manfred schoof

「DISTANT THUNDER」(ENJA RECORDS 28MJ3135)
MANFRED SCHOOF

 冒頭坂田のソロではじまる「ミトコンドリア」のかっこよさは筆舌に尽くしがたい。マンフレッド・ショーフもすばらしい。よくも森山〜山下の作り出す凶暴なリズムにここまで凛々しく、また激しく、鋭く対応できたものだ。トランペットという楽器の特性を考えると、サックス柔軟かつ野蛮な反応はなかなかむずかしいわけだが、それを割り引いてもショーフはよくやっている。それもフィフティフィフティのインプロセッションではなく、完全に山下トリオの音楽性のなかでもうひとりのフロントとして勝負しているのだ。はっきり言って3対1という周囲が敵だらけの状態で孤軍奮闘し、それなりの音楽的成果を上げている。この当時活躍していたフリージャズ系のトランペット奏者といえば、たとえばレスター・ボウイ、ドン・チェリー、エンリコ・ヴァ、ケニー・ウィーラー……といった名前を思い浮かべることができるが、もし彼らが山下トリオにこういう形で参加したら、きっとむりやり自分のフィールドに引きずり込むか、あるいは合わせようとしてしくじったのではないか、と思う。ショーフはちゃんと山下トリオの音楽性を理解したうえで、そこに自分のカラーを明瞭に押し出している。なかなかできることではない。納得がいかないのは悠雅彦のライナーノートで、ショーフに対して「不満をいえばキリはないが」「特に印象深いというわけではないが」「替わって山下のソロとなるが、このほうが圧倒的に感銘深い」「ここでのショーフはいい」などと、彼の演奏に対して否定的な言葉が並べ立てられる。本作は、現実的には山下のリーダーシップにおいて行われたライヴの録音なのかもしれないが、アルバムとしては「山下トリオ+ショーフ」の作品ではなく、ショーフのリーダー作という位置づけである(レコードジャケットの背中の部分には山下トリオの名前はない)。それを、リーダーをこれだけこてんぱんに書くというのは、本作をショーフの名前にひかれて購入したファンにとっては気持ちのいいものではない。そんなやつはいねーよ、これを買う日本人は全員山下トリオファンだよ、とでも言いたいのか。昔から、読み返すたびに、「どうしてこれほど身びいきしたいのかなあ」と思うライナーなのである。そして、ショーフのプレイをあえてけなすなら、それがダメである理由を述べるべきだとおもうが(だってリーダーなんだから)、そこは書いていないのである。漠然と「不満を言えばキリがないが」とか書かれても、書かれるミュージシャンはたまったものではなかろう。評論ではなくライナーだからそこまでは書かなかったのだとすれば、はじめっからけなさなければよいわけで、そもそもどうしてリーダーのプレイが気に入らないアルバムのライナーを引き受けたのかがよくわからん。