charie parker

「BIRD’S EYES」(PHILOLOGY W5/18−2)
CHARLIE PARKER

 昔、LPで出ていたシリーズのCDでの再発であるが、とりあえず、パーカーの無伴奏ソロが二曲収録されている本作を聴いてみた。いやはや、すばらしいです。クリフォード・ブラウンの練習風景をとらえたレコードというのも持っていて、あれをはじめて聴いたときも、ビバップのうまい管楽器奏者というのは、リズムセクションなんかなくても、自分のリズムが完璧に自分の楽器だけで表現でき、しかも、コードチェンジを管楽器の単音のつながりだけで、これまた完璧に表現できるのだなあ、と感心した。パーカーは、ただの「天才」ではない。よく言われているように、ふだんはボロボロの生活をしているが、ひとたび楽器を持てば、嵐のよう飛翔する……みたいな超人ではなく、きちんと基礎のある、おそらくめちゃめちゃ練習しまくったうえで表現をしているひとなのだ。天才は天才であって、それはもちろんわかるのだが、練習しないでも気持ちの赴くままにひらめきによっていくらでもアドリブできた、というようなことはありえないわけで、それがこの無伴奏ソロで証明されたように思う。ソロならでは、というか、すばらしい音色や音の伸ばしかたのあでやかさも、この演奏でよくわかる。やっぱりすごいわ、パーカー。それ以外の、バンドものもどれもよくて、たとえば、一般的には凋落期といわれている五十年代のものも、どれも上々のできばえである。でも、とにかく音質はものすごーく悪いけどね。

「BIRD’S EYES 2/3」(PHILOLOGY W12/15−2)
CHARLIE PARKER

 パーカーは天才だということが、こうして彼の演奏をブツ切れに大量に並べたアルバムを聴くとよくわかる。とにかく、前人未踏の荒野にひとり立って吹きまくっている感じ。どの曲がどうとか、どの時期がとか、共演が誰でどうとか……一切関係なく、とにかくひたすらパーカーはすごい。音色もアーティキュレイションもテクニックも、なにからなにまで最高である。聴いていると、あまりに凄いうえに、その凄さがおそらく多くのひとに伝わらないタイプの凄さである、ということもわかるので、キーッとなる。たぶん、パーカーの凄さは、誰かに聴かして、ね、ね、すごいでしょ! と言っても、ぜったいにわかってもらえない場合が多いはずだ。パーカーのすごさは、彼のソロをじーーーーっと真剣に聴く耳をもったものにしかわからんのだ。そんな音楽は、とうてい今どきではないわけで、これはしゃあないことである。私も高校生のころはパーカーはさっぱり良さがわからなかった。そんなもんです。

「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME1」(東芝EMI ITJ−50001)
「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME2」(東芝EMI ITJ−50002)
「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME3」(東芝EMI ITJ−50003)
「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME4」(東芝EMI ITJ−50004)
「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME5」(東芝EMI ITJ−50005)
「CHARLIE PARKER ON DIAL VOLUME6」(東芝EMI ITJ−50006)
CHARLIE PARKER

 高校生のときに、ダイアルの1を買った。もちろん、聴いてもさっぱりわからなかった。パーカーをはじめて聴いて、いきなりバシッとわかるひとが、今いるだろうか。私は、最初に「スパローのラスト・ジャンプ」という、「ラヴァーマン」セッションのことを小説化した短編(とその解説)を読んで興味を持ったので、とにかく「ラヴァーマン」の入っているこの第一集を買ったわけだが、パーカーのなにがどう凄いのか、まるで理解できず、しつこく何度も何度も聴いているうちに、曲のテーマはわかってくるのだが、それに続くアドリブ部分は、全然おもしろくない。なぜそう思ったか。理由はおそらくつぎの通りである。
・まず、音が悪い。マイナーレーベルなのでしかたないのだが、とにかくそれ以前のスウィング時代の録音よりも音質が悪い。
・テーマのアンサンブルがバラバラである。おそらくスタジオで初見で吹いているのだろう。だんだんテーマが揃ってくるが、そのころにはソロが定型化してしまっている。
・ソロが短い。SPの弊害で、収録時間が短く、しかも、テーマのアンサンブルがやたらと長いうえ、ソリストが多いため、パーカーのソロが短くて物足らない。ラッパやテナー、ギター、ピアノソロなどはいらんのになあ。
・別テイクがずらっと並ぶのがうっとうしい。たしかにパーカーのソロは聴きたいが、何度も繰り返してバップの狂騒的なテーマのアンサンブルを聴かされるのはつらいし、パーカー以外のソリストのソロはべつに毎回聴きたくない。
……といったようなことがあげられると思うのだが、今回、久しぶりにこの第一集を聴き直して思ったのは、おそらく「クロノジカル」ということがひとつの原因なのだ。というのは、A面の1曲目に「ディギン・ディズ」という、ガレスピーの入った曲が1テイクだけ入っており、これがダイアルにおけるパーカーの初吹き込みなので、こういう時系列的編集だと冒頭に来るのはしかたないのだが、この曲が、テーマはボロボロで、ソロもさほどどうっちゅうこともなく、すごくしょぼい。この曲を毎度いちばん最初に聴かされるのが、すごーーーーく悪い印象として残るのだ。だから、今はCDとしてどういう形で出ているのかしらないが、できればこの1曲目を飛ばして、二曲目の「ムース・ザ・ムーチェ」から聴いたほうがいいかも。「ヤードバード組曲」「オーニソロジー」「チュニジア」……などバップの代表的レパートリーが並ぶが、たとえばチュニジアのアレンジなど、収録時間の制限を考えると、こんなに細かく、長いアレンジは必要ないのでは、と思ってしまう。しかも、このアルバムではそれを何度も何度も聞かされるわけだからなあ……。共演者のなかでは、ラッキー・トンプソンが、「ウォーキン」などにきかれるような流暢なモダンスウィングスタイルではなく、音を濁らせたロックジョウのようなブロウで、完全に場違いである。そして、問題の「ラヴァーマン」セッションだが、たしかに一曲目の「マックス・メイキング・ワックス」やラストの「ビーバップ」でのパーカーはよれよれだが、ミンガスがほめたという「ラヴァーマン」よりも「ジプシー」という曲では、パーカーはまったくいつもと同じようなすばらしいソロをしているように聞こえる。このセッションよりも、正直いって、「プレイズ・コール・ポーター」などのほうがずっと痛々しいと思うがどうでしょう。
 ダイアル2は、A面は全曲ボーカル入りのセッションなので、たぶんダイアルセッション中いちばん人気がないと思う。ところがこの第二集を敬遠するのは早計であって、B面の「バーズ・ネスト」と「クール・ブルース」……これがこの時期のパーカーとしては珍しくワンホーンなので、彼のソロをたっぷり堪能できてすばらしい。ピアノのエロール・ガーナーも邪魔になっておらず、私はめっちゃ好きですね、この第二集のB面。
 ダイアル3も、大好きなのだ。というのは、私の最愛のバップテナー、ワーデル・グレイが入っているからなのだ。これは、軽〜く読み流してほしいのだが、ここでのグレイはパーカーよりすごいソロをしている……え? そんなアホなことない? うーん、そうかなあ……まあ、百歩譲っても、グレイがパーカーに迫る、かなりすばらしい演奏をしていることは事実である(パーカーは、「終わるべきところで終わらず、はじまるべきところではじまらない」自由奔放なソロをするが、グレイはそのあたりはきっちりしすぎているかも)。そして、曲名からの連想からか、ここでのパーカーはたしかにリラックスしているような気がする。曲もいいし(「リラクシン・アット・カマリロ」はリラクシンどころかテーマはめっちゃむずかしいです)、この第三集は何度聴いても楽しい。最後に入っている、なんとかいうひとの自宅で行われたジャムセッションからパーカーのソロを抜き出した3曲も、リラックスしたテンポでのじっくりした演奏が聴けて「普段着のパーカー」といった感じでよい。全6集をとおして、この第3集がいちばんすごいかもなあ、と思ったりする。
 ダイアル4は、これまではスウィング系のミュージシャンも混じっていたリズムセクションが、完全にバップの、それも凄腕たちによってかためられ、まさに向かうところ敵なしのパーカーグループの快演が聴ける。曲も「デクスタリティ」以下有名どころばかりで、めちゃ楽しい。とくに「バード・オブ・パラダイス」(ようするに「オール・ザ・シングス・ユー・アー」そのものだが)と「エンブレイサブル・ユー」がすばらしい。
 ダイアル5も4に続いて、レギュラークインテットでのすばらしい演奏(一曲だけ古い演奏が入っているが、それもよい)。この1から5までは、ほんとうに甲乙つけがたく、よく聴く。マイナーレーベルのせいか、録音はたしかによくないが、その分、40年代後半という時代のエアがスピーカーから噴き出してくるようだ。パーカーや若きマイルス、マックス・ローチ……といった意欲に燃える猛者たちの情熱や、アルコールと麻薬でよれよれだったパーカーの息づかいまでが我々に向かっておしよせてくる。ダイアルセッションを聴くと、いつもそんな思いにひたる。
 ダイアル6は、JJジョンソンの入った3管編成で、ぜんぜん悪くはないのだが、1〜5に比べるとかっちりしすぎていてスリルも若干失われており、個人的には聴く比率は低い。でも、もちろんすばらしいですよ。
 とにかくバップの黎明というこの時代の空気を詰め込んだようなアルバムであり、1〜6までどれを聴いても、偉大なバードの「言葉」が聞こえてくる。パーカーと○○を比べる、だって? へへっ、馬鹿じゃないの……と言いたくなるほど、ここには天才の、そして天災の残した絶唱がある(○○には、その後、バードの再来とか、バード以来のバップアルトとかいわれた奏者を入れてくれてけっこうです)。パーカーが彼の後輩であるアルト奏者たちとちがうのはどこかというと、よく言われているリズムの解釈だけでなく、音色とアーティキュレイションだと思う。パーカーのよさがわからん……というひとは(私もかつてそうであったが)、「ナウズ・ザ・タイム」などを死ぬほど聞き込んでから、このダイアルセッションあたりに取り組んでみてはどうか。あるとき、ふっと「わかる」ときが来ると思うよ(禅の悟りみたいなもんか?)。

「THE COMPLETE SAVOY STUDIO SESSIONS」(SAVOY5500)
CHARLIE PARKER

 大学一年のときに買った輸入盤の5枚組ボックス(ヴァン・ゲルダーがリマスターしている)だが、全部反っていて、聴きにくて困った。そのせいか、やっぱりパーカーはダイアルを聴くほうが多かったかも。ダイアルの第一集の冒頭に「ディギン・ディズ」が入ってることについても書いたが、こういったコンプリートでクロノジカル編集のものは、とにかく学究的というか聴く側のことは考えていないので、タイニー・グライムズのジャイヴっぽいボーカル入りセッションをえんえん聴かされることになる。このあたりで、サヴォイのパーカーについて挫折するひとがいても不思議ではない。パーカーが真価を発揮するのは「チャーリー・パーカーズ・リバッパーズ」のセッションからで、マイルスやマックス・ローチなど完全にバップミュージシャンだけで構成されたメンバーを従えたパーカーの飛翔が聴ける。曲も「ビリーズ・バウンス」「ナウズ・ザ・タイム」「スライヴィング・オン・ナ・リフ(アンソロポロジー)」「ココ」といった歴史的快演ばかりである。つづく「チャーリー・パーカー・オール・スターズ」のセッションはピアノにバド・パウエルが入っているのが興味深いが、聴いてみるとやはり耳に残るのはパーカーの突き抜けるようなアルトである。そのあとの「マイルス・デイヴィス・オール・スターズ」のセッションはメンバー的にはいいんだけど、パーカーがテナーを吹いていて違和感がある。アルトのときのあの、ぶりぶりした音で宙を自由自在に飛びまわるような疾走感に欠けるのだ。吹いているフレーズやリズムの乗りは同じなのに不思議なもんですね。でも、もちろん悪くはない。そのあとの2枚約50テイクは安定したメンバーによる充実した演奏ばかりなのだが、なぜか聴くことはあまりない。たぶんボックスだから下のほうのレコードを出すのがめんどくさいからだろう。やはり、こういうタイプの別テイク集はCDのほうがいいですね。

「CHARLIE PARKER ON SAVOY VOL.6」(CBS/SONY SOPU 26−SY)
「CHARLIE PARKER ON SAVOY VOL.7」(CBS/SONY SOPU 27−SY)
CHARLIE PARKER

 サヴォイから出たエアチェック3枚を日本で2枚に編集しなおしたものなので、「チャーリー・パーカー・オン・サヴォイ」というアルバムタイトルは看板に偽りありだと思う。VOL.6のほうのA−1からB−1までの4曲は、48年のエアチェックで、テナーもギターもピアノもベースもアンノーンで、ドラムだけがマックス・ローチだとわかっている……ということのようである。しかし、大和明の解説によると、諸説あって、
・テナーはワーデル・グレイ、ギターはたぶんビリー・バウアー、ベースはトミーポッター
・ギターはたぶんチャック・ウェイン、ベースはトミー・ポッターかカーリー・ラッセル
・テナーはバッド・ジョンソン(ただし、ワーデル・グレイかデクスター・ゴードンの可能性もあり)、ギターはマンデル・ロウ、ベースはトミー・ポッター
・テナーはバットド・ジョンソンかジミー・フォレスト
 などの説が海外の研究家から出されているようだ。私が聴いた感じでは、テナーはめちゃうまいし、フレーズもスウィングとバップの折衷的であり(コード分解的ソロもあり)、音色は男性的だが、ネットで調べてみると、このセッションに関しては、
Charlie Parker - alto saxophone
Chris Anderson - piano
Leroy Jackson - bass
Claude McLin - tenor saxophone
Bruz Freeman - drums
George Freeman - guitar
1950年10月23日 Chicago Pershing Hotel Ballroomでのライブ
ということは判明しているようだ。おいおい、上記のだれひとり参加していないではないか。マックス・ローチもトミー・ポッターも……。それに、だれやねん、このクロード・マクリンとかいうテナーは。評論家とか研究家の耳なんてあてになりませんなー。パーカーは、上記4曲でもぶりぶりに吹きまくっているが、アップテンポのロングソロになると、おんなじフレーズをくり返したりして、天才パーカーといえどそういうときもあるのだなあと安心したりする。しかし、全体的にはパーカーは好調で、聴いていて思わず興奮する演奏もある。しかし、ギターがなあ……なにやっとんねん、このおっさん……と思ったら、なるほどジョージ・フリーマンか。このひとはだいたいこういう、べたーっとした弾きかたをするのだ。ギターソロになると突然ダレる。こういう場面、そのへんのジャムセッションではよくあるが、パーカーを迎えたセッションでこれはちょっとつらい。B−2以降はマイルスを含むレギュラーバンドで、パーカーもよいが、マイルスはほんとにていねいにソロを吹いていてすばらしい。でも、一曲だけコンガっぽい音が聞こえる曲があるのだが、これは……?
VOL.7のほうは、マイルスの入ったレギュラーバンドの2曲と、ドーハムの入ったレギュラーバンドの一曲、あとはレギュラーバンドにドーハム、ラッキー・トンプソン、ミルト・ジャクソンらの加わったオールスターセッションの6曲である。A−1の「スライヴィング・フロム・ア・リフ」は、大和明のライナーでは「オーニソロジー」と同一曲と書いてあるが、これはべつの曲であって、ここに収録されているのは「オーニソロジー」である。このアルバムの曲はどれもパーカーに関しては文句はないが、ひとつだけ難があるとすればラッキー・トンプソンで、このひとはこの当時、ほんまにコールマン・ホーキンスそっくりのうえから押さえつけるようなアドリブをする。音色も太く、濁らせた、ホーキンスそっくりの音で、悪くはないが、少なくともほかのメンバーとはコンセプトがまったくあっていないので、なんのためにいるのかわからん。

「HAPPY BIRD」(CHARLIE PARKER RECORDS ULS1536−V)
CHARLIE PARKER

 4曲入ってるエアチェック盤。うちにある本盤のライナーによると、ラッパはベニー・ハリスかジョー・ゴードン、テナーは全編ワーデル・グレイ、ドラムは両方ロイ・ヘインズということになっているようだが、現在では、下記のようにだいたい判明しているようだ。パーカー自身は、ロングソロなのでダレたり、同じフレーズを繰り返したりする部分もあるが、全体的にはかなり好調。おおっすげーっ、と思う場面も多々あり、聞き所は多い。このデータ(下記)を見るかぎりでは、ビル・ウェリントンというひとがアルトとテナーを吹き分けていることになっているが、テナーを吹いているという曲ではテナーソロはないはずなので、テナーソロは全部ワーデル・グレイということか? 問題はウェリントンがアルトを吹いている曲(ハッピー・バード・ブルース)で、このソロは本当にパーカーなのだろうか。うーん、やはりどう聞いても51〜2年のパーカーでしょう。ライナーではワーデル・グレイは絶好調のような書かれかたをしているが、うーん、そうでもないかも。楽器コントロールがいまいちの部分もあるが、ライブだし、雑になるのはしかたない。でも、さすがに歌ってます。とくにいいのはB−2の「ララバイ・イン・リズム」で、「イン・ハリウッド」あたりを彷彿とさせるすばらしい演奏である。そのあとにでてくるパーカーも、このアルバムのなかではいちばん好調ではないか。16分音符のフレーズはヴァーヴの「ナウズ・ザ・タイム」と酷似? パーカーのあとにもう一度でてくるテナーは、もしかしたらビル・ウェリントンかもしれない(クレジットにはないけど)。8分音符の吹きかたがときどき、ねちょーっとヨレるあたりがグレイっぽくないので。でも、テーマの提示を聴いてもテナーは2本聴こえないなあ……。謎。
A−2、B−1、2
Howard McGhee (tp) Charlie Parker (as) Bill Wellington (as -1) Wardell Gray (ts) Nat Pierce (p) Jack Lawlor (b) Joe MacDonald (d)
Christy's Restaurant, Framingham, April 12, 1951
A−1
Joe Gordon (tp) Charlie Parker (as) Bill Wellington (ts) Dick Twardzik (p) Charles Mingus (b) Roy Haynes (d)
"Hi-Hat Club", Boston, MA, December 8-12, 1952

「CHARLIE PARKER WITH STRINGS/MIDNIGHT JAZZ AT CARNEGIE HALL」(VERVE MV2562 MONO)
CHARLIE PARKER

 かの渡辺貞夫はパーカーのアルバムのなかではこれがいちばん好きだと言っていた。それは、ここでのパーカーがストリングスをうまく使って、いちばん「歌っている」ような意味だと思う。私もそこそこ好きなアルバムではあるが、いちばん、とは言えないなあ。二番か三番、いや五番か六番……いや、十番か十一番か十二番か……。やはり、パーカーは小編制のほうが好きであるが、それは自由自在に飛翔するあの感覚がもっともよく出るのが小編制だからだろう。本作では、なんだかんだいっても、アレンジがパーカーの足をひっぱっている場面は何カ所も見いだすことができる。パーカーの場合、ドラムがよくないとダメである。ロイ・ヘインズかマックス・ローチは理想的で、とくにライヴだと顕著だが、このふたりはまるでエルヴィンとコルトレーンのように、パーカーを後ろから鼓舞しまくる。ダイアルやサヴォイのスタジオ録音では、そのあたりのドラムとのインタープレイというか、そのへんの迫力には欠けるので残念である。本作のようなウィズストリングスものは、たしかにパーカーの歌心と、ストリングスのなかから自分のリズムでのびのび飛翔するパーカー……という「自由さ」も味わえて楽しいのだが、バップの核心ではないと思う。これはよく言われることだが、ストリングスのアレンジが悪すぎる、というようなことが定説になっているようだ。私にはまあ、そこまでわかりまへん。パーカーの音色がもっとオンマイクに、太く録音されていたらなあ……とは思う(半分近くはライヴだからしかたないのか)。「変化球」的に聴くほうがいいかもな、と言いつつ、たまに聴くと、なんとなく夢見心地になり、やっぱりええなあ、と思うのだった。

「BIRD AND DIZZ/THE GENIUS OF CHARLIE PARKER #4」(VERVE MV4013)
CHARLIE PARKER

 聴かんなあ、このアルバムは。ディジー・ガレスピーとパーカーががっぷり四つに組んだスタジオ録音というのはほとんどないから貴重といえば貴重だが、あのタウンホールのライヴがあるからなあ。あれがやっぱり最高でしょう。あれにくらべると本作はやや落ちる。なんでやろ。すでにパーカーが絶頂期を過ぎてしまっているからなのか。いやいや、聴いてみるかぎりでは、そんなことはない。個々のソロは悪くない、というかかなりよい。パーカーもガレスピーも一曲目の「ブルームディド」から快調で、聴くべき内容の演奏である。テーマの吹きかたを聴いているだけで、あー、すばらしーっ、と思わず声がでてしまうほどの好演なのである。昔から、ドラムがバディ・リッチなのがミスキャストと言われているが、しゃかしゃかしゃかしゃかというレガートが耳障りなような気もするが、ミスキャストというほどのことはない(派手なスウィングスタイルのドラムソロは毎度毎度さすがにうっとうしいけど)。ミスキャストというなら、ピアノがモンクというほうがミスキャストではないかと思う。これは……なんなのかなあ。ダイアルやサヴォイに比して録音が良すぎて、神秘性が薄れたのか。いやいや、そんなことはあるまい。たまたま体調不良とかそういった問題なのか。それは大いにありうる。四十年代のガレスピー〜パーカーと比べると、緊張感がなんとなく希薄なのである。おたがい、大物になりすぎてしまったからなのか。要するに、市川歌右衛門と片岡千恵蔵の両巨頭は並び立たず……というか、ふたりの大物を組み合わせるとけっして良い結果が出るとはかぎらない、ということではないか。パーカーもガレスピーも、この時点ではえらすぎるのだろうな。さすがに顔合わせだけが豪華なオールスタージャムセッション……という以上の内容はキープしているが、その程度かなあ、というのが聴かない理由である。だって、パーカーなら、ほかに聴くべきものは無数にあるのだから。

「SWEDISH SCHNAPPS/THE GENIUS OF CHARLIE PARKER #8」(VERVE 18MJ9013)
CHARLIE PARKER AND HIS ORCHESTRA

 A面全部とB面ラストはレッド・ロドニーの入ったセッション、それ以外はマイルスの入ったセッションで、ヴァーヴ期のパーカーに関しては、この作品が最高傑作のように言われることが多い。たしかにパーカー自身はかなりよい出来で、曲もいいし、演奏全体のレベルは「バード・アンド・ディズ」などよりもずっといい。マイルスも、自分のパーカーとのベストレコーディングにこのセッションをあげているぐらいである。でもなあ……A面はレッド・ロドニーの活発だがずるずるっとしたノリのラッパソロが不要だし、マイルスとのセッションも、マイルスのべとっとした重いソロがいらないような気がする。え? かなりきついこと言ってます? でも、考えてみてください、このセッション、ワンホーンで十分では? というか、ワンホーンのほうがずっとよかったのでは? そうしたら、「ナウズ・ザ・タイム」のような傑作になっていたかもしれない。デビュー以来ほぼずっとラッパを相方にして音楽をクリエイトしてきたパーカーが、ヴァーヴの「ナウズ・ザ・タイム」でついにワンホーンという彼にとって究極の編成をえた、と私は信じているので、この「スウェディッシュ・シュナップス」も世評ほどは好きではない。とはいえ、ヴァーヴのパーカーのなかでは、「ナウズ・ザ・タイム」は別格としていちばんすごいというのは、たしかにそう思います。パーカー自身は大和明がなんと言おうと、ダイアル時代にはなかった「演奏の色つや」みたいなものがズドーンと伝わってきて、最高の出来ばえなのである。

「NOW’S THE TIME/THE GENIUS OF CHARLIE PARKER #3」(VERVE 18MJ9012)
THE QUARTET OF CHARLIE PARKER

 アルト嫌いで通っている私だが、もし無人島にたった一枚、ジャズのアルバムをなにか持っていっていい、と言われたら、これを持っていきます。それはもう、ずーーーーーっと以前から決めていることなのです。数々のテナーのアルバムをほったらかして、私は本作を生涯の友とするだろう。そう、チャーリー・パーカーの最高傑作である。ダイアル? サヴォイ? ウィズ・ストリングス? 長尺もののエアチェック? ふふふふ……はははは……そんなもの束になってかかってきてもこのアルバムの足元にもおよばぬわ。とにかく、24時間聴いていても飽きないと思う。50年代のパーカーはかつての天才が薄れた……とか言ってるやつはみんな死んでしまえ。ここでの、このパーカーの音、音色、イントネーション、アーティキュレイション、フレージング、リズム……そういったものすべてが「ジャズ」そのものなのである。とにかく、うっとうしいトランペットがいない、というだけですばらしい。トランペッターのひと、すいません。でも、ほんとうにそうなのだ。パーカーはワンホーンがいちばんなのだ。なんでそんなにいいのか。うーん、私にもわからんが、「色艶」と答えておこう。個々の演奏には触れないが、ブルースが多いこのアルバム、数々の別テイクをじっくり聴いていると、「パーカーは天才」というあたりまえのことが、本当に胸にしみてくる。それは、アドリブの天才、というのとはちがう。音楽の天才なのである。B面冒頭の「チ・チ」の三つのテイクを聴くだけで、そのことは身に沁みてわかるはずだ。バードがあまりに度はずれた天才すぎて、残したアルバムも多く、我々はどれを聴くべきか迷うが、私の答はこの「ナウズ・ザ・タイム」である。このアルバムをひたすら聴くことによって、我々はバードの天才に触れることができるのである。ダイアルやサヴォイももちろんすばらしいが、いちばんいいのはこれ! たぶん、多くの反論があると思うが、そんなこと知らん。チャーリー・パーカーはこれだ。このアルバムを1000回聴けば、ほかのアルバムは聴かなくてもよい。
 嘘ですよ。でも、私はとにかくひとまずなによりすなわち……「ナウズ・ザ・タイム」。

「CHARIE PARKER STORY ON DIAL VOL.1」(MUSIC FROM EMI TOCJ−50015)
CHARIE PARKER

 突然、「リラクシン・アット・カマリロ」のテーマを吹きたくなったが、家にはLPしかないので、発作的に同曲の入っているこの廉価版CDを購入した(ただしマスターテイクのみ)。私の記憶では、「リラクシン……」はリズムがものすごくむずかしく、一筋縄ではいかない難曲で、学生のころに一度チャレンジしたが吹けなかった、という思いがあるので、かなりの気合いをもってのぞんだのだが、今回はなぜかあっさり吹けてしまった。なーんや、簡単とはいわんが、そんなに難しくないなあ。というわけで、この廉価版は当分聴くことはなくなった。

「ONE NIGHT AT BIRDLAND」(SONY MUSIC JAPAN INTERNATIONAL INC. SICP−4031〜2)
CHARLIE PARKER

 パーカーの海賊盤とかライヴ隠し録りは、いくら演奏がよくても、ほとんどがパーカーのソロだけをピックアップして録音されているので、一曲としての良さがわからないし、聴くのも相当聴きづらく、よほどのパーカーマニアが聴けばいいと思うが、この2枚組はそういう意味では驚異的な内容。パーカー、ファッツ・ナバロ、バド・パウエル(!)、カーリー・ラッセル・アート・ブレイキーという超豪華、バップオールスターズ的なメンツもすごいが、その演奏を、パーカーのソロだけではなく曲をまるごと録音しているという点でめちゃくちゃ意味がある。しかも、その内容が信じられないぐらいぶっ飛びのクオリティなのだ。これは聴くしかないっしょ。ほかの海賊盤は全部売り払っても、これだけは残しておくべきですわ。それぐらい凄い、凄まじい演奏がぎっしり詰まっている、もう完璧に「宝物」のような二枚組。パーカーも絶好調でなーんにも考えずに吹いて吹いて吹きまくっているが、それはメンバーに対する安心感で、このメンバーならただひたすらアドリブに専念すればいいと思ったのだろう。その音色の太さ、力強さ、艶やかさ、見事、というか、神業のようなアーテキュレイションなどもリアルに伝わってくる録音だ。そして、なんといってもファッツ・ナバロ! このグレイトすぎるトランぺッターの偉業がここまでちゃんと録音されたライヴというのは稀ではないか。このアルバムはナバロの代表作のひとつともいえると思う。バド・パウエルも好調で、この3人のバップを代表するソロイストのそれぞれの最高のソロがどの曲でも聞けるというだけで、もう国宝級。いやー、こういう音楽が飛翔する瞬間があって、しかもそれがブロードキャストされたものがたまたま残っていたという奇跡があって、この音楽が我々のもとに届いたのだ。1曲1曲なめるように聴くしかない。まえにも書いたとおもうが、パーカーの演奏を、今、ジャズをあんまり聞いたことがないひとがパッと聴いて、おお、これはすごい、すばらしい、天才だ、と思うことはほとんどないと思う。ある種、ハードルのようなものがあることは否定しまへん。だから、ジャズを聴くならパーカーを聴け、みたいなジャズ喫茶のおっさん的なことを言う気はまったくないし、聴かないですむならそれでもいいのだが、少なくともほかのバップアルト、たとえばスティット、フィル・ウッズ、マクリーン、ソニー・クリス、チャールズ・マクファーソン、ジジ・グライス……なんだかんだを聴くんなら、それはやめて、パーカーの「ええやつ」をどれか一枚、ひつこくひつこく聴くことをおすすめします。あるとき、コペルニクス的転換というか、大地がひっくり返ったように、「あっ!」と思う瞬間が来るはず。そうかそうかそうだったのか、パーカーはたしかにすごい、天才だと思うときがくると思う。そんなもん待ってられんというひとがいるのはわかるが、もったいないですよ。こんな美味しい、すごい、衝撃的な音楽があるのに。だって、クラシックだって、なかなかパッとはわからんものが多いでしょ。それは口当たりがどうとかそういうのとは違う、なかなか「気づかない」ことなのである。で、このアルバムは、「ええやつ」のひとつなので、一日一回でかい音でこれをずーっと聴くというのはいかがでしょうか。バップのこのころのライヴを聴くと、ここでのブレイキーもそうだが、マックス・ローチもロイ・ヘインズも、「トップシンバルでリズムをキープして、スネアとかタムとかベードラのアクセントでリズムに緊張感を与える」というバップ初期のドラマーの役割の転換というやつが露骨にわかる。このあとハードバップになるともっとドラムはおとなしく、ちゃんと叩くようになるのでは? こういった、えぐいアクセントつけまくりのドラムをバックに、流麗なバップフレーズをつむいでいくかっこよさというのもあるなあ。

「BIRD SIMBOLS AND BIRD IS FREE」(CENTURY RECORDS 28ED5084)
CHARLIE PARKER

 どっちもレコードで持っていたのだが、どちらも売ってしまったので、CDでお得用のカップリングのやつを買ったら、日本盤だった。しかもジャケットが「バー・イズ・フリー」になっていて、そうかそうか、このバーはタダなのか、ちがーうっ! と叫ぶしかない。背中とか裏とか内面ならともかく、ジャケットのタイトルを誤記するというのは信じられませんなー。「バード・シンボルス」のほうはダイアルのベスト盤なので割愛するとして、「バード・イズ・フリー」のほうは52年のニューヨークでのライヴ。とにかく人間技とは思えない圧倒的な演奏が延々と展開する。歌心もすばらしいが、超アップテンポでの指さばきと舌さばきの見事な連動にただただボーゼンとする。ライヴなのでかなりのロングソロだが、それがちゃんとしっかりした内容があり、かつテクニックが異常なので、これはもう恐れ入るしかない。音色もつややかで、鬼に金棒だ。しかも、選曲がバップナンバーだけでなく、スタンダードあり、バラードあり、ラテンあり、ブルースあり、ウィズ・ストリングスありで、パーカーというひとは麻薬とアルコール漬けの頭のおかしい芸術家気質の天才、みたいに言われるけど、じつはたいへんなショーマンシップのあるエンターテイナーだったのだなあと思う。どの曲もすばらしいが、「レスター・リープス・イン」はほんまにめちゃくちゃ凄くて、パーカーの全演奏中いちばん凄まじい演奏といってもいいかもしれない(一番いい演奏かどうかは知らん。テンポが異常に速すぎる。しかし、そのテンポを音楽的に吹きこなしているところが、もうスリル満点で、超人的なのである)。たしかにこんな速いテンポで演奏する必要はないが、パーカーはそれができてしまったし、速いだけで音楽的に中身がないなら無意味だが、そうではない点が凄いのだ。速いテンポへのチャレンジは、なるほど、破綻・崩壊と隣り合わせだが、そこに生じるスリルというかテンションもまたパーカーミュージックの魅力なのだ。速く吹けるやつは後進のアルト吹きにもいっぱいいるが、中身のある速吹きでないと意味がないのだ。そういうことをつくづく思い知らされる「バード・イズ・フリー」……傑作としかいいようがない。パーカー好きでこのアルバムを聴いたことがないひとはいないと思うが、もしいたら、ぜひ。音質? そんなこたーどーでもよろしい! とにかく聴いていて興奮しまくる演奏なのだ。