lee morgan

「LIVE AT THE LIGHTHOUSE」(BLUE NOTE RECORDS UCCQ−3009)
LEE MORGAN

 私にはそんな力はないし、立ち位置もちがうのだが、本作をちゃんと評するには、リー・モーガンだけでなく、ベニー・モウピンとはどういうテナー吹きなのかをある程度吟味しておかねばならないだろう。一般的にはハービー・ハンコックの「ヘッド・ハンターズ」その他作品での活躍で知られているだろうし、マイルスの「ビッチェズ・ブリュー」などへの参加も名高いと思う。あと、コルトレーン的なスタイル(と思われている)のにバスクラリネットを吹く、ということも当時としては特徴的だったと思われる。しかし、そのソロを聞いてみると(実際、ヘッドハンターズではあまりソロらしいソロはない)、スケールを上下するような演奏、モーダルなフレージングはべつにとりたてて個性を感じられないのだが、このひとらしさを見い出せる部分といえば、すぐに音を濁らせてフリーキーなブロウに走るところだろうか。「走る」というのは嫌な言い方かもしれないが、なんとなくそう言いたくなるようなプレイで、しかも、ファラオ・サンダースやシェップらのように腰をすえたフリージャズ的な演奏になるのではなく、あくまでちょろっとフリーっぽくなるのだ。ハードバップからモードジャズへ、モードジャズからジャズロック、フュージョンへと時代が動き、それぞれの奏者もそういう演奏へどう対応するかを図っているなか、たとえば本作の主人公であるリー・モーガンなどは、一般的な見方はどうか知らないが、ここで聞かれるとおり、見事に「新しいフレーズ」を自分のものとし、それまでのファンキーなフィーリングも失わず(トリルもあり)、すばらしい「新リー・モーガン」を完成させている。ここで聞かれる彼の演奏は、ウディ・ショウやフレディ・ハバードと比べても遜色ないモダンなもので、リー・モーガンをずっと追いかけているファンならともかく、リー・モーガン・イコール・ファンキージャズと思っているひとは驚くと思う。なかには「なんだ、無理して新しいフレーズ吹いてるだけじゃん」とか言うひともいるかもしれないが、そんなことはない。そういうものは一朝一夕で身につくものではないし、付け焼刃はすぐはがれる。ましてやひとまえで吹くとなればなおさらだ。リー・モーガンはこの時点でかんぜんに新しいスタイルに脱皮できており、旧来の個性もちゃんと感じさせるカッコイイトランペッターであることはそのままに、このあとずっと時代とともに走ることができる状態になっていた。あとは共演者だが、ここで聞かれるハロルド・メイバーンも、ジャズロックにしっかり対応しているし、4曲目だけにはいっているディジョネットはもちろんのこと、ミッキー・ローカーやジミー・メリットも「ダサいジャズミュージシャンのロック」的なところは微塵もなく、めちゃくちゃ軽々と、しかも、ずっしりと来るような8ビートを叩きつけている。いやー、さすがですなー。これであとはテナーだが……というところにベニー・モウピンが登場するわけで、モウピンだけがなんだか異質である。古い、とか、新しい、とかではない。彼の新しくみせようという方向性がほかの4人とちがうのだろう。そして、ハードバップとモードとフリージャズとジャズロックのあいだに咲いた奇妙な花のような存在がベニー・モウピンではないだろうか(私も、リーダー作は「ジュエル・イン・ザ・ロータス」しか聴いたことないんですが)。そして、そのモウピンの演奏の「方向違い」が音楽的に微妙に歪みのようなものを与えていて、それがまた面白いのだからジャズというのはおもろいのだ。傑作。