「TROMBOLENIUM」(EMANEM 4072)
PAUL RUTHERFORD
管楽器のソロというと買わざるをえない私だが、これはよかった。トロンボーンという楽器は何度も言ってることだが「神様の楽器」であって、ただの金属筒にすぎないものがあのような千変万化の音楽を表現できるとは驚異である。というか、ただの筒にすぎないからこそ、ピアノやサックスといった機能的な楽器をはるかに超えた深い表現や、個々の奏者の個性に密着した表現ができるのだろう。このアルバムは、そのトロンボーンの楽器としての表現の百科事典ともいうべきもので、「一本の筒」を介して表すことのできるありとあらゆる表現のオンパレードである。古くはマンゲルスドルフのソロをラジオで聴いていて、まるでシンセのようにめまぐるしく豊かな演奏にびっくらこいたことがあるが、このアルバムもとにかくすばらしいの一言。一枚まるごとソロなのに、だれることなく、楽しく、適度な緊張感をもって聴きとおすことができる。ラザフォードのテクニックは、ほんと、神技に近いといっても過言でなく、吹きたいことが完璧に的確に吹けているつう感じ(それってあたりまえのことのようだが、ものすごくむずかしいことなのである。とくにブラスでは)。トロンボーン奏者やボントロ好きだけでなく、もっといろんな人に聴いてもらいたい傑作と思う。
「THE GENTLE HARM OF THE BOURGEOISIE」(EMANEM 4019)
PAUL RUTHERFORD SOLO TROMBONE IMPROVISATIONS
ポール・ラザフォードのソロを聞いていると、この単なる金属の管が魔法の杖のように思えてくる。アコースティックとはこういうことだ、と言いたくなるほど、ここには肉体と金属管のみが存在し、そこに息を吹き込むことによって得られる反応だけによって音楽が作られている。これを「音楽」と呼ぶことに私はまったく抵抗はないが、もし、抵抗があるひとがいたら、単に「音」と呼べばよい。幼い子供がはじめてトロンボーンに触れたときの新鮮な驚きと喜び、そして、熟練したトロンボーン奏者によってのみなしえるような高度なテクニック、ただの息の音から圧倒的な金管の鳴りまで、トロンボーンという楽器を媒介としたあらゆる「音」がこのアルバムには詰まっている。マンゲルスドルフといい、ラザフォードといい、先駆者にして最高の高みまでのぼりつめたひとを我々は亡くしてしまった。大自然の息吹きが時空を越えて彼の持つ一本の管に集約され、噴出しているかのような「力」を感じるソロである。
「HOXHA」(SPOOL SPL126)
RUTHEFORD/VANDERMARK/MULLER/VAN DER SCHYFF
ポール・ラザフォードとヴァンダーマークががっぷり四つに組んだ共演作。ラザフォードとしては亡くなる3年まえだから、まだまだバリバリ吹いていたころだと思う。完全にインプロヴィゼイションだが、めっちゃいいです。正直いって、ヴァンダーマークの純粋インプロヴィゼイションがここまでぴったりうまくはまった例も珍しいのではないかと思う。それぐらいこのアルバムでの演奏は大成功している。なにしろ一曲目の曲名が「キング・ギドラ」ですよ。二曲目が「イリス」、これは平成ガメラ3作目だろう。三曲目が「アンギラス」……なかなか通好みだ。四曲目が「バラゴン」……めっちゃマニアック。五曲目が「ダガラ」……これはなんのことかよくわからん。そして、六曲目がなんと「ロクロクビ」……! うーん、もしかしたら大映ファンですか? だからどうだというわけではないが、ポール・ラザフォードが怪獣好きと知って、なぜかうれしい。内容はハードかつシンプルなフリーインプロヴィゼイションで、聴き応え十分。でも、こういうタイトルを知ってから聴くと、どことなく怪獣の咆哮のように聴こえないでもない。しかしなあ……キングギドラにアンギラスにバラゴンって「怪獣総進撃」か!
「SOLO IN BERLIN 1975」(EMANEM 4144)
PAUL RUTHERFORD IMPROVISED TROMBONE SOLOS
ポール・ラザフォードのソロはいろいろ持っているが、持っていないのを見つけるとついつい買ってしまう。それぐらい魅力がある。本作はベルリンでの演奏だが、いつもながら音色、リズム、フレージングの着想がユニークで、聞き惚れる。トロンボーン一本でこれだけ多彩な音楽ができるというのは、我々はマンゲルスドルフとラザフォードに教えられたのだ。昔は、向井滋春もエコーマシンを使ってソロをしていたが(実際には古澤さんとのデュオだったが)、トロンボーンのひとというのはソロをしたがるものなのだろうか。トロンボーンの音のなかには、トランペットやサックスに比べていろいろな要素が入っていて、一吹きすればオーケストラのような……というのはちょっと大げさかもしれないが、何管編成かの効果は十分出せるぐらいの音の膨らみというか倍音が詰まっているというか音圧というか、うまく言えないが「ひとりで何人分」みたいな楽器なのである。それは存在感とかとはべつに、そういう「音」を出せるのである。だから、トロンボーンはワンホーンでもいいのだ。話が横に逸れたが、そういう意味もあって、トロンボーンの無伴奏ソロはまるで何本もの管楽器がいるみたいに多彩な音楽を感じさせるし、音も分厚いし、聴き応えがある。本作でラザフォードは縦横無尽に駆け回って楽器を吹きまくり、感動の瞬間を何度も作りだしている。すげーよなー。こないだ亡くなったのは本当に惜しかった。
「FRANKFURT 1991」(EMANEM DISC EMANEM 4051)
ISKRA 1903
これは第二期イスクラというやつですね。第一期は1970年に結成され、共演者はバリー・ガイとデレク・ベイリーだった。そののち20年ほどしてからデレク・ベイリーのギターにかえて、バイオリンのフィリップ・ワチスマン(と読むのかなあ。ワクスマンか?)を加えて第二期イスクラ(イスクラ1903)として活動を開始。本作は(たぶん)その1作目。2作目はライヴだが、そちらは未聴。2004年に出たイスクラは、残りのふたりをがらりと変えているが、これも未聴。で、本作だが、めちゃめちゃよかった。このレビューでは「めちゃめちゃよかった」という表現がくさるほど出てくると思うが、ほんとにめちゃめちゃよかったのだからそう書くしかない。やっぱり私はポール・ラザフォードというひとが大好きなんですねー。なにを聴いてもはずれはゼロだが、やはりソロか、こういう小編成がよい。きっちりした技術にもとづいたインプロヴィゼイションの愉しさを満喫できる。あ、私は技術力のある即興でないとダメとはまったく思いませんし、そうではないものも好きですが、やはりこういうしっかりしたテクニックを土台にしたものは、聴いていて心地よいです。危うさはないけど、それは欠点ではないし。1曲目は33分もあるが、劇的な変化がどんどん起こっていくのでまったく飽きない。なお6曲中、3、4、5曲目はメンバーそれぞれのソロで、これもまたよい。
「CHICAGO 2002」(EMANEM DISK 4082)
PAUL RUTHERFORD
シカゴの有名なエンプティ・ボトルという店(おそらく小さい店なのだろう)におけるジャズ〜即興フェスティバルにおけるライヴ。いつもはソロばかり聴いているラザフォードなので、たまにはセッション的なものを、と思い、本作のメンバーを見て、これはおもしろそうだ、と思ったのだが、なにしろ一曲目は三十二分もあるラザフォードのソロなのだ。2〜4曲目が、このメンバー(ジェブ・ビショップ、ロル・コクスヒル、マッツ・ガスタフソン、フレッド・ロンバーグホルム、ケント・ケスラー、キエル・ノルデソン(とは発音しないと思うが……))による即興セッション。一曲目はさすがにおもしろくて、ついつい聞き入ってしまうソロパフォーマンスだが、二曲目以降はシカゴ即興勢との共演ということになるのだろう。ラザフォードとビショップのボントロの吹きあい、みたいなものを期待したが、もちろんそんな場面はほとんどなくて、全員が公平な集団即興。これはこれでめちゃめちゃおもしろいが、アルバムとしての統一感よりもドキュメント性を優先した感じ。ライナーでマーティン・ダヴィッドソンというひと(まあ、このレーベルのオーナーなんでしょうね)が「部屋の形とか、ミュージシャンの立ち位置とか、ステレオ録音の技術などなどの複合的な理由から、こんなにもアンバランスな録音になってしまったけど、音楽的なことを優先して本作を出すことにした」みたいな意味のことを書いているが、まさにそのとおりで、録音はかなり悪いです。