sunny murray

「LIVE IN MOERS FESTIVAL」(MOERS MUSIC 01054)
SUNNY MURRAY TRIO

 メンバーはすごい。サニー・マレイ、マラカイ・フェイバースというリズムセクションにアフリカンパーカッションが加わり、フロントはデヴィッド・マレイ……という豪華版である。しかも、ライヴ。これですごくないわけがない……と思うだろうが、そうでもないところがジャズなのである。なんというか、途中でどうしてもダレるんですね。それと、全曲サニー・マレイの曲なのだが、これがいまひとつぴりっとしないのだ。ベテラン勢はともかく若きデヴィッド・マレイはこの時期なら八面六臂の大活躍をするはずなのに、残念ながら実力全開には至ってない。繰り返すが、めちゃめちゃすごいメンバーなのだ。きっと、もう少しまえの時期のサニー・マレイだったら、名盤になっていたのではないかと思う。まあ、ジャズというのはそういうものですね。もちろん、おおっと思う瞬間も多々あって、そういう意味でも惜しい作品ではないか。

「13♯STEOS ON GLASS」(ENJA RECORDS ENJACD8094−2)
SUNNY MURRAY TRIO

 サニー・マレイというとアバンギャルドなドラマーという印象かもしれないが、本作は10曲中6曲がスタンダード(しかも、とくに選曲に主張があるようには思えない)。本当のことを言うと、サニー・マレイというドラマーが革新的だったのは「スピリチュアル・ユニティ」ぐらいのもんで(あれは、シンバルだけしか叩いていないようなパルスみたいな感じで、たとえば超アップテンポをああいう風に表現しているのだという理解も可能)、あとはその後のロフトジャズ期などをいろいろ聴いても、めちゃくちゃオーソドックスでしかもけっこう下手で荒っぽいドラマーぐらいのイメージなのだ。いや、もちろん私の個人的な印象ですよ。で、そういうドラマーが、アバンギャルドであることをアピールする意味で、だいたい絶叫系のテナーとかをフロントに置いていた……というのが私のサニー・マレイ観なのである。これはほんと正直なところです。ところが本作におけるフロントは、あのオディアン・ポープである。マックス・ローチグループの番頭格であり、たしかに循環呼吸とかハーモニクスとかサキソホンクワイアとかいろいろエグいこともするが、基本的にはめちゃくちゃオードックスなところに立脚するテナーマンである……と思う。そのポープがフロントになるとサニー・マレイバンドはどうなるのか……というところが興味の中心となるわけだが、1曲目のものすごいアップテンポの曲でポープはさすがにちゃんと吹けずおんなじフレーズばかり吹いている。ここまで来ると「わざとか?」とも思ったが、まあ、ちがうでしょう。いくらアップテンポの迫力ある演奏だといっても、こんなヨレヨレの曲をアルバムトップにすえるのはどんなもんでしょう……と思いながら次を聴くと、コルトレーンのブルースで、こういうミディアムになると途端にめちゃくちゃいい感じのこってりした演奏になるのだから、なんであんな速いテンポにするのかなあ。単に「サニー・マレイがアホだから」で片付けるのはどうか。ベースのウェイン・ドッケリーもいい感じ。3曲目はサニー・マレイの曲なのだが、これがけっこうええ曲なので、サニー・マレイってコンポジションもできるのだなあと妙に感心。オディアン・ポープはこういう曲調だと説得力のある粘りに粘ったブロウをするし、ベースソロもいい感じ。4曲目のブルースだけ、アルトのマイケル・ホルンスタインというひとがゲストで入ってるが、このひともなんで入ってるのかわからないような演奏。ほかの曲も、スタンダードをジャムセッション風に演奏するものが多くて、とくに凝ったアレンジがほどこされているわけでもなく、スリリングな展開や(私が期待する)フリーな感じが出てくるわけでもなく、ポープはただ淡々とフレーズをつむぎ、ベースもマレイのドラムもフツーにバッキングをつける。それも、テンポの設定に難があるのか、遅すぎてダレたり、速すぎてぐちゃぐちゃになったりと、あんまり考えていない感じである。もしかしたらサニー・マレイというひとはそういうひとなのかもな。なんじゃこりゃーっ! というわけで、4回聴いたが、ところどころポープが循環呼吸やハーモニクスをちらっと使うところてハッとなるけど、あとはやや早めのミディアムテンポの曲でのポープのグルーヴを聴くのがよいのではないかと思いました。