「セルフカバー」(デモCD−R)
本山吉田
CUBIC ZEROでも共演している吉田野乃子と本山禎朗(これでトモアキと読むのか)のデュオ。ふたりとも北海道を拠点に活躍している。これまでなんらかのバンドで演奏した自作をセルフカバーするという趣向のようだが、1曲目の本山の曲はオリジナルである本山のリーダー作でピアノトリオのTWO BOOKS TRIO(メンバーに「本」がついた苗字のひとがふたりいるためのネーミングのようだ)のアルバム「PREFACE」を持っていないので比較しようがない(そのアルバムの3曲目に収められている曲らしい)。しかし、ここでの吉田とのデュオはすばらしい。イントゥーのリズムのサンバ的な曲なのだが、とにかく一度聴いたら忘れられないような印象的な曲である。2曲目は「YAMAHA VSS−30と竹サックスによるインタールード」という曲(?)だがほぼ一瞬で終わる。CDのレーベル面に写っているのが竹サックスなのだろうが、その全貌はあまりに短くて不明である。3曲目はあの傑作キュービック・ゼロの「フライング・ウミシダ」に収録されていた曲。1曲目でもそう感じたが、デュオなのでピアノとサックスの音やからみかたが生々しくて、また、音楽自体もまったく印象が変わっていて(軽やかで、パリの街頭で演奏されていてもおかしくない雰囲気)面白かった。もとのバージョンではベースが担当していたパートをピアノが弾くことにより、タイトでドファンクな感じがほぼゼロに近いぐらい薄らいでいる。テーマをピアノとサックスが同時に演奏しているのも印象が変わっている要因だろう。途中、サックスのフリーキーなソロパートがあるが、この部分も含めてなんだか哀愁に包まれる。ええ曲や。ええ曲はどんなアレンジにしてもええ曲(「ナーダム」を見よ!)。4曲目は「IWAMIZAWA QUARTET 野乃子初期の発掘音源」に入ってるバラードだそうだが、うちにあるはずなのに今見つからないので聞き比べられない。これも哀愁の曲だが、本山のピアノソロはときどきハッとするような音使いをするのでかっこいい。途中にあるサックスとピアノのソリのアレンジもすばらしい。吉田野乃子がぐっと抑えた音量と表現で「曲」を聴かせる(最後はブロウするが)。デモCD−Rといっても内容は充実しているので、ライヴの物販などで見かけたひとはぜひゲットしてください。一応、名前が先に出ている本山禎朗の項に入れた。
「INCIDENTALLY」(NONOYA RECORDS NONOYA004)
TOMOAKI MOTOYAMA
「INCIDENTALLY 2」(NONOYA RECORDS NONOYA005)
TOMOAKI MOTOYAMA
正直、ピアノソロとかよくわかんないんだよねー、とか言いつつ苦手意識全開で聴いてみたら、そんなことはまったくなく、演奏がへろへろへろへろへろへろ……と私の身体に染み込んできた。 吉田野乃子のCUBIC ZEROやROOFTOP CAMELSで活躍するかたわら、オーソドックスなピアノトリオやソロ、歌伴、カルテットなどの活動も精力的に行っている北海道のピアニスト本山禎朗(これで「ともあき」と読むのだ)によるソロ。二枚同時発売で、並々ならぬ意欲を感じる。しかし、中身はそんな気負った印象はなく、静謐でリリシズムあふれ、クールネスを保ったインプロヴィゼイションが展開する。重々しい、音と音の距離感や響き、「間」などをじっくりと提示するような演奏。だが、その底には熱気が秘められている。全編即興というが、破綻する瞬間は一瞬もない。ちょっとしたダイナミクスにも気を配った、過激さ、過剰さを意図的に排したソロだが、つねに挑戦的な姿勢は崩していない。スケールを上下するときの音の粒立ちなどもハッとするほど鮮やかで心地よい。ピアノの絃を弾きながらの4曲目が一番過激な演奏かもしれないが、それも奏法としてはよくあるものなので、本山も自然にそういう演奏をしたというだけだと思う。ただ、演奏内容的にこの4曲目は、いわゆるフリーインプロヴィゼイションというよりきちんとメリハリのきいたリズム主体の演奏であり、コードもちゃんとチェンジしていくのだが、精神的に自由というか自在で、リズムも強烈なので、個人的にはもっとも楽しくわくわくした。本作のハイライトといってもいいかもしれない。いやー、凄かったっす。この4曲目を即興で、構成力を保ったまま弾ききる集中力と音楽性と技術力には圧倒された。この4曲目に本山禎朗の凄みが凝縮している。ラストの5曲目も、たとえばコルトレーンの最晩年の演奏のようにスピリチュアルなものを感じさせる。重厚なのだが、どこか軽やかな気分も漂い、分厚い雲のなかに立って周囲を見ているような楽しい気分もどこかにある。全体に自然体な演奏だが、これを自然体で弾き切るための音楽性、日々の鍛錬、技術力、構成力、集中力……などを考えると「すげーっ」となる。しかし、そういうものをあえて感じさせないところが本山氏の魅力だと思う。驚いたのは、本作が、ピアノソロのアルバムを作るぞ! という企画のもとでしっかりした準備を重ね、本人もそういう認識のもとに録音に挑んだ、というものではなく、吉田野乃子とのデュオアルバム「WALTZ FOR POLLY」の録音時に、ピアノがいい音で録れているし、時間もあるから、ピアノソロを録りませんか、と影のプロデューサーに言われて急遽録音したものだ、ということだ。そういう意味では、本作はやはりジャズなのだ。しかも、録音中は録音エンジニアを含めてスタッフ全員がスタジオから出て、なにが演奏されたのかは本山氏のみしか知らない状態だったとか……。すごいねー、それ。しかも、できあがったのがこれなのだから、本山禎朗はなんと自己抑制ができる人間なのだろうか。私だったら、絶対途中でわけのわからんことを叫んだり、ダジャレを言ったりしているだろう。傑作。
2作目は、1に比べるともう少し短い演奏が9曲並んでいて、どれにも副題がついているが、全編即興によるピアノソロであることに変わりはない。なぜ今の時点で、本山禎朗が全編即興のピアノソロアルバムを、それも2枚発表しようと思ったのかはわからないが、リスナーとしてその「意図」を知りたい、と思うぐらい充実した2作品だった。2は1に比べて、ややジャズ的というか、リズムやハーモニーになじみのある感じの演奏が多いような気がする。ジャズっぽいリフやフレーズがあったり、ノリを押し出したダンサブルな演奏があったりするが……これが全部即興とはなあ……。こんな表現は使い古されていてダサいかもしれないが、まるで「作曲されている」かのようである。躍動感あふれ、スリリングな2と7がとてつもなくかっこいいが、もちろんほかの曲もすばらしい。全体が組曲のようである。このあたりはプロデューサーである吉田野乃子さんの意図も働いているのかもしれない(影のプロデューサーの意図も……?)。だが、録音時にスタジオ内に本山氏しかおらず、ほかのものは全員外に出ていた、ということは、このアルバムにおける「ひとつの流れ」が、本山氏のなかから湧きあがったものだということなのだと思う。いやはや、すごい才能のひとがいるもんですね。そのことはもっとみんな驚愕していいのではないか。なお、私は本作二枚を聴いて、「キース・ジャレット」という名前だけは書かないようにしようと思っていたが、なんと影のプロデューサーがいきなり影のライナー(?)に書いているではないか。以前にトリオでの「プリフェイス」というアルバム(めちゃくちゃ傑作!)を聴いて、もっとジャズっぽい演奏をするひと(がキュービック・ゼロみたいなこともやってる)だと思っていたのだが、この2作にはやられました。引き出しが多い! いや、実際、かくあるべきなのだ、ミュージシャンも小説家も。わしはこれしかできまへん! といって本当にひとつのことしかやらないひとはあかんのです。そんなことを言ってるひとほど、じつはいろんなことを目を耳を傾け、自分の引き出しを増やしていってるのだと思う。そして、そのすべてを自分の色に染め上げればよいのだ。たぶん録音もすばらしいのだと思う。傑作。
「PREFACE」(TWO BOOKS TRIO TWBT−5001)
TWO BOOKS TRIO
大傑作やー! このレビューにおいて私は「かっこいい」という言葉を垂れ流すように使うことを宣言します。このアルバム、ほんまにしょっちゅう聴いている。編成はオーソドックスなピアノトリオだが、これだけ真っ向勝負というかストレートアヘッドに「ジャズ」を徹頭徹尾突き詰めたトリオもなかなかないのではないか。すごいよ。カタルシスというかなんというか、聴いていて「あーっ」とか「ぎゃーっ」「ぐわーっ」とかなる。ジャケットの、端正な顔つきでピシッとした服装の3人の写真にだまされてはいけない。一見、ビル・エヴァンス・トリオの3人のようだが、中身はものすごくパワフルで、右も左も吹っ飛ばすような怒涛の演奏である。知的なヤクザというか、端正なプロレスラーというか、なにを言っとるのだ、と思うかもしれないが、そういう演奏である。曲も、1曲目はベースの本間、残りの5曲はリーダーの本山によるもので、つまり全編オリジナルという意欲的なアルバムなのだ。1曲目はフリーなリズムでのピアノ主体の幻想的な即興から一転サルサっぽいクラーべのリズムになり、しばらくピアノがソロをしたあと4分ぐらいからかっこいいテーマがはじまる。そして、テーマのあとベースのソロになり、ここがめちゃくちゃ聞かせる。骨太なのによく歌うすばらしいソロだと思います。そのあとのピアノソロの入りのスケールがこれまためちゃかっこいい。何度聴いても「かっきー!」となる。猛烈に盛り上がるピアノソロからテーマに。この1曲目でこのアルバムの良さはもう保証されたようなものだ。「水」というタイトルも思わせぶりである。2曲目は「マッシュルーム坊や」という、「は?」というタイトルだが、曲を聴いてみると、「うーん、たしかにマッシュルーム坊やかもしれん」と思ってしまうような説得力のある演奏。ファンキーな感じのリズムに妙に耳に残るテーマが乗る。テーマの音の跳躍はモンク的な感じもするが、「ストレート・ノー・チェイサー」が引用されるからあながち間違ってもいないかも。オリジナリティあふれるピアノソロはただただ気持ちがよく、それを煽るベースとドラムがまためちゃかっこいいのだ。このひとがキュービック・ゼロのキーボードとはなあ……。というか、このひとがあのピアノソロ2枚を録音したひととはなあ……。いろんな才能のあるひとなのだとしみじみ。1曲目同様、ええ感じに豪快でええ感じに繊細でええ感じに歌いまくるベースソロがまた盛り上がるのだ。軽快にはじまるドラムソロが次第に熱くなっていく。非常に「ジャズ」っぽいソロでかっこいいのだが、このひとの凄さがこんなもんではないことを我々は3曲目で知ることになる。ピアノとベースがガリガリッと入ってきて(ここもかっこいい)最後はテーマに戻る。3曲目はブルージーな音使いも随所にあるソロピアノではじまる、ものすごく速いマイナーなラテンの曲(ソロ部分は4ビート)。70年代ジャズ的なあの激熱な感じが濃厚に感じられる。ピアノソロはまさに、ピアニストが汗だくで弾きまくっているのだろうと想像されるようなパワフルな演奏。そして! ドラムソロはめちゃくちゃ凄まじく、まるで荒れ狂う台風のようだが、とてつもないテクニックに裏打ちされていて、やかましさゼロ。ひたすらかっこえー! このアルバムにおけるドラムソロの白眉だろう。この曲とか、ジャズ喫茶で大音量でかけたらものすごく盛り上がると思う。煙があがるぐらいに白熱した3曲目とはうってかわって、4曲目は静謐で重厚なスピリチュアルジャズっぽい雰囲気のある曲。めちゃいい曲で、たとえばフロントにテナーがいてもハマるだろう。ドラムのきめ細やかなバッキングがいいっすね。ピアノがひたすら言いたいことを言い終えるような長尺のソロ。(たぶん)〇コーラスとか決めずにすべてを吐き出す。しかも、歌心があるので、ずっと聴いていられる。それがやはりこういう演奏の醍醐味なのだ。ベースソロもピアノ同様に歌いまくる。ドラムソロはかなりチャレンジングなもので、これもおもろい。エンディングもいい感じ。5曲目は「いのり」というタイトルのバラード。ピアノとベースの絡みにひたすら聞き惚れる。いわゆるゴスペルではないのだが、なぜかゴスペル的な雰囲気を感じる。それも、真摯な宗教歌的なものを感じるのはタイトルのせいだろうか。たぶんこのひとのなかから自然に出てきたものなのだろう。最後の6曲目はいなたい16ビートの曲。昔でいえばジャズロックみたいな感じ? 観客が「あーっ!」とか声を発するほどにノリノリの演奏。しかも、3人が一体になったプレイで、なんやかんやとムズカシイことは考えずに楽しめる。1枚のアルバムのなかにこれほどのバリエーションがあるとは、本当に素晴らしいことだと思う。
ライヴ録音ということだが、ライヴ特有の荒さはまるでなく、隅々までコントロールされた完璧な音楽性、構成力、技術が披露されていて、なにも言うことはない。また、三人が三人とも「テクニック」を披露することを恐れていないことを感じる。テクという言葉には「馬鹿テク」といったマイナスなイメージもあり、ミュージシャンによってはテクニックを否定したり、抑制したりするひともいるかもしれないが、音楽性と結びついたテクニックはそらもうバンバンやってちょうだい! とリスナー側は思う。バンド名は、リーダーの本山禎朗とベースの本間洋佑の苗字に「本」が入っているから、ということらしいが、惜しい……。なぜ、ドラマーも「本」の字の入っているひとにしなかったのか。いや、河合宗平という名をこの録音時だけでも河本宗平にしなかったのか。そうすればスリー・ブックス・トリオになるのに。いや、もう傑作なので、みんな聴いてほしいです。