charles mingus

「PITHECANTHROPUS ELECTUS」(ATLANTIC SMJ7228)
THE CHARLIE MINGUS JAZZ WORKSHOP

 一曲目の「直立猿人」こそ、稀有な傑作である。ほんまにええ曲で、よくこんな曲を書けるなあ、といつ聴いても思う。サックス2管だけのクインテットなのだが、ビッグバンド的なサウンドに聞こえる。それは、たんに譜面の問題ではなく、ぐっと抑えたピアニシモから一転してフォルテに転じるダイナミクスの妙や、ドラム、ベースまで一丸となって畳みかけるような一体感など、個々の楽器で表現できるすべての音色、リズム、ハーモニーをミンガスが熟知していることのあらわれであろう。聴いていて血湧き肉躍る。考えてみれば、ミンガスの傑作には、どれもこの「血湧き肉躍る」感覚がある。もっといえば、よいジャズ(あるいは私が好きなジャズ)は全部血湧き肉躍ると言い切ってしまってもいいかもしれない。本作はジャケットもいいし、ライナーノートもいい。うちにあるのは、レーベル面に所有者の名前のシールが貼られた、「名盤蒐集会」とかいうジャズ評論家たちのコメントが裏ジャケットに直接印刷されている古い古い日本盤だが、鑑賞するにはさしつかえなし。しかし、このアルバムのすばらしさは一曲目につきるようで、公害問題を扱ったという二曲目や、ジャッキー・マクリーンをフィーチュアしたB−1、じつは「直立猿人」以上の大作であるB−2も、タイトル曲には遠く及ばない。やはり、この一曲目が傑作となったのは、ミンガスの手腕や個々のミュージシャンの技能もあるが、それをこえた、なんというか神懸かり的なものがあったのではないかと思う。

「THE CROWN」(ATLANTIC 1260)
THE CHARLES MINGUS JAZZ WORKSHOP

 まさに「道化師」という感じのジャケット。一曲目の「ハイチャン・ファイト・ソング」こそがこのアルバムの白眉であることは誰もが認めよう。ミンガスの重量級ベースが唸りをあげ、サックスとトロンボーンが叫び、ドラムが煽る。たしかに「ハイチ人の戦いの歌」だと言われればそう信じてしまいそうな、原始的な荒ぶる迫力に満ちている。しかし、もともとミンガスはレッドベリーの曲からインスパイアされたらしいから、この曲の根はブルースというかブラックミュージックにあるのだろう。とにかく、この曲も「直立猿人」同様、血湧き肉躍る。しかし……ソロイストがなあ……。ジミー・ネッパーはモダンジャズ的ソロもスウィング的大音量のジャングルサウンドも両方できる名手で、本作(というかミンガスミュージック)にぴったりですばらしいのだが、サックスがカーティス・ポーターというのがどうにも役不足である。アンサンブルは立派にこなし、雰囲気も出しているのだが、ソロになると、ちょっと物足りない。これがドルフィーだったらなあ、とかハミエット・ブルーイットだったらなあ、カークだったらなあ、ジョージ・アダムスだったらなあ……とか無い物ねだりをしてしまう。ミンガスは、よほどパーカーに心酔しているようで、メンバーにひとりはかならずパーカースクールのアルト吹きを入れるが(チャールズ・マクファーソンとかチャーリー・マリアノとかマクリーンとか……本作ではポーターがその役目)、それってただ単にビバップのできるアルトが欲しいんじゃなくて、パーカーが突き詰めるところまでいったあの「泣き叫ぶような」プレイができるアルトが欲しかったのではないか。それをべつのやりかたで表現したのがドルフィーであって、だからこそドルフィーはミンガスのサウンドに完璧に馴染んだのではないか……そんなことを考えながら聴いた。でも、ふつうのジャズアルバムならポーターは十分その責を果たしている。あくまでミンガスミュージックにおいては……ということだ。そして、このアルバム、ほかの曲はいまいちで、二曲目もB面の二曲も「ハイチャン・ファイト・ソング」ほどには至っていない。とくにタイトル曲は、なにがおもしろいんだかよくわからん(英語がわからないからかも)。でも、A−1だけで十分である。クインテットとは思えない分厚い、狂乱のサウンドで聴くたびに興奮する、最高のミンガスワールドである。

「BLUES & ROOTS」(ATLANTIC 1305)
CHARLIE MINGUS

 ええジャケットやなあ。目をとじ、ベースのネックをつかんだミンガスのアップ。このジャケットを見るだけで、音が聴こえてきそうだ。このジャケのよさは、CDでは半減どころかほとんど伝わらんやろなあ。内容もすばらしく、一曲目の「水曜の夜の祈りの会」からミンガスワールド全開である。編成もこの時期のものとしてはかなり大きく、サックスがマクリーン、ジョン・ハンディ、ブッカー・アーヴィン、ペッパー・アダムスの曲者4人、ボントロがネッパーとウィリー・デニスの二人という、合計6管。トランペットがいない、というあたりがミンガスが管楽器を集めるときにどういうサウンドを思い描いているのかわかって興味深い。とにかくトロンボーンはぜったい必要なのだろうな。この1曲目でも、二本のボントロがオスティナート的な重低音のリズムを刻み、そこに泣き叫ぶようなアルトが参加してのワンコーラスが終わると、全員による吠えるようなテーマがはじまり(実際に誰かが叫んでいる)、これはもう狂乱のミンガスワールド。「祈りの会」といってもいわゆるゴスペル教会のコール・アンド・レスポンスのそれであって(本来ゴスペルとブルースは相容れないものなのだが)、ホレス・パーランの執拗に同じフレーズを偏執狂的にくり返すソロやブッカー・アーヴィンのなにも考えていないような気合い一発の豪放なソロがかっこいい。ブッカー・アーヴィンは大味なのでいつもなら私はあまり好きではないのだが、なぜかミンガスのところでのアーヴィンはばっちりあうのだった。このアルバムは、「直立猿人」「道化師」などとちがって、「A面1曲目だけ」ではない。ほかの曲はどれもコテコテですばらしいうえに、A−3の「モーニン」(ぶっちぎるようなバリサクを前面にだしためっちゃかっこいいテーマ)やB−3「EのフラットとAのフラット」などはA−1に匹敵するぐらいすごい。なお、ミンガスのライナーノートに「このアルバムではブルースだけを演奏した」みたいなことが書いてあるが、それはまあ、ブルース的な曲という意味で、いわゆる12小節のブルースばっかりということではない(たとえばA−3などはマイナーブルースっぽい16小節だが、途中で4小節がはさまる。でもまったく不自然ではない)。ただ、すごい猛者をそろえてはいるけれど、ミンガスはドルフィーやカークといった「もう一段うえのガイキチたち」の登場を待っているような気はする。

「THE BLACK SAINT AND THE SINNER LADY」(IMPULSE! STEREO A−35)
MINGUS

 いやー、なんと申しましょうか、このアルバム、めちゃめちゃ好きなんであります。まず、タイトルがいいでしょう? 「黒い聖者と罪ある女」……うひーっ、かっこいい! 学生のころ、このタイトルにひかれて廉価版を買ったのだが、これは一生の宝です。ジャケットもかっこよくて、ジャケットの一番下のところに、パイプだかシガーだかに火をつけるミンガスの顔が写っている。雰囲気あるやん! そして、肝心の内容だが、さすがに学生のとき、最初に聴いたときはそのよさがいまいち理解できず、「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」などの、強烈なソリストをフィーチュアした音作りではないことにとまどったが、何度か聴くうちに、このアルバムがミンガスの濃密きわまりなく、重厚きわまりなく、とろけるように甘く、舌を刺すように苦く、強烈にリズミカルで、強烈に美しく、強烈に凶暴な世界をもっともストレートにあらわしていることがわかってきた。麻薬のような、アブサンのような、癖になるこのサウンドをどう表現したらいいのだろうか。デューク・エリントンのサウンドの前衛化、といった通り一遍の形容ではまったく伝わらないだろう。曲はどれも、アンサンブルとソロが男女がセックスしているような濃厚なからみかたをしていて、意表をつくようなギターの使い方をはじめ、天に突き刺さるようなトランペットやクウェンティン・ジャクソンの大男が大声で叫んでいるようなプランジャーソロなど、全員がミンガスの意図をしっかり受け止めて、自己表現をしている。メンバーに、マクリーンやブッカー・アーヴィン、ジミー・ネッパー、ジョン・ハンディ、カーク、ドルフィー……といった猛者たちがおらず、ジェローム・リチャードソンやチャーリー・マリアノ、ディック・ヘイファー……といった、どちらかというとアクの薄い、はっきりいって没個性の連中がそろっている点もおもしろく、そういったミュージシャンがミンガスの意図をしっかりくんで、この凄まじい音楽の成立に大きく寄与しているのだから、人は見かけによらない、というか、「うーん、こいつら、ほんまはやるんやなあ」と単純に思ったり……。なお本作のジャケットにも背にも、チャールズでもチャーリーでもなく、ただ「ミンガス」とだけ表記してある(うちのは廉価版なので、内ジャケットのことは知らん)。

「CHARLES MINGUS PRESENTS CHARLES MINGUS」(CANDID RECORDS SMJ−6178)
CHARLES MINGUS

 傑作です。高校生のときに、なけなしの金をはたいて買ったが、聴いて感動しまくった。ある意味、高校生でもはっきりわかるメッセージ性のある音楽なのだ。たった4人での演奏とは思えないほど音が分厚いが、それはたくみなアレンジがほどこされて小編成でもオーケストラのような音を云々とかいうことではなく、この4人の猛者たちがほぼ休まずにずっと吹き、弾き、叩いているそのパワーというか、信じられないほどのエネルギーの噴出がからまりあい、ひとつになってスピーカーを突き破らんばかりにしてこちらに押し寄せてくる。それが「分厚さ」となって聞こえるのだと思う。そしで彼らを突き動かすエネルギーの源は「怒り」なのだ。1曲目の「フォーク・フォームbP」という曲はブルースだが、かっちりしたテーマはない(と思う)。ミンガスのベースとドルフィーが掛け合いのようになるところがテーマといえばテーマか。ミンガスのベースによるイントロ、子だけでも十分凄くて、ミンガスの気合いがひしひしと伝わってくる。演奏の特徴としては、ミンガスのベースソロとダニー・リッチモンドのドラムソロ、アルトとトランペットそれぞれのブレイク以外のところは、ほとんどドルフィーとテッド・カーソンが同時に吹いていることで、これもまた「音の分厚さ」を感じさせるマジックだとは思うが、場面によって主役は変われど、つねにふたりで吹く、しかもバッキングじゃなくてどちらも即興で、というのはかなりむずかしいことだと思う(フリージャズのコレクティヴ・プロヴィゼイションがよく陥りがちな、混沌としたものになってしまう)。なお、マイナーブルースっぽいのだが、テッド・カーソンのソロあたりから普通のブルースだったのかとわかる。途中からの盛り上がりかたはすさまじく、この1曲だけでも本作は名盤といわれていたと思うぐらいすばらしい演奏。そのあとミンガスがライヴハウスにいる客(スタジオ録音なので、レコードを聴いているひとへの一種のジョーク半分なのだと思う)に向かって、静かに聴け、と前置きしかあとであの曲が始まるのだ。そう……2曲目「オリジナル・フォーバス・フェイブルス」は、とに各高校生であった私の脳天を直撃した。なにを言ってるのかはよくわからないが、とにかくこの4人がめちゃくちゃ怒っていることはわかった(とくにミンガスとダニー・リッチモンド)。ミンガスの野太い声による「おお、神よ、あいつらに私たちを撃たさせないで。おお、神よ、あいつらに私たちを刺させないで」という懇願(?)の歌ではじまり、「ナチスはもういらない。クー・クルックス・クランももういらない」と叫ぶ。「馬鹿なやつ(リディキュラス)の名前を教えてくれ、ダニー?」というミンガスの言葉に、ダニー・リッチモンドが「フォーバス知事だ!」と叫び、ミンガスが「なんであいつ、あんなに不愉快で馬鹿なんだろう」というと、またリッチモンドが「あいつは差別のない学校を許なかった」と叫ぶ。「彼は馬鹿だ。ブー! ナチのファシストの最高権威! ブー! クー・クルックス・クラン!」……もう言いたい放題だが、そのあとがもっと凄い。「馬鹿で手に負えないやつたちの名前を挙げてくれ、ダニー・リッチモンド」「フォーバスとアイゼンハワー(大統領)とロックフェラーだぜ!」「あいつらどうしてあんなに不愉快で馬鹿なんだろう」「あいつらはおまえに洗脳と憎悪を教えてくれるぜ」……いやあ、すごいっす(私の訳なので、まちがってるかもしれまへん)。ジャズの大名盤としてこれまでも今後も世界中で聴かれ続けるであろうアルバムに、巻き添え的に「馬鹿の代表」として名前の載ってしまったアイゼンハワー大統領もたまったもんではないだろうが、ここまでフォーバス知事という個人をたとえ音楽とはといえ攻撃してもいいのだろうかという気持ちを持つひとがいても当然である。しかし、正直、このミンガスの怒りのもととなったリトルロック高校事件というのは、こんな程度の怒りの発露ではとうてい収まらないようなえげつなん差別事件であって、まだまだ生ぬるいとしか思えない。そして、ドルフィーとテッド・カーソンのソロも爆発しており、4人が一丸となった最高の高まりを聴かせてくれるが、特筆すべきことは、「曲がいい」ことであって、皆さん、怒りや揶揄の部分だけを見て、この曲のめちゃめちゃかっこいいテーマのことを忘れているのでは? ミンガスのコンポーザーとしての才能を感じられる名曲ですよ。だからこそ、歌がなくてもちゃんと聴けるのである。そして、ひとつどうしても言いたいことは、この曲でのミンガスたちの演奏がやりすぎで、やりかたが下品で、音楽家は音楽だけで主張すべきだ、というような意見である。怒りとかが根本にあったとしても、それを隠して、音で勝負するのが音楽芸術だということなのだろうが、そんなこと言い出したら、メッセージソングとか社会派フォークとかラップとかどうなんのよ。また、この演奏を「純粋に音楽として聴くべきである。ドルフィーやカーソンのソロはすばらしいのだから、怒りの要素は無視して、ジャズとしてちゃんと評価すべき」みたいな意見もどうかと思う。この演奏を推進している、そしていきいきとしたものにしている原動力はやはり「怒り」であって、怒りや悲しみなどが音楽を成立させることもある。それをミンガスは生の形で出しているが、これを「純粋に音楽的に」聴くことなどできようか。怒りを表現するなら、音楽的に昇華した形で……という意見もあるようだが、私としてはこの演奏は十分音楽的に昇華されていると思う。結局、生々しすぎるのが嫌ということなのだろうが、ラップやヒップホップが叩きつけている社会的メッセージが音楽とちゃんと同居しているように、この演奏でも音楽と怒りはしっかり融合してひとつのものを形作っていると思う。そして、一番大事なことは、このミンガスの激怒があってこそ、そのあとに飛び出してくるドルフィーのすさまじいソロやカーソンの気合いに満ちたソロなどがぐっと引き立つ、いや、引き立つというのも変だな、意味を持ってくる。彼らはミンガスの怒りに応えた形で即興を行っているわけで、それを「純粋に音楽的に」切り離すことのほうが無意味でしょう。というわけで、この演奏は私にとって永遠の名演なのであります。ドルフィーのソロにめずらしく引用フレーズが露骨に出てくるのも、たぶん諧謔的なものではないかと思う。3曲目は「ファット・ラヴ」で、バンドを去ろうとするドルフィーとそれを引きとめようとするミンガスの音楽的会話である、といわれてきたが、まあ、そんなことはどうでもよくて(2曲目で言ってたこととちがう? でも、歌詞もないのに、そんなこと汲み取れるかね)、これこそ純粋にベースとバスクラのデュオを味わうべき演奏ではないでしょうか。とにかくすばらしすぎてひっくりかえる。これが1960年だっちゅーのだから驚くよね。ベースのフレーズもバスクラのフレーズも、オーネットの「ジャズ来るべきもの」の直後とは思えない超前衛的なもので、たしかにほとんど会話のようだ。それはたとえばトーキングドラムのような「言葉を模した」感じにまで極端化されていて、この演奏を1960年に聴いたひとはそりゃあ驚いたと思う。昨夜、東京のどこかのライヴハウスでフリージャズバリバリのミュージシャンがやってた演奏、といっても通用するぐらいのクオリティと先鋭さがある。いやー、ミンガスもドルフィーも凄いわ。そして、ドルフィーとミンガスばかり有名だが、この曲におけるテッド・カーソンのソロもすごいのだ。先発ソロとして、(自由度が高いようにみえて)じつはかなりむずかしいこの曲の構成を見事に吹ききっている。ミンガスのベースの無伴奏ソロが延々と続き、そこへドルフィーのバスクラがしずしず……という感じで静かに入ってくる。このあたりの感動をなんと表現できようか。音色の艶というか張りというか、そのフレーズの特異性、楽器のソノリティをいかしきった演奏はすばらしすぎる。ドルフィー主体のソロパートは、さっきのカーソンのときと同じ構造になっているのだが、それが終わったところから上記にもあるミンガスとドルフィーの「対話」になる。しゃべっているようなフレージングは、一歩まちがうとギャグになるぎりぎりのところで緊張感を保っている。全部、「言葉」に翻訳できるらしいが、そんなことはしなくてもいいと思う。とにかく「なるほどな〜〜〜」と腕組みをしてしまうような演奏で、コンポーザー、アレンジャー、バンドリーダーとしての側面が強調されがちなミンガスの、一ベーシストとしての凄さが発揮された演奏として聴くこともできる。そして全員でばっちりテーマを奏でてエンディング(ここもかっこいい)。最後は「あなたの母がもしフロイトの妻だったら」というわけのわからないタイトルの曲だが、アップテンポのバップのパロディのような曲調で、オーネット・コールマンの初期の曲を思わせるが、構造的にはやはりミンガスで、半分のテンポになったり、さらに倍テンになったりと場面がめまぐるしく変わるが、全部あらかじめ決まっているらしく、ソロイストの腕が問われるような一種の修羅場である。カーソンとドルフィーはかなりのレベルでそれをこなしており、とくにドルフィーのアルトソロの、曲の構造を完璧に把握したうえで自己主張を行うその凄みに感動します。ドルフィーがチャーリー・パーカーをもっとも研究しており、その結果としてパーカーからもっとも遠いフレーズを吹いているということがわかる。そして、全体の印象はなぜかパーカーと二重写しになるのだ。あーすごい。すごすぎる。というわけで、たった四人でたった四曲しか入ってないこのアルバムは、永遠の価値のある作品なのであります。

「THREE OF FOUR SHADES OF BLUES」(ATRANTIC RECORDING CORPORATION/WEA INTERNATIONAL INC. WPCR−27206)
CHARLES MINGUS

 A面は「ベター・ギット・ヒット・イン・ユア・ソウル」や「グッドバイ・ポークパイ・ハット」の再演などが目玉。だいたい9人編成なので、オリジナル録音とくらべてそれほどの大編成とはいえないが、ラリー・コリエルとフィリップ・カテリーンのギターがテーマにもソロにも大きくフィーチュアされていてかなり原曲とは印象がちがう。基本的にはまだミンガスがベースを弾いているうえ(ジョージ・ムラツやロン・カーターが加わっている曲もあるが)、ベースソロもたっぷりあり、また、ミンガスの歌もフィーチュアされていて、ガッツのある歌い方はまだまだ元気な感じである。全体に昔よりサウンドが明るくなっているような印象がある。やはりギター勢がかっこよくて、ミンガスサウンドにはエレキギターが良く合うのだなあと感心した。ソロの多くはギターが持っていってしまってる。とはいえ、まだ弱冠23歳のりっキー・フォードもけっこうゴリゴリとがんばっているし、ジョージ・コールマンも渋い(渋いだけ?)。岡崎正通氏の日本語ライナーで2曲目のコールマンはテナーを吹いているように書いてあるが、アルトですね。3曲目は古いタイプのドブルースで、美味しいピアノソロのバックでギターがズキュン! キュワワン……とバッキングするのもいなたい。テーマはギター2本で奏でられ、そこでのギターも臭くて良い。ソロはコールマン(アルト)が先発で、これまた渋いっす(渋いだけ?)。つづくコリエルのギターソロが個性を前面に出したものなので、どうしてもコールマンは没個性に感じられる。テナーだったらなあ。リッキー・フォードのテナーソロは短いけどよくもわるくもリッキー・フォードらしいもので、とてもがんばってる。カテリーンのギターソロはまさしくブルースギター。そしてミンガスのベースソロがあってテーマ。これまたライナーについて一言だが、「素朴なメロディーでありながら、強烈なアクの強さを感じさせるのは、まさにミンガスの面目躍如」と書いてあるのはどこの部分を聴いてのことだろう。少なくとも私は普通のジャズブルースの演奏に思えました。アク……ないなあ。ええ曲やけどね。しかし、本作の一番の聴き所は、B面半分を占めるタイトル曲で、ジョン・スコとジミー・ロウルズが加わる。この時期のミンガスがいかにギターを重要視していたかということだろう。A面では出番のなかったジャック・ワルラスのトランペットも何回か登場する。タイトルには「ブルース」となっているが、普通の意味でのブルースはひとつもなく、ミンガス自身の解説(?)によると、この12分の曲は11のパートに分かれていて、たとえば最初のところは「ミンガスのサブドミナントのないブルース」となっている。つまり、トニックからいきなりドミナントに行くということか。2パート目は「古いエリントンの2コードブルースで、CメジャーとBフラット7thだけで、ほかのコードはない」とある。途中、普通のブルースになる部分もあるのだが、全編強い意志で、「ブルースになったらあかんでー」と言いつづけている演奏のようであるが、ミンガスの意図はよくわからん。でも、そういうことを考えずに聴くと、とてもおもしろい曲で、ギターやリッキー・フォードのテナーソロもよく、ジョージ・コールマンのテナーソロ(ここはテナーなのだ)もなかなかよい。ジョンスコはやはり変態だ。そして最後の曲「ノー・バディ・ノウズ」は、すかーっと明るいビッグバンドサウンドで、これもミンガスらしくないが、よく聴くと、ツインベースでかなり変なことをやっていて面白い。もっとも大きくフィーチュアされるソニー・フォーチュンの、これもおよそミンガスバンド的でないストレートアヘッドに吹きまくるアルトソロも痛快。ジョンスコはやはりくねくねと蠢き、ときにアウトするメカニカルなラインを弾きまくる。ワルラスのトランペットも変態バップな感じですがすがしいが、このあたりまで来ると、これほんまにミンガスバンドか? と思ってしまったりして。カテリーンのノリノリのギター、フォードのテナー(あいかわらずリズムがすべりがち)とソロが続き(つまり、ソロ回しの曲なのだ)、テーマ。

「MINGUS AT CARNEGIE HALL」(ATLANTIC RECORDING CORPORATION 603497844326)「THREE OF FOUR SHADES OF BLUES」(ATRANTIC RECORDING CORPORATION/WEA INTERNATIONAL INC. WPCR−27206)
CHARLES MINGUS

 あの「ミンガス・アット・カーネギー・ホール」の未発表テープが発見され(本当に「発見」という感じだったみたいです)、従来発表されていた2曲のセッションと合わせて、2枚組として発売された。今回は未発表の部分について感想を書きたいのだが、今回の発見によって、従来の2曲についての感想もかなり変わったのでそれも合わせて書きたい。このときのコンサートは、カーネギーホールで行われたのだから、ミンガスとそのバンドにとってもかなりの「晴れ舞台」だったと思われるが、それは当時のレギュラーバンドによって行われた。メンバーはミンガス、ドン・ピューレン、ダニー・リッチモンドというおなじみのトリオに、ジョージ・アダムス、ハミエット・ブルーイットの2管というもので(ハンニバル・マーヴィン・ピーターソンはもういない)、そこにゲストではあるがレギュラーバンドの一員としてジョン・ファディスが加わった3管編成のセクスセットが基本なのである。レギュラーバンドなので当然、アレンジもきっちりされているし、メンバー間のコミュニケーションもちゃんと取れていて、充実した演奏だった。そのセクスセットの演奏が終わったあと、特別企画としてスペシャルゲストを招いてのセッションが行われ、そのゲストがかつてミンガスバンドのメンバーだったOBたち、つまり、ローランド・カーク、ジョン・ハンディ、チャールズ・マクファーソンだったわけだ。要するにおまけといったら悪いが、コンサートに花を添える部分である。ところが、当時リリースされたのは、この2曲のおまけの部分だった。我々が「アット・カーネギーホール」として愛聴していたのはそれなのだ。理由はわかる。メンバーが豪華すぎるし、内容も燃え上がるような迫力に満ちていて、しかもドキュメントとしても迫真なのだ。結局、その即興的なセッション2曲がリリースされ、レギュラーバンドの部分はお蔵になった。そして、それが今回見つかった……という話なのである。今回聴いたレギュラーバンドの部分は圧倒的にすばらしく、ああ、これがあってのあのぐだぐだのセッションだったんだなあ、と理解できた。既発の2曲は、ジョージ・アダムスがフリーキーにピーピー吹いたのをカークが揶揄するように(もっと徹底的に)同じように(もっと徹底的に)吹きまくったあと、自分の世界を展開する、という、アダムスがカークに負けた的な雰囲気になってしまっていたが、じつはそうではなく、それまでにセクステットとして完璧な仕上がりの演奏が延々あって、そのあとのセッションだから、カークとしては「おまえ、またそれかい」と「ちょっとからかった」感じだったのだろう。なにしろ今回発掘された部分におけるアダムスをはじめとするレギュラー陣の集中力、パワー、繊細さ、音楽性、個性……はめちゃくちゃハイレベルで、メンバーが登場したときの大拍手と歓声のものすごさが、このグループの人気を物語っている(なにしろ場所がカーネギーホールですからねー)。1曲目「ぺギーズ・ブルー・スカイライト」がはじまった瞬間からその圧倒的な高みはすぐにわかる。CDでいうと、1曲目はイントロダクションということになっているのだが、その最後のあたりから演奏(チューニングから笛が吹き鳴らされ、サックスが咆哮する)ははじまっているので、その部分も「ペギーズ……」に含まれる。バリトンやテナーの深い音色によるテーマを聴いているだけでも恍惚としてくる。先発のハミエット・ブルーイットのドスのきいた低音とフリーキーなフラジオの対比、ドン・ピューレンの重く、ゴツゴツしているのに疾走感のあるリズム、ジョン・ファディスの(ひとりだけ異質な)カラリと明るく、ひたすらハイノートを吹き続けるトランペット、アダムスの突発的に暴走する異常性を感じるテナー……しかも、彼らのそれぞれの方法論はこのあとどの曲でも同じで、この曲だからこう変えよう、とか、さっきこんなことをしたから今度はこうしよう、とかすることはまったくなくて、ただただそのときに自分が吹きたいように吹いている、弾きたいように弾いているだけなのだ。普通はちょっと考えるとか、変えるとかするであろうに、たいした精神力である。どの曲も自分の個性をひたすら押し出すソロをしているから、だいたい似たような演奏になる。これは難じているのではなく、似たような演奏なのに全部がすばらしくて昂揚感があって聞き飽きることのない最高の出来だ、というのはすごいことではないだろうか。目のまえでこれかまされたらぶっ飛ぶだろうな。1曲目はバラードだし、2曲目の「セリア」もかわいい曲調のはずなのに、このひとたちの手にかかると途端に暑苦しくて、汗が流れるような熱い演奏になる。それも、じわじわそうなっていくのではなく、ひとりめのソロの最初からそうなのだから呆れる。「まともに吹こうというやつはおらんのか!」と叫びそうになる。しかし、実際はみんな、まともに吹こうとすればできるひとたちばかりなのだ。それを、ミンガスという親分のもとでは、だれひとりそうはしない。そんなことはミンガス親分は望んでいないのである。ドン・ピューレンの凄さは華麗と歌心と狂気をめまぐるしく行ったり来たりしながら聴き手を揺さぶるところだろう。ジョージ・アダムスにも同じことを感じる。だれが聞いてもすぐにわかる個性的な音色で、リリカルに吹いていたかと思ったら、突然、なんの脈絡もなく(つまり、段階を踏んで盛り上げていってそうなるのではなく突発的に)フリーキーな世界へ飛んでいく。たぶん例のごとく白目を剥いて獅子吼しているのだろうと想像される。フラジオの切れ味やトリルの速さも圧倒的である。ブルーイットは「どこがバリトンやねん」という感じでリードに圧を加えた高音部のキイキイした音をひたすらぶちまける。この3人の暑苦しい狂乱のソロ3連発を聴いてへとへとの聴衆は、ああ、やっとテーマか、しんどかったなあ、と思っているだろうが、そのあとまだまだ怒涛のコレクティヴ・インプロヴィゼイションが延々と続くのだ。こうなったら笑ってしまいますなー。全部で24分。終わったあと、聴衆は「しつこいねん!」とはだれも言わず惜しみない拍手を送っている。1枚目のラストは「フォーバス知事の寓話」(ここでは「ファイブルス・オブ・フォーバス」となっているが「フォーバス・フェイブルス」となっているアルバムもあるよね)、かなりテンポが速い。こうして聴いてみると、内容というか主題と切り離したとしても名曲だな。ミンガスはすごい。アダムスのフリークトーンは、ここまで来ると「ここまで来ると病気やねえ。きみ、もう、一生これやってなさい」と言いたくなるが、結局一生やってたのだからえらい。天空を飛ぶがごとき壮絶なフリークトーン。ファラオ・サンダースのようにバリエーションのない、ただただギャピーッというだけの、凄まじい熱気のある、美しいフリークトーン。最高。ジョン・ファディスも、ある意味、似た部類で、このひとの個性は「ハイノート」なのだ。ハイノートが個性というのも変なのだが、実際そうなのだ。普通は、トランペットのハイノートというのは、いろいろ盛り上げたあと、最後のクライマックスに発して、おおーっ、となるわけだが、ファディスは出し惜しみせず、いきなり最初からハイノート、そして、最後までハイノートなのである。ハイノートだけで中身がない、とか言ってるひともいるかもしれないが、やはりこのひとも狂気のミュージシャンであり、個性のひとである。しかも、アンサンブルへの貢献は半端ない。ブルーイットもリズムへのノリのかっこよさが半端ではない。そして、ついにミンガスのソロ。みんなひれ伏すであろうこのド迫力。「人間」というものがあふれまくっとるやないか! ダニー・リッチモンドのドラムも非常に立体的に録音されていて、臨場感がある。タムのドゥン……という響きなども含め、超かっこいい。そして、なぜかドラムを叩きながら歌い出し、客を自分の世界に引きずり込む。馬鹿テクだが、、ほかのソロイストと同じで、好きなことをやってる。そう……このひともある種の狂気のひとなのだ。ラストテーマでは途中で走ったか、最初よりもいっそうテンポが速くなっているが、そんなこと全員屁の河童である。2枚目の1曲目までが新発見のレギュラーバンドの演奏である。曲はドン・ピューレンの「ビッグ・アリス」。このテーマ、めちゃくちゃかっこいいねー。ファディスのトランペット(とブルーイットのバリトン)がビシーッと決まっている。クラーベのリズムが基本だが、バップの香りやいわゆるヒルビリー的な香りもする。こういうのをやらせると独壇場のジョージ・アダムス、ゴンゴンと重い低音を叩きながら、はじけまくるような高音の異常な「あの」ラインをぶつけてくるドン・ピューレン、思わず「アホや!」と叫んでしまうファディスの超ハイノート連発のソロ、ブルーイットのハードボイルドで、めちゃくちゃのようでじつは完璧にコントロールされたソロ……。全員がノリノリなのでものすごく聴きやすい演奏になっている。前衛とかポップとか関係ない。というわけで、レギュラーバンドの部分を聴いてみて、ミンガスのベースとダニー・リッチモンドのドラムの相性の良さとソロイストをプッシュし、全体の世界観を構築していくすごさに舌を巻いた。ジャムセッションの2曲しか出ていないときは、これはミンガスのリーダー作だが、ミンガスはドレミファソラシド……みたいなベースを弾いているだけなので、豪華なソロイストを聴くべきアルバム、みたいな評価もあったと思うが、とんでもないですね。ミンガスのベースは、このグループを支えている。その作曲も、そしてボスとしての存在感も。そして、このあとこの超個性的な狂気の6人組にジョン・ハンディ、チャールズ・マクファーソン、そして……ローランド・カークというさらに個性豊かなゲストが加わるのだ。そりゃあ、セッションの部分、ああなるわなあ……という「ストーリー」がやっと見えたわけである。どうして最初からこの形で出さなかったのだろう。そのことは残念だが、今、こうして聴けたことは素直に喜びたい。ブートで出ていたらしいがそれは聴いたことがなく、今回の正規盤については、音はもうめちゃくちゃいいのです。傑作!

「THE GREAT CONCERT OF CHARLES MINGUS」(AMERICA 3 × 30 AM 003−004−005)
CHARLES MINGUS

 学生のときの買ったレコード3枚組だが、今出ているCDとは中身が違うらしい。ちょっとだけ調べてみたがよくわからない。私はこっちのレコードの方に慣れているので、3枚組をとっかえひっかえして聴いているわけだが、どうやらレコード3枚組のほうは1964年4月18日(19日となっているのは、録音開始が深夜の12時を過ぎてからだったから)、パリのシャンゼリゼのホールでの録音だが、これが海賊盤だったので、ミンガス未亡人が激怒して「リベンジ!」というタイトルのアルバムを正規盤として発売した(演奏は17日のもの?)。しかし、そこからどういう経緯を経たのか、今出ているCDは、タイトルも「グレイト・コンサート」でジャケットもこのレコードのものを使用しているので、こちらも現在は正規盤扱いになっているのかもしれない(「リベンジ!」を持ってないのでよくわからん)。まあ、そんなこんなでややこしいアルバムだが、中身は保証付きである。
 1枚目の1曲目「ソー・ロング・エリック」(「グッドバイ・ポークパイ・ハット」と誤記)だけは、録音に失敗したので、前日(17日)のSalle Wagramにおける録音と差し替えられており、そのせいでこの曲だけジョニー・コールズが参加している(演奏途中で体調悪化のためリタイア)。コールズのソロ(体調のせいかヨレヨレに聴こえるが、だいたいコールズというひとはこんな感じのソロをするひとなので……)のあと、ジャッキー・バイアードの朴訥ともいえるようなブルースピアノからブロックコードで盛り上げるソロ、クリフォード・ジョーダンのめちゃくちゃオーソドックスだが豪快で味わい深いテナーソロ(ミンガスのバッキングがヤバい)、ミンガスの力強く歌うベースソロ、ダニー・リッチモンドのソロからドラムとベースのかっこいいデュオを経て、ようやくドルフィーの登場となるが、このとき聴衆から待ち焦がれていたかのようなすごい拍手が沸き起こるので、ドルフィーのスタイルというのはこの時点でのフランスではかなり人気があったのではないかという気がする。ドルフィーは共演者が自分の演奏に理解があろうがなかろうが自分の道を貫き、自分のソロだけで聴衆を納得させるだけの力があったひとだが、こういう演奏を聴くと、やはり共演者がちゃんとわかっているかどうかは重要だなあと思う。ドラムとのデュオからB面に移り、リッチモンドのドラムソロになる。2曲目はミンガスの曲紹介に続いてテーマが奏でられ、ジョーダンとバイアードのバラードの見事な解釈になる。ミンガスのベースのすばらしいバッキングにも注目。そして、ドルフィ―のバスクラがすべてをひっくり返すような異次元のソロを繰り広げる。ミンガスのベースソロも心に染みる。
 2枚目のA−1は「パーカー・イアーナ」という曲だが、パーカーのモチーフをちりばめてミンガス色に染め上げたような「ちゃんちゃかちゃん」的な曲(ミンガスはMCで「チャ―ルズ・パーカー」と呼んでいる)。ソロはブルース形式で、先発はクリフォード・ジョーダンだが、さすがのバッパーぶりでめちゃうまい。途中、ブレイクになるのだが、どこか遠くでドルフィーが吹いていて、なんか混乱している感じが面白い。ジャッキー・バイアードの遊び心満載のすばらしいピアノソロ(ストライドも聴かせる)のあとドルフィーの凄まじいソロになる。ブレイクの部分などこれが64年のライヴとは信じられない演奏である。バックが自分の演奏をわかってくれている、という安心感からか好き放題吹きまくっていて感動的だ。そのあとドラムソロになり、ベースが加わってテーマになる。テーマは循環→スターアイズ→なんだかわからん曲→パーカーズ・ムード……みたいなメドレーである。CDのライナーには「スクラップル・フロム・ジ・アップル」とか「オーニソロジー」とか「グルーヴィン・ハイ」とか書いてあるがそれらはいまいち聞き取れない。
 裏面に移ってこれもおなじみの「メディテイション・オン・インテグレイション」(CDでは「メディテイションズ」と複数形になっている)。ジョーダンがテナーでヴァンプして、ドルフィーのフルートとミンガスのアルコがテーマ。そのあとドルフィーはバスクラに持ち替える。このあたりの細かいアレンジを全員でこなす感じが「バンドサウンド」としてすばらしい。ドルフィーの過激なバスクラソロになり、ここはひたすら黙って聞き惚れるパート。ジョーダンのテナーソロになるが、これもクリシェに陥らない真摯なソロだと思う。全編を通じて、クリフォード・ジョーダンの従来のジャズ的なしっかりしたソロとドルフィーの新しい表現によるソロの対比はこのバンドのハイライトとなっており、どちらもやればやるほど面白くなる。ドルフィーのフルートが自在に歌う。ジャッキー・バイアードの無伴奏ソロとそこに加わるミンガスのアルコベースが重厚で、かつ、せつなく、しかもフリーである。ピアノが疾走するエンディングも感動的。ミンガスは、小編成でこういったオーケストラを聴くような充足感を与えてくれる(たとえば「黒い聖者と罪ある女」のように……)。
 3枚目のA面からB面にかけては「フォーバス知事の寓話」だが、レコードは「フォーバス・フェイブルス」ではなく「フェイブル・オブ・フォーバス」という表記。CDは「フェイブルス」と複数形の表記になっている。ドルフィーはバスクラ。ダニー・リッチモンドだろうか、ずっと掛け声をかけているが、「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」でのあの歌詞と一緒かどうかはよくわからん。ジョーダンが先発ソロ。ブレイクの部分も含めてすばらしいソロだと思う。ミンガス在籍時のジョーダンのソロとしては指を折るべき会心の演奏ではないかと思う。このグループにおけるジョーダンの価値がものすごく感じられる演奏で、やはりたいしたもんであります。凡百のサックス奏者ではこうはいかないよね。毎回これだけのソロを絞り出すことを要求されるというのは、ソロイストとしてはかなりしんどいと思うが、相当鍛えられたのではないかとも思う。バイアードのソロもギャグや諧謔、パロディなども含んだ壮絶なもので、聴きごたえ十分。
 そして、ミンガスのA面からB面に渡るパワフルなソロもすごいっすー。変幻自在でこれぞフリージャズっていうような奔放なソロ。この自由さは、プラグドニッケルのマイルスバンドを連想した。そして、ドルフィーのバスクラが爆発する。このソロは(ドルフィーを聴いてるとときどき思うことあるあるだが)2013年の今、東京かニューヨークのどこかで今夜演奏されているインプロヴァイズドミュ―ジックのバリバリのひとのソロだと言われてもまったくおかしくないぐらい時代を先取りしている。もちろん、すばらしい演奏に先取りも後どりもないし、永遠に損なわれぬ価値があるわけだが、ドルフィーに関しては「時代を先取り」という言葉をどうしても思わずにはいられない。ほんと、すごいひとだよなあ。よくドルフィーの当時の演奏について「理解者が少なかった」みたいなことが書かれていたりするが、どう聴いてもここでの演奏など、こういった演奏にあまり触れたことのないような聴衆を力技で納得させているように思う。終わったあとの大拍手がそれを証明している。ええもんはええ! ミンガスも上機嫌でMCをしている。最後は「ソフィスティケイテッド・レディ」で、ミンガスのベースソロ(ピアノが伴奏する)である。
 というわけで、すばらしいソロの応酬と、全体を貫くミンガスのリーダーシップ、全員が一丸となって「音楽」を作っていこうという意志……などがひしひしと感じられる3枚組で聴きごたえ十分な傑作。

「THE GREAT CONCERT OF CHARLES MINGUS」(VERVE MUSIC GROUP B0002680−02)
CHARLES MINGUS

 上記アルバムをCD化したものだが、若干収録曲に違いがある。まず1曲目の「A.T.F.W」というアート・テイタムとファッツ・ウォーラーに捧げた曲は、マイクのトラブルでレコードには収録されていなかったが、これを最新の技術で修復して収録した、ということになっている(「ソー・ロング・エリック」についてもそう書いてあるが、これはレコードには「グッドバイ・ポークパイ・ハット」という誤記された名前で収録されている)。ジャッキー・バイアードの「ストライドからフリージャズまで」的なすばらしいバーチュオーゾぶりが全開のソロピアノがたっぷり味わえる。そのあと、ミンガスのMCがあって「ジョニー・コールズ……トランペット」という箇所で若干観客がとまどったような反応をするのは、コールズが前日の同曲の途中で倒れたため、この日のコンサートではトランペットを椅子のうえに置いて演奏したからだろう。つまりCDに入っている「ソー・ロング・エリック」はレコードとは別バージョンということになる。クリフォード・ジョーダンのハードバップ的なテナーソロを経て、ジャッキー・バイアードのコテコテのブルースからコードで盛り上げるオールドスタイルなソロ(フリージャズでよくある「パロディ」的な演奏ではなく、マジなやつ)に続いて、ドルフィーが一音目から出し惜しみ(?)することなく噴火のように登場する。このバップからフリーまでのジャズ史を総括したような長い奔放なソロを聞いて当夜の観衆は呆然としたのではないだろうか。目の覚めるような先鋭的なフレーズが連発され、圧倒的な存在感が示される。ブレイクのときのドルフィーとジョーダンのバトル(?)はとにかく凄まじい。聴いていて、時間が止まったような感動がある。これは「たぶん」だが、クリフォード・ジョーダンはこの時期のミンガスバンドでの演奏で、きっとドルフィーにかなり音楽的影響を受けたのではないかと思う(フレーズがどうのこうのというより音楽に対する姿勢というか……)。それは、オリバー・ネルソンやケン・マッキンタイアやコルトレーンなどなど……もそうだったのだろうと思うが、それぐらいドルフィーはえげつない影響力を持っていたのだと思う。ドラムとベースの凄まじいデュオになり、そこから続くダニー・リッチモンドのドラムソロも最高であります。あとは、基本的にはレコードと同じ音源のはず(収録時間に若干ずれがあるが、これは曲間の切り方などによるのだろうと思う)。