「FIRST CONTACT」(KING RECORDS JAZ3029)
NAKAMURA SEIICHI QUINTET LIVE AT THE ROB−ROY
中村誠一の初リーダー作は向井滋春を加えた2管クインテットでのライヴで、山下トリオで見せたあのフリーキーなブロウは一切なく、ひたすらジャズ本来のハードバップ〜モーダルなかっこよさを追求している。メルバ・リストンの曲など選曲も渋いが、このときまで若干26歳である。すでに山下トリオで名を成していた中村誠一が、本来の自分の音楽(つまりハードバップ)をはじめて発表したアルバムだが、ここにはその後の彼の歩みというか音楽的な展開がぎゅっと詰まっている。小説家でも、デビュー作にすべてがある、と言われるが、ミュージシャンもそうなのかも。共演者全員、若々しくはじけるような演奏で、リーダー中村の自信みなぎる力強いテナーが核となっているのは言うまでもない。このあとのアルバムは自己のオリジナルが中心だが、本作はスタンダードやジャズマンのオリジナルが多い。しかし、本作の白眉は、中村の曲「ジュディのサンバ」で、これがいちばん躍動感みなぎる痛快なハードバップになっている。ういういしいなあ。
「WOLF’S THEME」(UNION RECORDS GU−5010)
SEIICHI NAKAMURA
ジャケットがかっこいいが、中身もそれに勝るとも劣らぬかっこよさである。ピアノが高瀬アキ、ドラムが古澤良治郎というのもいい。一曲目の「ウルフのテーマ」はウルフガイシリーズに捧げた中村誠一のオリジナルで、モーダルなかっこいい曲。激しくも、からっと明るいソプラノがさえ渡る。テナーで朗々と奏でられる「ボディ・アンド・ソウル」、ソプラノでかわいく演奏される「ドキシー」、中村誠一のジャズに対する姿勢をかいま見ることができる「チャタヌガ・チュー・チュー」など、おいしい演奏が目白押し。一曲をあげるとなるとやはりタイトル曲か。私はずーっと昔、この時期の中村誠一の演奏が好きでずいぶんコピーした。松本英彦とバトルしているアルバムのソロなど(たぶん)今でも覚えていて吹けるはずである。あと、持ってないけど「アドベンチャー・イン・マイ・ドリーム」というアルバムもジャズ喫茶でよくリクエストした。これもタイトル曲がいいのだ。ニューヨークから帰国後、何度かライヴに行ったが、そのころに出た「フレンチ・ダンサーズ」という、変なジャケットのアルバム(タイトル曲がこれもめっちゃかっこいい。名曲だと思う)はなぜか結局買わなかったのだ。
「取りみだしの美学」(EAST WORLD WTP−90161)
中村誠一
じつは折に触れて愛聴しているのだが、全体を通して聴くことはめったにない。しかし、B−1の「取りみだしの美学」という曲はかならず聴く。これはほんとに名曲で、ちょっと歌詞を引用すると、
乱せ乱せこの世を乱せ
取って乱して乱して取ろう
汝の乱れに付け入って
どさくさまぎれの火事場詐欺
とにかく、聴いているだけで興奮してくるような、中村誠一の世界としか言いようがない曲で、今回聞きなおしてみてわかったのだが、私の世界(講談とか漢語表現が好き)にも非常に近いのだ。今回、全体を久しぶりに通して聴いて、ああ、あとちょっとで爆笑なのになあ、という曲(?)がたくさんあった。この「あとちょっとで爆笑」というあたりがとても心地よい。ミュージシャンの余技的な距離感がいいのです。私が昔から気に入っているのは、「取りみだしの美学」以外には、「犬神権太左衛門の冒険」(そう、あの「ペニスゴリラ」です)、ピアノ浪曲「壺坂霊験記」(山下洋輔がシリアスに弾きまくれば弾きまくるほど全体がおかしくなっていく)、「静かな庵」(講談をめちゃめちゃシュールにしたようなネタ)、フリー落語「三日帰り」(これはすごい完成度。おんなじようなことを最近やっているひともいるが、あの時代にこれをやっていた中村誠一はすごい)……というわけで、同時期にでた坂田明の「二十人格」よりははるかに笑える作品であり、音楽的にもギャグ的にも完成度が高く、たとえばスネークマン・ショーあたりにも通じるアングラギャグである。大勢で聴いたらギャハハと笑えるだろうアルバム。でも、やっぱりひとりでこっそり聴くアルバムだと思うなあ。「そこのジャズ・ミュージッシャンに告ぐ」というのが笑える。「そこのジャズ・ミュージシッシャンに告ぐ。ジャズをやめなさい。ジャズはもう古い。フュージョンをやりなさい」……アホやなあ。