kohichi makigami

「民族の祭典」(東芝EMI TOCT−6501)
KOHICHI MAKIGAMI

 なんという傑作なのでしょう、このアルバムは! 聴き直してみて、自分がいかにこのアルバムから絶大な影響を受けているかをしみじみ実感した。一曲目の、ディズニーのこびとではなく、いわゆるフリークスとしてのこびとたちが不気味に笑いさんざめいているような「森の小人」にはじまり、「国境の町」、「桑港のチャイナタウン」の2曲は、今、昭和歌謡がはやっているが、そういう古い曲の価値を20数年まえの時点で私に教えてくれた。オリジナルの「アルタネイティヴ・サン」のバラード(?)バージョンをはさんで、続く「私の青空」は、どこぞの会社員が昭和元禄の気楽なサラリーマン生活を謳歌しているようなわざとらしい歌い出しが、一転して、プレスリーが発狂したような歌い方になるという展開が「狭いながらも楽しい我が家、なんか存在しないんだよ」みたいな皮肉を感じる。そして……「イヨマンテの夜」……すばらしすぎる。伊藤久男のオリジナルよりも、よりアフリカに近い、民族音楽としてのイヨマンテ。続く「おおブレネリ」は、巻上公一とまだどこのレコード会社とも契約してなかったころの戸川純との頭の血管が切れそうなほどのハイトーンによるデュエット。はじめて聴いたときは腰が抜けそうになりました。そのつぎが「マヴォの歌」。マヴォというのが、大正期の前衛芸術運動で、でたらめ歌詞による変な歌がやたらと作られていた、というのを知ったのは最近のことである。続く「赤い靴」は実はいまでも自分のバンドで演奏(と歌)しているが、それはこのアルバムのバージョンを聴いて自分なりにやってみたくなったから。ラストはオリジナルの「不滅のスタイル」だが、「うぬぼれてるのがわかる、君の自慢のスタイル、インテリ気取りの顔にちょっぴり不安も見えるが……」という歌い出しの部分など、なんだか自分のことを言われてるみたいでどきっとしたもんです(高校生のときの話ですよ)。 ああ、名盤だ。うちにはレコードもCDも両方あります。

「FIVE MEN SINGING」(VICTO CD 092)
JAAP BLONK/KOICHI MAKIGAMI/PAUL DUTTON/PHIL MINTON/DAVID MOSS

 きれっきれのヴォイスパフォーマー5人が集結! どう考えても前衛でわけのわからんやつやろ、と思ったかたはブー。めちゃくちゃ楽しくて、いきいきした、真のエンターテインメントともいうべきパフォーマンスが詰まったライヴなのだ。5人のシンガー〜ボーカリスト〜ヴォイスパフォーマーたちが、ひたすら叫び、しゃべり、歌い、あえぎ、もだえ、笑い、泣き、鳴き、吠え、ラップし、怒り、悲しむ。基本は即興だが、5人もいたらむちゃくちゃになるんじゃないのと思いきや、それどころか、これは5人いる意味がある! と叫びたくなるぐらい、完璧な5人だ。5人そろってヴォカライザーだ。なんのこっちゃ。いやー、これはすばらしいなあ。さまざまな音楽のさまざまな要素が詰まっているが、これだけはじけまくると壮観だ。とにかく「ひとの声」というものの凄さを堪能できる。いやもう、とにかく面白すぎるから聴いてみて、としか言えないぞ。サラ・ボーンのファンも、エラのファンも、バブス・ゴンザレスのファンも、いやいや、プレスリーのファンも、シナトラのファンも、ビートルズのファンも……あらゆるボーカル好きは全員聴け! ぜったいに面白いことはほしょうします。とんでもないテクニックが披露されあうが、それが絶妙にブレンドして、新しいものがどんどん生まれていくところがすごい。演劇的な要素もあり、ああ、めちゃ楽しい! でも、巻上さんの声は、こういう場でもすぐにわかるなあ。傑作です。だれのリーダー作というわけでもないのだろうが、一応巻上さんの項に入れておく。

「メテオールのドライバー」(FULLDESIGN RECORDS FDR−1051)
巻上公一 & 藤掛正隆

 もうめちゃくちゃかっこいい瞬間の連続で、聴いていて頭のなかで「ぎょえーっ」と自分が叫んでいるのが聞こえるようなすばらしい演奏。ヴォイス(その他もろもろ)とドラム(とエロクトロニクス)というシンプルな組み合わせなのだが、聴いている印象はオーケストラのように壮大なのだ。ヴォイスを中心につぎつぎとさまざまな「奥の手」を繰り出してきてめまぐるしい巻上と、パーカッションとエレクトロニクスで応じる藤掛のふたりの発する手裏剣がリスナーの頭上で飛び交い、ぶつかり合い、ハレーションを起こす。ギミックにつぐギミック、禁じ手につぐ禁じ手。容易に尻尾をつかませないウナギのようなふたり。その蓄積というかボキャブラリーの豊かさには圧倒される。ふたりとも、なにか突拍子のないことが起きても動じない。よほど腹をくくっているのだなあと思う。しかし、4曲目のようにストレートなドラムとコルネットによるアコースティックでシンプルなデュオもあり、それはこの並びでは新鮮に聴こえる。フランケンがずっとぼやいているような幽霊城のドボチョン一家のような5曲目も楽しい。6曲目はドスの利いた大太鼓の轟音とミニマムな口琴の対峙。8曲目のテルミン(?)の盛り上がっていくさまは狂気を感じるほど周囲の制止を振り切ってぶっちぎっていく。ラストは巻上さんの「メテオールのドライバー」という詩の朗読ではじまる表題曲。この音楽はもちろん非常に創造的なものだが、けっしてシリアス一辺倒ではなく、ユーモア感覚やエンターテインメント性を十分備えている、だれでも聴けるしだれでも楽しめるものだ。それはおそらく巻上さんがヒカシューでずっと追求してきたものだろうし、日本の、というか世界のフリーミュージック、インプロヴァイズドミュ―ジックの多くがそういう方向に向かっているのはすばらしいことだと思います。楽しいことは悪いことではないのだ、芸術は楽しい! という強烈な意志を感じます(もちろんそうでないものもすばらしいと思います)。傑作としか言いようがないアルバムでした。横浜のライヴハウスでのライヴだが、現場で聴いていたとしても、このすべてを聞き取り、味わい、咀嚼することは不可能なので、こうして録音され、何度も聴けることは本当によかった。