teruo nakamura

「UNICORN」(THREE BLIND MICE RECORDS TBM(P)−2518)
TERUO NAKAMURA

 なんとなくバラバラな、統一感の希薄なアルバムなのだが、めちゃめちゃ好き。まあ、私がそんなことを言わなくとも、昔からグロスマンフリークのあいだでは有名な作品であったが。私は中村照夫とライジング・サン・バンドのアルバムは、例のカーネギーホールの二枚組と本作しか持っていないが、それはやはりグロスマンを聴きたいという気持ちが強いからだろう。もちろん本作でもおなじみの「ニュー・ムーン」その他でグロスマンは大活躍しており、とくに「サム・アザー・ブルース」のテーマの吹き方はコルトレーンのオリジナルよりもずっとかっこよく、一時は関西のテナー吹きはみんなこのテーマの吹き方を真似していた(私も真似してみました)。ドラムのムザーンもやかましくていいし、ボーカルフィーチャーの曲(とくに「アンダースタンディング」と言う曲が強烈に印象に残る)もおもろいし、バラバラというより、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさがあり、しかも、ファンキーさとハードコアなテナーブロウもちゃんと味わえる、という意味で、ほんとにすばらしいアルバムだと思う。ジャケットも秀逸。

「TERUO NAKAMURA AND RISING SUN BAND AT CARNEGIE HALL」(AGHARTA C25R0026)
TERUO NAKAMURA AND RISING SUN BAND

 これも学生時代からずっと聴いているアルバム。先輩に下宿に行くと強制的に聴かされたので、そのうちに身体に染みこんでしまい、このアルバムなしでは生きていけない身体になり、買ってしまうのである。最近は本作のことを「知らん」とかいうやつもいるので強く言っておくが、テナーをやるひとはみんな聴かないとだめっすよ。なにしろ絶頂期のグロスマンとこれから絶頂期を迎えようかというボブ・ミンツァーの2テナーにゲストとしてランディ・ブレッカーが加わるというフロント陣なのだ。もちろんリズムも強力だが、そっちは凄腕のバカテクミュージシャンを集めたというより、グルーヴに重点が置かれた人選のように思う。とにかく1曲目のスカスカのグルーヴが心地よくてたまらんのです。ええ曲やー。最後にようやくサックスがバトルをはじめて、いよいよこれから……というあたりでフェイドアウトするという信じられないぜいたくな作り(というか腹立つ)だが、これはたぶんほっといたらいつまでもやってる連中なので、これでいいのだろう。2曲目はグロスマンっぽいというかランディっぽいというか複雑なテーマをファンキーなリズムに載せたタイプの曲で、かなり速いテンポ(途中ちょっと4ビートになる構成)。荒いギターソロのあと、超かっこいいテナーソロ(たぶんミンツァー)が延々続く。これを聴かなきゃダメよダメよダメなのよ。当時の最先端のモダンなフレーズがばんばんはまりまくる快感。そしてランディのフリューゲルソロ(これも超かっこいい)。最後はグロスマン登場でこれはひたすら自分が好きなフレーズを吹きまくる感じで、音色にも気を使いまくったミンツァーとは対照的に細かいことはきにしない感じの無骨な、個性が出まくったソロでこれまたかっこいい(ライナーに載ってる見開きの集合写真にも、やはりというかグロスマンは写っていない)。ドラム〜パーカッションの見せ場があってテーマ。B面1曲目はこれもゆっくりしたスカスカのグルーヴの曲で、アレンジがバシッとしている。テナーソロがフィーチュアされるが、間をいかした絶妙のノリのソロで、これもめちゃかっこいい(たぶんグロスマン)。ラストはスペーシーな(サン・ラっぽい?)イントロから導き出されるハリー・ウィタカーのバラード。ミンツァーのシャープな音色の美しすぎるソロがフィーチュアされる。そのあとのランディのソロもすばらしい(まるでお手本のようなソロ。悪い意味じゃないっすよ)。おそらくハリー・ウィタカーだと思われるエレピのソロも哀愁です。最後の最後にグロスマンの傍若無人なソプラノが響き渡るが、ほかの楽器に埋没していく。全体として、びしびしにアレンジでかためたようなところがまるでないのも、このバンドの特徴で、かなりゆるい。そこがフュージョンというより「ジャズ」を感じさせるところだ。もっとテナーのソロを聞きたい、というひともいるだろうが、そういうアルバムのコンセプトではないので、これはしかたがない。傑作。
べつのところで本作について同じような文章を書いたのでそれも載せときます。
学生時代、テナーの先輩にさんざん聴かされたアルバム。テナー吹きは必聴、ということらしい(練習のあと、そのひとの下宿に行くとたいがい徹夜マージャンになり、朝までなにがしかのテナーのレコードがかかっていて、今考えたら、あれはものすごいいい勉強であり、後輩への無言の教えだったとマジで思います)。フロントはスティーヴ・グロスマンとボブ・ミンツァーで(つまり、ストーン・アライアンスの前任者と後任者)、それだけでもすごい。しかもこの録音時点でグロスマンはまだ28歳、ミンツァーは26歳なのだ。その他のメンバーも今となっては綺羅星のような面々だが、これが「レギュラーメンバー」というところがまたすごい。ゲストにはランディ・ブレッカー、ハリー・ウィテイカー、ドン・ウン・ロマーノらが参加している。そして、やはりすごいのはこれがカーネギーホールでのライヴということで、日本人が大金をはたいてカーネギーホールを押さえ、コンサートをしました……というのとは根本的にちがうのだ。中村照夫は単身ニューヨークに渡り、そこからベースを覚え、バンドを組み、とうとう独力でカーネギーホールでコンサートをするに至ったのだから、その苦労は推して知るべきだが、演奏を聴くと、そんなことのかけらも感じず、ただただただただごきげんで(ちょっと古い表現かも)楽しいだけの音楽が詰まっている。なんといってもこのグルーヴ。スカスカのグルーヴの魅力は筆舌に尽くしがたい。CDのことは知らないが、私が持っているレコードはジャケットが銀色のぴかぴかで相当ヤバく、当時から異彩を放っていた。なかに入っているライナーのメンバー欄になぜかミンツァーの名前が落ちている、とか、参加者全員が並んで写っている写真(レコード2面分)にグロスマンがいない、などなかなか「え?」という部分もあるアルバムだが、本作は今、CDとして別テイクがたくさん加わった形でリリースされているのだろうか(というような感じで書いてしまえるのが評論家でも研究家でもない気楽なところ)。とにかく1曲目の「マンハッタン・スペシャル」(森士郎の曲だが、当人は参加していない)があまりに心に残る名曲で、耳に残るので、この1曲が本作のイメージを決定づけたといってもいいとおもう。サックス奏者ふたりの「音色」も本作の印象を形作るのに貢献している。この、東洋的ともいえるメロディなのに、なぜかマンハッタンを想起させるすばらしい曲は、フュージョンの名曲のひとつだろう。ビル・ワッシャーの、どこか懐かしさを感じさせるギター、(ふたりのキーボード奏者のどちらかは私にはわからんけど)キーボードソロのあと、グロスマンのソプラノとミンツァーのテナーが絡み合うようなソロをするところでフェイドアウト。これは残念。全部収録してくれ! さっきも書いたが、今出ているCDとかはこのあたりのことはどうなってるんでしょうね。2曲目の超アップテンポのサンバもエグくてすばらしい。中村照夫とグロスマンの共作だというが、いかにもそんな感じである。ギターソロに続いて、ミンツァー(だよね?)の流暢でめちゃかっこいいテナーソロ、ランディのパッションあふれるトランペットソロ(フリューゲル?)、おなじみのフレーズを含め全力でブロウしまくるグロスマン……ああああ、めちゃくちゃかっこいい! 全員、音色やアーティキュレイションのすみずみまで気持ちの行き届いているうえ、新しい表現を目指し、かつ情熱的で歌心もある、正直、完璧なソロのチェイスは本作のハイライトといってもいい。ドラムとパーカッションのデュオを経て、テーマ。この曲、マイケル・ブレッカーの曲にも相通じるあんまり部分があるような気がする。B面はあんまり聴いたことないのだが、久しぶりに聴いてみると、B−1はこりゃまたファンキーでシンプルなリフ曲で、中村照夫がいかにも好みそうな曲である。テーマのあと、これまたスカスカな音でベースもギターもものすだく空間を意識したバッキングをするなか、グロスマンが本領発揮のゴリゴリのソロを繰り広げる。もうちょっとソロが長かったら爆発まで行ってたかも……という感じだが、かっこいい。ラストのB−2はサン・ラ……と言ったら言い過ぎか、というようなスペーシーでサイケなサウンドではじまるバラード。ミンツァーの美しい、引き締まったトーンのテナーが歌いまくる。楽器コントロールも、テクニックも、表現力も、構成力も、音程もすべて完璧で、奔放に、自分の好きなように吹くグロスマンとは対照的だが、本作の成功の秘密はこのふたりの対照の妙にあるのかもしれない。つづくランディのソロも絶妙で興奮の坩堝。そのあとのキーボードソロ(おそらく作曲者のハリー・ウィテイカー自身)もすばらしい。グロスマンのソプラノも一瞬現れる。かなりあざといアレンジも、これ以上やると下品になり、これ以下だと物足りない、という「ちょうどええとこ」を突いていて最高であります。うーん、CDには追加曲とかはなさそうだな。残念。まるごと出してほしい傑作。