「EYE FOR AN EYE」(BLUE −STEREO AN−R8)
PATRICK SHIROISHI
「眼には眼を」と題されたパトリック白石によるソプラニーノソロ(ディスクユニオンのサイトにはソプラノソロとあるが,どうもニーノらしい。ジャケットの写真も)。冒頭の13秒ほど、まったく無音の部分があり、そのなかからハーモニクスを使ったロングトーンが立ち上がってくる。そして、またしばらく音が途切れ、ふたたび長い音……ところどころ倍音のノイズが混じるがそれを強調しようという気持ちもないようだし、エヴァン・パーカーやカン・テーファン、ジョン・ブッチャーなどのようにサーキュラーやマルチフォニックスやタンギングなど超絶技巧を組み合わせて、全体をあらかじめある程度想定し、システマチックに構成していこうという感じではまったくないし、阿部薫のように瞬間、瞬間を切り取る瞬発力や間で表現しようという感じでもなく(どちらかというとだらだらと聞こえる)、なんというか、その場その場で思いついたことをなんとなく吹いているような雰囲気がある。しかし、それが面白くないかというと、すごく面白いのだから……面白いですよね、音楽というのは。相当なテクニックを身に着けたあと一旦それを捨てている、というか、こどもが楽器で遊んでいるような素朴な味わいがある。テクニックがあるのに、それから自由になろうとしている感じは、ジュゼッピ・ローガンを連想する。まえもって用意しよう、とか、構築していこう、とか、そういったものからできるだけ距離を置こうとしているような、かなりの精神力と決意を要する演奏だと思う。好き放題に吹いているようだが、やはりそこにはドラマが発生し、聴き手はそれに飲み込まれる。自由だからこそ生まれる自然のドラマゆえの感動がある。盛り上がる部分も、あらかじめ仕込んだ風はまるでなく、自然と高まっていった結果……に聞こえる。いわゆるフレーズらしいフレーズは最初から最後まで徹頭徹尾避けられる。まあ、一歩距離を置いて聴けば、ただのノイズにしか聞こえないかもしれないが、踏み込んで集中して聴くと次第に演奏に同調していく自分がある。最後は、秋の虫がすだいているような、静謐な表現で終わっていく。癖になる感じです。しかし、相当変な演奏ではあります。こういう演奏を聴くのは人生の糧であり、そのあたりもまたジュゼッピ・ローガンを連想するところだ。どうしてこの即興が「眼には眼を」と名付けられたのかはよくわからないけど。なお、Jazz Tokyoにかなり長いインタビューが掲載されている。