「THE MOMENT」(ENTROPY STEREO ESR−012)
KALAPARUSH AND THE LIGHT
カラパルーシャだと思っていたら、いつのまにかカラパラッシュという表記になっているが、これはどう読むのかなあ。まあ、どっちにしても元はモーリス・マッキンタイヤなのだが。私は、二十年以上まえに若きカラパルーシャのテナーを吹く姿に魅せられ(ジャケット写真ということですね)、これはすごいにちがいないと確信し、何枚かレコードを聴いてみると、うーん、外見から私が勝手に期待していたような強烈リズムに乗った骨太のブロウはあまり見せず、良くも悪くも当時のAACMっぽい、というか、アブストラクトな演奏であり、いまいちピンとこなかった覚えがある。まあ、チコ・フリーマンみたいなものを想像していたのかもしれない。しかし、歳月を経て、レコード店の店頭で久しぶりに彼の名前を見つけたときは、うわー、カラパルーシャ復活! とは思ったのだが、中身はどうだろうか、とかなり逡巡したうえで、思い切って購入してみた。すると……めちゃめちゃええやん! ドラム〜チューバとのトリオというシンプルな編成だが、けっこう高齢のはずの彼が、このようにサックス奏者としての力量が露骨に出るような編成をあえて選んだのは、よほど自信があるのだろう。そして、その自信は見事に音に反映されている。私がかつて勝手に彼に期待した、強烈なリズムと、太い音色での熱いブロウ、そしてなによりAACMらしいブラックミュージックの伝統にのっとった前衛ジャズが存分に聴けた。いやー、すごいですよ。先日復刻されたカラパルーシャの古いアルバム(「クワンザ」)の解説に、最近は活動していないとか書いてあったが、とんでもない話です。
「KWANZA」(BAYSTATE BVCJ−35109)
KALAPARUSHA
どうもよくわからんなあ。このアルバムを聴いてみて、いやー、ほんとにカラパルーシャはええなあ、という感動を新たにしたのだが、本作はあの「ピース・アンド・ブレッシング」と同時期の作品らしい。「ピース・アンド・ブレッシング」はこないだ出た原田和典の「ジャズ・サックス」という本にカラパルーシャの代表作として取り上げられていたが、私はその作品はいまいち物足りなくて売ってしまった(出て、すぐに買っているはずなので、かなり昔の話である)。もしかしたらあれを売ったときは、私の耳が馬鹿で、その良さを感じることができなかったのかもしれない。そんな気になってきた。なに? 自分の耳を信じろ? そんなことができますか! 耳というのはアホなものなのである。二枚持っていたカラパルーシャのアルバム(一枚は今にして思えば貴重なデビュー盤だった)はどちらも茫洋とした観念的な作品に思えたので処分してしまったが、ああ、置いとけばよかったと思っている次第。あのころは、もっとドスのきいた、スジの通った、テナーを抽象的ではなく具体的にブロウしているのが好きだったからだろうな。もちろん今でもそういうのが好きだが、あのころはジャケットの写真や演奏楽器、AACMに所属していることなどから、勝手にチコ・フリーマンをもっとフリーにしたみたいな感じかなあとイメージを作り上げていたのだろう(そういう部分がカラパルーシャにはたしかにあるけど)。そのイメージにあわないから売ってしまったんだろう。ああ、アホな私。でも、その二枚をのぞいたほかの作品を聴くかぎりではカラパルーシャはめちゃめちゃ私好みのサックス奏者である。だから、たぶんあのときの私の耳がアホだったのだろうなあ、とこの「クワンザ」という傑作を聴きながらしみじみ思う。めっちゃええやんかいさ、これ。トランペットも悪くないし、ほかのメンバーも強力である。
「KALAPARUSHA」(TRIO RECORDS POCS9302)
KALAPARUSHA
カラパルーシャ・モーリス・マッキンタイアのこのアルバムともう一枚、ブラックセイントから出てるやつ(「ピース・アンド・ブレッシングス」)を学生時代に購入して聴いたが、かなりがっかりして売ってしまった。そして月日は流れ、先日、本作のCDが国内盤で出たので、なんというか再確認したくなって購入した。聴いてみると、(じつはある程度予想がついたが)「なんであのとき、しょうもないと思ったのか」と自分で自分に呆れるぐらい、おもしろかった。あのときの自分の耳がアホだったことは、もう十分、痛いぐらいわかっているので、たぶん「おもろいやろな」と思ったものの、それを上回る面白さで、いやはやあきれ返りましたよ。当時は、チコ・フリーマンを筆頭に、ジョージ・アダムスとかそういった「フリー系だが一本芯の通った黒人テナー」が聴きたかったのだと思う。音がしっかりしていて、アーティキュレイションもよくて、モード的な演奏もできて、しかもゴリゴリ吹く……みたいなひとが聴きたかったのだ。そして、ブラックセイント盤のジャケットのライヴの写真でのカラパルーシャは、なんとなくそういう演奏をしてくれそうな雰囲気があったのだ(私の勝手すぎる思い込みですが)。しかし、そもそもテナーをあんまり吹かないし、アブストラクトなフレーズをばらまく感じで幻滅したのだと思う。こういう、こちょこちょ吹くよりも、もっとどっしり腰をすえて、具体的なフレーズを吹いてほしい……とかそういう気持ちがあったのだろうが、いずれにしても学生の勝手な勘違いなのだった。カラパルーシャを「すごい」と思ったのは、上記にレビューのある「ザ・モーメント」で、これはドストレートに胸と腹に響いた。チューバ、ドラム、テナーという編成にも興味をひかれたがそれよりも「まだやってたんや」という驚きが先に立って聴いてみると、めちゃめちゃ良かったのである。それ以来、ふたたび聴くようになったのだ。だから、今回はおそらく、先入観がなくなった分、すごくよく感じるだろうと聴くまえから思っていたのだが、まさにそのとおりだった。そうです、私は単純なのです。そして本作は、今聴くと、冒頭の無伴奏ソロのテナーの音色からもう絶品。とくにカール・ベルガーが大活躍(例の、CMFが本作品録音の母体となっているらしい)。バッキングもいいが、ソロが凄すぎて感涙。ドラムもディジョネットなので、正攻法からフリーまでめちゃめちゃいい。イングリッドというひとのボーカル(ヴォイス?)もええ味出しまくり。そして、肝心のカラパルーシャのテナーは、あまりに好みの音色と演奏なので、ああ、今こんな風に吹きたいなと思う理想にけっこう近いのだった。それをあのとき、売ってしまったとはなあ。というわけで、正直、自分の耳のダメさ加減にげんなりしつつも、ちゃんと聞き直せてよかったという思いも強い今回の再聴だったわけだが、今読んでも悠雅彦氏のライナーは何が言いたいのかよくわからない(とくに楽曲解説の部分)。わざわざモチーフの楽譜まで載せてあるのだが、それはいったいどの箇所に出てくるのか。似たような音列は出てくるんだけどな……。途中で出てくる、もっとも印象的なイングリッドのヴォイスにも一切触れてないし……。表情豊かなカデンツァ風のソロではじまると書いてあるが、この冒頭のカデンツァ風のソロなるものこそ、この曲のテーマではないの?(同じメロディーを2回繰り返すので、コンポジションだと思うんだけど……)。2曲目も、コレクティヴインプロヴィゼイションとか、テナーとバスクラの持ち替えとか書いてあるけど、どう聴いてもほぼ全編ドラムソロだし……もしかすると2曲目と4曲目が入れ替わってるのか?3曲目も、2音のシンプルなベースノートに基づいてソロが展開……とあるがどう聴いても3音以上でのオスティナート。2つのコードというような意味なのか? 4曲目も、(おなじみのやつです)「テーマ部は、6/8拍子、8小節(4+4)の繰り返し」と「12/8拍子、BAGFGAの単純な音の反復形8小節」の計24小節だと書いてあるが、私にはそうは聞こえないし、このテーマに基づいてソロが行われているわけでもないので、こういうことを書く意味があるとは思えない(ラストも、テーマは出てこずに終わる)。ソロが「急速調のワルツタイムに乗って」というのも、そうは聞こえないなあ。まあ、嫌なら読まなきゃいいのだが、読者を惑わすにもほどがあるよ。
「HUMILITY IN THE LIGHT OF CREATOR」(DELMARK RECORDS DD−419)
MAURICE MCINTYRE
モーリス・マッキンタイヤの初リーダー作ということでいいのかな? とにかくこのときはまだカラパルーシャとは名乗っていないようで、英文ライナーにもカラパルーシャという言葉はまったくでてこないが、たぶん2枚目のリーダーアルバムである「ピース・アンド・ブレッシングス」(ブラックセイントのライヴのやつね)ではもうカラパルーシャ・モーリス・マッキンタイヤになっているので、貴重(?)なカラパルーシャでない時期の彼の唯一のリーダー作ということになる(まあ、2作目が出たのは9年後だけど)。カークに「プリ・ラサーン」という編集盤があったが、それでいえば本作は「プリ・カラパルーシャ」である。
1曲目はドラム〜ベース〜テナーサックスという編成でのシンプルでは短いが力強い演奏。マッキンタイヤのテナーが何度か破裂音のようなものを出してかっこいい。2曲目はジョージ・ハインズのボーカルがアフリカの呪術師のようなヴォイスを延々と発し、リズムはすごく速い3拍子をこれもアフリカ的な感じ。モーリス・マッキンタイヤはテナーをブロウしたかと思うとクラリネットを吹き、ときには2本一緒に吹いている。3曲目はゆったりしたフリーなグルーヴの演奏で、マッキンタイヤはテナーとクラリネットを交互に持ち替えて、ふたりの管楽器奏者がいるような雰囲気を出している。そこにまたしてもハインズのボーカルが現れるのだが,2曲目とほぼ一緒のことをする。そして4曲目に入ると、冒頭からいきなりボーカルが出てくるが、これも驚いたことに2曲目3曲目とまったく同じことをするので、たぶんぼやっと聴いていたら2〜4曲目はひとつの曲だと思うだろう。ここでのマッキンタイヤのテナーソロは最初はコルトレーンのようにモーダルなフレーズを高速で吹きまくったあとフリーに突入し、最後は絶叫……という形のもので、音もいいし、ボキャブラリーも多くて、見事のひとこと。サックス奏者としての基礎や実力をしっかりと感じさせてくれる。ただ……ボーカルがずっと同じ調子なのでどうにかしてくれっ……と思ったあたりで演奏は終わる。5曲目はアルバムタイトルでもなる「ヒューミリティ・イン・ザ・ライト・オブ・クリエイター」で、雰囲気はコルトレーンの「インディア」的な荘厳な宗教的な感じで、ファラオ・サンダースなどと共通する「神への捧げもの」的なものを感じるが、ようするにスピリチュアルジャズつーやつである。ただ、ソロらしいソロもなく一瞬で終わる。6曲目は20分近い演奏だが、5パートの組曲になっているらしく、トランペットのレオ・スミスが参加している。複雑なテーマとずっとルバートなリズム、茫洋としたソロ……アブストラクトというか、いかにもレオ・スミスが入ってるっぽい演奏で、私がかつてモーリス・マッキンタイヤのことを「うーん……いまいち」と思った系のやつ。ベースが二本入っているのだが、左チャンネルのベースが「ドレミファソシドシラソファミレド……」と弾いててびっくりする。もしかしたらマラカイ・フェイバースかも。でも、当時は苦手だったこの手のコレクティヴ・インプロヴィゼイションも今聞くとちゃんとかっこよく聴こえる。ソプラノはジョン・スタブルフィールドで、ピアノはクローディン・マイヤーズ。静と動、美しいハーモニーとノイズ、ぐちゃぐちゃした部分と耳に媚びる反復フレーズなどがつぎつぎ切り替わりすばらしい組曲。最後はチンドンか民族音楽みたいになって、なんだか子供がでたらめに叩いているようなドラムですべてが終わる。ラストの7曲目はタイトル曲の別テイク。というわけで、めちゃくちゃ気に入りました。
「PEACE AND BLESSINGS」(BLACK SAINT 120037−2)
KALAPARUSHA MAURICE MCINTYRE
学生時代に買ってがっかりして売ってしまったアルバムをCDで買い直した。果たして今の耳で聴いてどうなのか。カラパルーシャは後年の作品はどれも好きなので、もしかしたらめちゃくちゃ気に入るかもしれない、と思って聴いてみた。うーん、なるほど。なかなか手ごわい、一筋縄ではいかないアルバムであった。正直言って、ものすごく面白かったが、学生時代の自分が気に入らなかった理由もわかった。つまり、あのころは耳がついていってなかったのである。また、自分が勝手にこのひとに期待したものが得られなかったというのも自分勝手なマイナス要素だった。1曲目はテナーとトランペットはシンプルすぎるほどシンプルなユニゾンで、つまり全体にスカスカなテーマ。ここでもう「はあ?」となる。つっかえつっかえな感じのかなり「癖の強い」ドラム、あまり弾かないベース、そして見た目に比べて音が丸く、なんとなく抜けの悪い感じで、しかもアブストラクトなモチャッとした演奏のテナー……というこの3者のトリオはなかなかである。燃え上がるとか、フレーズを聞かせる、とか、ストレートに吹く、とかそういう頭はまったくないようだ。そして、テナーのラストフレーズを取って登場するトランペットのアブストラクトさも(この時代のフリージャズ系のトランペットに共通しているといえばそうなのだが)また、「わけわからん」感を増幅している。しかし、とくにこのトランペットの、なんにも考えてないけどとにかくやたらと吹きまくるという演奏はめちゃくちゃ気に入ってしまった(たぶん以前は気に入らなかったと思う)。ベースソロもドラムソロもまたしかりで、つまりこのカルテットはちゃんと同じ方向を向き、バラバラのようだが一体化して演奏しているのである。これらのへんてこりんなソロが続いたあと、いかにも「ジャズ」的に最初のテーマに戻るのだが、これらのソロを経たあとではそのテーマが「ものすごく馬鹿馬鹿しいバップ曲を下手くそに演奏しました」、という風に聞こえる、という妙な味わいになる。これは学生のころの私が理解できなくてもしゃあないな、と思う。もっとパワフルでストレートなフリージャズテナー(シェップとかアイラーとかファラオとか……)を期待していたのに、ロスコーやブラクストン的なテイストだったのだから。2曲目は、テナーとトランぺットが6拍目では合うのだがそれまでがずれて聞こえるという妙なテーマをクレッシェンドしながら雑に吹いていく、という超短い演奏。これもそう言ってしまえばロスコー・ミッチェル的かもしれない。そういう意味では、3曲目がいちばんいわゆる「オールドタイプのフリージャズ」(つまり私好み)に近いでしょう(これだけロンギーヌ・パーソンズの曲)。4ビートのドルフィー的に跳躍の多い曲調から、トランペットのロンギーヌ・パーソンズがとにかくひたすら過激にブロウしまくって凄い。ベースもすごい演奏で応じている。つぎに出てくるのがカラパルーシャの(たぶん)ソプラノ。これがまた、たしかにロスコー・ミッチェル的というかヘンリー・スレッギル的というかヘロヘロな音でぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃ吹く、超個性的で「なにがやりたいんや!」と言いたくなるような自由奔放なもの。今聞くと、もう最高なのだが、たぶんこれも当時はわかんなかった。つぎにベースが太い音でソロをするが、ときどきジャズぽいランニングが出てきたりして、これも楽しい。そして、カラパルーシャはバスクラに持ち替えて再登場。このバスクラがまた、すっごく下手に聞こえる(リードがキーキーいってる)のだが味わいはやたらとある演奏なので、文句のつけようがない。そうそう、ジュセッピ・ローガンの味わいもあるかも。そのあとのキング・I・モックのドラムソロも変なソロですよー。4曲目もジャズ的な、というか、エンターテインメント的な耳になじむフレーズは一切排したようなやたらと変な曲で、テーマのあと、カラパルーシャのフルート(?)とトランペットが同時に吹きだし、トランペットが突然教則本的なフレーズを吹いたり、カラパルーシャがシャナイ(金属製ダブルリード)を吹き、パーソンズが変な笛を二本くわえて吹いたり(リコーダー?)、カラパルーシャがヘビ笛みたいなものを吹いたり……もうわからん! という世界が展開し、面白いと思うものは面白がれ、そうでないものは面白がるな、という二択を突きつけられる。ところがその調子でずっとやっていると、だんだんこれが盛り上がっていってしまうのだから、いやー、おもろいなあ。こういう部分はアート・アンサンブルを聴いているようでもある。自然発生的な即興が図に当たる、という感じです。そしてテーマに戻るが、やっぱり変な曲! 5曲目あたりになると、このバンドのサウンドに慣れてきたのか、とにかくなにをやっても「かっこいい!」と感じるようになってきた(洗脳か?)。ゆったりしたテンポの、ビターでダークな曲調のバラード。太いアルコベースを中心に2管が奏でる不思議なメロディは、このアルバムの白眉といってもいいすばらしさである。あー、この曲はカッコええわ。カラパルーシャのテナーもはっきりした意図のもとに、ときにグロテスクに、ときに幻想的に、ときにフリーキーに吹きまくられる。トランペットも朗々とした伸びやかなハイトーンから、クラスターのようなサウンド、めまぐるしく上昇下降するフレージングなどすばらしい。どちらも、その中央に位置しているのはアルコベースで、このひとはただものではないなあ、と思って調べてみると、AACMではかなりのキャリアのあるひとのようだ。ラストの6曲目は、これは全体的にフリーなリズムで、カラパルーシャは最初ソプラノ、つづいてフルート(?)、そしてバスクラ……とつぎつぎ楽器を持ち替えていく(パーカッション的な小物も使っている)。パーソンズも同時に吹いているのだが、こちらはずっとアルトリコーダーでトリルみたいなことを吹いている(最後のほうはフルートに持ち替える。けっこう上手い)。全体に、AACMの良いところが出ているアルバムで、作曲といい演奏といい、カラパルーシャ的にはかなり気合いの入った作品だったのだろうな、ということが今となっては言えます。ロスコー・ミッチェルが好きなひとはトライしてはいかがでしょうか。なお、ジャケットではライヴ写真が使われているが、内容はスタジオ録音だ。
「FORCE AND FEELINGS」(DELMARK RECORDS DE−425)
KALAPARUSHA MAURICE MCINTYRE
カラパルーシャの演奏は、なかなかとっつきにくいところがあって、本作も、おそらく私が学生の頃だったら拒絶していただろう内容。しかし今聞くとめちゃくちゃ面白いのだから不思議だ。当時は、こういうぐちゃっとした感じのサウンドは好きではなく(たぶん「テナーはもっと腰入れてしっかり吹け! ギターはフォークギターか! ぐらいのことは言っていたと思う)、フリージャズでもソロイスト(つまりテナー)がしっかりとした音で吹くのが好きだったのだ。要するにそれは「ソロ」と「リズムセクション」という分担をよしとする「ジャズ」の聴き方なのだった。さすがに今はそんなことはなく、なんでも楽しく聴きます。本作は、リタ・オモロクン(リタ・ワーフォード)のボーカル(というかヴォイスというかポエットリーディングというか……)を前面に出した意欲作で、メンバーもフレッド・ホプキンス(本作の要といっていいすばらしい貢献!)以外は知らないひとたちで、肝心のカラパルーシャのテナーはあまり出てこないが、それでもすごくおもしろい。1曲目はいきなりヴォイスが全開で印象深い曲だが、これはCD化にあたって付け加えられた曲らしい(そういうボーナストラックを1曲目にするというのも大胆だが、聴いてみると、なるほどと思う)。2曲目はフレッド・ホプキンスのアルコベースが大きくフィーチュアされたフリーリズムの曲で、五分を過ぎたあたりでボーカルが登場する。ギターの無伴奏ソロになり、なんじゃこれは? と思っていると……そのまま終わる。すごい構成で、なんつーか、すごい。3曲目は激しいリズムの過激な曲で、ヴォイスとともにテナーも大活躍する。ヴォイスがずっと詩の朗読的な、はっきりしたメッセージを叫び続けており、それとテナーのノイジーなブロウとの対比がよくきいている。本作の白眉といってもいい演奏。4曲目はバラード的な曲で、美しいテーマに続き、テナーとボーカルがゆるゆると歌い、ギターの単音が空間を埋める。5曲目は本作中いちばん長尺の演奏(11分45秒)で、バラード風にはじまり、テーマのあとフリーインプロヴィゼイションになる。これがじつに濃厚で、ボヤーッと聴いていると面白くないのだが、めちゃかっこいい。6分ぐらいから出てくるホプキンスのアルコベースソロにしびれる。最後はなんだかわからんドラムソロがあって、そのまま終わる。この構成も不思議。これがカラパルーシャの美意識なのか……。6曲目もフリーインプロヴィゼイションだが、カラパルーシャの非常に太い音で、ときおりグロウルするような、ガッツのあるテナーが聴ける(本作ではこの曲が唯一かも)。ベースソロもパワフルでどっしりしている。ラストも(めずらしく)ちゃんと終わるし、3曲目と並ぶ本作の白眉でしょう。7曲目は4曲目の別テイクだが、本テイクが3分47秒しかないのに、こちらは9分25秒もある。しかも、中身もすばらしく、本テイクよりもいいかもしれない。たぶんレコードにこちらのテイクが採用されなかったのは、長さが入りきらなかったのだろう。そういう意味では、1曲目にしてもこの曲にしても、CDの内容こそがカラパルーシャの望んでいた形なのかもしれない。全体として非常にスピリチュアルで観念的な演奏が多く(そういうところが昔はいまいちに感じられたのだ)、まあ、よく考えると「みんなで遊んでいる」「たわむれている」ような演奏で、主役のカラパルーシャが引っ込んでいる部分もけっこうあるのだが、ところどころで力強いブロウもあって、全体としてカラパルーシャの音楽になっている。ギターのひとはちょっとマイケル・グレゴリー・ジャクソンを連想した。カラパルーシャ本人が書いたライナーによると、このひとの名前は単なるカラパルーシャではなく「カラパルーシャ・アフラ・ディフダ・モーリス・マッキンタイア」なのである。長いねん。いやー、かなりの傑作ではないかと思います。
「LIVE FROM STUDIO RIVBEA,JULY 12,1975・RIVBEA LIVE!SERIES,VOLUME 1」(NO BUSINESS RECORDS NBCD 169)
KALAPARUSHA MAURICE MCINTYRE
カラパルーシャと聴くと、なにをおいてもどうしても聴きたくなるのだが(そのわりにあんまり聞いてないような気もするが、これは入手困難なものが多いからである)、本作はそのカラパルーシャの未発表音源で、サム・リバースのロフト「スタジオ・リヴビー」でのライヴ録音。私は飛びついて、予約までして買ったのだが、世間はまったく騒いでいないようですねー。さて、本作はカラパルーシャとしてもかなり初期の演奏で、「クワンザ」よりもまだまえだ。メンバーも今から考えるとすごくて、トランペットがマラカイ・トンプソン、ベースがミルトン・サグス(このとき何歳やったんや)、ドラムがアルヴィン・フィルダーである。さっきも書いたように、私はあまりカラパルーシャのいいリスナーとはいえず、後期のものなどはあまり聴けていないのだが、本作はめちゃくちゃいいんじゃないですか! とまずは言っておきましょう。3曲入ってるがどれもリフ的なテーマがあり、テーマの合わせ方もソロもロフト色のかなり強い、ドスのきいた演奏である。ワイルド・フラワーズ的なものを思っていただければいいと思う(ワイルド・フラワーズが76年なので、本作はその一年まえということになり、ワイルド・フラワーズの1曲目はカラパルーシャトリオである)。ロフトジャズというものにも私は無条件にひかれてしまうので、あんまり冷静にはなれないのであるが、本作はその直球ど真ん中のような気がする。カラパルーシャといえばシカゴのひとだが、たしかにシカゴの(行ったことはないけど)風が吹き荒れている(ウインディ・シティですからね)。カラパルーシャはリンクのメタルでぐじゃぐじゃっ……とノイズのように吹くイメージがあるが、同じメタルリンクのフランク・ライトやフランク・ロウに比べてもけっこうシャープだ。ても、音はしっかりしていて、きっちりテナーの基礎を習得している、という気がする。朗々とも吹けるし、ギミック的なノイジーな奏法にも習熟しているが、シカゴっぽいガッツのあるブロウももちろん得意である。3曲目がいちばんコンポジションがはっきりしている演奏かもしれません。録音も十分鑑賞に堪えるレベルで問題ない。とにかくロフトジャズ的なものを堪能するには最上の音源ではないかと思う。マラカイ・トンプソン(大好きなトランぺッター。ビリー・ハーパーやカーター・ジェファ−ソンといった主流派とのアルバムもよく知られている……かどうかはわからんが、「クワンザ」の相方でもあり、「ラムズ・ラン」というアルバムもあるらしい)とのコンビネーションもよくて、初期デヴィッド・マレイのブッチ・モリスやレスター・ボウイとやってる諸作を連想したりした。「スタジオ・リヴビー・ライヴシリーズ」とあるのだからこのあと続々とリヴビーのライヴが出ることを期待したい。正直、(リヴビーの主である)サム・リヴァースの未発表とかは、とにかくまったく金がなくて、ナナトコ借りを繰り返していた時期でとても買えなかったので、今も惜しく思っている。LPで出ましたと言われてもなあ……。晩年は路上での投げ銭で命脈をつなぐ、など、なかなかヘヴィな生活を強いられており、スタンダードを吹いたりしていたようだが、リーダー作では決してそういう姿を見せず、ひたすら自分のやりたい音楽に徹していた、というのがこのアルバムではないかと思います。かっこいい! 最後はベースソロの途中で終わるのだが、そういうのもいいんじゃないですか。