「TERN」(UMS/ALP245CD)
LOUIS MOHOLO・LARRY STABBINS・KEITH TIPPETT
よくわからんのだが、なんちゅうかその、プログレ的というんですか? そういう言葉がぴったりくる演奏だと思うのだが、いかんせんプログレに知識がないのでよくわからない。ピアノにキース・ティペットが入っていて、この人とアンディ・シェパードのデュオはまさしく私のツボだったが、あのアルバムも今思い返せば、非常にプログレ的であった。どういうところをプログレ的と私は言っているのかというと、演奏がギャオーとかギョエーとか野蛮な高揚を示さず、あくまで抑制されたコントロールのもとでたかまっていく。音色に注意が払われ、音色と音色のブレンドが重要な要素となる。そして、変拍子が多用され、変拍子のやりとりのなかで、ジャズ的なものとはちがった迫力と高揚感がかもしだされる。こういったセッティングでは、そういったことが即興的に演奏されるわけで、その結果のすばらしさに、個々のミュージシャンの技術的、音楽的レベルの高さを感じざるを得ない。ティペットのピアノとスタビンスのソプラノのやりとりなど、手に汗握る展開で、いろいろ参考になった。なお、もとはSAJで出ていたLP二枚組で、CD化にあたって一曲はずしてあるらしい。どうしてそういうことをするかな。それと、3者対等の演奏だと思うが、一番最初に名前が書いてあるモホロの項に入れた。
「UPLIFT THE PEOPLE」(OGUN RECORDS OGCD047)
LOUIS MOHOLO−MOHOLO’S FIVE BLOKES
ルイス・モホロの新譜が出るのか、へー、スピリチュアルジャズとしてもいい感じなのか、そうかそうか……という程度の興味しか抱いていなかった私だが、シャバカ・ハッチングスが入っていると聞いて俄然興味が湧いてきて、聴きたくてしかたがない状態になった。だって、シャバカのアコースティックなブロウなんて絶対聞きたいでしょう! できれば通販でなくて店で買いたかったので(いろいろ理由はあるが、要するにすぐに聴きたいのである。あと、通販だと翌月にガサッと引き落とされるので困るということもある)、大阪のCDショップを何軒も行ってみたのだが、どこにもない。まあ、よく考えるとOGUNなんて大阪で仕入れてるところなんかないわなあ、と諦めることにしたが、聴きたいという気持ちは収まらず、結局取り寄せということになった。こうなってくると、どんどんハードルが上がっていき、きっとよほどの傑作に違いない、と自分のなかで勝手に思い込んでしまった状態でCDを聴くことになった。メンバー的には、リーダーのモホロが78歳、ジョン・エドワーズが54歳、アレクサンダー・ホーキンスが37歳、シャバカ・ハッチングスが33歳、ジェイソン・ヤーデが47歳……なかなか年齢に幅があるバンドだ。シャバカが一番年下なのか。それにしてもモホロ78って……元気やなあ。肉体的にはもちろん、音楽的にも常にチャレンジしている。以前、原田依幸怪物団で聞いたときもフリージャズのビッグネームたちとともにアグレッシヴでバネのある演奏をやりまくっていたが、あれからかなり経つ本作でもモホロの意欲は健在である。一種のオールスターバンドのようでもあるが、モホロぐらいキャリアがあったらこれぐらいの人選は当たり前なのかもしれない。若手とやってるねん、ぐらいの気持ちかもなあ。それにしても南アフリカからのこのひとの経歴を考えると、こんな遠くまで来たんだなあという感慨を禁じ得ない。こうしてイギリスジャズの最先端を形成している連中を集めて突っ走ってるんだから最高だろう。というわけで、聴いてみると、なるほど1曲目から70年代スピリチュアルジャズを思わせる空気感。一曲目の冒頭部分なんて、もう、「うひーっ!」となるぐらいかっこいいし、この思わせぶりが最高なのだ。モホロの大きく乗る感じのドラムもこういう雰囲気にぴったりだ。アルトのヤーデというひとがとくに、力強く鋭い音と朗々とした音を兼ね備えていて、すごくはまり役である。バリトンも吹くけど、それもいい。ときどきフリーキーな音も使う。そして「ジェイソン・ヤーデの髪型最高!」と言いたい(詳しくはネットで画像検索などしてください)。全編大活躍するピアノは重要な役を担っていて、こういうしっかりした土台がモホロの好みなのだろうな。普段はインプロヴィゼイションが多いジョン・エドワーズもきっちりジャズベースを弾いている。で、肝心のシャバカ・ハッチングスだが、最若手ということもあってあまり出しゃばらず、控えめな感じだが(アルトのほうがずっと前面に出ている)、しかし、バンドに溶け込んで、つねに吹くことをやめず、いろいろなことをつけくわえている。こういった、複数のラインをそれぞれのミュージシャンが演奏し、それがひとまとまりになって大きな流れを作り出すというこういう演奏形態は、やっぱり南アフリカ的なのだろうか。たとえば、アルトがソロをしていても、同時に後ろのほうでテナーが吹いていたり(バッキングではなく、即興的に茶々を入れてる感じ? ほかの楽器でも同様)するというのは面白いし、それでちゃんと演奏が成立してしまうのだ。1曲目はPULE
PHETOというこれもまた南アフリカ人脈でイギリス在住のピアニスト・コンポーザーで、私は知らないがエリカ・バドゥとも関係のあるすごく有名なひとらしい(ウィキがドイツ語だったのでよくわからなかった)。このひとの曲が1曲目と7曲目に取り上げられているところをみても、モホロがこのひとを推していることがわかる。全編ルバートのような曲だが、なんともいえないスピリチュアルなカオスである。それが最後に爆発的に膨れ上がり、切れ目なくメドレー的に2曲目(クリス・マクレガーの曲)に雪崩れ込む。ピアノとベースのリフのうえで、ドラムが暴れまくり、テナーとバリトンがフリーキーに絶叫しまくる壮絶な演奏。かっこいい! リフというものがいかに力があるかを示すお手本のような曲。煮えたぎるエネルギーが燃え上がっていくさまは感動的である。3曲目も切れ目なく始まるが、ピアノ主体のルバート的なイントロに続き、2サックスによるテーマが提示される。ハリー・ミラー作曲の泣かせるメロディだが、それをフリーな感じで演奏する。シャバカ・ハッチングスのテナーが大きくフィーチュアされるが、コードに準拠しながらもピアノやドラムとのインタープレイを前面に押し出した過激なブロウで、フラッタータンギングなども交えて吹きまくる。そのあとフリーリズムになったところからが4曲目らしい(ルイス・モホロの曲)。ベースはアルコ。ヤーデがソプラノで自由に吹きまくる。ほかのメンバーも好き勝手にからみ、複数のラインが同時進行しながら次第に疾走感を増していき、ついには法悦状態になる……というのはこのバンドの得意な展開。アイラー的なリフも出る。そこからピアノ主導による重々しいイントロがはじまるところが5曲目(ドゥドゥ・プクワナの曲)で、美しいバラード。このバンドはきっちりしたテーマがあるバラードでも集団即興みたいなやり方で表現し、それがなんとなくひとつにまとまっていくのが凄いです。アルトがメインのように聞こえるが、ほかのメンバーも(テナーも)ずっと同時に音を出しているのだ。そこからゴスペル的なイントロになるあたりが6曲目でこれはギブソン・ケンテというこれもまた南アフリカはソウェトの劇作家、コンポーザー、監督、プロデューサーでたいへん有名な方らしい(もう亡くなった)。この曲もゴスペル的なコード進行、ハーモニーのうえでテナー、ソプラノの2本のサックスがおおらかに吹いて次第に盛り上がっていく。そこからアップテンポのかなり変態的なリフ曲がはじまり、これが7曲目。めちゃくちゃ過激な曲で、ピアノがずっとドシャメシャ弾きまくっていてかっこいい。タイトルは「フォー・ザ・ブルー・ノーツ」で、本アルバムがクリス・マクレガー、ハリー・ミラー、ドウドウ・プクワナらの曲がフィーチュアされているのは、まさにこのタイトル通りの意味合いではないかと思ったりする。一旦終わって拍手が来るのだが、またテーマがはじまり、そこからバラード的なアフリカ賛歌がはじまる(イーノック・ソントンガという1905年に亡くなった南アフリカの古いクラシックの作曲家の曲で、この曲「ゴッド・ブレス・アフリカ」は代表曲のひとつで、アフリカ民族会議の公式賛歌であり、タンザニアとジンバブエの国歌でもあるという。うーん……知らんことが世のなかにはまだまだたくさんある)。この曲をある意味イントロ代わりにして、9曲目(1曲目と同じがPULE
PHETOの曲)が始まるが、シンプルなコードに乗せて、サックスはひたすらリフを吹いたり、二本くわえて吹いたりする。あとは全員でひたすら歌う。後半、アルトソロがちょろっとフィーチュアされる。最後はリズムが消えて、ピアノが重々しいイントロを弾きだし、優しいメロディのバラードがはじまる。きちんとしたアレンジがあるのかどうかわからないぐらい、2本のサックスは適当に吹いているような感じだが、それが非常に自由で感動的なのである。マッカイ・ダバシェ(故人)というこれも南アフリカのテナーサックス奏者の曲だそうである。そして、最後の11曲目はドゥドゥ・プクワナの曲で、2つのコードが繰り返されるようなシンプルな曲。最後を締めくくるにふさわしい、明るいなかにもしみじみとした曲。シャバカ・ハッチングスのテナーがフィーチュアされる。
というわけで、シャバカを聴くつもりで買ったのだが、めちゃくちゃよかったなあ、と思えるアルバムでした。傑作。