takeo moriyama

「CATCH UP」(F.S.L. FSCJ−0001)
TAKEO MORIYAMA QUINTET

 ラブリーでのライヴ以来、本当に待望の、久しぶりの森山バンドのライヴである。音川英二のテナーは、ブレッカー的であると言われているが、コキコキしたノリはぜんぜんブレッカーっぽくないし、このアルバムではもっと線の太い、フリークトーンで絶叫するようなアグレッシヴな面も見せていて、このバンドにぴったりはまっている。フレーズも、ブレッカーというよりグロスマンっぽい、ライヴならではの、良い意味での豪快さ、いい加減さがあって、迫力に満ちた演奏になっている。ええ曲も書くし(1曲目は組曲風)、言うことない。ほかのメンバーも言わずもがなの好演だが(ピアノがフリーになる場面が個人的にはいちばん聴き応えがあった)、やはり注目すべきは今回からレギュラーとして参加のアコーディオンの存在であろう。森山バンドといえば、流れ出る汗、折れるスティック、飛び散るよだれ……というイメージだが、それにもっともそぐわない楽器がアコーディオンではないだろうか。聴くまえはかなり危惧があったが(大きなお世話ですが)、聴いてみると、なるほど、「これはあり」だな、と思った。めちゃめちゃぴったりやん、とまでは思わないのだが、少なくとも、コルトレーンバンドにおけるドルフィーのような居心地の悪さは感じられない。さすがに森山さんのドラムも、テナーやピアノあいでのときのようなバッキングではなく、楽器の特製にあわせた繊細なものになっており、そういう「場面」が現出するということ自体が演奏の流れに起伏をもたらしていて、プラスに作用していると思う。しかも、全体のエネルギーや迫力は減衰していない。いいんじゃないすか、「キャッチ・アップ」。私はすごく気に入りました。

「FLUSH UP」(UNION JAZZ KUL−5021)
LIVE TAKEO MORIYAMA QUARTET

 このアルバムは、ずいぶんまえから持っているのだが、家で聴くことはめったになく、いつもジャズ喫茶で聴いていた。それぐらいいきつけのジャズ喫茶ではしょっちゅうかかっていた。森山威男のリーダー作としては2作目だが、一作目はレコーディングのために結成したパーカッションアンサンブルによる作品なので、実質的には本作をもって森山グループの第一作と考えてもいいだろう。ライヴでの森山グループの、じつに活きのいい、溌剌とした演奏がぎっしり詰まっている。テナー〜ソプラノの高橋知己のワンホーンだが、このライヴ録音の時点ではまだ若く、サックスをはじめてそれほどの経験を積んでいないらしい彼の演奏は非常に荒削りで、フレージングもぎくしゃくして硬質だが、そのあたりの生々しさがかえって演奏にプラスに働いているように思う。後年とんでもない大物になる予感……それはもちろん的中するわけだが。しかし、フロントよりもそのバックで煽り立てているドラムに耳がいってしまうのはしかたがないことで、ときどき、ドラムがフロントでサックスがバッキングのような錯覚に陥るほどだ。これはどういうことかというと、おそらくドラムのフレーズが(ソロのとき以外でも)非常にメロディックだからだと思う。このことは、たぶん森山さんのファンのあいだでは当たり前のように言われていることかもしれないが、おそらく一般的にはさほど言われていないと思う。ドラムがメロディックというのは、印象的には、たとえばシェリー・マンのドラムはメロディックだね、というように、おとなしいがよく歌う、みたいなタイプのドラマーに対する形容と思われがちだからである。しかし、聴くたびに森山威男のドラムは歌っていると思う。それを凄いパワフルに、しかもかなり極端なダイナミクスをつけて叩くので、パワーの面だけが強調されて聞こえるのだろう。でも、じつはごく普通の意味でメロディックなのではないか。だから、よく森山威男は日本のエルヴィンだ、みたいな言い方をされるが、ぜんぜんちがいますよね。いや、エルヴィンがメロディックでないとは言わないけど。余談に入りすぎたが、とにかく聴く度にそういったいろんなことを思ったり発見したりできる作品。

「HUSH−A−BYE」(UNION RECORDS KUL−5003)
TAKEO MORIYAMA QUARTET + SHIGEHARU MUKAI

 森山威男の、というより、日本ジャズの、というより、世界のジャズの歴史に燦然と輝く傑作、と言ったら言い過ぎか。いや、いろいろ考えたが、このアルバムはそれぐらいの讃辞をおくってもまだ足りないぐらいの内容があると思う。全5曲がどれも傾聴に値する出来映えで、オリジナルとスタンダードの配分もよく、オリジナル曲がまたどれも名曲なのである。当時の森山グループは、普段はワンホーンであったはずだが、向井滋春との2管フロントにしたのも大成功であり、向井の本作への貢献度は多大である。どの曲でも、完璧な技巧による完璧なフレージングかつ迫真の演奏を行い、モーダルなのに歌いまくる、という、かなりむずかしいことを楽々とこなしているように思える。シンプルだが、深い。フィーチュアされているバラード「ラヴァーマン」も泣けるし、本作での向井は本当に最高である。もちろん音楽監督の立場にあり、すばらしいオリジナルを提供し、またプレイの面でも最高の演奏をしている板橋文夫は最高だし、入手がむずかしい「神風特攻隊」以外ではほとんど本作でしか聴けない故・小田切一巳のほぼ唯一のメジャーな演奏は貴重なだけでなくじつにすばらしい。ちょっとファットな感じの音とバップとモードを行き来するような個性的なフレージングは、一度聴くと忘れられないし、モーダルなナンバーでの迫力とスタンダードでの歌い上げ、両方できる逸材だったことが証明されている。惜しいといえば、こんな惜しいひとはいなかった。望月英明もずっしりと重いラインでこのやんちゃなバンドを支えている。そして森山のドラムは、ソロもバッキングも、スタジオ録音とは思えない迫力と躍動感をこのアルバムが持っているその最大の要因である。いやー、森山さんのスタジオ録音のアルバムはどれも、スタジオとは思えないぐらいのライヴ感があるのだが、本作もその例外ではない。しかも、スタジオ録音の繊細さも併せ持っているのだから言うことはない。このアルバムはA面の「サンライズ」と「ハッシャバイ」という2大傑作に人気が集中していると思うが、B面もめちゃめちゃすごいので、両方聴くべし。あ、CDなら関係ないのか。

「FULL LOAD」(FRASCO FS−7005)
MORIYAMA TAKEO PERCUSSION ENSEMBLE

 森山威男がかつての国立音大の先輩ふたりと演奏したパーカッションアンサンブルであり、初リーダー作でもある。クラシック畑のパーカッショニストとの共演なので、いわゆる超絶技巧的パーカッションオーケストラになっているのではないか、というのは聴き手の先入観であって、実際に聴いてみると、じつに自由で活き活きした演奏で、しかも、共演のふたりが、(えっ、このパートって森山さんじゃないよな。ということは、クラシックのひとがこんなむちゃくちゃなことをやってるのか)と感心してしまうぐらいの奔放かつ遊び心のあるプレイを繰り広げており、しかも、3人とも意外なほど息があっているうえ、なおかつ相手に遠慮することなく自分を出していて、いい感じである。森山はリーダーだけあって、全体にすばらしいドラムソロをぶちこんでいるが、それが残りのふたりの手によって「アンサンブル」に昇華する。そしてこれはいつも森山のドラムソロやバッキングを聴いていて思うことだが、非常にメロディックなので、聴いていて、アクロバティックな際物を聴いた、という印象がみじんもなく、逆にいつまでも聴いていられるのである。つまり、この作品は森山威男のドラムがパワフルかつメロディックであるという特徴から自然に導き出されたものなので、不自然さがない。それが成功した大きな要因ではないかと思う。とかなんとか能書きを言う必要もない。とにかくほかの森山カルテットその他の作品とほぼ同列に、身構えることなく聴ける楽しいアルバムだ。

「MY DEAR」(UNION JAZZ ULP−5504)
TAKEO MORIYAMA QUARTET

 私が生で、いちばん森山さんを聴いたのは、このアルバムが出た時期だろう。じつは、国安良夫さんを擁したカルテットは生では聴いたことがないのです(国安さん自体は何度か聴いたことがある)。はじめて聴いたのはたぶん市川の「りぶる」。あと「ピットイン」でも聴いたし、神戸の「とんぼ」でも聴いた。あと……えーとどこだったかな、京都でも聴いたような気がする。それらは全部、テナーは井上さんと藤原さんというこのアルバムのメンバーであって、藤原さんが榎本秀一に変わってからは、一回聴いたぐらいだと思う。たしかに「イースト・プランツ」は超のつく名盤だし、ヨーロッパツアーのライヴである「グリーン・リヴァー」も悪くはないが、私にとっての「森山4」はこのアルバムなのです。同グループの頭脳だった板橋文夫が抜けたのを逆手にとって、ピアノレス2テナーという編成になって、よりアグレッシヴさを増した森山グループの演奏が、当時大学生だった私にどれだけ衝撃と感動を与えたか……このアルバムを聴けば、いまでも鮮明に蘇ってくる。「りぶる」ではじめてこのバンドを観たときの、あのときの感動というのは、心臓を鷲掴みにされた、というか、打ちのめされたというか、もうへとへとになった。こんなすごいバンド聴いたことない、こんなすごいジャズ知らんわ、と呆然としていると、近くの席にいた東京の大学の軽音の学生たちは、へらへら笑いながら、今の曲はよかったねえ、とか話している。ううう……俺がわざわざ関西から来て、こんなに感動しまくって、足腰たたないぐらいの状態なのに、彼らにとっては、明日もあさっても手軽に接することができる演奏なのだ。私はそのときさとりました。(ああ、東京の大学の軽音のやつらにはぜったいかなわん)……と。こんな演奏が、森山グループだけでなく、ほかのさまざまなすごいジャズバンドが、いつでも聴ける状況にあるのだ。そこから摂取できるものは我々の百倍、いや千倍だろう……。かなり余談に入ってしまったが、東京の大学でジャズをやっている学生で、ライヴとかコンサートにいかないやつは許せん、ということだけは言いたい。さて、本作だが、一曲目の超アップテンポの曲で吹きまくるふたりのサックスとそれを煽る森山の鬼のようなドラム、そしてすべてを支える屋台骨の望月が一体になったミサイルのようなサウンドを聴いただけで身の毛もよだつほどの興奮が襲ってくる。たんに、オープニングナンバーだから派手にアップテンポで……というノリではなく、ふたりのサックスが完璧に速さについていっており、吹きこなしているのがすごい。二曲目のアルバムタイトル曲でもある「マイ・ディア」は、バラード風のモダンで美しい曲だが、フィーチュアされるのは森山の強烈なブラッシュワークだけだ。というか、ブラシをフィーチュアするための曲なのだが、ブラシを際だたせようとしたときにこういう曲調を考える井上さんはすごいと思う。ライヴでも何度も聴いたが、たしかに曲が森山のすさまじいブラシの魅力を最大限に引き出している。B面の3曲も井上の作曲力の高さを示しているが、肝心なのは、その曲がこのバンドにぴったり合っているうえ、4人のメンバーが完全にそれを自家薬籠中のものとしていることで、全5曲どれもが聴いているうちによだれが出てくるような美味しさに満ちている。エンヤのホルスト・ウェバーは森山のピアノレスカルテットを、オーソドックスすぎる、と評したというが、私はこのアルバムを聴くだけで、ああ、なにかをしなくてはならない、という内部から突き上げられるような思いにかられる、という点では、当時の山下トリオとまったく同じものを持っていたと思う。

「森山組 信正見参」(M・F・C MF102)
TAKEO MORIYAMA

「ダニーボーイ」をのぞいて全曲田中信正のオリジナル。アレンジもすばらしい。このひとはたしかにすごい。多くのミュージシャンからひっぱりだこなのもわかる。いろん引きだしがあって、才能があり余っている感じ。タイプはまったくちがうかもしれないが、マシュー・シップを連想する。日本のジャズピアノ界は安泰であります。1曲目は、モーダルな曲を重厚で暗くて激しいマーチにしてしまうという離れ業。音川のテナーがブレッカー的なメカニカル+パッションというマナーから逸脱して、フリーキーになるところが超かっこいい。2曲目は速い4ビートの曲。いきなりテナーのアドリブから入り、テーマが導かれる。音川のテナーが、こういう曲だとけっこうざっくりしたソロになりがちなのを、しっかりとアイデアを膨らましていく理知的な演奏をしていてかっこいい。しかし、やはりこの怪物ドラマーに煽られると、途中からブロウ、ブロウ、大ブロウになっていくが、そこももちろんかっこいい。森山さんのソロはあまりにもストレートアヘッドでパワフルで真っ向勝負なので、ちょっと微苦笑してしまいそうになるが、ここまでやられると感動しますよ、そりゃ。なにも言うことはない。すごすぎる。「ダニー・ボーイ」と「雨」という曲はバラードだが、森山バンドの常として、とんでもない迫力のある凄まじいバラードなのだラストに「シークレット・トラック」が入っているが、なぜかジャケットにはっきりそう明記してあるので、これはシークレットではないでしょう。曲名を伏せたというだけ。あと、ライナーで、「森山威男のドラムはまたしてもエルビンを超えたのです」と書かれているが、いやー、こういうことは言わないほうがいいんじゃないでしょうか。ほかのミュージシャンをひきあいに出して、超えたとか超えてないとかいう尺度に使うのはいかがなものか。

「SMILE」(日本コロンビア COCB−54045)
森山威男カルテット

 この時期のレギュラーカルテット(テナーは国安良夫)に松風鉱一がゲストで参加したアルバム。国安さんのテナーがたっぷり聴けるアルバムとしてはリーダー作の「サーマル」以外には本作ぐらいしかないわけで、そういう意味でも貴重極まりない。ただ、この時期の国安さんはテナー奏者としては、かなり力任せというか根性吹きなところがあって、ときに一本調子になり、細かいニュアンスを吹き分けたり、アーティキュレイションでドライヴ感を出したりというより、とにかく猪突猛進な感じがあり、森山ドラムとがっぷり四つというわけにはいかず、この豪腕カルテットのフロントをひとりで背負うのはまだ早いという考えだったのかどうなのか、松風さんのゲスト参加によって、ちょうどバランスのよいバンド表現になっていると思う。私はこの時期の国安さんの演奏をサックスワークショップで生で聴いているが、とにかく豪快な(悪くいえば大味な)、ガーッと息を入れるタイプのテナーだった。当時の森山カルテットのラジオでもそういう風だった。今から考えると、愛すべき直進テナーであり、きっとその後の成熟があれば、さぞかし私好みのいいテナー吹きになっただろうと思うが、当時は学生で、ジャズ喫茶でこのアルバムを聴いては、うーん、やっぱり松風鉱一には負けてるよなあ、タンギングもぶつぶつ切れるし、と皆で感想を述べ合ったものだ(国安さんすいません)。当時の我々には、高橋知己とかこの国安さんとか(もっといえば武田和命さんとか片山さんとか……)いったような、木訥な感じで一生懸命歌をつむいでいくタイプのサックスがわからなかったのだと思う。音数を並べてそれによってドライヴするタイプの演奏に引かれるのが学生の常ですから。すんません。それにしても、あのときはあんなにも早く亡くなるとは思ってもいなかった。国安さんが亡くなってから、森山バンドはピアノレス、2テナーというエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン的なレギュラーバンドになり(ライヴではギタリストのゲスト参加も多かった)、その時期が私がいちばん森山さんを生で聴いている時代なのだが、このアルバムのようなタイプの路線はその後は試みられていないように思う。それはおそらくバンドの音楽監督的な役割が板橋さんから井上淑彦に移ったことにもよるのだろう……みたいな、だれでも言ってるようなゴタクをここで書いていてもしかたがない。とにかくこのアルバムは思い出深いし大好きなのであります。私としては珍しくCDで買い直したのだ。一曲目「エクスチェンジ」は先発ソロが国安さん、二番目が松風さんでどちらもテナー。スタジオ録音なのでしかたがないが、ふたりともこれから……というところでソロパートが終わってしまう(十分盛り上がってはいるのですが)。その分、ピアノは燃え尽きているまで弾きまくっていると思う。かっこいい。こういう演奏が、あのころのわしらのバイブルでした。二曲目はあの「ワタラセ」だが、こういう編成で聴くとまた格別。日本ジャズ史に残る名曲であります。バラード的であり、かつ躍動感があり、日本的であり、またブラックミュージック的でもあるという稀有な曲。三曲目、つまりB面一曲目は、あの当時、学生バンドがよくコピーして演奏していた松風さんを代表する名曲。テーマを吹くだけでもカッコイイのだ。非常にドルフィー的なテーマを持った曲で、サックスワークショップでもやっていた。逆にいうと、森山バンドには珍しいタイプの曲で、そのあたりが面白いのです。先発はアルトで松風さん。これこれ! こういうソロにわしらは鳥肌立ったのだ。アルトが個性ありまくりのソロを吹き倒したあと、短いピアノソロを挟んで出てくる国安さんのテナーソロは、これがまたひじょーにオーソドックスなコルトレーン風のもので、テーマがなにしろああいう無茶苦茶な音使いの曲なので、それにこういう真っ直ぐなソロはいかがなものか、と当時わしらガキは言ってました。でも、今聴き直してみると、松風さんに比べて国安さんのソロパートが少なくて、盛り上がるまえに終わってしまった感もある。もっと徹底的に吹きたおしたら、また違った印象になったかもわからん。そして、話題になった「スマイル」だが、国安さんのワンホーンでソプラノでテーマが吹かれるのだが、まだまだ固いという印象で、きっとこのあとライヴなどではもっと、テーマも含めてもっと伸び伸び、ニュアンスを出しながら吹いていただろうと思わせる萌芽のある演奏。ラストはおなじみ「グッド・バイ」。ここでの国安さんのテナーのテーマの吹き方はすばらしいと思う。正直、「スマイル」のテーマとは大違いの深い表現力を感じる。しかも、テーマが演奏されるだけ、というかなりえぐい趣向である。バラードでアルバムを締めくくるというのもなかなかできそうでできないことなのだ。感動やなあ。やっぱりいいアルバムだと再認識。昔はB面ばっかり聞いてたし、ジャズ喫茶でもB面ばっかりかかっていたので、これからはA面を聴こうっと。

「MORIYAMA TAKEO MEETS ICHIKAWA OSAMU AT BLUE NOTE」(BLUE NOTE NBN1505)
森山威男〜市川修

「ブルーノート」は最近京都から奈良へ移転したらしい。昔(30年ぐらいまえ)のこの店のことは今更なにも言うことはないので割愛するが、今でも行くのには躊躇するなあ。しかし、本作は「とにかくよくぞ出してくださいました」とひれ伏すしかないアルバムリリースで、本当に感謝感激である。市川修カルテットは、本来、ドラムは光田臣なのだが(アルバムもある)、それを森山威男にチェンジしてのライヴが行われ、そのときの録音が残っていたのだ。登さんといえば日本一音のでかいテナーマンだと私は思っているが、その登さんのテナーがちゃんとでかい音で録られていて、迫力十分である。「ミスターPC」(パソコンじゃないですよ)から「ブルー・モンク」「マイ・ワン」「ハッシャバイ」「インプレッションズ」……そしてラストの「グッドバイ」に至るまで、森山色の濃い選曲だが、それを完璧にやりこなしている。セッションというより恒常的なユニットのような一体感がある。吹きまくるテナー、それを煽るドラムのやりとりは、聴いていて思わずこぶしを握ってしまうほどリキが入る。市川さんのピアノも、普段よりどしゃめしゃ感が強くて、ちょっとアケタさんを連想するほどだが、そのソロのオリジナリティはものすごい。鶴橋の駅を降りた瞬間のようにぎとぎととええ匂いがしまくっている。そして、船戸さんのベースも、ここではジャズグループの要としての演奏に徹しきっており、すばらしい。この個性的すぎる4人の演奏がこうして作品として残ったということ自体がまず感動である。とくに市川さんのピアノは、もう聴こうと思っても聴けないのだから。最近は渋さ知らズにも入っている登さんは、あのでかい音でどんなタイプの演奏もできるひとだが、ここでもモーダルな曲からムード歌謡のような歌い上げ、「マイワン」ではバラードにバップ的なフレーズをちりばめ、しかもそれらを全部登色に染め上げていて、すごいとしか言いようがない。ラストの「グッドバイ」は4人のすべてがしっかり絡まり合って一番いい形で放出されており、涙なしには聴けない。もう一度書くが、よくぞ出してくださいました。ストレートアヘッドな傑作。

「童謡おぼろ月夜」(PIT INN MUSIC PILJ−0010)
森山威男〜板橋文夫

 なぜか「童謡」と断り書きが頭についている。森山〜ピアノのデュオということでは、渋谷毅との「しーそー」を思い出すが、あれは滋味あふれる、スルメのように噛めば噛むほど味が出るタイプの演奏だった。本作も、ピアノとのデュオ、しかも童謡を素材にしたアルバムということで、同じような雰囲気のものかと思っていたら、やはりピアニストの資質の違いが同じドラマーからまるでちがう反応を引き出すことになった。哀愁の、素朴なメロディに対して、森山はブラッシュで過激でダイナミックなリズムをぶつける。「マイ・ディア」のような感じである。ブラッシュの芸術ここに極まれり! とか大げさに叫びそうになるほどの妙技の数々。いやーほれぼれしますね。森山が激しく叩けば叩くほど、板橋の弾く童謡のメロディの可愛らしさが浮き彫りになり、また、童謡が可愛ければ可愛いほど森山の躍動感あふれるドラミングが強調される。これは、「みんなが良く知っている」メロディのほうが成立しやすいから、童謡を素材にしたのは大正解ということになる。いやー、そういう能書きはともかく、ほんとにすばらしいアルバムで、このふたりにしかできない作品である。森山威男のドラムの凄さを、そして板橋文夫のピアニストとしての凄さを堪能できる。聞いていてめちゃくちゃ興奮するし、しかも、楽しくて聞きやすい。童謡の愛らしい、シンプルなメロディのなかに、これほどの熱気と凄まじいリズムが詰まっていたのか……と驚かされる。ラストの「グッドバイ」も童謡とまちがうほど溶け込んでいる。同じような童謡を素材にしても、一曲一曲性格がまるでちがう切り口になっているので聞き飽きることはない。たいした蓄積だよねー。どれか一曲ということになれば、やはり表題曲の「おぼろ月夜」でしょうか。森山さんのドラミングにひたすら聞き惚れる(その分、ピアノはメロディをつまびくだけなのだが、その弾き方がまた泣かせる)。なお、ライナーノートは原田和典さんで、最近のアホみたいなライナーを書いてる連中とはまるでちがう、なるほどと思わずうなずく名解説なのだが、「童謡」をモチーフにした、しかも森山さんがらみでもある山下洋輔の「砂山」あたりについて触れていないのはなぜだろう。大人の理由なのか。それはともかく、マジ傑作でした。もう10回ぐらい聴いたけど、当分毎日聴こうと思っております。名企画、でもあるよな。

「STRAIGHTEDGE LIVE AT SINJUKU PIT INN」(PIT INN MUSIC PILJ−0007)
MORIYAMA ITABASHI QUINTET

 収録曲を見て、うーん、これはどうやろなあと思って、買ってからしばらく置いてあったのだが、その理由は、「アリゲーターダンス」「がんばんべぇー! 東北 No.2」「渡良瀬」「サンライズ」「グッドバイ」と、全曲板橋文夫の曲で、しかも「板橋ヒットパレード」というような選曲になっている。なんじゃこれはと思いながら聴いてみると……いやー、申し訳ありませんでした。めちゃくちゃすごかった。この演奏を聴いて、なんだかんだ文句を言うひとは世の中にひとりもいないだろう……と思ってネットを検索すると、そんなことないんだなー。不思議でしかたがない。これは私としては100点満点中の1000点ぐらいだと思う。正直、手垢のついた演目を、まったくそれを感じさせず、いや、逆にまるで新曲のように新鮮にいきいきとした雰囲気で演奏したこの5人に大拍手ではないか。彼らにとって、いい曲は単なるいい曲であって、何百回何千回やってようがそれは関係ないのだろう。スタンダードというのはそういうものだ。これら板橋スタンダードが、今宵また新しい息吹を吹きこまれた……ぐらいに思っておけばいいのだ。曲がどーたらといって買ってからしばらく置いてあった自分が馬鹿過ぎる。5人の猛者というにふさわしい面子だが、ここでポイントとなるのは類家心平で、たとえばエルヴィン・ジョーンズ・ジャズマシーンにはテナーサックスが似合うのであって、フレディ・ハバードやウイントン・マルサリルが入ると、演奏はすばらしくてもなんとなく違和感がある。このバンドにおける「トランペット」の存在もそれに似た印象だったが、聴いてみると、1曲目の先発ソロから類家心平のソロがあまりにすばらしく、それを煽るほかのメンバーとも完全に一体となっており、ひたすら感心した。かっこいいーっ! いろいろなタイプの演奏をするひとだと思うが、すべてに共通してクオリティが高く、目の付け所がいいし、思い切りもよい。トランペットという楽器の良さを熟知しており、武器や攻撃法を山のように心得ている感じがしびれます。そして、川嶋哲郎のソロは、ある意味こういう音楽におけるテナーのお手本のような演奏で、お手本というとあまりいい意味にとられないかもしれないが、そうではなく最大級の賛辞であります。このひとはビーバップ的なものもめちゃくちゃうまく、とくにアーティキュレイションでここまで吹ける日本人はこれまでいなかったのではないかと最初に聞いたときに思って以来、つねに感心しまくっているわけだが、こういうモーダルなジャズでもとにかく心得まくっていて、テクニックと音楽性が合致するとここまでテナーという楽器は凄い表現力を獲得するのだなあと思うことしきり。とにかく全曲聞き惚れた。根性吹きでは到達できない、技術力・音楽性・創造性のうえにたつ熱い熱いブロウであります。あー、かっちょええ! そして、森山御大のドラムはソロイストの煽りに、自分のソロにと最高すぎるし、板橋もとにかく一曲目からめちゃくちゃテンションが高く、若手を上回るやる気が伝わってきて怖いぐらい。そして、彼ら怪物4人を支えるベースの加藤真一も見事の一言。本作は参加メンバーだれにとっても代表作といっていいのではないか。めちゃくちゃ気に入りました。傑作。

「EAST PLANTS」(OCTAVE¥LA/ULTRA−VYBE OTLCD2356)
森山威男カルテット

「マイ・ディア」がジャズ史に輝く、いや、そんなことはどうでもいい、俺史に輝く大傑作だとすると、本作は「マイ・ディア」と肩を並べる大傑作ということになる。当時学生だった私は、板橋文夫が抜けてピアノレスになり、井上淑彦と藤原幹典(どちらも亡くなったなあ……)というツインテナーを擁する森山カルテットを聴くために東京まで行き、ピットインでそれを聴いてあまりの凄さにぶっ倒れ、関西に帰ってきて、そのすばらしさをみんなに吹聴した。それと前後して、森山カルテットが関西ツアーを行い、そこでも生で聴くことができた。そのあと、本作がリリースされ、藤原幹典にかわって榎本秀一を加えたカルテットも生で聴くことができた。いやー、とにかくこの時期の森山カルテットは井上さんが音楽監督としてどーんと構えていて、その素晴らしいコンポジションとアレンジ、構成はいささかもメンバーの自由度を削ぐものではなかった。ここが本当にすばらしい点である。「マイ・ディア」はその萌芽ではなく、いきなりの完成形だったわけだが、2作目になる本作は「マイ・ディア」の延長でもあるのだが、もしかしたら森山威男の初リーダー作「フル・ロード」の延長にもある作品ではないか? というのは、「マイ・ディア」はどことなくエルヴィン・ジョーンズ・ジャズマシーン的な匂いも感じられたが、本作はパーカッションの参加が鍵であって、多彩かつ現代音楽的な要素も強く感じるこの強力なパーカッションとドラムのがっつりした絡みが本作を特異で凄まじい作品にしているからだ。だれがソロをしているときもほかのメンバーがリフやハモリなどで手を休めず、全体としてひとつの音楽になるように注意が払われているのは「マイ・ディア」と同じ。インド風を意図したのかもしれないが全然インドっぽくない1曲目「イースト・プランツ」は、ややごつい感じのテナー(榎本)から井上の見事なソプラノへの受け渡しは惚れ惚れする。曲もめちゃくちゃええ曲や。2曲目はとにかく目が点になるようなえげつないアップテンポの曲。「インプレッションズ」風のゆったりしたモードのメロディに超複雑なリフが続く。森山の鬼神のような凄まじいドラム、雷鳴のように轟きわたるパーカッション、榎本の豪快でひたむきなテナーと井上の鋭く熱いテナー、どちらも何度聴いてもかっちょええーっ、と叫んでしまう。ドラムソロの凄さはいつもとおりなのだが、そこにも井上のアレンジだと思われるアイデアがたくさん付け加わっていて感動するしかない。本作の白眉だろう。あー、凄い凄い。3曲目は森山威男の曲で、さすがに現代音楽的な変拍子。ライナーには「ガムランの激しい6拍子」と書いてあるが、私には(たとえば)7+5+3+6+6という風に聞こえる。2本のソプラノ(ハモリ強烈!)とバックはわざとずらしているような感じもする。そして、ただそれだけでソロもなく、1分ちょっとで終わる曲なのだ! しかし、凄まじい印象を残す。音符が環境依存文字になってしまうみたいなのでベタに書くと、
(たんたんたん)たたたたんたん・たたたたん・たたた・たたたたたた・たんたんたん
という感じでしょうか。4曲目はおおらかなベースラインが印象的なアフロなワルツ。ちょっとオール・ブルースを想起するような曲調。パーカッションが全体にいい効果を上げている。井上のテナーソロは、「この音! この独特の音色にあこがれてずっと聴いてたんだよなー」というあの井上さんのヤナギサワのマウピから噴出する個性的で魅力的な音を堪能できる。榎本のソプラノソロもすばらしく、そのバックで鳴らされる鐘とかもかっこいいっす。後テーマでの森山さんのドラムにも注目! 5曲目はいかにも井上さんらしい曲・アレンジで、凄まじいテナーバトルが展開する。これに興奮しないひとはいないだろう。血沸き肉踊り骨が裂け脂肪が燃えるようなえげつない演奏で、途中からはふたりとも同時に吹きまくる、という(この時期の森山4の呼び物)展開で「うぎゃーっ、かっこええ!」と叫んでいたらそのあとのドラムソロでもっと叫んでしまうという……。ドラムソロの途中で入るリフも死ぬほどかっこいい。ラストの「遠く……」は幽玄なパーカッションではじまる「マイ・ディア」をちょっと連想するような、ドラムが活躍する硬派なバラード。きらきら輝く流水のようなパーカッションが入ってる分、「マイ・ディア」よりドラマチックな感じ(ブラッシュのみがフィーチュアされていた「マイ・ディア」とはちがって井上の感涙もののソプラノソロも存分に聴ける)。そして森山のブラッシュが最後の高みを作り、パーカッションとともに非常に立体的でメランコリックな独特の世界を表現したところで本作は終わる。とにかく傑作としか言いようがない。こんな凄いアルバム、なかなかないですよ。本作に続くのはライヴの「グリーン・リヴァー」で、あれは榎本さんがかなりフリーキーな演奏をしていて、あのアルバムも再発してほしいです。

「GREEN RIVER」(ENJA RECORDS CDSOL−46403)
TAKEO MORIYAMA

というようなことを上記で書いたら、うまい具合に再発された! 「マイ・ディア」で2テナーのピアノレスカルテット、というレギュラーバンドを立ち上げ,「イースト・プランツ」でそれを深化させた森山カルテットのドイツでのライヴ。発売当時、私はジャズ喫茶で聴いたけど購入しなかったが、その理由は井上〜藤原という2テナーがリーブマン、グロスマンのようなせめぎ合いを聴かせてくれたのに対して(この顔ぶれのライヴは何度も生で聴いた)、榎本秀一のテナーは「イースト・プランツ」では超絶かっこよかったのに、本作ではソロイストとしてはフリーキーなブロウに徹していて、「あれ?」と思ったからである。その、ちょっとした「あれ?」という思いのせいで、当時アルバムを購入せず、今に至ってしまった。ものすごーーーーーーーく後悔していたので、今回の再発は本当にうれしかった。そして、今回めちゃくちゃ久しぶりに聴いてみると、本当に凄まじい演奏ばかりで心底感動した。1曲目の冒頭、伸びやかな、いかにも「テナーのええ音」という感じのふたりのテナーマンの音がブレンドしたハーモニーを聴いてるだけで涙なみだである。先発の井上叔彦のソロの圧倒的なスピード感とメカニカルなフレーズなのにパッションがあふれていることに感動し、つづく榎本秀一のソロのフリークトーンのかっこよさにまたしても涙。そして、ドラムソロを経てテーマに戻るのだが、そのときのテーマのバックでの森山威男の凄まじい煽りにまたまた涙。2曲目は井上と森山のデュオではじまる超過激で超美しいバラード。これも井上叔彦の「音色」あってこそ。ほんとに凄い演奏で、何度聴いても聞き惚れる。3曲目は榎本秀一の曲で、曲自体はバラード的にはじまるのだが、ソロに入ると森山が暴れまくり、榎本のテナーがフリーキーにブロウしまくる。そのあと登場する井上のテナーはいくらドラムに煽られようと美しい音と過激な音を交互に聴かせるかのような演奏。ふたりのテナーの熱い演奏に引っ張られるように、勢いそのままドラムソロに突入。いやー、これはすごいわ。ホルスト・ウェーバーはこのツアーでの演奏を「少しオーソドックスすぎないか」と評した、ような記憶があるが、それは山下トリオを念頭に置いての言葉であって、今聴いても十分過激で過剰である。4曲目はアルバムタイトルにもなっている「グリーン・リヴァー」で、どこかで聴いたような懐かしさのある、素朴でかわいらしいメロディラインの曲だが、テーマが終わったあとに登場する榎本秀一のゴツゴツした、一音一音積み重ねていくような武骨なテナーソロがなんともいえずかっこいい。つづく井上は逆に流暢に吹きまくり、対比を示すが、これもめちゃくちゃアイデアに満ち溢れたすごいソロである。望月英明のベースにも注目。熱いドラムソロのあと、ふたたびかわいらしいテーマに戻るあたりがわびさびですね。日本語ライナーにはこの演奏のことを「ここまで来ると森山の縦横無尽に叩きまくるドラムしか耳に入ってこない」とあるが、そんなことはまったくありません。5曲目は「遠く」という井上叔彦の曲(「イースト・プランツ」に入っている)で、ふたりともソプラノに持ち替えての日本的なテーマがなんとも言えない重厚さを醸し出している。バックで叩く森山のマレットによる演奏もかっこいい。ミュージシャンをほかのミュージシャンになぞらえて表現する、というのは本当はよくないことだとは思うが、ここでの榎本のフルートは私にはドルフィーを想起させざるをえないシリアスでリリカルな演奏である。つづく井上のソプラノソロは楽器コントロールも完璧でひたすら聞き惚れる。テーマをバックにして森山のブラッシュソロになる(「マイ・ディア」のパターンですね)が、これもただただ感涙。そして、森山単独のブラッシュによるドラムソロになるが、もうめちゃくちゃかっこいいです。これもわびさびだよなあ。テーマを聴いていると、本当に「遠く」という感じがする。終わるとすごい歓声があがるが、わかるわかる。6曲目はこれもおなじみの「ノン・チェック」で、「マイ・ディア」に入ってる曲だが、ややアレンジが変わっている。最初は井上叔彦と望月英明のデュオ。といってもフリーな感じではなく、ずっとインテンポ。そこにドラムがずずずずーっ……と侵入してくるあたりの超かっこよさよ! 最高です。そして、井上が吹くだけ吹きまくって盛り上げまくったあと、榎本のソロは森山とのデュオで、これがまたいわゆる「フリージャズ」であって、フリーインプロヴィゼイションとかではなく、あくまで「ジャズ」な演奏。ああ、血沸き肉躍るでーっ! そのあとドラムソロになるが、これだけ高揚してもパッションとともにクールさを失わず、ばりばりのテクニックで聴衆を圧倒する森山のドラムに感動。つーか、これに感動しないひとはいるのか。正直、このテーマは吹くのめちゃくちゃ難しいと思う。ラストの7曲目は「イースト・プランツ」に入っていた曲。この曲も超むずかしそうだが超かっこいいんだよなー。冒頭、井上→榎本の順でブレイクによるチェイスがあり、そのあと井上のテナーソロ。こういう演奏はフレーズ的にはメカニカルなのに、そこに加わるパッションが……って、さっきも書いたことだ。そして榎本のテナーソロは本当に凄い。森山の煽りに応えて火山の噴火のごとく吹きまくる。そのあとドラムソロの過激さとクールネスにもスタイリッシュな感動を覚える。傑作としか言いようがない。再発を心から喜ぶものであります。

「LIVE AT LOVELY」(DIW RECORDS DIW−820)
TAKEO MORIYAMA

 これが出たとき(91年)はもう就職していて、4年目ぐらいかなあ、まだ小説家になれずに投稿を繰り返し、悶々としていたころだろうか。スウィングジャーナルのジャズ評論大賞を受賞して「世の中に俺の文章を評価してくれるひとがいたのか」とちょっとは「書くこと」に意義を見出していたころかもしれない。もう結婚もしていたし、この先どうなるのだろう、このまま会社員を続けるのは無理だが、ではどういう道があるのか……と頭がおかしくなっていた時期だと思うが、そういうなかで、久しくリーダー作を出していなかった森山威男が(84年の「グリーン・リヴァー」以来)リーダー作、しかもライヴ! 聴くしかありませんよね、という感じで渇するものが水を飲むごとくにして聴いたのだが、1曲目の冒頭の森山さんのシンバルワークだけですでに全身がびりびりとしびれた感じになったのを覚えている。4人のメンバーは森山ファンならだれでも知っている不動のスターたちだが、井上叔彦のワンホーンというのははじめてなので、CDのスタートボタンを押す身としてもどきどきわくわくだったはずだ。板橋さんが抜けてピアノレス2テナーカルテットになった森山バンドはけっこうライヴを聴く機会があって(東京でも聴いたなあ)、それなりに耳なじんでいたのだが、そのときは音楽ディレクター的な立場だった井上叔彦の曲が多かったように思う。しかし、本作は(その井上が参加しているにもかかわらず)板橋文夫の曲ばかりというのも面白い(ライナーで「ハッシャバイ」も板橋作曲ということになっているがそれはさすがに……。ジャケット裏の表記ではちゃんとなってます)。などとぐだぐだ書いてきたがようするに、このライヴアルバムを当時聴いたとき、私は会社での悶々、将来への悶々、その他のなんだかんだの悶々がすべてサーッ! と晴れたことを思い出すのだ。しょうもない個人的な想い出を書くなという向きもあろうが、私としてはこのアルバムはそういうものとは切り離せない。とにかく超絶的にかっこよく、ひたむきで、パワフルで、会社の昼休み、CDウォークマンで聴いていてボーゼンとした想い出があります。このアルバムに救われた、と書くと、なにを大げさな、というかもしれないが、マジでこのアルバム(だけではなく、ほかにもいろいろ……)には救われたというか命を助けられたような気がしている(音楽自体にはなんの意志もないが、それを聴いたものは勝手に救われたり、落ち込んだり、元気になったりするのだ)。そういうわけなので、今までレビューをしなかったのだ。でも、久々に聴き直してみて、圧倒的な「音楽」であることを再認識できた。これまで2管でやっていたテーマをテナ―1本でやることのバランスの悪さ、みたいなものも含めて全部愛おしい。個々の曲について語り出すと終わらないので簡単に書くが、1曲目のおなじみ「サンライズ」のテーマ部分のシンバルレガートを聴くだけで「ひーっ」となる。板橋文夫のソロのバックの完璧すぎるドラミングと望月英明の変態的だがめちゃくちゃかっこいいベースを聴いていると、「ジャズとはなんですか?」「これです」という気になる。このピアノトリオ部分だけでも十分えげつないのに、そのあと(ワンホーンであることもあって)井上さんのテナーが圧倒的に響きわたる。たぶんヤナギサワのマウピなのだろうと思うが、エッジが立っているのに深い音で、ジャズをやろうとするには理想の音ではないか。後ろでどれだけドラムが挑発しようが、余裕をもってひたすら自分のフレーズをクールに守り通す(このタンギングのすばらしさよ! ライヴに何度も接したが、そのたびにこのタンギングというかアーティキュレイションのすばらしさに圧倒された)。それが混合して竜巻のように凄まじい場面を作り出すのだ。この混沌としたなかに真っ直ぐな光の道筋が見えている感じ……というのは70年代のスピリチュアルジャズの雰囲気も感じられる(やってる当人たちは意識していないとは思うが……)。後半、ぶっといフラジオでのブロウやオーバートーンでのノイズ的な激しいフレーズが続き、ここぞとばかりに3人がどしゃめしゃと煽り、演奏は最高潮に達する。そのあとまだドラムソロが控えているのだ。あー、凄い。凄すぎる。というわけで1曲目からこんなにテンション高くて、大丈夫なのか……と思うような演奏がカマされて、心身へとへとになっているところへ2曲目はバラードでよかった……と思いきや、バラードといっても「渡良瀬」ではないか。これはまたまた呑気に聴いてられないやつだ。井上叔彦がテーマを愛おしそうに歌い上げるが、音域が高いので最初はソプラノかと思うほどだ。上手いよなー。柔らかい音ではじめ、次第に盛り上げていき、最後は朗々とした歌い上げで締めくくる。そのあとのピアノソロは鍵盤と戯れていたかと思えば、奔放に弾きまくったり、力強い打鍵で圧倒したり……と自由自在だが、歌心はずっと保っている。多くの「渡良瀬」が録音されていると思うが、本作での演奏はそのなかでもすばらしいもののひとつではないでしょうか。3曲目はこれもおなじみの(というか本作は「おなじみの」曲しか入っていない)「エクスチェンジ」でアフロっぽいリズムのモードっぽい曲。テナーが吹くテーマを聴くだけでかっこいい。先発のピアノソロはほんとに好き放題で思いついたままやりたいようにやる! という感じの自由でパワフルな演奏。疾走感があったり、一か所に粘着するように弾いたり、と(おそらく)計算ではないドラマがある。それをベースとドラムが完璧にサポートし、爆発的なエネルギーに拡大している。井上のソロは最初、粘りつくようなへしゃげた音で吹き始め、熱狂しているバンドを一旦クールダウンしたうえで、ふたたびじわじわと自分のペースで盛り上げていく。ひとつのモチーフを延々と展開していきながら、ソロのストーリーを作っているあたりの手際は感動的である。ソロの後半はノリノリでストレートなブロウをぶちかまし、最後は絶叫系でフリージャズ的になる。吠えるだけ吠えて、びしっとテーマに戻るあたりがまたかっちょええ。ドラムソロもリズムが消えてフリーになったり、とさまざまな展開を見せる。4曲目は「ハッシャバイ」で、テナーソロは甘さを排したハードボイルドな雰囲気。後半、16分でブワーッと怒涛の吹きまくりがあり、これにはまいりました。ピアノソロはスウィンギーに歌う。ベースソロ、ドラムソロもフィーチュアされる。ラストは「グッド・バイ」で、おそらくアンコールのための短い演奏(といっても5分以上あるが)。この哀愁のテーマを、情感を殺した感じでテナーが歌うと、こんなにも切々とした雰囲気になるのかと思うような演奏。思い入れたっぷりにサブトーンで吹いたりすると、このピン……とした清冽な感じは出ないだろう。宝物のように大事な一枚です。傑作!