「THE GIUSEPPI LOGAN QUARTET」(ESP−DISK ESP007)
GIUSEPPI LOGAN
ESPの諸作のなかでバイロン・アレンとともに異彩を放っていたジュセッピ・ローガン。ジャケットもおどろおどろしいし、なによりも名前がなにしろ「ジュセッピ・ローガン」ですから、こりゃあただものではないな、と思うわ。そして、中身もジャケットや名前に負けないほどいかがわしく、稚拙といえば稚拙、深いといえば深い。全然、ちゃんと吹けてないやん、楽器も鳴ってないし、コントロールもできてないし、音程も悪いし……めちゃめちゃやん、というひともいるだろうし、なんじゃこりゃすげーっ、と感動するひともいるだろう。私は、学生のときに聞いて、ああ、これはフリージャズ初期の、まだ玉石混淆状態だったときに現れた山師的な一発屋のひとりだな、と思ったが、そののち聴き直して、いや、これはもしかしたらすごいのでは、と考えを改めた。学生のときに、これはインチキだ、と思ったのもアルトをはじめたばかりだった当時の私のすなおな感想だし(なにしろシェップについても同じような感想を抱いていた。ジョン・チカイもマリオン・ブラウンもみんなちゃんと吹けてないやんけ、と思っていたのだから)、それがその後、すげーっ、と思うようになったのは、こちらの経験も耳もある程度肥えてきて、こういう演奏をなんとなくわかった気になったからだろう。むちゃくちゃやるほどむずかしいことはない。頭のおかしいやつにサックスを持たせて演奏させたらすごいフリージャズになるかというとそんなことはないだろう。しかし、それがドキュメントとしておもしろい、と考えるひとがいてもおかしくない(私もそのひとり)。ジュセッピ・ローガンの演奏は、ちゃんとテーマもあるし、メンバー間のやりとりもあるし、ソロもあるし、そういう意味では音楽の基本的な部分はおさえているのだが、全体の印象としては、頭のおかしいやつがサックスを吹いている……に近い。このアルバムの音楽的価値のほとんどは、エディ・ゴメス、ドン・ピューレン、ミルフォード・グレイヴスといった強者たちのパートにあり(この3人はさすがに凄い)、リーダーであるジュセッピ・ローガンはへろへろ吹いているだけだ(ミルフォードにあれだけ煽られてもへろへろ吹いているローガンもある意味すごい)。しかし、そのへろへろが、彼らの起爆剤というかインスピレイションの根源になっていることもまた事実であり、そういう意味で、やはりリーダーはジュセッピ・ローガンであり、ここにおさめられているのは彼の音楽なのだ。というような感想を抱いていた私だが、去年だったか、ジュセッピ・ローガンがまだ生きていて、どこかの公園でホームレス的なことをしながら、インタビューを受け、バスクラリネットがあるんだが壊れていてねえみたいなことを言っているのを見て驚愕した。生きとったんや……。発狂説、死亡説、いろいろあったが、まあ死んでるんちゃうの、と思っていたが、元気だったのだ。そして、そのインタビューを見た有志によってバスクラは修理され、彼は演奏を再開した。その映像もネットで見たが、なるほどなあ、という感じ。つまり、ちゃんと吹いている。決して頭のおかしいやつがでたらめに楽器を吹いている感じではなく、管楽器の基礎があるミュージシャンの吹き方だ(もちろん、ひじょーーーーに独創的で独特だが)。ヘンリー・グライムズにつづくこの復活劇は私にたいそうな感動をもたらした。だから、売っぱらってしまった本作をCDで買い直したのである。なんというか……元日本兵がジャングルで生き延びていた、というのは、考えてみたらたいした感動の話でもなんでもないはずだが、なぜかそこに、限界的状況を生き抜いてきた人間というものの深さを見るような気がして、勝手に感動してしまうのだろう。それがジュセッピ・ローガンだったというのも、このドラマの大きなポイントだ。というわけで、何十年ぶりかの新譜(!)が出たのである。それももうまもなく、私のところに届く。ものすごく楽しみにしているのだ。ところでジュセッピ・ローガンについて長い間疑問に思っていることがあり、それは彼が演奏している「パキスタン・オーボエ」という楽器についてだが、これはいったいなにを指すのだろう。調べても、そんな楽器はなく、ネットで検索しても、出てくるのはジュセッピ・ローガンのアルバム評とかばかりだ。パキスタンで使われているダブルリードの民族楽器ということだろうか。わからんなあ。
「THE GIUSEPPI LOGAN QUINTET」(TOMPKINS SQUARE TSQ2325)
GIUSEPPI LOGAN
いやー、あのジュセッピ・ローガンがなんとまだ生きていて、バスクラが壊れててねえ、みたいなことをしゃべっているインタビューをYOUTUBEで見たときはぶっとんだが、そのあと寄付をつのってバスクラを修理して、ジャズクラブで演奏するまでに至ったわけで、その映像は私にある種の感動をもたらした。しかし……アルバムまで出るとはなあ。とにかくびっくりですよ。なにしろ、あのジュセッピ・ローガンだからなあ。とっくに死んでるとみんな思っていたはずだが、よく考えてみるとその根拠はなかったのだ。そして本作……45年ぶりの復活第一作である。なぜかバスクラは吹いておらず、アルトサックスオンリーだが、まあ、どう言ったらいいか……あまりに下手くそででたらめな演奏で、ある意味驚く。しかし、考えてみれば、もともと45年まえもこんな感じといえばこんな感じだったひとだから、これはこれで正しい形での「復活」なのかもしれないなあ、とも思った。一種のドキュメントだと思えばいいのかもしれない。小説のネタにしたこともあり、繰り返し聴いたが、やっぱりESP盤のほうがいいかも(メンバーがすごすぎるからね)。CD時代になり、音質がクリアになった分、ああいったいかがわしい音楽の神秘性は薄れてしまったが、それでもリーダーのジュセッピ・ローガンだけはなんともいえないいかがわしさ、でたらめさを保っており、音楽というのは不思議だなあ、という感慨をいだかせてくれる。でも、ディスクユニオンの「静かに聴かせてくれる音楽群が心に響く一押しの一枚」という紹介には笑ってしまったが。
「…AND THEY WERE COOL」(IMPROVISING BEINGS IB−16)
GIUSEPPI LOGAN
あのジュセッピ・ローガンの新譜。カムバック(?)してから2作目。表ジャケットにはタイトルもリーダー名もメンバー名もなーんにも書いていない、ただの「絵」で売る気があるとは思えないが、そういう趣向なのであろう。描かれている絵も、信じられないほど下手くそな、落書き以下のものだが、知ってるひとは知ってるように、この絵がまさに内容にぴったりなのであります。今回の共演者は、私でも名前だけは知ってるアルトサックス〜フルートのジェシカ・ルーリー、ベースのラリー・ローランドというひと、そしてプロデュースも兼ねているギターのエド・ペッターセン(と読むのか)の3人。ジュセッピといえば、だれでも知っているとおりのへろへろ、よれよれが持ち味だが、ギターとベースがしっかりしているうえ、もうひとりのサックスであるルーリーが普通の意味でものすごくうまいので、ジュセッピが吹いていない部分は、じつにちゃんとしたフリーミュージックである。ルーリーは、楽器もうまい。音もいいし、テクニックもピッチも問題ない。しかも、フリーミュージックの方法論というかやり方を心得ていて、他人と合わせたり、その場面をリードしたり、場面を転換したり、相手に刺激を与えたり、自分がバックに回ったり……といったあたりの呼吸は堂に入っている。フルートもうまい。というわけで、これだけ共演者がしっかりしていると、ジュセッピのへろへろさがあまり伝わらない。たとえば前作だと、ワンホーンだったので、全編がへろへろだったが、今回はジュセッピが登場していない場面は、へろへろではないワンホーンのトリオミュージックが展開しているのだ。しかし……! やはりジュセッピはただものではない。そんなしっかりした演奏を、ほんの一吹きでへろへろのよれよれワールドに叩き込む力がある。ほんと、このひとは凄い。なにがやりたいのかは結局わからないのだが、それはいつものことなのである。とにかく、なんとか音楽院で習ってた、みたいな情報がとても信じられないぐらい、まったく楽器のできない子供がたまたまサックスを手にして吹いてみたらこうなった……的な演奏をずーっと維持できるひとなのである。それはそれで凄いですよね。こういう音楽を聴くのは、人生の歓びである。いつもいつも完璧な演奏、うまい演奏ばっかり聴いていたらしんどい。音楽の醍醐味はリズムにあらず、ピッチにあらず、フレーズにあらず……ということをジュセッピは教えてくれる。では、なんなのだ、というと、それは教えてくれないところもジュセッピ・ローガンなのだ。例によって、ピアノも弾いているが、これも異常にリズムの悪い、下手なピアノで、聴いていると笑ってしまう。こういうのを平然と録音してしまうあたりは、ただものではないのである。共演の皆さん、おつかれさまでした。ジュセッピの老境というか人間性だけはたっぷり味わえる作品。