「TRESPASS」(LUMINA RECORDS L011)
NED ROTHENBERG
ネッドのソロ作だが、B−1だけがジョン・ゾーンとのデュオ。今でこそ、この演奏がどういうマジックのもとに行われているかはなんとなくわかるが、これをはじめて聴いた当時は驚いたものだ。驚いたというか、ビューンと後ろの壁まではじきとばされるような衝撃をうけた。自分もサックスを吹いているわけだが、この演奏がどのようなテクニックによって成立しているか皆目わからなかったからだ。要するに、ハーモニクスと循環呼吸の複合によって成り立っているわけだが、一本のサックス(もしくはバスクラ)でリズムとメロディとハーモニーを同時に吹奏する、というのがとても信じられなかった。もちろんエヴァン・パーカーなどでそういった演奏には接しているのだが、どちらかというと抽象性の高いエヴァンよりもリズミックでポップ(?)というか、具体的な感じである。そのあたりも含めて、超人的だと思ったのである。オーバートーン、ハーモニクス、フラジオ……といった倍音技術と循環呼吸によるベーシックなリズム、それに、タンポやキーをぱたぱた鳴らす音、キーキーとリードのきしむ音、吹きながら声を出すグロウル……といった単純なテクニックを複合的に組み合わせてこれだけの凄まじいサックスソロができあがっているのだ。エヴァン・パーカーもカン・テーファンもすごいけど、ネッドもそうとうすごい。この3人を循環呼吸系ソロサックス三羽がらすと呼びたいぐらいである(なんのこっちゃ)。本作に収められているソロは、ジャケットにわざわざ「オーバーダビングしてまへん」と書いてあるとおり、どう聴いてもオーバーダブしているとしか思えない演奏である。しかし、そういった「これってひとりで演奏してるんだって!」的なテクニカルなこと、アクロバティックなことだけが本作の価値ではない。音楽として、ひとりの人間が単音楽器である管楽器を吹くことで同時に複数のメロディライン、リズムを操り、ひとつの音楽を即興的に「構築」していくことに成功した、これはドキュメントなのである。サックス吹きは、この演奏のバックボーンとしてある信じがたい技術にどうしても目を見張ってしまうだろうが、そういったことをまったく知らないひとが聴いてもこの演奏は感動的だと思う。今回、聞き返してみて、じつはA面B面通して5回聴いた。それぐらい「うわーっ、やっぱりすごいなあ」と思ったのだ。このアルバムを最初に聴いてから長い年月がたち、私もそのあいだにいろいろなサックスソロを聴いてきたが、やはり本作はすごいんです。ネッドのソロをはじめて生で聴いたとき、「うへーっ、レコードとおんなじことができてる」と驚いたものだ。たしかにノー・オーバーダブだ。生で聴いたときはバスクラの完璧なコントロールにもビビッたものだが、本作でもアルトだけでなくバスクラのすごさも十分堪能できる。一曲だけ入ってるジョン・ゾーンとのデュオは作品の統一感としてはあらずもがなだが、演奏としてはめちゃめちゃすごい。本作は、前衛ジャズのサックスソロとしてはとにかくすごいのだが、すごいだけでなく、楽しい、心地よい……というところがネッド・ローゼンバーグの魅力だと思う。傑作です。
「TRIALS OF THE ARGO」(LUMINA RECORDS L001)
NED ROTHENBERG
A面はアルトだけでなくさまざまな管楽器を使っての、オーバーダブありのソロ、B面はオーバーダブなしのソロだが、どちらもそれぞれに興味深い。A面のほうは映像のない映画のような、構築力、構造性のある美であって、その大きなイマジネイションに打たれる。創造的とかクリエイティヴというのは陳腐な、また、誤解を生ずる危険な言葉であるが、こういう演奏に対して、クリエイティヴ以外に思い当たる言葉は見つけにくい。聴いていると、良質の抽象画のように、自分でも思ってもいないイメージがどんどんとあふれでてくる感じである。もちろんネッドの超絶技巧あってのことだが、A面に関しては超絶技巧よりも構築力のほうが前面に出ているような気がする。B面は逆に、ストイックなまでに「無伴奏ソロ」に焦点を置いた演奏で、どちらもちがった意味でぎりぎりの、剥きだしの音楽であって、聴くものの魂を揺さぶらずにはおかない。とかなんとか小理屈をこねるよりまえに、とにかく聴いて楽しいことはまちがいない。
「DECISIVE ACTION」(BAJ RECORDS BJCD 0024)
NED ROTHENBERG & SATOH MASAHIKO
ネッド・ローゼンバーグと佐藤允彦のデュオ。いきなりガチンコのエネルギッシュな即興で幕を開けるが、よく聴くと(いや、よく聴かなくても)ネッドはつねにいわゆるフリージャズ的な「むちゃくちゃ」からは程遠い、しっかりしたアイデアを発展させるというビバップ的な、しかもクリシェではないものを、ものすごい速さとテクニックで吹きまくっていることがわかるし、佐藤もほぼそれと同じことをしていると思う。こういう演奏を聴いて、「フリーはちょっとねえ……」というひとがもしいるとしたら、これはあなたが大好きな普通のジャズ、普通のクラシック、普通のロックで行われていることを同じように行っている演奏ですよ、ちゃんと聴いてください、と言ってさしあげたい。ゆったりした即興の曲も、ぶっ速い即興の曲も、つねに相手のやっていることに真剣に耳を傾けながら、自分のやりたいことをぶつけていっている……それだけだ。そこに激突と融和が生じ、それだけではない新しいものが生まれていく。つまり、さっき書いたようにビバップやらなにやらとなにも変わることはない。こんな嫌味なことをなぜ書いているのかというと、先日すごく嫌な即興の場に居合わせたからで、3人のうちふたりはそういうことをものすごいパワーと速度でできるオーソリティたちだったが、残りのひとりが、ほかのふたりの演奏をまるで聴いていない、いや、聴けていないのだった。それはなぜかというと、自分の楽器がちゃんと吹けていないからで、それをなんとかするのに大わらわで、ほかのひとの演奏どころではないのだ。そんなレベルの演奏は、おそらくほかのジャンルの現場では一瞬に省かれてしまうだろう。もちろん、習熟していない楽器を演奏することによって、突拍子もない、あるいはプリミティヴな表現が出現することもありうるだろうし、それはそれで面白いが、少なくとも、共演者の音を真摯に聴いて、自分がなにをすべきか、なにをしてはいけないかを考えるだけの力がないと即興などできないし、そういうものを金をとって聴かせるのはいかがなものかと思う。そういうものとは対極の極北にあるのがこのふたりで、とにかくすごいとしか言いようがない。1曲目から3曲目はおそらく純粋なインプロヴィゼイションだが、ネッドの「音色」「鳴り」「リズム」「アイデア」「アーティキュレイション」……なにをとっても最高で、それはもちろん佐藤さんにもいえることだ。4曲目は佐藤によるコンポジションで、ユーモラスな雰囲気はモンクを連想させ、ネッドはいつもの循環呼吸で圧倒的な世界を形作る……というよりは、レイシーのような感じさえある。こういう、リズムとコードチェンジが線路を敷いているうえでのやりとりもいいなあ。5曲目も即興らしいのだが、めちゃ速いテンポで、しかも、曲やアレンジメントがあるような気さえする。この人たちにかかっては、もはや作曲も即興もない。すごい演奏だというだけだ。しかも、この曲、最後にほうになると怒涛の迫力でめちゃくちゃすごいからみが現出し、バシッと終わる。どうなってんの? 6曲目はネッドらしいソロサックスではじまる即興バラード。剣の達人ふたりによる立ち合いのような凄まじい緊張感。7曲目はネッドの曲でバスクラの妙技が聴ける。曲調はやはりというかなぜかというかモンク〜ドルフィーを連想させる。8曲目もネッドの曲で、これは美しいバラード。バスクラで。見事のひとこと。9曲目も、冒頭からふたりのアイデアが炸裂する即興。楽しい。バスクラで。10曲目は、リズム的な面白さと緊張感を循環呼吸によって表現する演奏。こういうのを「デュオ」というんでしょうなー。11曲目はモンクの「エピストロフィー」。単に素材として取り上げた、というのではなく、完璧なアレンジがほどこされ、ピアノもサックスも溶け合ってひとつになった演奏。しかも、モンク的であり、しかも、ネッド・ローゼンバーグ的であり、しかも、佐藤允彦的である。言うことなし。バスクラ。最後の12曲目は、アメリカ音楽の偉大な高僧(モンク)からインスピレイションを受けた神聖なバラードである、と注記されており、ネッドは尺八を吹いているが、「ラウンド・ミッドナイト」をものすごくゆったりとした日本的な間で演奏しているのだ。傑作としかいいようがないアルバム。
「GHOST STORIES」(TZADIK TZ7061)
NED ROTHENBERG
タイトルはおそらく小泉八雲の「怪談」から来ているのだろう。ジャケットは芳年の妖怪絵で、物の怪がテーマのアルバムか、と思うところだが、そうではなく、まあ、日本の音楽へのある種のトリビューションと思われる。ネッドはしょっちゅう来日しているし、尺八も本格的に長年習っており、めちゃくちゃ上手いので、日本文化に対する造詣は我々よりも深いぐらいだと思われるが、これまでの作品でも見せていた、そういった「和」への指向を結実させたような内容である。全4曲だが、4曲ともメンバーが違っていて、2曲目はなんとネッドが入っていない(コンポジションだけ)。まず、1曲目は尺八とクラリネットのデュオだが、一瞬、多重録音か? と思うが、この尺八はネッドではなく、ライレイ・リーというひと。二本の管楽器がたがいにたっぷりと間をいかしながらからみあう。普通のフリーインプロヴィゼイションならもっと同時にからみまくるだろうが、尺八とクラリネットのあいだにはかなりの距離が保たれており、しかも、印象としてはめちゃくちゃからみあっているように聞こえるのだ。すばらしい。クラリネットと尺八、それぞれの音色やニュアンスの違いが非常に明瞭にわかる点もいい。どの程度書かれているのかわからないが、かなりしっかりした譜面があるような気がする。2曲目はアルバムタイトルチューンなのに、さっきも書いたようにネッドは入っていない。琵琶とチェロと武石聡のパーカッションのトリオである。これは、「和」というより、現代音楽的なわくわく感が満載の曲で、スピード感もグルーヴもあり、聴いていると知的にも肉体的にもすごい刺激を受ける。大成功。即興の要素はほぼないのではないかと思うがどうなのかな。3曲目は、「デュエット・フォー・アルト・サクソフォン・アンド・パーカッション」というタイトルどおりアルトサックスと武石聡のパーカッションによる演奏。めちゃくちゃかっこいい。コンポジションもあるのだろうが、かなり即興的な要素も多いはず。マルチフォニックス、サーキュラー、スラップタンギング……なども駆使して、かなりいつもに近いネッドミュージックが展開される。とにかくずっとグルーヴしてる。軽々と吹いている感じがするが、この軽さが重い。ずしん、と来る。凄い。いつもながら凄い。4曲目はネッドによる尺八ソロで、裏ジャケットに尺八用の譜面が載っている「鏡」という曲だが、全4曲ともネッドによるコンポジションとなっているのでこの曲もネッドが書いたわけだが、いやー、尺八を単に即興のためのエキゾチックな道具、などと考えているのではなく、完全に尺八音楽を理解していることがはっきりとわかる。すごいひとだよなー。ネッドがライナーに、「これはモダン・本曲とでもいう曲である」と書いているとおりだが、ここでのネッドの尺八は表現力豊かで、音程もたしかだし、ビブラートや音のかすれ具合などマジすばらしいと思った。この曲も、基本的にはきちんと譜面があり、その枠内でさまざまなニュアンスを付け加えることでいきいきとした表現が生まれているのだと思う。いつものネッドの、あの怒濤のインプロヴィゼイションとはちょっとちがった演奏ばかりだが、四曲ともすごい手応えの演奏ばかり。傑作です。
「THE CRUX」(LEO RECORDS CD LR 187)
NED ROTHENBERG
ネッド・ローゼンバーグの89年から92年にかけてのアルトサックス、バスクラリネット、尺八による無伴奏ソロを集めたアルバム。まだLEO初期のカタログ。ネッドのことを少しでも知っているひとならよくご存じだと思うが、このひとは尺八の古曲を真摯に学んでおり、本作にもその成果が表れているだけでなく、尺八の曲をアルトサックスで演奏する(「巣鶴鈴慕)」、という試みも行っており、もうめちゃくちゃ面白いのだ。「本曲」というものに対する思いなど、そのあたりのことはネッド・ローゼンバーグ自身がライナーに詳しく書いていて興味深いはず。基本的には循環呼吸を使った表現なのだが、エヴァン・パーカーやローランド・カーク、カン・テーファン、ジョン・ブッチャー……らのだれともちがう、パワーが減衰しない、音色の瑞々しさが保たれたすごいサーキュラーだと思う。もちろん、それが自分の表現したい音楽に奉仕しているテクニックだからこそすごい、というのは言うまでもないが。ジャケットにはソファにくつろぎながらアルトを吹いている写真が載っているがだまされるな! いやー、こんなもんやないでしょう。この緊張感は聴いていて肌ひりひりするような凄みがある。しかし、こういうのんびりした感じでこのソロが演奏されたしたらそれはそれで「しゃかりきになっていない前衛」というか、すばらしいことではないかと思う。ネッドのソロは、本当にどれも愛すべき、熟聴すべきものばかりなので、本作を手にする方がいたら、ぜひ、じっくりその音色、アーティキュレイションなど気配りがすみずみまで行き届いたその即興を味わってほしいと思う。何度も何度も聴いて、はじめてその全貌がわかる、というほどに奥深い演奏が詰まっている……と私は思っています。傑作。
「THE LUMINA RECORDINGS」(TZADIK TZ7615−2)
NED ROTHENBERG
ルミナというレーベルに残されたもののうちソロを中心に編集された二枚組、ということだろうか。1枚目は4曲収録で、実は1曲目と2曲目は「トライアルズ・オブ・ジ・アーゴ」というアルバムに入っていて、すでに上記でレビューしているのだが、久しぶりに聴いてあまりによかったので、ダブる感じになるが今の感想を書いてみました。1曲目は銅鑼が鳴り響き、おそらく多重録音により、アルトのうえにさまざまな楽器が重ねられている。たぱたぱ……というパーカッシヴな音はサックスのタンポの音かと思ったが、もしかしたら自作楽器なのかもしれない。ノイズみたいな音も混じり、ちょっと民族音楽っぽい雰囲気もある。あるひと(ネッドの弟子筋)から、ネッドはフラッタータンギングはできない、という話を聞いていたが、めちゃくちゃできてるやん。とんでもないひとりオーケストレイションである。チープなシンセ的な音やアコースティックなアルトのグロウルなどが上手く噛みあっている。20分以上に渡る「ひとり即興オーケストラ」なにもかも巻き込んで高みへと上がっていく。それを体感できるのは幸せだ。私はドシロートなのでよくわからないが、最近はルーパーとかシーケンサーとかサンプラーとかでその場で音を重ねていくのがほとんどのようだが、こういういわゆるオーバーダビング的な感じというのはまたちがった醍醐味があるように思います。そのひとのセンスが光る、というか……ここでのネッドの演奏はまさにそれで、すばらしいと思う。2曲目はアルトのマルチフォニックスにはじまり、およそ考え付くかぎりの変則的サックス奏法を全編押し出したすばらしくもえげつないソロで、一曲目のオーバーダビングによるオーケストレイションもすごいんだけど、こういうダビングなしのソロは腹にこたえるものすごさ。途中からまるでダブルリードのシャナイみたいな感じのサーキュラーのソロになり、もうめちゃくちゃかっこいい。永遠に聴いていたいような演奏。「イヌイットのあとに続く」というタイトルだが、イヌイットの音楽との関係については本人によるライナーにも記述がある。3曲目はバスクラソロで、サーキュラーとマルチフォニックスを駆使した、ネッド・ローゼンバーグのファンにはおなじみの感じの演奏だが、やはり何度聴いてもすごいよなあ、と思う。よほど循環呼吸が安定していないとこうはいかないのだ。ネッドのこういうソロは、目のまえで見ていても「マジか」と思うぐらい超絶技巧なのであります。ときどき入るスラップタンギング的なパーカッシヴな音とか「コワッ、コワッ」というなんだかわからないノイズっぽいフレーズなども織り交ぜ、「アコースティックなエレクトロノイズミュージック」みたいな感じになっていて、すごいというしかない。場面がどんどん変わっていき、ひとところにとどまらない即興なので聴いていてダレたり飽きたりすることがない。本当に即興演奏と言うものを熟知したひとの演奏だと思う。4曲目はアルトの循環ではじまり、しばらくしてジェリー・ヘミングウェイのドラムが入ってきてデュオになる。これは「テナー・スティール・ドラム」ということだそうだが、普通のドラムっぽい音も聞こえる。ほぼ13分にわたって息継ぎなしで吹きまくるネッドは超人的である。もちろん音楽的成果も絶大だ。
2枚目は1〜8曲目のうち4曲目をのぞく7曲が「トレスパス」という、すでにレビューしたアルバムに収録されていて(4曲目も「ポータル」というアルバムで既出)、そこに未発表の9〜11曲目の3曲をプラスした構成である。しかし、これも久しぶりに聴くと圧倒的としか言いようがないですね。1曲目の荘厳かつ超絶技巧、構成力も見事なサーキュラーによる華麗なアルトソロ(これだけでも腹いっぱいになる)、2曲目の地面をのたくるようでいて美しくもある絶妙なバスクラソロ、3曲目のオリジナルアルバムのタイトル曲のアルトソロによる超絶技巧の大博覧会……とにかく凄すぎる演奏ばかり続き目が点になる。4曲目はソプラノサックスとオカリナによる演奏だが、オカリナの朗々とした清冽な響きには惚れる。透き通った、モンゴルの大平原に響く笛かなにかのような、心をつんざくような音である。ネッドは尺八を吹いたり、こういった楽器の扱いにもとても習熟しており、また、オリジナリティも付与した演奏なので、感動せざるをえないのだ。これは多重録音ではなく、二本のオカリナを同時吹奏していると思われるが、すばらしいです。5曲目の一転してパーカッシヴでファンキーなブルース進行でのバスクラソロ(こういうヴァンプを使った低音管楽器の無伴奏ソロは少なくないが、ファンキーさと前衛性をここまで完璧に融合させた演奏はそれほど多くないのでは)、6曲目のサーキュラーによる延々とノイズが奏でられる、エヴァン・パーカー的な要素も感じられるアルトソロ、7曲目の何度聴いても凄いと思う、変態テクニックをぶつけ合う、気心の知れた相手とのガチンコバトルであるジョン・ゾーンとのアルトデュオ(名演としか言いようがないすばらしい出来)、8曲目のノスタルジックさすらも感じられる真っ向勝負のバスクラソロ……については上記に触れているので簡単に書きました(といってけっこう書いてるやん)。9曲目以下のボーナストラックについてちょっと書くと、9曲目は電気的にいろいろ加工されたバスクラソロで、でも基本的な手触りはアコースティックなのである。10曲目も電気的な加工のある演奏だが、爆発的なオーケストレイションの嵐が押し寄せるようなドスのきいた、凄みのある即興で、途中から管楽器によるパーカッシヴなパートもすばらしい。スラップタンギングなどなどを効果的に使って、このわけのわからないけど感動的な演奏を形作っている。バスクラによる(おそらく)多重録音にパーカッションを加えた演奏だと思うが、これも聴きごたえ十分である。二本のバスクラの循環呼吸による演奏が右チャンネルと左チャンネルから聞こえてきて、それが大きな構成を作り上げるこの感じはこれまた最高なのであります。11曲目はなかなかの音楽的アドベンチャーというか、大胆な攻め方をしている演奏だと思うが、この挑戦的な二枚組の締めくくりにはいかにもふさわしいと思う。傑作!