andy mcwain

「STARFISH」(FULLER STREET MUSIC FSM8854−2)
ANDY MCWAIN QUARTET

 リーダーであるピアノのひとのことは全然知らないが、アシーフ・ツァハーのワンホーンなので聴いてみた。聴いて、とにかく驚いた。これは、アシーフ・ツァハーのファンでないとわからんことだが、ハミッド・ドレイクやサニー・マレイ、ラシッド・アリ、中谷達也……らと渾身のガチンコ勝負を繰り広げている彼の演奏は、明らかにアイラーでありシェップであり後期コルトレーンであり……といったフリージャズの王道を行くものだ。しかし、ここに聴かれるアシーフは、なんと「ちゃんと吹いている」のだ。表現がおかしいかもしれないが、そういう印象だ。つまり、全編モーダルな、しっかりしたコルトレーンスタイルの、フレーズをきちんと吹いている。新主流派というレッテルを貼ってもおかしくない。音も、フレーズも、アーティキュレイションもなにもかも、ほんと、「ちゃんとしている」のだ。しかも、かっこいい。考えてみれば、彼のフリーフォームの演奏を聴いても、その土台となっているハードジャズの知識や技術などはびしびし伝わってきていたわけで、なるほどこれだけ吹けるのに、ふだんあんなぐじゃぐじゃ、むちゃくちゃ、げろげろの演奏をしていたのだなあ、と妙に感動した。もちろん、ちゃんとは吹けるけどそうは吹かないのだ、というのと、ちゃんとは吹けなからそうは吹かないのだ、というのはどっちが上とかそういう問題ではない。出てきた音がいいか悪いか、そのふたつしかない。でも、かつてのフリージャズのサックス奏者は、とにかくわしゃこれしかできまへん、だからずーーーっとこんな感じで吹くしかおまへん、という人が多くて、そういうプレイは「わしゃこれしかできん」という一途な物が感じられて、それはそれでよかったが、21世紀の現代、ことはそれほど単純ではない。みんな、いろんな経歴をへて、さまざまな音楽にも接したうえで、自分の今の表現を選択しているわけで、楽器への習熟度も昔とは較べ物にならない。そういったプレイヤーがなおかつフリージャズを自分の言葉として選択している意味は大きい(と思う)。でも……びっくりしたなあ。で、このアルバムだが、すごくいいです。このリーダーのピアニストはまだあまりアルバムを発表しておらず、リーダー作は本作と、もう一枚、ほぼ同時に出ているピアノトリオものがあるだけらしい。本作でも、いい曲を書いているし、プレイもオンリズムでばりばり弾きまくっていてかっこいいが、過去の競演歴を見ると、なるほど、もろフリー系と普通のモダンジャズのひとがだいたい半々だ。アシーフをワンホーンでフロントにすえた、というあたりの感覚はそういうところから来ているのかもしれないが、本作に関してはみごとに成功している。リーダーはもちろんだが、アシーフの秘めたる力を見ることのできる好盤である。