「自由の意思」(PSFB−1)
五海裕治写真集「自由の意思」付属CD
「自由の意思」というめちゃめちゃ高い写真集の付録CD。「アンダーグラウンドミュージシャンたち」の写真・インタビュー集ということで、ここに収録されているミュージシャンはみんなアングラな存在ということらしい。ブロッツマンとか、よく怒らなかったもんだ。あと、写真集の帯に、付録CDの参加ミュージシャンとして、井上敬三がクレジットされているが、実際には参加していない。井上さんの音が聞けると思って、そのためだけに高額な写真集を購入する人もいるはずだから、これはまずいのでは? まあ、そういうことはいいとして、肝心の内容だが、インプロヴァイザーの短編集的なものである。いつもの演奏の一部分を切り取ったような、ショーケースになっている人もいれば、何やこれ? 的な人もおり、まとまりは皆無で、とりとめのないアルバム。アルバムというか、ほんと、付録だと思って聴かないと。そういう意味では、いちばん個人的におもしろかったのは、もっとも「フリー・ジャズ的」だった三上寛の歌と浦邊雅洋のアルトのデュオ。すごくオーソドックスだが、臭い個性を放っている。吉沢さんやデレク・ベイリーも良かったが、いつもの演奏の一断片という感じ。ずらずらっと演奏が並ぶなかで、際だって聞こえることはない。ちなみに、向井千恵は、胡弓ではなく、ピアノを弾き語り(?)しており、ずっとオスティナートみたいなのを弾いて、そのうえで自分に酔ったような鼻歌を延々と歌っているが、これって癒し系?
「FAITH & POWER」(WIRE ESPW1)
AN ESP−DISK SAMPLER
なんと、無料で配っていたらしいESPのサンプラーである。ESPのサンプラーというものが存在することにまず驚くが、しかし、サンプラーだろうが無料だろうが、なかに入っている演奏は、やはりアイラーの「ゴースト」であり、オーネットの「タウンホール」であり、サン・ラの「太陽中心世界」であり、チャールズ・タイラーであり、フランク・ロウであり、フランク・ライトであり、ソニー・シモンズなのである。悪いわけがない。でも……サンプラー。実は、しょっちゅう聴いてしまうのだ。なぜかというと、うちにあるそれらのアルバムはほとんどがレコードなので、ちょっとアイラー聴きたいなというときにこのCDをデッキに入れ、スタートボタンを押すと、いきなり明瞭な音であのゴーストの最初のイントロのテナーのフレーズがはじまる……というわけで、重宝といえばたいへん重宝なのだった。いいのかそんな手軽なことで、と思わないでもないけど。
「WILDFLOWERS:LOFT JAZZ NEW YORK 1976」(DOUGLAS RECORDS AD−10)
ロフトジャズの絶頂期をとらえた5枚のLP、「ワイルドフラワーズ」は私もそのうち3枚を持っているが、それが編集しなおされてCD3枚組になったというので購入してみた。あの5枚組には入っていない演奏も収録されているようだ。ロフトジャズというのは、私の印象だと、よいも悪いも玉石混淆で、よい演奏も、途中がダレるのは覚悟しなければならない……みたいなところがあるが、なにしろ3枚組だ。よほど腰を据えて聴かないと……と購入してからかなり長いあいだほっておいたが、ついに意をけっして聴いてみたのである(そんなたいそうなもんか)。いやー、LPのときよりずっと好印象でした。とりあえず曲ごとにリーダー名と寸評を。
1枚目
1−1・カラパルーシャ……ベースのオスティナートが印象的な曲。カラパルーシャが、ダーティなトーンも交えつつ、ソウルフルにテナーをブロウ。このひとは、こういう風にあまり考えないでガーンと行ってくれるといい。残念ながら、3枚組通してカラパルーシャ・モーリス・マッキンタイアの出番はこの曲だけ。
1−2・ケン・マッキンタイア……パーカッション二人とアルト、それにピアノという変則的な編成。テーマはドルフィー的。キイキイいうフラジオを連発しながらの熱いブロウで、非常によい。ベースがいないのが成功している。チープなピアノもよい。
1−3・サニー・マレイ……デヴィッド・マレイとバイアード・ランカスターがフロントという、今から考えるとめちゃ豪華なメンツで「オーバー・ザ・レインボウ」をやる、というわけのわからん演奏。バイアード・ランカスターのソロがめちゃチープでよい。昔はこういうソロが許せなかったのだが、私も軟弱になった。マレイは出番なし。
1−4・サム・リヴァース……ロフトジャズといえばこのひと。ソプラノの演奏ではあるが、ベースがまるでチェロのようにアルコで小刻みなパルスを発信し、そこにからむ野太いソプラノは、ちょっとエヴァン・パーカー〜バリー・ガイすら思わせるようなフリーインプロヴィゼイションから、ブラックミュージック的なモード風のブロウに移行する。さすがじゃ。
1−5・ヘンリー・スレッギル……要するに初代エアーの3人。アップテンポの4ビートに乗ってのリズムが崩れそうで崩れないタイプの、いかにもロフトジャズといった演奏だが、やはりエアー時代のスレッギルはそれほど好きになれない。終わると、ものすごい拍手が来るのだが、いまいちよくわからん。
1−6・ハロルド・スミス……よく知らないドラマーがリーダーだが、サイドがバイアード・ランカスター(ここではテナー)、オル・ダラのラッパ、ドン・モイエのパーカッションなど豪華7重奏団。演奏の頭は切れている。アート・ベネットという、よく知らんソプラノがひょろひょろしていて気にいらん。そのあと、だらだらしたピアノソロをはさんで、バイアード・ランカスターが出てくるとさすがの貫祿。でも、全体のだらだら感は変わらず。こういうのがロフトジャズの典型なのだ。
1−7・ケン・マッキンタイア……1−2と同じメンツだが、マッキンタイアはフルート。このフルートが、めちゃめちゃ下手に聞こえる。ま、ええけどね。
1−8・アンソニー・ブラクストン……大物登場。ボントロがジョージ・ルイス、ギターが(いまだにこのひとのことはよくわからない)マイケル・グレゴリー・ジャクソン、ベースがフレッド・ホプキンス、ドラムがバリー・アルトシュルとフィリップ・ウィルソンという豪華なメンバー。ブラクストンはアルトとクラと、コントラバスサックスを吹く。コントラバスサックスは、ほとんどノコギリをギコギコギコ……と弾いているような音だが、リードがきしませるようにしてキイキイした高音も出す。でも……だからなんなんだ、というような観念的な演奏。
1−9・マリオン・ブラウン……このひとの音色はどうもぴんと来ない。昔はかなりたくさんレコードを買ったが、全部売ってしまいました。ここでの演奏は、ベースとドラムはいるのだが、基本的にアルトの無伴奏ソロ。いろいろとがんばってる。でもなあ……久しぶりに聞いたが、やはり私の好みではないようです。
2枚目
2−1・レオ・スミス……オリバー・レイク、アンソニー・デイヴィス……といった強者(ツインドラムス)をしたがえての演奏だが、レオ・スミスも昔から苦手な部類に属する。観念的なのでどうもこう……スカッとしない。冒頭のオリバー・レイクはいい感じなのだが、そのうちにぐちゃぐちゃになってパワーが分散してしまう。
2−2・ランディ・ウェストン……なんでこのひとがこんなところで! 大物なのになあ、この時代はロフトぐらいしか演奏の場がなかったのか。この3枚組通して、もっともストレートアヘッドな演奏だが、ピアノはすばらしい。ドラムレスでコンガをくわえた編成。
2−3・マイケル・ジャクソン……マイケル・グレゴリー・ジャクソン、このひともよくわからんひとである。リズムはすごいし(フレッド・ホプキンス、フィリップ・ウィルソン)、オリバー・レイクのサックスもいい感じなのだが、本人のギターがなんともフォークソング的というか、しっくりこない。これは、このひとのリーダー作を聞いても感じることだ。
2−4・デイヴ・バレル……ランディ・ウェストンほどではないが、非常にストレートアヘッドな演奏。ちょこっとフリー気味になるが、味付け程度で、基本はしっかりしたピアノトリオ。ベースはスタフォード・ジェイムズ。
2−5・アーメッド・アブダラー……テナーは私の好みであるところのチャールズ・ブラッキーン。ラッパのアーメッド・アブダラーも小気味よく、ハードにブロウするひとで好きです。このフロントでたしかシルクハートから出たアルバムを持ってるような気がする。エレベとアコベがひとりずつ参加しているところが聞き物(冒頭部でフィーチュアされるが、全体をとおして活躍している)。ソリストはみんなすばらしく、ギターソロもよい。ブラッキーンがテナーソロのあと、持ちかえてソプラノを吹くが、これもまたよい。マグマのように熱い、ロフトジャズのええところを凝縮したような演奏である。かっこええ!
2−6・アンドリュー・シリル……ラッパがテッド・ダニエルズ、テナーがデヴィッド・ウェア。こんなメンツのアルバムも持ってるような気がするなあ。ウェアがさすがのヘヴィなブロウを展開し、テッド・ダニエルズもよいが、リズムを崩した演奏なので、ちょっとダレる箇所もあり。
2−7・ハミエット・ブルーイット……ラッパにオル・ダラ。ギターがふたり、ベースがジュニ・ブース、ドラムがチャールズ・ボボ・ショウとドン・モイエという豪華絢爛なメンバーで、スローなドブルース。ブルーイットのペラペラした音のクラリネットがニューオリンズ的ないい味を出している。
2−8・ジュリアス・ヘンフィル……これも豪華なメンバーで、アブダル・ワダドのチェロ、バーン・ニクスのギター、フィリップ・ウィルソンのドラムにドン・モイエのパーカッション……と意識的にベースを排した、漂うような浮遊感のある演奏である。
3枚目
3−1・ジミー・ライオンズ……レギュラーグループによる演奏だと思う。このひとの硬質なアルトは、自己のグループのときは、セシル・テイラー・ユニットのときとはまるでちがう輝きを放つ。バスーンもいい味を出している。
3−2・オリバー・レイク……2−3とリーダーが入れ代わっただけで、まったく同じメンバーによる演奏だが、内容はまるでちがう。ダークな雰囲気をずっと保ちながら、オリバー・レイクのアルトが空間を切り裂くような鮮烈さを見せ、ベースとドラムも見事にサックスをフォローする。問題のマイケル・グレゴリー・ジャクソンのギターはというと、この曲に関しては邪魔になっていないんじゃない?
3−3・デヴィッド・マレイ……オル・ダラ、フレッド・ホプキンス、スタンリー・クロウチを従えた、おそらくこのときのレギュラーバンドでの演奏。おなじみの「シャウト・ソング」だが、2分45秒とは、なんともはや短すぎる。
3−4・サニー・マレイ……1−3と同じメンバーだが、1−3がスタンダードナンバーの、ある意味軽めの演奏だったのに比して、こちらは17分という長尺の演奏で聴き応えあり。サニー・マレイもまだ元気だし、それにからむフレッド・ホプキンスのうねりまくるベースがまたかっこいいし、カーン・ジャマルというひとのヴィブラホンも、甘さを排したハードなソロで非常によいが、なんといってもデヴィッド・マレイのテナーが超重量級のブロウを繰り広げて凄い。フレッド・ホプキンスのベースソロもフィーチュアされるが、これもずっしり来るなあ。バイアード・ランカスターのフルートもよい。ようするに全部よいのであって、この3枚組の白眉といっていい演奏である。
3−5・ロスコー・ミッチェル……3枚組の最後をしめるのは、アート・アンサンブルの大御所ロスコーのサックスに、ジェローム・クーパーとドン・モイエのツインパーカッションという意欲的な編成の演奏で、しかも25分近い長い演奏だが、これがめっちゃおもろいのである。冒頭からロスコーはただひたすら延々と同じフレーズを吹きつづけ、パーカッションのふたりが暴れまくるという展開。いやー、これは凄いわ。どうなるのかと思って手に汗握って聞いていると、10分あたりでようやく場面がかわり、無伴奏ソロっぽくなるのだが、これも一筋なわではいかぬ、変態というか変わり者というかすねもののロスコーだけのことはあって、こういうのを現代音楽の影響とかの言葉で片づけてしまっていいものか。やはり、レスター・ボウイ同様のシニカルかつブラックな音楽性が底辺にあるのだろう。ジョセフ・ジャーマンとはまるでちがう。だからこそアート・アンサンブルはうまく機能していたのだろうな。聴衆が真剣に聞き入っている様子が浮かんでくる。そして、フリークトーンによる絶叫的演奏になだれ込むが、ここも血湧き肉躍るほどかっこいいんだよなあ。パーカッションだけを従えて、これだけのドラマを演出できるロスコー・ミッチェル……たいしたおっさんである。3枚組ロフトジャズのドキュメントをしめくくるにふさわしい、凄まじい演奏を堪能した。
「INSPIRATION & POWER 14 FREE JAZZ FESTIVAL 1」(TRIO RECORDS PA−3157〜58)
このアルバムとの出会いがなかったら、私は山下トリオのようなガンガン行きまくるフリージャズだけしか知らない人間のままだっただろう。私は「遅れてきたフリージャズファン」であって、私がジャズを聞き出したときは、山下トリオを坂田明が去る直前で、世の中はフュージョンブームのまっただ中。日本のフリージャズの新譜などほとんど発売されず、地方在住の私には、どこでそういう演奏が行われているのかもわからなかったし、わかっても聴きに行くことはなかなかできなかっただろう。そんなとき、このアルバムが再発され、かつて(そのころから10年もまえに)すばらしい、というか、すさまじいフリージャズのコンサートが行われたことがわかった。その音楽的成果のあまりの豊饒さに愕然とし、フュージョンという音楽(全部ではないにしても)があまりに一面的で薄っぺらなのに悲しくなった。日本のフリーといってもいろいろあるんだなあ、ということにはじめて気づき、よし、これを全部聞いていこう、と決意したのである。このアルバムを聴いたことが今に至る自分の道を決定したのである。二枚組で全部で8曲収録されているわけだが、まず冒頭のニューハードによる演奏にノックアウトされた。ニューハードは、私がこのアルバムを聴いたときは、上田力のアレンジによるフュージョンばかり演奏していて、私の関心からはもっとも遠いことをしていたわけだが、ここに聴く演奏は、力強くシンプルなリフと混沌としたサウンドをうまくミックスし、そこにビッグバンドならではのダイナミクスを強調しためちゃめちゃかっこいいものである。この曲はほんとに何度も何度も聴いたなあ。「エル・アル」に代表されるように、当時のニューハードはまさに世界的にもワンアンドオンリーのことをなしとげていた。もう、聴きほれちゃいます。二曲目は、あの「インランド・フィッシュ」。つまり、吉沢元治ベースソロ。これもすばらしい演奏。もの足らないひとはフルアルバムでたっぷり堪能すべし(ただし、アルバムのほうは1年後の演奏)。ビッグバンドとソロが片面に入っているというのもおもしろい趣向ですね。B面に移って、沖至クインテット「オクトーバー・リボリューション」。あの「しらさぎ」に入ってる曲だが、そちらが宇梶昌二のバリサクをフィーチュアしているのに対して、本盤では高木元輝のソプラノが大きくフィーチュアされている。これが凄まじい演奏で、マイルス的なエコーマシンを駆使したソロをフリージャズに応用するとこうなる……というようなアグレッシヴで爆発的なサウンド。二曲目は、このアルバムでしか聴けない藤川義明の幻のグループ「ナウ・ミュージック・アンサンブル」の演奏。片山広明がまだアルトを吹いている頃である。全員で「ドーレーミーファーソー……」と音階を小学生のようにユニゾンで吹いていくところからはじまり、しだいにそれが崩れていき、なんだかよくわからない混沌としたパーォーマンスに突入する。アジ演説のような、ダダ的な演劇のような、シニカルなユーモアのような、とにかくいろんな要素が吹き荒れる。もちろんこうしてレコードで聴くだけでは全貌はわからないタイプの演奏だが、こうしてここに記録されただけでもありがたい。二枚目A面は、富樫雅彦と佐藤允彦デュオ。これがめっちゃいい。これもまた、たっぷり聴きたいひとは「双晶」を……ということになる。そして二曲目、高柳昌行ニュー・ディレクションの「集団投射」。このアルバムで私ははじめてニュー・ディレクションの演奏に接して、あまりにえげつないのでショックを受けた。うわー、これはめちゃめちゃすごいわ! とスピーカーのまえで慄然とした。以来ずっと高柳さんのファンである。フリージャズを形容するときに「凄まじい」という言葉をよく使うが、この演奏ほど「凄まじい」という言葉がぴったりのサウンドはない。世界中のフリー系のギタリストは全員、好き嫌い、善し悪しなどなどは別として、一度はこのサウンドを通過して、真似るなり無視するなり乗り越えるなりして、自分のなかで折り合いをつけなければならない、という宿命を負っているはずだ。B面に移って、これも貴重な録音だと思うが、有名だが聴くすべのない佐藤允彦「がらん堂」による演奏。シンセというかまだまだチープな音のエレクトロニクスを前面に出したトリオ演奏で、これがなかなか興味深いのだ。いろいろな可能性をぎゅーっと凝縮してあるようで、これがのちのいろいろなものに展開していくのだなあ、とわかる仕組みになっている。ラストは森山威男を擁した山下トリオ絶頂期の演奏で、すべてを暴風のように吹き飛ばす。この二枚組、できれば3枚組、いやいや4枚組、いやいやいや10枚組ボックスにしてほしかったようにも思うが、今のように簡単にCDができる時代ではないときに、二枚組のフリージャズのアンソロジーを作ったその苦労を思うと頭が下がる。アンソロジーとしても、一種のショーケースとしても貴重である。これを聴いて、興味をもったミュージシャンの個々の作品を聴いていく……というように発展していけばいいのだ(実際に私はそうしました)。
「HELL’S KITCHEN」(DIW RECORDS DIW−405)
LIVE FROM SOUNDSCAPE
おいしくておいしくてあまりにおいしすぎて、よだれを垂らしながら何度も何度も聴きましたですよ。よくこのライヴが録音されていたなあ、と僥倖を神やら仏やらに感謝したいぐらい。1曲目のオデオン・ポープ・トリオは、ようするに「あの」トリオで、ベースかジェラルド・ヴィーズリー、ドラムがコーネル・ロチェスター……そう、「あの」トリオだ。いやはや、たまらんなあ。このトリオの演奏を知らんひとは不幸ですよ。めちゃめちゃかっこいいのだ。スカスカのファンクで、あらゆるジャズ〜ロックを通過したものだけに可能な、このグルーヴに満ちた、重戦車のようなヘヴィ級モードジャズは、おいしすぎる。二曲目はこれまたすごくて、ブロッツマン、ハリー・ミラー、ルイス・モホロのトリオ。これはもう説明する必要ないですね。そして、3曲目はまってましたチャールズ・ブラッキーン〜エド・ブラックウェルデュオ。好きやーっ、こういう音。ブラックナスと自由さに満ちあふれた、本作の白眉といっていい演奏である。もう、何度でもリピートして聴きたくなる。最後を飾るのは、ドン・チェリーが洞窟のなかで行ったソロ2曲で、トランペットは吹いていない。これもシリアスかつ飄々とした遊び心のある演奏で、すばらしい。このアルバムはほんとうに宝物のような演奏がつまっていて、ずっと聴き続けていきたいと思う。
「TRIO BY TRIO +1」(ビクター・DEEP JAZZ REALITY DTHK−012)
山下洋輔トリオ、沖至トリオ、大野雄二トリオ、笠井紀美子
二枚組での再発だが、正直いって、山下トリオ(と沖至トリオ)だけが目当てなので、半分でいいのになあとか思ったりしたが、こういうときに、目当て以外の演奏がめちゃめちゃよくて気に入ったりする場合も多いので、そういう偶然に期待して聴いてみた。1曲目、山下トリオの「ドレ」は山下〜森山の激しいデュオではじまる。昂揚したところに満を持して切り込んでくる中村誠一のテナー。うひー、かっこいい! 激しいフリーフォームで、山下本人が「でたらめ」と言い切る(当時)演奏なのだが、実際は、サックスの鳴らしかたからなにからなにまで完璧で、きっちりとアイデアを持って、具体的なフレージングを試みていることがわかる。すごい。すばらしい。テナーの無伴奏になるところ(何回かある)も、あまりにスピード感がありすぎて、バックがなくなったことがわからんほどである。たった11分強の演奏だが、その中身は濃く、LP両面を聴いたほどの充実感がある。これが1970年の録音というのはちょっと信じがたい。オーネット・コールマンがフリージャズというものを開発(?)して10年もたたないうちに、極東の島国でここまでとんでもないレベルの演奏が行われていたのである。これは世界に誇っていいと思う。70年といえば、万博の年であって、マンゲルスドルフやジョン・サーマンを含むヨーロピアンオールスターズが世界最先端のジャズとして来日したころであるが、この山下トリオの音楽のほうがはるかうえを行ってないか? 音楽に上下をつけるのは愚昧な行為であろうが、ここはあえて、当時の山下トリオのすごさをはっきりさせるために、「中村誠一を擁した時期の山下トリオは世界一のグループだった」と断言したい。まあ、ちょっと弱気になって、「グループのひとつだった」でもいいか。坂田明が加わった時期は、もちろん超すごくて超好きで超かっこよくて超おもしろくて私のもっとも敬愛する時期なのだが、そのころは世界中を見渡すとフリージャズのいいバンドがたくさんあって、がんばっていて、しのぎを削っていて、その頂点集団に山下トリオがいたんじゃないかなあと思う。しかし、70年だとちょっとここまでのものは思いつかない。70年って、アイラーが死んだころ、オーネットがデューイ・レッドマンとやってたころ、シェップがBYGに録音してたころ、セシル・テイラーがインデントとか録音するまえでしょう? やっぱり山下トリオは突出していたと思う。2曲目「木輪〜グガン」は「木輪」の部分はソプラノだが、これがめちゃめちゃいい。中村誠一のソプラノはほんとすごすぎる。「ダブル・レインボー」のコンサートのときも、客席で鳥肌がたった。「グガン」になるときにテナーに持ち替えて、パワーミュージック的展開になるが、いやー、この2曲、あわせて23分強のためにこの2枚組を買ってもぜーんぜんだいじょうぶですよ。つづく2曲は沖至トリオで、エレクトリックを導入するまえのアコースティックな演奏。誠実で真摯な演奏だ。あのぎらぎらするような切迫感や、身体が宙に浮くような飛翔感はないが、どっしりと地に足のついた輝きに満ちており、これがあの「殺人教室」と同じ年の演奏だと考えると感慨深い。このあとほんの数年のあいだに彼の音楽はとてつもなく進化し深化していったのだ。2曲目ではバケツの水にトランペットを突っ込んで吹いているらしいが、「ええやん!」と思いました。2枚目は、大野雄二トリオと笠井紀美子の加わった演奏、そしてジャムセッションなのだが、これもたぶん悪くないのだろうが、山下トリオ(と沖至トリオ)を聴いたあとではあまりに軽やかで、はれほれひれはれと流れていくのみ。土台むりがありますよ、この3組を同じアルバムに収めるのは。
「MELLOW MAYHEM」(JCR RECORDS JCR MC902)
LIVE AT THE JAZZ CAFE
1987年頃にイギリスの「ジャズ・カフェ」という店で録音されたらしいコンピレーション。ライヴということになっているが拍手や客席の音はほとんど聞えない。A−1はテナー奏者エド・ジョーンズのカルテットで、エド・ジョーンズといえば日本でもおなじみだが、アシッドジャズ、ロック、フュージョン的な活動は知られていても、ここで聞かれるような、デューイ・レッドマンの曲をまるでチャールズ・ブラッキーンのように野太い音でブロウするといった演奏を想像することはあまりないのでは。この演奏はすごいです。すごいし、うまい。ピアノもめちゃかっこいい。2曲目は、このアルバムの白眉というべき演奏で、キース・ティペットとアンディ・シェパード(ソプラノ)のデュオ。例の「44リップスティック」のライヴ盤ということだが、異常に繊細で、凄まじくも、ハイクオリティかつド迫力の演奏が繰り広げられる。この曲以外にもすごい演奏をこのデュオが披露しただろうと思うと、それも聞きたくなってくる。3曲目はマーヴィン・アフリカというピアニストによるボーカル(たぶん本人)入りの謎の演奏で、「ムバタンガ・ブルース」というタイトルだが、まったくブルース形式ではない。線は細いけどやたらブロウする明るいテナーがフィーチュアされており、客も喜んでいる。B面にいくと、私は少なくともまるで知識のないデイヴ・オーヒギンズというテナー奏者(かなり荒っぽい吹き方)のカルテット。ピアノレスでギター(かなり変態)が入っている。曲はオーネット・コールマンのバップ風のブルースで、テナーのひとのソロはバップ的でもあり、モードっぽくもあり、フリー寄りでもある(調べてみると、最近はビッグバンドなんかもバリバリやっていて、リーダー作も10枚以上出ていて、エリック・アレキサンダーとテナーバトルのアルバムも作っている有名なひとらしい)。2曲目は、これは有名なクロード・デッパのトリオ。ドラムがルイス・モホロ。デッパとモホロが掛け合いで「ウォーザ」という言葉を掛け合い風に叫んでいき、それが次第にバップスキャット的になり、そのうちに曲になっていく。デッパのトランペットも相当荒いが、まるでアフリカにいるような、というか原始時代にいるようなプリミティヴな気持ちにさせられる(この面子なら当たり前か)。トランペットだが、ちょっとアイラー的。こういうのはいいなー。ラストはこれも超有名人でフルートのフィリップ・ベントのクインテット。曲はブルースだが、シンセ的な音の不穏な感じが、ゲイリー・トーマスを連想させたりして。このひとはやはりアホみたいにうまいわ。ただしギターソロはややだれる。おもしろいコンピなので好事家のかたは聞いてみてください。
「LIVE AT THE KNITTING FACTORY VOLUME25(SAIDERA RECORDS TKCB−30258)
VARIOUS ARTISTS
ニッティング・ファクトリーでのライヴを集めたコンピレーション。なんだかよくわからないものから、けっこう古いパターンのもの、どう考えてもジャズじゃないものまで、いろいろ入っててすごくおもしろい。1曲目はサム・ベネットがボーカルで、これがめちゃうまいのだ。ポップで、パーカッションが前面に出た演奏でおもしろい。2曲目はナイロン弦のギター一本でアイラーの「ゴースト」をやっているのだが、途中からカントリー・アンド・ウエスタンみたいになり、ゴーストである意味はよくわからんけど、おもしろい。3曲目はサム・ベネットとネッド・ローゼンバーグとキーボードとボーカルというカルテットで、ネッドのアルトのソロからはじまり(ここは、いつものネッド)、そこにドラムなどが入ってハードロックみたいになってはしゃいだボーカル(めちゃおもろい)が入るというわけのわからん音楽。ネッドがまるで梅津さんのようにロッキンなサックスを吹いていて、おもしろい。4曲目はイクエ・モリ、フレッド・フリス、マーク・ドレッサーという硬派なトリオでのフリーインプロヴィゼイション。5曲目はミラ・メルフォードのソロピアノ。構築美を感じさせる、鈍く輝く黒いガラスのような演奏。おもしろい。6曲目はメルヴィン・ギブスとフェローン・アクラフを擁するソニー・シャーロッククインテットの演奏。めちゃかっこええ。ツインドラムで、シャーロックがひたすらギターを弾きまくる。16ビートのえぐい演奏だが、じつはこのアルバムのなかでいちばんジャズっぽかった。おもろい。7曲目はクリスチャン・マークレイとサム・ベネットのデュオだが、ターンテーブルを使っているので、まるで大勢のミュージシャンがいるような音がする。こういう演奏を聴くと、ターンテーブルを使った即興の意味はすぐにわかるし、このライヴが録音された当時は、まさに最前線ぴかぴかのやり方だったと思う。おもしろい。8曲目は3曲目と同じメンバー。ボーカルのシェリー・ハーシュがあまりに表現力があって、全部を仕切っている感じ。このグループの2曲が、私にとってはこのコンピ中でいちばんおもしろかった。おもしろい。9曲目はジョーイ・バロンのソロなのだが、単なるドラムソロではなく、キーボードやギター(?)やライヴエレクトロニクスなどを中心にした演奏なのである(後半、ドラムソロになる)。こういうことをドラマーがやる、というのが、おそらく当時のニッティングファクトリーの界隈では、あたりまえに行われていたのだろう。そういうことが求められていたし、ミュージシャン側もやる気があったのだろう。おもしろい。10曲目はグレン・ヴェレスというひとのグループで、ムビラやバンスリフルートといった各種民族楽器やパーカッションなどを用いた演奏。プリミティヴだが、現代的な側面もある演奏で、11拍子なのにもかかわらず、聞きやすくておもしろいが、このコンピレーションのなかでは浮いている。でも、当時のニッティング・ファクトリーがこういうものも許容していたのがわかって面白い。考えてみたら、今、けっこう尖った音楽ばかりやってるライヴハウスでも、シタールとかダルシマーとかのライヴやってるもんな。そういう感じなのか? 11曲目は10曲目のメンバーからムビーラをのぞいたトリオ。10曲目よりももうちょっと幽玄な雰囲気で、(たぶん)尺八とかもフィーチュアされるが、途中から細かい律動のある音楽へと変貌していく。バンスリフルート(?)の演奏が非常にテクニックがあるうえ、官能的な喜びに満ちていて感動的である。
「IMPROVISED MUSIC NEW YORK 1981」(MU WORKS RECORDS TKCB30574)
デレク・ベイリーを招いて(?)、当時の気鋭のニューヨークのミュージシャンたちが繰り広げた即興三昧……という感じなのかな。参加メンバーは、デレク・ベイリーのほかに、フレッド・フリス、ソニー・シャーロック、ジョン・ゾーン、ビル・ラズウェル、チャールズ・K・ノイエス。超豪華メンバーだが、たぶん当時はそんなでもなかったのだろう。短い演奏が多いし、クレジットもないので、ギターはだれがどこに参加しているのかよく分からないが(とはいっても、スタイルがまるっきりちがう3人なのでだいたいはわかる)、全員でいっぺんに……ということではないかもしれない。1曲目は、ギターはふたり以上、パーカッション、ヴォイス、ベース……とほぼ全員参加だが1分ちょっとしかない。2曲目はベースの低音が重々しく響くうえを、ギターを中心にいろんな楽器がちょこまかと動く展開ではじまり、じわじわと蠢いていくタイプの即興。ジョン・ゾーンはたぶん、ホイッスル的なものを吹いている。マウピ? 3曲目はベースをパーカッション風に弾くところから、いろいろからんでくる。サンプリング(?)みたいなバップフレーズの断片も聞かれる。テープかも。4曲目はギターとサックスのデュオかトリオ。途中でヴォイスとかも混じる。基本はギター。5曲目はかけあいっぽい即興。6曲目は静かな演奏だが、手探り感もある。7曲目はパーカッションが主体。躍動的で面白い。全体に、今の耳で聞くと、めちゃくちゃ聞きやすいものばかりだが、逆にいうと、あまり当時のとんがった雰囲気が伝わらない、和気藹々とした演奏なのだ。それが悪いということはまったくなく、現に、このアルバム、すでに5回ぐらい聴いている。
「SAXOPHONE ANATOMY」(DEATHRASH ARMAGEDDON AN−R6)
三人のサックス奏者による無伴奏ソロが1曲ずつ入ったオムニバス。まずは最初の中国のアルト奏者LAO DANの演奏に心惹かれる。いきなりのスクリームからはじまるソロは、あらゆるフリージャズのファクターを詰め込んだといっても言い過ぎではないぐらい引き出しの多い、しかもそれらを見事につなぎ合わせてドラマに仕立てたすばらしい演奏で、このひとはアメリカツアーもしているぐらいのひとらしいが、韓国はともかく、中国のフリーインプロヴァイズドミュージックシーンのことはほとんど私は知らないのでちょっと愕然としました(レッド・スカーフという即興グループにも所属しているらしい)。ガッツのある、私の好きなタイプのフリー「ジャズ」という感じの演奏で、途中声を出したり、非常に雰囲気のあるアナーキーなソロで感動。遼寧省にある中国軍の軍事施設の地下シェルターでのゲリラ的な録音なのか? 写真を見るかぎりでは、トンネルのなかみたいなところで髪の毛をぴしっと調えた中国人がアルトを吹いているのだが、演奏はそういう印象とはかけ離れたノイジーなものでかっちょいい。。いやー、中国での即興シーンについて知りたいこといろいろ多し。2曲目はフィリピンのリック・カントリーマンというひとのアルトソロ。これはメロディアスなフレーズが核にあり、それをいろいろ発展させるという感じ。テクニックも含めて非常に安定していて、アイデアをきちんと膨らましていくような正統派のやりかたを根底に、それでもなにかを模索し殻を破ろうという意欲を感じるなかなか感動的なソロ。3人目のコリン・ウェブスターはこのなかでは有名人だと思うがバリトンサックスによるソロ。最近流行り(?)の、低音のタンポをどぅんどぅんと響かせながらそこに高音部のフレーズを載せていくような、いわゆるヴォイスパーカッション的な方法論のソロでめちゃくちゃかっこいい。リズムもいいし、肉感的な息の音などの効果音もいい。循環やフラッタータンギング、マルチフォルックスなども組み合わせつつ、個性をがーん! と押し出している(タンギングのバリエーションはすごいっす!)。しかもバリトンならではの低音の迫力もちゃんとある。これは研究してみたいです。自分の楽器のことをよーくわかっている演奏。ひとから教わったり、教則本見ているだけでなく、自分なりに自分の楽器を見つめ直さないとこうはならないと思う。エヴァン・パーカーをはじめ、改革者はきっとそういうことを行ってきたのだ。というわけで、じつはすばらしいサックスソロ集でした。最近ずっと聴いているのだが、飽きないなー。傑作としかいいようがない。
「DISK IN THE WORLD COMPOLED BY JUN NUMATA」(DIW RECORDS DIW−3049)
JUN NUMATA
今はダウトミュージックの大社長として数々の傑作群を生み出している沼田氏が、かつてディスクユニオンの社員だったころに制作にかかわっていたDIWレーベルの諸作から選曲、リマスタリングしたコンピレーションアルバム。1曲目はアート・アンサンブル・オブ・シカゴの「オルタネイト・エクスプレス」から。沼田さんもライナーで「コンピの一曲目に20分超えの曲を持ってくるのは完全に間違ってます」と書いているとおり、いきなり21分43秒の演奏がぶちかまされる。本当に「ぶちかまされる」という感じで、最初のほうはノイズミュージック的なガンガンガンガン……という工事現場のような音が大音量で延々と続き、なんだこれは! こんなのDIWにあったっけ、と思わず解説を確認して、アート・アンサンブルだとわかって二度驚く……という仕掛けになっている。その轟音が次第にパーカッションの連なりにほどけていき、管楽器が登場してからはいつものアート・アンサンブル的集団即興になっていくのだが、その大迫力やスピード感などは、89年当時のこのグループが凄まじいやる気と創造性を保ち続けていたあかしである。聴き終えるとへとへとになるが、心地よい疲労感である。2曲目は……出たーっ! ウルマーの「ブラック・アンド・ブルーズ」からの曲。カルヴィン・ウェストン〜アミン・アリという超重量級リズムセクションに乗ってウルマーが叫び、ギターを弾きまくる。この、腹に応えるズシッと来る快感は癖になるやつだ。エネルギーの塊のような演奏。3曲目はジョン・ゾーンのマサダによる演奏。マサダの膨大な録音のどれにも言えることだと思うが、5分半ほどの短い演奏のなかにさまざまな要素が詰まっていて興奮せざるをえない。4曲目はロナルド・シャノン・ジャクソン・ザ・デコーディング・ソサエティの「レイヴン・ロク」からの曲。デコーディング・ソサエティとしては珍しく管楽器が入っていないが、その分、ぜい肉をそぎ落としたような鋭さとスピード感が増しているように感じる。かっこいい。5曲目は出たーっ! デヴィッド S.ウェアの「枯葉」だ! この演奏、出たときに聴いて大爆笑したのだが、沼田さんも同じだったらしく、ライナーに「スタッフ皆で爆笑した」「これは当時本当に痛快だった」「爆笑できるのは衝撃的な音楽に出会った時なのですが、これはほぼ直球ど真ん中です」とあって、まさに我が意を得たり的な感想である。私はウェアは本当に大好きなのだが、なかには「やかましいだけ」という意見もあったりして悲しい。この「枯葉」はある意味、周到に用意されたアイデアに基づく演奏だと思う。そして、天まで届くような高揚感と破壊力も抜群だ。フリージャズという言葉の扱いはなかなか難しく、抵抗感があるひとたちもいて、その考え方もわかるし、不用意には使うべきではない、と考えるが、こういう演奏は「フリージャズ」と呼んでもいいのではないだろうか。6曲目は、アイボボというニューヨークで活動するヘイシャンミュージックのバンドがジャン・ポール・ブレリーのギターをフィーチュアしたアルバムからの曲で、これは聴いたことなかった。クレイグ・ハリスやブッカーTが入っていた時期もあったらしい。めちゃくちゃ高揚する演奏で、かっこいい(としか形容できないのが情けない)。7曲目はデヴィッド・マレイの「ディープ・リヴァー」からのタイトル曲で、バスクラとベースのデュオが延々続く。マレイについては、当時、DIWを含む複数のレーベルにおいてあまりにリリース数が多く、なかにはやっつけ的な感じの安直なものもあり、よい印象は抱いていなかったが、この演奏はすばらしいと思う。8曲目はめちゃくちゃ好きなアルバム「イン・ザ・ネーム・オブ……」から。サム・リヴァースが参加しており、かなりめちゃくちゃなソロをしまくっていて感動的である。そのバック(?)で自分のソロのようにひたすら弾き倒すウルマーがもう超かっこいいのだ。コーネル・ロチェスターの暴れ太鼓のようなドラムも凄いし、アミン・アリのベースもすばらしい。つまりは全員かっこいい。これはフルアルバム聴いてほしいです。最後の9曲目は「9曲目」にふさわしい「究極」の演奏。チャーリー・ヘイデンのリベレイション・ミュージック・オーケストラがレイ・アンダーソンのトロンボーンなどをフィーチュアしたゴスペル的な曲。カーラ・ブレイのシンプルだが考え抜かれたアレンジが演奏を引き締めている。豊穣なDIWレーベルのショウケースとして最高のコンピレーションなので、あらゆる層におすすめしたい。なぜか元になるアルバムのタイトルが掲載されていないので、これを聴いてフルアルバムが聴きたくなったひとはネット検索してください。
「PLAY WITH US?」(NONOYA RECORDS NONOYA006)
NONOYA RECORDS & CUBIC ZERO 立方体・零 PRESENTS COMPILATION ALBUM
コロナ禍において多くのミュージシャンが演奏する「場」を失ったときに、その救済という意味もあって制作されたCDだろう。いろいろなひとの音源を集めたコンピレーションだが、プロデューサーの吉田野乃子の行動力は本当にすばらしいと思う。あれから3年経った今でも状況はよくなるどころか悪くなっている面もあるのだが、コロナ初期においてこういう活動があったことは心強いかぎりである。収録されている音源も内容はばらばらなのだが、この事態を打開しようというはっきりと前を向いた意志を感じるものばかりで(演奏時にそういうことを意識していたいないにかかわらず)、参加しているミュージシャンのさまざまな意志を感じ取れる演奏が詰まっていて、正直、感動的である。バラエティ豊かで、こういう時期にこういう意図で発売されていなければおそらくもっとフツーにこういう音楽のファンに素直に受け入れられていただろうコンピレーションなのだ。2020年の日本の気鋭の音楽シーンのショウケースのようでもあり、知らないバンドをいろいろ聴けるのはうれしい。普段聴きなれているような音楽とはまるでちがうタイプのものも入っていて、逆にそういう演奏が興味深かったりする(8曲目の「喃語」というバンドとか9曲目の「エニグマ・トゥ・キャトルミューティレイション」というすごい名前のバンドとかラストの「chikyunokiki」というバンドとか……)。あとはたいがい自分の守備範囲な感じ。どれもこれも熱気あふれるものばかりで、ひとつとして退屈だったり好みに合わなかったりするものはなかった。最高のコンピレーションじゃん! プロデューサーの吉田野乃子グループの演奏を冒頭に据えていることからも、吉田野乃子のこのアルバムにかける意気込みを感じる(札幌のバンドが多く取り上げられているのも、北海道のこういう音楽シーンをアピールする意味で非常に意義深い。いやー、どのバンドも個性的でいいですね)。どの演奏もすばらしいのだが、1曲だけ触れておくと、3曲目に入っている吉田隆一のバリトンサックス無伴奏ソロ「夜気」は、バンド形式が多い本作のなかで唯一の「ダビングや打ち込みのないソロ」で、フレーズのひと吹き、キーのひと押し……に至るまで演奏者とリスナーである自分との一体感を感じずにはおれない演奏でした。音色やダイナミクスへの気配りも本当にすばらしい。
コロナの産物といっていいアルバムかもしれないが、いずれコロナが去ったとしても本作の価値は変わらないでしょう。傑作。
「BACK ON 52ND STREET」(DIW RECORDS DIW−406)
LIVE FROM SOUNDSCAPE
オムニバス形式のライヴアルバムだが、めちゃくちゃすごい演奏ばかりで驚く。1曲目はエド・ブラックウェルの飄々とスウィングする、しかも深みのあるドラムではじまり、そこにデューイ・レッドマンが加わる。レッドマンはテナーということになっているがソプラノのように聞こえる。これは珍しいのでは?(ミュゼットではないでしょう)。ふたりともすばらしい演奏で、本当に「息がぴたり合っている」という気がする。ドン・チェリーとエド・ブラックウェルについてもそう思うが、それはオーネット・コールマンを介した関係性なのだ。そういう意味でもオーネットはすごいよなあ。ドラムソロのあとレッドマンがテナーに持ち替えて、たぶんべつの曲がはじまる。自然体という言葉が最適だと思う演奏。2曲目はレッドマンのミュゼットの無伴奏ソロからはじまる演奏。聴きごたえのある繊細で重量感のあるソロ。こういうのが当時(1980年)のロフトでは普通だったのかと思うと感動するしかない。躍動感に満ちたブラックウェルのドラムと個性丸出しですばらしいレッドマンのミュゼットの一体感というかなんというか、これは「すげーっ!」と叫んでしまう激烈な演奏。ちょっと日本の祭り太鼓とお囃子を連想したりする。
3曲目、4曲目はマリオン・ブラウンのアルト無伴奏ソロ。こういうのを聴くと、当時の先鋭的なミュージシャンたちの「思い」が突き刺さってくる。正直、現在(2024年)においてビバップとかチェンジがとかいった議論はこの鮮烈な演奏のまえに言葉を失うだろう。マリオン・ブラウンはすごい。インタビューを読んだり、リーダーアルバムを聴いたりしても、なかなかわからないような気がするが(私もそうでした)、こういう音源を聴かないとそれはわからないのではないか。録音の善し悪しは置いといて、マリオン・ブラウンの繊細で隅々まで心配りの行き届いた音色、アーティキュレイション、ダイナミクス……などははっきり感じ取れる。フリーキーな、アグレッシヴな表現を一切使わず、フリージャズとしての表現を紡いでいくマリオンには脱帽します。ごちゃごちゃ言う必要はないぐらい、このアルトの音がすべてを物語っている。本当にすばらしい2曲。
5曲目はデレク・ベイリーとジョージ・ルイスのデュオ。ベイリーの金属的なノイズではじまり(ギターで出しているのかどうかすらわからないような音)、ルイスのプランジャーの深い音がそれを包み込む。このふたりの音の邂逅は我々は皆熟知しているが、ここでの演奏はそのなかでも最高のひとつではないかと思う。音色やリズムだけでなく、速さや遅さを自在に駆使してぶつけあうふたりの即興はまるでタイムマシンのようである(と書くと、なんじゃそれはと思うひとがほとんどだと思うが、デュオで、ひとりが急にテンポを上げ、それに対してもうひとりが乗っかるのではなく逆にテンポを下げたらどういうことになるか……という現象がずっとここで起こっているのだと思う。「おまえはテンポを上げるのか。じゃあ、俺は下げるよ」みたいな……。普通のジャズではありえないし、いわゆる「フリージャズ」でもこういうことはなかなかないと思います。こういうのが一番好きかもなあ。かっこいい!
6、7曲目は初期のセシル・テイラーの相方としても有名なデニス・チャールズとハス・チャールズによるドラム〜パーカッションデュオ(ハス・チャールズはデニスの弟のはず)。6曲目はかなり本格的なドラムとコンガのノリノリのデュオ。アート・ブレイキ―とサブ―かだれかのデュオを聴いてるような感じの真摯な演奏で、その熱気に感動する。7曲目は「ナウズ・ザ・タイム」を思わせるブルースをドラムとコンガだけで表現している(んじゃないでしょうか?)。これもすさまじい演奏で、12分33秒もあるのにまったくダレることなく聞かせまくる。かなりストレートアヘッドなパーッカションデュオである。
このアルバム、全曲すごいと思います。統一感はないかもしれないが、当時のロフトでこれが演奏されていた! という事実が伝わるだけである意味「統一感」だし、このほとばしりまくる熱気は理屈を抑え込み、感動させるだけのパワーに満ちていると思う。「ヘルズ・キッチン」とともに味わってほしいアルバム。