「IMPRESSIONS OF JOHN COLTRANE」(ITM ARCHIVES ITN960006)
ALAN SKIDMORE QUARTET LIVE AT THE FLEECE
とにかくコルトレーンが好きなんだろうなあ、としみじみリスナーに思わせる作品。このひとはことあるごとにコルトレーントリビュートものを吹き込んでいるが、今回の二枚組ライヴはその決定版というべきもの。最新録音とのことだが、プレイは余裕綽々たるもので、もうかなりの年齢だと思うが、衰えはまったくない。まだまだ絶好調の時期であるようだ。気合いと円熟がほどよくバランスされ、すみずみにまで気配りのされたすばらしい演奏である。音色から、アーティキュレイションから、ほんとうにコルトレーンそっくりで、リーブマンとかラバーベラとか多くのコルトレーンフォロワーの白人テナーのなかでも、みんなそれぞれに個性もあって、それが邪魔をしてコピーしきれないようなところもあるなか、このひとはマジでクリソツである。好きでないと、ここまでは似せられませんよ。それに、単に似ているというだけのコピーキャットではない。モダンジャズテナーマンとしてじつに優れている。ユニークさはたしかに少ないが、それをおぎなってあまりあるバランスのよさがあり(これはけっこう大事)、アバンギャルドな部分もときおり顔をみせるし、ジャズとしてのスリルも十分で、しかも、コルトレーンへの畏敬の気持ちや、そこからくるテンションなどがとくに本作をすばらしいものにしている。選曲も、コルトレーンの好んでいたスタンダードや、コルトレーンのオリジナルをバランスよく配置し、それもアトランティック、インパルスをうまく混ぜ、コードもの、モードものを取り混ぜて、二枚を飽きさせずに聴きとおせるよう配慮してある。コルトレーンのトリビュートものというと、しょうもないものもたくさんあるが、これは看板に偽りなしのレベルの高いトリビューションになっている。もちろんコルトレーンのような宗教性、精神性はあまたないが、そこのところがかえってアラン・スキッドモアの値打ちであり、本作の値打ちであるともいえる。リズムセクションもいいし、じつに気に入りました。むかし、マイルス・レコーズというところからその名もずばり「トリビュート・トゥ・トレーン」という作品が出ていたが、そのときも「ロニーズ・ラメント」を吹き込んでいたなあ。この曲がよほど好きなのだろう。あと「サマータイム」は、ちゃんと「マイ・フェイヴァリット……」に入っているとおりにチェンジをいじってあって、かっこいいっす。
「ONCE UPON A TIME」(VOCALION CDSML8406)
ALAN SKIDMORE QUINTET
うまいし、かっこいい。それがこのグレイトなグループにおくるべき言葉だと思う。つまり、高度な音楽性とともに技術もあわせもっている。最高のリズムセクションと最高のフロント。しかも、録音当時はみんな若く、聴いてると、「俺たちはこれからやるんだ」という意欲を感じる。コルトレーンとマイルスクインテットの影響下に、現れるべくして現れたバンドである。本家本元であるアメリカでは、当時、おそらく、コルトレーンやマイルスの精神的な面を受け継ぎ、演奏自体は個々のオリジナリティを打ち出したような音楽性のグループが多かったのではないかと思うが、イギリスにおいては、まさに「もろ」という感じで、演奏スタイルそのものを踏襲したバンドが生まれたわけである(フリージャズも、アメリカで生まれたが、ドイツやイギリスでブロッツマンやエヴァン・パーカー、デレク・ベイリーらによって、精神性や人種意識を除去して、純粋な音楽上の問題として浄化されたことを思い出すでしょう?)。今考えると、コルトレーンの語る「神」という言葉より、その音色、フレーズそのものを愛した彼らによる演奏は、ラヴ・シュープリームだラヴ・クライだカーマだ、スピリッツだと叫んでいた七十年代において、かえって非常に重要である。そして、コルトレーン的なストイックさにあふれた彼らのプレイのなかから、じつは「精神性」もめらめらと立ち上ってくる。アメリカにおいては、こうした純粋音楽面からのコルトレーンフォローは、たとえばブレッカーやリーブマン、グロスマンなどを待たねばならないわけで、その意味でもスキッドモアのグループはすばらしいと思う。そして、今聴いてもまったく古びていないのは、彼らのスタンスがまちがっていなかったこと、コルトレーンやマイルスの音楽の本質をきちんと押さえていたこと、そして、物真似にみえていた彼らの演奏にじつはあふれんばかりのオリジナリティがあった、ということ(一曲めが、静かでストイックなバラードからはじまるあたりも注目)などを物語っている。傑作です。フリーに突入する場面もあり、スリルも満点。ホイーラーもいいよ。
「LIVE IN LONDON」(JAZZ WERKSTATT016)
S.O.H
これはすごかった。めっちゃかっこよかった。とにかくアラン・スキッドモアはコルトレーンが好きで好きで好きで好きでたまらんのだろうな。コルトレーンの、プレスティッジ時代から晩年のフリーフォームなものに至るまでの、すべてが好きにちがいない。つまり、彼の演奏を聴いていると、いろんな時代のコルトレーンのかっこよさが抽出されて、いろんな形でそこに出てくるのだ。コルトレーンの曲をやらなくても、なにをやってもそれはエッセンスとしてスキッドモアのソロのなかに普遍的に存在する。聴き手としては、それをがっぷり味わうしかない。もちろんオリジナリティはじゅうぶんにあるのだが、アラン・スキッドモアの音楽を傾聴するにあたって、コルトレーンフォロワーかどうか、オリジナリティがあるかどうか、そんなことは重要ではないのだ。今ここで起こっている、三人による全力疾走はあまりに快感ではないか。思わせぶりなテーマ提示、ソプラノとテナーの全音域を駆使した灼熱のブロウ、フリーな世界に踏み込んでの壮絶なインタープレイ……などなど、これ以上のものを求める必要はないと断言できる。トニー・オクスリーの激しいあおりや、ベースのアリ・ホーランドの派手なソロなど、聞き所は十分。傑作だと思うよ。
「EUROPEAN JAZZ QUINTET V」(FUSION 8010)
EUROPEAN JAZZ QUINTET
傑作、という言葉はめったに吐かれるべきではないかもしれないが、本作はめちゃめちゃ傑作である。超傑作、死ぬほど傑作、アホみたいに傑作、どう考えても傑作である。こんなすごいアルバムがCDになっておらず、しょうもないピアノトリオとかがばんばん発売されて、古いバップのアルバムが何度も何度も何度も何度も再発されてコンプリートだのジャケがオリジナルだのミックスがよくなっただの重量盤だのといって出し直される日本のジャズシーンはほんとにアホらしくってどうにもならん。こういうアルバムを出しなさい! いや、出せ! これはあるひとからちょうだいしたのだが、あまりにすばらしいので呆然として声もなかった。コルトレーンの影響をもろにかぶった思われる3人のテナー奏者が、ベースとドラムをバックに吹く、というシンプルな内容だが、もう死ぬほどいいのです。アラン・スキッドモアがいいのは当然で、ゲルト・デュデュクも最高だが、もうひとりのテナーのレスゼック・ザドロというひとが、私は知らんひとだったが、あとの二人同様、いや、それを上回るぐらいのブロウを見せる。いわゆるブローイングセッションとはまったくちがい、曲もアレンジも十分考えつくされたものだが、そのうえではじける3人のテナー奏者のソロがとにかく火傷するぐらい熱い。もう、めちゃめちゃかっこいいのです。しかも、3人ともコルトレーン的な演奏ではあるのだが、それぞれに個性がひしひしと感じられ、凡百の「コルトレーン風に吹きました」的なものとは天と地ほどちがう、クリエイティヴィティの固まりのような内容。これがCD化されていないというのは、ほんと罪悪である。だれのリーダーアルバムというわけでもないようだが、便宜上、最初に名前の出ているアラン・スキッドモアの項に入れておく。
「SOH」(VIEW RECORDS VS0018)
SOH
アラン・スキッドモア、トニー・オクスレイ、アル・ホーランドによるトリオで、ロンドンでのライヴも出ている「SOH」というグループのレコード(三人の頭文字を並べたものだから、三人対等のバンドということだろう)。A面1曲、B面1曲で、両方足しても36分しかないが、どちらも重量級の演奏なのでこれで十分である。うちにあるのは、透明な盤のレコードで、なんか不思議な感じがする。アラン・スキッドモアというひとはとにかくコルトレーンが好きすぎてしょうがないということを隠そうとしないテナー吹きだが、執着もここまでいけば立派だと思うのは、単に音色、音楽性、フレーズなどをコピーして完全に自分のものとしているだけでなく、そこにある種の狂気というかコルトレーンが生きていたらかくやと思わせるほどの「憑依」があることで、とにかく超かっこいいのである。このひとの演奏をはじめて知ったのは大学を卒業して会社員になったころで、コルトレーンに捧ぐ的なアルバム(何枚も出してるはず)を買ったのがファーストコンタクトで、それ以来ずっと好きだが、SF界一のスキッドモア好きである添野さんにもいろいろ教えていただき、ますます好きになっている。本作でもA面の「ロニーズ・ラメント」(リーブマンもやるよね)でのスキッドモアのテナーの凄まじいブロウは圧倒的で、それをトニー・オクスレイが煽るというか邪魔をするというか、「対決」するかのごときリズムをぶつけ、その緊張感から生まれるのはまさにコルトレーンミュージックである。ベースのめちゃえぐい無伴奏ソロの部分も、そういう耳で聴くと、ギャリソンの「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」とかのあの鬱陶しいまでの暑苦しいソロを連想するな。ベースソロのあと、スキッドモアがフリーキーに吹きはじめ、一曲のうちに「ヴィレッジ・ヴァンガード」と「ヴィレッジ・ヴァンガード・アゲイン」を一度に聴ける感じになる。B面はベースのアリ・ホーランドの曲で、長いベースだけのフリーインプロヴィゼイションっぽいイントロがあり、そのあとベースがモーダルなパターンを弾きだし、ドラムが入って、スキッドモアの伸びやかなソプラノが乗る。ソプラノのしっかりしたフレージングと、トニー・オクスレイの超人的といってもいいんじゃない?的なえげつないドラミングによって、会場の天井が落ちるんじゃないかと思うほどのとてつもない瞬間が持続する。ひえーっ、これはすげーっ。凄まじいとか圧倒的といった言葉ではとても表現できないほどの、爆発的な歓喜がここにある。これはジャズにおける最良の瞬間のひとつであって、こういうものは古びたり、時代遅れになったりしないのだ。ライヴなので、三人とも自由奔放で、各々の最良の部分をどんどん出していて、熱気が会場に渦巻く感じが伝わってくる。このアルバム、たまに聴くとものすごく活力ももらえるというかやる気が出てくるのです。ただし、へとへとになるけどね。もし、聴いたことがないというひとがいたら、ただちにどこかで聴くべし。
「TRIBUTE TO ’TRANE」(MILES MUSIC MM075)
ALAN SKIDMORE QUARTET
アラン・スキッドモアのコルトレーントリビュート作のひとつ。このアルバムは、大学を卒業したあと、三宮の今はなき「レコーズJR」で買って以来大事に大事に聴いている。バックのピアノトリオはイギリスの若手(?)だと思うが、そういう方面に無知なのでまったく知らん。選曲も渋いなあ。1曲目「リゾリューション」は、「至上の愛」のあの感じではなく、いきなりベースのランニングとともにテーマがはじまるので、ああいった大げさ感はない。しかし、ピアノソロを経てスキッドモアのテナーが登場すると、ああコルトレーン、ああ至上の愛というシリアスさがひしひしと伝わってきて、ちょっとそのガチさ、真っ正面さに笑ってしまいそうになるほど。いやー、このひとほんまにコルトレーンが好きなんやな。リズムセクションは、さすがにスキッドモアが選んだだけあって、非常にうまいし、パワフルで、言うことなし。きっと有名なひとたちなんだろうな。88年の録音なので、もう25年もまえの録音なのだが、もちろん古びていない。コルトレーンの演奏が古びていないように。凡百のコルトレーンに捧ぐ的アルバムは、本家のコルトレーンの演奏はエヴァグリーンなのに、どんどん風化していくが、それは上っ面だけのものだったから。本作がこれだけの手応えが今でもあるというのは、このトリビュートアルバムのクオリティが高く、しかも精神性もちゃんと継承していたということの証明でしょう。2曲目は、スキッドモアが大好きな「ロニーズ・ラメント」です。「インプレッションズ・オブ・ジョン・コルトレーン」というアルバムでも、また、「SOH」というアルバムでもスキッドモアはこの曲を取り上げていて、どれだけ好きやねんと思うのだが、本盤でも非常に重い演奏を行っていてかっこいい。3曲目は「ベッシーズ・ブルース」。いろんなひとが取り上げている曲だが、ようするにE♭のブルース。スキッドモアは、コルトレーンがやっていたキーとテンポで演奏する。B面1曲目は……出ました、「クレッセント」。この曲も、リーブマンが「ホメージ・トゥ・ジョン・コルトレーン」でやっていたと思うけど、よほどのコルトレーン好きでないと気軽にはできない曲だと思うなんというか、素材として取り上げるだけならほかにいくらも曲があるし、ある種の精神的な同調、あるいはよほどの強い想いがないとこのあたりのナンバーにアプローチするという気持ちにならないだろう。それは、つぎの「ディア・ロード」も同じで(この曲もリーブマンは「ホメージ・トゥ……」で取り上げている)、美しいバラードではあるが、なかなか生半可な取り上げ方を拒否するような、コルトレーン以外のサックス奏者では完璧にならないような空気感のある曲である。そして、3曲目は「ネイマ」。B面はバラードが3曲も続くのだ(「クレッセント」がバラードかどうかは微妙か)。この3曲を、スキッドモアはものすごいクオリティで歌い上げ、吹き上げる。ちょっと感動的ですらある。こういう、甘さを排したバラードの吹き方というのは、コルトレーンが完成させたといってもいいのではないかと思うが、スキッドモアはまさにそういったシリアスなバラードを演奏する(クールというのとはちょっとちがう)。音色もすばらしいし、個人的にはテーマを聴いてるだけで泣けてくるようなとこ、あるね。最後は「ミスター・PC」で、一転して激しい演奏。ようするにマイナーブルースで、ジャムセッションの素材にもなるような曲だが、コルトレーントリビュートアルバムでこの曲を取り上げるという場合は、ただの素材としてではないことは明らかである。スキッドモアは気合い十分に吹きまくる(テーマにちょっとだけアレンジも加えている)。めちゃめちゃクオリティの高いコルトレーントリビュートアルバムだが、同時にアラン・スキッドモアの音楽にもちゃんとなっている。7曲、どの曲もずっしりした手応えのある演奏ばかりで、聴き終えるとぐったりしますよ、ほんと。傑作。