tsuyoshi shibuya

「帰る方法3」(CARCO 0009)
渋谷毅 松本治

ピアノとトロンボーンのデュオで、タイトルだけ聞くと、かなりオルタネイティヴなとんがった作品のように思うかもしれないが、実際はとてもわかりやすく、バッピッシュな作品である。8曲中、マイルスの「バップリシティ」、エリントンの「カム・サンディ」、タッド・ダメロンの「ソウルトレーン」、パーカーの「ブルース・フォー・アリス」などジャズマンのオリジナルが半分を占め、残りの4曲は松本治の作品だが、どれも難解さとはほど遠い、耳に残る馴染みやすい曲ばかりである。そして、演奏自体も、熟練のピアノをバックに松本治がときに朗々と、ときにビバップ的に、ときにモーダルに歌いまくる。もう少しアヴァンギャルドなところがあったほうが私の好みではあり、明朗快活、非常に明るい点も好みがわかれるところだと思うが、この音楽を「嫌いだ」というひとはいないはず。レベルの高い、すばらしい内容であり、とくにアマチュアのトロンボーン奏者にはお手本のようなアルバムではないか。秋の夜長に酔っぱらいながら聴くのもよいかもしれない。

「OLD FOLKS」(AKETA’S DISK MHACD−2313)
SHIBUYA TAKESHI TAKEDA KAZUNORI QUARTET

 今のところ(というのは今後、発掘盤がいろいろ出るかもしれないから)、武田和命の最高傑作だとおもうのだが、世評はどうなのかな。よく知らん。しかしとにかく私は「よくぞ録音しておいてくれました」「よくぞCDとして出してくださいました」とアケタズディスクに最敬礼したい。まあ、聴いてみてほしい。武田和命というテナーは、平岡正明のエッセイにおいて伝説的に語られているわけだが、伝説が一人歩きしてしまって、山下トリオへの参加という形でジャズシーンにカムバックしたとき、一般的な評価はけっして高くなかったと思う。それは、平岡エッセイでの伝説的な描写とのギャップがそうさせたのだと思うが、「めちゃめちゃすごいテナーだときいてたけど、なーんだ、たいしたことないじゃん」とか、はなはだしきは「すごく下手じゃん」とかいった感想をもったひとは少なくなかっただろう。たしかに「暖流」や「ゴールデン・ライヴ・ステージ」における武田の演奏は、味わいはあるものの、「すげーっ」「かっこいーっ」「さすが伝説のテナー」という印象ではなく、逆にもっちゃりした、フレーズがなかなか出てこない、指もまわらないような、いまひとつなテナーマンという感じに聞こえたとおもう。私も、じつはそう思った。カムバックとほぼ同時に出たリーダー作「ジェントル・ノヴェンバー」が、平岡エッセイから受けるような、エルヴィンとタメをはるぐらいハードにブロウするテナー、という雰囲気とは真逆の、バラードオンリーの演奏だったことも、(たしかにあれは超名盤だとは思うが)なんとなく肩すかしを食ったような気になった。山下トリオでの演奏も、前任者坂田明が吹きはじめからいきなりクライマックスに達するようなえげつないブロウを得意とするタイプだったこともあって、武田の最初はしばらく考えているようなスロースターターぶり(結局最後まで考えてるような場合もある)に、それまでの山下トリオファンはとまどったことだろう。えーと、私もそうだったのである。しかし、その後、山下トリオはじめ数々の武田さんの生演奏に接し、いやー、これはたしかにすごいテナーだなあ、と考えを改めた。というか、今時にはほとんどいないような、前世紀の怪物だ、と思った。あるとき、坂田明、井上淑彦、そして武田和命という3サックスのバトル(?)を聴いたことがあるが、いちばん音数が少ないのにいちばん存在感があったのは武田さんだった。そのときの武田さんはノリノリで、異常なまでに説得力のある演奏であった。そんなこんなで、武田さん没後、武田さんの真髄をとらえたような演奏が世に出ていないことを憂えていたのだが、こうして決定版的な演奏がCDになったことはマジで喜ばしい。まず、選曲がいい。一曲目、いきなりジャムセッション的な選曲である「ナウズ・ザ・タイム」ではじまるのも意表をつく。こういう曲は、「曲を聴かせる」という気持ちはほとんどないわけで、要するにブルースをやりましょう、そこで私のすべてを出しましょう、というセッティングだ。武田のテナーはまさしくノリにのっていて、ものすごく調子がよく、フレーズがとめどなく出てくる感じだ。これこれ、これですよ。調子のいいときの武田のテナーは、こういう具合に、どんどんフレーズがつながっていき、魔法のようになる。バップでもモードでもない。武田フレーズとしかいいようがない、オリジナリティあふれるフレーズをくめどもつきぬ風につむいでいく。見事であります。二曲目はおなじみの「オールド・フォークス」で、タイトルチューンでもあるが、武田は「ジェントル・ノヴァンバー」的な、つまりコルトレーンの「バラード」的なバラードだけでなく、こうしたマイナーのバラードも得意だった。「アローン・トゥギャザー」とかね。ここで「至芸」というべき武田のテナーが延々と披露される。三曲目は、モンクの「レッツ・クール・ワン」で、渋谷さん〜武田さんという組み合わせでモンクのこの曲、というのはいかにもそれらしい選曲だ。単にコード進行を借りたというより、ふたりともモンクの世界をそれぞれに表現している点もすごいと思う。そしてラストの「ラウンド・ミドナイト」……これはほんとうに凄いです。最初、渋谷さんのピアノではじまり、ああ、このままピアノソロでもいいなあ、と思っているところへ武田テナーが入ってきて、より豊饒にモンクの世界、闇の世界が表現される。もう間然とするところがない、非の打ち所のない名演だとおもう。こんな演奏が東京の夜の巷では、正直、録音もされぬまま垂れ流し(といっては失礼だが)的に少ない聴衆によって消費されていっているのだろうなあ。うらやましいやら腹たつやら。とにかくこのアルバムは一回聴けばよいというものではなく、何度も何度も繰り返し聴くべき演奏である。アケタズディスク、最高! もっともっと武田さんがらみの音源を発掘してほしい。渋谷さんがリーダーのセッションだと思われるのでいちおう渋谷さんの項に入れたが、本作の価値の多くは武田和命の参加にあると思われる。名盤。

「LIVE1989」(CARCO RECORDS CARCO0001)
SHIBUYA TAKESHI ORCHESTRA

 ビッグバンドをやっていたころはほんとに良く聴いたアルバム。今回、めちゃめちゃ久しぶりに聴いた。録音はそれほどオンマイクで録られていないせいか、ソロがちょっと引っ込んだ感じではあるが、逆にリズムセクションはすごく迫力ある音でとられていて、1曲目冒頭、川端民生のベースが低く唸る部分ですでにじーんと来る。激しい曲も、そうでない曲も、フリーっぽい曲も、どの曲も全体に優しい感じがする。これはリズムセクションの人選のせいかもしれない。優しい、というのが適切でないなら、柔らかな感じ、と言ってもいい。1曲目はゆったりしたグルーヴの、すかすかな曲。松本治の豪快なトロンボーンソロ、吉田哲治のトランペットソロのバックで蠢く、ドラム、ベース、ギター2本によるインタープレイを聴いているだけで興奮する。すばらしいリズムセクションだ。このバンドは「オーケストラ」なのだが、おもしろさのかなりの部分がこの最高のリズムセクションにあると思う。もちろん管楽器のソロイストはいずれも個性爆発の曲者ぞろいなのだが……あ、それが、このバンドの管楽器奏者が、「オーケストラ」を名乗っているのに少ない理由かもしれない。2曲目は美しいバラードで(おそらく)石渡明廣のギターをフィーチュアしているが、このギターがものすごくいいんです。絶妙の間、音色、フレーズ……ああ、かっこええ。つづくトロンボーンソロも「祈り」のような感じですばらしいが、そのバックのギターのバッキング(廣木光一?)もかっこいい。3曲目はスタンダードで「チェロキー」。テーマを吹くのは武田和命。これもまたじーんと来る。ノイジーなギターソロは石渡さん。かっこええわー。途中で入るシンプルなリフによって、さらに爆発する。そのあと、武田さんのテナーソロ。これも、迫力に満ちたど根性なブロウで、リーダー作における演奏よりもハツラツとしている気がする。こういう武田さんのプレイをもっと発掘してほしい。私が生で何度も観たときの武田さんに一番近い演奏だと思う(山下トリオを入れると十回以上観たはず。だから、ものすごく親近感があるテナープレイヤーなのです)。4曲目は、スローテンポの不気味なブルースではじまり、そこからピアノの無伴奏ソロになって、速い三拍子のマイナーブルースになる。めちゃめちゃええ曲。ソロは松風鉱一のアルトで、これもすばらしい(もうちょっと大きな音で録れていたらなあ……)。松本治のおおらかなトロンボーンソロも、(なぜか)エリントンを連想させる雰囲気でいい感じ。吉田哲治のトランペットは鋭い。そこからピアノソロになるのだが、そのあたりのリズムセクション全体のサウンドがなんともいえない。5曲目はまたスタンダードで「スウィート・レイン」。(たぶん)廣木光一のギターとピアノをフィーチュアしたテーマ部分のアレンジが良すぎる。ソロもギター。味わい深い。そのあと松風アルト。コードと知的に戯れているようなソロ。六曲目は「ストレート・ノー・チェイサー」。先発ソロは松風アルト。おなじみの個性的なフレージングに引きつけられる。つづく松本トロンボーンソロ、それと渋谷オルガンのバッキングはめちゃめちゃかっこいい。トランペットソロは正統派バップ。ギターソロもすばらしい。ドラムソロも見事のひとこと。ドラムに、武田テナーがなぜかからんできて、デュオになる。このあたりも興奮! あー、この曲ええわー。7曲目は、前曲につづいてモンクの曲で「ラウンド・ミッドナイト」。武田さんのテナーが深い音でテーマを吹きはじめ、それにアンサンブルがかぶっていくあたりの絶妙のアレンジ具合。テナーソロがテーマとつかずはなれずに吹きあげていくその無骨かつ流麗な演奏は、あ、また涙が……という感じの、もう、ハンカチがたくさんいるアルバムなのです。ラストの曲(石渡さんの作曲だが、この曲だけドラムが石渡さんらしい。なんでや?)は、ドラムの16ビートのイントロからはじまり、ブラスロックっぽい曲だなあと思っていると、サビは4ビートになって、民謡みたいになる。変な曲! トロンボーンの重量級のブロウ。ここでも、リズムセクションがおいしいバッキングを繰り広げていて、片方の耳はずっとそちらに向けていなくてはならない。松風アルトソロは音が遠くて残念なほどにいいソロをしている。オルガンの過激なソロと、からみつくようなエレベのグルーヴ。その間も右チャンで暴れるギター。ああ、ため息。ほんとにええアルバムだ。傑作。

「LIVE ’91」(CARCO RECORDS CARCO0002)
SHIBUYA TAKESHI ORCHESTRA

 前作から2年後の、同じくピットインのライヴで、メンバーは何人か入れ替わっているが、味わいは変わらない(トランペットがいないことがサウンド的には大きな変化といえるかも)。1曲目(前作の1曲目と同じ曲なのだが、まるで違う曲のように聞こえる)のソロイストは(たぶん)臼庭潤の性急なテナーで、音もいいし、ものすごくスタイリッシュでかっこいい(でも、峰厚介かもしれません。私の耳はアホなので)フルートソロは松風鉱一。音の跳躍と、なにものにも縛られていない自由さが、やはりドルフィーを連想させるすばらしいソロ。フルートとトロンボーンの掛け合いのようになって、トロンボーンソロに移行。このあたりの好き放題感も渋谷オーケストラならでは。ドラムとトロンボーン、ギターのフリーフォームなトリオのようになり、異常な盛り上がりになる。そこからピアノの無伴奏ソロになるのだが、これがめちゃかっこよくて、そこにリズムが入ってくるあたりの良さは筆舌に尽くしがたい。そして、なぜかファンキーなブルース(第二テーマ?)になる。オルガンソロやらなにやらで、もう、ものすごい情報量。最後にやっとテーマに戻る。1曲目からこれだもんなあ。2曲目は、ピアノソロからはじまるバラードで、松風鉱一のアルトをフィーチュアしている(と思う。それとも林栄一さんでしょうか? 自信なくなってきた)。このソロはあまりに見事なのでほとんど呆然として聴いていたら、つづく松本治のトロンボーンソロもすばらしくて、うるうるする。そして、ギターソロも心にぐさぐさくるし、ピアノソロも美しすぎる。ラストのベースソロが、これまた渋いのです。五人ともなんとクオリティの高いソロだろう。ほとんど、オーケストレーションの部分がないが、これもまたオーケストラなのである。3曲目は、カーラ・ブレイの曲で、胸を締めつけられるようなもの悲しいピアノソロからはじまる。フルートとギターが切々とテーマを奏でる。すばらしいアレンジをバックに石渡明廣が弾きまくる。そして、松本治の技術と芸術が融合した凄まじい自己表現。渋谷さんのピアノの無伴奏ソロになり、テーマ。あー、かっこよすぎる。と、ここまでの3曲はどれも長尺で12分半から18分半ほどの曲ばかりだが、このあと3曲はそれに比べるとけっこう短め。4曲目は、ビリー・ストレイホーンの「チェルシー・ブリッジ」。ピアノとフルートがメロディを語っているかと思っていたら、バックの吹き伸ばしのハーモニーのほうがメロディになっていたり、とよく聴くとものすごく巧妙なオーケストレーション。すばらしいです。テナーソロは(たぶん)峰厚介。ちがってたらすまん。聴いているだけで幸せになってくる、見事すぎるアレンジの一曲。5曲目は集団即興ではじまり、ぐちゃぐちゃな管楽器のインプロヴィゼイションが16ビートに乗って集約されていき、一部はリフの繰り返しのバッキングになり、残りはテーマとなる。石渡さんのギターが炸裂し、ふたたびテーマリフが入ったあとは、林栄一のぶち切れるような圧倒的迫力のアルトソロになる。ひたすらブロウする熱血なソロは、聴いていて胸が熱くなる。このソロ聴いて、コーフンしないひとはいないと思う。6曲目は、カーラ・ブレイとスティーヴ・スワロウのデュオが取り上げたトラディショナルナンバーを、さらに渋谷さんがアレンジしたという曲。これももの悲しい雰囲気の曲で、ピアノソロからバリサクの利いたアンサンブル+ギターソロになったあたりでしみじみするが、そこからゴスペル的な明るさのある展開になる。ソロはテナーだが、臼庭さんではないかと思うけど自信はない。つづくギターソロは、またまた心に染みる。アルバート・キングみたいに泣かせてくれます。最後の曲は、「オンド」というタイトルどおり、和風のリズムパターンのドラムソロからはじまる、えーらいやっちゃえーらいやっちゃよいよいよい……的な陽気な曲。みんな踊り出したくなるようなリズムが素敵であります。松風さんの豪放なバリサクソロが最初。つづくテナーソロは峰厚介じゃないかと思うけど、もしかしたらちがいますか? とにかく死ぬほどカッケー。そして、林栄一のアルトソロ。これも血管ぶち切れるようなファイアのあるソロ。ドラムとのデュオになって、吹いて吹いて吹きまくる。すごすぎる。そしてギターソロ。これも、ど派手なソロで聴衆の度肝を抜く。テーマになってもギターが弾き続けて、これにて演奏終了。このバンドは傑出したソロイストのすばらしいソロが連続して聴ける、うれしーっ……というようなタイプのバンドではない。ひとりひとりのソロに、ほかのメンバー(とくにリズムセクション)がからみ、盛り上げ、刺激し、ときにはすかしたり、引っ張ったり、殴ったり、喧嘩したりしながら創り上げていく、本当にフリーで、すごいバンドだと思う。いやー、なんちゅう傑作でありましょうか。

「TAMASA」(CARCO0005)
SHIBUYA TAKESHI ORCHESTRA

 渋谷毅オーケストラのアルバムが何枚あるのかは知らないが、うちにあるやつは5枚で、このアルバムは3枚目に当たる。メンバーは5年前の「ライヴ’91」とはテナーの臼庭潤がアルトの津上研太に変わっただけでほぼ同じである。しかも、1曲目は「ライヴ1989」「ライヴ’91」と同じ曲である。そういう趣向なのかな。もちろん、受ける印象はまるでちがっていて、より生々しく、躍動感もある演奏になっていてすごい。このテーマにもなじんできて、このドルフィーチックというかいかにも中央線ジャズ的なメロディがまるでスタンダードナンバーのように耳慣れていることに気づく。フルートソロは松風さん。続くソプラノは津上研太さんのはず。そして豪放な松本トロンボーンソロを経て、循環呼吸によるアルトソロはもちろん林栄一。このあたりが一番フリーな感じになる。そのあとフリーフォームのままオルガンなどが暴れる場面からドラムが残り、インテンポになって、ファンキーなリフが入り、石渡さんギターが大暴れして、またオルガンソロ。このオルガンはドリルのように地に潜り込もうというようなソロ(わかりにくい?)。そして、リフが出て、ぐちゃぐちゃっとなって終わり……かと思ったらそのあと続くフリーなパートのあとに、再びテーマに戻って、今度こそ本当に終わり。ソロイストの顔見せ的演奏だが、すごく楽しい。2曲目は松風鉱一の曲で、自分のリーダー作「アース・マザー」でも演奏していた「ドント・ウォリー・アバウト・テナー・サックス」。幻想的なバラードで、最初のアルトは、松風さん本人かと思ったけど、津上研太さんかなあ……。ソラシソラファレフレーズ出まくり。そのあとに出てくるフルート(なんともいえぬ幽玄なソロ)は松風さんだろうから、やはり先発ソロは津上さんなのか? ピアノソロのあと、テーマアンサンブル。三曲目は林栄一作のブルース。テーマでリードをとっている硬質なアルトは本人だと思う。そのままソロに雪崩れ込む。これはもう、まさしく林栄一としかいえない個性全開の林ブシであって、リズムセクションの良さもあって、盛り上がりまくります。そのあと、津上さんのソプラノソロ。つぎのテナーは峰厚介なのか。こんな荒い(けどかっこいい)ソロをするとは。ドラムソロを経てテーマ。4曲目は古澤良治郎作のその名も「フルサワ」という曲。ソプラノがリードをとる、いかにも古澤さんらしいモーダルな曲。フルートソロが先発で、和風ともいえる幽玄なフレーズを重ねていく。つぎは津上さんのソプラノソロで、我々にとっても耳馴染みのあるフレーズも含め、なんというか、人なつっこいフレージングがとてもいい。ラストテーマを聴くと、すでに耳に馴染んでいるせいか、ああ、ええ曲やなあとしみじみ思う。5曲目は、アップテンポのピアノのベースライン(?)に乗って展開する軽快な石渡明廣作のブルース。いわゆるトレインピースというやつで、ブギウギ的なテイストもあり、機関車がレールのうえをひた走る姿が浮かぶ。ソプラノソロが先発で、このソロはかっこいいねー! ギターソロに続いての、ど迫力のオルガンソロの怒濤のコードワークも、爆走する汽車が見えるようだ。めちゃめちゃええ曲やん! 6曲目も石渡さんの曲で、最初、ギターを中心にした激しいインプロヴィゼイションが展開し(この部分、めちゃかっこええ)、そのなかからピアノをノイズのようにゴンゴンと叩くリフ(?)にのってかっこいいテーマが展開。そのあと林栄一のぶち切れたようなアルトソロが炸裂して、バックもほぼフリーな状態に。つぎは、ドラムとのフリーフォームのデュオのような形で、(たぶん)峰厚介のテナー。ここも聴き所。だんだんほかのメンバーも入ってきて、ぐちゃぐちゃになったあと、テーマ。最後の曲は、また石渡さんの曲で、その名も「バラード」。これがまたええ曲である。7曲中、石渡さんの曲が4曲もあるから、今回は石渡作品集というところでしょうか。たいへん楽しめました。

「SEE−SAW」(TOKUMA JAPAN COMMUNICATIONS TKCB−72228)
SHIBUYA TAKESHI+MORIYAMA TAKEO

 このアルバムはたしか以前、堀晃さんが日記になにか書いていたなあと思って検索してみて、ああ、そうだったと思い出した。スウィングジャーナルの本作の評で三澤隆宏というひとが書いた文章が「ミス・マッチだ」というネガティヴな評価だったのを受けて、堀さんがある掲示板に、その批評の批評を書き込んだところ、それが「誹謗・中傷にあたり」「暴力的な表現がある」と三澤氏に連絡した人物がいて、当の三澤氏から掲示板の管理人に直接電話がかかってきた。堀さんは当該発言を削除した……という事件(?)だ。そういうゴタゴタとは別に、本作での渋谷さんはあくまで優しく、楽しく、メランコリックな陰影を醸し出す。モンク的だったり、フリー的であったり、ガンガンスウィングしたり、コンポーザー・アレンジャーとしての側面があったり、こどものためのすばらしい曲を提供したり……とさまざまな顔がある渋谷さんだが、こういった歌心あふれる、物憂げで、哀しくも美しく、そして楽しいプレイをする顔もたしかにある。ファンなら何度もソロピアノで目撃しているはずだ。渋谷さんのそういう側面に、森山威男という稀代のドラマーを組ませてみたらどうなるか……というのが、本作の肝だろう。ほとんどがスタンダードという選曲で、しかも、原曲を換骨奪胎して斬新なアレンジによって生まれ変わらせる、というようなことはここでは行われていない。あくまで、原曲のイメージを大切にした、素直な演奏が多い。そういうときにドラマーはどうするのか。そっと寄り添うようにリズムをつけるのか。でも、それでは「デュオ」の意味が(あまり)ない。というわけで、ここでの森山さんは、「ベースのように」ドラムを叩いている。ベースといっても4ビートでランニングをするベースではなく、スコット・ラファロやエディ・ゴメスのような、からみつき、自己主張するベースだ。ドラムにそんなことができるのか、と思うかもしれないが、ここでの森山さんは、ビートやおかずで自分を出すというより、ベーシストのような刺激や反応を、ピアノに対して試みているように聞こえる。つまり、ドラマーがよくやる、空間を埋め尽くすような煽りやプッシュではなく、さりとて控え目にリズムを送る役目だけでもなく、ピアノと一対一になって、さまざまなリズムを繰り出して、ときにはそれがピアノの陰影を刺激し、その影をさらにくっきりとさせたり、ときにはピアノとまるでちがうリズムパターンで演奏の深みを出したりしている。その自在さは、まるでビル・エヴァンスとスコット・ラファロの絡みのようである。なかにはたとえば「ハッシャバイ」のように、からみではなく、スウィングしまくるブラッシュワークでピアノを盛り立てる、正攻法の演奏もあって、それもすばらしい。こういうデュオがCDとして残されているというのは、渋谷さんのファンにとっても森山さんのファンにとっても「得」なのではないかと思う。なかには、渋谷さんの安定に対して森山さんがいろいろ小技をしかけて、それが邪魔に聞こえるというひともいるかもしれない(三澤というひとが、アリと猪木の異種格闘技戦にたとえたのは、そういう聴き方なのかもしれない。ま、わかりませんが)が、何度も聴き直すと、このデュオが本当にうまくかみあって、溶けあっているのがわかる。このアルバムは、すごくいいですよ。

「酔った猫が低い塀を高い塀と間違えて歩いているの図」(CLOCKWISE CARCO 003)
SHIBUYA TAKESHI ORCHESTRA

 渋オケのアルバムは全部すばらしいが、本作はなかでもとびっきりの内容である。タイトルがヘンテコだが、これも渋オケならば奇をてらった感じはなく、ふさわしく思えるから不思議だ。スタジオ録音だが、そんなことを感じさせないぐらいライヴ感のある演奏ばかりだ。臼庭潤も板谷博も川端民生も古澤良治郎も健在である。1曲目はファンキーなリズムのうえでギターとオルガンが醸し出す雰囲気最高の曲で、バリトンのバンプのうえで管楽器群がオーケストラというよりホーンセクションとして活躍する。石渡明廣の曲だが、タイトルになっているめちゃくちゃ長い名前も本人がつけたのだろうか。ギターソロのあとリズムが8ビートになり、第2テーマのようなものが現れ、ブルースになる。臼庭潤のソプラノがすばらしいソロを繰り広げ、渋谷毅のオルガンが攻撃的なソロをする。そのあと曲というよりリズムを全員で吹いているようなテュッティのパートが続き、ドラムソロからまたオルガンが最初のテーマを呼び起こすリズムを弾きはじめて元に戻る。かっこいい! 2曲目はカーラ・ブレイのバラードで、めちゃくちゃ美しい。ピアノのイントロからしてもう泣ける。そのあとテーマがはじまるが、それをバックにして林栄一がリードミスのような音で吹きまくる。ギターソロも泣かせる泣かせる。石渡さん最高。ピアノソロも透明感と泣き節が合体したようなすばらしいもの。そしてテナー(峰厚介?)によるテーマを崩したような形でのソロになるが、この部分も超かっこいい。楽器コントロールが完璧で、何度聴いてもほれぼれする。ずっとテーマのメロディを感じさせながら少しずつ形を変えていくような感じで、そのまま終演。エンディングもばっちり決まり、ひーっ、かっこよすぎる。2曲目にしてハイライトが来てしまったなあと思っていたら、そんなことはなかった。3曲目はオルガンが図太く鳴り響くシャッフルブルースで石渡さんの曲。リフをバックにしたブルージーなギターソロのあと、朗々と轟く松本治の正攻法のソロ、そして、いかにもバリトンらしい低音の松風鉱一のソロ、ほぼフリークトーンのみによる林栄一の爆発的なソロなどがリレーされ、テーマが現れたあと、ふたたび林栄一がめちゃくちゃ吹きまくって、ぶつんと終了。すごい。四曲目はギターのイントロのあと、オルガンが同じリフをしつこく繰り返すなかでゆったりしたテーマが登場する。シンプルだがすごくいい曲。古澤さんの曲だそうだが、なるほど納得。松風鉱一のフルートも峰厚介のテナーも、ほんといいソロをするよなあ。しかも、アンサンブルワークも完璧で、ソロになると自己表現に徹する。つまりは渋谷さんの人選の妙がこのオケをこれほどのものにしているのだ……とあたりまえのことをしみじみ思ってしまった。最後は、グワーッと盛り上がり、しみじみと終わっていく。五曲目はまた石渡さんの曲で、一瞬、メモリーズ・オブ・ユーかなにかはじまるのかと思ったぐらいのムーディーなバラード。テーマを吹くソプラノは林さんだそうだ。途中のビッグトーンのトロンボーンは板谷博さん。ソプラノソロも素敵にリリカルで、三曲目のピーピーいわせまくっていたひとと同一人物とは思えない。そのあとに出てくるテナーも感涙の演奏でたぶん峰厚介。ピアノソロのあとアンサンブルになりふたたびソプラノによるテーマ。愛おしげにメロディを吹く。六曲目はデキシーの「ジャズ・ミー・ブルース」をかなりそのままで。先発ソロは松本治のトロンボーンでこれがまあニューオリンズだよねっというソロなのにつづくアルト(林)はフリークトーンでギャーギャーいわす。ソプラノは臼庭潤で、これも上手いよなー。峰厚介のテナー、松風鉱一のバリトン、いずれも曲調にぴったりの快演。つづくピアノソロも弾みまくる楽しい演奏。ドラムソロもいかにもデキシーっぽく、そのままテーマに雪崩れ込む。疑似トラッドかもしれないが、ここまでやればおそれいりましたと言うしかない。ラストはまたカーラ・ブレイのバラード。松本治のトロンボーンが最初はしめやかにテーマを奏でているが、しだいに朗々とどでかい音で圧倒的な吹奏になる。そのあと峰厚介の、コレはマジですばらしい最高のソロで、いやー、ほんますごいアルバムであります。傑作!

「カーラ・ブレイが好き」OWL WING RECORD OWL−039)
渋谷毅

 カーラ・ブレイの音楽は、学生時代にめちゃくちゃ流行った。「LIVE!」というアルバムが話題になり、それまでフリージャズとか聴いたことのないようなジャズファンにもアピールした。とくにトロンボーンのゲイリー・バレンテのゴスペル的に大音量で朗々と吹くトロンボーンがウケたのだと思う。大勢の先輩たちが真似(?)をしていて、私が所属していたバンドでもそういう曲を演奏したりしたが、このひとの曲のなかにはたくさんの要素が詰め込まこれていて、ポピュラーミュージック、ゴスペル、フリージャズなどなどをはじめ、さまざまな音楽のエッセンスが感じられる。そんなことはアレンジャーならあたりまえかもしれないが、ブレイの場合は自分を形作っているそれらの音楽を冷徹に見定め、自分の音楽の素材として組み合わせ、カーラ・ブレイの世界観を作り出している。しかし、このアルバムで渋谷毅はカーラ・ブレイのアレンジではなくコンポジションに目を止め、ソロピアノによってそれを表現している。こうしてアレンジというか共演者たちの音を消してみると、カーラ・ブレイの音楽は非常にシンプルであり、強固で、魅力的であることがわかる。
 1曲目「ロウンズ」は「セクステット」に入ってる有名な曲。ええ曲や。2曲目「アイダ・ルピーノ」は「ディナー・ミュージック」に入ってる曲。3曲目「シング・ミー・ソフトリー・オブ・ザ・ブルース」も「ディナー・ミュージック」に入ってる有名曲。4曲目は「トリオズ」(スティーヴ・スワローとアンディ・シェパードとの共演盤)に入ってる曲。5曲目「リトル・アビ」はなぜか菊地雅章の曲(「タンデム」でも演ってない)。なぜこの曲がここに入ってるか、ということについての私の意見は長くなるので省略。ほかの曲に比べて、なんというか辛口でシビアな曲調のように思える。ある意味、本作でいちばん気に入っている演奏だったりします。6曲目「スーン・アイ・ウィル・ビー・ダン・ウィズ・ザ・トラブルス・オブ・ディス・ワールド」はスティーブ・スワローとの「デュエット」に入ってる曲。7曲目はゴスペル的な曲で、めちゃくちゃ流行ったような気がする(なにしろ私も演奏したことがあるぐらい)。でも、渋谷さんの手にかかると、宗教的なものがそぎ落とされて、淡々とした美しいメロディだけが残るような演奏になり、思わずため息が出る。最後の「通り過ぎた時間」は渋谷さんのオリジナル。これまでのカーラ・ブレイ作品(と菊地雅章作品)の最後にこれが来ても、まったくなんの違和感もない。それにしてもこんな露骨なタイトルのアルバムある? というような作品。傑作。

「ESSENTIAL ELLINGTON」(VIDEOARTS MUSIC VAGM−1004)
TAKESHI SHIBUYA

 渋谷毅というひとは不思議なミュージシャンで、生で観るとなんとなく腑に落ちる感じなのだが、こうしてCDやレコードできちんと聴くと、フリージャズの人ではまったくないのに、なぜかそういう人脈のひとたちにも敬愛され、共演を望まれている。渋オケとかもギル・エヴァンス・オーケストラやカーラ・ブレイのバンドなどと同じように、このひとの音楽を表すための表現手段なのだと思うが、それがじつに素直に、というか、自然にジャズの美味しいところを我々に伝えてくれる装置になっている。こんなにストレートアヘッドなジャズピアニストなのに、フリージャズやインプロヴィゼイションのひとたちから慕われているというのはすごいことだし、一方ではボーカリストたちも渋谷さんとの共演を望むのである。それはおそらく渋谷さんの音楽が「自由」であるからだと思う。本当に、フリーだのなんだのと声高に言わなくても、ここにある音楽は自由なのだ。本作はタイトルどおり、(渋オケでもそうだが)エリントン(とストレイホーン)の音楽への渋谷さんなりの切り口での表現である。ドラムやベースは加わっていなくて、6曲がピアノソロ、あとは峰厚介のテナー、松風鉱一のアルトとバリトン、フルート、関島岳郎のチューバという編成である。「複数の管がいるのに、ベースとドラムがいない」という編成は渋谷さんも加わっている峰厚介の「ランデブー」を連想する。このアルバムを聴くとき、我々はまずはエリントン(やストレイホーン)の創造したメロディを聴き、そこにつけられた渋谷さんのアレンジを聴き、それぞれのソロを聴く……という何重もの喜びを味わうことができるし、それらをひつまぶしのようにぐちゃぐちゃにして味わうこともできる。それには何度も何度も聴かねばならないが、そうするに足るアルバムであります。このアルバムにおける渋谷さんのピアノプレイやアレンジを聴いて、エリントンのオーケストレイションの秘密がわかった! というようなことはないと思う。たぶん渋谷さんがずっと追求してきたであろうエリントンハーモニーの自己解釈がここでつづられているのだろうと思う。しかし、その成果は聴いての通りである。エリントンナンバーといっても、無数にあるわけで、ここには有名曲ももちろん収められているが、たとえば「オール・トゥ・スーン」という曲などは峰厚介のワンホーンで淡々とつづられるが、めちゃくちゃいい曲で、それを峰〜渋谷が見事によみがえらせている。でも……知らんなあ。調べてみると、たしかにそんなに有名曲ではないらしい。こういう曲のすばらしい解釈が聞けるのもこのアルバムのうれしいところである。13曲目の「マイティ・ライク・ザ・ブルース」という曲(松風鉱一のバリトンがめちゃくちゃいい)などはまったく知らなかったが、うーん、ええ曲や(ぜんぜんブルースではない)。この世には知らないことが、音楽が、曲が多すぎる。めちゃくちゃ傑作。