「POSIUM PENDASEM」(FREE MUSIC PRODUCTION FMP CD105)
WILLIAM PARKER/IN ORDER TO SURVIVE
ジャケットからはメンバーがわからなかったので、買ってみてはじめてクインテット編成だと知った。私の好みはしてはせいぜいトリオどまりぐらいの編成が好ましいので、ちょっとメンバー多すぎるかなと思ったが、聴いてみてびっくりした。これはすごい。ドラムがスージー・イバーラ、ピアノがクーパー・ムーア、テナーサックスがアシーフ・ツァハーと、アシーフ・ツァハーの人脈が多いような気もするが、そこにアルトのロブ・ブラウンが加わり、奏でられる音はというと、これがど真ん中のセシル・テイラーマナーの演奏。いきなり、全員によるコレクティヴインプロヴィゼイションにはじまり、そのテンションの高さは異常。二本のフロントが、延々と細かいフレーズを吹き続け、スージー・イバーラがドラムというよりパーカッション類を駆使して刺激を与えつづけ、ときおりクーパー・ムーアのアコースティックピアノがパーカッシヴに鳴り響く。それらをまとめ、バックアップし、深みを与えているのはほかならぬリーダーのベースで、ときにアルコで、ときに指弾きで全員を鼓舞し、かきまわし、尻をたたく。アシーフ、ロブ・ブラウンのそれぞれのソロになるところも圧巻だ。それぞれが一歩をたちどまることなく、ただひたすら最高の状態を目指して吹きまくる。迷いのない演奏。その一直線のエネルギーはすさまじいものがある。スージー・イバーラは、パーカッションにドラムに大活躍。すっごい美人のおねえちゃんなのになあ……そんなところに感心してはいかんが。こうして聴くと、どうしてもセシル・テイラー・ユニットを思わざるをえない。たとえば「Aの第二幕」。ロブ・ブラウンがジミー・ライオンズ、アシーフ・ツァハーがサム・リバース、スージー・イバーラがアンドリュー・シリルを連想させる。さすがに、クーパー・ムーアはセシル・テイラーというわけにはいかないが、かなりがんばってるほうだと思う。そして、このアルバムの成功は、アシーフたちの若い力を、リーダーのウィリアム・パーカーが抑制することなく大胆に放出させたことにある。若い連中は、自分たちの力を最大限に発揮するすべをまだ心得ていないかもしれないが、パーカーはそれをたくみに誘導し、まとめてズドーンと放出させた。演奏は個々の力に任せられており、どちらかというとテイラー対個々の奏者という図式が優先で、それぞれがばらばらになることもあった「Aの第二幕」にくらべると、力の求心力がまるでちがう。そういう点からこのアルバムは傑作となったのである。フリーミュージック好きな人は必聴の名盤。ちなみに、アシーフは故ペーター・コバルトとの共演も多いが、本作のライナーはそのコバルトが書いている。
「SPONTANEOUS」(SPLASC(H) RECORDS CDH 855.2)
WILLIAM PARKER & THE LITTLE HUEY CREATIVE MUSIC ORCHESTRA
二曲しか入っていない、とっつきにくいアルバムだが、これがめっちゃよかった。大編成のフリージャズをあまり私は好まないが、それはせっかくソロプレイヤーがそろっていても、皆が勝手に吹くため、サウンドが混沌としてしまって、何が何だかわからなくなるか(フリージャズ初期のものは、録音技術その他のせいもあったと思うが、そういうのが多いような気がする)、あるいは大勢をきちんと仕切るために、アレンジ過多になってしまい、フリージャズというのは名ばかり……ということになる場合が多いからである。しかし、このアルバムは17人編成とやたらでかいバンドだが、コンポジションと即興のバランス、ソロとアンサンブルのバランス、熱狂と冷静さのバランスなど、どれもうまくバランスできているうえ、ソリストが皆うまくて(とくにアルトのひとが凄いソロをしている。サビア・マテーィンか?)、長尺二曲を最後まで飽きさせない。17人のなかには、ロイ・キャンベル、ディック・グリフィン、スティーヴ・スウェル、河野優彦、ロブ・ブラウン、サビア・マティーン、ギレルモ・ブラウン……といった有名プレイヤーもいるが、私が全然知らない人も多くて、それがこれだけの情熱的な音楽を作り出すのだから、リーダーであるウィリアム・パーカーの手腕はすごい。中古だったので何気なく買ったが、聴いてみてめちゃめちゃ得した気分になった。これはいいよ。誰だこんないいアルバム売ったやつは。
「LUC’S LANTERN」(THIRSTY EAR THI57158・2)
WILLIAM PARKER
パーカーのピアノトリオで、しかもピアノは日本人の若い女性ということで、普通なら管楽器が入っていないと聴く気にならんが、興味をひかれて買ってみた。うーん、なるほど、こう来たか。全曲パーカーのオリジナルで、どれもいい曲だ。しかも、いわゆるフリー系の演奏ではなく、まっとうなピアノトリオなのである。パーカーもいつもの感じではなく、きちんとした「ベーシスト振り」を発揮する(もちろんそれだけではないが)。そうなると、肝心なのはピアニスト……ということになるが、やはり少し線が細く、個性に欠けるような気がする。でも、「これがマシュー・シップだったらなあ……」とか言ってはいけません! きっとこれからですよ。なにしろウィリアム・パーカートリオのレギュラーピアニストだよ。鍛えに鍛えられて、どんどん個性を発揮していくことだろう。応援したれよ。では、このアルバムはいまいちかというと、そんなことはなく、非常に美しく、浮遊感にみちた演奏ばかりで、十分楽しめた。いつものあのパーカーグループを期待して聴いてはいけません。虚心に聴くべし。たまにはピアノトリオもいいなあ。
「COMPASSION SEIZES BED−STUY」(HOMESTEAD RECORDS HMS231−2)
WILLIAM PARKER IN ORDER TO SURVIVE
ウィリアム・パーカー率いるインオーダー・トゥ・サバイバーによるアルバム。私がまえに聴いたやつは、アシーフ・ツァハーとロブ・ブラウンによるテナー〜アルトの咆哮が凄まじく、手に汗握る大名盤であったが、本作はフロントはロブ・ブラウンのみ。アルトのワンホーンかと一瞬ためらったが、ロブ・ブラウンはアルトのなかでは好きなほうだし、思い切って買ってみるとこれがめっちゃよかった。ベースのリーダー作だけあって、パーカーのベースがあちこちでフィーチュアされていて、それはもちろん聞き応えがあるのだが、なんといってもスージー・イバーラのドラムが熱気をはらんだインタープレイを繰り広げており、クーパー・ムーアのピアノも、正直、これまで聴いた彼のプレイではいちばんよかったかもしれない。思い切ったどしゃめしゃが聴けるだけでなく、反応のよさも光る。そして、ロブ・ブラウンのアルトは、フリーなプレイでは倍音をつかった、なんというか押しつぶすようなソロで、これがかっこいいのである。こういうソロをするひと、テナーでいるよな、とその誰かを思いだそうとしたのだが、思いだせなかった。ロブ・ブラウンのいいところは、フリーな演奏だけでなく、モーダルなフレーズもめちゃめちゃうまく、イマジネーション豊かに吹きまくれるところで、どっちもいけるというのはなかなかいませんよ。音もすごくいいし、いうことない。そういう点はアシーフに似ているかもな。とにかく力の入ったすばらしいアルバムで堪能しました。
「UNCLE JOE’S SPIRIT HOUSE」(CENTERLING RECORDS 1004)
WILLIAM PARKER ORGAN QUARTET
その名のとおり、オルガンをフィーチュアしたソウルジャズっぽいアルバムで、テナーのワンホーンというのもまさにそういう雰囲気だが、聴いてみるとさすがに「もろ」な感じはない。なにしろオルガンがクーパー・ムーアなので、一筋縄ではいかない(ヘタウマな感じがいい。いや、たぶんめっちゃうまいのだろうが)。ジミー・スミスとかジャック・マクダフのようなノリノリな演奏ではなく、外しに外す。しかし、その根っこではちゃんとオルガンジャズのどろっとした暗さを押さえている。テナーのダリル・フォスターは、ウィリアム・パーカーに「ジーン・アモンズみたいに」と言われたらしいが、印象はだいぶちがう。アモンズのように一吹入魂みたいな気合いはなく、逆に、全体に軽く軽く吹いている(アモンズも「軽い」感じの演奏はたくさんあるけど、イメージとして)。しかし、それがすごくいい。音色は太くて柔らかく、いかにもオルガンジャズのテナーという感じではまっている(ライヴではもっとブロウするのかも)。全体に、フリーっぽいといえばフリーっぽいのだが、オルガントリオ+テナーの編成で、すこしフリーにやってみました的なラフでタフな、楽しい演奏だ。ウィリアム・パーカーの叔母と伯父(91歳と92歳)に捧げた作品だそうで、お気楽な曲や、ゴスペルっぽい曲、なんだかよくわからないが「ブッダの喜び」という曲など、バラエティ豊か。ぎゃあああっという盛り上がりはないが、そのあたりも狙っているのだろう。全体をパーカーの骨太なベースが引き締めており、ブラックミュージックの「ごつい」伝統を感じさせる。ほんまおもろいひとですね。
「REQUIEM」(SPLASC(H) RECORDS CDH 885.2)
WILLIAM PARKER BASS QUARTET
すばらしいアルバム。おそらくヴィジョン・フェスティバルのライヴだろうと思ったらやっぱしそうだった(ちょいちょいファイドアウトあり)。このメンバーはエグい。この時点(2004年)で集められるもっとも硬派なウッドベース奏者を集めた感じで(パーカー、ヘンリー・グライムズ、シローネ、アラン・シルヴァ)、そこにチャールズ・ゲイル(アルト)が加わるというのだから期待するしかない(しかも、ウィルバー・モリスとペーター・コワルトに捧げられている)。それにしてもこのメンバーは名前を並べるだにすばらしいというか凄まじい面子だが、考えてみれば今(2023年)の時点で、リーダーのウィリアム・パーカーしか存命ではない。この5人はいずれも来日しているので、全員を「見た」というひとも少なからずいるだろうが、やはりこうして見ると、伝説的な5人というほかない。私の耳では、どのベースがだれ、ということは聞き分けられないが、タイトルである「レクイエム」にふさわしい重々しく、荘厳かつ迫力に満ち、ときに急展開なインプロヴィゼイションが終始維持される。2曲目でチャールズ・ゲイルが登場し、へしゃげた音でひきつったようなブロウを展開する(ゲイルは、この超重量級なコントラバス三人に対して、ほとんど第5のストリングスのように感じられる)。とくに9曲目はアイラー的なビブラート過多なゴスペルっぽいメロを渾身の気合いで吹きまくる。 まあ、一応曲を切ってはあるが全体としてひとつの曲という感じである。だれがだれなのかばわからないが(わかるひとにはたぶんすぐわかるのだろうが)、この混沌のなかでそれぞれが自己主張しつつ手をつなぎあっている即興サウンドの楽しさ、怖さは筆舌に尽くしがたい。正直、ウッドベースという楽器の底知れぬ可能性と恐ろしさを感じることができた演奏だったと思う。ベースばかり集めました的なアルバムとかプロジェクトは結構あると思うが、この演奏はそういうなかでも最上の結果だと思う。これだけすげーメンバーを集めりゃ当然という意見もあるかもしれないが、すげーメンバーだけに遠慮や嫉妬や衝突でボロボロになる場合もありますから。