frank lowe

「SHORT TALES」(BLEU REGARD CT1959)
FRANK LOWE

 フリージャズ界のトゥーフランクスの片割れ、フランク・ロウ。もうひとりのフランク・ライトがエッジの立った金切り声のようなサウンドで絶叫また絶叫の阿鼻叫喚のなかに一種のアイラー的世界を醸し出していたのとはまったく対照的に、ロウは最初から、どちらかというと丸みのあるトーンでまったりとした温かみのある演奏で、フリージャズというよりもっとちがうどこか……に足を置いていたような気がする。ドン・チェリーやレスター・ボウイへの接近や、ロリンズに教えを乞うていたことなどからも、彼が、10月革命後に雨後の竹の子のように出現した有象無象のフリーテナーとはちがう世界を持っていたことがわかる。まあ正直言って、そのあたりが物足りなかったわけだが、このアルバムは、ベースとのデュオという形なので、彼の音楽性、世界観がよりリアルに伝わってくる。非常に自由な演奏だが、咆哮したり、ノイズを発したりするような部分はない。牧歌的ともいうべき、のどかな曲調,そしてのどかな音色、フレーズ……そのすべてからたいへんウォームな精神が伝わってくる。なるほど、ここまでやってくれれば、物足りなさは皆無である。長いあいだかけて、こういう高みにまで到達していたのか、と思うと、感動的ですらある。惜しいひとを亡くした。本当のことをいうと、私はフランク・ロウのあまり良い聴き手ではなく、ディスコグラフィーを調べても、25〜30枚ぐらいあるリーダーアルバムのうち10枚弱しか聴いていなかったが、これからはできるかぎり彼の参加作を探して聴いていきたい。

「DON’T PUNK OUT」(EMANEM 4043)
FRANK LOWE & EUGENE CHADBOURNE

 このアルバムも、レコードを見かけたことはあるのだが、聴くのはこれがはじめて。フランク・ロウとチャドボーンのデュオなんて、今から考えるとめっちゃおもしろそうだが、レコードが出ていたころは、あまりフランク・ロウに興味がなかったのである。というのも、まえにも書いたかもしれないが、彼はフリー系のテナーのなかではあまり爆裂絶叫のタイプではないからで、何枚か聴いたアルバムも「うーん、いまいちスカッとしないなあ」という幼稚な聴き方をしてしまって、その後のサックスアンサンブルなどの作品も見過ごし、故人となった今、ちゃんと聴いてこなかったことをようやく後悔しているありさまである。さて、本作はしみじみした内容で、ギターとテナーのデュオという地味な編成ながら、演奏はバラエティ豊かだし、コンポジションも良く(ロウ、チャドボーンどちらも非常にすぐれた曲を提供している)、アイラーの「ゴースト」などオリジナル以外にも興味深い曲を演奏していて、じつに楽しい。レコードが出たあと、かなりの年月を経て、CD化するにあたって、ロウ、チャドボーンそれぞれが自身のソロ演奏を相当の数付け加えており、それがまたいいんです。だから、レコードを持っているひとも、CDを買っても損はないことになる。また、レコードをプロデュースしたひとがライナーで、レコードジャケットはロウもチャドボーンも気に入らなかったようなので、今回は使わなかった、みたいなことを書いているのもおもしろい。

「EXOTIC HEARTBREAK」(SOUL NOTE 121032−2)
FRANK LOWE QUINTET

ラッパがブッチ・モリス、ピアノがアミナ・クローディン・マイヤーズ、ベースがウィルバー・モリス、ドラムがティム・プレザント……とメンバーは申し分なし。一曲目、オーネット・コールマンの曲からはじまる。なんというか、テンションの高さを感じる。この1曲目だけが他者のコンポジションで、あとは全部ロウ自身のオリジナルばかり。2曲目はテナーのブロウを中心にした「どブルース」かつ変態な曲。これはすごいなあ。3曲目は短いけどピシッとしまったリズミカルな曲。4曲目はロウとブッチ・モリスが変な音色でテーマを奏でるが、こういうあたりがロウのアルバムがどれもいまひとつスキッとしないことにつながっていると思う。つまり、音楽性がひねくれている。フリージャズなのだから、もっとドカーンとストレートアヘッドにブロウしまくってくれれば、おそらくリスナーはそれなりに喜ぶ。しかし、ロウは知的で、かつ、ねちっこい。そういう粘りけがいかにもブラックジャズを感じさせて、私は好きなのだが、どう言ったらいいのか、ひたすら吹きまくる……みたいな爽快感からはけっこう遠い音楽性をもっているのがじつはフランク・ロウなのだと思う。フリージャズの2フランクスと呼ばれたフランク・ライトが、どちらかというと頭の線ブチ切れの吹きまくりをみせて、コアなファンがいるのと対照的ではないか。でも、私はフランク・ロウのこういった納豆のように粘りつき、へしゃげ、ずるずるとまとわりつくような演奏が気に入っている。よく考えてみると、このアルバムで共演者に選んでいるブッチ・モリス(アレンジャーとしても本作に貢献しているようだ)も、ちょっと似たようなタイプかもしれない。フランク・ロウは生涯そういうあたりでいろいろもがきつづけて、吹っ切れることのなかったテナーマンではないか、と私は勝手に思っている。英文ライナーで、「フランク・ロウはほかのミュージシャンを『聴く』ことはない。『学ぶ』のだ。たとえば彼はソニー・ロリンズを聴かない。ロリンズを学ぶ。トリスターノを聴かない。トリスターノを学ぶ」みたいなことが書いてあるが、なるほどなあと思う。5曲目もねちっこいねちっこいスローナンバーで、聴いていていらいらするひともいると思う。私も若干いらっとしましたが、そのあたりの感じが「ロウを聴く」ということなのだ。なにしろ「音色」がいいので、正直、音を聴いているだけでもある種の快感はある。6曲目はミディアムファーストの景気のいい曲だが、ロウのソロはやはり一筋縄ではいかない、ぐねぐね、もたもたしたソロをするが、こういうのは吹く立場からいうと、頭でいろいろ考えながら吹いているのだ。なーんにも考えずにとにかくブワーッと……というようなことができないタイプなのだろう。もう亡くなってしまったが、なにごとにも手を抜かず、じつにアイデア豊富でシリアスな演奏をしてくれた、フリージャズシーンにおいて得難いキャラクターのテナーマンだったと思う。合掌。

「BLACK BEINGS」(ESP 3013)
FRANK LOWE

 フランク・ロウの最高傑作との呼び声も高いESP盤が、CD化に際して15分もプラスしたコンプリートバージョンでの登場。レコードは私も愛聴していたが、今回聴いてみて驚いたのは、音質の向上である。リミックスがよほどちゃんとしているのだろうな。聴いてすぐにわかるとおり、フリージャズ初期の典型的なパワーミュージックであり、コレクティヴインプロヴィゼイションである。こういう演奏は、レコードの音質が悪いと、団子みたいになってそれぞれのプレイが聴き取れなくて、なんかいろいろやってるけど、なんのこっちゃわからんなあ、という結果になりがちだが、本作はCDになってその本領を発揮したといえるかもしれない。私は大学生のとき、ドン・チェリーの「ブラウン・ライス」や「相対性組曲」などでロウのプレイに接し、その後すぐにリーダー作「フレッシュ」(レスター・ボウイとやってるやつね)を聴いた。そこでのプレイはすでに、ねちねちぐにぐにした思索的なものになっていて、なんじゃこれ? と学生のときの私は頭に「?」マークを点灯させたものだが、「フレッシュ」のほんの少しまえに録音された本作はロウの初リーダーアルバムであり、まるでマグマが噴出するような熱気とストレートにブロウしまくる、情熱的なロウの姿がここにはある。でかい、濁った音で、延々と吹きまくるロウは、ギターの扇情的なプレイにあおられ、ひたすら立ち止まることなくテナーを軋ませる。ジョセフ・ジャーマンも、いつもの知的な演奏ではあるが、ときにはロウにつりこまれるような形で我を忘れてフリーキーに吹きまくる場面もあり、それがまたロウをあおりたてる結果となり、一曲目は30分を超える長尺の演奏だが、まるで聞き飽きない、テンションの高い最高の瞬間が続く。これはすごい(ライヴということもあるのだろうが)。フランク・ロウというひとは、このアルバムだけしか聴いたことがなかったら、フランク・ライトとタメをはるフリーキーなブロウ派だと思われるだろうが、結局、アルバムのような演奏から出発したが、その直後から、こういったなんにも考えない、ただただ吹きまくるという肉体派の豪快ブロウからなんとか抜け出そうともがき苦しみ、試行錯誤を繰り返した生涯だったのだろうと思う。私は「フレッシュ」から聴いたので、逆に本作が「えっ?」という感じだったが、その後、さまざまなクリエイティヴな試みを繰り返して少しずつ前進していくロウを私はリスナーとして好ましく思う。いろんなひとがいてのフリージャズであり、テナーの世界なのである。しかし……ロウのアルバムでどれかひとつあげろ、といわれたら、やっぱりこれを推薦してしまうかもしれないなあ。それぐらいメガトン級の衝撃のある作品なのである。傑作!

「THE LOWESKI」(ESP4066)
FRANK LOWE

 これは未発表なのかレコードからの復刻なのかよく知らん。録音場所はニューヨークとなっているだけで、スタジオなのかライヴなのかも書いていないが、客の拍手や歓声は聞こえないような気がする。で、とにかく音質が悪い。一応5パートにくぎってはあるが、それはあくまで便宜上で、実際は長い1曲である。内容的にはロウとジャーマンの双頭アルバムのようでもある。第1パートは、意表をついたジョセフ・ジャーマンの無伴奏ソロで、それだけに終始するが、この部分は循環呼吸も特殊なマルチフォニックスも(音を割るような形でのハーモニクスはある)特殊なタンギングもなにもない、シンプルな「フリージャズ」のサックスソロだ。しかし、親近感が持てる、剥きだしの演奏だ。この部分は音質にはそれほど問題はない。2部にいたって、全員が入って来るが、ここで音の悪さが露呈する。左チャンネルからジョセフ・ジャーマンとフランク・ロウのサックス、右からヴァイオリンとベースとドラムが聞こえるわけだが、ロウのテナーサックスにマスクされて、ジャーマンのアルトはすごく引っ込んでいる。そして、リズムセクション音量が小さくて解像度も悪く、なにをやっているのかさっぱりわからん。フリージャズ黎明期にはこういう録音がけっこうあった。フリージャズにありがちなコレクティヴインプロヴィゼイションの部分で、音がたがいに打ち消しあい、混沌とした音の団子のようになってしまう。初期のフリージャズは、そういうパートになると、これでもかと全員がひたすらやかましく音を出していたから、なおさらだ。もちろん録音技術の問題もあったと思う。しかし、昨今はどんなマイナーレーベルでも、簡便な機材での録音でも、音はかなりクリアに録音されるので、こんなぐちゃっとなることはない。本作を聴いて、久しぶりにそういう記憶が蘇った。リズムセクションはとにかく「わーっ」としか聞こえないのだが、ロウのテナーはかなりオンマイクで録音されているうえ、血を吐くような凄みがあり、感動的である。ロリンズ的というか、間をいかした、刺激的なフレーズが効果を出しているし、個性にもなっている。エレクトリックヴァイオリンのソロになり、最初はピチカートでウクレレかアコースティックギターのように弾きまくり、そこから弦を使ったソロになる。どうやらソロはすべてリアルな音で録音されているようだ。この部分もなかなかよかった。そして、ジョセフ・ジャーマンのアルトソロになるが(これもリアルでいい音で録音されているが、その分、ドラムとかはかなり引っ込んでいる。後ろで吹いているテナーの音も小さく、単純にマイク数が少なかったのか?)、なかなか八方破れのいいソロだと思う。最後にテナーとアルトの共演になり、ここは両者とも適正なバランスで録音されているので、十分楽しめるが、やはりドラムとかは小さいなあ。こういう「これしかできまへん」「とことんやります。死ぬまで吹きます」的な猛烈なソロは、正直、無駄なエネルギーの発散だと思う反面、めちゃくちゃ私の好みであって、最近のフリージャズはここぞというところで出てきて的確なフレージングをすることできっちりと効果をあげ、引くところは引くのがあたりまえだが(ブロッツマンテンテットですら、そう思う)、こういうやみくもなエネルギーの怒濤の垂れ流しは、「時代や」の一言で片付けてしまうのはどうかと思う。今はヒップホップジャズとフリージャズを同じように楽しめる時代なのかもしれないが、当時はそうではない。現状をぶち破るには、これだけの無駄なエネルギーと熱情を発露させることが必要だったのだと思う。こういう演奏を「むちゃくちゃやってるだけ」と片付けるのはいかがなものか。これがあったから、今があるのだ。「今」だけ見ているひとはきっと失速する。

「ONE FOR JAZZ」(NO MORE RECORDS NO.11)
FRANK LOWE/BILLY BANG

 このアルバムは良かったなあ。フランク・ロウというひとは、おそらくものすごく真面目なひとなのだろう。フランク・ロウの音源をいろいろ聴くことができるようになって、私も含めて、このひとの印象がだいぶ変わったように思う。「ブラック・ビーイング」を除くと、たいがいサブトーン気味のもっちゃりした音色で、しかもモゴモゴ吹く感じの演奏が多く、たとえばファラオ・サンダースのようにひたすらスクリームするとか、シェップのようにとにかく激情にまかせて指をこねまわすとか、アイラーのように朗々と吹くとか、ブロッツマンのように無茶苦茶やり倒すとかいった必殺技がなく、したがってカタルシスもない、というような感じで私は思っていた。フリージャズ・トゥー・フランクスのかたわれであるフランク・ライトは、金切声で絶叫しまくる、頭の線が切れたような演奏がファンの心臓をわしづかみにするが、フランク・ロウはそういった「直情的」な演奏はあまりない。初期のシンプルなフリージャズというのは、リズムに乗せて、延々ギャーッと吹いていればそれなりにかっこよかったりするわけだが、フランク・ロウの演奏は、本作で聴かせるように、リズムに対して乗るというより逆にリズムを否定するかのごとく、つんのめったり、つっかえたり、訥弁に吹いたりと、安易なノリを出すことを拒絶する。このあたりの美意識というか音楽観が、なかなか渋くて、パッと聞いただけではわかりにくい世界を作りだしているのかもしれない。本作でも、サブトーン気味の音でぎくしゃくとしたフレーズをじっくりじわじわ吹いていく。普通に吹くべきところを、押し潰したような音色でこねくり回す。しかし、これがフランク・ロウの個性であり、唯一無二の味わいなのだ。かなり考えながら吹くひとだと思うし、指が回っていないように聞こえる変態的なフレーズもこういうふうに吹こうという意志の表れなのだろう。しっかりした低音の出し方やハーモニクスをうまくフレーズに織り込む技術など、やっぱり基本的なサックスの基礎はシェップなどに比べるとはるかに感じるのだ。パッと聞いての派手さはないが、その分じわじわ来る。ユージン・チャドボーンとの演奏などもそういうタイプだったなあ。そして、肝心なことは、そういう演奏が、ものすごくブラックミュージックを感じさせることで、フランク・ロウの演奏はやはりグレイト・ブラック・フリージャズ以外のなにものでもないのだ。もうひとりの主役であるビリー・バングについては、もちろんロウよりは雄弁で、繰り返しのフレーズやトリルなども多用して弾きまくるのだが、全体の印象としてはロウとだいたい同じで、決してテクニシャンではなく、ごつごつした味わいで聴かせる感じ。しかし、耳に残りまくるものすごい個性。ヴァイオリンの弦が熱くなって切れるのではないかと思えるような白熱ぶりも随所で聴かせる。まさに双頭バンドというか、ぴったりのコンビネーションだと思った。4曲目や9曲目の、ふたりが同時にインプロヴァイズしているところの高揚感はただごとではない。とにかくエド・シュラーのベース(とくに2曲目のソロとかすごい。3曲目のビリー・バングとのデュオ部分もかっこいいし、8曲目冒頭のソロもびっくりするぐらいいい。9曲目のランニングのスウィング感も半端ない)がめちゃくちゃすばらしく、ドラムのアビー・レイダーもいい(7曲目のパーカッションソロは最高!)。また、リーダーふたりの書く曲が変態的で、すっごくええ感じなのだ。強力なリズムセクションに支えられた傑作だと思います。なお、10曲目の表題曲「ワン・フォー・ジャズ」というのは、演奏まえにデニス・チャールズに捧げた詩が朗読される(朗読者はわからないが、ビリー・バングなのかなあ)。このアルバムはできればヘッドホンで大音量で聴くべし。ジャケット写真も秀逸。

「SOUL FOLKS」(NO MORE RECORDS NO.10)
FRANK LOWE QUINTET

 98年のライヴ録音だそうだが、なんとドラムがラルフ・ピーターソン。トランペットはジャック・ウォルラス(これはあまり驚かないが、ミンガス関係のすごいひと)でベースがスティーブ・ネイル(これも超有名人だ。ファラオの諸作や、ギル・エヴァンスの「プリースティス」とか)。ピアノのベルサ・ホープはエルモ・ホープの未亡人で、そののちベースのウォルター・ブッカー(これもファラオとやってるよね)と結婚したらしく、本作の4曲目は彼女に捧げられている。このようにけっこう凄いメンバーなのだが、聴いてみると、とにかくいつものフランク・ロウの音楽としか言いようがなく、まーったく変わらんところが凄いですなー。たしかに、ラルフ・ピーターソンのドラムはさーすがになかなかのもので、随所に彼らしさを発揮してバシバシ叩きまくっている(2曲目のソロとかすごい)。このライヴの成功の鍵のひとつはまちがいなくラルフ・ピーターソンのアグレッシヴかつ的確なドラムだろう。ピアノは、エルモ・ホープの奥さんとは思えないほどのフリーな弾き方ですばらしい。ベースもソロのときはものすごい演奏で度肝を抜かれるし、バッキングでも強烈な技を披露しまくっている。ウォルラスもブルーノートでリーダー作があるぐらいで、めちゃうまい(4曲目で、ペダルトーンをまじえて、変態→正統と振れ幅の大きいものすごいソロをしている)。結局、このグループを「いつもの」感じにしているのはロウのテナーサックスということになる。あいかわらず、流暢さのまったくない、つっかえるような、つんのめるような、訥弁でリズムを狂わせるようなフレーズを、ていねいにじっくり重ねていく。その感じは、テーマでもソロでも同じで、テーマもちょっとしたリフ(3曲目とか)なんかも、自分の曲なのに、ちゃんと合わせようという気があるのかないのか、というようなごつごつした吹き方をする。だから、パッと聴くと下手に聴こえるのだが、このひとはとにかくまじめなのだろうな。古いフリージャズというものを引きずった、ブラックミュージックとしてのジャズを無骨に演奏し続けたひとだと思う。こういうひとの延長にデヴィッド・ウェアやチャールズ・ゲイルがあるのかもしれない。しかし、サブトーンの延長にある太いリアルトーンは、テナー奏者としてのフランク・ロウの根本的な実力を示している……と思う。とにかくこのヘタウマぎりぎりのひとが好きなのである。凄腕の共演者の効果もあって、本作はロウの傑作ライヴといっていい作品といえるのではないか。でも、このテナーの味わいは何度も聴かないとわからないタイプのやつかも。繰り返し聴く事をおすすめします(共演者の凄さは、一回でわかるタイプのやつなんだけどなー)。なお、全曲ロウのオリジナルと書かれているが、ロウ自身のライナーによると、8曲目はブッカー・リトルの曲であります(ロウは、コンポーザーとしても相当優れていることが本作ではわかります)。このライナーもなかなか面白くて、ロウが「ジャズファン」であることがよくわかります。俺が好きなジャズメッセンジャーズは、リー・モーガン、ウェイン・ショーター、ボビー・ティモンズ、ジミー・メリットの「ビッグ・ビート」とかのころだとか、いろいろ書いてある。ええひとなんやろなー。3回聴いたけど、傑作という思いは増すばかりの、スルメの味わいのアルバムです。

「BODIES & SOUL」(CREATIVE IMPROVISED MUSIC PRODUCTS CIMP#104)
FRANK LOWE TRIO

 フランク・ロウというひとは不思議なテナーマンである。まず、音がもっちゃりしている。リンクのメタルなのだが、スカッとしない、もわっとした、どちらかというと細い音色である。そして、フレーズももっちゃりしている。ブツ切れで、アブストラクトで、なんだかよくわからないぐじゃぐじゃっとしたフレーズを延々吹き続ける。フリークトーンを吹いて暴れるわけでもなく、その場で思いついたことを、前後の脈絡なく吹いて、楽器と戯れているようなところがある。有名な「ブラック・ビーイング」は私も大好きなアルバムで、徹頭徹尾凄まじい音でのフリーキーな演奏が展開するのだが、ああいう狂熱のブロウはじつは数少ない例外で、本来の姿は本作にも聞かれるような「もっちゃり」系だと思うのだ。一曲目の「インプレッションズ」……このわざとぎくしゃくさせた妙な「インプレッションズ」を7テイクも録ったらしい。そして、ロウのすごいところは、こういう相当変わった(?)演奏なのに、聴いているうちにどんどん癖になってきて、もっと聴きたいという気持ちにさせられるところである。根本的に確固たるオリジナリティのうえに成立している音楽なのだ。でかい、エッジの立った音で吹きまくらないと、図太い低音や激しい高音をぶちかまさないと、悲鳴のようなフリークトーンで絶叫しないとテナーじゃない! みたいな考え方がロウのまえでは木っ端微塵に、というか、ゆるゆると打ち砕かれる。だんだんと、これでいいのか? から、これでもいいのだ、そして、これがいいのだ……となっていく。ある意味、ロスコー・ミッチェル的な面もある。音色などは違うが、フリージャズに接近した時期のロリンズが、その場で思いついたフレーズを曲の進行かまわずに吹きまくり、アブストラクトでぎくしゃくしたフレーズを信念のもとにぶちまけていたことを連想した。ロリンズに親しかったロウはそのあたりに共感しているのかもしれない……とか思ったりして。本作は、ロウが「親しい友人」で「生活のすべてに影響を受けた」と語るドン・チェリーに捧げられている。たしかにドン・チェリー的な音も聞こえてくる。「アート・デコ」(いかにも、という感じの朴訥な演奏ですばらしい)も演奏しているし、オーネットの「ハッピー・ハウス」もやっている。ロウのオリジナル「ドン・ワン」という曲が2テイク入っている)。8曲目のバラード「フォー・ルイ」(ルイ・アームストロングに捧げたフィリップ・ウィルソンの曲)は感動的である(このアルバムで一番好きかも)。ラストには、テナーの無伴奏ソロによる「ボディ・アンド・ソウル」は非常にストレートな演奏で、ロウのテナー奏者としての実力が明確に示されている。