「80/81」(ECM RECORDS 1180/81 PA−6123−24)
PAT METHENY
ものすごいメンバーで内容も最高だし、学生時代にちょうど発売されて一世を風靡した最強作なのだが、本作はアルバムとしての出来映えもさることながら、ジャズ史に燦然と輝くエポックメイキング的な作品として永遠の価値を持つ。たとえばマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」やオーネットの「ジャズ来たるべきもの」のような……。いやいや、さすがにそこまで凄いか? という意見もあるだろうが、本作への参加がきっかけとなって(それだけではないでしょうが)マイケル・ブレッカーがチャーリー・ヘイデンやデューイ・レッドマン、ディジョネットらと共演したことによって「なにか」がブレッカーのなかに生まれたというのは想像に難くない。それがマイケルの初リーダー作につながり、こういうサウンドがジャズ界にどんどん広がり、めちゃくちゃ楽しくてめちゃくちゃかっこいいけど、中身は先鋭的なジャズそのもの、という、正直ツナワタリというか、それまでは相反するもののように思われていたものをこうしてあっさり融合し、ひとつの作品に昇華してしまったメセニーの音楽性はすばらしい。こういうやり方は狙ってできるものではなく、メセニーのなかにあるポップさ、ジャズの伝統、オーネットの音楽、フォーキーな素朴さ……などがいちばんいい形で表現されたのだろうが、このアルバムはとにかくジャズの世界を塗り替えたのだということが今となってはすんなり納得できる。うちにあるのはレコード二枚組で、一枚目のA−1はデューイ・レッドマン抜きのカルテットによる「トゥー・フォーク・ソング」なる組曲(?)で、心地よくかっちょよくお洒落(?)なリズムが冒頭からびしびし提供され、マイケルがテーマを吹き、ソロに突入するのだが、こんなフリーキーなマイケル聞いたことないっす! まるでデューイ・レッドマンのようではないですか。自己主張というよりはこのバンドの音楽に溶け込むようなメセニーのソロ、ヘイデンのソロもいい。全体にディジョネットのリズムがはじけていて、なにも考えずに最後まで楽しく聴けてしまう、まさにメセニー・マジックである。B面にいって、1曲目はタイトルチューン「80/81」で、マイケルが抜けたカルテットでの演奏。4ビートの軽快な曲調だが、メセニーのソロはハーモロディックというか、オーネット・コールマン的な調性がどんどん変わるような過激なもので、確信をもって弾きまくっているのが伝わる名演。レッドマンはおとなしいが、鼻歌のように軽やかなソロをのびのび吹いている。2曲目「ザ・バット」はバラードで、二管によるハーモニーが美しい曲。3曲目はオーネットのおなじみのブルース「ターンアラウンド」で、管の抜けたギタートリオによる演奏。メセニーは、まさにハーモロディック的なソロを弾きまくっているが、ブルース形式で、ミディアムテンポということもあって、めちゃくちゃ丁寧にアイデアを発展していく過程がすごくよくわかって面白すぎる。過激なソロなのにポップに聴こえるのは「メセニーだから」としか言いようがない。ヘイデンもさすがのソロを聞かせる。二枚目に移ってC面の1曲目「オープン」という曲は全員による即興で、ラストテーマはメセニーのコンポジションということだが、冒頭、ディジョネットとのデュオでシリアスなソロをぶちかますメセニーの雄姿! かっこよすぎるやろ! でも、こういうシチュエーションでもめちゃ楽しく聴けるよなあ、このひとは。ディジョネットのドラムソロも圧倒的。こういうのをテクニックと音楽性が見事に融合したソロというのだろう。そのあとドラムとレッドマンのデュオ。ぎょえーっ、死ぬほどかっこいい。そこにヘイデンの速いランニングが入ってきて、ぶっ速い4ビートになってもレッドマンは過激なフレーズを積み重ねていく。あー、至福。そして、ドラムとヘイデンのベースのデュオになり、ここも壮絶。永遠に聴いていたいようなデュオで、ふたりの奏者の力を感じる。そこにブレッカーが入ってきて、メセニーもバッキングをはじめ、レッドマンも加わり、全員で雪崩が落ちるようなパワーを伴って最後のテーマへと突入する。全体としてディジョネットの凄みが際立つ演奏でした。2曲目は「プリティ・スキャタード」という曲で、本作のなかではかなりジャズ寄りのテーマ。ドルフィー的というのか、めちゃかっこいい曲。全員による演奏。メセニーのソロは、これもハーモロディック的で聞き惚れる。こういうのは、さっきも書いたが、確信をもって弾いているかどうかが重要で、そして、そのソロを受けてくれるベーシストがいるかどうかも重要だと思うが、ここではそのふたつが同時に満たされていてこれだけの充実した演奏になっているのだ。そのあとレッドマンの味わい深いヘろへろしたソロがあって、本当に、ウケたい、とか、すごいだろうと言われたい、とかの邪念のない、その場の思いつきのようなソロである。この部分をブレッカーのソロだと書いてあるブログを見たが、うーん……レッドマンじゃないんですかねえ。案外デューイ・レッドマンとマイケル・ブレッカーの音色が似ているので、え? 今のブレッカー? レッドマン? と混乱する場面もしばしば。私の耳がアホなのだが。D−1はバラードでレッドマン抜きの演奏。ブレッカーのテナーの音色が染みまくる。ひらめきに満ち溢れた圧倒的な超名演でしょう。でも、この演奏の価値はブレッカーのテナーの「音」を抜きにしては語れない。音と演奏が不可分であることがわかります。フレージングも、いちばんいつものブレッカー的ではないかと思う。ラストのD−2「ゴーイン・アヘッド」はアルバムの締めくくりにふさわしい短い演奏。メセニーひとりだけでの演奏で、オーバーダビングによってギターが複数聞こえる。
どの曲も「本作の白眉!」と言いたくなるような名演、快演の連打なのだが、それでいて聴いていてしんどくならず、二枚組をあっというまに聞いてしまうのが不思議だ。こういう演奏は80年代以降のジャズの主流のひとつになったような気がする。