「VOCALESE」(ATLANTIC RECORDING CORPORATION ATLANTIC 7 81266−1)
THE MANHATTAN TRANSFER
それまでもアルバムにちょいちょいとヴォーカリーズの曲を入れていたマンハッタン・トランスファーが全曲ヴォーカリーズでかためた意欲作であり、同時にエンターテインメントのど真ん中のような仕上がりの作品。個人的にはマントラのアルバムはベスト盤を一枚と本作を所持しているだけなのだが、このアルバムは出た当時(学生のころです)、病みつきになってしまい、とくにB面ラストの「ムーブ」を毎日聴かないと眠れないというような「中毒」になったことを覚えている。ヴォーカリーズというのは、一部のひとは(どういうわけか)毛嫌いするが、私はもうめちゃくちゃ大好きである。ジョン・ヘンドリックス卿が仕掛け人(というか作詞者)となって本作ができあがったわけだが、あまりにも金がかかった仕上がりに、これも文句を言うひとが当時もいたが、なにしろあの大スターのマントラがやることなのだから、かまへんやん、と思っていた。まあ、結果としてこれだけの大名盤ができたのだからよかったよかった。このアルバムを聴くといろいろなことを思うのだが、結局は「ひとの声というのはすごい」という思いに集結する。冒頭の「キラー・ジョー」にしても、最初のティム・ハウザーのわざとらしい低音でのぼやき(?)が、もう完全に聴衆をつかんでおり、そのあとのシンプルなメロディやボーカルソロについてもさまざまな仕掛けがなされているのだが、基本的には「ひとの声ってすごいでしょ」というアピールではないかと思う。そして、ゴルソンのこの古い曲をポップに蘇らせた手腕にも脱帽。ベースラインのゆるいファンキーさも、クインシー・ジョーンズのバージョンのように、ちょっとジャズの本道から離れた感じのヤバいかっこよさがある。歌詞もクールです。2曲目はカウント・ベイシーの古い曲で、なんで今こんな曲引っ張り出してきたんや、というぐらいの曲だが、そのベイシーオケをバックにおいての演奏。なんとリードアルトには退団していたはずのマーシャル・ロイヤルをすえ(ちょうどボビー・プレイターが亡くなってダニー・ターナーがリードになった時期)、ベースがレイ・ブラウン、ドラムがグラディ・テイトという、正直よくわからん豪華メンバーである。3曲目はロリンズの「エアジン」で非常に真っ向勝負のヴォーカリーズ。小気味よい、なにも言うことのない演奏で、歌詞もめちゃくちゃ楽しい。4曲目の「トゥ・ユー」は古い曲だが、サド・ジョーンズによるベイシーバンドのアレンジがベースになっていると思う。フォー・フレッシュメンがゲストというのも驚くが、それよりもドラムがフィリー・ジョー・ジョーンズでベースがリチャード・デイヴィス、ピアノがトミー・フラナガンというえげつない豪華絢爛なリズムに驚愕。フィリー・ジョーはこの年に亡くなっているのでたぶん最後の録音ではないか。5曲目「ミート・ベニー・ベイリー」は、これもカウント・ベイシーのルーレット時代の曲で作曲、アレンジはクインシー・ジョーンズ。こんな曲を持ってくるというのはマジで渋いが、フレディ・グリーン的なギター(ウェイン・ジョンソン)がリズムを刻み、ジェイムズ・ムーディーのテナーがソロで歌い上げる洒落た一曲になっている。6曲目は「アナザー・ナイト・イン・チュニジア」という曲名になっているが、ボビー・マクファーリンをゲストに迎えた「人間の声」による芸術の集大成である。ベースラインも含めてヴォイスが完璧な働きをみせ、パーカーの例のファイマス・アルト・ブレイクも人声で再現する。こういうことはマントラはこれまでのアルバムでもちょいちょいやっていたと思うが、こういうヴォーカリーズばかりの過激なアルバムのなかに入ると感動的である。B面に参りましょう。1曲目は超絶、めちゃくちゃかっこよくて、ノリノリの「レイズ・ロックハウス」で、これは中毒になる。一時は毎日聴いていて、聞き終えるとまた聴くのである。もともとはレイ・チャールズの古いインストだが、今や完全にこのマントラバージョンの歌詞がオリジナルのようになっているのではないかと思われる。ジャニス・シーゲルのファンキーなボーカルが炸裂する。ここでシンセとかを担当しているクレイグ・ハリスはあのクレイグ・ハリスとは別人だと思う。2曲目はベイシーの超有名曲「ブリー・ブロップ・ブルース」で、オリジナルよりちょい速いテンポだが、ベイシーがライヴでよくやるテンポからはかなり遅い……という感じのちょうどいいテンポ設定になっている。ここでは、ダニー・ターナーがマーシャル・ロイヤルに変わってリードを吹いていて、スヌーキー・ヤングも加わっている。メンバーを見ればわかるが、ベイシーが亡くなって、フレディ・グリーンがまだ健在だったほんの短い時期の録音で貴重である。このベイシーの2曲や、フィリー・ジョーの参加曲でもわかるが、マントラが単にジャズファン的な「あの巨匠と録音したい」みたいな感覚ではなく、巨人たちに最後の録音の機会を作って、皆に広くその偉業を知ってもらいたい、という気持ちがあったのだろうと思う。3曲目は「オー・イエス・アイ・リメンバー・クリフォード」というタイトルになっているが、ゴルソンの「アイ・リメンバー・クリフォード」を最高のアレンジでヴォーカライズしたものである。アラン・ポールの声がぴたりとはまっている。マッコイ・タイナー、ロン・カーター……という超豪華メンバーがバックをつとめる。こういうスターアーティストのアルバムは商業的に広く一般に聴かれるべきものであるはずだが、歌詞の内容はストレートなクリフォード・ブラウン賛歌になっており、決してだれでもわかる感じではない。それでもたぶんここまでの仕上がりのアルバムを聴いたとき、リスナーは「クリフォード・ブラウンってだれ? どんなことしたひと?」みたいに興味を持つだろう。そのあたりの大胆さもこのアルバムの魅力である。そのクリフォード・ブラウンの演奏をヴォーカリーズした「ジョイ・スプリング」がつぎに続く。ベースがジョン・パティトゥッチ、ピアノがウォルター・デイヴィスというのも凄いが、演奏もすばらしい。ディジー・ガレスピーのミュートソロもさりげなく溶け込んでいて、泣ける。前曲に続いて全員によるクリフォード・ブラウン賛歌なのだ。そしてラストの「ムーブ」はさっきも書いたが、とにかくジャズヴォーカルによるアクロバットである。めちゃくちゃかっこいい。リッチ・コールのアルトもここではバリバリにはまっていてすばらしい。本来、こういうひとなのですよね。というわけで、本作はただ単に有名人が金をかけて作った、というものではなく、ジャズを愛するひとたちがジャズの歴史のうねりのなかで1985年という時点で奇跡的に作り上げたアルバムといえるだろうと思う。たしかにジャズ的なスリルには欠けるかもしれないが(そういう意見をときどき目にする)、その分ヴォーカルミュージック的なスリルはふんだんにある。個人的には歴史的な傑作だと思います。今後も折に触れて聴いていきたいと思う。ひとの声は豊穣だ。ひとの声は偉大だ。ただ、インストゥルメンタルである音楽をヴォーカリーズによってヴォーカルミュージック化することで、なにか本質的な変容が起こってしまう、ということは感じる(これはいい悪いではなく、また、マンハッタントランスファーにかぎらず、ほかのひとのヴォーカリーズにおいてもそう思います)。