「LOUIS HAYES−WOODY SHAW QUINTET LAUSANNE 1977」(TCB RECORDS TCB02052)
LOUIS HAYES−WOODY SHAW QUINTET
ウディ・ショウの未発表ライブ。フランスのラジオが音源らしい。タイトルは、ルイス・ヘイズとの双頭バンドになっているが、選曲を見た感じではウディ・ショウのバンドと思われるのでこの項に入れた。とにかくメンバー全員が燃え上がるパッションを叩きつけるような演奏で、この時期のウディ・ショウ一派がいかにすごかったかを証明する一枚。ウディ・ショウはひたすら吹きまくり、それをドラムが煽りまくる。ずっとデュオをやっているみたい。ルネ・マクリーンも熱いし、音もいいんだけど、リズム的には予定調和の域内にいる。でも、ウディ・ショウはつねにリズムと対峙して、それをぶっ壊そう、新しいものを生みだそう、としているごとし。ピアノの、ロニー・マシューズも凄すぎるし、ドラムソロは全部すげーっ。曲も、「ムーントレイン」とか「ジーン・マリー」とかおなじみの曲が並んでいるが、特筆すべきは3曲目のバラード。ピアノが大活躍するのだが、途中、ホーンのバッキングが入るなど、シリアスでえぐい、そして、ひたすら美しい。音は、ややバランスが悪い箇所やこもった箇所、ラッパがマイクを外していて聞こえない箇所などあるが、十分です。内容最高なので、ウディ・ショウ好きにはまたとない贈り物。
「UNITED」(CBS/SONY 25AP2142)
WOODY SHAW
いろいろ考えてみると、私にとってジャズトランペットとは、ウディ・ショウのことだと思う。マイルスでもクリフォード・ブラウンでもない。ウディ・ショウこそがジャズトランペットである。いや……「ジャズ」そのものである。今の私はほとんどフリージャズ、フリーミュージックしか聴かないが、たまにジャズを聴くと、ええなあ、とは思うのだが、どこか物足りない。結局、(かつての)グロスマン、リーブマンといった70年代ジャズこそが私にとってのジャズであり、その頂点にたつのがウディ・ショウのクインテットであり、彼がコロンビアに残した作品群なのだなあ、としみじみ思った。とにかく、ウディ・ショウの作曲、音色、フレージング、選ぶメンバー、アレンジ、その他すべてを愛している。そして、彼の作品から一枚といわれると、いろいろ迷ったすえにおそらくこの作品を挙げるだろう。なにしろ自分のビッグバンドにもこの作品から名前をつけたのだから(じつはタイトル曲はウディ・ショウの曲ではなく、ショーターの曲だが)。A面一曲目の一音目からBラス曲の最後の音まで、この作品に収録されているあらゆる音を溺愛しているのだ。悪いか。「マイルスを聴け」という本に書かれている、単なる一個人の趣味を一般論にすりかえたような論調はほんとうに鬱陶しいと思っている私だが、ウディ・ショウに関しては自分が同じような感情を持っていることに気づく。「この作品をわからんやつは馬鹿」「この作品をけなすやつは死ね」「ウディ・ショウを悪くいうやつは地獄におちろ」みたいな過激な思念が頭のなかを渦巻くのである。そうだ、ウディ・ショウは天才である。天才は何をやってもかっこいい。何をやっても許される。そして、自分の天才にみあっただけの評価を絶対に受けないのも、また天才の宿命なのである。二曲目の「グリーン・ストリート・ケイパー」のあまりにすばらしいメロディー。手あかのついたスタンダード(いい曲だけど)からこんな美しい新しいメロディーを導き出すなんて……やっぱり天才だ(もうええか)。ブラウン〜ローチへの捧げ物である「ファット・イズ・ディス・シング・コールド・ラヴ」も、オリジナルバージョンよりもきびきびしていて鮮烈である。そして、何度か録音されている「カトリーナ・バレリーナ」の完璧なバージョン。この美しさは筆舌に尽くしがたい。何度も言うようだが、これこそ70年代ジャズを代表する傑作である(録音は81年だけど)。70年代ジャズがおもろないとか不作だとか言ってる評論家はほんと、どこを聴いているのかわからん……と70年代ジャズで育った私は声を大にして叫んでしまうのである。本作からは、「グリーン・ストリート・ケイパー」と「カトリーナ・バレリーナ」を昔、バンドで演奏したことがあり、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。
「ROSEWOOD」(COLUMBIA JC35309)
WOODY SHAW
かっこいい、という言葉はこの曲のためにある、といっても過言ではないではないか。そう、本作一曲目の「ローズウッド」である。最小限の編成によるアンサンブルと、爆発する過激なソロは、作曲と即興のバランス……みたいなふやけた議論を軽々と飛び越してしまう。カーター・ジェファーソン、ジョー・ヘンダーソン、スティーヴ・トゥーレをくわえた分厚いフロントの織りなすアンサンブルを向こうにまわして、突き刺さるようなショウの鋭くも凄まじいソロが、これがスタジオ録音? と思ってしまうほどの迫力とハイクオリティでぶっちぎる。「ロータス・フラワー」その他でも演奏されている、カークに捧げた名曲「ラサーンズ・ラン」や「ステッピン・ストーンズ」などでも演奏されたこれまた名曲「テーマ・フォー・マキシン」をはじめ、「ええ曲ばっか!」なアルバム。当時の右腕だったカーター・ジェファーソンのソロもいいが、やっぱりジョー・ヘンダーソンは(ワンホーン以外では)ウディ・ショウとやっているときがいちばん輝いてるなあ、と思う。もう、めちゃめちゃ好きなアルバムです。本作からは、「ローズウッド」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。
「STEPPING STONES−LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD」(COLUMBIA JC35560)
WOODY SHAW
ああ、かっこいい。しびれる。もう、だめ。ヴィレッジ・ヴァンガードでのウディ・ショウのライヴというだけで感涙ものなのに、演奏がいいのなんの。当時のショウは、スタジオ録音ではいわゆる「コンサート・アンサンブル」という、やや大きめの編成を率いて、すぐれたアレンジと鋭い即興を対比させていたが、このライヴ盤では生身というか等身大というか、当時のレギュラークインテットでの、贅肉のとれた演奏が聴ける。メンバー全員、凄い。もう、言うことなし。一丸となって、音楽の神に奉仕しているその態度は、正直言って、ああ、客なんか関係ないんだなあ、と思う。おのれの信じる音楽をひたすら、熱く追求している彼らのすがすがしい姿勢は心を打つ。しかし、カーター・ジェファーソンは過小評価だよなあ。リーダーアルバムがいまいちなのが評価としてマイナスになっているのであるとすれば、悲しいことである。少なくともウディ・ショウ・グループでの彼のブロウはいつもひたむきで輝いている。
「WOODYV」(COLUMBIA JC35977)
WOODY SHAW
親父と自分と息子……三代続いたウディ家がジャケットを飾る。すばらしいジャケットだが、このあと訪れる悲劇を思うと目をそむけたくなる。だが、内容はそんな感傷など吹き飛ばしてしまうほどすばらしい。A面はウディT〜ウディVという一種の組曲になっているが、そういうことに関係なく、単なる曲として楽しめる。それぞれ曲調もちがい、メンバーも7管編成と、当時のコンサート・アンサンブルのなかではいちばん大きく、ウディ・ショウがこの作品に渾身の力を注いだことがわかる。おそらくA面のほうがよく聴かれていると思うが、B面もすばらしい。「マスター・オブ・ジ・アート」などでも演奏している「トゥ・キル・ア・ブリック」やワンホーンで実力を見せつける「オルガン・グラインダー」など聴き応え十分である。Bラスの「エスケイプ・ヴェロシティ」のみ、「ステッピン・ストーンズ」のときのライヴの残りテイクである。本作からは、「ウディV」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。
「LOTUS FLOWER」(ENJA4018)
WOODY SHAW
エンヤでのウディ・ショウは以前にまして贅肉を削ぎ落として求道的である。トゥーレのトロンボーンとの二管……ということはつまり、当時のレギュラーバンドでの演奏であり、A面の三曲はウディ以外のメンバーの曲で、B面の二曲も、旧作品のリヴァイバルだが、内容は折り紙付きである。82年の時点ではこのクインテットが絶頂期をキープしていたことがわかる。ウディ・ショウのトランペットの鮮烈さここに極まれり、というぐらいのかっこよさだし、トゥーレが反則技に近いぐらいの凄まじい演奏をみせ、とにかく圧倒的なグループエクスプレッションだが、それは即興的な個人技の集大成の結果なのである。これこそジャズではないか。私が生で見て、感動をこえたショックを受けた、あのメンバーによる演奏だというだけで感涙ものだが、そういった個人的な思いをべつとしても、コロンビア時代を抜けた、ウディ・ショウの到達点であることにまちがいはない。信じられないほどにストイックな演奏であり、マルサリスなどの歴史的感傷を吹っ飛ばす、強烈な演奏の力である。
「THE MOONTRANE」(MUSE RECORDS MR5058)
WOODY SHAW
「ムーントレイン」とは、「月列車」……ではなく、「月のコルトレーン」という意味なのだ。なんのことかよくわからないが、ハウリン・ウルフにも「クーン・オン・ザ・ムーン」という、黒人が月に立つ、というブルースがあるように、コルトレーンの音楽が月に鳴り響くような時代のことを表現しているのだろうか。曲を大事にして、同じ曲を何度も録音することで知られているショウだが、タイトル曲は、それこそ何度も何度も録音されている。このアルバムでは、それを表題曲にしているわけだが、我々がなじんでいる同曲の演奏よりちょっとばかりテンポが遅い。しかし、演奏が進むにつれ、そんなことは気にならなくなる。あの名曲、「カトリーナ・バレリーナ」も演奏されているが、サビの部分のテナーが低音すぎてバリサクみたいに聞こえるのがちと難点か。このテナーの主であるエイゾー・ローレンスはおおかたの評価は「いまいち」ということになっているようだが、本作でもやはりぎくしゃくしたソロを吹く。しかし、決して悪くないし、ソプラノではとくに迫力あるプレイを繰り広げており、この名盤に貢献している。モノクロのジャケットも、なんとなく(ほんとになんとなくだが)「ムーントレイン!」と叫びたくなるような感じです(なんのこっちゃ)。本作からは、「ザ・ムーントレイン」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。でも、サビの部分のコード進行はめちゃ難解で、あるひとに謎解きをしてもらわなかったら一生意味はわからなかっただろう。
「THE WOODY SHAW CONCERT ENSEMBLE AT THE BERLINER JAZZTAGE」(MUSE RECORDS MR5139)
WOODY SHAW
ベルリン・ジャズ・フェスでのライヴ。これも昔愛聴したなあ。トゥーレではなくスライド・ハンプトンがボントロというのが鍵であり、彼のアレンジがデクスター・ゴードンの入った「モントルーサミット」や「ソフィスティケイト・ジャイアント」にも共通するサウンドをつくりだしている……かどうかはわからんけど。とにかく、一曲目からラストまで、計4曲、どれも一瞬たりとも気を抜けないこってり・えぐ目系のナンバーであり、「オブシクイアス」は初リーダー作「イン・ザ・ビギニング」以来何度も演奏している曲だが、ここでのバージョンはショウとスラ・ハンとの激烈きわまりないバトルがフィーチュアされていて、聴くもの皆興奮せざるをえないようなとんでもないハイテンションの演奏になっている。スラ・ハンって、アレンジだけじゃなくて、こういうタイマンバトルでも凄いよなあ、と彼の底力を見た思いである。テナーとソプラノがフランク・フォスター、アルトがルネ・マクリーンというのも興味深いが、若くて感覚も新しいはずのルネのソロより、フランク・フォスターのソプラノのほうが過激でイキまくっているのも聴きどころ。こういう濃密かつボルテージの高い演奏をきいていてたら、A面B面などあっというまである。本作からは、その「オブシクイアス」がフルバンドのレパートリーとなっており、そういう意味でも愛着ひとしおのアルバム。
「LOVE DANCE」(MUSE RECORDS MR5074)
WOODY SHAW
デビュー作でも演奏しており、その後も折に触れて録音している「オブシクイアス」がここでも演奏されている。その他の曲も、まさに70年代ジャズ。思わせぶりなオスティナート、モーダルでかっこいいテーマ、斬新なコード、そしてそれらを吹きとばすような熱いソロと煽りまくるドラム……。上記のベルリンでのライヴの1年前の演奏だが、メンバーはルネ・マクリーンは共通だが、ボントロはトゥーレ、そしてテナーはなんとビリー・ハーパーである。ブラックセイント・ビリー・ハーパーとウディの共演というのは珍しいと思う。ハーパーのアクの強さがはたしてウディの音楽と合うかどうか……と危ぶまれるところだが、蓋をあけてみると、なんのことはない、完璧な相棒ではないか。ウディの音楽には、ジョー・ヘンダーソンやビリー・ハーパーのような、ちょっとダークな音色を持ち、複雑なコードチェンジ物もモード物もこなせるテナーマンがよく似合う。
「IN THE BEGINNING」(MUSE RECORDS MR5198)
WOODY SHAW
65年という早い時期に自主制作で録音されたウディ・ショウの初リーダーアルバムだが、ジョー・ヘンダーソン、ハンコック、ラリー・ヤング(ピアノを弾いている)、ポール・チェンバース(!)、ロン・カーター、ジョー・チェンバース……という錚々たるメンバーがサポートしている。70年代の権化のごときウディ・ショウだが、こんな早い時期(ドルフィーのサイドから出発して、ホレス・シルバーやハンク・モブレー、ネイサン・デイビス、バディ・テリー……らのサイドマンとして演奏していたころ)なのに、内容は完璧に70年代のウディ・ショウそのもので驚く。はじめて聴いたとき、これが65年? と、ほんとうにびっくりした記憶がある。曲も「オブシクイアス」などおなじみのナンバーをやっているし、ほかのメンバーとも完全にわかりあって真摯に演奏しているのがわかる。ウディのソロフレーズなども、まったく後年のままだ。俺はこういうのがやりたいんだ、というウディ・ショウの魂の叫びみたいなものが伝わってきて、感涙ものである。やはり、初リーダー作にはよくも悪くもそのひとのすべてが出るというが、まさにそのとおり。作家もたぶんそうなのだろうな……。
「THE TOUR VOLUME ONE」(HIGHNOTE RECORDSHCD7291)
WOODY SHAW & LOUIS HAYES
最近出たジャズ批評のトランペット特集「ベスト・オブ・トランペット」という古今の50人の名トランペット奏者を紹介する特集にウディ・ショウが入っていなくて、本当に驚愕した。今更ながらに、評論家とかジャズ愛好家たちと、現場(プロミュージシャンやアマチュアミュージシャンたち)とのかい離を強く感じた。もちろんそういうことをちゃんとわかっている評論家もいらっしゃるのだが、50人のなかに入らないというのは呆れてものが言えません。原田和典さんがこのアルバムのライナーに書いているように(このひともちゃんとわかっているひとなのだ)、「若手中堅のトランペット奏者に「あなたの尊敬する先輩同業者はごれか?」とたずねると、かなりの確率で「ウディ・ショウ」という声が返ってくる」というのが、私の実感でもある。現代のトランペット奏者への影響ということでは、フレディ・ハバードでもランディ・ブレッカーでもなくウディ・ショウだろう。コルトレーンによってモードジャズが確立されて、多くのテナー、アルト奏者がその影響下に自己の演奏スタイルを確立したが、トランペットにおいてそれをいちはやく体得し、7〜80年代ジャズの牽引者となったのがウディ・ショウだと思う。50人に入らんとはなあ……。で、本作だが、ウディ・ショウ〜ルイ・ヘイズ双頭クインテットのドイツでのライヴで、こういうのを発掘させたらピカイチのハイノートからのリリース。音質超良好。内容最高。メンバー的にはあの変なジャケットおよびタイトルの「イチバン」の頃で、テナーがジュニア・クックなのがビミョーだと思う。私も聞くまえはそう思っていた。ホレス・シルヴァーのところでハードバップの権化のようないなたいフレーズを吹きまくっているクックがウディ・ショウの演奏スタイルと合うわけがない。なんとなく合わせてる感じだろう。まあウディ・ショウの演奏に絞って聞けばいいか……と思っていたが、なななななんと! ジュニア・クックってこういう系もできるのだなあ。ウディの曲の複雑なコードチェンジを自分なりに解釈して、たとえばワンコードみたいな想定にして、そこにパッションをぶちこむ……ということで対応しているのかもしれないが、それが見事にはまって、バンドにすごく溶け込んでいてびっくりした。深い音色も、こういう音楽に合っていて、それもまた驚きでした。演奏全体としては、ソロはウディがとにかく突出していて、コードから遠い音を使った変態的なフレーズをものすごいスピード感で吹きまくるという凄まじい演奏を繰り広げており、ウディファンはマストだと思うが、コ・リーダーのルイ・ヘイズはもちろん、ロニー・マシューズ(最高!)やこのあとウディの片腕ともなるスタッフォード・ジェイムズらもとにかくすばらしい演奏で応えている。そして、さっきも書いたが、ジュニア・クックのがんばりは目を見張るほどで、この時期ならたとえばルネ・マクリーンやジョー・ヘンダーソンらの出番を期待していたが、いやいやいやいや……ジュニア・クック最高やん! と考えを改めた。すいませんでした。つまり、クックというひとはライヴだとこれだけアグレッシヴに新主流派的な演奏もできるひとだったのだなあ……。目からうろこ。ジャズ批評もこのアルバムを聴いて、今からでも遅くはないので(遅いけど)50人のなかにウディ・ショウを入れててもらいたいものである。これは、ファンが「俺の一押しのあのひとが入ってないなんて!」とゴネているのとかとは違うと自分では思うのですが……。
「WOODY SHAW WITH TONE JANSA QUARTET」(TIMELESS RECORDS CDSOL−6359)
WOODY SHAW
トーン・ヤンシャというひとはよく知らん。この時期のウディはもはや晩年といっていい状況で、フレディ・ハバードと月の砂漠をやってた頃であり、我々は結構「ガックシ」という感じで聴いていた。それまでウディに対する思い入れが強すぎたこともあって、こんなによれよれになるかなあ……という印象だった。共演のフレディがバリバリ吹けば吹くほどウディのよれよれさが目立って悲しかった。その憎たらしいほどのフレディがすぐ後によれよれになってしまう……というのがまた悲しいわけだが、とにかくウディ・ショウに関していうと、このころはもうかつてのモーダルなブロウはもうできないのかと思っていたわけだが、例外的にこのオランダでの演奏はブルーノートを愛するジャズファンたちが喜ぶようなカスみたいな演奏ではなく、「これこそウディ」とみんなが思うような演奏になっていると思う。正直、トーン・ヤンシャというテナー奏者はめちゃくちゃ「気持ちはわかる!」というタイプで、ああ、あなたはウディ・ショウが、というか70年代ジャズが好きなんだろうなあ、わかるわかる……という感じである。そういう熱意に引っ張られてウディもかつての輝きを取り戻した……という風な演奏ということもできるが、トーン・ヤンシャというひとの気合いと熱い思いはものすごーくわかるが、その気合いのせいなのか、とにかく演奏がどんどん前のめりになっていく。フルートだとまだましなのだが、テナーは気持ちが先行しすぎるというか、ちょっと前ノリすぎてしんどい。で、ウディは逆にクールにモーダルなフレーズをバシバシ決めまくり、いやー、ものすごくかっこいい! 軽い音色でバップとはちがうオリジナリティあふれるフレーズをバリバリ吹きまくるが、あくまで軽くて流麗である。この時期のウディからこのすばらしいプレイを引き出した、という意味ではトーン・ヤンシャも頑張ったと思う。本当にウディのこの時期の貴重な記録だと思います。ウディファンはぜひとも。
「THE TOUR VOLUME TWO」(HIGHNOTE RECORDS HCD7308)
WOODY SHAW & LOUIS HAYSE
未発表ライヴ録音シリーズの第二弾。第一集は、テナーはずっとジュニア・クックだったが、本作では1曲だけレネ・マクリーンが参加している。それにしても、ここでのウディ・ショウは凄い。凄まじい。同時代のほかのトランぺッターを寄せ付けない、どころか、今でもこれだけ吹けるやつはおらんやろ的な圧倒的な凄みである。テクニック、フレージング、音楽性……だけでなく、集中力、気合い、そして、切迫感はただごとではない。ウディ・ショウはたしかにこの瞬間、世界一のトランペット奏者であったのだ、と思う。そして、この集中力と切迫感はあるひとを連想させる。そう、エリック・ドルフィだ。ドルフィとショウの音楽性はまるで似ていないが、一時期、ふたりは共演しているわけで、そのときショウはドルフィから、曲作りとかフレージングとか前衛性……などではなく、一期一会というか、一曲一曲に、いや、一音一音に魂を叩き込むような演奏姿勢、つまり、この演奏が終わったら死ぬかもしれない、それぐらいの気持ちで臨むような切迫感を学んだのではないか……とまあ、これは私の勝手な想像です。このアルバムでのウディ・ショウの演奏は完全に「頂点」であり、トップ・オブ・トップといっていいが、その頂点が長続きしなかったことも皆さんご存知のとおりである。命を削るようにして吹いていたショウの頂点をとらえたこの音源の価値は絶大である。1曲目「オール・ザ・シングス・ユー・アー」からウディが凄まじい演奏を繰り広げる。テーマを聴いてもただのジャムセッションのようだが、ソロに入るとまるで火炎放射器を全開にしたような凄まじさでトランペットが轟き渡る。ロニー・マシューズのソロもすばらしい。テナーが4小節ほど吹いたあとテーマに戻る。2曲目の「チュニジアの夜」もいかにもジャムセッション風である。テーマのあとに出てくるジュニア・クックのソロは(第一集でも感じたが)、いつものハードバップ的なものではなく、モーダルでシリアスである。こういう風にも吹けるひとなのね。ショウのソロも短いけどかっこいい。3曲目は「ラウンド・ミッドナイト」をかなりストレートに演奏。凛々しくも鋭いウディのテーマの吹き方に比して、サビのジュニア・クックのもっちゃりした吹き方もなんかいい。ウディのソロはとにかく凛として、格調高く、いらぬものをすべて削ぎ落したようなストイックなフレーズのみで構成されている。本作の白眉ともいえる、いや、70年代ジャズの最高の到達点ともいうべきすばらしい、ある意味背筋が寒くなるような演奏である。個人のソロが音楽史的なものや設定・構成などを突き破って孤高に屹立する瞬間ともいえる。ジャズはこういうことがおこるからおもしろいのだ。ピアノソロもいい。おそらく後半はカットされている。4曲目は珍しい選曲だと思うが、コルトレーンの「サム・アザー・ブルース」。これもシンプルだが突き抜けた演奏。このころのウディはフレーズも凄まじいが、ハイノートもバリバリに出ていて、向かうところ敵なしである。このドラマチックなコーラスからコーラスへのストーリーの展開は現代のトランペッターが手本とすべきものであろう。例によってマシューズのピアノもめちゃくちゃいい。ブルースなのにモード風のフレージングである。この曲にしか参加していないレネ・マクリーンのソロはないのである。かわいそ! 5曲目は「インヴィテイション」。ドラムを中心とした凄まじいイントロダクションではじまるこの演奏は、アルバム中もっとも長く、テンポも速い。先発ソロはジュニア・クックでドラムに煽られながらもペースを崩さない、クオリティの高いソロで聴き応え十分である。いや、正直、ジュニア・クックとは思えない甘さのないモーダルなソロで、わたしのジュニア・クック感を覆す演奏である。そして、続くウディのソロは安定感もあるが、挑戦的で、リズムセクションの煽りに軽々と応えつつ、一直線に吹きまくるようなすばらしい演奏で、ただひたすらこの音色とスピード感とモダンなフレージングの快感に酔いしれるだけだ。いやー、凄すぎる。最後の6曲目はバラードで「ファッツ・ニュー」。ウディの表現力豊かなトランペットに持っていかれる。同じ音をリズミカルに連発するだけでもかっこいいのだからなあ。16分音符での冷徹な吹きまくりも、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドのようである。4度重ねのフレーズもこのひと独特で、めちゃ耳に残る(もしかするとラストのあたりは編集がなされているかもしれない。ソロあとの拍手のあと、まだソロが続くので)。70年代ジャズが、アレンジやモーダルな音楽的設定によってのみ成立していたと考えるのはまちがいで、こういう風にスタンダードをヘッドアレンジでやる単なるセッションバンドであっても、ハードバップとはまったく一線を画した到達を果たしていたことがはっきりわかる。
「BLACKSTONE LEGACY」(CONTEMPORARY RECORDS CCD−7627/28−2)
WOODY SHAW
今から書くことは本当に妄想というかぐだぐだした無意味な内容になるはずだし、個人的な心覚えなので、できるだけ読まないでほしい。3管にツインベース、2曲を除き自己のオリジナルでかため、その2曲もジョージ・ケイブルスの曲……という、初リーダー作としてはたいへんな意欲作である。もともと2枚組のものをCD1枚にしたので、3曲目と4曲目があわせて2分少々削られているらしいが、レコードを持っていないのでどこがどうなのかはよくわからない。ショウのリーダー作のなかでもベニー・モウピンが入ったこのアルバムと、ブラクストン、ブライスが入った「アイアン・マン」はちょっと異色である。なにが異色かというと、フリージャズっぽいのだ。リチャード・エイブラムスやブラクストンなどシカゴフリージャズと組んでかつてのボス、ドルフィーに捧げたコンセプトアルバムである「アイアン・マン」は別として、本作は全体としてフリーキーな部分や完全即興の部分が多く聴かれる。本作はショウの初リーダー作だが、実際の初リーダ―作であり、83年になるまでリリースされなかった「イン・ザ・ビギニング」は本作の5年もまえに吹き込まれているにもかかわらず、フリージャズ的ではない。そして、本作の2年後に吹き込まれる「ソング・オブ・ソングス」は本作とおなじくベニー・モウピンが参加しているのにフリージャズ的ではない。というわけで、私が思うに本作をフリージャズっぽい雰囲気にしているのはあくまでベニー・モウピンひとりであって「ブラックストーン・レガシー」と「ロスト・アンド・ファウンド」でのソロ)、それをのぞくと、非常に典型的な(いわゆる)70年代ジャズそのものである。バップ的なコード進行ではなくモーダルなテーマとアンサンブル、4ビートではなく8ビート、16ビート、ラテンリズムなどをリズムに据え、ポリリズム的な熱狂も多く用いられ、ときにはオーティナート的に、ときには自由にうねりまくるベース、4度重ねのエレピの重いコード、コルトレーンという言葉がどうしてもでてきてしまう管のソロイストが暑苦しいソロを繰り広げ、それを煽るリフ……そんなタイプの演奏である。ビリー・ハーパー、ファラオ・サンダース、ハンニバル・マービン・ピーターソン、ゲイリー・バーツ、チャールズ・トリバー……いくらでも名前が出てくるが、そういう連中のなかでもひときわ輝いていたのがウディ・ショウだろう。このあと「ソング・オブ・ソングス」「コンサートアンサンブル」「ムーントレイン」「ラブ・ダンス」「リトル・レッド・ファンタジー」「フォー・シュア」「ローズウッド」「ウディV」「ステッピンストーンズ」「ユナイテッド」……といった作品でそれを実践していくウディのサウンドの原型はこの初リーダー作ですでにできあがっている。1曲目「ブラックストーン・レガシー」におけるテーマもリズムの設定もウディのソロも、つづくバーツのソロもそういう感じだが、そのあとのモウピンのバスクラは途中からノイズマシーンと化してフリーキーなもので、しかもまだまだこれからやな的な感じがする。ここでモウピンがバスクラで(フリーでもそうでなくてもいいから)もしもっとすごいソロをしていればなあ……。1曲目だし、タイトルチューンなので、この曲の印象でアルバム全体の印象が決定づけられる。2曲目「シンク・オブ・ミー」はケイブルスの曲だが、これもいかにもウディ・ショウのコンサートアンサンブル的なアレンジがほどこされていて、かっこいい。曲としては、1曲目よりはもっとジャズっぽい。ウディのソロフレーズもおなじみのものがいっぱい出てくる。アンサンブルは分厚いが、ソロはウディとピアノとドラムだけ。3曲目「ロスト・アンド・ファウンド」はレニー・ホワイトのドラムソロではじまるめちゃくちゃかっこいいテーマの曲。アレンジや構成も複雑。超アップテンポになり、ベニー・モウピンのテナーソロがフィーチュアされるが、このソロがまたしても中途半端にフリーキーなもので、いまいち盛り上がらない。でも今聴きなおすと、なるほどこのテンポではまともなソロはできないと判断し、あえてフリーな選択をしたのか、と思った。そのあとのウディのソロ、バーツのソロは圧倒的な迫力のモーダルなもので、はっきり書いてしまうとやはり実力の差であろう。つづくケイブルスもかなり苦しんでいるように思えるが、そのなかからじわじわと変な表現があらわれる。そしてドラムソロとテーマが交互に現れる。4曲目「ニュー・ワールド」もケイブルスの曲。バラード風のイントロから、ホーンのかっこいいシンプルなリフになる。そしてケイブルスのやや時代を感じさせるが、今の耳で聞くとそこが逆にかっこいいエレピソロになり、そのあいだに3管のさまざまなリフが挟まるという構成になる。そのあとショウの若々しく切れ味のいいソロになる(やや途中で息切れ? 同じフレーズ連発になる)。レニー・ホワイトも暴れまくっており、ベースも絡み倒していて、エレピのバッキングも過激だし、非常にかっこいい。つづくバーツのソプラノによるロングソロはめちゃくちゃすばらしくてさすがである。手に汗握るファンキーかつモーダルなブロウはまさに70年代。そしてエンディングはちょっと意表をつく感じでこれもまたすばらしい。5曲目「ブー・アンズ・グランド」はややハードバップっぽいパワフルなアンサンブルで開幕する。先発ソロはケイブルスのアコースティックピアノソロ。これがなんともいえないええ感じなのである。緩急があり、グルーヴがあり、いろいろな場面が目まぐるしく展開していく。全編ばしゃばしゃいいまくっているレニー・ホワイトのばしゃばしゃドラムも炸裂している。つづくウディのソロも途中で何度か長いブレイク(フリーフォームのパートのようにも聞こえるが、そうではないと思う)があったりするが、見事にむずかしい構造を乗り切って吹きまくる。ゲイリー・バーツのアルトソロもブレイクの部分ではバラード風にしたりと個性を存分に出した「上手い!」という感じのソロで飽きさせない。そして問題のベニー・モウピンのテナーソロだが、こういう誠実なソロは私の好みで、たしかに「もっとがんばってくれ」とは思うが嫌いではない。「気持ちはわかる!」という感じである。最後の「ア・ディード・フォー・ドルフィー」は、タイトルどおりドルフィに奉げた硬質なバラード。コード感はあるのだが、一定のビートのない、全体に茫洋とした自由空間のなかを、ウディのリリシズム溢れるトランペットを中心に全員が同時に即興を行う。これがもうめちゃくちゃかっこよくてしびれます。そのあと主役はトランペットからピアノに移るがここでも同様の濃密な展開で、硬質なピアノがたまらんドラマを描く。これのどこがドルフィーなのだ? というひとは逆にドルフィーの音楽について先入観があるのではないだろうか。
さあ、ここからもう少しぐだぐだ書きます。
ここで気になるのは1970年録音ということとメンバーの人選に関してだが、ショウは果たして「ビッチェズ・ブリュー」を意識していたかどうか、ということを考えると、1年後の録音であることを考えると、同じトランぺッターでもあり、意識していないとは思えない。人選も、ロン・カーター、ベニー・モウピン、レニー・ホワイト……と「ビッチェズ……」に参加しているうちの3人が本作にも参加しているし、ゲイリー・バーツはのちにエレクトリック・マイルスの主要なメンバーとなる人物だ。しかし、巷間言われているほど「ウディ・ショウ流『ビッチェズ・ブリュー』」的な見方は当っていないのではないか。たしかに4ビートではない曲が主だし、エレピも使われているが、じつはそれだけで、あとは非常にオーソドックスでアコースティックでスピリチュアルで勢いのいい70年代ジャズの典型だと思う。「ビッチェズ……」というのは、エレクトリック・サウンドやロックビートという以上に、パーカッションによるカラフルなリズム、広々としたくうかんを感じさせるサウンド、そこを自由に跳びかうエレクトリックトランペットとソプラノサックス……というあたりが「凄い」わけで、そのあたりはこのストレートアヘッドな音楽とは似ていないと思う。つまり、本作は「ウディ・ショウによる『ビッチェズ・ブリュー』宣言」とかではなく、「70年代ジャズのはじまりを告げる一枚」なのではないか。そう思って、ベニー・モウピンにもう一度着目すると、「ビッチェズ……」ではソロイストというより全体にバスクラで陰影をつける係になっていた彼が、本作では大きくフィーチュアされている。ここで浮かびあがるキーワードは「ドルフィー」ではないのか。ウディ・ショウが自分の初リーダー作を作るにあたって、かつてのボスであり、大きく影響を受けた人物ドルフィーへの捧げものということを考え、バスクラ奏者であるベニーを入れたのではないか。ラストの「ディード・フォー・ドルフィー」がそれを物語っているのではないか。そう考えると、本作と「ビッチェズ・ブリュー」のつながりは希薄になり、また、「70年代ジャズの出発にドルフィーの存在があった」とも言えるのではないか。などとジャズ評論家的なことをぐだぐだ考えたので、メモとしてここに書いておく。
タイトルの「ブラックストーン・レガシー」の意味はショウによると、世界中の黒人の自由に捧げたものであり、かつ世界中のゲットーに奉げたものだという。ストーンは、強靭さの象徴で、彼自身も汗臭い家で、ゴキブリとネズミがはびこり、廊下も臭いところで育ったが、そういうところの若者に希望を与えるつもりで名付けたそうだ。ジャケットも印象的で(スーダンでの写真)、若き日のウディ・ショウの思いのこもった熱い熱い一枚である。
「THE NEW WOODY SHAW QUINTET AT ONKEL PO’S CARNEGIE HALL VOL.1」(DELTA MUSIC & ENTERTAINMENT N77045)
THE NEW WOODY SHAW QUINTET
私がはじめてウディのライヴに接したときと同じメンバーだ。あのときの衝撃、いや、衝撃なんて生易しい言葉では表現できないな。日々フリージャズばかり聴いていた私が、とにかくひっくり返るぐらい驚き、また感動したのだ。そして、この未発表ライヴにはあのときの驚愕と感動がすべて入っている。宝物のようなアルバムだ。まったく隙がない。どういったらいいのかな、スタジオ録音の「作品」として隙がない、のならわかるのだが、彼らにとっては日々のギグのひとつにすぎないこの放送録音が、今聴くと、「完璧」なテーマ演奏、完璧なソロ、完璧な構成、完璧な即興アンサンブル……であることに驚くのだ。しかも、そのぴりぴりした迫力は凄まじい。ドルフィーの作品すべてに共通する、あの「切迫感」にも共通する、明日死ぬかもしれない、という一瞬にかける思いがひしひしと伝わってくる。リラックスした、このくつろぎが永遠に続いてほしい……というような音楽もあるが、ウディの真骨頂は切迫感である。ウディのソロはどれも圧巻で、当時としては最先端を行くモダンなフレージングや、鉈でぶった切るようなリズムや、ハイノートのうえにハイノートを重ねるようなアクロバチックなプレイなどどれをとっても超一級かつ「ウディ・ショウやなあ」としか言えない個性的なもので、すばらしすぎる。スティーズ・トゥーレの、トロンボーン離れしているのにトロンボーンらしい、というこれまたアクロバチックな演奏の数々も圧巻。もちろん、マルグリュー・ミラー、スタッフォード・ジェイムズ、トニー・リーダスというこの時期のリズムセクションの手に負えないほどの最高の演奏もかっこよすぎる。やっぱり技術と音楽性の両方がすごくて、そのふたつがガッチリ手を結んだときにこういう奇跡が起きるんだろうなあ。ふつうのジャズは、当然そういうところを目指すわけだが、なかなか実際にはそうはいかない。ウディ・ショウを聞いたことがない、というひとにもおすすめできる傑作ライヴである。6曲入っているように書いてあるが、じつはそのうち2曲(?)は単なるMCなので、本当は4曲。「カトリーナ・バレリーナ」をはじめ、ええ曲ばかりなので、そこも味わいどころ。ライナー(英文)も充実しています。傑作!
「AT JAZZ SHOWCASE 1979」(JAZZTIME 077)
WOODY SHAW
ウディ・ショウの海賊盤。MCに続いてカウントがはじまり、1曲目はなんと「蛍の光」だ。「蛍の光」をラストではなく1曲目にかますとはなかなかすごいぞ……と思ったら、この曲は海外では年始や誕生日、披露宴などで演奏されるらしい。そしてこのライヴは12月31日からの年越しライヴなのだ。なるほどなあ。カーター・ジェファーソンのソプラノソロを聴いていると、とても「蛍の光」をやっているとは思えない。ちょっと変なアレンジがほどこされていておもしろいが、尺も短い。2曲目は「ステッピン・ストーンズ」でもやっていた「セヴンス・アヴェニュー」。ビクター・ルイス、スタッフォード・ジェームス、ラリー・ウィリスという最高のリズムセクションに乗って、ウディ・ショウが相変わらず天空を駆けるようなすさまじいソロをする。このころのウディ・ショウに敵なしである。つづくカーター・ジェファーソンのソプラノは尻上がりによくなっていく感じのいいソロ。ラリー・ウィリスのソロはめちゃくちゃかっこいい。惚れてしまうで!と叫びたくなるような凄まじい演奏でドラムとの相性も抜群。けっこう長いドラムソロが大きくフィーチュアされてテーマ。つぎは「イン・ユア・アウン・スウィート・ウェイ」でウディの愛奏曲。カーター・ジェファーソンのテナーソロ(やっとテナーがでてきた)がかっこいいです。やっぱりテナーだよね、カーター・ジェファーソンは〈決めつけるな)。ウディ・ショウのソロはシリアスに歌い上げる。ピアノソロの途中で突然音量が下がるがすぐに回復。このピアノソロもすばらしいです。これもまたビターなスタッフォード・ジェイムズのベースソロもいいんですが、終わってからの拍手が少なすぎる。ひとり? 客何人おんねん。つぎは「ローズウッド」で、テンポがけっこう速い。いや、こんなもんかな。たった5人であのリトルビッグバンドみたいな感じが出せるのか、と思っていたが、そのあたりはまあまあです。カーター・ジェファーソンの硬質なテナーソロはかっこいい。途中からかなりフリーキーになって私の好みにぴったりです。オリジナルは(ジェファーソンも参加しているが)ジョー・ヘンダーソンだっけ(カーター・ジェファーソン説もある。私はどちらかというとカーター・ジェファーソンだと思います。低音部の音色の感じとか)。ウディのソロは自由自在な、聞いていてすがすがしい、すばらしいものです。ピアノソロもこれぞ70年代ジャズという硬派なもので、つづくベースソロはオリジナルアルバムにはない大フィーチュアでこの曲の聞きどころはベースか、と思うほどのフィーチュアぶりである。いいねー。つぎはスタンダードで「オール・オブ・ユー」なのだが、ラリー・ウィリスのピアノがメインのトリオナンバーである。ちょっとマイルスっぽいやり方(?)。ラストはまさにというかなんというか「ステッピン・ストーンズ」でフェイドアウト。めちゃくちゃすごいソロの途中なのでもったいないなあと思うが仕方がない。傑作だとは思うが、ウディ・ショウを最初に聞くとしたらちゃんとした音源のほうがいいのではないかと思います。
「TOKYO’81」(ELEMENTAL MUSIC 5990429)
WOODY SHAW
これは凄い。凄まじい。私はこのときの来日公演は聴いていないのだが(フルバンの練習があったので行けなかった)、行ったひとの話を聞くと、とにかくめちゃくちゃ凄かったらしく、いわゆる伝説のコンサートになっていたのだ。その翌年、ほぼ同じメンバーで来日し、それは観に行ったが、めちゃくちゃ良かった。というわけで、本作だが、放送録音が音源で日本のジャズ番組をそのまま収録しているので、冒頭に某ジャズ評論家のしゃべりが入る。「マルグリュー・ミラー」を「ムルグロー・ミラー」と発音しているのが時代を感じさせる。しかも、なぜかわからんが、ドラムをヴィクター・ルイスだと言っている。録音の最後にちゃんとメンバー紹介があり、ドラムはトニー・リーダスだと言っているにもかかわらず間違えているのは、たぶん音源をちゃんと聞かず、渡された資料だけ読んでいるからだと思われます。なので、どうしてこんな無意味なDJ部分をマイケル・カスクーナが本盤に収録したのかさっぱりわからん(切ってしまってもなんの問題もない。というかそのほうが構成的にもいいと思う)。まあそんなことはどうでもいいのであって、肝心なのは演奏だがこりゃもうマジでめちゃくちゃ凄いっす。1曲目は、かなり速めの「ローズウッド」だが、テーマ部分のトロンボーンのなめらかさにまず驚く。トランペットが2本あるかのようななめらかなアンサンブル。先発ソロはマルグリュー・ミラーで軽やかで、かつ重厚なかっこいいソロ。つづいてスティーヴ・トゥーレ。はまりまくりの豪快な、トロンボーンらしい演奏で、この時代のトロンボーンの最先端的なソロ。そしてウディ・ショウ登場だが、圧倒的な演奏。モダンで洒落ていて音楽的なソロ。天空を駆けるがごとき身の軽さとまばゆさを持ったソロ。ほめすぎ? いやいや、そんなことないです。ベースのアルコソロを挟んでテーマのアンサンブルへ。いやー、この1曲目を聞いただけでも、「よく出してくださいました!」と最敬礼したくなる。2曲目は「ラウンド・ミッドナイト」で、ショウがコンサートではときどき取り上げるナンバー。ほぼマイルスアレンジと同じ。でも、ええもんはええ。例の「パッパッパー」というリフのあと、ショウのトランペットが切々と、身もだえせんばかりに東京のホールの空間を駆け巡る。どこを切ってもマイルスとは大違いのウディ・ショウの世界観に基づいたすばらしい演奏。美味しいフレーズ連発だし、なにより音色が美しすぎてため息。ピアノソロとトロンボーンソロも見事だが、後テーマのウディの崩し方やトゥーレとの即興アンサンブルはすばらしい。そして、何度もクライマックスが訪れる、とんでもないカデンツァ! 3曲目はマルグリュー・ミラーの「アペックス」という曲で、「ナイト・ミュージック」に入っている、途中でラテンリズムになるいかにも70年台主流派ジャズという感じのかっこいい曲。ウディの先発ソロも快調そのものでぶっとばしていく。トゥーレのソロもとにかくひたすら「めちゃくちゃ上手い!」と叫んでしまうような快演。ピアノソロもいいし、冷静なスタッフォード・ジェイムズと、ソロイストをあおりまくるトニー・リーダス。ほんとこのバンドは全員凄すぎて、聴いていて一瞬も気を抜けないっす。4曲目は「フロム・モーメント・トゥ・モーメント」(「タイム・イズ・ライト」に入ってるやつ)。聴いていて胸が苦しくなるほどの哀愁のテーマを、絶頂期のウディがあの輝かしい音色と表現力で切々と奏でるのだから、悪いわけがない! もう最高であります。トゥーレは低音を駆使してのソロ(バストロ?)。そして、ピアノソロも泣けます。5曲目はおなじみの(というか、ほぼ全曲「おなじみの」なのだが)「ソング・オブ・ソングス」。幻想的で、どこか琴を思わせるピアノのイントロに重厚なアルコベースが加わり、なんとなく東洋的な匂いを醸し出しながら進行していき、そこから3拍子のリズムからテーマが始まる。ウディのソロは、これぞウディ・ショウという感じのストレートアヘッドでウディ節満載のもの。ウディ・ショウのソロは常に、「その場で発生している」感があって好きだ。即興だから、とか、クリシェが、とかそういうのとは関係なく、ライヴ感があっていきいきしている。かなり長尺のソロのあとトゥーレのソロ。これも自由闊達で豪快でドラマチックでアイデアに満ちたすばらしい演奏である。最後はバンドテーマとしての「テーマ・フォー・マキシン」。この最高のリリースに唯一文句をつけなければならんとすれば、このあとにボーナストラックとして入っているパリス・リユニオン・バンドの「スウィート・ラヴ・オブ・マイン」だろう。もちろん演奏はすばらしいのだが、これは既発盤に入ってるやつで、メンバー的にもウディ・ショウ以外には本作とはなんの関係もない。リユニオンバンドの未発表テイクとかならまだいいと思うが……。全部をこのクインテットの東京公演のみで統一してほしかった。録音時間が短い? そんなことで文句を言うやつはいないと思うが。しかし、そのこと以外は本当にありがたやありがたやのリリースであり、ウディ・ショウを聴くのがはじめてというひとが本作から聴いたとしてもまったく問題ない傑作だと思います。録音も上々。
「LIVE IN BREMEN 1983」(ELEMENTAL MUSIC 5990430)
WOODY SHAW QUARET
最近ウディ・ショウの未発表音源がどかどか出てきて、ありがたいやらかたじけないやら……長生きはするもんだなあと思ったりしておりますです。一時の、コロンビアの代表作さえ入手できなかった状況に比べると変われば変わるもんだと思うが、もちろんこういうありがたい状況というのはすぐにまた、市況の変化やらなんやらでなくなってしまうのである。83年というから、トゥーレがちょっと抜けていた時期のライヴだが、その分、ショウの凄まじいトランペットが満喫できる。ワンホーンで吹くと、本当にウディ・ショウの、いらないものをそぎ落とした壮絶なまでにストイックな音、フレーズなどなどがしみじみ感じられるし、管楽器の相棒(?)のいない状況での孤軍奮闘ぶりも伝わってきて泣けてくる。そして、マルグリュー・ミラーもいつもよりも長いソロを過激に弾きまくっているような気がする(いや、もうすごすぎます)。とにかくすばらしい。ウディ・ショウとマルグリュー・ミラーが前面でがんばっている感じだが、そのソリッドさ、シャープさ、重量感、そして鬼気迫るほどの切迫感はトゥーレを擁したクインテットでの安定感のある演奏とは少し違っていて(おそらく精神的な面で)、めちゃくちゃかっこいいのである。痛々しいほどに鋭く突き刺さるようなトランペットをハードバップ〜モードジャズの文脈で奏でていたウディ・ショウの演奏は、同時期のフレディ・ハバードのファットな演奏と比較してもとにかくストイックとしか言いようがない、聴いているものの胸をグサグサ刺してくるようなプレイだったが、その究極がここに収められているといえるのではないか。同じフレーズばかり、とか、手癖で吹いてる、といった批判があるかもしれないが、これだけ「自分のフレーズ」だけでアドリブを構成するそのストイックさには鬼気を感じる。もちろんベースのスタッフォード・ジェイムズ(アルコソロもかっこいい!)やドラムのトニー・リーダスといったおなじみのメンバーもウディ・ショウやマルグリュー・ミラーのバッキングはもちろん、ソロになると思わず瞠目してしまうようなすごい演奏をする。しかし、なんといっても本作の醍醐味はワンホーンである、ということで、本来、2管以上のアンサンブルが想定されているテーマをウディが美しく、しなやかに、たおやかにトランペット一本で吹ききり、そのあとソロも吹きまくるという点がほかのアルバムと違っているところである。しかも、選曲も「あなたと夜と音楽と」「ラサーンズ・ラン」「イースタン・ジョイ・ダンス」「プレッシング・ザ・イシュー」「オルガン・グラインダー」「カトリナ・バレリーナ」「ダイアン」「400イヤーズ・アゴー」「スウィート・ラヴ・オブ・マイン」……とおなじみすぎるぐらいおなじみの名曲ばかりが並び、それらをウディがワンホーンでどう吹きぬくかという面白さもある。やるほうも聞くほうも、気の抜ける曲というのがない。これぞ70年代ジャズ! いやー、ほんまにええ曲ばかり。どの曲も、一枚のアルバムのハイライトになるような宝物のような演奏だ。ウディ・ショウ(とそのまわりの連中)の才能にはほとほと感服するしかないです。かっこよすぎる4人。しかも2枚組! よくぞ出してくれたと涙なみだの傑作であります。
「BASEL1980」(ELEMENTAL MUSIC 5990432)
WOODY SHAW QUINTET
またまた出ました。ウディ・ショウの未発表ライヴ。しかも2枚組。16ページのブックレット付き。ウディの一番すばらしかった頃の演奏がなかなかCDにならず切歯扼腕していたころが懐かしい。これだけたくさん絶頂期の演奏が出るとは、現在こそがウディファンにとって極楽状態ではないか……と思っていたら、ネットで「ウディ・ショウはなかなかCDが入手困難なのが困る」という書き込みを見て、そんなアホな……と調べてみると、CBSのあたりのCDが絶版なのですね。一時、軒並み再発されたので、やれうれしや……とすっかり安心していたが、本でもCDでもいつまでもあると思うな……というやつである。しかし、一度はCD化されたわけだから、中古を探せばけっこう入手はしやすいはずで、やはりその昔とは状況はかなり違うと思う。で、本作だが80年のスイスでのライヴで、ビクター・ルイス、スターフォード・ジェイムズ、ラリー・ウィルスという鉄壁のリズムセクションに、テナーはカーター・ジェファーソンである。演奏曲目はほぼ全曲「この時期のいつものやつ」という感じで珍しい曲はやってないのだが、ウディ・ショウ・グループの場合、コルトレーン並に演奏の度にソロ内容が変わるので、こうして出してくれるのは本当にありがたい。そして、どれもすばらしい。もう、いっぱい出るし、今回は2枚組だし、パスするか……と思ったあなた。聞きなさい。いやー、めちゃくちゃ傑作なんですよ。だまされたと思って……聞きなさい。1枚目1曲目の「インヴィテイション」の重い3連によるいつもよりゆったりした出だしからもうわくわくしまくり、そのわくわくは最後まで途切れない。1曲目の「インヴィテイション」はいつもよりテンポが遅く、その分ソロイストはやや内省的な感じで吹きはじめ、次第に高揚していく。ドラムを除く全員が長いソロをする。カーター・ジェファーソンのソプラノはアグレッシヴですばらしいが、ラリー・ウィリスのかなり長尺のソロはドラマがあって聞き惚れるのみ。2曲目「セヴンス・アヴェニュー」はヴィクター・ルイスの作曲で彼のドラムソロではじまる70年代的なかっこいい曲(デヴィッド・サンボーンによる演奏がこの曲の初レコーディングらしい。「ステッピン・ストーンズ」のやつが最初とばかり思っていたが意外……)。ウディ・ショウは天空を舞うかのごとき鮮やかでアクロバチックなソロをバチッと決める。カーター・ジェファーソンのソプラノも1曲目に続いて凄い。ドラムソロもフィーチュアされる。3曲目もおなじみの「イン・ユア・オウン・スウィート・ウェイ」で、この曲をウディはフリューゲルでいとおしむようにメロディを吹く。カーター・ジェファーソンはこのグループでは相当自由にやらせてもらってる感じが伝わってくる。続くウィリスのソロはアブストラクトな部分やリアルな部分や力強い部分や幻想的な部分などさまざま局面を見せてくれる。そしてウディのソロはテーマに寄り添いながらもそこから自分の音楽を引き出す見事な演奏。楽器コントロールも完璧で、アグレッシヴでいてすべてがぴしゃりとはまるような隙のなさもあり、圧倒的な表現力でめちゃくちゃかっこいい。本作中最高のソロかも。いや、ウディの全作品のなかでも上位に来るようなすばらしい演奏。ウディはフリューゲルも最高なのだ。1枚目ラストの「ステッピン・ストーンズ」はアップテンポの曲だが、ウディとカーター・ジェファーソンがバトルというか、交互に吹きまくり、互いに刺激しあい高揚していく。これ、目のまえで見てたら興奮のあまり失禁していたかもと思うぐらい凄まじいです。このひとがリーダーだとカーター・ジェファーソンも一瞬たりとも気が抜けなかったかも……と思うぐらいガチンコの演奏。ピアノのえげつないバッキングも聞きもの。頭がおかしくなるほどの盛り上がりのあとピアノソロ。ベースが絡みまくり、それまでとはまったく違ったピアノトリオだけの世界が広がる。これもすごい疾走感だが、それだけでなく一瞬一瞬違うことをぶち込んでくるので息をとめて聞き入ってしまう。2枚目にいって1曲目はジョー・ボナーの「ラヴ・ダンス」で、これもまさに70年代という感じのモーダルなナンバー。ラリー・ウィリスが先発ソロで引き出しの多いすばらしいソロ。ウディはフレーズをじっくり、丁寧に重ねていくような演奏。途中から鋭く突き刺さるようなフレージング、高音域を駆け巡るようなソロ展開になっていく。あー、至福。あー、かっこええ。ほんまにこのころのウディ・ショウはすごすぎる! そのソロを受けてカーター・ジェファーソンは中音域の軽い音で熱を冷ますような落ち着いた演奏ではじめ、だんだん盛り上げていく。スタッフォード・ジェイムズのかなり長いアルコソロのあとテーマになるが、ラストテーマでの「もうひと盛り上がり」がえげつない。2曲目はこのころずっとやってるレパートリーの「ラウンド・ミッドナイト」。このかっこいいテーマの吹き方を見よ。あー、もう聴いてもらうしかないのだが、とにかくかっこいいのだ。思わせぶりで、ちょっとあざとくて、でも渋くて、心に染みこむような……そんなテーマの吹き方だ。上手さを見せようとか、大向こうウケしようとか一切考えていない、地味なウディの性格と高度な音楽性と演奏技術が結合してこの「ラウンド・ミッドナイト」を産んだのだと思う。もうテーマを聴いてるだけでほかになにもいらないぐらいなのです。マイルス〜コルトレーンマナーのアレンジなので、例の「パッパッパー」があってそのあとカーター・ジェファーソンが登場。そのあと一旦ブレイクになって無伴奏でピアノソロになる。ここが……ここが死ぬほどかっこいいのです。ベースも無伴奏ソロで、そのあとトランペットがテーマを吹いて終演。3曲目はスタッフォード・ジェイムズの「テオテワカン」。これもおなじみだが、70年代ジャズの典型というべきかっこいい曲。ウディ・ショウ・フレーズのショウケースというべき「あの」フレージングがひたすら連発され、あんぐりと口をあけるしかない。カーター・ジェファーソンの強引に力でねじ伏せるようなソプラノソロも魅力的。最初半分のテンポになるラリー・ウィリスのピアノソロも強力。ラストはメンバー紹介をかねて「テーマ・フォー・マキシン」。そして、なぜか一番最後にピアノがマルグリュー・ミラー、ドラムがトニー・リーダスに代わったカルテットでの「ウィー・ウィル・ビー・トゥギャザー・アゲイン」がおまけについている(ワンホーンです)。いい演奏だが、全体の統一感からするとなくもがな。でも、ウディ・ショウのソロは凄まじいの一言。というわけで、本作も大傑作なので、二枚組かあ……とか言わず、ウディ・ショウのファンは、いや、70年代ジャズが好きなひとはぜひ聴いてほしいです。傑作!
「WOODY SHAW QUINTET AT ONKEL PO’S CARNEGIE HALL VOL.1」(JAZZLINE−LEOPARD D77070)
WOODY SHAW QUINTET
またしてもウディ・ショウの未発表が出た。しかも2枚組である。リズムセクションはオナージェ・アラン・ガムス〜スタッフォード・ジェイムズ〜ヴィクター・ルイスという鉄壁の布陣でもう言うことはない。フロントの相方はカーター・ジェファーソンだが、この日のジェファーソンは絶好調だったみたいで、とにかく5人ともめちゃくちゃ凄いのです。同じレーベルから以前出た「THE NEW WOODY SHAW QUINTET AT ONKEL PO’S CARNEGIE HALL VOL.1」とは別物(スタッフォード・ジェームズ以外メンバーは異なる)。1曲目の「サム・アザー・ブルース」は、コルトレーンの有名曲だが、まあただのブルースで、グロスマンのバージョンが私の世代ではよく知られているが、つまりは「ブルース」だ。それを1曲目に持ってきて、25分近くもやるかね? そして、演奏密度がめちゃくちゃ高いのだ。このときのウディ・ショウバンドが、自作曲のえぐいオリジナルをきちんとしたアレンジで演奏しなくても、こんなフツーのブルースをセッションのようにやるだけで、25分持たせることができる凄まじいバンドだった……ということがわかる。いやー、えげつないですわ。シンプルなブルースだけに、ショウもさまざまな解釈というかネタを繰り出しまくっていて、ものすごくためになる(ためになる、という言い方はよろしくないかもしれないが、まさにそんな感じなのだ)。カーター・ジェファーソンのソロもいろいろ自由に試している、というか攻めまくっていてすばらしい。相当荒っぽいフリーキーなブロウも繰り出していて、圧倒的だ。考えてみれば、カーター・ジェファーソンってちょっと地味かもしれないが、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、エルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーン、ウディ・ショウ・クインテット……のレギュラーだったんだからものすごいよなあ。名門ばかり渡り歩いてる感じ。ガムスのピアノソロは、歴代のウディ・ショウ・グループのピアノは全員凄腕であることを証明するすばらしい演奏で、リズム、テクニック、アイデア……と何拍子もそろった最高の演奏。ロニー・マシューズ、ラリー・ウィリス、マルグリュー・ミラー……といった猛者と並ぶ凄まじいソロ。つづくベースソロは、おそらくウディ・ショウ・グループへの長期在籍期間ナンバーワン(たぶん)の安定感ある演奏だが、これだけ長くベースソロをとらせるリーダーのショウもすごいが、それに応えて聞きごたえある、ダレないベースソロを繰り広げるジェームズもすごい。2曲目もドスタンダードで「オール・ザ・シングス・ユー・アー」をゆったりしたテンポで普通に演奏する。この「普通に」というのが怖いのだ。カーター・ジェファーソンはソプラノを吹いている。あいかわらずショウのテーマ終わりのブレイクは変態的で、うっ、となる(それがいいのだ)が、そのあとはひたすら歌いまくる。見事としか言いようがないほれぼれするソロ。そしてジェファーソンのソプラノも、上手いし、かっこいいけど、けっこうくどい感じの(そこがいいのだ)熱量のあるソロですばらしい。バップとかモードとかフリーとか関係なく、その場で感じたことをひたすらひたむきに演奏している感じが感動を呼ぶ。ショウもジェイムズも、長尺のソロのあいだに自分でちゃんとドラマを作っているところがいいですね。そして、一旦ルバートのようになってのピアノソロで、これまでの流れをがらっと変える。かなり長い、自由なソロピアノからリズムセクションが入り、完全に管楽器のことを忘れさせるピアノトリオがはじまる。あー、こういうのがいかにも70年代ジャズ的でかっこいいのだ。ベースソロも、鋭く、かつ、野太い……という理想的なソロ。最後のテーマになってからも盛り上がりまくる。2枚目にいって、ウディ・ショウによるメンバー紹介などがあり、やっとスタンダード以外、というか、オリジナルの「ステッピン・ストーンズ」になる。超アップテンポの演奏で、ショウとジェイムズのチェイス形式での展開。まさしく神がかり的というか壮絶極まりない。ふたりとも全霊を尽くしたブロウをひたすら重ねる。聴いていたひとたちはさぞかし興奮しただろう。このころのウディ・ショウ・バンドはこれが普通だったのだろうから、いやー、えげつないクオリティです。そのあとピアノトリオになるが、これがまた壮絶で、圧倒的な演奏なのである。もう興奮しまくり。ドラムソロになり、スティックでリムを叩いているような演奏からドラム全体を使ったテュッティまで、ピアノとリフを合わしながら、ものすごくドラマチックな流れになる。そしてテーマに雪崩れ込む快感! 2枚目2曲目は、これも「ステッピン・ストーンズ」に入っていた曲で「イン・ア・カプリコニアン・ウェイ」。カーター・ジェファーソン、ウディ・ショウ、アラン・ガムスによる辛口でシリアスなソロが続く。めちゃくちゃかっこいい。よく、70年代のこういう音楽をスピリチュアルジャズとか言うが、スピリチュアルかどうかは知らんけど、ある種の「真面目」な雰囲気は感じる。それを「精神的」と呼ぶかどうかはよくわからん。でも、力強いリズムにあふれているし、「かっこいい」と思う。先鋭的なのにごつごつしたベースソロも聞き惚れる。いや、ほんと。これやろ、ジャズベースは。なお、この曲はウディ・ショウも参加しているブッカー・アーヴィンの「テックス・ブック・テナー」にも収録されている。ラストはオナージェ・アラン・ガムスの曲で「ステッピン・ストーンズ」に入っていた「イット・オール・カムズ・バック・トゥ・ユー」。イントゥーのリズムの軽快な曲で、先発ソロのカーター・ジェファーソンはソプラノ。ちょっとフュージョン的にも聞こえるが、どう聞いても暑苦しいし、生々しい。すばらしいですね、カーター・ジェファーソン。ちょっとアリ・ブラウンやアーネスト・ドーキンスにも通じる暑苦しさ、しつこさがある。ソプラノの高音部なんか、伸びやかなんだけど、どこかスカッとしないんだよね。つまり、私の好みです。続いてはピアノソロで重々しい感じではじまり、そこから四方八方に展開していく。そして、いよいよウディのソロになるが(フリューゲル?)、この見事な歌いまくりはあまりに見事過ぎる。このままコピーして練習すればすばらしい教本になることはまちがいない。終わって、スタッフォード・ジェームズのソロになったとき客からどよめきと拍手が来るが、それも当然だろう。そして、ベースソロも歌心溢れまくりで、しかもチャレンジングである。なるほど、ウディ・ショウ・クインテットは全員同じ方向を向いているのだな。だからこれだけの表現ができるのだ……などということを考えているうちにエンディング。最後はおなじみ「テーマ・フォー・マキシン」のテーマがメンバー紹介とともに短く演奏される。聴きどころ満載の未発表ライヴ。vol.2もちゃんと出してね! 傑作。
「WOODY SHAW LIVE VOLUME ONE」(HIGHNOTE RECORDS HCD7051)
WOODY SHAW
本作は、長年主要作品の再発もなく過小評価な感じになっていて、どういうこっちゃ、おい! と大勢のファンが息巻いていてたなかでようやくその一角をぶち抜いてくれた感のある未発表ライヴシリーズの第一弾であった。今でこそ、出すぎやん! と思うぐらいでうれしい悲鳴とともにガンガン出ているウディ・ショウの未発表ライヴだが、正直、どれもレベルが高すぎてファンとしてはありがたすぎる。しかし、この4枚のライヴは、まさに「珠玉」で、出たときにはハラハラ……と落涙が……というのは言い過ぎだが、かなり喜んだのはまちがいない。それは「めちゃうれしい音源が出た!」というだけでなく、「ウディ・ショウの再評価がはじまった!」という喜びだったような気がする。このシリーズは現在まで(たぶん)4作リリースされていて、そのあとに「ウディ・プレイズ・ウディ」というのが出たので買ったのだが、4作からウディ・ショウのオリジナル曲だけをまとめたオムニバス的なものだったので、ひとにあげてしまった。本作は77年のライヴ、つまり「ラヴ・ダンス」の翌年の演奏である。メンバーはカーター・ジェファーソン、ピアノはラリー・ウィリス、ベースはスタッフォード・ジェイムズ、ドラムはヴィクター・ルイス。ベースはずーっと変わらないのだが、ほかのメンバーは時期とともに変わり、それぞれの味わいというか変化を聴くのが楽しいのだ。1曲目はその「ラヴ・ダンス」で、レコードではルネ・マクリーン、ビリー・ハーパー、スティーヴ・トゥーレという4管アンサンブルだったものがここでは2管で表現される。正直、私にはこのシンプルな2管アンサンブルによる削ぎ落されたカミソリのような演奏の方が好きだ。テンポもやや速く、先発のピアノソロのときのベースとのからみがもうすでに「うえっ」となる(吐いているわけではない)。この凄まじいソロだけで十分このアルバム一枚の値打ちがあったというべきだが、そのあとのウディの空間を自由に飛び交うようなソロは、まさに「こういうアルバムを待っていた」という我々にとっての福音だった。ライヴで経験したウディの壮絶極まりない演奏は、スタジオ録音ではなかなか味わえないものだった。「ステッピン・ストーンズ」はその稀有な例だったが、本作を聴くと、「あーーーーーー、めちゃくちゃかっこええ!」という言葉がただただ漏れてくるだけなのだ。それ以上の言葉は見つけようとしてもなかなか見つからない。そして、カーター・ジェファーソンのテナーソロだが、いつもながら実直で堅実で超上手くて、しかしフリーキーな爆発も辞さないシリアスな演奏だ。アリ・ブラウンやアーネスト・ドウキンスなどのシカゴの硬派テナーにも通じる熱いソロ……かっこええわー。ラストのテーマのあと全員でぐじゃぐじゃになるパートもすげーっ。このアルバム、はじめて聞いたときは1曲目でノックアウトされて、こいつらぎどこまで凄いんや……と思ったが、2曲目もすばらしい。この曲はラリー・ウィリスの曲だが、ウディ・ショウ・グループでのスタジオ録音はないらしい。4ビートのテーマのあと、ウィリスのピアノがひたすら快調に飛ばす。いやー、凄いよね。ウディ・ショウグループのピアノは歴代みんな凄い、というか、凄すぎるのだ。ここでのウィリスのソロもまるでリーダーバンドかというぐらいの凄まじいもの。続くウディのソロは、ひとの曲だから、と言うわけではないのだろうが、ひたすら奔放に吹きまくっていて爽快である。カーター・ジェファーソンのテナーは一聴ぶっきらぼうに聞こえるかもしれないドルフィー的なぎくしゃくした知的なフレーズを力技で上手くまとめ上げていてすばらしい。そのあと全員でビシッ、とテーマに入る当たりもかっこいいです。3曲目は「フォー・シュア」に入っているヴィクター・ルイスの曲。カーター・ジェファーソンのソプラノがエグい。このソプラノソロに、この時代の息吹というか70年代ジャズの熱いマグマが詰まっているような気がする。それはリーダーであるウディをはじめ、メンバー全員が共有していたものなのだと思う。こういう「感じ」は、ビバップやハードバップ、フリージャズなどの空気感同様、ちゃんと現代にも引き継がれているものなのだ。ウディ・ショウグループのピアニストに共通することだが、ピアノソロのパートが、何管かのバンドのなかでピアノソロをちょっと弾く、というものではなく、そのパートはまるでそのピアニストがリーダーであるかのようなピアノトリオのように豊穣な表現をぶちかませるぐらいの好き放題な空間を与えられる。筆舌に尽くしがたい凄まじいピアノソロを経て、ウディのソロになる。ここでのウディは静謐な雰囲気にはじまり、次第にトランペットにおけるあらゆる技術や音楽性を駆使した凄まじい演奏になる。ピアノ、ベース、ドラムが彼をひたすら盛り上げ、複雑かつシンプルな音楽はゴスペルのライヴのような至高の高みに達する。あー、めちゃくちゃかっこいいわ。この1曲だけでもあまりに充実していて、もし生で聴いてたら死んでただろう。そして、ほぼ同じようなクオリティのライヴを聴きに行っていた私……どれだけ運がいいのか! ラストの4曲目は超おなじみ「ステッピン・ストーンズ」。ウディとカーター・ジェファースンのソプラノのざっくりしたバトルがアップテンポのうえで展開される。こういう曲でのバトルは、お互い相手のこととか全体の構成のこととか考えてる余裕がないので、えげつないぐらいに壮絶になる。ここでもバトルというより「殺し合い」みたいな雰囲気で、はらはらする。そして、ピアノトリオのパートに突入するが、これもまたコルトレーンが休んでるときのマッコイ・タイナートリオぐらいすさまじくて、聴いててぼーっとするぐらい凄い。全員の集中力は手術中の外科医ぐらいすごいだろう。そしてヴィクター・ルイスのドラム。あー、すばらしい。こんなに凄いバンドがあったことを後世に伝えるためには、この第一集の発売はかけがえのない歴史的な出来事だったと思う。クオリティの高すぎるライヴ。傑作!
「WOODY SHAW LIVE VOLUME TWO」(HIGHNOTE RECORDS HCD7089)
WOODY SHAW
第一集と同じく77年のライヴで、上記メンバーにスティーヴ・トゥーレが加わって3管になっている。4曲とも「ローズウッド」に入っている曲で、ライヴ版「ローズウッド」といったところか。1曲目は「ラサーンズ・ラン」でテンポの速さもあってえげつない演奏になっている。凄まじい……というのも空虚に聞こえるようなソロの応酬で、ウディ・ショウも凄いが、このテンポで鬼のように吹きまくるトゥーレも凄い。端正な弾き方だがものすごいパッションを感じるウィリスのソロもすごい。最後にはトランペットとトロンボーンのバトルになるが、もう喧嘩みたいにえぐい。これで興奮せずにおられようか、っちゅう感じです。この時代にストレートアヘッドなジャズはここまでイッちゃってたのだ。これだけ凄まじいとこれはもうフリージャズとどこがちがうのか、とか勝手なことを考えたりする。ドラムソロのすさまじさも特筆すべきでド派手。2曲目の「恋とはなんでしょう」も、ブラウン〜ローチの形式を引き継いでいるが「恋? そんなもんどでもいいでしょう!」と怒鳴られるような凄まじい演奏で、スタジオ版よりもいっそうストイックな感じになっている。すべてのソロイストがひたすら熱い。いい感じのランニングベースのソロやドラムソロなども、1曲目よりは「ジャズ」という雰囲気になっている。最後は例によってショウとトゥーレのバトルだが、迫力があるだけでなく歌いまくる見事な演奏が続き、ひたすら聞き惚れる。3曲目はこれぞ70年代ジャズという雰囲気の超かっこいい曲。ヴィクター・ルイスの曲なのだ。ソロはカーター・ジェファーソンが先発で、最初はゆっくりと手探りのようにはじまり、次第にじわじわ盛り上げていき、大ブロウになる。このあたりの真面目さというかジェファーソンの実直さが伝わってきて好き。そして、ウディ・ショウの(たぶん)フリューゲルのソロになるが、ここでは前2曲と違って、非常にファンタスティックというか空間を意識したようなソロを繰り広げる。堂々たる貫禄で、一旦ソロが終わったのかと思わせてから、ラプソディックというのか面白い音列のパートになり、そこからまたぐいぐい盛り上がる。ピアノソロもめちゃすごいが、ここでのドラムのからみやプッシュもすばらしい。エンディングがかなり長く、そこもまた凄いのだから、このひとたちはもー、まったく……。どの曲も一瞬たりとも目を(耳を)離せない。最後の4曲目はウィリスの曲で、この曲もかっこいいんだよねー。最初のピアノトリオのパートが、異常なまでの高揚感のある迫真の演奏で、ウィリスも最初から飛ばすし、ヴィクター・ルイスは自分のソロみたいに激しく叩きまくり、興奮が頂点に達したとき、ふっ……とテーマが現れ、ウディ・ショウのソロになる。これも次第に白熱していくのだが、とにかくヴィクター・ルイスがもうめちゃくちゃなドラミングであおることあおること。これだけ後ろで叩かれたら吹きまくらなしゃあない! そして、ウィリスもセシル・テイラーみたいなバッキングをしはじめるし……ああ、すごいっ。そして、カーター・ジェファーソンのソロは最初オーバートーンからはじまり、途中から激情的なフリーキーなブロウになり、(たぶん)場内総立ち……ということになっているのではと思えるような過激な演奏でめちゃくちゃ凄い。ファラオ・サンダースみたいです。これだけ吹けるひとが(たぶん)生涯一作しかリーダー作を作らなかったのは本当に信じられないことである。でも、考えてみればジェファーソンは、ジャズ・メッセンジャーズ、ウディ・ショウグループ、そしてエルヴィン・ジョーンズ・ジャズ・マシーンと名門ばかりでレギュラーで演奏しているのだからなあ、たいしたひとですね。マラカイ・トンプソンともたくさんレコーディングしているし。未発表ライヴ集という性格上バラードとか入ってないのだがそんなことはどうでもいいぐらいぶっ飛ばしている驚異のライヴ。傑作!
「WOODY SHAW LIVE VOLUME THREE」(HIGHNOTE RECORDS HCD7102)
WOODY SHAW
77年あたりのキーストンコーナーでのライヴ。演奏時間はだいたい1曲が10分から14分で、このクインテットと対峙しようとすると、どの曲に関してもだいたいそれぐらいのがっつりした演奏と向き合うことになる。この「重さ」がなんとも言えない快感なのだ。フロントはショウとトゥーレという金管2本だけ。最初は、この編成に違和感を感じたが(サックスが入ってないので)、来日したときに見て驚愕しまくり、その後はなんの違和感もなくなった。1曲目のアップテンポの曲(「FOR SURE!」に入ってる)の先発ソロからトゥーレはひたすら吹きまくり、信じられないぐらいかっこいい。トロンボーンというのはこんな風に凄まじい暴風のように吹きすさぶ演奏ができるのだ。これを「馬鹿テク」の一言で片づけるのはもったいない。驚異的な音楽性と信じがたいテクニックが一致しているからこそこんな最高のソロができるのだ。そしてウディが軽く入ってくるが、気負っていたトゥーレの灼熱のソロの余韻を鎮めるかのごとく吹き始め、次第に熱量を増していく。天空に突き刺さるような鋭いトランペットの音とフレーズがかっこよすぎる。マルグリュー・ミラーのソロはダイナミックで縦から横からすごい勢いで建物を立てているような立体的な演奏。ドラムとの8バースを経てテーマに。2曲目のスタッフォード・ジェイムズの「テオテワカン」は「FOR SURE!」のコンプリートボックスのみに入っていた曲だが、ライヴではこんな風に普通に演奏されていたことがわかる。ベースのモーダルなパターンで始まる、心湧きたつ演奏。これぞウディ・ショウ、という感じのシリアスで一直線で、しかも一筋縄ではいかないトランペットが我が道を行く。マイルスともハバードともヒノテルとも違うこの感じ……まさにウディ・ショウとしか言いようがない。おんなじフレーズ出まくりやん、というひとも、このソロがライヴ感の横溢する、即興の美にあふれたものであることは認めざるを得ないだろう。そしてラリー・ウィリスの輝かしく端正で、リズム的なツボを押さえまくったソロはめちゃくちゃかっこいいし、それを煽るヴィクター・ルイスのドラムもすばらしい。つづくトゥーレのトロンボーンソロはストレートアヘッドで力強く、説得力に満ちている。目のまえで聞いていたら腰を抜かしたかもしれない。それぐらいテクニック、音楽性、構成力……3拍子そろった演奏である。3曲目は「ウディ・スリー」に入っているウディ・ショウの曲で、スタッフォード・ジェイムズのベースが大々的にフィーチュアされ、ジェイムズもそれに応えてすばらしいソロを披露する。ウディの(たぶん)フリューゲルのソロはリズミカルなのにどこか幻想的だ。ラリー・ウィリスのピアノソロを経てテーマ。4曲目はおなじみの「リトル・レッズ・ファンタジー」。ボサノバ的な軽快なリズムの曲で、メロディーも美しい。しかし、サビがかなりエグい感じなのはさすがにウディの曲である。その対比がめちゃかっこいいのだ。先発ソロはラリー・ウィリスで、鍵盤を優し撫でるような演奏からはじまり、次第にヒートアップしていき、最後はまた美しくやわらかなフレーズに戻る。構成が見事なソロ。そして、ウディのソロはAの部分はダイナミックに、そしてサビに過激さをありったけ突っ込む感じ。めちゃくちゃかっこよくて、これもまた構成力がすばらしい。ラスト5曲目はこれもウディがたびたび演奏しているヴィクター・ルイスの「セヴンス・アヴェニュー」。作曲者によるドラムソロではじまり、テーマ。2管のアンサンブルも、トランペットとトロンボーンという金管2本だとまるで印象が変わりますね。先発はウディで空中を飛んでいくような軽快かつ力強い演奏。これぐらい楽勝だよねー、と言いながら吹いてる感じが伝わってきて、この時期のウディの好調ぶりがよくわかる。トゥーレのソロも力強く豪快で、ツボを押さえた演奏。しかし、つづくマルグリュー・ミラーのピアノソロがあまりに凄くて耳を全部持っていかれる感じである。というわけで、全5曲、聴くとへとへとになるような密度の濃い、しかも、ライヴ特有の荒さのない、生き生きした演奏ばかり。完全に「神がかっていた」としか言いようがないこの時期のウディ・ショウバンドの魅力が詰まったアルバム。マイルスだと、ロストクインテットがどうとか、いろいろ言われるが、ウディ・ショウもこのころの演奏はいつどこでやったものも貴重な内容である。推薦します。傑作。ジャケットの、フリューゲルを抱きしめるように持つウディ・ショウの写真がなんともいえない味わいである。
「WOODY SHAW LIVE VOLUME FOUR」(HIGHNOTE RECORDS HCD7139)
WOODY SHAW
81年のキーストン・コーナーにおけるライヴ。相方はスティーヴ・トゥーレ。リズムセクションはラリー・ウィリス、スタッフォード・ジェイムズ、ヴィクター・ルイスという鉄壁の布陣。1曲目はなんと「フェン・ライツ・アー・ロウ」でおそらくショウがこの曲を取り上げた録音はほかにないと思うが、ミュートをつけてのテーマの歌い上げ方など完璧で、ただただ聞き惚れるのみ。ソロも歌いまくりで、ショウがモーダルで尖ったブロウをするだけのトランぺッターではなく、ハードバップに根差したこういう表現においても最高の実力を持ったミュージシャンである、ということが露骨にあらわれた演奏である。ラリー・ウィリスのソロも大胆な表現と歌心を取り混ぜた相変わらずのめちゃくちゃすばらしいソロで、ベースとの絡みがかっこいい。2曲目は「フォー・シュア」や「ザ・タイム・イズ・ライト」でおなじみの「ザ・タイム・イズ・ライト」だが、これは「フォー・シュア」にボーカルで参加しているJ.シンの曲であり、もともとはボーカル曲であり、ものすごく短い曲だったのを、ここではインストにしてそれぞれたっぷりのソロをフィーチュアしている。めちゃかっこいいモーダルな曲で、こういう曲をやらせるとショウもトゥーレもウィリスもいきいきと輝く。先発のショウのソロは甘さのかけらもないハードボイルドでストイック、しかも余裕があってすばらしい。輝かしい音色と独特のフレージングを完璧にコントロールしており、これぞ70年代ジャズのかっこよさだよなー、と言いつつずぶずぶと深みにはまっていく。つづくトゥーレのソロはショウの鋭さと対比したような温かく太い音色でぶりぶりと吹きまくる。この対比こそ、トランぺットの相方としてはテナーがあたりまえだった時代から、ショウが変革を求めたものではないか。ウィリスのソロも(これもウディ・ショウグループについての私の文章ではありがちな表現だが)、まるで自分のリーダーバンドのような仕切り方で、とにかくその熱さが圧倒的である。ショウがリーダーなのはわかっているが、このパートは俺が俺のやりたいように、最高のものを見せるのだ、というような気持ちが伝わってきて激熱である。2曲目で腹いっぱいになって、ああ、もうこれ以上食えん……という気持ちになっているのに、まだ食えと飯を口に突っ込まれるのが当時のウディ・ショウ・バンドである。しかし、3曲目は「イット・クッド・ハップン・トゥ・ユー」で、ふたたび5人がスタンダードを鮮やか解釈する。この曲はマイルスもやっているいわゆる「歌もの」だが、ウディ・ショウがミュートをつけてこういう曲をやると、本当に上手いのでするするするっ……という感じで演奏が進み、聞き惚れる。「スロー・ボート・トゥ・チャイナ」の引用なども挟みつつ、終始「ええ感じ」である。ソロ終わりで、しみじみとした感じの拍手がくる。トゥーレもミュートを使ってのソロ。ウィリスのソロはまさに独擅場で、俺、ピアノトリオのアルバム聴いてたんだっけ……と思うような、圧倒的なもの。途中で客から掛け声がかかるのもわかるノリノリの演奏。ピアノソロのラストからトランペットのテーマへと引き継ぐときの阿吽の呼吸も最高です。なぜか最後はフェイドアウト。4曲目は激しいドラムソロからはじまる超アップテンポの曲(「フォー・シュア!」に入ってる)。先発のショウも激烈なブロウを延々と展開する。それを煽り立てるリズムセクション(とくにピアノ)もかっこよすぎる。この時期、いや、この瞬間、ウディ・ショウはたしかに世界のトランぺッターの頂点にいた、と思う。だれがこれだけ吹けただろう。そして、それに続くトゥーレのソロもショウに喧嘩を売っているような凄まじいブロウで、この嵐のようなウディのソロのあとには、だれが吹いても聞き劣りするだろうと思えるが、いやー、トゥーレはさすがとしか言いようがない。そして、ウディがもう一度ソロを取り(なんでや?)、ピアノに渡すのだが、ピアノは興奮しきったドラムにマスクされてあんまり聞こえないとはいえ、スピード感のある演奏でかっこいい。バシッとテーマに入ってエンディング。そしてラストの5曲目はおなじみ中のおなじみ「バイ・バイ・ブラックバード」。このアルバムは1、3,5が「どスタンダード」で、2、4がモード曲、というかなり露骨な選曲になっているが、ラストのこの曲も、テーマからして変である。フリージャズのひとがスタンダードを「こんな風に料理してみました」的な感じではなく、吹いているうちにキーを変えてみた……みたいな感じなのだが、かつてはじめてウディのバンドを見たときの1曲目が「ノー・グレーター・ラヴ」で、それがまさにこんな感じだった。演奏は名手たちによる最高のスタンダード……という感じで進む。もしかしたら本作で一番、全員がリラックスした楽しい演奏かもしれない。というわけで、ハイノートのウディ・ショウの未発表ライヴ4作をようやく全部レビューしたが、正直、全部すごいので、というかこれらの音源が残されていてアルバム化されたというのは奇跡なので、みんな聴いてほしい。傑作。
「JERSEY BLUES」(LONE HILL JAZZ LHJ10104)
WOODY SHAW QUINTET FEATURING ART BLAKEY
69年のニュー・ジャージーでのライヴだが、タイトルにある「ジャージー・ブルース」という曲は入っていない。「チュニジアの夜」と「オリジナル・テーマ(ウディ・ショウの曲らしい)」の2曲だけである。一見、ウディ・ショウが在籍していたころのジャズ・メッセンジャーズによる演奏かと思ったが、そうではなく、ウディ・ショウグループにブレーキーが客演したもの……という風に受け取れるタイトルだが(ウディがメッセンジャーズで公式に録音を残すのは73年の「アンセナジン」なので、本作の演奏はそれに先立つものだ。しかし、じつはウディ・ショウの公式ホームページにこのときの録音の全貌がアップされていて、それは「アート・ブレイキー・アンド・ザ・ジャズ・メッセンジャーズ・ウィズ・ウディ・ショウ」名義なので、やはりメッセンジャーズの一員としてのライヴだったようだ。ちなみにそのとき演奏したほかの曲は「ムーントレイン」「ラウンド・ミッドナイト」「モーニン」など)。音はかなりこもりぎみだが、十分鑑賞に耐える。たしかに「フィーチュアリング・アート・ブレイキー」とあるのはまったくそのとおりで、ドラムソロのとき以外もつねにブレイキーの凄まじいドラミングに耳が吸い寄せられる。1曲目のウディ・ショウの鋭いブロウとそれをあおるブレーキーの凄まじいドラムに圧倒される。ブレーキーの凄さを久々に実感した。つづくカルロス・ガーネットもかなり荒っぽい(それが魅力)が、剛腕のブロウを展開して盛り上げる。ブレーキーががんがんあおるのは言うまでもない。ジョージ・ケイブルスの華麗なソロもすばらしいし、このころのブレイキーのドラムはまったく古さを感じさせず、若手たちの演奏に完全に順応しているようだ(ドラムソロになるといつものブレイキーなのだが)。ベースもかなりのロングソロがフィーチュアされ、とにかく全員出し惜しみせずたっぷりやろう、という感じ。そのあと、ブレーキーの例のいつものナイアガラ瀑布になり、ラストはウディ・ショウのすばらしいカデンツァで終演。2曲目はガーネットのあいかわらず豪快で強引で荒っぽいソロではじまるが、このほとんどフリージャズといっていいと思うフリーキーであとさき考えていないような荒々しさは魅力的である。ガーネットががんがんイキ倒したあと、そのままの熱気ではじまるウディ・ショウのソロは輝かしい高音を駆使した自由自在でさながら天空を駆けるかのごときもの(これがまったくおおげさな表現ではないのです)。ブレイキーにあおりまくられ、凄まじいエネルギーをトランペットから放射している。ケイブルスもかなりエグいフレーズを積み重ねているが、それが端正に聴こえるほど、ガーネットとショウが前で暴れたおしたのでした。スコッティ・ホルトのベースソロは全体に攻めた感じで、場面がコロコロ変わっていく自由な演奏だが、途中で「マイ・フェイヴァリット・シングス」の引用があったりして茶目っ気もある。ブレイキーのソロはリラックスした雰囲気のいつものやつ。実際はメッセンジャーズの演奏なのでブレイキーの項に入れるべきかもしれないが、アルバムの名義の表記に従ってウディ・ショウの項に入れておきます。
「BEMSHA SWING」(BLUE NOTE 7243 8 29029 2 8)
WOODY SHAW
このドキュメントのような二枚組をまえにして言葉がない。最高すぎる。本作に参加しているドラムのロイ・ブルックスがプロデュースだというが、その気持ちというか思いはわかる。ウディ・ショウは1989年に地下鉄の事故でなくなったのだが、本作は86年のライヴ。当時、体調がすぐれなかったとも伝えられるショウだが、アルバム上そんな感じが見てとれるかどうか……。ちょうど、ブルーノートのハバードとの2トランペットの作品を吹き込んだ直後、ケニー・ギャレットを擁した「ソリッド」などと同時期のライヴであるが、私の印象としてはこのころのショウはけっこう体調悪しく、あれだけトランペットの権化のように吹きまくっていたひとが……という、いわゆる「晩年」感があるように感じていたのだが、本作を聴くかぎりにおいてはまったくそのような演奏ではなく、ジェリ・アレン、ボブ・ハースト、ロイ・ブルックスという凄腕のリズムセクションとともに、ワンホーン(!)で吹きまくっている。楽器コントロールもすばらしく、若いころのようなずっと延々高音部で……というようなアクロバチックなフレージングこそ影を潜めているが、ひとつひとつのフレーズは「このカルテット唯一の管楽器」としてしっかり機能していると思うし、輝かしいトーンは健在である。1曲目モンクの「ベムシャ・スウィング」で、自己のフレーズをリズムセクションにからみつけるような吹き方のショウはすばらしい。いきなり充実感のあるソロに突入し、トランペットでバンドを自在に引っ張り回す感じは「晩年」感をまったく感じさせない、パワーも手応えもあるもの。結局、ウディ・ショウは最後までウディ・ショウだった、ということだな。このとき29歳(?)だった故ジェリ・アレンも、ハービー・ハンコック、ジョージ・ケイブルス、ロニー・マシューズ、アラン・ガムス、ラリー・ウィリス、マルグリュー・ミラー……といったえげつない歴代のピアニストのなかに入って十分個性を発揮しまくっている。2曲目の「ジンセン・ピープル」は、ウディのオリジナルで何度も録音しているおなじみの曲だが、この張り詰めた空気感を味わえよ! と思う。86年の録音だが、ショウがずっと保っていた70年代ジャズ的なヘヴィさやリズム的な速さがびしびし伝わってくる快演で、最初ジェリ・アレンの斧でぶった切るような重く、かつスピード感のあるソロのあと、ショウのソロは緊張感のあるトーンでうねうねと吹きまくる壮絶な演奏。まさに圧倒的な、ゴリゴリのソロで聴いていると涙が出てくる。ロイ・ブルックスのユーモアを交えたロングソロもいい感じ。そこからテーマへの戻りもスタイリッシュというかすごくかっこいい。3曲目はまたモンクの「ウェル・ユー・ニードント」で、やはりモンクの曲はトランペットのワンホーンに合うなあ……と思うことしきり。いやー、ウディ・ショウのソロはバリバリで、鋭さはまったく失われておらず、歌心もあり、全体の表現力としてほかの追随を許さないような高みにあることがわかり、本当に3年後に亡くなるのか、と思えるようなすばらしいものです。ジェリ・アレンのソロも硬質というのか一瞬も手を休めないというのかテンションの高い、めちゃくちゃかっこいい演奏。ベースソロも重量感があるうえに上手すぎて、しかも個性があり、なんにも言うことありまへん、という感じ。トランペット、ピアノとブルックスとの4バースも最高です。ブルックスのドラムソロからのテーマ。4曲目は「エリック」というジェリ・アレンのオリジナルドルフィーに捧げた曲。ピアノトリオなのでウディは不参加。すばらしい。5曲目ウディ・ショウファンには超おなじみのショーターの「ユナイテッド」をワンホーンで。この3拍子の曲をショウが激熱にブロウする。すばらしい表現力で、いつもの鋭くとがったフレーズを積み重ねていくソロが聴ける。結局、ショウは最後の最後まで演奏的に衰えることはなかったのかもなあと思った(体調による波はあったとしても)。ジェリ・アレンのソロもめちゃくちゃオリジナリティあふれる演奏で、しびれまくる。いやー、かっこいいです。ボブ・ハーストのベースソロのバックで、ショウがちらっとスケールを吹くのだが、それがまたかっこいいのだ。ショウとブルックスの8バースになるが、ここでも張り詰めた高音を中心に凄まじいブロウ。あー、最高ですね。ブルックスのドラムソロを経てテーマ。2枚目に移り、1曲目はまたまたモンクの曲で、ショウのトランペットがおおらかに歌い上げる感じの演奏。ジェリ・アレンのパーカッシヴなピアノもモンクを連想させる。2曲目はウディ・ショウの「イン・ア・カプリコーニアン・ウェイ」で、このいかにもウディ・ショウ! という感じの曲は「ステッピン・ストーンズ」はじめ、いろいろなアルバムで取り上げられている(ブッカー・アーヴィンのリーダー作にも収録)。テーマのあとのジェリ・アレンの「噛みつく」ような気迫のあふれる新感覚のソロもめっちゃいい。そのあとにウディ・ショウが登場する瞬間の、歌舞伎の見得的というかなんというか、聴いていて「おおーっ、出たーっ!」となる感じは筆舌に尽くしがたい。3曲目はスタンダードで「スター・アイズ」。スタンダードになると打って変わって柔らかなテーマの吹き方になるが、ワンホーンだとそのあたりがよくわかる。ソロもビバップ的であり、そこから微妙に外していくこの絶妙の歌心はさすがとしか言いようがない。16分になるあたりもリズム的なヨレもなく、安定した吹き方で圧倒される。ほんまに1986年の録音なのか、と思うほど。それを受けてのアレンのピアノソロはモンク的なものを感じる、というか、ピアノはリズム楽器だなあ、と思わせるような演奏。そのあとボブ・ハーストのベースソロががっつりフィーチュアされるが、それに続くブルックスのブラッシュソロの歌いまくりな感じはすばらしい。最後のテーマもちょっとうるうるするようなすばらしさ。(たぶん)ショウがアナウンスで、ブルックスのブラッシュワークのよさをアピールする。ラストの4曲目はロイ・ブルックス作曲の「セロニアスリイ・スピーキング」という曲だが、いかにもモンク的な曲調。ピアノトリオで、ウディ・ショウは参加していない。ジェリ・アレンのソロはかなり露骨にモンクっぽいが、真似という感じではなく、現代ジャズのひとつの表現という感じ。ベースソロも「ごっつい」。というわけで、ウディ・ショウが不参加なトリオによる演奏じで締めくくられるアルバムなのだが、英文ライナーによると、「セロニアス・モンクをかなり強調したプログラムになっている」とあるが、べつにそういう趣旨のコンサートではなかったようで、おそらくモンク好きのメンバーがたまたま集まったのか、今日はモンクでいこうぜ、となったのか、そんな感じではないかと推察します。いや、もう傑作でしょう。