとのラティーフの音楽的な展開につながっていくのかもしれないが、全員が楽しそうに演奏しているのでとにかくマルである。ケニー・バロンのアレンジが傑出している。5曲目は荘厳な雰囲気のバラード。張り詰めたようなトランペットと柔らかなフリューゲルの対比、クラシック的なオーボエ同士の対比など聴きどころは多い。6曲目は「サマー・ソング」というタイトル通り初夏の輝かしい雰囲気を映したような曲調。ラティーフのフルートもすばらしいが、編曲がもう最高で、本作中の白眉といっていい傑作だと思う。ラストの7曲目はラティーフはテナーで堂々とリードを取る。金管のミュートを駆使したアレンジもすばらしい。ハードバップ的にはよくわからんが、音楽として傑作だと思います。