misha mengelberg

「TWO DAYS IN CHICAGO」(HAT HUT RECORDS HATLOGY 2−535)
MISHA MENGELBERG

 ミーシャのリーダーアルバムは、ICPの日本のライブのやつとか、ハン・ベニンクとやったやつ(どっちもレコード)を持っているだけで、ピアノにそれほど興味のない私はミーシャのあまりいいリスナーではないと思う。それなのにどうしてこのアルバムを買ったかというと、やっぱりヴァンダーマークが入っているからである。このアルバムは、ミーシャがシカゴに渡り、二日間にわたって同地のミュージシャンとセッションした様子をとらえたものだが、まあ、ようするにブロッツマンのシカゴテンテットのミーシャ・メンゲルベルグ版という感じ(あれほどちゃんと構成されたものではなく、純粋即興とスタンダードを仲介としているが)。しかし、聴いての印象は、リハーサルを十分に行ったと思われるブロッツマンのものとはまるでちがい、「ちょっとお手合わせしてみました」という雰囲気(絵ヴァン・パーカーの「シカゴ・テナー・デュエッツ」に近いか)。アブ・バーズ(と読むのか)という、テナー、クラリネットの人が7曲ほど共演していて、一番多いが、この人に関する知識がなにもないので、さっぱりわからない。どっちかというと、中低音を中心としたずるずるっという感じの硬質なテナーを吹く人で、あまりすかっとしないタイプ。本来はクラリネット吹きなのかもしれないが(だって、テナーがいかにもクラリネット奏者の持ち替えっぽい音なのだ)、ICPの人らしい。ということは、アメリカ在住のオランダ人なのか? よくわからん。興味はどうしてもヴァンダーマークとの共演に集中するが、モンクの曲などをやっていて、ヴァンダーマークも吹きにくそう(テーマもたどたどしかったりして)。だいたい、最近発見したのだが、ヴァンダーマーク5とかDKVとかいろんなセッティングにおいて、ヴァンダーマークのソロを聴いてて、どうも変な感じだと思うときって、かならず4ビートで、しかもヴァンダーマークがドルフィー的というか、「きちんと」ソロをしようとしているときなのだが、そういうときのヴァンダーマークのフレーズは、かならず非常に短くて、ぶつぶつ切れる。おそらく、長いフレーズをイマジネイションを伴って最後まで吹ききることができないのである(そういう訓練をしていないのかもしれない)。だから、言い方は悪いがなんかすっごくヘタに聞こえてしまう。しかもノリが、ぴょんこぴょんこしたハネるノリなので、よけいにヘタな印象。このアルバムでもそうであって、もっといつもどおりにめちゃめちゃ吹けや、こらっ、と言いたくなったりして。でも、モンク作品と格闘するういういしい演奏は、決して悪印象ではない、というのが即興のおもしろいとこ。あと、ぼんやり聴いていると、「あれ? これ、フレッド・アンダーソンちゃうの?」と思ってジャケットを見ると、参加していることを知らなかったが、やはりフレッド・アンダーソンが2曲入っているのだった。しかし、すぐにわかるなあ、この爺さんのフレーズは。自分のアルバムならともかく、他人のアルバムで、即興でぶつかってるのに、いつものフレーズばっかり吹くもんなあ。まあ、ミーシャもかなりの高齢だと思われるから、これは爺さんふたりの茶飲みばなしか。収録曲のなかで、一番長いのも、年寄りふたりだからか。二枚目は、ミーシャのソロとか、アブ・バーズとのデュオが中心だが、打楽器的、諧謔的なミーシャの真価はこっちのほうが発揮されているとおもう(27分もある即興ソロが収録されているが、モンクの音楽から心地よい部分を取り除いたような、気色悪いリズムのソロで、本作中一番リキが入っているかも。あとは小品)。ドキュメントとして聴けば楽しい二枚組だが、ヴァンダーマークやフレッド・アンダーソンとの丁々発止のやりとりを期待すると肩すかしをつうかも。私はとても楽しめました(ただ、1枚目の最後の曲が、レコードでいうと針飛びみたいになってて、聴けないのです。悲しーっ)。

「JUBILEE VARIA」(HATOLOGY528)
ICP ORCHESTRA

 ICPオーケストラの最近(といっても10年まえ)の姿をとらえた一枚。私がかなり昔に生で聞いたときのメンバーも若干残っている。あのときは衝撃だったなあ。音楽的にかなり影響を受けたほどの体験だった。このアルバムでも、ミーシャの創作姿勢はかわらない。本当の意味での自由な音楽、そしてユーモア。ふたつの組曲が入っているのだが、ミーシャのモンクを拡大解釈したようなピアノや、かなりマジに近いタンゴなど、さまざまな音楽のごった煮のようなこのバンドの楽しさが十分に満喫できる。ソリストは小粒といえば小粒だが、いいひとがそろっていて、たとえばトリスタン・ホンジンガーともうひとりのツインチェロもうまい効果をあげている。4回ぐらい聞いたが、聞くたびに発見がある、ほんとにいいアルバムだ。

「JAPAN JAPON」(IMA1 ICP024 DIW1014)
MISHA MENGELBERG & ICP ORCHESTRA

このアルバムはねえ……もう、個人的な思い出が詰まりまくっているのだ。だから、あまり客観的には聴くことができないのだが、このアルバムはミシャ・メンゲルベルグのICPオーケストラの(たぶん)初来日のときの東京と大阪でのライヴの実況であり、私は大阪の現場でこの演奏を聴いていたのだ。狭い場所だったので、ここに収められている拍手や笑い声は当然私のものも入っているはずだ。このとき私は学生だったが、このライヴから、いまだに忘れられない、おそらく生涯にわたって続くであろうほどの影響を受けた。ショックといってもいい。もう、開いた口がふさがらないというか、一言でいうと「うわーーーーーーーーっ」という感じか。天にも昇るほどの快感だった。ああこれだこれこそが俺が求めていたものだっという「悟り」みたいな感覚。一種の宗教体験のような法悦郷だった。なにがそれほどすごかったのか。まず、メンバー。リーダーのミシャ・メンゲルベルグはもちろん、ハン・ベニンク、マイケル・ムーア、近藤等則、ケシャバン・マスラク、ラリー・フィシュキン、そしてゲスト扱いのブロッツマンなどなどなど……の超強力な布陣の全員を、私は生まれてはじめて生で体験したのだ。もちろんブロッツマンやベニンク、近藤さんなどの演奏はアルバムでは接していたが、生ははじめて。マイケル・ムーアやケシャバンは、名前を聞いたこともなかった。それが大挙して一度に襲いかかってきたのだから、そりゃ衝撃も受けるわなあ。まず、びっくりしたのはブロッツマン。音、でけーっ! そして、フレーズとかむちゃくちゃだ。テナー中心だが、アルトやバリトン、クラリネットも吹く。そして、あの楽器、いったいなに? タロガト? なんじゃ、そんなん知らんぞ。しかも、そのすべての楽器に対して、まったく同じアプローチである(本人はぜったいそうは思ってないだろうが)。つまり、バクッとマウスピースをくわえて、ガーッと吹いて、途中でわざとなのか音が裏返ったのかわからんような形でフラジオに移行して、あとはギャーッと叫ぶ。クラリネットでもバリサクでもほとんどそんな感じで、その思い切りのよさ、原始的な野蛮さ、単純さ、凄まじい音圧……などに圧倒され、椅子から何度も落ちそうになった。ベニンクもすごかった。床をはくホウキをブラシ代わりにしたり、バスドラを鳴らすたびにピンポン玉を宙にあげたり、教会(大阪公演は島之内教会で行われた)の床をスティックで叩いてまわったりとやりたい放題にもほどがある演奏。度肝を抜かれました。そしてそして、もっとも頭をガツーンとやられたのはケシャバン・マスラクという未知のサックス奏者。まったくノーマークだったが、サングラスをかけた長身のこの男は椅子にだらしなくもたれるように座って、朗々とサックスを吹く。楽器が鳴りまくっており、テクニックも抜群で、目まぐるしくメカニカルなフレーズを吹きまくったり、サム・テイラーのようにダーティートーンでブロウしたり、R&B的なホンクをしたりと「ひとりジュークボックス」状態だが、そのあいだずっと「俺ってやる気ないもんね」みたいな感じで座っている。態度の悪いやっちゃなあと思っていると、やおら立ち上がり、突如、周囲を圧する凄まじいフリーキーなブロウをはじめ、教会の天井が抜けるのではないかと思うほどの圧倒的なソロを展開し、ブロッツマンはげらげら笑うし、ミシャは満足気にうなずくし、私は口をあんぐりあけて、涎が垂れるのもかまわず拍手したのでした。これがケシャバンとの初対面であり、後年、このひとのライヴを主催することになろうとは思ってもみなかった。この初対面のときの私の印象は、ブロッツマンを吹きまかした、というものであって、そのことをケシャバンのライヴを主催したときの(手作りの)チラシに書いたら、何年かして、豊住さんに、あのチラシの文章を使わせてくれと言われてうれしかったことを覚えている。とにかく、ブロッツマンはレコードでいろいろ聞いていた(それでも生は想像をはるかにうわまわるすごさだったが)けれど、ケシャバン・マスラクというまったく知らないサックス奏者がこんなにすごいとは……と、欧州フリーの層の厚さに驚きまくった(つまり、そのときはケシャバンがアメリカ在住であることを知らず、ヨーロッパのひとだと思っていた)。以来、ずっとケシャバンファンなのです。ほかにも、トロンボーンを吹く女性(名前忘れた)が信じられないぐらいの音量でゴワーッと吹いていたのにも驚いたなあ。ジャズのひとって、ああいう風に鳴らさないでしょう。個々のミュージシャンについてはこんなところだが、全体として、最高にショックだったのは、このICPオーケストラの演奏がまさに最前線の前衛ジャズであるにもかかわらず同時に一級のエンターテインメントだったことで、当時の私は学生で、高校生のときにコルトレーン、ドルフィー、ミンガス、山下トリオ、アイラー、シェップ、ファラオ、アートアンサンブル……とフリーの王道をずっと聴きつづけてきた、ある意味ストイックな聴き手であって、フリージャズというものにかなりの先入観を抱いていたと思う。つまり、フリージャズは難解である必要はまったくないが、シリアスでなければならない、みたいな思い込みである。コルトレーンやドルフィーの演奏に一般でいうところのエンタテインメント性をみいだすことはむずかしいが、ICPの演奏はとにかく楽しくてゲラゲラ笑えてハッピーな気分になって、しかも、すばらしいフリージャズを聴いた、という満足感、感動も同時に味わえるという、ありえないぐらいの体験であった。ここで私は目からウロコが百枚ぐらい落ちたのである。そうか、前衛ジャズは楽しくていいんだ、とわかったのである。それはミシャ・メンゲルベルグの目指すものでもあったにちがいないが、そこに「即興」であることは非常に重要なファクターなのだ、ということもわかったのである。つまり、即興を重視する理由は、演奏をいきいきとした熱気に満ちた状態にするため……なのだと。これは皮相的な意見かもしれないが、まあ、そのときにICPの演奏を体感していた私は客席で「そうだそうだそうにちがいない」と思ったのである。これがコペルニクス的転換であって、このとき以来、たとえばコルトレーンや初期シェップ、ドルフィーをはじめとする「顔をしかめながら聴く」タイプのジャズの聞き方もぜんぶ変わってしまった。そうだ、フリージャズは芸術であり、かつ、エンターテインメントなのだ。コルトレーンもオーネットもアイラーもデレク・ベイリーもミルフォード・グレイブスも阿部薫も……なにもかもが娯楽なのだ。そう思えば、いろいろとわかってくることがある。もっとみんな、フリージャズを楽しみましょうよ、ということだ。そりゃあハンク・モブレーもトミー・フラナガンもセシル・ペインもカウント・ベイシーも楽しいにはちがいないが、同じぐらいフリージャズも楽しいのだ。後期コルトレーンだって楽しい。そういう意味では、絵画も現代音楽も能も純文学も……あらゆるものがエンターテインメントとしての側面を持っている。それは受取側だけの問題ではなく、発信者のほうも意識するしないは別として、そういう要素を持っているはずなのだ……というところまで、私はあのときICPオーケストラの演奏を聴いて、思ってしまったのであります。だから、このアルバムに詰まっている演奏は、私の個人史においてめちゃめちゃ重要な演奏でありまして、とても客観的には聴けない。今回聞きなおして、やはり、もう涙涙なのである。あのときの感動が蘇る。あのとき、このライヴに接しなかったら……と思うと、ぞっとするぐらいだ。ここに収録されている演奏はどれもすばらしく、とにかく聴いてほしいというしかない。じつは、このLPには予約特典としてEPレコードがついていて、私は本作が発売されると知ったときに思わず予約してしまいましたよ。生まれてこのかた、レコードを予約したのはあとにもさきにもこのときだけだ。そのEPは片面のみ収録で、本編にくらべるとちょっとおとなしい感じの「キャラバン」が入っているが、それもなかなかの演奏なので、ぜひ聴いてほしい。今はどういう形でCDとしてでているのか知らないが、おそらく「キャラバン」も入ってるんじゃないかなあ。というわけで、延々と述べてまいりましたが、このアルバムは出来ばえがどうのこうのというより、あのときの私の衝撃的体験を思い返すという意味で百点満点なのであります。

「CARAVAN」(1001)
ICP ORCHESTRA

上記のアルバムのおまけEP。内容は上記参照。

「DUTCH MASTERS」(SOUL NOTE RECORDS 121154RM−2)
MISHA MENGELBERG STEVE LACY GEORGE LEWIS ERNST REYSEGER HAN BENNINK

 ジョージ・ルイスの5CDボックスというのを買ったら、これが入っていた。どう考えてもミシャ・メンゲルベルグのリーダー作品ではないかと思うが、ジョージ・ルイスが参加しているというだけでこのボックスに入っているのだ。私は五枚中三枚聴いたことがあって、どうしようかなーとかなり躊躇したのだが、中古で安かったし、残り二枚をどうしても聴きたかったので買ってしまったのだが、正解でした。聴いたことのない二枚のうちの一枚がこのアルバムだが、六曲入ってるうちの六曲ともめちゃめちゃ名演だった。モンクの曲が二曲、スティーブ・レイシーの曲が二曲、ミシャの曲が二曲という構成だが、(たぶん)アレンジは全部ミシャではないだろうか。ちょっとしたダイナミクスの変化で表現するあたりなども快感である。相変わらず「フリー」というより、「自由」といったほうがいいような空気感の演奏で、テーマや展開などもちゃんとした譜面があるようだが、演奏している五人があまりに「なににも縛られてない」感じで演っているので、聴いているこっちまでもなんだか解放された気分になる。それはミシャの音楽全体に言えることで、ICPオーケストラなんかでも顕著だが、ここでもそういうウキウキしてくるような愉しさをどーんと浴びることができる。ハン・ベニンクのジャズドラマーとしてのすばらしさも、レイシーのコード進行を追っていくていねいなソロの良さも、ジョージ・ルイスの奔放かつ天才的としか言いようがない無邪気で知的なソロも、チェロのひとの変幻自在の混ざり方もすばらしいが、なんといってもミシャのピアノがええなあ。フリーというのとはちがうけど、やっぱりフリー……そういうわけのわからない表現をしたくなるような演奏だ。まさにダッチ・マスター! そんな五人による玉手箱。最後には歌も歌っちゃうという椀飯振る舞い(このあたりもICPっぽい)。いやー、ええもん聴かせてもらいました。実は、本作の三年前に同レーベルに吹き込まれたハービー・ニコルス曲集とチェロ以外はまったく同じメンバーなので、そのときの顔合わせがすごく良かったので、もう一回……ということになったのだと思われるが、○○曲集という縛りがないだけ、こっちのほうがリラックスしていて好きかも、と思ったりして。これはすげー傑作ですよ。なんでもっと話題になんないのか(なってるけど俺が知らんだけなのか)。

「CHANGE OF SEASON(MUSIC OF HERBIE NICHOLS)」(SOUL NOTE RECORDS SN1104)
MISHA MENGELBERG STEVE LACY GEORGE LEWIS HARJEN GORTER HAN BENNINK

 ミシャ・メンゲルベルグがリーダーシップをとって、彼が尊敬する(んだろうと思う)ハービー・ニコルスの曲を演奏したアルバム……だと思う。イタリアのラヴェンナ・ジャズ・フェスティバルにおいてこのメンバーでのニコルストリビュートが行われているので、そのときにスタジオ入りしたのだろう。といってもメンバーがメンバーなので、一筋縄ではいかないトリビュートアルバムに仕上がっている。アレンジもミシャなので、それも含めて、ミシャがハービー・ニコルズの世界を自分流に表現したらこうなりましたというものだろうが、そういうこと関係なく、単純にミシャクインテットの演奏として楽しむことができる。いやー、それにしてもちゃんとしてるよなあ。ところどころに、忍ばせるような形で変態的なものを放り込んでくるのだが、全体としてはまさにハードバップ。五人はど変態フリージャズマンと超馬鹿うまハードバッパーの間を大きな振幅で揺れていて、それがまた心地良い。バシッとアンサンブルを決めたり、バップフレーズをばりばり吹きまくったりするのを聴くと、そのこと自体がジャズのパロディに聞こえたりするのだが、ミシャの意図はそれではなかろう。こういうシチュエーションのとき、いつも思うのはベニンクのうまさで、ほんと憎いほど「心得てる」ドラミングなのだ。ジョージ・ルイスもレイシーもとにかくみんなすごいが、とくに五曲目のゆっくりしたナンバーでのミシャのピアノはぱっと聴くと普通に聞こえるがじつはかなり狂気のはざまを彷徨っているようなソロですばらしい。正直言うと、このアルバム、はじめて聴いたとき(もう随分まえだよなー)は、おとなしすぎて物足らず、もっとこう、どしゃめしゃやる部分があってもいいのに、と思った。それは、ハービー・ニコルス曲集という縛りのせいかなあと思ったものだが、今聴き直してみると、かつてのそういう感想は私がフリージャズについて固定観念を持っていたせいであって、これは非常に自由な音楽だし、繊細かつ危ない音楽でもあるというと思った。でも、一番の問題は、私がハービー・ニコルスというミュージシャン・ピアニスト・作曲家についてあんまり関心がないことで、ブルーノートのやつは聴いたけど、あんまり覚えてない……という体たらく。でも、ミシャやラズウェル・ラッドが取り上げるくらいだから、きっといいのだろう。今度ちゃんと聴いてみます。