「EASY LIVING」(BLUE NOTE BST84103)
IKE QUEBEC
タイトルからはスタンダード集かなにかか、と勘違いされる向きもあろうが、じつはどす黒いヘヴィサウンド。アイク・ケベックの最高傑作は本作だといったら怒られるでしょうか。それほど本作をはじめて聴いたときはびっくりして感動してはまりまくった。80年代に発掘された作品なので、最高傑作というのはヤバイかもしれないが、聴いたとき、なんでこれが未発表だったのかさっぱりわからなかった。今でもわからんぞ。アイク・ケベックというひとは、ヘヴィ・ソウルやブルー・アンド・センチメンタルといった黒っぽいタイトルのアルバムを出しているとかオルガンとの共演が多いとか風貌がこわもてとかマウピがロートンのメタルだとか、いろいろと「図太い音で豪快にブロウしまくるブルーステナー」という勝手なイメージがあるが、じつは意外とそうでもなく、木訥で歌心のあるタイプだと思うし、音も濁った太い音とかではなく軽やかといっていいほどだ。そしてタレンタインも、ボステナーという称号やオルガントリオとの共演など、アーシーなタイプだと思われているが、じつは線が細く、高音部でアドリブする、妙なコブシを回す、かなり変態的・個性的なテナーである。しかし、本作ではそのふたりの共演ということで、結果的にどちらも重量級のブルーステナーとしての本領を発揮し、黒々とした図太い演奏を繰り広げており、めちゃめちゃ凄い。このふたりにいつもよりもブラックネスを注入したと思われるのがもうひとりの管楽器であるベニー・グリーンで、彼がおそらくアイク・ケベックとタレンタインに対してブルース度を120%まで注入したにちがいない。おとぼけジャズとか酷評されているベニー・グリーンだが(ああいうことをいうひとはほんとわかってないなあと思う)、こういう演奏を聴けば、彼がローランド・カークに通じるほどの漆黒のホーンブロワーであることは明白である。この3人が、ドラキュラ、狼男、フランケンのように揃った本作は、どの曲もブルースとヘヴィソウルで塗り固められたようなヘビー級大迫力の作品となった。私が愛してやまない所以であります。
「HEAVY SOUL」(BLUE NOTE RECORDS ST−84093)
IKE QUEBEC
フレディ・ローチのブルーノート初吹き込みとあるが、実際にはブルーノートというよりローチのレコーディングデビューだそうである。ジャズ評論家からはホンカー的な扱いを受けたりするケベックだが、そういう演奏をすることはほぼないと思う。もともと「中間派」(あまり好きな言葉ではないが)としてスウィングジャズを演奏していたが(なにしろ大正時代の生まれである)、ブルーノートのタレントスカウトとして活躍していたり、シングルを連発したりしていたので、ブルース色の強いプレイヤーというイメージになったのだろうが、基本的にはモダンジャズにも対応できるスウィングジャズのひと……ということでいいのではないかと思う(キャブ・キャロウェイのビッグバンドの一員だったし、ロイ・エルドリッジ、コールマン・ホーキンス、トラミー・ヤング……といったひとと共演している。初期録音の共演者はタイニー・グライムズやミルト・ヒントン(本作にも参加)、ジョニー・ガルニエリらである)。ただし、露骨なホンキングなどはないかわりに、どの演奏をとっても、そのブルース的なものがあふれる表現はひたすら「濃い」。太くて、ときおりグロウルする音色の倍音は聴き手の心を揺さぶるし、どんなテンポでもゆったりとしたノリのグルーヴ感はすばらしい。たぶんケベックはこういったアーシーでR&B的な個性を持っていて、こうしてオルガンと組むことで(おそらくは)本来の資質を開花させたと思われる本作をはじめとするブルーノート録音は貴重である。本作でも随所に聴かれるサブトーンの使い方も完璧である。なんというか、茫洋としたアーティキュレイションも聞き込んでいるうちに好きになってくる。1曲目は自作のマイナー曲で、パッと聴くと、モードナンバーかと思うようなシリアスな演奏である。フレディ・ローチのオルガンとミルト・ヒントンのベースがノリノリで、演奏を支えている。ケベックはときにグロウルをまじえながらパワフルに歌いまくる。ローチは初録音から「あの」独特の硬い、ポキポキしたノリで聴かせる。ローチのソロのあとのケベックが入ってくる部分での、同じ音をリズミカルに連発するあたりは印象的である。ローチ主導のエンディングもかっこいい。2曲目はバラードで、完璧なサブトーン、ゴージャスなオルガンがあいまって最高である。たの歌い上げはたまらんなー。エンディングもすばらしい。3曲目も1曲目と同じようなリズムのイントロのアップテンポのマイナー曲で、ケベックの作曲(マイナー曲が好きなのか?)。さっきも書いたが茫洋としたアーティキュレイションで、同じようなフレーズが繰り返される……という気もするが、ローチからの刺激も受けつつ、ほかのメンバーにソロを回さず、ひとりで吹ききる根性はいいと思う。A面をしめくくるのは「ブラザー・キャン・ユー・スペア・ア・ダイム」で物悲しいメロディの有名スタンダード。もとはロシア〜ジューイッシュのララバイだとウィキペディアにはあるが、まさにそういう曲調。こういうのを演らせるとケベックの本領発揮な感じ。ときに力強く、ときに感傷的にソロをつづっていく。かっこええ。B−1はオルガンのイントロに導かれるようにはじまるまるめでゴスペルのような「ザ・マン・アイ・ラヴ」。テーマは、本来のバラードとして演奏されてその情感たっぷりの表現はすばらしいが、ソロに入るとミディアムテンポになり、グロウルもまじえて熱くブロウする。最初のうちはオルガンは一切バッキングをしていないのだが、途中のコーラスからガーッと入ってくる(お定まりのパターンではあるが)のがかっこいい。ラストはふたたびバラードになり、短いカデンツァとともにエンディング。完璧! 2曲目はタイトルにもなっているケベック作の「へヴィ・ソウル」で、同じブルーノートの「イージー・リヴィング」に入ってる「コンゴ・ラメント」にちょっと曲調が似ているかも、のアフリカンなベースラインのマイナーブルース。ソロに入るとグッと重い4ビートになる。だるい、床へ引っ張られるようなノリのケベックのテナーは力の抜けた、それでいて風邪で熱があるようなグルーヴで、めちゃくちゃ魅力的である。これは真似できんで。単音中心のオルガンソロもいい。この良さは、ホンカーとかばかり喜んでいた若いころはわからんかった。3曲目はスタンダードで「アイ・ウォント・ア・リトル・ガール」。まさに究極のバラード演奏で、さほどサブトーンを強調しないが、随所に使い、渋みのある節回しで歌い上げる。短いがすばらしいオルガンソロのあと、ケベックがフルトーンでサビから入ってきて、朗々と吹きまくる。ラストをしめるのはまたしてもバラードで、「ネイチャー・ボーイ」。ミルト・ヒントンとのデュオで淡々と奏でられる短い演奏。いやー、名盤です。アイク・ケベックは、とにかく「音」がいいんだよね。マウスピースはずっとロートンだと思っていたが(リガチャーと一体型に見える)、側面にある溝はオールドのセルマーメタル(アーリー・ジャズ・モデルというやつ)のような気もする。でも、それだと歯の当たる部分は黒い円(いわゆる我々が知ってるセルマージャズメタルみたいな感じ)のはずだが、これはリンクみたいな感じである。かなり調べてみたが、結局、わかった。オールドタイプのメイヤーのメタル(最初期の1936年モデルのブラスバージョン(一番最初はシルヴァーだったらしい))なのだ。ロートンのようにリガチャーと一体型のように見えるがじつはそうではなく、側面と上面に溝がある。こうしてまたひとつかしこくなりました。
「BOSSA NOVA,SOUL SAMBA」(BLUE NOTE RECORDS 84114)
IKE QUEBEC
変なタイトル、ということで覚えているひとも多いだろう。ジャケットの左うえのほうに写っている女のひとの顔がよくわからん(髪の毛とか)ということで覚えているひとも多いだろう。実は内容的にもかなり変、というか攻めたアルバムで、オルガンもピアノも入っていない。ドラムがウィリー・ボボで、シェケレ専門のパーカッション奏者がひとり入っている。ギターはケニー・バレル……という変則5人組なのだ。ケベックは、音数で小節を埋め尽くすような吹き方をするひとではないので、当然、スカスカの演奏になるが、そのスカスカ加減がめちゃくちゃ気持ちいいのだ。そして、バレルのギターがものすごく重要な役割を果たしていてこの作品を名作にしている。この録音はケベックのラストレコーディングで、すでに肺がんに冒されていたがその苦しさに耐えての演奏だったそうである。しかし、聴いていても、逆に軽くて、淡々とした楽しさが伝わってくるような吹き方である。たしかに以前のような太い音色、グロウル、ぐーっと押し出すようなブロウはないが、その分のサブトーン気味の音色やテーマをそのままなぞるような自然な演奏は心に染みる。しかも、表面を撫でたようなボサノバまがいではなく、なかなか堂に入ったボサノバになっているところがすごい。A−1はケニー・バレルの曲で哀愁のボサ。けだるい雰囲気をケベックのテナーが醸し出す。2曲目は明るい曲で、バレルが大活躍。A−3の「ゴーイン・ホーム」をボサノバ化した演奏は、ケベックが徹頭徹尾サブトーンで「そっ」とささやくように吹いているのだが、これが絶妙な味を出している。バレルのソロも、ベースとドラムのみを伴い、シングルトーンで淡々と奏でられるのだが、これがめちゃくちゃええ感じなのだ。4曲目はケベックのオリジナルで「ミーン・ユー」。エキゾチックな曲調でギターのカッティングが冴える。ケベックはずっと軽いサブトーンで吹いているのだが、サブトーンの重さ、みたいなものを感じる演奏。期せずしてゲッツを思わせるようでもある。病苦のせいもあってかクールなトーンでノリも軽いのだが、演奏内容はずっしり来る……みたいな。バレルのギターが、サブトーンのテナーに対して、明確で歯切れのよいトーンで対比となっている。B−1はリストの「愛の夢」で、ケベックによってボサノバ化されている。2曲目は「シュ・シュ」というこれも哀愁のナンバーで、サブトーンのテナーがせつせつとテーマを吹き、バレルのリズムギターがかっこいい(ソロもすばらしい)。3曲目は「ブルー・サンバ」というブルースだが、サンバと……言えんこともない3連のいなたい曲。ケベックはあいかわらずサブトーンで深みのあるフレーズを、「そっ」と歌いあげている。4曲目もバレルのカッティングとシェケレのリズム、そしてケベックの奏でるマイナーの、どこの国ともわからぬ異国調のメロディがあいまったええ感じの演奏。ケベックのソロのこれ以上抜いたら音が消える、ぐらいの力の抜き方と、メロディックなのに要所要所でテンションをキメる、みたいなフレージングかスタイリッシュ。ラストは明るい曲で、これもバレルのギターのカッティングが冴える。ケベックのテーマの吹き方は春の霞がかかっているような景色を彷彿とさせる茫洋としたものだが、それがなんとも心地よい。バレルのソロ、つづくケベックのソロ、どちらも秀逸。おそらくは全体に、病気のために大きな音を出せないという制約のなかで吹き込まれたものだろうと思うが、決してそれがマイナスになっておらず、逆にプラスの要素として、遺作の価値を高めていると思う。タイトルは「ボサノバ・ソウルサンバ」となっているが、基本的にはほとんどボサノバです。
「IT MIGHT BE AS WELL BE SPRING」(BLUE NOTE RECORDS ST−84105)
IKE QUEBEC
「ヘヴィ・ソウル」同様フレディ・ローチのオルガンを相棒にして吹き込まれたアルバム(じつはメンバーは全員同じ。でも、べつの日の録音)で、スタンダード集的な感じ。1曲目はいきなりバラードで、タイトルの「春のごとく」。サブトーンを交えてはいるが力強いケベックのテナー(「ボサノバ・ソウルサンバ」を聴くとよけいにそう思う)、絶妙な音色でのローチのバッキングなどが冴えわたっている。ケベックのソロは、バップのひとのようにコード分解、代理コードを駆使したアドリブをする゛というわけでもなく、ホンカーのようにブロウするわけでもなく、といって古いスウィングテナーとは一線を画したモダンなソロをきっちり吹くという……うーん、まさに「中間派」という言葉がぴったりなひとかもしれない。「中間派」ってめちゃ嫌な言葉なのだが、ケベックは結局ケベックであって、個性が確立しており、サックスの技術も完璧にマスターしているので、まあ、なんでもできるのだ。そういう点がジャズはおもろいなあ、と思う。コルトレーンなんて、ジョニー・ホッジスやアール・ボスティックとやってたひとが「インターステラー・スペース」に至るわけだから、なんでもありなのだ。2曲目は、ケベックのオリジナルのマイナー曲で、こうして聴くとケベックのソロってけっこう「どこかで聴いたフレーズやなあ」というのが聞こえてくる。おそらくそれはケベックが勉強熱心でいろんなひとのソロを聞いて自分の演奏に取り入れているからだろう(ソロの最後の方に「ビバップ」のテーマが引用されているが、それはべつとして……)。3曲目もケベックのオリジナルでミディアムスローのブルース。こういうのをやらせるとケベックの独擅場であって、微妙な音色の変化や節回しなども含めて、その表現力の幅に驚く。ギャーッとかグワーッとかボヘーッとかいったブロウは一切しないし、これ見よがしのビバップ的な速吹きもしないのに、ブルースとしてのコテコテの手応えがあるのだ。それでいて、スウィング時代のテナーマンとはちがった、ブルーノートのLPを当時聴いていたひとが「古臭いなあ」と思わないようなモダンさもある。ローチのバッキング、ソロもすばらしい。B面は全部スタンダードで、1曲目は「ラヴァーマン」。この曲は私は個人的に大好きなのですが、ローチの荘厳といってもいいようなイントロに続いて、このすばらしいメロディをケベックはストレートに吹き、ソロもテーマを崩すような感じに終始する。ローチも同様だが、それがいいんですねー。いいメロディは、そこから新しいメロディを生み出そうとするより、こんな感じでも十分使わるときは伝わる。2曲目は「ショウ・ボート」の船上で歌われる曲としておなじみの「オール・マン・リヴァー」で、カウント・ベイシーではドラマーのショウケースとして有名。あの天地真理の「若葉のささやき」と全く同じメロディのサビはなぜかかなり崩されていて、若葉のささやきっぽくない(べつにいいけど)。ケベックのソロはかなりの長尺で、激アツで自在なブロウが存分に楽しめる。イリノイ・ジャケーもかくやという感じのホンキングに近いフレーズも登場するが、気合いと感情だけで押しまくっているわけではなく、ちゃんと全体に配慮がいきとどいている点もケベックらしいです。ローチにもソロを回さず、最初から最後までひとりで吹ききり、そのままテーマに戻らずファイドアウトという激演です。ケベックのアドリブプレイヤーとしての真価がわかる演奏。ラストは「ウィロー・ウィープ・フォー・ミー」で、この曲もいわゆるテキサステナー的なひとたちの愛奏曲として知られており、私も大好きです。ケベックもここではサブトーンを駆使した歌い上げと、テーマとつかず離れずのソロで原曲の魅力を押し出している。ローチの超短いソロを挟んで、ふたたびケベックがテーマを歌う。最後の短いカデンツァも渋いですね。かっちょええ。テナーのソフトケースをかたわらに置いたケベックが春爛漫のなかで座っている渋緑色のジャケットがとにかくすばらしくて、作品内容を言いつくしている感じである。