「BLACK SPIRITS ARE HERE AGAIN」(DIW−917)
ROBERTO OTTAVIANO & MAL WALDRON
ずっと探していたのだが、日本制作にもかかわらず、なかなか見つからず、中古でやっと入手できた。このロベルト・オクタビアーノというソプラノ吹きのことはさっぱり知らないが、イタリアではかなり有名なひとらしい。マル・ウォルドロンとソプラノのデュオということで、かなりフリー寄りのものを想像していたのだが、まったく予想とちがっていて、一曲目の「メモリーズ・オブ・ユー」などベニー・グッドマンもかくやと思えるような甘い演奏であった。コルトレーンの「ロニーズ・ラメント」あたりがややフリー寄りで過激な演奏だが、ほかは「フェン・ライツ・アー・ロウ」にしても「ジターバッグ・ワルツ」にしても「チュニジア」にしても「ジャンゴ」にしても、見事なまでに甘美で美しく、また、スウィングでありビーバップである。もちろんただのスウィングでもバップでもないのだが、ジャズのルーツみたいなものが、このイタリアのソプラノ吹きとビリー・ホリディやドルフィーと共演した黒人のピアノ弾きのデュオによって、より鮮明にうかびあがってくるような……そんな演奏だ。タイトルの「ブラック・スピリッツ・アー・ヒア・アゲイン」という思わせぶりな言葉も、内容を聴くと納得がいく。しみじみと心に染みわたるデュオである。
「UN DIO CLANDESTINO」(DODICILUNE DISCHI ED255)
ROBERTO OTTAVIANO & PINTURAS
たぶんマル・ウォルドロンとのアルバムがあまりに良かったから購入したのだと思う。アコースティック・ギター、ベース、ドラムをバックに、正確な音程、完璧なアーティキュレイションで、ある意味淡々とソプラノを吹き上げていく(裏ジャケットには、サクセロを持った写真が載っているので、表記はソプラノだが実際にはサクセロを吹いているかもしれない)。全編、民族音楽がフィーチュアされる。1曲目はギスモンチの曲、2曲目はスペインの民族音楽、3曲目はラビ・シャンカールの曲、5曲目はスウェーデンの民族音楽、6曲目はエルメット・パスコールの曲、7曲目はマケドニアの民族音楽、9曲目はリトアニアの民族音楽、10曲目はスペインの子守唄……という具合で、とにかく選曲だけでもすばらしさがわかる。ギターがもうひとりの主役で、アコースティックギターとクラシックギターを使って民族音楽的な演奏をする。ギターの醸し出す空気感とリズムにソプラノのラインが絡みつくようにして奏でられるメロディは筆舌に尽くしがたい楽しさと情念と深みがある。ジャズ的なスリルもあって、言うことはない。ドラムもめちゃいい感じ。一聴、軽い演奏のように聞こえるが、聞き込んでいくにってこの深さにとりこになる。はまりまくったら出られまへんで。正直言って、ソプラノをここまで完璧に吹きこなれると、それだけでうっとりしてしまうのだ。このひとのミンガス集もあるらしいので聴いてみたいです。
「OTTO」(SPLASC(H) RECORDS CD H 340−2)
ROBERTO OTTAVIANO
ロベルト・オッタビアーノのソプラノソロアルバムだということで聞いてみたのだが、いきなり口琴のソロがぶちかまされる。おおーっ、これはもしかしたら私の好みかも、と思って聴いてみた。ジャケット裏に、全部アコースティックでエレクトロニクスは使ってないよ、と書いてあるが、デイヴ・リーブマンのライナー(?)に「オーバーダビングやミキシングのテクニックが巧みに使われている」みたいなことが書いてある。オッタビアーノはセルマーのスーパーアクションS80とカイルベルスのSX90のUを使い分けているらしく、1曲だけだがマンツェロも使っているらしい。マンツェロというと、要するにサクセロだが、とにかくその3種のソプラノサックスを駆使してのソロということになる。1曲目(いきなりマンツェロ使用)の冒頭は、たぶん口琴を使っているのだと思う(どこにもそんなこと書いてないけど)。アルバムを聴くものにある種の期待感というか「おっ、これはそういう感じの演奏なのだな」と思わせるに十分な演出である。そのあと数本(二本?)のソプラノ(マンツェロ)によるアンサンブルが聴かれる。ほかの曲もだいたい同じような趣向で、数本のソプラノが重ねられて、ひとつの世界を作っているものが多い。3曲目はソプラノ一本だけのソロ。サックスの無伴奏ソロというと、本当に多種多様で、ひたすらフリーキーなものから自由なリズムで吹くもの、リズムセクションがいるかのごとくフレーズをつむいでいくもの……などいろいろだが、せっかくソロなのに、リズムセクションを想定しているような演奏を延々聴くと、練習を聞かされてるみたいな気分にならないこともない。その点、オッタビアーノのソロは、いわゆるフリージャズではないし、フリーキーな要素やノイズをぶち込んだりはしないのだが、めちゃくちゃ意欲的な演奏で、しかも自由さにあふれ、そして、なによりかっこいい。ソプラノサックスのソロといえばレイシーを連想するが、まったくべつの宇宙を切り開いていると思う。オーバーダビングの使い方が上手いし、シンプルなソロもすばらしいが、狙っている音世界が独特で、なんというか……水族館の水槽のまえに立ってクラゲや深海生物の蠢きを眺めているような……そんなぼんやりとした幻想的な雰囲気になる。まあ、この音楽は一般にジャズといわれているものからはかなり遠いところにあると思うが、しかし、これはやはりボキャブラリーとしてはジャズであり、そういう言い方が変ならジャズの孫、ひ孫だと思う。かなり綿密に譜面が用意されているらしく、オーバーダビングも周到なので、「即興」にこだわった作品ではない。とにかく「ソプラノサックス」という楽器を見つめて見つめて見つめまくったところから生まれた演奏である。そう言う意味ではレイシーと共通するものがあるのは当然である。6曲目のように朗々とセンチメンタルなメロディを奏でる曲もある(どこかにルーツがある演奏のように思うけど)。8曲目などは自分で伴奏を奏でたうえでソロを吹きまくる感じの演奏で、こういうのもものすごく説得力がある。9〜11曲目の一種の組曲もすばらしく、循環呼吸を駆使した部分などはものすごい。オーバーダブなしでソプラノの音色やアーティキュレイションの表現力を駆使したような演奏もあり、なんとも聴きごたえがある。あまりにシリアスで充実感があるので、一曲は3、4分しかないのに数曲聴くだけでけっこう疲労する。音楽性とサキソホンプレイヤーとしてのテクニック、美しい音色、アーティキュレイションなどなどが結実して、この音楽が成立しているのだ。そして、コンポジション! この作曲能力もオッタヴィアーノの強みである。どの曲もきちんと用意されたものばかりで(完全即興らしい曲もあるけど)、しかも、サックスだけのソロだからか、あまり束縛感がなく、自由な空気が感じられる。基本的にはルバートではなくて、ちゃんと小節の区切りがあるものが多いと思うが、そういう「枠」にはめた雰囲気がないのも管楽器のソロのいいところだろうと思う。とにかくオッタヴィアーノの「サックス」ではなく「ソプラノサックス」へのこだわりがひしひし伝わってくる。なお、曲名は全部「PER」でははじまる遊び。このアルバムが発売されてからもう30年になるらしいが、たくさんのひとに聴いてもらいたい傑作です。
「HYBRID AND HOT」(SPLASC(H) RECORDS CD H 453.2)
ROBERTO OTTAVIANO KOINE
傑作! リーダーであるロベルト・オッタヴィアーノのソプラノサックスを中心に、フレンチホルン、トロンボーン、テューバ、ドラムという変則的な組み合わせによるクインテットだが、この組み合わせを見るだけで本作がすばらしいということがわかる。そして、9曲中、自身のオリジナルが5曲あるが、カーラ・ブレイの曲が3曲、スティーヴ・レイシーの曲が1曲という構成になっている。つまり、カーラ・ブレイに捧げた(?)作品なのだ。カーラ・ブレイの曲がオッタヴィアーノの曲に溶け込んでいる……と言いたいがじつは逆で、オッタヴィアーノの曲がカーラの曲に溶け込むように書かれているようにも思えるほどである。4管に1ドラムという編成に対するリーダーの編曲がまさにカーラ・ブレイの作・編曲の精神によって貫かれているように思う。細部に至るまで気持ちの行き届いた編曲、チャレンジングで技術と音楽性が合致したソロの数々、ドラマチックで諧謔的でユーモアも感じられるコンポジョン……なにもかもが刺激的でかっこいい。6曲目はソプラノによる無伴奏ソロ。教則本を吹いているようなフレージングをえんえん積み重ねるが、微妙なずらしや感情移入したフレーズがじわじわとひとつの音楽を形作っていくさまは感動的である。7曲目のレイシーの曲は5人が一体となった本作のひとつの到達点的な演奏で、ファンキーといっていいリズムについてチューバがめちゃくちゃパワフルなベースラインを提供し、トロンボーンがゲキ熱のソロを繰り広げるのだが、それに対するトランペットとソプラノのすばらしい刺激や全体を貫くドラムのリズムもすごい。ソプラノソロもいいが、つづくチューバの圧倒的なソロもすばらしい。この曲は象徴的だが、とにかく全曲凄いし、さっきも書いたが5人が等しくその音楽に貢献している状態は、ある意味「理想」だと思う。もちろんだれかひとりがいびつに突出している音楽もそれはそれですごいのだが。テューバ(巨匠といっていいかもしれない。ミッシェル・ゴダードだ)の超絶技巧がとくに目立つが、全員すごいと思う。トロンボーンやホルンのとんでもない壮絶なプレイはヨーロッパの金管の恐るべき深淵を垣間見せてくれる(8曲目の短いフリーインプロヴィゼイションはその成果のひとつ)。何度聴いてもとんでもない傑作なのであります。もう、愛おしくてならない人類の音楽的到達点と言っても大袈裟ではないと思う。