「FOOTPRINTS LIVE!」(VERVE 588 679−2)
WAYNE SHORTER
これがまあ、ショーターの初ライブ盤というのは驚きだが、ここにいるのはまさしく「ショーター」だ。「ウゲツ」や「マイルス・イン・ベルリン」や「スピーク・ノー・イヴル」やウェザーの諸作で聴いたあのショーターがここにいる。リズムセクションやまわりの音は変わっても、ショーター自身はまるで変わっていないのだなあとしみじみわかる。ほとんどが自作だが、その自作と遊び戯れている。ソロが終わったあとも、ピアノソロその他になったときでも、ショーターはずーっと吹いている。それがバンドとしての一体感を生んでいるのか、ソロの邪魔になっているのか、それはわからないが、とにかく「ずっと吹いていたい」というのが伝わってくる。それぐらい、リズムセクションが最高なのです。しかし、遊んでいるようにしか聞こえないショーターが、ぼへーーーっと一吹きするだけで、ブライアン・ブレイドをはじめとするリズムの強豪たちがそれにつれて、みるみる変化をしめすのは、魔術を見ているようだ。すごいよなー。曲といい、ソロの吹き方といい、リズムセクションへのアプローチといい、まさしくワン・アンド・オンリー。本当に偉大なサックス奏者である。もっと早くでるべきだったライブ盤。これからはばんばん出していってほしい。ただ、タイトルのしょぼさはなんとかならんのか。
「SPEAK NO EVIL」(BLUE NOTE BLP−4194)
WAYNE SHORTER
このジャズ史上に輝く傑作にして私がもっとも好きなショーターのアルバムについて、なにかを書くということ自体が楽しいことではないのだ。しんどいのだ。相手がでかすぎるのだ。でも、この「片っ端から聴く試み」は、机の手近にあるアルバムをなんでもどんどん聴いていく、という主旨だから、好き嫌いを言ってはいかん。というわけで、とうとうこのアルバムの出番となった。まずはタイトルについて。学生時代はずっと「邪心なく語れ」という意味だと思っていたが、そうではなかった。「SEE NO EVIL,SPEAK NO EVIL,HEAR NO EVIL」で「悪しきものを見るなかれ、悪しきことを語るなかれ、悪しきものを聴くなかれ」、つまり「見ざる言わざる聞かざる」なのである。そのうちの「悪しきことを語るなかれ」だけを取り出したタイトルであって、当時ショーターがはまっていたオカルティズムがらみのことでしょう。各曲のタイトルもそういうものがいくつかあるが、まあ、そういう標題音楽的な聴き方はよくないと思うので、一応今は無視してハナシを進める。まず1曲目は「ウィッチ・ハント」(魔女狩り)。あー、無視するつもりだったがいきなりそのものずばりのやつが来たなあ。意表をつくかっこええイントロ。こんなの思いつく? そして、イントロのリズムとちがうテーマがはじまるが、これがまたかっこええ! そして、テーマの歌わせかたというか、この露骨なダイナミクス。このあざといまでのダイナミクスの付け方でメリハリをつけるこのやり方は、曲だけでなくほかの曲についても効果的に使われている。そして、ショーターのソロ! すごくないっすか。高音部のパッセージからはじまり、独特の「どちゃっ」とした音色での、適当というかいい加減というかその瞬間に思いついたようなフレーズ、変な吹き伸ばし、テーマの完成度の低い変奏などが続く。このソロを、なにがやりたいのかわからない、とか、とぐろを巻いているようなわけのわからんソロ、などと思うことなかれ。このかっこよさがわかったら、もう一気に地獄行きですよ。こういう変態的なソロにバッキングするのはかなり難しいように思うのだが、さすがにこのトリオはばっちりだ。エルヴィンなどは、コルトレーンのようにきっちり盛り上がっていくタイプだとそれと対峙するようにどつきまくって盛り上げまくるが、ショーターに対してはそういうアプローチをしない。これは全曲そうなのだが、ショーターは、ブルーノートではエルヴィンと組むことが多かったと思うけど、彼にコルトレーンバンドでのようなどしゃめしゃな馬力あふれるプレイではなく、ポリリズムによるどろどろした一種のマグマのような熱気と雰囲気を求めているような気がする。ジョー・チェンバースともよく組んでいるから、ショーターがドラマーに求めていたものは、派手なプッシュではなかったことがわかる(と断言していいのか?)。つづくハバードのソロはきっちりしたはりきったもので、そういうときはエルヴィンもしっかりとプッシュしている。ハンコックのソロも短いがかっこいい。2曲目は、私がこのアルバムのなかでもっとも変態的だと思う超名曲「フィー・ファイ・フォー・ファム」。皆さん、こんな変な曲ほかにありますか。ほんと、わけがわからん。ようこんな曲考えたなあ。じつは学生時代に何度も演奏しているのだが、このテーマを超えるような変態的なソロをしようと思ってもなかなかできない。それほどテーマが突出して変態なのである。先発のハバードは張り切ったテンションでブリブリ吹いて、このテーマの呪縛を払拭しようとしているかのようである。そしてショーターはというと、逆にだらだらとした、狂った老人が口からよだれを垂れ流すような、ときに鼻歌のような、ときにメカニカルな、ときにホンカーのような、とにかく思いついたままを吹いているように思える。ああ、もう陶酔というか快感というか……。ソロの締めくくりのフレーズも、アホみたいで、すばらしい。ハンコックはリリカル。最後にもう一度テーマを聞くと、ああ、やっぱりすごい、と思う。もう一度言うが、ようこんな曲書いたわ。余談だが、昔、JJジョンソンのバンドを見に行ったとき、JJはある事情で不参加となり、テナーのラルフ・ムーア(一時、めちゃくちゃはまったのです)のワンホーンカルテットになったのだが、そこでムーアが演奏したのがこの「フィー・ファイ・フォー・ファム」で、私はラルフ・ムーアが音楽的に立脚している「場」がわかったような気になり、満足した。3曲目は「ダンス・カダヴェラス」。3拍子の曲で、美しいような不気味なようなテーマ。ここでいう「ダンス」というのは、社交ダンス的な、エキゾチックなものなのか。ハンコックのソロがすごすぎる。自由奔放勝手気ままのようで、時々ちゃんと帰ってくる。ショーターのソロもすごいよ。上昇するクロマチックを、ずらして並べるところとか、無意味な低音への落下、無意味なロングトーン、いや、すべてが無意味か。なにをやっとんだおまえは! と怒鳴りたくなるようないい加減な吹きっぷりは、ここまでくると凄みを帯びている。完璧な作曲と完璧なアレンジ、完璧なサイドメン、そして本人のソロはこの「裸の大将」的な自由なもの。これがショーターだ! テーマ部のアレンジもすごい。B面にいって、1曲目はタイトル曲の「スピーク・ノー・イヴル」、つまり「言わざる」だが、いやー、いつ聴いても何度聴いても最高のコンポジションですね。この、超超超単純な音の組み合わせと吹き伸ばしが、どうしてこんなに異常にかっこよく聞こえるのか。吹き伸ばしのバックでのハンコックのからみかたとか、ダイナミクスとか、いろいろな要素があって、それをショーターがコンポーザー、アレンジャーとして完全に把握しているからだと思うが、そのすごいテーマが終わって出てくるショーターのソロはというと……あいかわらず、ぼへぼへ、へぼへぼ、としたなんだかわからんもので、ほんとすごいなあと思う。ヘタウマという言葉まで喉もとにあがってくるが、このひとがじつはものすごいテクニックを持ったサックスプレイヤーなのだから、こういうソロは「わざと」なんだろうな。そうは思えないぐらいの域に達しているけど。ハバードはあいかわらず張り切った派手なソロだが、これはべつの意味で内容がないかも。でも、そういう役回りなので。ハンコックのソロは、ここではしっかりしたオーソドックスなモードジャズ的なもので、これはこれで超かっこいい。エルヴィンとの相性もばっちりで、クールにきめてます。フェイドアウトしていくところもええなあ。2曲目「インファント・アイズ」も、ええ曲やー。このアルバムでは唯一のバラード。不穏な空気のただよう名曲だと思う。これも、「ようこんな曲思いつくなあ」と感心しまくる。この曲を、美しい音色で、しっかりした奏法で、折り目正しいアクセントをつけて吹くと、たぶんすばらしい名バラードに聞こえるのだろうが、これは作曲者であるショーターのこの音色、この吹き方でなければ表現が完璧ではない(テーマも、タンギングをしたりしなかったりしているし)。この(とくに)高音の異常な美があってこそのこの曲なのだ。もう、泣けます。3曲目「ワイルド・フラワー」も、変な曲だよなー。聴く度に「変やなあ、変やなあ」と思う。でも、かっこいいんです。ショーターのソロは、もう慣れてしまっているからそう思わないだけで、やはりよく聴くと、相当おかしい。まるで、ちゃんと盛り上げようという気がないように聞こえる。ハバードのソロもイマジネイティヴで好き。ハンコックのソロのときのエルヴィンとの絡みかたも素敵。ああ、すごいアルバムだ。このアルバムの曲を、昔、いろいろなバンドで3曲ほどやったことがあり、ショーターのソロをコピーしたのだが、途中で、「あー、こんなソロ、コピーしても無駄」と思い、やめた。当時のショーターの良さのすべてが出ているし、共演者も全員すごい。とくにハンコックとエルヴィンの貢献は大だと思う。。うちにあるLPはオリジナルではなくリバティのやつだが、なぜかめちゃめちゃ音が良くて、かけるたびに「ああ、音ええなあ」と思う。うちのしょぼい装置でもわかるぐらい。このLPを所持しているかぎりはレコードプレイヤーは処分できないな(そんな気さらさらないけど)。
「NATIVE DANCER」(COLUMBIA RECORDS/CBS PC33418)
WAYNE SHORTER
学生のころ、このアルバムを友達の下宿ではじめて聴いたときはびっくりしたなあ。ショーターの名盤だということは知っていたが、まったく予想していたものとはちがった。冒頭いきなり出てくるボーカル、そしてなによりも曲調が、え? これってショーターのアルバム? まちがえて他のやつかけてへん? と真剣に思った。そして、歌ってるのが、女性だと思った。それほど無知だったわけだが、それが私とミルトン・ナシメントの出会いだったのだ。3曲目のぶっきらぼうな歌い方など、「この歌手、ほんまにうまいのか」と思ったことも今となってはいい思い出(そうか?)。それからじわじわきて、以来、完全にはまってしまい、ナシメントの大ファンになって現在に至る。そういう意味でも私にとって大事なアルバムである。その後、聞き込むうちに、このアルバムも好きになっていったが、やはり1曲目のインパクトがいちばんだなと思う。ブルーノートでの諸作とも、マイルスバンドでの表現とも、ウェザーでの音楽ともちがった、ショーターのオリジナリティに隅から隅まで塗りつぶされたような作品で、今回も久しぶりに聞き返して、あー、このひと天才やわ、と思った。1曲目のアレンジとか、2曲目のソプラノソロのポップさ(ケニーGとかと180度ちがうのに、なぜかポップ)、3曲目のテナーソロの適当さ加減はショーター色爆発だし、ショーターという音楽家の凄みを感じる。たとえば4曲目など、どこからどこまでも完全にナシメントの世界で、ショーターっぽさがあまりないような感じもするのだが、ソロ(最初テナーで途中からソプラノ)になると最初の1音でショーターの側にいきなり引っ張り込まれる。とんでもない個性だと思う。そう、このアルバムこそ個性と個性のぶつかり合いによって生まれたとてつもない怪物なのだ。B面にいって、1曲目はバラードで、(たぶん)ハンコックのピアノとソプラノサックスのデュオ(ときどきストリングスかシンセがかぶさる)。めちゃ美しい。2曲目はのりのりのビート感のある曲だが、どことなく妙な部分が随所にあり、一筋縄ではいかない傑作。音色剥きだしの、ガッツのあるテナーソロも秀逸。3曲目はソプラノによる、ビートはしっかりしているが浮遊感のある曲。4曲目は5拍子の曲。この5拍子とナシメントのボーカルが実に溶け合うのであります。かっこええなあ。このアルバム中いちばんベタにかっこええかもしれんわ。最後のソプラノソロがまたええねん。こういう無邪気(?)なソロを、恐れずにできるのはどれだけ自信が必要なのか、と思ったりもする。ラストの5曲目はバラードで、ピアノの独奏によるイントロダクションにソプラノが乗る、牧歌的で雄大な曲調。ピアノが100音ほど弾くあいだにショーターは3音ぐらいしか吹かないという崩れたバランスが、すばらしい効果を生んでいる。というわけで、今更ながらに名盤だと思いました。
「ODYSSEY OF ISCA」(BLUE NOTE RECORDS TYCJ 81071)
WAYNE SHORTER
偏愛しているアルバム。このころのショーターというと、ソプラノ、というイメージがある。たぶん「スーパー・ノヴァ」(と「モト・グロッソ・フェイオ」)が頭に浮かぶからだろうが、本作も2ドラム、2ベース、ギターによる複雑なリズムのうえを、ショーターがソプラノでチラッとモチーフの断片を吹き、それによってバンドの演奏が変化していく……というような化学実験の過程を見ているかのような体験をリスナーはすることになる。これが快感なのである。ショーターのソロを、いわゆる「ジャズのソロ」としか考えると、「なにやっとんねん、こいつ」ということになるかもしれないが、たぶんこのときのショーターの念頭にはグループエクスプレッションしかなかったと思う。1曲目は全体がひとつになって溶けたような演奏でわかりやすいが、2曲目はショーターが前面に出てガリガリソプラノを吹いても、実質的にはソロというよりグループエクスプレッションであり、インタープレイなので、リスナーは全ての楽器、全てのミュージシャンを真剣に聴かねばならない。ほんまにスタイリッシュでかっこええ音楽であります。こういうやり方はウェザーリポートにも通じますね。3曲目はテナーによるバラードで、かなりエコーがかかっている。しかし、バラードといっても、ショーターのバックで弾きまくるふたりのベースは、自分たちが主役でショーターがバック、という感じ。こういうのもやっぱりマイルスの影響を感じますね。4曲目は唯一ショーター以外のコンポーザーによる曲で、ボサのリズムでショーターはソプラノでひたすら吹き伸ばしをするだけ……みたいな曲だが、これがめちゃくちゃかっこいいのであります。やはり、ジャズというのは吹き手(?)によって、単なる吹き伸ばしであっても、かっこよくなったりならなかったりするもんだなあ、と思いました。ギターソロのあとに入ってくるショーターのソプラノソロはもう、めちゃくちゃかっこいい! バックの煽りを受けて、ショーターは「ここ一番」という感じで吹きまくる。すばらしいです。オーソドックスなツインドラムのドラムソロもあり。ラストの「ジョイ」は、ショーターはテナー。いちばんウェザーの豪快な曲調っぽいかなあ、と思える演奏。複雑でパワフルなリズムのうえでショーターが好き放題に吹く。めちゃくちゃかっこいい。途中でソプラノに持ち替えて、(ショーターとしては)かなりの吹きまくりを展開して、手に汗握るほどのかっこよさである。全曲が傑作と言い切れるような最高のアルバム。これまでにも花開いてはいたが、このあともっとどんどん開花していくショーターの凄い才能の一部を見た、という感じのアルバム。傑作!
「JUJU」(BLUE NOTE CDP 7 46514 2)
WAYNE SHORTER
これから書くことはショーター好きのひとたちにとっては言わずもがな、というか、書かずもがななことばかりだとは思うが、本作が好きすぎるのであえて書く。
CDというものが出だしたころ、私はけっこう抵抗したのだが、ついに抵抗しきれなくなってプレイヤーを購入した。しばらくはレコードで持っていないアルバムを購入していたのだけど、そのうちにとうとう「レコードは持ってるけど」というアルバムを買うことになった。そういうアルバムがモブレーの「ディッピン」と並んで、本作「ジュジュ」ということになる。とにかく繰り返し繰り返し聴きたかったんだろうな、と思う。ブルーノートにはまったく詳しくないのだが、ショーターのアルバムとしては「スピーク・ノー・イヴィル」を筆頭に、「ナイト・ドリーマー」「アダムス・アップル」そして本作などは本当に珠玉の名作だと思う。「スーパー・ノヴァ」「オデッセイ・オブ・イスカ」「ネイティヴ・ダンサー」などはまたちょっとちがうので(どれもすばらしいけど)、やっぱり自分としては「スピーク・ノー・イヴィル」あたりのアルバムを偏愛している。
この、わけのわからない感じの曲と、ベホッ、ブホッ……という感じのソロが聴き込むと死ぬほどかっこいいんだわ……というようなことはショーター好きのかたがたにはいまさら言う必要もないことだとは思うが、本作「ジュジュ」はそういう一枚なのだ。メンバーもマッコイ・タイナー、エルヴィン・ジョーンズ、レジー・ワークマンというコルトレーンカルテットのリズムセクションを借りてきたようなもんだが(「ナイト・ドリーマー」と同じ)、受ける印象はもちろんコルトレーン的なものとはかなりちがう。なんというか、コルトレーンとはちがったスピリチュアルさを感じる。ショーターは、なんといってもこの「音」が凄くて、どちらかというとややくぐもったような、へろへろした感じだが、一度聴いたら忘れられない、ショーターだけの音である。じつはものすごく鳴っているし、下から上まで全音域にわたって同じ音質であることもすごい。その「音」が、この呆れるぐらい独特のアーティキュレイションとあいまって、ワン・アンド・オンリーの世界を作り上げている(アーティキュレイションに関しては、たいがいのサックスプレイヤーが、心地よく、スウィングするようなアーティキュレイションで吹けばよい、ぐらいの感じなのに、そもそも「独自のアーティキュレイションで音楽を表現する」というスタンス自体がすごい。なんというか、流暢には聞こえず、しかも、舌と指が合ってないような印象を受ける箇所多数あり、つまり、本当にレコーディングの場で好き放題に吹いているということだ。また、ここはタンギングやろ、という箇所でタンギングをしなかったり、ととにかく「変」なのだ。なんにも考えていないのだ、鼻歌なのだ、という意見もあるが、そんなはずはない。これは意識的な表現だと思われる)。高音をわざとヨレッと出したり、変なベンドをしたり、低音が裏返ったりするが、それらすべてを即興的にオーケストレイションして自分の表現にしてしまう。
すごいよねー。聴くとやみつきになる。この個性の塊のような「音とアーティキュレイション」そして、変態的なのにめちゃくちゃかっこいいフレージングが、数多いサックス入りフュージョンバンドのなかでウェザー・リポートを最高峰にのぼりつめさせた要因のひとつだと思う。流暢には聞こえないかもしれないが、じつは馬鹿テクでもある。そして、これまた独特としかいいようがないコンポジション! シンプルではあるのだが、「なんでこんな音列を考え付くのだ!」と叫びたくなるほど「変」であり、かつ超かっこよくて、記憶に残る。まさに天才としか言いようがない(本作は全曲ショーターのオリジナル)。それにしても、たとえば4曲目の「マージャン」という曲など、コルトレーンが演奏しても、ファラオ・サンダースが演奏しても全然おかしくないような曲調なのだが、おそらくどれもまったく違ったものになるだろうな、と思った。ジャズテナーの面白いところはソコですよ。
1曲目の「ジュ・ジュ」(超名曲)ですでにショーターの全ての魅力が全開になっており、マッコイ、エルヴィン、レジーという超重量級リズムセクションとともにドワーッと押し寄せてくる感じだ(ちなみに私はジュジュというと本作や、シェップの「マジック・オブ・ジュジュ」のイメージだったので、学生のころ、はじめてサニー・アデを聴いてびっくりした)。2曲目のイントロのテナーもめちゃくちゃかっこいい。マイナーブルースっぽい16小節の曲(ですよね?)。はっきり言ってほんとにしょうもない(あ、すいません)リフ曲だと思うのだが、それがなにゆえこんなにかっこいいのだろう。我々はみんな、ショーターの魔術にかかっているのだ。3曲目の「ハウス・オブ・ジェイド」は「翡翠の家」という意味だそうだが、こんな美しい曲があろうか、というぐらい、聞いたことないような名曲である。どの曲も名曲、名演なのだが、5曲目の「イエス・オア・ノー」などはけっこういろいろなミュージシャンに取り上げられているのではないかと思う(冒頭のひっかけの部分など普通はちゃんとタンギングして吹くのではないか、と思うがそれをしないところがショーターなのだ)。ラストの6曲目はブルースだが、あまりそういうブルース臭はない。モーダルな感じだからだろう。
全体にエルヴィンの貢献がすごくて、それか聴きたいがために何度も聴き返してしまう。もちろんマッコイもバッキングにソロに大活躍。レジー(レジナルド・ワークマンと表記されている)もかなり重いベースでこのグループにばっちり合っている。傑作!
「NIGHT DREAMER」(BLUE NOTE RECORDS/UNIVERSAL CLASSICS & JAZZ UCCQ−9249)
WAYNE SHORTER
ショーターのブルーノート発リーダー作。アマチュアもプロも含めて、このアルバムをしつこくしつこくしつこく聴いた経験のないひとはいないのではないかと思えるような、「テナー吹きにとっての宝物」のようなアルバムのひとつである。マッコイ・タイナー、レジー・ワークマン、エルヴィン・ジョーンズというコルトレーンカルテットの重量級のリズムをバックにしながら、自身のコンポジションとテナープレイによって、コルトレーンとはまるで違ったものをこのリズムセクションから引き出した……と思う。どの曲も有名だが、1曲目、ハンコックのイントロからはじまる露骨な三拍子のこのメロディは斬新だ。最初、ショーターのソロがあるが、これがまた「なにかを言い尽くしたい」とか「テクニックや音楽性を見せたい」という感じのものではなく、鼻歌のような自由奔放なソロなのだ。リー・モーガンのソロも音を微妙にねじまげたような表現を駆使したハードバップ的な張り詰めた感じでかっこいいが、マッコイのソロのあともう一度出てくるショーターのソロがこれは本当に鼻歌というかレコーディングのその場でふと思いついたようなフレーズだけで構成されていており、その生き生きとした表現に感動する。商品としてのバランスとかよりもおのれの吹きたいことを優先するショーターの意欲がいきなり出た感じの一曲目だ。テーマのあとまたショーターが吹いてフェイドアウトになるがここもまさにそんな感じ。2曲目はこれも、どうすればこんなメロディを思いつくのかという玄妙なバラード。ショーターのぐだぐだしたソロ(かっこいい!)のあと対比として完璧な、憂いを帯ながらもびゅんびゅん飛ばすリー・モーガンとマッコイのソロのあと、リフを挟んでエルヴィンの短いドラムソロがこれまたかっこいい。3曲目はワンホーンのバラードで、コルトレーン的でもなくベン・ウエブスター的でもない、へろへろしたテナーの音色なのだが、これがめちゃくちゃかっこいいのです。マッコイのきらきらしたソロを挟み、テンション高めでテーマに戻る。ええ曲やー。4曲目は本作では一番おなじみかもしれない「ブラック・ナイル」で、曲はめちゃくちゃかっこいい、やや速い4ビートだが、ショーターのソロはせっかくのそのかっこいい曲を(さっきも書いたが)鼻歌みたいな自身のソロで費やしている。リー・モーガンのソロやマッコイのソロのほうがしっかりしている。しかし、印象に残るのはショーターのソロなのだ。学生のころ、このソロを丸コピーしたが、ようするにショーターのそのときの気分で吹いてるソロであり、そこにいろんなスケールとかが登場するという感じの演奏で、そういうことも含めて圧倒的にいろいろ学ばせていただいた演奏です。5曲目はミディアムの4ビートのブルースで、こんな単純なリフもショーターが吹くと個性的な曲に聞こえるのか……と思った。まあ、ブルースなのでなにをやってもいいのだが、ショーターのソロはマジで好きに吹いてる。俺のブルーノート発リーダー作のソロだから、後世のひとたちがコピーしても恥じないようなきっちりしたソロをしよう……なんて気持ちがまったくない。6曲目もハードバップ的なコンセプトのうえに重厚なメロを載せた3拍子。先発のショーターといい、リー・モーガンといい、メッセンジャーズでつちかったものの大きさを感じる。本作におけるマッコイの貢献も……。エンディングもいいですね。7曲目は3曲目のバラード(?)の別テイク。透明すぎ、美しすぎる。雑味があってもそれは透明に集束していくのだ。本テイクとほぼ同じ長さというのもすごいよね。本テイクと同等の価値のある演奏。とにかくこのアルバムはすごいのだ。何度も何度も無意味に聴いて、いろいろ覚えてしまうだけの価値がある。傑作。
「ADAM’S APPLE」((BLUE NOTE RECORDS/UNIVERSAL CLASSICS & JAZZ UCCQ−5072)
WAYNE SHORTER
ワンホーン、しかもハンコック、レジー・ワークマン、ジョー・チェンバースというリズムセクションとの共演で濃密な演奏。このリズムはたとえばエルヴィンやマッコイの入ったアルバムの超重量級な凄まじさに比べると、軽くも重くもなる良さがある。1曲目はその軽さが爆発したタイトル曲で、ラテンぽい。冒頭、一瞬変拍子のように聞こえるが普通の4拍子である。ラテンっぽいリズムのブルース。ショーターも(彼としては)めちゃくちゃ普通のソロをする。毎回ブレイクがあるのが面白いです。2曲目は3拍子の変形マイナーブルースだが、バラード風というかエキゾチックなどこか異郷のフォークソングのような味わいで、完全にショーターの世界になっている。タイトルはブルースとなっているがまるでブルースではない。この曲だけショーターの曲ではなくジミー・ロウルズの曲だそうである。ハンコックのソロがすばらしい。3曲目は「エル・ガウーチョ」という曲でつまりはアルゼンチン的な主題である。4曲目は3拍子のモード的変形ブルースで超有名曲。ショーターらしさ爆発の演奏で、マイルスの「マイルス・スマイルズ」や自身の後年のライヴでもやっていた、おそらく本人にとっても愛着がある曲(タイトルは足跡のこと)。なんともいきいきとしたソロで、もっと長かったらなあと思わずにはおれない。めちゃかっこいい曲。5曲目はショーターの音楽性が滲み出た異形のバラードで、こういう曲の独創性やかっこよさは筆舌に尽くしがたい。よくもまあこんな曲が思いつくものだ。茫洋としているが、音使いはどの音も「これしかない」というような完璧な使い方で、何度聴いてもひたすら感心する。ラストの6曲目はこれもいかにもショーターらしい、吹き伸ばしを多用し、ヤバいコードをつけた傑作だと思う。ショーターもすごいが、ここではハンコックのソロが大爆発している。うちにあるCDには最後にボーナストラックとして「コレクター」が入ってるがこれも凄まじい演奏。ショーターとハンコックのからみはえげつない。歴史的傑作。
「THE ALL SEEING EYE」(BLUE NOTE RECODS 7243 5 24543 2 7)
WAYNE SHORTER
ブルーノートのショーターはどれもすばらしいが、2管かワンホーンものの人気が高いように思う。しかし、そういうなかで本作は5管(アラン・ショーターは1曲だけ)編成という大所帯で、ショーターの作・編曲もたっぷり味わえる(全曲オリジナル。つーか、こんな曲を書けるのはこのひとだけ)。1曲目のタイトル曲「オール・シーイング・アイ」(千里眼、みたいなことか? なんでもお見通しの神の目というようなキリスト教的な意味であるらしい)は絶妙にめちゃくちゃかっこいいイントロのルバート部分からショーターの唐突な下降フレーズからドラムソロになり、アップテンポになって、テーマになる。ハバードのぶりぶりしたトランペット、ハンコックのえぐいバッキング、そしてそのあとのショーターのテナーソロでよだれがたれる。それにしてもショーターというひとは個性のかたまりだ。音色、フレーズ、アーティキュレイション……すべてが独特のもので、ひたすら怒涛のように押し寄せてくる。コルトレーンとも全然違う。こういう演奏を聴くと、ああ、俺はサックスをはじめて、ショーターに出会い、こういう演奏を満喫できることがいかに自分にとっての幸せか、と思う。そのうちアップテンポのインテンポになる。このあたりもいいよなあ。短いドラムソロを挟んでテーマになる。かっこええ……。ショーターは柔らかで迫力ある、へしゃげたような低音部に特色があるのだが、このころはリンクのメタルで、そののちリンクのラバーになると、それがもっと強調される。ハンコックのピアノソロでまたルバートになるが、このパートも本当にかっこいい。その後またアップテンポになり、短いドラムソロを経てテーマになる。一曲目を聞いただけでほとほと疲れるが、音楽からこんな心地よい疲れを味わうことはあまりないのである。
2曲目はまたぞろルバートでのアンサンブルからはじまるが、こういう部分の音の重ね方はたかだか4管なのになんともいえない刺激的なものであります。この感じはショーターがこのあとウェザーになり、そして独立してからもずっと継続している。冒頭のピアノの上昇アルペジオなど、ありがちな感じかもしれないが、ここでは「不穏」な雰囲気を醸し出しており、そのあとの展開の最高のイントロダクションになっている。そして、ド迫力のテーマがはじまり、そのあとロン・カーターのルバートなベースソロ、そこにほかのリズムが入ってくる……というのも「不穏」である。ショーターがルバートにソロを取るが、これが前衛でなくてなんであろうと思う。こんなソロはコピーしてもしかたがない。ショーターにしかできないものだろう。60年代の時点でこんな変態的なソロを吹ける奏者がほうにいただろうか。音を捻じ曲げるような技も使っている。ハバードのソロもルバートではじまり、バックと濃密にからみあいながら進んでいく。それぞれのソロイストがルバートでの演奏をしなければならないので、よほど実力のある奏者でないと困難だろう。つどはグラチャン・モンカーでもちろんルバートである。丁寧で、隅々まで気持ちの行き届いたソロとそれにからむリズム。そしてインテンポになり、テーマがあって、ハンコックのエンディングがこれまたかっこいい。
3曲目はいきなりアップテンポのテーマアンサンブルではじまるハードバップ的な曲だが、もちろんタダではすまない。先発はジェイムズ・スポルディング。ストレートで力強いソロ。続くはハバード。安定感抜群である。しかし、どこをどう切り取ってもまさしくハバードとしか思えない個性豊かな演奏で、やはりハバードは只者ではない。ショーターのソロは本作ではいちばん普通でパワフルでストレートで過激なソロかもしれない。ハンコックのソロはモードジャズとフリージャズを混ぜ合わせたような凄まじいもので、この時代のジャズが持つポテンシャルによだれが垂れる。
4曲目はこれも重厚なアンサンブルではじまる。タイトルは「深淵の顔」とでもいう感じか。一種のバラードだが、これがまた一筋縄ではいかないメロのバラードで、あまりのかっこよさに身震いする。テナーをフィーチュアした一曲。
ラストの5曲目(アラン・ショーターの曲)は、ドルフィー的というのはどうかと思うが、そういうある種の跳躍を持った曲で、異世界における演奏というイメージを感じる。アフリカ的リズムのうえでショーターが自由に、本当に自由にブロウするのだ。そのつぎのフリューゲルはハバードだと思われるが、痙攣するようなフレージングで、ハンコックとともに世界を作り上げている。アラン・ショーターだと思われるがソロもすばらしいです。弟のショーターの音楽性をしっかりわかったうえでの演奏だ。そして、ジョー・チェンバースのソロを挟んでテーマに戻る。
かっこいいよね。マジかっこいいの一言。傑作。
「ETCETERA」(BLUE NOTE/EMIミュージック・ジャパン TOCJ−50292)
WAYNE SHORTER
これは私の記憶ではキングからブルーノートの未発表集として「ザ・コレクター」というタイトルで出たもので、ジャケットはこれとは違うがよく覚えている。そのときのアルバムにはこのセッションでの4曲に「ザ・コレクター」という曲が入っていたのだが、その曲がタイトルチューンになってしまっていた。こうして本来のセッションのまま発売されて、「ザ・コレクター」は除外されているので(本来のセッションである「アダムス・アップル」に入っている)、タイトルが変わるのも当然である。それにしても、こんなめちゃくちゃすごいアルバムが当時発売されなかったのは信じられない。よく、こういう場合「どうしてこんなすばらしいアルバムが未発表のままだったのか信じられない」みたいなことをライナーに書かれていることが多いが、たいがいは一種のあおりで、聴いてみると、まあ、これこれこういうことが原因でしょうね、と思うことが多い。しかし、本作に関してはマイケル・カスクーナが「私が思うに、これはウェイン・ショーターがかつて作った最高のアルバムのひとつだ。なぜすぐに発売されなかったのか、私にとって今も巨大な謎のままだ」と書いているとおりで、この意見には同意しまくる。しいて理由を探せば、当時ショーターはブルーノートに「ナイト・ドリーマー」「ジュジュ」「スピーク・ノー・イーヴル」といった歴史的なアルバムを録音し(つづく「予言者」は未発表だった)、そのつぎに行われたのが本作の録音だが、前3作はマッコイやエルヴィンなどのせいもあって、ショーターの一種の呪術的というか重々しいオカルト的な面が出ていたのに、本作はそのあたりがやや軽くて爽やかである(ドラムがジョー・チェンバースだからか……?)。しかし、聴いてみればわかるように、とにかくびっくりするほど凄い演奏で、「ジュジュ」や「アダムス・アップル」と並ぶワンホーンの傑作、それも、オールタイムベスト級の傑作なのだ。ショーターの曲はどれもいいし、テナーソロもハンコックのピアノソロも最高であります。当時はまだ30歳だったセシル・マクビーも、チェンバースも鮮烈すぎるほど鮮烈な演奏をしていて、何度聴いてもかっこいい。もし、当時このアルバムが発売されていたら、ショーターのほかのブルーノート盤同様に多くのひとに影響を与える名盤として受け入れられていたと思う。
1曲目はタイトル曲で「エトセトラ」。エトセトラはエテセテラと書くのか。これがもうめちゃいい曲で、もし当時発売されていたらきっと若手ジャズミュージシャンや学生バンドがたぞってレパートリーにしたであろう傑作。この鼻歌のような浮遊感漂う、どこに腰を落ち着けるのかわからんメロディラインは、たとえば「ヒー・ファイ・ホー・ヒーム」などと同様でショーター好みの曲だが、ショーターは「天才なので、こういうのは思いつきで書けちゃうし、演奏できちゃう」というのはじつはそうではなく、テーマもソロも意識的にそういう感じを楽理的にも演出しようとしているのだと思う。こういう曲においてこういうソロが吹ける、というのはすごいことだと思います。こんな曲調にはハンコックとチェンバースがぴったりです。2曲目はバラードだが、耳に残る曲である。甘さも辛さもない、淡々とした禅味のある演奏で、曲としてもソロも茫洋としてつかみどころがないが、それがおそらくショーターの狙いだろう。こういう演出ができる、という時点でコルトレーン的なもののつぎを見据えている……のか、天然なのか……とにかくかっこいいですね。3曲目は「ザ・コレクター」には未収録だった曲だが、淡々とした4ビートをつむぐリズムセクションに対して、ひらひら、ふらふら、うわうわ、はらはら……とアブストラクトなフレーズを、これまた淡々と撒き散らしているかのようなショーターだが、これがじつはめちゃくちゃ考え抜かれたソロだと……私は思うのです。つづくハンコックのソロは十分リーダーの意を汲んだものだが、ショーターのソロに比べるとジャズである。つまり、ショーターのこのソロは当時のジャズをはみだしているのだと思う。いや、ソロだけではなく、テーマを吹くときの音程を微妙に揺らしていることも意図的だろう。4曲目はギル・エヴァンスの曲だそうです。モーダルな構成の曲で、ショーターのテーマの吹き方もソロも「いかにも」という感じで、ショーター好きの心をくすぐる。ジョー・チェンバースの細かいドラムとマクビーのすかすかなベースがぴったりで、本作中もっともアグレッシヴな「ジャズ」的な演奏かも。ハンコックの、抑制がききつつ弾きまくりのソロもめちゃくちゃかっこいい(ある意味、この曲の主役といえるかも)。ラストの「インディアン・ソング」というのは5拍子の曲で、ある意味ベースラインが主である。ショーターの吹くメロはテーマというか即興だと思う。カスクーナは「ノリのいい演奏、の典型的な曲」と書いているが、そういう表現とはちょっとちがった世界に連れていかれる、異形の音楽である。ハンコックも完璧にショーターの意図をわかっていて、しっかりとその世界観を作っているが、マクビーとチェンバースも同様である。つまり、4人が4人ともショーターの世界観の構築に貢献しまくっているのだ。あたりまえ? いやいや、そんなことはない。当時のブルーノートをはじめとするハードバップのセッションでは、こういう風に全員のコミュニケーションがしっかりとれていて、ひとつの音楽的ゴールを目指そうという感じで演奏されているものばかりでないことはみんな知っているとおりです。だからこそ、このアルバムが当時発売されなかったことは、カスクーナではないが、「ウェイン・ショーターがかつて作った最高のアルバムのひとつだ。なぜすぐに発売されなかったのか、私にとって今も巨大な謎のままだ」と私もつくづく思う。すごくねー、これ? 傑作! あとは、まずジャケットをもうちょっと考えないとね……。でも、中身はマジですばらしいと思います。
「SCHIZOPHRENIA」(BLUE NOTE RECORDS/UNIVERSAL MUSIC UCCQ−9412)
WAYNE SHORTER
「スキッツォフリーニア」と発音するそうだが、タイトルは今でいう統合失調症のことで、さすがにこれを日本語でタイトルにするというのは無理だと思う。ショーターのブルーノートで3管以上の編成というと、まず「オール・シーイング・アイ」(4管)が思い浮かび、それに続いて、のちに未発表だったものが発売されたが、それは「スースセイヤー」と本作である。考えてみたら、その3作はいずれもジェイムス・スポールディングが参加しているのだ。ショーターはそんなにスポールディングと(音楽的に)馬が合ったのか? ちょっと不思議です。本作でも、ショーターとの対比が明確な、鋭く、アイデアがはっき.たりしたソロをしているし、全曲ショーターのオリジナルで固めたなかで唯一他人の作がスポールディング作の4曲目なのだ。1曲目「トム・サム」は「親指トム」のことで、ショーターにしてはファンキーな明るい曲で、リズムはラテンっぽい。トロンボーンを効果的に使ったアレンジもかっこいいし、コードチェンジもちょっとひねってあって、今なら学生バンドとかでのレパートリーにもってこいな感じである。ショーターはあいかわらず自作曲なのに鼻歌のように自然なソロを繰り広げていてすばらしい。ハンコックのソロも見事としか言いようがない。スポールディングのソロは知的な感じで、ショーターとは対照の妙。2曲目は「ゴー」は、1曲目とはちがって完全にショーターワールド。テーマもショーターでないと書けないものだし、ハンコックのソロとそれをこまやかにバッキングするチェンバースのからみはぞくぞくする。そのあとスポールディングのフルートソロになるが、フレージングがどうこうというより幽玄な笛を聴いているような演奏。そして、ショーターのテナーも墨絵のような鮮やかなもの。3曲目はタイトル曲で、さすがにめちゃくちゃかっこいい。テーマかと思っていたバラード風の部分からジョー・チェンバースのすばらしいドラムが入って展開が一転。アップテンポの爆発的なテーマになる。ショーターはぶっぱやいビートに乗ってゴリゴリのブロウを展開するが、そういうときにもショーターはショーターなのだ。ひえーっ、と叫びたくなるソロ。続いてフラーのかなり攻撃的なソロ。これもいい感じ。スポールディングはいつものようにタンギングをあまりしないので、そこに不思議な浮遊感が出る。これも個性ですね。ハンコックも管楽器のようにソロを弾きまくっている。4曲目はさっきも書いたがスポールディングの曲で、本人はフルートで参加。アップテンポのモードジャズ的なテーマはストレートでかなりかっこいいし、つづくフルートソロもアブストラクトなのにはっきりしたアイデアが感じられ、聴きごたえ十分。ちょっと和旋律みたいなものも感じる。つづくショーターのソロはワンコードになってなんでもありな感じでハンコックの絶妙な和音に乗ってショーターが好き放題に吹く。タンギングでの表現は、まさにアーティキュレイションの魔術。そして、ハンコックのソロ部分はピアノ、ベース、ドラムの三人がそれぞれちがうリズムで演奏をしていて、それがひとつに集まってくるのがかっこいいっすね。今では当たり前かもしれないけど、この当時はけっこう斬新だったかも。これがアンソニーではなくジョー・チェンバースだというところに、チェンバースってすごいんやなあと今更ながらに思ったりして。5曲目は「ミヤコ」というバラード。ショーターの思いはいろいろあるだろうが、ここでは触れない。3管なのだが、ショーターのテナーの音がひたすら際立つ感じのアレンジで、この個性は唯一無二。そして、その個性をハンコックたちが盛り立てる。この曲はたとえばベン・ウエブスターやバディ・テイトが演奏してもものすごい表現になるだろうとおぼしき名曲。それをこんな風にやってしまうのがショーターの個性。最後はアンサンブルがまた入って盛り上がる。見事。エンディングはカデンツァ的なものがあるのかと思ったら、あっさりスーッと終わるのもいい。ラストは「プレイグラウンド」。チェンバースのドラムとそれぞれの管楽器の対話みたいな変態的な曲。ショーターのソロは真っ向勝負で手に汗握る。トロンボーンソロもアルトソロもそれぞれかなりめちゃくちゃで「破天荒」を目指しているような気がするが、やはり真の破天荒を手にしているのはショーターである。そして、ハンコックも。最後にアンサンブルとドラムの対話のような形で終わっていく。いやー、この6人はすげー。たった36分しかないアルバムだが、その濃密さはかなりのものです。また我々は叫ばなければならない。「なんで、これが未発表やったんや!」と。傑作。
「THE SOOTHSAYER」(BLUE NOTE/EMIミュージック・ジャパン TOCJ−50272)
WAYNE SHORTER
うちにあるCDは廉価盤で、あのおなじみの黒い、ボトルみたいなのがドーンと真ん中にあるジャケットではない。本作は、「オール・シーイング・アイ」よりもまえに録音された3管編成のアルバム(「オール……」はこの3人にグレイシャン・モンカー三世が加わった4管)。1曲目の「ロスト」を聴けばわかるように、曲もめちゃくちゃよくて、ソロもすばらしく、リズムセクションもマッコイ、ロン・カーター、トリー・ウィリアムスと信じられないほど豪華で、どうしてこのアルバムが未発表だったのかさっぱりわからん。とにかくこの1曲目はショーターの、あの雰囲気が横溢しているコンポジションといい、ソロといい、あー、この一曲だけでも十分です、と言いたくなるほどの名曲・名演であります(ウェザーでも再演された)。2曲目はたとえば「ブラック・ナイル」的なガチのかっこいい曲で、きっちりホーンアレンジもなされており、先発のショーターのソロの「癖がすごい」というやつで、フレージングももちろんなのだが、この音色! このアーティキュレイション! このリズム! というわけで、短いながらも堪能できる。つづくハバードはやたら張り切ったソロだが、ハバードがショーターと溶け合った演奏というのはやはり「スピーク・ノー・イーヴル」ですね。あのときは奇跡的にばっちり合っていた。ジェイムス・スポールディングのアルトは、非常にショーターに似ている……のかショーターを意識しているのか、そういうソロで、ときどきノータンギングでベターッと吹く。これもまあ個性です。3曲目はミディアムの変拍子の曲。なかなかいい感じの変拍子なのだが、ショーターとしては必然性があるのだろう。なんとなく落ち着かない、いかにもショーターらしい曲。しかし、ソロは普通に4拍子。ショーターの(あいかわらずの)自作曲を自分で分析しながら吹いているような鼻歌的ソロはすばらしい。ハバードは後年のようなバリバリ吹きまくる感じのソロ。スポールディングは2曲目でも書いたとおり、ショーターっぽい、テクニックを見せつけるとかそういうのではない、個性的なソロなのだが、短いし、ショーターとはちがって音色などが淡白なので何度も聞かないとこのひとの個性は心に残らない。しかし、いい演奏。マッコイはやっぱり重くて、ハンコックなどとはまるでちがう個性をショーターの音楽に付け加えていてすばらしい。4曲目はタイトルチューン。これもテーマ部分は変拍子で3、3、3、4みたいな感じなのだが、ソロは4ビート。先発はスポールディングで、ガッツもあるし、スルメのように噛めば噛むほど良さがわかるソロ。でも、正直、学生の頃(アルトを吹いていたころ)ならこういう音色、アーティキュレイションのアルトは受け付けなかったかもしれない。ハバードはやっぱり張り切っていて、そのこと自体がひとつの個性になっている。そしてショーターのソロは、いやー、ほんまに光ってる。ちょっと頭おかしいんちゃうか的な、どう聴いても個性の塊なソロ。こういうのはほんとあこがれる。本作の白眉といっていい凄まじい演奏。マッコイはそういうこと関係ないもんねーっ、というすさまじい演奏。5曲目はたぶんビリー・ホリディに捧げたバラード。ショーターは、いわゆるベン・ウエブスター的なテナーバラードをまったく演奏しないひとなのだが、本作はおなじくそういう道を選択しなかったコルトレーン(「バラード」とか)ともちがって、ショーター独自の世界になっていて圧倒される。このロングトーンのかっこよさは筆舌に尽くしがたい。テーマは途中からアルトが加わるアンサンブルになっている。マッコイ・タイナーも玉をコロコロ転がすような絶妙のソロを取っているが、ショーターはほとんどテーマを吹くだけで表現していて、すごいと思います。6曲目はシベリウスの「悲しいワルツ」でアンサンブルもとてもいい。マクビーとチェンバースの細かなバッキングも最高です。ショーターの茫洋とした「思いつくまま」みたいなソロ、スポールディングのきっちりした音数の多いソロ、ハバードのバリバリ吹きまくるソロ、マッコイのけっこうトリッキーなソロ、マクビーの正攻法のソロなど、各人の個性がそれぞれに出たソロが続き、堪能する。ええ曲やなあ。ラストは「アンゴラ」の別テイク。傑作だと思います。もし、録音時に出されていたら名盤扱いされたのでは? しかし、マッコイの存在は大きいなあ。ライナーでマイケル・カスクーナが「マッコイをハンコックに変えればそのままVSOP」と書いているが、マッコイはハンコックとはまるで違った世界に連れて行ってくれる。たとえばウェザー・リポートのピアノがマッコイだったら、と想像すれば「それはない」となるでしょう。こういうすごい個性がショーターの回りにはひしめいていたのだなあ、と思うアルバム。