「ALMOST LIKE ME」(MOERS MUSIC 01092)
ODEAN POPE
20年以上まえ、ポープをはじめて聴いたのはサクソホン・クワイアのアルバムであって、それは店頭で試聴して、なんじゃこりゃーっと叫んでただちに買ったのだ。あまりに暑苦しく、えげつない、まさにサックスミュージックであった。しかし、本作はその正反対のシンプルな表現である。ベースとドラムだけをしたがえたポープがひたすらフルトーンで吹きまくる。ジェラルド・ヴィーズリーのペンペケいうエレキベースはドファンクで、コーネル・ロチェスターのドラムはジャズとは思えないほどの縦ノリだ。おそらくコルトレーン4やマイルスバンド、スライアンドロビーなどに匹敵する名リズムセクションであるところのこのそのふたりがたたき出す機関銃のようなリズムをバックに、ポープはブロウし、スクリームする。たった3人ではあるが、その暑苦しさはサキソホン・クワイアに匹敵する。こういう手抜き一切なし、空間を音で埋め尽くしたい、というそういうひとなんだろうなあ。リズムのふたりはスカスカなのに、ポープはスカスカでは満足せず、とにかく吹いて吹いて吹きまくる。飾り気のない力強い音。ああ、めちゃめちゃかっこいいですよ。ファンクで、フリーで、ジャズで……たまらんなー。「コテコテ」という言葉がぴったりである。これらのアルバムを聴いたあとで、オディアン・ポープというひとがマックス・ローチ・グループのレギュラーだと知ってびっくりした。しかしよく考えてみれば、ビリー・ハーパーが在籍していたわけだから、ポープがローチグループにいたとしてもおかしくはない。コルトレーンというより、ローランド・カークや最近でいうとジェイムズ・カーターにも通じる、あくの強い表現、ブラックなうねり、リズムへのはっきりしたアプローチなどを感じるテナーである。循環呼吸を多用してのぐじゃぐじゃっという音塊的な表現にそれを強く思う。もう一度言うがとにかくこのアルバムはめちゃめちゃかっこいいので、暑苦しいのが苦手なひと以外は全員聴くべし。
「THE SAXOPHONE SHOP」(SOUL NOTE SN1129)
THE SAXOPHONE CHOIR
CHOIRを「コア」と読むのか「クワイア」と読むのかはよくわからないが、とにかくゴスペルのあの分厚くて独特のコーラスというかハーモニーのことである。あの独特のハモリは一度聴くと耳から離れないが、それをサックスでやってしまおうというのがこのオディアン・ポープのサクソホンクワイアである。アルトが3人、テナーが4人、バリサクがひとり、計8人のサックス奏者が分厚いオルガンハーモニーを延々と吹き、そこにポープを中心とした暑苦しいソロが乗る。いわゆるWSQなどのサックスアンサンブルとは一線を画した、サキソホンミュージックである。ギターのひとたちのセッションでは、おたがいに「おっ、そう来ますか。私はこう」「おお、そのテクは知らなかった。では、これは知ってますか」「ほほう、なかなか」的な無言でのギター談義的やりとりをしながら演奏している風景をよくみる。そういうのをみていると、こっちにはなんのことかさっぱりわからんし、どこをおもしろがればいいのかもわからないので、正直、なんだか腹が立ってくるのだが、本作はまさにサックス奏者たちによるサックスミュージックである。サックス奏者以外の人間は、なんじゃこいつら、なにやっとんねん、と怒ってください。わしゃぜんぜん気にしませんけんねー。私の耳には、サックス奏者の大群を見事にまとめ、暑苦しくも分厚いアンサンブルとえげつないソロを配置したオディアン・ポープの手腕は見事だと聞こえるが、フツーのひとにはどうなんじゃろか。曲もいいし、リズムセクションは3人ともすばらしいがとくにドラムがめちゃかっこいいし(ベースはジェラルド・ヴィーズリーなので言うことなし。ピアノも○)、ポープもいつもの循環呼吸をふんだんにとりいれながら「そんなに吹きたいか」的なブロウにつぐブロウ、B−1ではドラムとのデュオで「どうじゃーっ!」的な演奏をたっぷり聴かせてくれるし、B−4ではハーモニクスを多用したゴリゴリの無伴奏ソロも吹きまくり、言うことないのだが、サックス吹きでないひとにはもしかしたらギター奏者がにやにや笑いながら「そうきますか、ふふふ」的な演奏をしているのと同じように思われているかもなあ。もちろん暑苦しい曲ばかりではなく、バラードっぽい曲とか、明るめの曲とかいろいろあるのだが、やはりどの曲も途中からじわじわと暑苦しくなっていくのがポープらしくていい。とにかく、やるほうもそうだろうが、聴くほうにもかなりの体力を要求する「体力バンド」なのでご注意! もう腹一杯だ! すげーっ!
「OUT FOR A WALK」(MOERS MUSIC 02072CD)
ODEAN POPE TRIO
長いあいだ、オディアン・ポープは、メールスから出ている二枚(トリオのやつと、サクソホンクワイア)を繰り返し聴くことで満足していた。どちらもめちゃめちゃ凄いし、そのバイタリティというかエネルギーにはほとほと感心しまくりで、しかも、ほかにないかなあと探してみて見つけたマックス・ローチ・グループのアルバムが(ポープに関しては)いまいちぴんとこなかったこともあって、あまり追いかけなかったのである。最近なんやかんやとポープを聴く機会にめぐまれる。このアルバムはずいぶん昔に買って、聴いたまま、忘れていたものだが、久しぶりに聴き直してみると、やはり良い。メールスでのトリオのライヴとほぼ同時期の、同メンバーによるニューヨーク録音で、曲もだぶっている。演奏のクオリティはもちろん甲乙つけがたい。このトリオの演奏は、要するにリフ主体なのだが、一曲のなかにこめられている情報量が半端ではなく、いいかげんな感じで聴いているとはじきとばされてしまう。それぐらいパワフルで熱くて深い。そういう演奏が、な、な、なんと12曲も入っていて、真剣に聴くとへとへとになる。それがまた快感なんですねー。直線的なテナーと直線的なベースと直線的なドラムが合わさって、三本の線がからむ感じなので、非常にシンプルで、スカスカなのだが、それが快感なのだ。分厚いアンサンブルとかハーモニーというより、三本の太い線がある、みたいな……。たとえばロリンズのピアノレストリオと似た、墨と太筆で力強く書かれた絵画のような、重厚かつ潔い美がある。三人ともすごいが、ポープのちょっと丸っこい、つぶれたような低音からしゃくりあげていき、ハーモニクスの魔術師のように倍音を使いまくり、パターンを半音などでものすごい速度で上下させていくソロ、ジェラルド・ヴィーズリーの六弦ベースを駆使しまくりのファンクベース、そして、超立て乗りのコーネル・ロチェスターのマシンガン的ドラムの3つが組みあわさるこの感動をどう言い表せばよいのか。
「LOCKED & LOADED〜LIVE AT THE BLUE NOTE」(HALF NOTE RECORDS 4526)
ODEAN POPE SAXOPHONE CHOIR
このアルバムは知らんかったが、オディアン・ポープのおなじみのサキソホン・クワイアに、ゲストとしてな、な、なんとマイケル・ブレッカー、ジョー・ロバーノ、ジェイムズ・カーターという3人のサックスモンスターたちがそれぞれゲストで入り、大暴れする、という超豪華盤、なおかつブルーノートでのライヴという、オディアン・ポープファンでなくともだれでも食指を動かされるアルバムだが、こういう豪華ゲストをそろえたアルバムの場合、まあ、たいがいは顔見せ的に終わってしまうもので、なかなか彼らの真骨頂を発揮したようなものは少ない。ブレッカーも、晩年といえば晩年だし……とちょっとした危惧を抱きながら聴いてみると……な、な、な、なんじゃこりゃあ! すごいすごいすごすぎる。これはびっくりです。ブレッカーは、2曲目の超アップテンポでの吹きまくりもすごいが、なんといっても5曲目のポープとのバトル。ふたりともハーモニクスを駆使しまくり、テナーの最低音から超フラジオでの絶叫までサックスの音域のすべてを使い、あらゆるテクニックを陳列し、サキソホンという楽器に限界はない、ということを見せ付ける、圧倒的かつ壮絶なソロになっていて、もう何遍も何遍も聴いた。身震いするぐらい凄いです。ブレッカーというひとは、自分のリーダー作ではグラミー賞をとったりもしたが、結局、全体のサウンド構築に気を配りすぎて、他者のアルバムにゲストソロイストで入ったときのようなリラックスと逸脱が希薄で、一発勝負のアドリブソロに命をかけるような意味での大傑作を生むことはなかったと思うが、たまーにこうやって他者のアルバムで異常なまでの凄みを発揮することがある。暴走といってもいいぐらいの好き放題だ。このアルバムでの彼も、まさにその典型で、みんな、これを聴かなきゃだめですよ! ポープも燃え上がっていて、怖いぐらい。もちろんロバーノもカーターもそれぞれに個性を出していて、おもしろいし、サキソホン・クワイアのメンバーたちのソロもなかなか聴かせるものがあり、全体として、相当な傑作となった。とくにテナーサックス好きにはたまらんアルバムだとおもいます。もしかすると、逆に、ギターのファンとかピアノトリオのファンなんかには、こいつらなにを集まってぴーぴーぎゃーぎゃーやっとんねん、と思われるかもしれないけどね。中毒になってしまった。今からまた聴こう。あと、どうでもいいことだが、オディアン・ポープといえばラバーのマウピの、鼻がつまったような低音が特徴的だったのだが、本作のジャケットではリンクのメタルを使っている。そのせいだと思うが、以前よりもかなりエッジの立った音になっています。
「COLLECTIVE VOICES」(CREATIVE IMPROVISED MUSIC PROJECTS CIMP#124)
ODEAN POPE TRIO
マックス・ローチ4や、自己の重量級ピアノレストリオ、そしてサクソホン・クワイアなど、八面六臂の活躍をして、サックスの技量ということでは現代ジャズ界においても一目置かれているであろうオディアン・ポープだが、よくよく聴いてみると、じつはその演奏はダサさと紙一重なのである。音色ももっちゃりしているし、フレーズもくねくねしているし、アーティキュレイションも「すごい!」「うまい!」というのとはほど遠い。だから、演奏によっては、なんじゃこりゃ的なものもあり、とくにマックス・ローチ4での正統派4ビート的な演奏だとそういう面が出てしまうことが多いような気がする。本作も、コーネル・ロチェスターやジェラルド・ヴィーズリーといったえげつないほどの猛者リズム隊とはちがって、おそらく4ビートサイドのちゃんとした人(というのもおかしいが)のようで、それがポープのダサさと悪く噛みあってしまい、「あり?」と思うような展開の部分もあるのだが、逆にひとたびポープが気合いをいれてフリークトーンを吹きはじめると、がぜんリズムセクションとの相性ががっちりとなり、めくるめく展開になることもある。そういう意味で、良くも悪くもポープの個性が全開になったアルバムだ。普段着のポープというところか。しかし、何度聴いてもこのひとのフリークトーンはかっこええなあ。10曲目はポープのソロ演奏。12曲目は1曲目のテンポの速いバージョン。にわとりのジャケットがかわいいよ。
「TWO DREAMS」(CREATIVE IMPROVISED MUSIC PROJECTS CIMP#1303)
ODEAN POPE QUARTET
リズムセクションは上記と同じだが、アルトのカール・グラブズとの2管編成。ポープは、サックスバトルとか共演者に同楽器のひとがいると燃えるタイプらしく、とにかくあらゆる「技」を披露して、どやっ! という感じになるので、聴いていて興奮する。カール・グラブズというひともなかなかよくて、音もしっかりしているし、モーダルな演奏が根本にあるようだが、うまいし、ガッツがあるし、基本的に鳴っているし、アーティキュレイションもいいので、聴いていて心地よい。もちろん、ただの「テクニック見せびらかしバトル」ではまったくなくて、創造的な音楽になっている。ふたりのサックス奏者の相性は抜群で、とてもぴったりの共演になっていて、さぐり合いの部分をすっとばして、最初から最後まで両者が全力をぶつけあえる関係というのか、そういういい感じのバトルである。なかなか趣味のいい、ジャズ喫茶などでウケそうな、芯のとおった作品。
「SERENITY」(CREATIVE IMPROVISED MUSIC PROJECTS ON LOCATION CIMPoL 5002)
ODEAN POPE
オディアン・ポープの無伴奏ソロ。ときけば、あのサクソホンクワイアの熱気あふれるサーキュラー吹きまくりを思い浮かべ、さぞかし凄まじいソロサックスが繰り広げられているのだろうと思うかもしれないが、そういうのとはちょっと違う。なにしろ朝の4時にどこかの庭園(?)において一種のフィールドレコーディングのように行われた演奏らしく、録音もちょっとオフな感じだし、演奏自体も周囲をはばかってかグーッと抑え気味のテンションになっている(スタッフは、ポープが4時半ごろに起きて5時ぐらいから録音を開始すると思っていたが、ポープは3時半頃までバイアード・ランカスター(!)としゃべっていて4時ぐらいにはプレイを開始したらしい。雨も降っていたという)。最初は、だから「アレ?」と思うのだが、だんだんとポープの意図がわかってくるにつれて、このソロテナーの世界に入り込んでいく。要するに、ゴスペル的というか宗教的な曲をサックス一本で表現しようということであり(ゴスペルもあるが、普通の讃美歌もある)、そういう精神状態になるために朝の4時とか5時というシチュエーションが必要だったのだと思われる。あのテクニシャンのポープからは考えられないような朴訥で素直な演奏も含まれており、また、7曲目のようにトークが入る曲もあって、ちょっとカークの「ナチュラル・ブラック・インベンションズ」を思い浮かべたりした(あくまで「ちょっと」ですが)。エリントンの「カム・サンデイ」のバリエーション、という演奏(13分以上にも及ぶ)もある。なかには、やはりというかなんというか、循環呼吸とハーモニクスで吹きまくり……という演奏もちょっこっと入っているが(9曲目とか10曲目とか)、全体の印象は、じつにしみじみとしたものである。はじめてオディアン・ポープを聴く、というひとにはすすめるのはためらわれるが、でも、かまわないかもな、と一方では思う。ただのソロサックスとしてみると、とてもいい内容なのだ。ポープも歳とったなあ、と感じる部分もなきにしもあらずだが、歳をとってからしかできない表現ともいえる(枯れた、というのとはちょっと違うか)。味わい深い、スルメのようなアルバムでした。
「PLANT LIFE」(PORTER RECORDS PRCD−4017)
ODEAN POPE
2008年の録音で、サニー・マレイとリー・スミスによるピアノレストリオ。マレイはこの録音時点で72歳だったが、まだ元気である。1曲目と8曲目は同じ曲の別テイクで(8曲目のほうがテンポが遅い)、すごくシンプルなスウィングナンバー。この曲を冒頭と最後に置くというのが、おそらくポープのなんらかの意図なのだろうが、よくわからん。だいたいポープというひとはよくわからんひとなのだ。基本的にはマックス・ローチのところの大番頭というか、音楽監督的なひとだったと思うのだが、個人的にはこういったピアノレストリオと、あとサキソホン・クアイアを率いて活動。サキソホンクアイアでは、ハーモニクスと循環呼吸を駆使した暑苦しいブロウで圧倒的な演奏を展開するが、本作みたいなテナートリオだと、音程が悪いし、フレーズもよれよれの垂れ流しな感じで、しかも同じことの繰り返しも多く、こういうトリオだけ聴いたひとは「なんじゃ、こい,。下手くそか」と思うかもしれないが、この独特の、息の長い、たるーい感じ、ダレた感じ、腰砕けのフレージングは癖になり、もっと聴きたい! という気分にさせられる。中毒性があるのだ(でないと、ポープのトリオをこんなにたくさん買ったりしません)。たとえて言うならエリック・ディクソン? ちがうか。いやー、ほんと独自の、ワンアンドオンリーの世界だなあ。すごく自由なのだ。全編ベースがずっと活躍しているが、ベースとテナーがほぼ同等にふたつのラインをからみ合うようにつむいでいっている。「アイ・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・ユー」もやってるけど、クレジットにこの曲はサニー・マレイの曲だと書いてあるのはドイヒーですね。