michel portal

「BLOW UP」(DREYFUS JAZZ FDM 36589−2)
GALLIANO−PORTAL

 お見事っ、と叫びたくなるめちゃめちゃすごいアルバム。アコーディオンとクラリネットのデュオだが、オーケストラのようにきこえる部分もあるほどのダイナミックかつ濃密な演奏である。信じられないほどのテクニックとリズム感だが、それらを突出した要素と聴かせずに、ごく自然に演奏に奉仕させている点がまたニクイのである。ピアソラやエルメット・パスコアールの曲以外は全部ふたりのオリジナルだが、その曲がまたいいのです。一聴、ヒーリング・ミュージックというか、いわゆる癒し系風なところもあるし、また、そういう聴かれかたをしてまちがいではないかもしれないが、その奥にひそんだ燃え上がるパッションは耳が焼け付くほどに熱い。聴き出したら最後までやめることはできないし、耳だけじゃなくて、全神経が釘付けになってしまうほどの、一点の妥協も手抜きもないテンションに満ちた、しかも、同時にリラックスした両者の魂の邂逅がここにある。ミッシェル・ポルタルの登場の意義は、バスクラリネットという、ドルフィーによって持ち込まれ、一種のノベルティ楽器としてジャズの世界では認識されていた楽器に、クラシックの完璧な奏法をもって、あらたな局面を示したことにあると思うが、ほんと、もうやめてくれっ、と言いたくなるほどの名人芸です。うますぎる。ほんと、うますぎるわ、この人ら。なお、便宜上ポルタルのところに入れたが、本来、リチャード・ガリアーノとの対等のリーダー作である。

「!DEJARME SOLO!」(DREYFUS JAZZ FDM 36506−2)
MICHEL PORTAL

 某クラシック〜ジャズ専門店で捨て値で叩き売りされていた一枚。もちろん問答無用で買う。ポルタルのソロでっせー。俺なら、2000円でも買うけどなー。聴いてみると、無伴奏ソロではなく、オーバーダビングによる「ひとりアンサンブル」なのである。ジャズファンというものは、オーバーダビングという行為を嫌い、ダビングの一切ない状態こそがベストと考えている。コルトレーンの音源にアリス・コルトレーンがなにかをオーバーダビングしたときいたら、それを虫酸のように毛嫌いし、ダビングまえの音源こそ純粋だ、みたいな言い方をする。しかし、そんなこと言い出したら、最近のラップの音ネタとして使われているジャズってどうなのよ。元の音源に手を加えることがそもそも基本なのである。まあ、そんなことと同一視することはもちろんできないが、無伴奏ソロだろうがオーバーダビングしたものだろうが、結果がよけりゃあそれが一番ええわけだ。で、このポルタルのソロはどうかというと……これは凄い! めちゃめちゃ凄い、と言わしてもらおう。自分をバックに自分が吹く……これは簡単なようでむずかしいはずだ。他人が刺激してくれるからこそいろんなことが試せるわけで、自分がソロをするためのお膳立て部分を作るというのはなかなかできないと思う。曲ごとのアイデアが明確だし、めっちゃうまいのはあいかわらずだが、このアルバムでは、ポルタルは、普段以上にダーティートーンで荒れ狂っており、聴いていてものすごく興奮する。それは、いくら仕掛けても変化してくれないバック(しかも自分自身)に対して、いつもよりもアグレッシヴに吹かねば、という気持ちが出たのかもしれない。とにかくワイルドさと冷静さが見事にバランスした最高のアルバムで、ミシェル・ポルタルをはじめて聴くというひとにもすすめられる。

「DOCKINGS」(LABEL BLEU LBLC6604)
MICHEL PORTAL

 これはいいっすよ! ポルタルのアルバムのなかではどういう位置づけにあるのかわからないけど(まあ、ポルタルに駄作なしですからね)、めちゃめちゃかっこいい。いつものごとく、作曲能力に感心し、アレンジに感心し、テーマの吹き方に感心し、イマジネイションあふれるソロに感心し、神のごときテクニックに感心しているうちに一聴きとおしてしまう。ジョーイ・バロン、スティーヴ・スワローといったアメリカのジャズマンのサポートもすばらしい。中古で買ったのだが、こういうアルバムを売るやつの気がしれん。これを売って、今はなにを聴いてるのかなあ。気になる。タイトルは、アメリカのバンドとヨーロッパのバンドのドッキングという意味なのかも。

「MEN’S LAND」(LABEL BLEU LBLC 6513)
MICHEL PORTAL

 現在八八歳のポルタル。クラシックの演奏家として出発し、次第にジャズに接近していった。普通はクラシックとポピュラーを股にかけて活躍する奏者になる……という展開なのだろうがポルタルはそうはならなかった。クラシックもジャズも映画音楽もなにもかも丸のみにして自分の個性として発露するという稀有なミュージシャンになったのである。というようなことはだれもが承知しているだろうから、本作について思いつくままに。これはジャズ・フェスティバルのライヴだそうだが、デイヴ・リーブマンのソプラノ、ポルタルのテナー、バスクラ、ハリー・ペプルのギター、ジェニー・クラークのベース、ジャック・ディジョネットのドラム、ミノ・シネリのパーカッションという編成。  1曲目は曲はディジョネットのオリジナルでモード的な部分とコードが進行していくバップ的な部分が交錯する感じ。ハンコックの初期の曲のような明るさを感じる。リーブマンのソロはあいかわらずのリーブマン節で、フラジオの部分などの音色はまさにリーブマン。コントロールも完璧だし、個性も十分出ている。つづくポルタルのテナーは音もしっかりしているし、フレージングも正攻法のもので、聴きごたえ十分だが、バスクラのような個性は感じられない。でもめちゃくちゃ好感は持てる! 本当に「しっかりした」としか言いようのないテナーである。マウスピースははアジャストトーンだ。ギターのハリー・ペプル(オーストリア)はウィーン・アート・オーケストラのメンバーでもあった。きっちり構成された曲である。2曲目はタイトルチューン(なのだがミノ・シネリの曲)で、パーカッションが有効に使われ、リズム的にもアフリカっぽい雰囲気が濃厚な演奏。ポルタルはバスクラで吹きまくっている。ミノ・シネリのパーカッションは延々と続くようなアフリカンなビートを提供し、ブレイクのたびに新しい展開が生まれる。かなりフリーな演奏で、バスクラとパーカッションのデュオになるパートなど、ものすごく自由勝手気ままである。3曲目はモーダルなベースラインの曲(ポルタルの曲)で、テーマも変態的でかっこいい。そのあとクラークのベースソロになるのだが、これがすばらしいのです。そして、それに続くフリーリズムでのペプルのギターがまた自由で、心を遊ばせてくれる。この曲では、管楽器はテーマのみでソロはない。それもまたよし。ラストの4曲目はリーブマンの曲で、本作中もっとも長尺の曲。フリーで幽玄なパーカッション(「和」な感じにも聞こえる)にほかのメンバーが集まっていき、アフロなリズムになって、うーん、このテーマは70年代的モードジャズを連想する(サビは4ビートになる)。ポルタルの凄まじいソロ、ディジョネットとリーブマンのひりひりするようなデュオ、そして、ディジョネットのソロ……と大河が流れていくようなドラマ性があり、延々と聞いていられる。これがライヴというのもすごいことであります。ライナーはないけれど写真がたくさん掲載されていて、そのなかにリーブマンがソプラノを寝っ転がって吹いているのがあり、なんとなくこのメンバーにおける「くつろぎ」を感じた。なにかをやりとげようという緊張感とこのリラックスが同居しているからこそこの演奏は成功したのだろう。傑作!

「ANY WAY」(LABEL BLEU LBLC 6544)
MICHEL PORTAL

 傑作。ミッシェル・ポルタルの超意欲作。どの演奏も当時のヨーロッパ〜アメリカ〜インドなどの精鋭を集めたもので、ミノ・シネルの一曲をのぞいて全部ポルタルの作曲。超絶技巧によるフュージョン的な味わいもあるが、そのシリアスすぎるほどの演奏姿勢は聴いていてひりひりするほどキツい。ウェザー・リポートの一部の作品に感じるように、エレクトリックに寄った音楽なのに、リズムもメロディもどう考えてもポピュラーミュージックではない。そこがもうめちゃくちゃかっこいいのである。では、ポップなフュージョンはあかんのかい、というひとがいるが、そもそもそんな話はしていないのである。いまだにフュージョンというのはジャズから発生し、金のためにポップと融合させたレベルの低い音楽、と思っているひとがいて驚く。本作はそういう意味ではものすごくシリアスな音楽であり、そういうものが好きなひとが楽しめばいい、というだけだ。前衛的な部分も多々ある。そのあたりはポルタルの人選の妙だろう。主だったメンバーだけでも、ヴィクター・ベイリー、ミノ・シネル、マルク・デュクレ、ジェニー・クラーク、トリロク・グルトゥ、ケヴィン・ユーバンクス、ロビン・ユーバンクス、ギル・ゴールドスタイン、デヴィッド・フリードマン、ケニー・ホイーラー……などなどと信じられないぐらいの豪華さであるが単なる顔合わせにとどまらず、それぞれのミュージシャンの個性と実力をポルタルが見極め、がっつりと組み合わせることで成立した音楽世界なのだ。ポルタルは曲でもソロでも、かなり変態的な長いフレーズをバスクラ(ソプラノサックスやアルトサックスも使用)で軽々と吹くところが魅力である。木管楽器のプリミティヴな音色とエレべやシンセなどによって用意された枠組み(?)が、対比ではなく、融合しているところもすごい。アフリカやブラジルなどのエスニックな楽器とリズム、エレクトリック、サイケ、長くて複雑で超絶技巧でないと演奏しがたいだろうメロディ、フリージャズ的なソロと現代ジャズ的なソロなど聴きどころは満載である。それぞれのソロもすばらしく、ヴァイオリンやホイーラーのトランペット、ギル・ゴールドスタインのシンセなどがとくに心に残った。4曲目のミノ・シネルの曲はマイルスの「ジャン・ピエール」によく似たリフが出てくるが、ミノ・シネルは同曲が入っている「ウィ・ウォント・マイルス」にも参加しているからどういうことなのかと思ったりもする(「ウィ・ウォント……」ではマイルスの作曲ということになっている)。また、5曲目の冒頭部はちょっとチックの「スペイン」に似たメロディ(とリズム)である。でも、そんなことはどうでもいい。なにしろ意欲的でかっこよくて刺激的な音楽なのだ。何度聴いてもいいものはいい。傑作。