art pepper

「SURF RIDE」(SAVOY COCB−53401)
ART PEPPER

 ビキニのお姉ちゃんがサーフィンをしているジャケットが内容にはまったくそぐわないが、中身は保証付きの傑作。一曲めからいきなりエンジン全開で吹きまくる。音量のダイナミクス、アーティキュレイション、歌心、バップ心……どれをとっても最高だが、こういう演奏を私が好きになれたのはひじょーに最近のことで、昔はこの手の白人アルトの音のだし方は嫌いだった。ペッパーは別だろう、という意見もあるだろうが、やはりそんなことはない。まあ、ひとくくりにしてはならんが、どう聴いても、音のスカスカさとかが、パーカーともスティットとも一線を画す「白人アルト」的である(音質だけにかぎってのハナシですよ)。しかし、ペッパーの場合、一音一音のあつかいというか、音量の大小、アクセントのつけかた、すべてに「表情」があって、それは、自分の吹くフレーズをいかに大事にしているかのあらわれだと思う。そしてなによりも気合いがちがう。私は、復帰後の、ある意味荒いけれども一瞬の演奏に残りの人生を賭けたようなごりごり吹くペッパーを心情的には愛しているが、ようやく本作のようないわゆる「絶頂期」のペッパーも楽しめるようになってきた。ようするにやっと「ただのジャズファン」の域になったということか。悲しいなあ。でもうれしい。でも、本作ですごいのは正直ペッパーひとりであって、共演者、とくにラス・フリーマンとかは置いてきぼりに聴こえる(ハンプトン・ホーズはいい)。あと、6曲参加のジャック・モントローズも好演。めちゃうまい。12曲中10曲がペッパーのオリジナルという、かなり偏った感じの選曲。

「THE ART OF PEPPER」(OMEGATAPE TOCJ−6838)
ART PEPPER

 傑作でしょう! でも……このころのペッパーって、どんな編成でもひとりで吹いてる感じだ。ものすごくうまいし、彼自身に関してはあらゆる点で100点満点なのだが、バックがなにをしようが、あるいはバックがどんな連中でも関係ないもんね、わしはひとりで吹くもんね、という感じ。本作も、リズムセクションはウエスト派のかなりいいメンツなのだが、ペッパーは彼らに煽られる感じもなく、妥協する感じもなく、とにかくひたすら吹いている。つまりジャズのインタープレイの楽しみみたいなものが稀薄で、たぶんこういうのが苦手なので、どうしてもリズムセクションに向き合わざるをえなかった「ミーツ・ザ・リズムセクション」とか復帰後のライヴ盤などにひかれるのだろうとあらためて思った次第。でも、こういうのが嫌いじゃなくなってきた。人生の晩年に近づいているのか、わし。「サーフライド」と対照的で、ペッパーのオリジナルは十二曲中一曲だけ(それも「サーフライド」の再演)という、これまた偏った選曲。なぜか「ウェブシティ」だけ、ものすごくおおげさ(?)な録音バランスになっているのが不思議。

「AMONG FRIENDS」(TRIO RECORDS PAP−9129)
ART PEPPER

一時期、アート・ペッパーは復帰前がいいか復帰後がいいか、という不毛というのもおこがましいような、信じられないしょうもない最低の議論がジャズ雑誌で行われていたことがあったが、私には復帰後のアート・ペッパーも復帰前のアート・ペッパーからちゃんと一続きになって聞こえる。というか、ほとんどのリスナーはそうだろう。ひとりの人間がいろいろな体験をすることによってプレイスタイルを変えた(変えざるをえなくなった)だけのことで、そうはいっても同じ人間だから根底を流れるものは不変なのである。あたりまえの話であって、アホな評論家がどっちがいいか、などと決めていいような、そんな生易しい問題ではないのである。ちなみに私見では、溢れ出るフレーズをドラマチックな起承転結のなかにピタリとまとめ、しかも音色、音程、アーティキュレイションなども含めて、完璧な即興芸術として成立させていたのが復帰前のアート・ペッパーであるとしたら、刑務所その他の体験を経ての復帰後の演奏は、かつての完璧さから考えると頭がおかしくなったような突発性、瞬間瞬間の衝動を抑えることなく音にあらわすという露骨さ、そのときに自分のなかにあるすべてを伝えたいという気持ち……などがあらわれていて、結果的に無軌道に聞こえるほどの生々しさがあり、私はもうめちゃめちゃ好きである。アート・ペッパーの血の滲むような「真摯さ」が現れているのはなんといっても復帰後である。こうして復帰前、復帰後という、意味のない言葉を弄している時点で、私もさっき述べたアホな評論家と同罪なのかもしれない。さて、本作はその「復帰後」ペッパーが、なーんだ、やっぱり昔と変わらんことできるやん、ということを証明した一作であり、復帰後のペッパーがダメになったのでも下手になったのでもなく、そのときそのときの音楽的衝動を意欲的に取り入れようとした、アーティストならあたりまえの行動によるものだということがはっきりわかる作品なのである。聴いてみればわかるとおり、このアルバムは、復帰後のアート・ペッパーの作品といわれなければわからないぐらい、「ちゃんと」している。フレーズは泉のごとくあふれまくっているし、アーティキュレイションも完璧、楽器も鳴りまくっているし、スピード感もただごとではないし、起承転結もあるし、キーキーしたフリーキートーンも、フレーズが出ないなあ、という感じで立ち止まるような感じも皆無である。つまりは、アート・ペッパーはこんな風に吹こうと思えばなんぼでも吹けたわけで、それをあえてしなかったのは、彼の音楽的良心のたまものなのだ。復帰前がいいとか復帰後がいいとか、言葉のうえで遊んでいたやつらはみんな頭を丸めろというのが私の結論です。ほんと、すばらしいアルバムで、今回久々に聞きなおしたら、あまりによくて、それから数枚、ペッパーのアルバムをいろいろ聴いてしまったぐらい。やっぱりジャズというのは「人間」を感じさせる演奏がいちばんおもろいよねえ。ちなみに、私はライナーノートというのは無駄だと思っているが(自分でも書いておきながら申し訳ない)、本作のライナーはすばらしいので、これがCD盤にも収録されていることを祈る(確かめてはいません)。

「THE COMPLETE VILLAGE VAGUARDSESSION」(CONTEMPORARY RECORDS 9CCD−4417−2)
ART PEPPER

 マジ最高。77年のヴィレッジ・ヴァンガードでのライヴ。私が学生のころに三枚組のアルバムが出たのだが(最初のMCで「4枚のアルバムを作る」と言ってるのだが)、その後、未発表を加えて、「サーズデイ・ナイト」「フライデイ・ナイト」「サタデイ・ナイト」「モア・フォー・レス」の4枚に分けた編集で発売されたのだが、このコンプリート盤ボックスはそれらにも収録されなかった演奏も加えて、45曲が収録された完全盤である。「ブルース・フォー・ハード」という曲などじつに9テイク入っている(三日間の演奏なのに9テイクとは……と思う人がいるかもしれないが、ヴィレッジ・ヴァンガードは入れ替え制なので、1セット目、2セット目、3セット目、同じ曲をすることがあるからこうなるのです。この日のテーマっぽいので1分ぐらいの演奏とかもある)。
 学生のころにジャズ喫茶などで聴いたときは、この当時のペッパーの音色(しっかりした音なのだが、フラジオが痩せてピーというのが嫌だったらしい。今聴くと、そういったキーキーした吹き方も繊細さのひとつの表現であると思う)がどうも気に入らず、「リズムセクションはすごいのになあ……」とあまりいい印象を持っていなかったが、そののちなにかの機会に再聴して感心というか驚嘆しまくり、学生のころのアホ耳を呪った。今は、ペッパー作品のなかでベストワンと思っている。正直「ビバップ的なジャズはこれでもう十分じゃないか」と思ったりする。コロッと変わるにもほどがありますなー。
 ときどき激情にかられたような表現もあるが、基本的にはていねいで繊細で誠実にフレーズを重ねるペッパーの音が、エルヴィンの激しくダイナミックなドラムにプッシュされ、躍動感あふれる演奏になっていて、もう美味しすぎてよだれが垂れまくる。これだけ同じ曲を詰め込んで、いまいちなテイクがひとつもない、というのもこのカルテットの凄さを物語っている。ペッパーとエルヴィンが天才肌であることはもちろんだが、ジョージ・ケイブルスとジョージ・ムラツも負けず劣らずの凄さで、まさにドリームカルテットである。なかでもエルヴィンとペッパーのからみはマジですごくて、興奮しまくる。
 MCなども収録されていて、各CDごとに臨場感のある編集になっており、飽きさせない。「チャーリー・パーカーの曲をやるよ」と言っておきながら、「名前を忘れた。この曲はなんだっけ」といって「チュニジアの夜」のメロディを歌い、結局「スクラップル……」をやるあたりはいかにもヴァンガードで日々行われているセッションのやりとりという感じがする。ペッパーはアルトのほかにクラリネット、テナーも吹いていてそのあたりを聴く楽しみもある。
 エルヴィンのポリリズミックな白熱のドラミングのうえで歌心あふれるバップフレーズが延々とつむがれていくこの快感をなんと言えばいいのでしょう。ベタッとしたバラードもすばらしい。朗々とした音色ですごいテクニックによって奏でられるバラードもいいが、こういう風に滋味あふれる音色で、訥々と、その場で思いついたフレーズを重ねていくようなバラードこそがジャズを体現しているように思う。ジョージ・ケイブルスのピアノはただただ圧倒的ですべてにおいて完璧で、ただただ聴き惚れるのみ。凄まじいテクニックと音楽性で弾きまくられる演奏は、ペッパーの訥々とした表現と調和している。こういうのがいいんですよねー(遺作というべき「ゴーイン・ホーム」でのデュオが思い起こされる。ウディ・ショウグループなどでのゴリゴリの演奏のエッセンスも感じられ、最高だと思う)。
 ワンコードというかモードによる「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」(という曲)の凄さよ。ペッパーの渾身のアルトブロウではないか。こういう曲をまえにしたら「ペッパーは前期が最高」とかいう議論がいかにたわけたことであるかはおのずとわかるというものだ。「キャラヴァン」でのアルト〜ベース〜ドラムの4バースの凄まじさは「よくぞ録音してくれてました!」と叫びたくなるぐらいの最高の演奏。この曲でのアーティキュレイションを聴くと、バップの真髄はここにある、と思ったりする。バップ曲やストレートなスタンダードだけでなく、たとえばまるごと無伴奏ソロでひとつひとつのフレーズを愛おしむようにして吹かれる「オーバー・ザ・レインボウ」、いわゆる前期ペッパーのころならぜったいに組めなかったセットリストであろうモード曲、スローのドブルース、などなど聴きどころ満載である。
 全体に感じるのは、コルトレーンの影響(当時よく言われていたし、本人もそう言ってるだかなんだかはわからないが、とにかくこの時期のペッパーの表現の幅は明らかに広がっているのだ。バップ的なもの、ウエストコーストジャズ的なものにプラスして、モーダルなもの、フリージャズ的表現などが加わっており、それはかつての演奏を否定するものではなく「プラスされた」ということなのである。繊細さもまったく失われておらず、そのうえに立ってこういう「新しいものを取り入れよう」という姿勢はミュージシャンというか表現者として「当然」のことだと思う。
 圧倒的にビバップの歌心とテクニックを披露しまくる「チェロキー」(3テイク収録されているがどれも壮絶。とくに20分以上にわたる3テイク目! ペッパーもすごいがケイブルスがえげつない。なにがミスター・ビューティフルか、と言いたくなるようなゴリゴリの演奏! ペッパー、エルヴィンのバースも凄すぎる!)などの曲でも、途中でフリーキーな表現が現れるのだが、それはビバップを突き抜けた「叫び」のように思われる。なので、一曲の流れとしてはまったくマイナスになっていないのである。そういう「ほとばしり出るパッションの表現」としてのフリーキーな演奏ではなく、「フォー・フレディ」などで聴かれる最初から最後までのフリーなブロウは、コルトレーンというより、もっとフリージャズに踏み込んでの表現(たとえば坂田明とか)のようにも聞こえるほど徹底的である。ペッパーが、真剣に正面から堂々とフリージャズ的な吹き方を取り入れていることがわかる。決して一時の思いつきではないのだ。
 クラリネットでの「アンソロポロジー」は絶妙で、パーカーからも飛躍したペッパーだけの表現ではないかと思う。後半で聴かれるテナーも軽々とした音色で飄々とした味わいがある。パーカーの代表曲的なバップナンバーなので、あえてアルトでの表現を避けた、というようなうがった見方もできるかもしれないが、まあ、単に「吹きたかった」だけではないかという気もする。しかし、テナーでの延々と繰り広げられるエルヴィンのブラッシュとのバースは凄いし、アルトではないことでかえってペッパーの「バッパー」としてのルーツがはっきりと伝わってくるようにも思う(テナーではあるが、フレーズはひたすらバップ)。つづくバラードの「ジーズ・フーリッシュ・シングス」もテナーで吹かれるが、これはこの曲を愛奏していたレスター・ヤングを意識したもののようです。「ステラ・バイ・スターライト」でのエルヴィンとの8バースも凄まじいかぎりである。
 私は、ペッパーのリーダー作にエルヴィンが招かれて演奏するのはともかく、エルヴィンが自己のリーダー作である「ヴェリー・レア」のフロントにペッパーをすえたのがいまいちよくわからなかったのだが、なるほど……憶測だが、ペッパーというプレイヤーの表面的な演奏ではなく本質に、コルトレーンと同じようなシリアスな音楽的姿勢を感じ取ったのだという気がした。ここでのエルヴィンは、まったく自分を抑制せずに好き放題に叩いているのに、ペッパーもいつもどおり吹いていて、それが完全に噛みあっている。共演というのはそういうもんですよね。
 ペッパーのMCも面白くて、エルヴィンのことを「日本のスウィング・ジャーナルでめちゃ評価されてる」と紹介してべた褒めしたり、アンソニー・ブラクストンのことに言及したり、「ミーツ・ザ・リズムセクション」のことを言ったりととても楽しいし、ペッパーがこのギグを心から楽しんでることがわかる。「チェロキー」を演奏するまえのMCも笑えます。ジャズミュージシャンのバイブルだと言っているのだが、この曲はサビがめちゃくちゃむずかしく、それをこなすにはかなりの腕が必要だということなのだ。ペッパー自身もなにかのインタビューでそう語っていたように思う
。ここでのペッパーのソロも、決して自在に吹きまくっているというより、サビと格闘しているような真摯な演奏である。  とにかく金太郎飴みたいなもんで、このCD9枚組をどの一枚から、どの一曲から聴いても、すばらしい感動的な音楽体験ができると思う。あー、宝物のような音楽が詰まったこのボックス……買ってよかったです、マジで。

「TETE−A−TETE」(VICTOR MUSICAL INDUSTRIES/GALAXY RECORDS VICJ−23129)
ART PEPPER AND GEORGE CABLES

 テテ・モントリューにもたしか同名のアルバムがあるが関係ない。「GOIN’ HOME」の組み合わせによるデュオ。11曲中ペッパーのオリジナルは2曲だけで(CD化による収録作も含む)、ケイブルスの曲も一曲あって、あとはすべてスタンダードらしい。ペッパーが「ミスター・ビューティフル」と呼んだケイブルスだが、正直、そんな風に呼ばれると恥ずかしいのを通り越して「嫌やろ」「恥ずかしいわ」と思わんでもないが、それがペッパーの人柄なのだろうな。実際に聞いてみると、なるほどこれは「ミスター・ビューティフル」やわ、と納得してしまう演奏である。4曲目の「ボディ・アンド・ソウル」はあまりにだれもかれもが演るので見過ごすかもしれないが、めちゃくちゃ名演だとおもう。5曲目の「ザ・ウェイ・ユー・ルック・トゥナイト」で、手垢のつきまくったこの曲をアルトとピアノが新鮮きわまりない血を流し込んでいるのが感動である。ペッパーはこのあとすぐに亡くなるのだが、ぴちぴちとはねたような演奏。ビバップの権化のような「チュニジア」を経て、ラスト(CDではそのあと2曲別テイクがついている)の即興スローブルースの冒頭のアルト無伴奏ソロは涙がちょちょぎれるが、ピアノソロを挟んでのクラリネットソロのまるで「初心者が楽器を持っていきなりブルースを吹いてみた」みたいな朴訥さにあふれたソロには言葉が出ない。悠雅彦氏のライナーはアルバムを聴いてから読んだほうがいいと思います(というか読まなくてもいいと思う)。